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11月22日、シベリア抑留帰還者が国会前で座り込みを敢行
政府はロシア発行の「労働証明書」を認め、賃金を払え!

 来る11月22日の午前11時から午後2時まで、国会議員会館前で老兵士たちが座り込みを行う。平均年齢が80歳を越えた旧ソ連抑留捕虜の面々である。

 彼らは、昭和20年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告し中国東北地区や朝鮮北部、樺太、千島列島に侵攻したソ連軍に対して果敢に戦い、あるいは上級からの指令により整然と武装解除に応じて軍人としての責務を応分に果たした。しかしながら、他の戦線で連合国軍に降伏した我が軍将兵とは異なり、「休戦後、可及的すみやかに軍事捕虜を帰国させる」との国際法上の常識を踏みにじったスターリン共産主義政府による旧ソ連領土への連行と長期抑留、乏しい食料と悪天候等の条件下での酷使という苦難を負わされる運命を甘受しなければならなかったのである。その結果、多数の同胞が異国の地に果て、家族との再会を果たせなかった。

 帰国後は、我が国政府からも「共産主義国家からの帰還者」として差別扱いを受けた元捕虜の人々は、半世紀にわたる粘り強い運動の中でロシア政府に非道を謝罪させ、その証として「労働証明書」(抑留期間の労働を証明する)を発行させすらした。そして、せめてこの証明書に基づく賃金支払いを政府に要求しているが、我が国の外務省、そして厚生労働省は国際的な責務(その理由は後述)である賃金支払いを拒否しつづけている。

 抑留帰還者の補償を要求する運動のリーダー、斉藤六郎氏が亡くなって以降、仲間が次々に物故する中で、「我々に残された時間は少ない。このままでは、異国の土になった戦友も浮かばれない」と、寒空での国会前座り込みに多数の抑留帰還者が挑むことになったのである。本紙は、こうした人々にこそ、我が国政府は労いと補償の実を与える義務を果たすべきと考え、この気高きたたかいに全面的な賛意を表明する。

 日本と日本人、その歴史を愛し擁護する者はその思想信条を問わず、こぞって支援の手を差し伸べ、共にたたかうべきではないのか。この記事は、異国の地で理不尽に果てた軍人、軍属の霊と日本人の誇りの回復をもかけて戦いに起った老兵士たちに捧げる。


戦後はじめて日本人がかちとったロシア政府の公式謝罪

 「わが国が長い間、人道主義の原則をなおざりにしてきたことを謝罪します。今回の措置がロシア、日本両国民の間の友好関係の発展に寄与することを心から願います」

 相次ぐクーデターとソ連邦崩壊という事態をへて混乱のさなかにあったモスクワ市のロシア政府中央公文書館のホールでは、上述の言葉と共にロシア政府が発行した元日本人捕虜百名分の「労働証明書」がシベリア抑留捕虜代表(故・斉藤六郎氏)に手渡された。

 時は平成4年1月17日。十年前の冬の最中、折からの財政難からスチーム暖房も十分でないホールで、授与式に参列したロシア国家保安委員会(KGB)やロシア軍検察庁、最高幹部会(国会)等の代表幹部、それに元日本人捕虜の処遇の是正を求めて支援してきたロシア人関係者たちは足を落ちつかせていられない寒さにこらえていたが、ロシア中央公文書委員会議長ルドリフ・ゲルマーノビッチ・ピホーヤ氏(歴史学博士)が述べたシベリア抑留日本人捕虜に対する政府を代表しての謝罪の言葉に胸を熱くしていた。

 参列していたのは、数年にわたる全国抑留者補償協議会の斉藤会長による熱心な活動に共感し、奔走したロシア軍人や議会、政府関係者、それに歴史研究者や学生グループである。80年近く続いた全体主義的・共産主義体制の結末により未曾有の国難を抱えるもとでも、過去の政府の誤りを訂正して国の正義を復活させることに自らの希望をつなぐようになった人々だ。後に、ロシア側で「労働証明書」発行の実現のために尽力した人物のうちの一人は、この日を思い起こして次のように述べている。

 「私が元日本人捕虜の問題に出会って、すぐにとりつかれた思いは、『これらの人々に関わる歴史的公正さを何としても回復すべきだ。それこそ、スターリン体制によって行われた人権侵害を否定し、日本人に対する国際的責務を果たすことで我が国の権威を高めることになる』ということでした。スターリン時代からつらなるソ連邦の歴史は、残念ながら内外の人々の間に大きな脅威と不安、そして憎悪を蓄積する過程だったといわざるを得ません。だから、私の人生において、政府代表が斉藤氏に最初の百名分の『労働証明書』を手渡した日ほど晴れやかで誇らしい日はありませんでした。ロシア国民の一人として、自分の国に大きな誇りを持つことができたと同時に、労働証明書を手にした日本の友人たちと大きな喜びを共有できたことは本当に嬉しい出来事だったのです」

 太平洋戦争終結前後の混乱期、ソ連軍による満州、南樺太、千島列島への侵攻作戦により「軍事捕虜」になった日本軍人・軍属は、ソ連政府発表によれば約65万人にのぼる。彼らは、ドイツ及びそのヨーロッパにおける同盟国軍との戦いで大きく傷つけられ、失われたソ連の労働力を補填して「第二シベリア鉄道」や道路、大規模建物の建設工事に酷使された日本人捕虜は、最低約7万人が異国の地で死亡することとなった。

 帰国した抑留者にとって、ソ連に対する補償請求を放棄した日本政府がこうした被害の手当てを行い、同時に旧ソ連政府も含めて元捕虜に名誉ある取扱を行うよう要求することは、望郷の念を抱きながら異国の土になった戦友たちの無念をはらすための執念のたたかいであった。そして、このたたかいは「加害者」たるロシアでも共感する人々の輪を広げ、ソ連崩壊直後の混乱期に「戦勝国」が初めて日本人に謝罪し、「現状回復措置」として「労働証明書」を発行するに至ったのである。実にスターリン・ソ連政府の不法な連行、抑留いらい半世紀を経ての勝利であった。

 シベリアに抑留された日本人元捕虜たちの要求に、最も早くから共感してロシア政府との橋渡し役をつとめたのは、親日家のロシア外交官で現駐日大使アレクサンドル・パノフ氏である。そして、自らこの問題を精査し、故・斉藤氏に直接面会して政府を動かす決意をしたのは、当時エリツィン大統領の片腕だったルツコイ副大統領である。アフガニスタン戦線で搭乗していたヘリコプターをイスラム・ゲリラに撃墜され、二度にわたり捕虜の身になった元ソ連軍中佐のルツコイ氏は、自らの体験から日本人元捕虜の問題を身近にうけとめ「労働証明書」発行の政府決定を出させるため、奔走したのである。他にも、大勢のロシア政府・軍当局者たちが、斉藤氏と彼を支援するロシア人たちの訴えに動かされて、ロシア民族の矜持として伝統的に保持されてきた「内なる良心の命令」に従って行動し、なかには政府の職を降格されたり免職される者すら出ていた。

 もちろん、斉藤氏をロシアに何度も送りだす上で、日本国内で多数の元捕虜を含めた人々が支援していたことは言うまでもない。とかく日本の「謝罪外交」が国民の意気を消沈させる中、毅然とたたかいを継続した老軍人がかちとった「戦勝国」の謝罪に至るエピソードは、記者を感動させるものであった。そして、その心情に共感し自らの国の痛みでありながらも、「日本人に対する国際的責務を果たすことが我が国の権威を高める」との信念をもって行動した多くのロシア人たちの矜持にも、深い尊敬の念を持たざるを得なかった。これは日露戦争以来、二十世紀を通じて敵対と紛争の歴史を刻んだ日ロ両国民が、真の和解と共存の道を手さぐりする共通の基盤に立ちえたことをも意味するものともいえる。

 こうした経過とうらはらに、誠に遺憾だったのは、モスクワでの「労働証明書」授与式に日本政府代表は誰一人として参加していなかったことである。この問題の解決には、ただ一人の外交官を除いて日本外務省、政府は協力してこなかった。そのたった一人の外交官は、現在拘留中の佐藤優元分析官である。彼は当時、在モスクワ大使館員として要人工作を取り仕切っていた。「シベリア問題」は当然、彼の着目することとなり後の日ロ会談に先立ってのエリツィン大統領の「公式謝罪」につながったのである。

 斉藤六郎氏は、高齢にもかかわらずその後もロシアと日本の間を頻繁に往来し、次々に名乗りをあげる希望者への「労働証明書」発行を実現するために奔走した。しかし、当然その活動は心身に多大な負担をかけることとなり、平成7年12月27日、モスクワから帰国直後に脳溢血で亡くなったのである。この斉藤氏の余生をかけた奮闘で、今日までにロシア政府から「労働証明書」の発行を受けた元捕虜は、約4万人にのぼっている。

 ルツコイ副大統領は、措置が開始された翌年四月に「日本政府は、我が国が発行した労働証明書の法的地位を認めてほしい」と表明し、ロシア外務省が在モスクワ日本大使館を通じてシベリア抑留者に対する「労働証明書」発行の覚書を正式に伝達した。にもかかわらず、日本政府は「これは正式の外交文書ではない。労働証明書にもとづく賃金支払いは問題にならない」と門前払いの態度を今日まで続けている。


シベリア抑留者に発行された「労働証明書」とは何か

 「労働証明書」とは、捕虜になった軍人が抑留中に使役された後に帰国する際、抑留国から賃金支払いの代わりに発行される「支払い証書」のようなもので、これを捕虜が所持して帰国した際にはその捕虜の所属国政府が該当分の賃金相当額を肩代わり支払いする国際慣例(昭和24年以降は、ジュネーブ条約に明記され国際法化)にともなうものだ。これは第一次世界大戦後、国によっては通貨持ち出しが禁止されていることに鑑み(終戦時のソ連は、正にこれに該当する)、諸国間で行われるようになった措置で、最終的な支払い決裁は国家間の貿易取引において清算されることになっている。

 実際に、先の太平洋戦争においてマレイシアやインドネシアで英連邦軍の捕虜になったり、アメリカ軍の捕虜として抑留された我が国将兵は帰国に際して「労働証明書」の発行を受けており、これに基づいて日本政府より支払われた賃金相当分の金員は、これら元捕虜将兵が戦後の混乱期に生活を建て直すための貴重な糧になった。しかし、昭和20年夏〜秋にかけてソ連軍の捕虜となり、シベリア等、ソ連各地に長期にわたって引き回され使役された日本将兵や軍属は、他の連合国軍によって抑留された者に比べて、二重三重の苦難を半世紀以上にわたり強いられることとなった。

 苦難の根源の第一は、スターリン共産主義政府が「我が国は『労働証明書』の発行など、一切行わない。戦争犯罪者に応分の償いをさせただけだ」と称して、国際慣例法上の義務の履行に背を向けたことである。スターリンが対日参戦を決定した動機の一つに、戦後の対米戦略のための行動領域拡大への志向と共に「日露戦争敗戦の報復を果たす」という意図があったことは、その公的発言からも明らかになっている。そして、既にポツダム宣言を受諾して平和裏に休戦に応ずる準備を我が軍が表明した8月14日以降もソ連軍は攻撃の手を緩めず、ソ連軍と我が軍との戦闘は各地で断続的に昭和20年9月半ばまで続いたのである。その間、北海道の間近までソ連側が軍事占領し、今日まで不法占拠を継続していることは、周知の事実だ。

 もう一つの苦難の根源は、ソ連に抑留された捕虜に対する我が国政府、国民からの偏見と差別的取扱であった。「ソ連に抑留された間、『赤化教育』がされたに違いない」「在満・在朝鮮邦人を守るべき帝国軍人が、オメオメ暴虐の限りをつくしたロシア兵の軍門に下るとは情けない」等、帰国後の元捕虜は待ちかねた家族や郷里の友人たちに温かい出迎えを受けながらも、いわれなき偏見や誹謗に晒された。丁度、ソ連から元捕虜が帰国した時期は、朝鮮戦争勃発前後にあたりアメリカ占領軍当局による反共政策への転換や「レッドパージ」等が展開されたこともあって、冷戦の本格的開始でソ連側とも没交渉になった事情も加わり数々の偏見を助長することにつながった。

 たしかに、ソ連からの帰還捕虜の中には、熱烈な共産党支持者や党員となって活動した者も多数あった。反面、苛烈な抑留体験をバネにして、我が国の資本主義経済発展の加速化に尽くす人士や保守的運動のリーダーも多数輩出していたのも事実である。財界の瀬島龍三氏(元・関東軍作戦主任参謀中佐)に関しては、率先して将兵を労働者としてソ連軍に提供したのではないかという強い疑惑がささやかれてもいる。いわゆる「日ソ秘密協定説」であるが、戦後は政財界に多大な影響力を持つに至った。

 そして時にこれが、抑留者の補償を求める運動の中に対立や組織的分裂を生み出すこともあった。しかし、概して政府がいまだに抑留者の声に背を向ける背景となると同時に、国民の中に根づいた偏見には根拠がないものと言わなくてはなるまい。まして、「オメオメ軍門に…」との誹謗は、ポツダム宣言受諾後にもかかわらず、我が国の主権を守るために身命を賭して果敢な戦いを繰り広げた将兵が抑留者に多く含まれたことや、不幸にもたまたま訓練や転地療養のためにソ連軍占領地区に所在したため、そのまま抑留されたケースが多かったことから当たらないものである。また、休戦後に整然と武装解除に応ずることは本国からの指令と軍上級機関の決定に基づいて行われたものであり、この行動が「オメオメ軍門に下って」という事実にはならないことは、軍事的常識である。

 「5075ルーブリ」−これが約4年間にわたったシベリア抑留期間について、ロシア政府が使役に対して支払いに相当すると斉藤六郎氏の「労働証明書」に記載した賃金額である。旧ソ連時代であれば、これは対外レートで35万円に相当する額であった。しかし、未曾有の経済混乱によりロシア通貨レートが暴落し、現行の旅行者レートに換算するなら5千円程度の額面にしかならない。そして、一部から次のような言葉も聞こえてくる。

 「シベリア抑留者に対しては、与党政治家の尽力で平和祈念事業基金より希望者に10万円の慰労金と銀杯が贈呈されている。これ以上、何を望むというのか」

 斉藤氏はこの問題について、次のような言葉を残している。

 「証明書記載の額面がいくらか、という問題ではない。証明書は、正式な手続き論としてシベリア抑留に対する国家補償を妨げてきた『差別の壁』を崩壊させるものだ。半世紀にわたる我々の主張の実現の一歩となるべきもので、ロシア政府の態度転換を受けとめ日本政府は抑留者の長年の辛酸に値する補償額を当然、我々や亡き戦友たちの遺族に支給すべきだ」



日本政府の「解決済み」論をつき崩す外交文書の存在が発覚!

 しかし、ことしになって、長年にわたって進展のない我が国の抑留者問題への対応に大きな影響を与える文書が、公然と姿を現した。三月二十日の衆議院厚生労働委員会で、かねてから「存在する」と言われながら政府が公式に発表してこなかった外交文書を共産党議員(九州・沖縄比例ブロック選出の小沢和秋代議士)が暴露したのである。小沢代議士は、この政府文書に沿ってロシア政府発行の「労働証明書」に基づく賃金の支払いを政府につよく要求した。

 既にこの外交文書の内容は一部の研究者には周知のものであったが、原文書が英文で正式の和文書類が存在しなかったため、公式文書としてのどこに所在するか不明のままだったのだ(『外務省記録「連合軍司令部往信綴」GHQへの日本政府対応文書』第9巻に英文のものは所収)。以下に掲載するのは、原文書を和訳したものである。

宛/連合軍最高司令官総司令部
発/東京中央連絡局(引用者注・日本政府占領軍連絡窓口)
件名/ソ連領土乃至ソ連管理地区における戦時日本人捕虜の所得及び個人的金銭

 C.L.O No.1857              1947年3月18日

1、ソ連領土乃至ソ連の管理地区から最近帰還した引揚者、旧日本軍人及び軍属の報告によれば、戦時捕虜として抑留されている間に、これら日本人の貯めた金銭(引用者注・労賃)あるいは私物がソ連当局により没収された事例が多いという。

2、日本政府は、連合軍最高司令官総司令部に対して、ソ連当局が次の措置をとるようご尽力をお願いする。

a、旧日本軍人及び軍属が戦時捕虜として抑留の間貯めた金銭並びに私物は没収されてはならない。

b、これら日本人の引揚時に金銭が取り上げられた場合にあっては、個々に正式の受領証(引用者注・「労働証明書」のこと)を発行すべきである。

3、日本政府は、更に本件に関して下記提案を総司令部のご尽力を介してソ連政府に送付しその承認を取り付けるようお願いする。

a、日本人引揚者が前記2(b)項に述べた如きソ連当局発行の受領証を持ちかえっている場合にあっては、日本政府はソ連政府に代わって受領証に対して支払う。

b、引揚者に対し支払われた金額に関する報告は、連合軍最高司令官総司令部を介してソ連政府に毎月送付する。

c、上記支払額は、ソ連領土乃至ソ連管理地区からの物品の将来の輸入及びその他の目的のため引き当てる。

4、本件に関する大蔵省の書簡を同封して供覧に付する。

                   局長代理 中央連絡局総務部長(朝海)」

  
 この文書の内容は、ソ連から抑留者が帰国し始めた頃、日本政府が「労働証明書」を持ちかえった場合にソ連政府になり代わって賃金相当額を抑留帰還者に支払う意思を持ち、それを諸外国にも表明していたことを証すものである。これが国会の論壇に登場したことは、政府及び与党議員の間に大きな衝撃を走らせた。「シベリア抑留問題を含め、戦後補償問題はすべて解決済み」としてきた政府の公式見解を、この文書の存在は大きく揺るがすものだからだ。

 小沢代議士は、去る11月1日にも同様の趣旨で質疑を行い、公明党から入閣している坂口力厚生労働大臣は「外務省の担当者なり、大臣なりと直接話をさせていただく」と具体的に踏み込んだ答弁を行った。坂口大臣にも、親族にシベリア抑留から帰還した者が存在するという。外務省や厚生労働省の官僚サイドでは、「ここで賃金支払いに応ずることにすれば、従来の『戦後補償問題は解決済み』論は完全に崩れる。他の海外からの補償要求に対しても、抵抗する術を失いかねない」との意見が大勢を占めているといわれる。しかし、坂口大臣の答弁は与野党の政治家の中に生じつつある変化を、明確に反映したものといえる。これは、かつてなかった大きな変化である。

 国会やこの間の日ロ両国での動きを見て、旧軍時代からの将校で戦後は自衛隊の要職を勤めてきた人物は、記者に次のように語った。

 「いま有事法制をめぐる論議や北東アジアの安全保障について、『日本にもしかるべき体制の整備を図るべきだ』との声が政府部内にも国民の中にも広がりつつある。これは、一面で戦後の我が国における政策的空白を埋める動きとして、歓迎すべきことである。しかし、その陰でかつて国家の要請に応え、さまざまな条件下で苦闘を余儀なくされた元軍人、軍属に対して行われた不公平な措置が訂正されないなら、今後、国家危急存亡の事態があった際、誰が身を投げ出してたたかうものか。いま生きて帰ってきた者に対して、誠実をつらぬけぬ為政者が、靖国神社に参拝して何に対して礼拝するというのか。どんなに時間を経た問題といえども、シベリア抑留者に対する不当な取り扱いは、公式に是正されるべきだ」

 高齢の抑留帰還者たちの決起に、いま各界で支援の動きが広がりつつある。立場の左右を問わず、「何とかせねば」と考え始めた政治家が生まれはじめている。この時を逃しては、シベリア抑留者の願う公式の是正措置は実現しないと思われる。本紙は、重ねて有志によびかけたい。11月22日の老軍人のたたかいに、支援の手を差し伸べよう。現地に赴ける方は、ぜひ老軍人たちの姿を瞼にとどめ、可能なら静かに激励の声をかけていただきたい。

 

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