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「外務省の闇」──ムネオ疑惑の背後にあるもの
2つの会談記録
「この2つの文書は、同じ会談の記録ですが、内容がだいぶ違っています。実際の会談の直後に入手したものと比べると、今年になって共産党が暴露した方には相当削除されたり、改ざんされた部分が見られます」
日ロ外交問題を長年追ってきたジャーナリストは、記者の前に2つの会談記録を差し出した。片方には、削除されたとおぼしき部分に線が付されている。
件の文書は、昨年3月5日に鈴木宗男衆議院議員がロシア連邦共和国外務次官のロシュコフ氏、駐日ロシア大使のパノフ氏と会談した際の双方の問答を記録したものである。これは、同日に外務省麻布別館において日ロ外務次官会議(専門家協議)が行われた夜、極秘裏に行われた裏の会談というべきものである。文書のはじめには、東郷和彦欧州局長と外務省通訳が同席していたことが記されている。
「この記録を事実に照らして検証した結果、間違いないものであると判断した。会談記録は、対ロ領土交渉で、二重交渉がおこなわれており、それが現実に日本外交をゆがめていたというきわめて深刻で、重大なものである」−3月19日、「会談記録」を記者会見で暴露した志位和夫共産党委員長は、声高に断じた。
共産党が公開した文書には、次のような前文が付してあった。
「この記録は当時の佐藤主任分析官が保管する書類の中から昨年入手したものです。この記録からも明らかなとおり、鈴木議員と東郷局長は政府の基本方針に反するメッセージをロシアに伝えていた一例です。内容からもお察し出来ると思いますが、この記録は外務大臣にも官房長官にも報告されませんでした。また、外務省にも正式な記録は残っていません」
前文には、この会談録を共産党の手にわたした者の「告発の動機」が示唆されている。このはなはだ意図を感じさせる前書きのついた会談記録は、「ムネオ疑惑」追及の急先鋒である共産党をはやり立たせ、同時に「国の主権を売り渡すムネオ」「ムネオ取り巻きの外務官僚も同罪」との論を野党全体、そしてマスコミ論調の中に急速にひろめる契機となった。そして、「ムネオ側近」とされた外務省の佐藤優・元主任分析官は「背任容疑」で逮捕され、左遷先のオランダ大使を解任されたまま、海外を転々としていた東郷和彦元局長も検察の執拗な要請で、事情聴取に応ずる旨の意思表示をしたと報じられている。
しかし、である。今回、本紙が入手した「真正の会談録」なるものと共産党発表の「会談記録」では、少しかいつまんだだけでも以下のような重大な相違があるのだ。
東郷局長に関わる発言の削除
2つの文書を区別するため、共産党発表の文書を〔共〕、本紙が新たに入手した真正と思われる文書を〔真〕とする。いくつかの同一部分の下りを比較してみよう。
〔共〕共産党発表の文書
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| (鈴木議員)本日は良い協議が行われたか。 |
| (ロシュコフ次官)我々は、友好的な雰囲気の中で協議を行った。しかし、意見の一致を見いだせなかった。我々は、良い雰囲気で、また良き同僚と協議を行っているのに、意見の一致が見られないという矛盾に身を置かれている。このため心の中で葛藤を感じており、残念である。 |
〔真〕真正と思われる文書
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| (鈴木議員)本日は良い協議が行われたか。 |
| (ロシュコフ次官)交渉に多くの注意を払うよりも、不信任案の採決に関心が行ってしまった。これが否決されたにあたっては、貴議員のお力が大きかったと思う。以上はもちろん冗談だが、我々は、もちろん交渉に対し真剣な注意を払い、友好的な雰囲気の中で協議を行った。しかし、意見の一致を見いだせなかった。我々は、良い雰囲気で、また良き同僚と協議を行っているのに、意見の一致が見られないという矛盾に身を置かれている。このため心の中で葛藤を感じており、残念である。日本側と交渉した後、家で眠れずにいると家内が「どうしてか」と聞く。自分は、本当に仲の良い人達と意見が合致しない議論を続けねばならないからだと答える。しかし、日本の同僚達は本当に良く仕事をされるので、国会の場で給料の引き上げを私よりより要請したい程である。 |
| (鈴木議員)貴次官に対し、日本として協力できることがあれば何でもやりたい。 |
| (ロシュコフ次官)今回の来日において自分は誰に訴えて良いか分からないが、全ての人に心の訴えをしてきた。東郷局長が近く別の所に行くそうだが、これは破局的である。東郷局長とはその接触と相互理解において本当に多くのことをしてきたし、合意できなくとも良いパートナーとして仕事が出来た。 |
〔真〕で下線を付した部分が、〔共〕ではすっかり欠落している。これは、何を意味しているか。〔真〕のロシア側発言から伺えるのは、この日の昼間の日ロ外務省の会談において、日本側が粘り強く交渉を行ったこと、意見が一致しないにしろ、ロシア側はこれに「敵ながら天晴れ」との感情を抱き、実務面の日本側責任者であった東郷局長を高く評価していたことである。もちろん、交渉の最大のテーマは、北方領土の返還問題だ。
会談録は、A4用紙で〔真〕が8枚、〔共〕でも7枚(かなり削除されているため)になるものだが、〔共〕の方では東郷局長に関わる部分が、相当に削られている。
また、あわせて鈴木議員の発言についても、〔真〕に比べるなら〔共〕の方に相当手が入れられている。以下、この間にマスコミや国会で問題にされている北方領土の「二島先行返還論」と「四島一括返還論」の本質に関わる部分の一部を示してみよう。
〔共〕共産党発表の文書
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| (ロシュコフ次官)東郷局長は、56年宣言を記述するために個別の条項を設けようと提案したが、これはかなり進んだ措置である。これは実質的にあり得べき道筋になると考える。 |
| (鈴木議員)56年宣言を明記すること、そして出来れば、無人島であり日本側に渡してもロシアが損することはないであろう歯舞群島を日本に渡し、また面積は狭く、なくなってもロシアの国益を毀損することはないであろう色丹島を日本側に渡し、国後島、択捉島については継続的に協議を行って結論を出す、それも、そのことが日露双方がそれぞれの世論に説明が出来るような解釈を可能とする文案を是非知恵を出して作りだして欲しいと思う。 |
〔真〕真正と思われる文書
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| (ロシュコフ次官)我々は、56年宣言を記述するために独立の条項を設けようと提案したが、これはかなり進んだ措置である。これは実質的にあり得べき道筋になると考える。 |
| (鈴木議員)56年宣言を明記すること、そして出来れば、無人島であり日本側に渡してもロシアが損することはないであろう歯舞群島を日本に渡し、また面積は狭く、なくなってもロシアの国益を毀損することはないであろう色丹島を日本側に渡し、そのことを数年かけて結論を出す、国後島、択捉島については継続的に協議を行って結論を出す、それも、そのことが日露双方がそれぞれの世論に説明が出来るような何か良い知恵を絞った文案を作りだして欲しいと思う。 |
ここでは削除と共に、加筆や用語の交換まで行われている。まず重大なのは、〔真〕の方ではロシア側(我々)が提案していることが、東郷局長が提案したことになっている。56年の日ソ共同宣言に関する発言だが、本宣言は二重の意味を含むもので、それを協定等に明記することをどちらが提起するかによって、意味が違ってくる。
日ソ共同宣言は、「平和条約締結後に、歯舞、色丹の二島は返還する」として、少なくとも二島は日本固有の領土であることをソ連側が認めたという不十分ながらも前進的側面と、「相互に賠償・領土要求については放棄する」として二島問題以外は戦後処理が終局したと日本側まで認めてしまうという今日まで日本国民、旧北方領土島民が求める「歯舞、色丹、国後、択捉の四島返還」「出来得れば千島列島返還交渉へ進むこと」への道を閉ざしかねない側面を持っている。
しかし、この宣言以降の日ロの領土交渉は、昭和35(1960)年の日米安保条約改定についてロシア側が「ソ連敵視策を強化したもとでの二島の返還は、わが国の安全を脅かす」との口実で、「宣言無効」の立場を取るようになったのであるから、ロシア側が譲歩して「協定に宣言を明記」と言いだすなら、少なくとも従来の立場に戻ることを意味するので、一歩前進としての意味がある。つまり、この日の昼間に行われた交渉が日本側に優位に進められたことを示唆するものに他ならないことになる。
逆に、〔共〕の方にあるように東郷局長が「宣言の明記」を提案し、これをロシア側が「かなり進んだ措置」と評価したというなら、これは「歯舞、色丹の二島返還で領土問題は終局」ということをロシア側が喜んだという意味あいが強いものとなってしまう。こちらでは、昼間の交渉において日本側がロシア側に譲歩したかのような印象が強いものとなる。ロシュコフ次官発言の主語が「我々」とされるか、あるいは「東郷局長」とされるかでは、文意がまったく逆になり得るのだ。
こうした文意にあわせて、鈴木議員の発言部分も削除されたり、加筆されたと考えると「訂正を行った者」の意図がますます明瞭になってくる。例えば鈴木発言の「数年かけて結論を出す」という文言のある無しで、相手と議論していくのか、それとも相手の言い分を鵜呑みにするのかの違いになっていくし、「何か良い知恵を絞った文案」と「解釈を可能とする文案を是非知恵を出して…」では誠実な検討をするのか、誤魔化しをするのか位の違いがある。
「訂正を行った者」は、「東郷ラインの交渉は、領土交渉をそれほど進展させていない」、むしろ「ロシアに譲歩ばかりしている」、そして「鈴木議員は、東郷と共謀してロシア側に譲歩し、領土問題を二島のみで終局させようとしている」との印象を広めることを狙っていると見ては間違いない。これは、マスコミの報道で「対ロシア外交をダメにした男」として、東郷氏がヤリ玉にあがり、「鈴木、東郷は売国奴」との論まで登場していることに照らせば、この文書改ざんの効果のほどが伺える。
このように、2つの文書を比べるなら、鈴木議員の発言、ロシア側の発言共に意味を違えるような改ざんの跡がまだまだ数多く見られる。いちいち分析すると紙数を相当費やすので、諸兄は本紙資料編で現物をとくとご覧いただき、吟味していただきたい。
尚、いくつかの週刊誌報道によれば、鈴木宗男議員はごく近い知人に「共産党が発表した文書は、偽物だ」と発言しているようである。また最近、北海道新聞社が共産党に対して「発表の文書と別のものが存在しているが、どちらが真正なのか?」との質問を提出し、共産党側も「調査の必要がある」と、当初、自信満々で発表した文書の信憑性に対して急に自信喪失したとみられる態度をとっている。 以上の経過をみるなら、いくつかの外務省内部からの「流出文書」を用いて鈴木宗男議員の「北方四島支援事業」に関わる疑惑追及の先頭に立ってきた共産党に、新たに「内部文書」を掴ませることにより、世論をある方向に誘導していくことを狙った者たちによる工作の匂いがきわめて強いもの、と言わなくてはならないだろう。 共産党にとっては、「いい面の皮」といった事態に陥ってしまったようだ。
90年代の対ロ外交で「強腕」を発揮した東郷=佐藤ライン
「佐藤君は、50年に一人、いや100年に一人の逸材ですよ」──故・小渕恵三首相は、外務大臣時代、公開の宴席で従えていた佐藤優・元分析官を手放しで褒めたたえ、知人たちに紹介していた。
「外務省のラスプーチン」と、各紙誌で書き立てられ、にわかに有名になった上、現在は背任容疑で逮捕されている佐藤は、ロシア外交に人生をかけてきた東郷和彦・元欧亜局長を補佐し、数々の実績をあげてきた。本紙でもその一端を紹介してきたし、その後、いくつかの新聞紙上や月刊誌に佐藤の知己・ゆかりの人物たちによるエピソードの紹介もなされてきた(『文芸春秋』5月号 斎藤勉「佐藤優 ラスプーチンと呼ばれた男 異能のノンキャリ職員を生かせなかった外務省」等)。
今回は、読者の参考に供するため、2つのエピソードを記しておきたい。戦後、長きにわたる対ロシア(対ソ)外交において、日本国民の多くが歯がみする思いをしてきた中で、日本外交が実に「強腕」を発揮した希有な例である。あらかじめ、はっきりさせておこう。この2つのエピソード共に、東郷=佐藤ラインで切り拓かれたものなのだ。
第一のエピソードは、大国ロシアの国家元首をして、初めて日本国民に対して謝罪させたことである。平成5年、時のエリツィン大統領は、日本国民に対して戦後、不法に満州その他の地区にあった日本軍人及び軍属約60数万人を連行し、抑留・酷使して5万5千人以上を死亡させたことについて謝罪したのである。昭和31(1956)年の日ソ共同宣言に含まれる「相互に賠償請求を放棄する」との条項を楯に、ロシアからの直接補償は行わないものとしたが、大統領の決定によりロシア政府は第一次世界大戦後から捕虜になった軍人に対する補償のあり方の国際慣例になっていた「使役期間に応じて払われるべき労働賃金についての証明書の発行」を旧日本人捕虜に対して行う決定をし、今日までにロシア連邦共和国は申請を行ったシベリア等への抑留者3万8千人に対して「労働証明書」を発行した。
1949(昭和24)年発効の捕虜の扱いに関するジュネーブ条約は、それ以前から国際慣行になっていた抑留国から「労働証明書」の発行を受けた捕虜に対して帰国後に自国政府から証明書に基づく賃金を支払うルールを国際的なルールとして明文化した。支払い賃金は、その後の国家間の貿易取引の際、差引決済される取決めである。もちろん、日本も条約を批准しているし、それ以前にも終戦時に東南アジアで英連邦軍に捕らえられ、抑留・使役された日本軍捕虜に対して、帰国後に証明書に基づく労賃支払いを行っている事実がある。
現在のところ、日本政府はシベリア抑留者について恥ずべきことに「戦争の惨禍による被害は等しく国民が負ったもの」との口実をもって「労働証明書」に基づく労賃支払いに応じない姿勢をとっているが、国会に繰り返し抑留者団体から陳情が行われ、外務省、厚生労働省が補償措置の検討を開始していると言われる。 領土問題と共に、日ロ両国民の感情面で大きなシコリとなってきたシベリア抑留問題をエリツィンに謝罪させたのは、日ロ首脳会談の事務方を努めてきた東郷、佐藤の工作が功を奏したものである。
第二のエピソードは、平成11年夏に起きたキルギス共和国における国際協力事業団(JICA)職員・技術者ら日本人4名の誘拐事件の解決である。イスラム原理主義過激派に誘拐された4名を救出するため、現地での交渉を取り仕切ったのが佐藤優であった。とかく解決方法(相当額の身代金をODA予算から「付け替え」をして、現地政府軍を通じて相手側に渡した)が批判を呼んだが、地道なネゴシエーション(説得工作)と大胆な決断により、日本外交が邦人の生命を守り抜いたこれも戦後希有な例だった。
もちろん、以上あげた2つのケースと東郷、佐藤の関わりは、本紙が独自に入手した情報に基づいて示したものであり、これを信ずるか否かは諸兄の判断を待つしかない。しかし、この2つのエピソードは、実際にあった出来事だということは誰にも否定しがたいものであるし、展開した状況の本質については賢明な読者諸兄には明瞭に理解しうると考える。この2つの日本外交上、画期的な出来事が起きた時期、対ロ/旧ソ連圏諸国外交の中枢にあったのは、マスコミによって「日本のロシア外交をダメにした男たち」とされる東郷、佐藤に他ならないのである。
「獄中闘争」を決意した佐藤元主任分析官
「裏切り者の名前を、はっきりあげましょう。小寺次郎(元ロシア課長)、倉井高志(元ロシア支援室長)、原田親仁(元ロシア課長)、それにOBの枝村純郎(元ロシア大使)と兵藤長雄(元欧亜局長)です。この5人こそ、鈴木先生の政治力を頼って無理なおねだりばかりしていたくせに、いざとなると裏切って後ろからバッサリと切ったヤツらです」───佐藤優・元主任分析官は、逮捕される直前の5月14日、外務省付属外交史料館の講堂で週刊フライデーの取材を受け、こう述べた(『フライデー』5月31日付)。
逮捕前後に撮影された報道写真、映像では、それ以前の報道に使われていた鈴木宗男議員と北方領土等に同行している際の恰幅のよい姿とは打って変わって、相当にスリムになった姿が印象的な佐藤は、逮捕とその後の「獄中闘争」にそなえてジム通いを続け、20キロも体重を落としたという。フライデー誌の1ページを占めたインタビュー中の写真では、やせた中でも以前よりいっそう鋭い眼光が印象的だ。
佐藤の逮捕容疑は、ロシア支援委員会の予算を付け替えることにより約3千万円を捻出し、イスラエルで開催されたロシア研究学会への日本人学者や外務省職員の派遣費用に充てたことによって、「国に損害を与えた」とする背任罪である。ここから捻出した費用のうち、140万円を「着服」し、現地での宴会費用や自分自身の旅費に充てていたともされている。「鈴木の腹心」「外務省のラスプーチン」と怪物官僚ぶりを喧伝された割には、ケチな罪名である。
しかし、佐藤に近い外務省関係者は記者にこう打ち明けた。
「佐藤さんも、脇の甘い面はあったと思います。彼は、鈴木議員と共同して推進していた日ロ青年交流事業の中で、ロシア青年の訪日代表団を迎える度に『佐藤主任分析官主催歓迎パーティー』を開き、支援委員会の会計からその費用をすべて持たせました。その回数は、十数回にのぼります。鈴木議員主催の同様のパーティーは40回以上にのぼりますが、意外なことに鈴木議員は公金を一切使わず、自前でやっているのですから、捜査当局からすれば佐藤さんの『私物化』として受け取られても仕方なかったかもしれません」
その他の報道で、佐藤は無償で引受けている東大講師の授業の教え子たちと年に数回パーティーを開き、その費用は全て「自分持ち」にしているという。その際、「大丈夫、これは機密費から出てるんじゃないよ」と冗談めかして学生たちに語っている。
おそらく、東大学生たちとのパーティー費用も、佐藤にとっての「外交機密費」に等しいロシア支援事業予算からのものだったに違いない。報道をただひたすら追ってきた者には、「機密費でやりたい放題の腐敗官僚と同じ」と怒りを感じても当然かもしれない。しかし、佐藤は何のために「パーティー」を繰り返していたのか。
モスクワ時代の佐藤を知るジャーナリストは、「佐藤流」の人脈づくりについてこう語っている。「酒瓶を片手に、夜駆けをしてまわる。要人そのものには接近しがたいから、すでに引退して年金生活に入った元幹部を尋ねる。ロシアの格言に『一人の旧友は二人の新しい友人にまさる』というのがあるが、それを実地に行った訳だ。そして、旧ソ連内の保守派と改革派に様々なパイプをつくった。こうした地道な取組みで、西側世界の外交官としては最初に保守派クーデター(1991年)の際のゴルバチョフ大統領の幽閉先をスクープした」
佐藤にとって、「酒を飲む」「宴会をする」ということは、外交の生命というべき情報網としての人脈づくりの一環だったのである。日ロ青年交流事業で日本を訪問するロシア青年は、日本でいうところの「モラトリアム的」青年学生たちではない。高等教育機関の若手幹部、第一線の研究者などの選りすぐりのエリートたちである。また、驚くべきことに、佐藤のイニシアチブでロシア陸・海軍、防空軍、戦略ミサイル軍所属の青年将校数十名からなる親善訪問団を組織し、自衛隊学校や施設、艦船の見学や隊員たちとの交流まで実現しているのである。ロシアの政・軍・財の要職に将来就くであろう彼らとの人脈づくりを、佐藤とそのグループが系統的に行おうとしていたといえる。
佐藤が「私的」に行っていた東大学生との宴会についても、官僚になっていくだろう彼らとの将来の人脈づくりに他ならないのだ。
いささか強引な手段であるきらいがあり、とかく官僚特有の事無かれ主義に陥りがちな同僚たちの反発を受けることも不可避であったろうが、少なくとも佐藤が鈴木に「私淑」し、その威光を借りて私的蓄財に走るようなそぶりは各種の証言、報道、資料を検討するかぎり、みられない。
「佐藤君は、ああみえても誇り高い男でね。『どういうランクにあろうと、外交官は対外的に日本を代表するもので、相手側の信頼が第一。仕事を通じて私腹を肥やすようでは、身内はもちろん相手の信頼も得られるものではない。それが最低限のモラルだ』と言っている。そして、政治家である義理の伯父を信念ある人物として尊敬している」──佐藤の相談によくのっていた学者が述べる「義理の伯父」とは、現在、社民党の参議院議員をつとめる大田昌秀元沖縄県知事である。
平成7年の米海兵隊員による鬼畜のような沖縄少女暴行事件以降、米軍、米政府、日本政府を相手に県民利益を代表して獅子奮迅の如く活躍し、戦後の沖縄史に画期をつくった人物であることは、陣営の左右を問わず認められるところであろう。佐藤にとって、血こそつながらないものの、大田元知事のように自分が代表するところの国民/民衆の利益=国益のために邁進することが、自らの仕事の至高の目標であった。
「誇り高い男」である佐藤にとって、「背任」容疑で逮捕されたことは痛恨のきわみであると共に、自分を鈴木宗男もろとも「後ろから刺した」裏切り者たちを許すことができないであろう。そして、この裏切り者たちの背後には、佐藤のように自己の判断によって国益を守ろうとする日本外交官の存在を苦々しく考える勢力があることは、前述の2つの文書にみられる組織的工作の痕跡から伺うことができる。 佐藤は、フライデー誌のインタビューでこうも述べている。
「テーブルは1本足が最も強いんです。3本足や4本足だと、逆にガタガタする。私は、鈴木先生こそ、この1本足だと信じたからこそ、いろいろとやったんです。先生もよくやってくださいました。しかし今となっては、先生を引きずり込むべきではなかった。申し訳ないことをした。どうか、先生を守ってください」 鈴木の「1本足」は、利権追求型という自民党政治家の典型的弱点のため、いまや世論と司直の手でへし折られようとしている。鈴木を政治的パートナーに選択したことは、佐藤にとって今日の不幸を招く一因となったが、自らも追い込まれた状況下でのこの発言は、決して鈴木に「私淑」した者が吐ける文言ではない。
佐藤については、最近、「起訴事実を認めた」との報道があったが、「佐藤がやった支援委員会予算の付け替えくらいで『背任容疑』とされるなら、外務省の係長以上はみんな検挙されてしまう」と外務省周辺は当惑し、「検察の意図がわからない」ことを理由に佐藤を免職や停職ではなく、休職扱いにしている。
そして、実際の取り調べは難航し「自白」がとれる見通しを失うと共に、予想もしえなかった他の官僚たちの醜聞が飛び出しそうなことに当惑した捜査当局側は、「司法取引」に水を向ける路線へ転換したといわれる。
「二島先行返還論」のルーツ
「北方領土返還交渉は、今後、最低数年以上は動かない」「外務省内のロシア担当者を日米両国で共謀して、失脚させたのではないか」──ロシア大使館関係者は、「ムネオ疑惑」の余波で生じた事態をこう見ているという。実際、パノフ駐日大使も恒例の自らの写真展覧会の挨拶で、「こうして多数の写真を撮れたのも、私の仕事が多忙でなくなってしまったため」とこの間の一連の出来事に対する皮肉を込めてスピーチしている。
「鈴木議員は、東郷局長らと共に『日ソ共同宣言』の有効性を、イルクーツクで開かれる森喜朗首相(当時)とプーチン大統領の日ロ首脳会談での共同宣言に『明記』させるよう繰り返し要求した。そして、それは『日ソ共同宣言は基本的な法的文書』として『イルクーツク宣言』に盛り込まれた。これは、日本側にとっては歯舞、色丹の主権回復を無条件にはかる道を閉ざす意味を持つ。同時にロシア側には、この二島の返還を領土交渉の終着駅にしようとする思惑に有力な根拠を与えることになる。昼間は『四島一括返還』で交渉し、夜になると『二島返還』で密談する。こういう形の奇怪な二重外交で、日本外交が歪められ、国益が損なわれたことはきわめて重大だ」───「会談録」を発表した記者会見の席上で、共産党の志位委員長は口を極め声高に鈴木宗男議員、「共謀した」東郷元局長らを非難した。しかし、「真正」と見られる会談録の存在は、この志位の言質の真偽を大きく問うものであると言わざるを得ない。
週刊『サンデー毎日』6月9日号には、「鈴木宗男疑惑の核心 二島先行返還論は“国策”だった!?」と題する興味深い記事が掲載されている。この記事には、東郷元欧亜局長や佐藤元主任分析官のブレーンとして、ロシア外交についてアドバイスを行ってきた東大名誉教授の和田春樹氏が登場し、次のような証言をしている。
「日本側は(1998年4月の)橋本龍太郎首相(当時)とエリツィン大統領(同)による静岡県伊東市の川奈会談で、『四島の潜在主権が(日本に)あることが認められれば、当面はロシアによる管理を認める』と提案し、領土交渉史上、最もロシア側に譲歩した。四島一括を放棄したように受け取られかねないため、東郷氏は当時、『(提案は)命がけだ』と漏らしていた。ところが、この案はエリツィン氏や後任のプーチン大統領に拒否され、壁にぶつかった。そこで東郷氏らが考えたのが、『平和条約締結後に歯舞・色丹の二島を返還する』という『日ソ共同宣言』(56年宣言)を再確認し、実際の手法としては、歯舞・色丹二島の返還を確認した後、国後・択捉二島の返還について交渉し、ロシア側の了解を取ったうえで、最後に平和条約を結ぶという『段階論』(同時並行協議)だった」「だから、先行論は国策だった。それなのに、鈴木氏の疑惑が噴出すると、外務省は『鈴木氏や東郷氏らがしたことは全部悪い』と言い、鈴木氏一派をパージした。ロシア側からすれば、奇妙奇天烈なことだろう」
この証言に照らして、本紙入手の「真正」の会談録をもう一度お読みいただければ、東郷元局長は鈴木氏と共に、「国策」であった二島先行返還をめざして折衝していたと理解しても問題はないと考えることが可能だろう。志位委員長の言うところの「国益を損なう二重外交」との誹りは、当たらない。
しかし、事が複雑なのは、共産党をはじめとする野党、そしてマスコミが鈴木・東郷ラインによる「二重外交」批判を強めると、とたんに「二島先行返還論について提案したことは全くない」(川口順子外務大臣の3月12日記者会見)と政府は態度を変えてしまったことである。日本側から完全に、「壁にぶちあたった領土交渉」の状況に舞い戻ってしまったのである。
そして、本紙は外務省関係者から、次のような重大な証言を得、事実も自ら確認した。
──「壁にぶつかった領土交渉を打開するため、佐藤が着目したのは宮本顕治時代いらい日共がソ連共産党と執拗に繰り返してきた『領土論争』でした。1979年の日ソ両共産党の関係改善協議の際、宮本顕治委員長はソ連側に『歯舞・色丹二島は、本来、北海道の一部をソ連軍が一時的に戦時占領したまま、不当な占拠を続けてきた。56年宣言では、それを事実上認めているではないか。もし、ソ連の安全保障上の問題があるというなら、相互の不可侵、善隣のための中間的条約を締結すれば二島返還を拒む根拠はない』と迫り、ソ連共産党のブレジネフ書記長も何ら反論できなかった。そして、不破哲三時代になってからも『中間条約締結など、柔軟な姿勢で二島先行返還もあり得る』と日共は表明してきたが、この論理を佐藤が東郷のところに持ち込み、外務省内外で事態打開に有効な論立てだとの受け止めが広がった」
何のことはない、共産党委員長が非難している二島先行返還論の出所は、共産党の主張であったのだ。この主張について共産党が方針転換していないことは、現在でも市販されている平成10(1998)年発行の不破の著書『千島問題と平和条約』(新日本出版社)で確認できる。過去の論文で転換された主張や方針が書かれているものは、共産党では少なくとも数年以上は発行停止にし、しかるのちに「但し書(その当時は〜だった等の解説)」を付けて復刻することを常道にしているのであり、党員の学習文献として出されている同書は、現在も「党最高幹部の公式見解」と言ってよい。
同書には、「柔軟な思考」で領土問題打開を提言する不破氏の発言がそこここに記載されている。例えば、以下のようなものである。
「第一に、歯舞、色丹の問題です。…一九五六年の日ソ共同宣言で、ソ連側も、平和条約を結んだら歯舞、色丹を返すと認めたことは、これが北海道の一部であることを、ソ連側もある程度認めていたということです。
私たちはこういう性格の問題である以上、国民外交としては、日ソ平和条約の締結による両国間の国境画定を待つことなく、日本の主権として、歯舞、色丹の返還を要求すべきだと主張します。そのために、条約が必要ならば、それは、平和条約による領土画定以前の、友好関係の規定を主な内容とする中間的条約を結べばよいでしょう」(83ページ、傍線は本紙)
「…日本としては、歯舞・色丹はもともと北海道の一部だというこの問題を大いに主張しなければならないのですが、『四島一括』論にしばられて、歯舞・色丹も南千島(本紙注:国後、択捉の両島のこと)も同じものとして論じているために、かえって主張すべきことを主張できないでいる、これが、私たちが、政府の交渉ぶりを見ていて率直に感じる点の一つです。
私たちが七九年の会談で中間条約という問題を提起したのは、この点を打開するためでした。すなわち、歯舞、色丹の返還が領土問題の終着駅ではないことをソ連に認めさせ、歯舞、色丹が返還されたあとも領土交渉を続けることを明確にする、そのために、この二島の返還を中間条約と結びつける考えを打ち出したのです」(137ページ、同)
この不破共産党議長の発言に照らせば、本記事で示した「真正」の会談録にある鈴木発言は、まったく不破発言と同趣旨の前提に立つものであることが明らかだ。驚くべきことに、共産党が非難している「国益を損なう」二島先行返還論は、共産党の主張から佐藤元分析官が着目し、外務省、ひいては政府与党まで採用するところの領土交渉理論になっていたのである。
記者は、この記事をまとめる中で、日本共産党の旧ソ連との領土交渉が決して共産主義的小政党による「ゴマメの歯ぎしり」のようなものではなく、日本国民の利益をふまえて正当かつ柔軟にソ連・ロシア側に主張を知らしめたという歴史的意義すら感ずるものがあった。
それに引き換え、「内部文書」を掴んだ興奮からだろうか、志位委員長が記者会見で述べた「二島先行返還論批判」は、自ら天に向かって唾を吐く類のものであると共に、さまざまな問題を抱えつつも自主的で柔軟な日本外交を担おうとした部分のパージを狙う勢力になりかわって世論をミスリードする「共産主義の理論家」らしくない軽薄な言動に思える。これもまた、「ニュー共産党」の一面なのだろうか。
今回の記事では、本紙が独自に入手した情報、資料をふんだんに駆使して、「ムネオ疑惑」という看板の下で進む、外務省内部のパージ劇の一端を暴いてみた。本紙の別記事にある瀋陽市の日本領事館を舞台にした北朝鮮人亡命劇の背景といい、最近の外務省をめぐる一連の不祥事、混乱は日本外交の独自性を喪失させることに利益を見いだす勢力の暗躍と陰謀を深く感じずにはいられない。
日本がロシアに対してカードを握り、東アジア地域の安定化に独自のイニシアチブを発揮することに脅威を感ずる者──それは、半島の独裁者率いる封建国家ではなく、「世界の憲兵」を自認する「自由世界の盟主」アメリカであることは、論を待たないだろう。 アジアと日本のあるべき将来を考えるものは、このことを常に忘れてはならない。
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