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下克上時代到来か


朝日新聞の特報の謎

 3月10日夜の自民党五役との会談の結果、森喜朗首相はついに退陣することになった。表面 的には9月に予定されている自民党総裁選を前倒し、4月に実施。森はこの総裁選に出馬しないので事実上の退陣となる。もちろん首相周辺は内外情勢を考慮のうえ「辞意表明ではない」と強調しているが、事実上は間違いなく辞意表明である。

 小渕前首相の急死に際し、5人組による密室政治で首相に就任した森喜朗は、「教育勅語礼賛発言」「神の国発言」などで失言首相と揶揄され、景気浮上策にも失敗して内外の批判は最高潮に達していた。さらにKSD事件、外交機密費疑惑などが噴出し、今年1月31日から始まった第151通 常国会を乗り越えるのは至難の技との観測が早くから流されていた。

 そこに米原潜によるえひめ丸沈没事故が起こり、事故後にゴルフを続けていた森喜朗に対する非難はいよいよ厳しく、辞任は避けられない状況が作りだされた。それが決定的となったのは3月7日の朝日新聞朝刊の特報「森首相、辞意固める」だった。

 この日、森首相は不快感を露にし、記者団の質問を遮って「聞きたいことはわかっている。朝日新聞に聞きなさい」と発言。さらに福田官房長官も朝日新聞の記事を「世紀の大誤報」と否定した。

 結果的には朝日新聞の報道通りとなったわけだが、では朝日はただ予測だけで首相辞意を報道したのだろうか。それはあり得ない。

 朝日新聞の背後に野中広務が存在することは政界での常識。朝日が年に何回か同和を主題とした記事を書き、それが野中勢力の後押しとなっている一方、野中は朝日に対して情報を流しているのだ。当然今回の特報も野中サイドから流れたものに間違いない。森喜朗はそれを理解しているからこそ、自分が自民党主流派から完全にクビを切られたことを知ったわけだ。


ポスト森を巡る駆け引き

 森首相は今後、参院での予算審議、3月19日の日米首脳会談、25日の日露首脳会談といったスケジュールが目白押しのため、明確に辞意を表明することはできない。自民党としてもこの日程を消化するためには表だって次期総裁候補を絞ることもできない。だから新聞TV等にはなかなか情報が流れてこない。しかし当然のことだが、この暗闇のなかで活発な工作活動が展開されている。4月に行われる自民総裁選が「前倒し」なのか、それとも「臨時」なのかすら定かではない。最大派閥の橋本派からも「9月に再度改めて総裁選を行う」といった声が出ているが、これもポスト森を巡る駆け引きの一つだ。

 では、森喜朗の後に自民党総裁となるのは誰か。大衆に人気の田中真紀子は本人が言う通 り「永田町ではゴミ以下」。ポスト森候補No1だった加藤紘一は昨年自爆してしまい、河野は外交機密費問題を抱えてカヤの外。考えられるのは橋本龍太郎、小泉純一郎、野中広務、さらには古賀誠、亀井静香、堀内光雄、平沼赳夫、野田聖子などだ。

 今回の総裁選は、7月の参院選を考えてのもので、自民青年議員たちは大衆に人気がある人物の登用を切望している。そうなると小泉(森派)だが、独自の政策論を展開する小泉に対して主流派は警戒心を強めている。とくに野中は小泉総裁には否定的だ。また小泉自身、「次の次」を狙っており、今回は見送る公算が強い。ただし森喜朗を引っ込めた森派としては次期総裁、次期閣僚について強力な発言権を求めるのが当然で、橋本派の言いなりにはならないとする強い意思を見せている。

 橋本龍太郎は総裁に色気を見せているが、派内は統一されていない。こうしたなか、保守党の扇千景を初め亀井静香らからは野中広務待望論が急浮上。また米国サイドもワシントン・ポスト紙等が「森の後は野中」と決めつけている。

 では野中総裁で決定かというと、そうではない。同じ橋本派の青木幹雄は野中総裁に否定的だ。青木と野中はかつて、「竹下金脈」と呼ばれる中国・半島の利権を争った間で決して仲が良いわけではない。また野中総裁となれば、森派が反発することは間違いなく、党内に波乱が起こることは必定である。


戦国乱世

 野中はポスト森の条件として「世代交代」「公明・保守との連立堅持」を掲げているがこれも総裁選に向けての駆け引きの一つ。自民若手層からはさらに「参院選に有利な人物」「クリーンさ」といった注文が出ている。だが現実問題としてこれらをカバーし、なおかつ主流派が認める議員など一人も存在しない。

 森の実質的退陣、総裁選前倒しが明らかになった10日、亀井静香は「党内は応仁の乱を迎える」と発言したが、まさにその通 りだろう。じつは「応仁の乱」という言葉はすでに昨秋十一月に中曾根元首相が発言した言葉である。中曾根は加藤紘一が内閣不信任案に同調する可能性があることについて、その時、「政治的応仁の乱をつくることになる」とこれを非難したものだ。

 ちなみに応仁の乱とは、室町時代の応仁元年(1467年)から11年間に渡った内乱。足利将軍家の相続問題と、畠山・斯波2大管領家の家督相続争いを元として日本中が東西に分かれて戦ったものだ。この後日本は下克上、戦国時代を迎えている。

 ポスト森に挙党一致の総裁が選出されることは考えられない。実力者が出れば短期で頭を叩かれるだろうし、飾り者の頭でもすぐにすげ替えが行われる。自民党内部がまさに下克上の混乱に陥ることは明白である。しかも今回の総裁選は、これに勝ち上がったとしても即首相となるかどうかは不明確なのだ。かつて河野自民党総裁時代に、首相を社会党の村山富市が勤めたことがあるが、今度もまた連立を組む保守党等から首相が出される可能性もかなり高い。


永田町不信任

 森内閣の支持率が急落し、最終的には一部調査で10%をも切った。これは森喜朗個人の人気が凋落した理由が大ではあるが、同時に自民党そのもの、いや、公明・保守と連立を組む現与党そのものの支持率が凋落していると考えて良い。

 昭和30年(1955年)の保守合同からずっと続いてきたいわゆる「55年体制」は東西冷戦の終結を迎えたところで終わりを告げた。だがその後のわが国政界は不毛な野合を繰り返し続け、55年体制を維持しようとしている。

 この状況は下克上から戦国時代に向かった時代というより、尊皇、佐幕の混迷状態にあった幕末期と似ていると考えたほうが良いのかもしれない。

 当時、黒船来航を初めとする外圧から、わが国は混乱を極めていた。安政四年(1857年)に幕府は日米通 商条約を結び開国に応じる一方で、安政の大獄で反対勢力を徹底的に弾圧した。万延元年(1860年)には桜田門外の変が起き、翌年の文久元年(1861年)には和宮降嫁により公武合体が成立、これにより引き続き幕藩体制が国政を司る勢力となったかのように見えた。しかし現実には、その僅か7年後に明治維新が勃発している。

 ひたすら野合を繰り返す55年体制派とは、まさに公武合体を目論む幕藩体制のように見える。
 与党だけに限ったものではない。鳩山民主党などその内実は現与党以上の想像を絶する野合体である。左は親共産党議員から右は親自由党議員まで抱えた不可思議政党で、これが政権を担うことなどあり得ない体質となって存在している。

 たしかに森内閣の支持率は低いものだった。自民党あるいは与党全体に対する支持率も、恐らくは極度に低いものとなっているだろう。だが明らかなことは、国民大衆がわが国政界に対する支持率を下げていることである。もはや永田町そのものが国民の信に耐えることができなくなっているのだ。

 幕末に公武合体を成立させ、体制を維持させた幕府ではあったが、明日の日本を求める熱意に燃えた若者たちによって倒されてしまった。維新を夢見た若者たちの中枢は僅か百余名だったとされる。

 55年体制を引きずる永田町政府には、もはや未来はない。戦国下克上の時代を迎えた今、庶民大衆の力を引き出す革新的勢力が自ずと出現する機運が高まってきている。本紙も当然ながら、新たな維新の志士を求め、彼らを全面 支援する決意である。

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