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【読者投稿】
「日本経済への3つの懸念と処方箋」 / 文・佐藤鴻全氏
景気回復の兆し
景気回復の芽が出てきたと囁かれるようになった。内閣府統計の3月発表の2次速報によると昨年10−12月のGDPが実質で1.6%(名目で0.4%)成長し、これを年率で換算すると約6.4%成長になる。
また、同じく内閣府が4月28日発表した「企業行動に関するアンケート調査」によると企業が予想する2004年度の実質GDPが全産業平均で1.4%増(上場企業2473社を対象に実施。回答率50.3%)となり、1997年度調査(1.5%増)以来の高い伸びとなった。名目GDPの方は相変らず弱い。加えてGDP統計方法変更の技術的問題点もあるが、そのアヤを考慮しても少なくとも大企業においては景気回復の芽は実感されて来た模様だ。
また、日経平均株価も4月末時点で、1万2千円弱となり一時の7千円台からは大きく回復し、小泉内閣発足当時の1万3千円台を窺がう風情である。
この景気回復の芽については、民間エコノミストの中にも楽観論と慎重論がある。市井に暮らす筆者も景気回復を切望する者であるが、少なからぬ懸念がある。そこで筆者は、先ずその懸念を、(1)巨額の為替介入(2)「民営化出来るものは全て民営化」に潜む陥穽(3)フリーターの増加の3点として以下に纏め、次にその処方箋として拙案を示した。
(1)巨額の為替介入
最近こそ小休止しているが、この1年間の政府・日銀の円売りドル買いはグリーンスパンの苦情を待つまでもなく、膨大なものとなった。昨年1月来の介入総額は実に約35兆円。昨年度の一般会計での国債発行額にほぼ匹敵する。これにより日本の外貨準備高は約90兆円(8265億ドル)となった。
現在の「景気回復の芽」はアメリカと中国の好況とそのための設備投資による外需依存型であり、この巨額介入は膨大な貿易黒字により必然的に引き起こされる円高圧力を防ぐためのものだ。
今後も膨大な貿易黒字に頼る経済運営が続けば、円高圧力は再燃し巨額介入が再開される事は想像に難くない。
この巨額介入は、次の点で問題である。
国内金利を押し上げ、内需を抑制し兼ねない事。
更なる円高が続く場合、実質的に膨大な評価損が発生する事。
アメリカが米国債のデフォルト(債務の不履行)を宣言した瞬間に、外貨準備により保有する米国債が紙切れになる事。
最後の件は現状では想像し難いが、もしアメリカの財政・貿易の双子の赤字が今後も好転せず日本が米国債を買い続ける場合、理論的には最終的な返済はアメリカの国土(ランド)等で支払ってもらうしか無くなる。しかし、そんな事をアメリカ国民が許すはずも無く、つまりはデフォルトとは言わずとも債務額の切り捨てを宣言するか、逆に日本から金を吸い取る様々な要求を突き付けて来ると言う事になる。
また、アメリカや中国の好景気自体が、イラク戦争の泥沼化による原油価格高騰や中国のバブル崩壊等の不安材料を抱えている。このように外需依存は実にリスキーな経済構造であり、「相互主義」による各国間収支のバランスこそがリスク分散の面で健全な姿ではある。
(2)「民営化出来るものは全て民営化」に潜む陥穽
次に懸念されるのは、小泉内閣による構造改革についてである。小泉改革の「民営化出来るものは全て民営化する」は、剣客が藁束を2つに斬り捨てるような歯切れ良さがあり、優れたスローガンである。
しかし、「民営化出来る」とは具体的にどういう要件を指すのかが述べられておらず、道路公団や郵政公社は民営化を図る一方、財務省管轄を含むその他の特殊法人は「独立行政法人」と看板を変え、分割され却って天下りポストの数が増えるという笑えないジョークのような状況になっている。
なお、大立ち回りの末に出来上がった政府の道路公団民営化案は、金利上昇可能性が考慮されておらず現実性に欠ける上に、約6兆円に上る膨大な道路特定財源に手を着けず、有料制維持の上に「直轄方式」により採算に合わないものだけが無料化道路として建設されるという倒錯した木に竹を継いだ珍妙なものに仕上がった。
また、郵政改革として、郵便事業に民間の参入を図ったが、郵政公社と同様のユニバーサルサービスを課した為に参入予定企業ゼロとなっている。一定重量以上の郵便事業にのみ民間参入を許す等、民間のいい所取りによる全国郵便網の破壊を防ぎ、かつ民間参入による競争原理を働かせるような工夫はいくらでも出来たはずである。郵政公社民営化も基本的な方向性が全く定まっていない。
これらは、結局は民営化という組織論から入り辻褄合わせをしている所から生じている歪みである。
本来は、スローガンとしての切れは弱いが「民営化出来るもの」ではなく、「民営化すべきものを全て民営化する」が正しいのである。そして、逆に「民営化すべきでないもの」、公的セクターに任せるものの条件を具体的に提示する必要があるのだ。
筆者は下記の3原則により公的セクターが担う分野を定め、それ以外は全て民営化もしくは廃止すべしと考える。
採算ベースに乗らないながら、ナショナル・ミニマムとして全ての国民が一定レベル享受すべきサービスの分野
事業規模、採算ベースの面で、民間セクターが手を出せない高度に先端的な研究開発、インフラ整備の分野
行政事務のうち、高度の機密性、統一性、強制力の要求されるもの
意味の無い改革と改革論議により無駄な時間とエネルギーが使われ、必要な改革が為されない事は即ち政治の死を意味する。
(3)フリーターの増加
また、所謂フリーターの増加も懸念される。政府の調査では、15〜34歳のフリーターは約417万人に上り、増加傾向にある。
一般にフリーターの仕事は、精々数ヶ月もあれば憶えられるものが多く何時でも代替可能なものである上、ノウハウの蓄積がそこで止まってしまい応用が効かず一旦なってしまうとフリーターから抜け出すのが難しい。ファーストフードのアルバイトから社長にまで登り詰める等のサクセスストーリーが無いではないが、こうした未熟練労働者割合の増加は、長期的に日本経済にボディーブローのように確実にダメージを与えて行くだろう。
UFJ総合研究所の調査によれば、2010年に定職を持たないフリーター人口が476万人と、01年より59万人増えると試算されている。また、一般的に自由になる所得が少ないフリーターは、正社員より個人消費への寄与度が小さいため、01年時点で名目国内総生産(GDP)を潜在的に約1.7ポイント押し下げ、10年に押し下げ幅が約1.9ポイントに拡大する、と予測している。
好きでフリーターになる者には職業選択の自由がある以上どうこう出来ないが、新規学卒者の就職率の低迷に表れるように、就職したくても出来ない者がマスとして増えている事は政治が出動して対処すべき問題である。
処方箋
これらの懸念を纏めると、詰まる所日本経済が外需依存型になっている事が問題となる。もちろん、外需により日本が潤う事自体は良い事だが、それにバランスして内需が伸びる必要がある。この解決が無い限り、理詰めでい行けば日本経済はやがては破綻する。
政府もこの是正を考え、内需転換の必要性が竹中経済財政・金融担当相等から機会ある毎に語られているが、民間の努力の必要性が繰り返されるのみである。結局は民間が経済の主体であるから、民間の努力を促す事は正しいのだが、禅に言う「そっ啄同時」のように行政は適宜それを導き引き出す施策を打つ必要がある。しかし、少なくとも具体的な力強い施策は打ち出されておらず、これで内需に火が着くなら僥倖と言わざるを得ない。
先ず、日本経済への処方箋として為されるべきは、向かうべき「国のかたち」を示す事である。小泉改革の示す国のかたちは、アメリカ型弱肉強食型社会と抵抗勢力・官僚による補助金行政を足して2で割った妥協の産物となっている。即ち、背骨の無い軟体動物のような捉え所が無いものになっており、識者やマスコミを含む国民の頭を混乱させるのに大いに貢献している。
筆者はこれを整理し構造化して、「ナショナル・ミニマムを伴う自立社会」を国のかたちとすべきと考える。国民生活全体について、ナショナル・ミニマムとして必ず保障される範囲と、市場経済の原則に従うべき範囲に分け、その基準を明確化すべきである。
これを背骨として年金・介護・医療の社会保障全般、高速道路、郵政、規制緩和、地方分権等を含む内政の諸課題を大胆に切り分け、国のかたちを変える文字通りの構造改革を行う事が必要である。例を挙げれば、多少メリハリを効かせ過ぎた感もあるが次のようになる。
年金については、先ず生活保護との関係を整理した上で、国民の生命安全を守る最低限の保障と、ある程度の豊かな老後の保障の2つの機能に分け、前者は一定年齢になれば国民等しく受給できる基礎年金として、介護・高齢者医療を含め消費税等を財源に全額税方式にし、その給付レベル等は消費税率等とセットで国民投票を導入して決定する。
一方、後者は自助努力の領域に属するものとして、任意加入化も視野に入れ、支払った保険料に応じて受給が決まる積み立て方式もしくは民営に移行させる。
また、地方分権については、道州制にして防衛、社会保障等を除き国から大きく権限移譲と税源移譲をし、それで行政費用を賄えない同州については、ナショナル・ミニマムを支える費用を別途人頭割り等で国庫から支出し下駄を履かせる。
なお、その下駄は15年間前後を期限として段階的に引き抜いて行く。
それまでに残念ながら経済的に自立出来なかった道州については、権限の一部を国へ返上してもらう。
なお、構造改革は外科手術であり、規制緩和等では当初において景気を押し下げる効果が生じる。公共事業は、抵抗勢力のトレードマークになった感があるが、彼等の間違いは公共事業を自己目的化や利権化してしまった点にある。公共事業は目的ではなく、必要なインフラ整備と一時的な景気刺激のための手段、方便であると位置付けるべきである。その上でなら、道州制導入時に各道州の判断で行なわれるインフラ整備、規制緩和時のデフレ圧力緩和剤等として方策の一つに成り得る。
国民生活全体のナショナル・ミニマム領域と自己責任領域の切り分けを図る事により、国民は一定レベルの安心を得ると同時に自己責任によるある種の覚悟を持つ事になるだろう。筆者は、内政面ではこのようなコンセプトが社会の発展と調和を同時に実現させ、我が国の今後の繁栄の土台となると考える。
今、必要なのは、諸改革を貫く向かうべき国のかたちをシンプルかつ明確に示しブレずに実行する事、敢えて言えば日本改造を図る事である。それなくば、この国に明日はないだろう。
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