|

新政権と地方議会議員
地方政治とは
古代ギリシアの哲学者プラトンは一国家の政治的在り方について「理性と知性が支配する国。無知と欲望が支配する国」の分類を行い、後者の悲劇と悲哀を説いた。政治の効果
・効用は、現代おいては専ら現象面で評価されているが、もともと政治というものは、こうした諸現象を生み出す社会、あるいは民族の性向性を作り固める土壌製造に本質的意味と目的がある。
「父は子を造る。子は父を見習い、父に似る」。
これもまたプラトンの言葉であるが、政治は国民という子を作り続け、同時に子は政治という父親に従って国民性を構築していく。プラトンの言葉を引用するまでもなく、政治とは庶民大衆、国民一般
が見習うべき対象であり、人生において価値観を形成するための唯一絶対の見本、拠り所である。わが国の子が、わが国の民が、その父を見習って現在に至っていることは誰の目にも明らかである。
歴史を作るのは人間である。そしてまた、歴史を作るのは政治である。政治が歴史を作り伝統を作る。この法則のなかでは、中央・地方の区別
はない。いや、中央政治を造るのはすなわち地方政治であり、政治の根源は地方政治にある。地方議会の議員は、中央議会議員のオルガナイザー(下部組織の構成者、先兵)ではない。
地方政治を中央政治の単なる下部機構とする在り方は間違いである。中央で決定された政治を政党レベルの段階で単に政策化すれば良いとする現代地方政治の在り方にこそ、先に引用したプラトンの政治原理の「誤」に作用するものなのだ。
今回の自民党総裁選は地方による予備選が小泉圧勝を生み出した。
だがそれは、地方から中央へという本題的な意図から生み出されたものとは言いがたい。恐らく多分に、参院選勝利のための方便という意味合いが強かったのではないだろうか。
今日の政治的課題は、この誤った政治認識を矯正することにある。生活感覚が息づく番地、丁目、町村から始まった政治認識を、都道府県レベル、国政レベルに至らせる――いわゆる「小から大に至る」政治認識に改めなければならない。地方議員こそ、国家国民の政治形成の原子的存在にほかならない。その認識が、今こそ必要なのだ。
政治職人としての地方政治家
地方議員が名実共に政治の根源に位置するためには、欠くことの許されない諸条件がある。
カネと暇があるから…、労組のまとめ役に適しているから…、信者獲得に貢献したから…、煽動家として優れているから…等々の理由は、地方議員の資格条件とは無縁のものである。地方議員は少なくとも、政治とは何かを知り、最低でもプラトンの政治的原理を「政治的に理解できること」である。
政治の原理を知ることは政治家の義務である。それは庶民が納めた税金を歳費として受け取る政治家にとっての最低限の条件である。
「政治原理は知らないが、政治世界の寝業、腹芸はお手のもの」などという政治家は、かつて政治家稼業が名誉職と呼ばれた時代のもの、血税を些かも受け取らなかった時代の在り方であり、現代では通
用しない。現代は、とにかく議員と名がつけば段階に応じて世界でも稀な高額歳費を国民大衆の血税から受け取っている。受け取る以上、議員一人一人は国民大衆全体から大きな義務を課せられているのだ。
たしかに議員の権利は政治に限定されている。
だが、その義務は一個人の政治力の枠を越える。議員そのものの人間的存在に関わってくる。議員の人間的存在に関わるとは、即ち、議員が真の政治専従者に相応しい職業人であるか否かが問われているということである。
政治家は政治職人でなければならない。
まして今の日本、改革期を目前にしたわが国における地方議員とは、国家レベルでの政治の先兵でなければならない。それは中央政治家の先兵となることを意味するものではない。
専門家として政治を認識し、意識して政治活動を展開できる者だけが国民、庶民大衆に対する政治家である。従って有権者は、政治家以前の(あるいは政治家以後の)政治家を必要としていない。政治における地方議員の役割、議員歳費や議会コストについての問題意識、政治研究会等の開催意義を理解できない地方議員は、政治職人とは言えない。政治学を理解できない地方議員は、改革改変の先兵として存在することは許されない。
小泉新政権誕生によって、わが国の政治環境が大きく変化しようとしている。憲法9条や集団自衛権の問題に関して、これを肯定するのか、否定するのか、その政治的意義がどこにあるかを明確に語れない地方議員は無用の存在となってきた。
本紙は近日中に地方議員諸氏に対し、政治意識全般を問う「質問状」を送付する予定である。この質問状に対し、正対してお答えいただけないような地方議員は、当然ながら政治家としての存在意義が問われることになるだろう。
また、憲法9条や集団自衛権の問題は、同時に、庶民大衆一人一人に突きつけられた問題でもある。
平成13年、西暦2001年初夏、わが国は戦後初めての大きな変革期を迎えようとしている。――この認識を各人が真に持ったとき、戦後日本は生まれ変わる。

|