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日本再浮上の日

■文/(社友)大和 干城

消えて行く日本

 ネオンが灯る頃になるとますます人混みが激しくなる東京新宿の繁華街・歌舞伎町。雑踏のなか、若い男女はみな、誰も同じように携帯電話を手に大声をあげている。道路端に立ち並ぶ屋台からは湯気と一緒に肉や香草を煮込んだ、食欲をそそる独特の香りが漂ってくる。

 目隠しをしてここに連れてこられたら、ソウルの南大門か台北、あるいは香港かと錯覚するだろう。なにしろこの街からは、日本語はほとんど聞こえてこない。しかも街に漂う香りは、アジア独特のナムプラーや干し魚に近い匂いだ。

 ここは日本ではない。

 日本でないのだから、日本の常識も日本の道徳も存在しない。

 古くからこの町で料理店をやっている台湾系中国人が、こんな話をする。

 「中国人も多いが、いちばん多いのは韓国人だよ。フィリピンも多い。最近ではベトナムやらイランやら、いろんなところから外人がやってくる。香港より人種が多いよ。

 ここ数年、日本に来る外人は怖い。日本人からカネを取るのは当然のことだと思ってるよ。騙してカネを取るなんて当たり前のことだ。暴力で奪ったって問題ないよ。殺したって良いと思ってる。最近の外人は日本人が嫌いなんだよ。日本人なんてどうなっても構わないんだよ」

 いったいなぜ歌舞伎町はこれほどまでに無法地帯になってしまったのだろうか。いろいろ理由はあるだろうが、最大の理由は「暴対法」でヤクザが締め付けられたことだろう。

 ヤクザが不良外国人に対して何もできなくなってしまった。

 警察はヤクザだけを取り締まり、不法な外国人を取り締まることをしなくなった。外国人の犯罪を取り締まるより、簡単で、しかも自分たちにとって邪魔者であるヤクザを取り締まったほうが得策なのだ。

 この状況は新宿に限ったものではない。渋谷や池袋を初めとして、日本中の都市や町が、多かれ少なかれ、徐々に歌舞伎町化している。まるで中国の清王朝時代の末期のように、日本各地に租界――治外法権の地域が作られているようにも感じる。

 だがそうしたなか、一部の盛り場は外国人の侵出を許していない。名古屋などその代表例だろう。東京では銀座や浅草などといった町がそうだ。

 これはもちろん、こうした町々は警察がしっかりしているという見方もできるが、やはり何といっても地元ヤクザの力に負うところが大だ。

 ところが最近、銀座の様子がおかしくなってきた。

 銀座には大きなヤクザ組織がいくつかある。そのなかでも住吉会と国粋会の二つが有名だが、この二つに最近異変が起きている。

 まず今年五月中旬に住吉会の福田晴瞭会長が強制執行妨害などの容疑で逮捕された。容疑そのものは産業廃棄物処理会社の不動産に虚偽の登記をしたというものだが、全国的に勢力を誇示してきた三大暴力団のトップが逮捕されたのはじつに三六年ぶりだという。

 住吉の福田会長とお話などしたことはないが、行きつけの飲み屋などで何度か姿を目にしている。泰然自若とした温厚そうな紳士であり、小さなことに気をつかうタイプではない。周辺の人に聞いたところ、一億や二億のことでいちいち自ら指図するような人物ではないという。その程度のカネなら、報告を受け了解するだけらしい。このため、福田会長の逮捕については別 の大きな事件に絡んでのものではないかとの憶測が飛んでいるが、そんな大きな事件とは何なのか、いまだわかっていない。

 福田会長の拠点、銀座六丁目の福田総業の通りをちょっと歩くと国粋会の事務所がある。昔から銀座を仕切ってきたヤクザだ。そして今、この国粋会が揉めに揉めている。

 揉め事の発端は、今年三月に国粋会内部の有力組長を絶縁したことらしい。国粋会は緩やかな連合体ヤクザとして知られているが、ここにきて工藤和義会長が組織の一本化を図ろうとした結果 、これに同調しない生井一家(柴崎雄二朗総長)など有力三組長が「絶縁」され、これがもとで発砲事件が頻発するようになった。現実には、銀座を掌中にしようと画策する稲川会と住吉会が国粋会に力を及ぼし、その二派が争っているらしい。この間、巨大組織が仲裁に入ろうとしたこともあったが解決せず、七月中旬までに関東全域で三十件以上の発砲事件を起こしている。とくに七月三日夕には銀座七丁目交差点で生井一家 の構成員に向けて銃が撃たれ、大騒ぎとなった。

 この事件は翌日の新聞にも報道されたが、多くの新聞がベタ記事程度だったのに反し朝日新聞だけは『銀座路上で発砲 銃声・悲鳴・騒然』という七段抜き、写 真入りの特ダネ扱いで、銀座がもはや安全な町ではないことを印象づけている。

 こうした事件が起きると思い出されるのが大阪・宅見組長射殺事件とその後の大阪の現状である。

 山口組系宅見組は大阪の道頓堀界隈ミナミ一帯を仕切っていた組織である。宅見組長が射殺された直後、報復戦争が勃発するのではないかとの恐れから、大阪府警は宅見組に張り付いた。宅見組員の身動きを封殺したのだ。

 道頓堀の太いメインストリートには、スケボーに乗った茶髪やらチュー坊やらイラン人やら、いろんな連中が闊歩していたが、彼らはメインストリートを外れて横筋や小路に入り込むことはなかった。そこは高級料亭やクラブが軒を連ね、背広ネクタイ姿の会社員や営業マンが夜の活動の場としていた。大人たちが安心して酔っ払い、カネを落としていく場所だった。

 宅見組長が射殺され宅見組が封殺されると、最初は恐る恐る、茶髪やチュー坊たちが小路や横筋に姿を見せ始めた。そこに彼らを睨みつけるヤクザがいないことがわかると、やがて彼らは親父狩り、アベック狩りなどをやり始めたのだ。やがて、その様子を見ていた外国人までもが小路に入り込んでくる。

 茶髪やスケボーのチュー坊たちは、メインストリートで遊んでいるちょっとした不良たちだった。ヤクザという「悪の重し」があったから、彼らは粋がってはいるもののある一線を越えることはなかった。その一線を越えさせ、彼らを非道・無法な存在に導いたものが何であったのか、日本人はよく考える必要がある。

 日本の長い歴史と伝統が作り上げてきたヤクザという存在。それは外国のマフィアとはまったく違う。マフィアとは地下に潜っている存在である。たとえば出前持ちのふりをして岡持から銃を取り出し、バンと撃って何食わぬ 顔をして去っていくのがマフィアだ。マフィアは一般市民の中、公務員の中にも紛れ込み、隠れて悪事を働く。

 日本のヤクザは看板を背負って生きている。肩で風を切って裏街道を歩くのがヤクザだ。看板を背負ったヤクザが「悪の重石」として社会秩序を構築してきたことは、歴史的に見ても、わが国の美風良俗を生み育てた要因の一つであることは間違いない。

 ヤクザを美化して語っているつもりはない。ヤクザとは悪い存在だ。

 しかし、どんな人間もその心の中に悪を持っている。どんな社会も悪を内包している。

 ヒンドゥー教はその歴史観として白と黒との際限のない飲み込み合いを語っているが、民族・文化の長い歴史ゆえにこうした思想が生まれたのだろう。数百年程度の、底の浅い文化では理解できないものなのだ。
 だが今、日本はその文化を捨てようとしている。

 欧米産の、頭の中だけで作られた善悪論によって「悪の重石」を取り払い、一般 市民の心奥に潜んでいる悪を引っ張り出そうとしているのだ。


最も嫌われている日本人

 先日、用事があってカナダのトロントに出かけた。せっかくトロントまで来たのだからと、ナイヤガラの滝を見物に行ったり、モントリオールやケベックといった北東部の町も訪ねてみた。

 年に二、三度の割りで、仕事絡みで外国に行く。カナダは初めてだったので観光気分は満喫できたが、しかしどこに行っても日本人は多い。不景気だというのによく海外旅行などできるものだと感心するが、まあ自分も同類なのだから文句は言えない。トロントの友人に訊いたところ、ここ数年、日本人の評判はガタ落ちだという。カナダだけの話ではない。どこに行っても日本人の評判は最悪らしい。

 世界中で最も嫌われている民族。それが日本人だという。

 十年前、いやつい数年前までは、そうではなかった。どちらかというと韓国人や中国人のほうが嫌われていたようだ。それがいつの間にか、日本人は最低ということになってしまった。

 なぜか。

 海外に出かけたり暮らしたりする日本人には二つのタイプがある。一つは、「ハウマッチ?(いくら?)」「ディスカウント・プリーズ(まけて)」を連発する買い物漁り、食い物漁りの日本人。もう一つは、出かけた外国の土地や風俗を熟知しているような顔をする日本人。こうした人々はその土地に同化しようと努力しているように見えるのだが、同時に日本の文化を完全に捨て去った、自国の文化を軽蔑している民である。

 自らの歴史、文化を軽蔑する民など、尊敬されるはずがない。

 日本人は今や、世界でいちばん嫌われている民だという話をすると、「そんなはずはない」という答えが返ってくることが多い。

 何と言おうが日本は経済大国なのだ。

 日本人は頭が良く、科学技術なども世界一流なのだ。

 そう思っている人が多い。これはとんでもない認識違いだ。

 たしかにバブル経済を続けた結果、ある時期、日本は経済大国だったことがある。それも正確に言えば「経済大国とおだてられた時期があった」というだけなのだが。

 今や日本は経済的には二流国の下である。少なくとも世界中のほとんどの人はそう考えている。その根拠は、明確にある。

 世界経済フォーラムという組織がある。毎年一月末から二月初頭にかけてスイスのダボスで定例会議を開催する組織だ。この会議、通 称ダボス会議には、毎年わが国からも政治経済界の大物たちが参加することで知られている。

 この世界経済フォーラムは毎年、技術や金融面などさまざまな分野について経済面 から世界各国を評価し、最終的な総合順位を公表する。十年前の一時期、バブル経済の末期に、たしかに日本は総合一位 の評価を得ている。「政治は三流、経済は一流」と言われた時期だった。

 バブルが弾けた平成四年以降、日本の評価はズルズルと下降していく。平成八年(一九九六年)には十二位 にまで落ちた。そして平成十一年度(一九九九年度)は十四位 。さらに平成十二年度は何と二十一位である。ちなみに世界経済フォーラムによる各国の経済順位 を上位のほうだけ並べると、


 第一位 米国
 第二位 シンガポール
 第三位 ルクセンブルグ
 第四位 オランダ
 第五位 アイルランド
 第六位 フィンランド
 第七位 カナダ
 第八位 香港
 第九位 英国
 第十位 スイス


 以下、台湾、オーストラリア、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、ベルギー、オーストリア、イスラエル、ニュージーランドと続く。これがわが国の実態なのだ。どう弁護しようが、世界的な評価は「経済二流の下」国でしかない。

 かつては世界第一位を誇った経済力も、十年以上も坂道を転げ落ち、IT関連の技術力もインドや東南アジア各国に遅れをとっている日本。昔のようにカネを持っているわけでもないのに、どこにでも現れて商品を値切り、買い物漁り、食い物漁りをする日本人。文化も伝統も失い、民族としての誇りすら持たぬ 日本人。

 世界の経済学者たちは今や日本経済の未来を「融溶する」と予測するまでになった。経済的には復活などあり得ず、溶けて無くなってしまうというのだ。

 誇りも持たず、文化も失い、経済的にも未来のない民族が、世界中から嫌われるのは当然なのだ。騙そうが殺そうが、日本人からカネを奪ってかまわない――そう思われても仕方のないことなのだ。


何を見て歩くのか

 タイやベトナム、カンボジアといった東南アジアの国々。あるいは香港や台湾、中国といったところによく出かける。こうした国々を歩いていると、人々の目が日本とはまったく違って見える。隙が無い目をしているのだ。悪く言えば下品にさえ感じる隙の無さだ。

 先日、たまたま珍しく渋谷の町を歩いていて、ギョッとなった。

 この街の若者たちは生きている目をしていない。

 なぜだろうか。

 答えは、横断歩道と信号にあった。

 東南アジアで車を運転する者たちがこう言うのは、ご存じだろう。

「青は進め。赤は注意して進め」。

 そして歩行者たちはこう言う。

 「青は注意して渡れ。赤は、もっと注意して渡れ」。

 交通渋滞で有名なタイのバンコクだけではない。プノンペンだろうが上海だろうが台北だろうが、着いてすぐは道路を横断するのに一苦労だ。ちょっと慣れてくると、行き交う車の間をスルスルと横断できるようになる。地元の連中は子供も含め、慣れた日本人より遥かに上手に横断する。前後左右に気を遣って、しかしそれは当たり前のことのような振る舞いである。

 渋谷の若者たちは、運転手を信用しきっている。いや、信号と横断歩道に絶対的な信頼をしている。

 信号が青だったら、携帯電話を耳に当てボケーっと話しながら歩いている。右折車が突っ込んでこようが、絶対の信頼で歩いている。自分の命そのものを、あの小さな信号機に委ねているらしい。

 日本は素晴らしい法治国家で、誰もが安心して青信号で横断歩道を渡る。信号が赤だったら、たとえ車の姿が見えなくても動かない。法律さえ守っていれば生命は保証されていると確信している。

 生活そのものも、同様になっている。規則さえ遵守すれば生きていける。多くのサラリーマンは定刻にタイムカードを打刻し、終業時刻に業務を終える。役所勤めの公務員も同じ。もちろん警察官も同じ。無理して、苦労して犯人を逮捕しようなどと考えない。もちろんなかには必死で残業するサラリーマンや、地道な捜査活動をする警察官だっている。そんな彼らが考えているのは、残業代だったり出世だったり、まずカネと地位 に絡む目的でしかない。地位にしたって将来の権益を描いているのだから、所詮カネの話ということになる。

 いったい自分は何のために生まれてきたのか。

 自分の生きる目的は何か。

 信じられないことだが、若者の多くはそれを知らない。知らないどころか、知ろうともしない。そんなことは端から考えない。

 適当に生活できれば良い。好きな女と結婚して、イヤになったら離婚して。ときどき美味なものを食べて、酒を飲んで歌って、趣味を充実させて、……それ以上なにがあると言うのだ。多くの若者は凡そこんな感じで生きている。

 なぜこんな無目的な人々ばかりになってしまったのか。

 理由はいろいろあるだろう。しかし、いちばん大きな理由は、歴史の欠如ではないだろうか。

 日本人は歴史を失ってしまっている。

 だから民族の文化も、伝統も持っていない。誇りを持っていない。

 どうして歴史を失ったのか。――理由は戦後教育にある。

 最近、扶桑社から『新しい歴史教科書』が出てたいへんな話題になっている。私もこの市販本を買って読み、難しいことはともかく非常に勉強になったのだが、同時にいろんな人とこの教科書について話し合ったところ、思わぬ 事実が浮かび上がってきた。

 話した相手は、私と同じ五十代だけではない。四十代、三十代、二十代もいる。そのほとんどが、異口同音に「この教科書でいちばん問題となっているであろう太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)を習った記憶がない(はっきり覚えていない)」と言うのだ。

 戦後教育を受けた私にしても同じ感覚を持つ。中学校で習った歴史(日本史)は、古代から始まり卑弥呼や邪馬台国があり、飛鳥、平安、鎌倉……と続いたのだが、三学期になってやっと明治維新にたどり着き、アッと言う間に日清・日露戦争、第一次大戦、大東亜戦争(学校で習ったときには「太平洋戦争」だったが)、敗戦となってしまった。

 鳴くよ鶯、平安京七九四年、とか、いい国造ろう鎌倉幕府一一九二年、とか、年号も覚えた。戦国武将の戦い方なども習った。江戸時代の鎖国についても、飢饉や改革についても学習させられた。明治維新やその直後の文明開化についても習った記憶が明確にある。高校時代の日本史もそうだったが、とにかく、日清戦争以降の歴史は駆け足であり、何が理由でどこの国とどこの国がどんな戦いをしたか、学校で学んだ記憶が乏しい。

 そして、日清・日露、大東亜戦争と続く近代の歴史をロクに学ばなかった二十代、三十代の若者たちは、こう言う。「もうイイよ。そんな話は。……戦争をやったのはオレたちじゃないんだ。昔の話をほじくり返すより未来を考えたほうがイイじゃないか」――。

 そんななか、新宿の居酒屋でアルバイトをしている二十歳の女子大生二人は、中学校時代に太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)について習ったと言う。教える教師の顔や口調までも記憶しているというから、思い違いではないだろう。

 「日本は資源を求めてアジアへ侵出していったのよ」。彼女たちは学校で習った歴史をよく知っている。「資源を求めてインドシナ半島に出て行って、住民たちや捕虜を強制労働させて、従わない者は弾圧、処刑したりして。インドシナだけじゃないわ。中国でも朝鮮でも台湾でも……」。

 日本は悪いことをし尽くした。彼女たちは、そう学んだ。

 明治維新以降の歴史をロクに学ばなかった若者たちも、薄々は知っているのだ。日本の近代史を学べば、日本が悪いことをしたという結論になる。日清・日露の戦争で日本が何のためにどう戦ったかすら教わらない。それらはすべて、太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)に繋がって行く。そこでは、悪者・日本が世界中に叩かれ、ついには原爆まで投下されて悲惨な敗戦を迎えたのだ。

 だから自分を歴史から切り離そうとする。

 「もうイイよ。そんな話は。……戦争をやったのはオレたちじゃないんだ。昔の話をほじくり返すより未来を考えたほうがイイじゃないか」――。これが当然の思いであり、歴史の継承が無いゆえに、生き甲斐も生きる目的も何も無い。


封印された歴史

 戦争といえば普通は武力戦のことだと思う。

 二十世紀最大の政治家の一人とされる周恩来は、「外交とは平時の戦争である」と語ったが、これは言葉のアヤであり、やはり戦争とは武力戦を指すのだろう。そこに至るまでには、もちろん思想戦があり政治戦があり、最終的に国家が武力行使を決定する。

 決定されれば軍隊が出動する。前線では敵を殺すことが必然であり、殺るか殺られるかといった局面 が展開される。

 最近の事件で、よく加害者の精神状態が問題にされるが、前線の兵士はどうだったのだろうか。正常な神経で戦い続けることができただろうか。

 戦争とは、悲惨なものなのだ。

 戦争に綺麗な戦争があるはずがない。

 聖戦という言葉があるが、字句本来の意味から考えれば聖戦などあろうはずはない。

 戦争とは、究極は殺し合いであり、そのもの自体が犯罪行為である。

 だが強いて言うならば、大東亜戦争時に日本が米国に対して行った戦争は人類史上もっとも聖戦と呼ばれてしかるべきものだった。

 そして戦争犯罪を考えるならば、非戦闘員を目標とした攻撃こそが正しく戦争犯罪であり、米軍による東京大空襲、原爆投下こそ戦争犯罪である。

 こんなことを言うと、「右翼だ」と非難される。右翼だと言われることに抵抗はないが、非難の眼差しを向けられることは納得できない。

 なぜ歴史を学ぼうとしないのか。

 大東亜戦争(太平洋戦争と習う)だけを学べというのではない。なぜ大東亜戦争が起きたのか。そこに至る過程で何があったのか。

 なぜ真実を知ろうとしないのか。

 知れば、胸を張って大東亜戦争を語れるのだ。

 日本が明治維新で開国を迫られたとき、アジアはどうなっていたのか。

 中世の頃、世界のなかで未開の地だったヨーロッパに産業革命、市民革命、哲学革命が起こり、やがて大航海時代がやってくる。ヨーロッパの白人たちはフロンティア=新しい大地を求めて世界を駆け巡った。北米では先住民アメリカ・インディアンを蹴散らし、南米ではインカ文明を滅亡させ、アフリカを掌中に入れ、アジアの地に襲いかかった。当時、白人は自分たちが「優等民族」であると確信し、有色人種は「劣等民族」だと本気で考えていたのだ。

 アジアのほとんどの地域を植民地化したヨーロッパ列強は、「眠れる獅子」と呼ばれた清(中国大陸)にも手を伸ばす。そしてアヘン戦争(天保十一年・一八四〇年)により清への侵食を開始する。アヘン戦争に敗れた清は、その憂さ晴らしかのように、属国扱いしていた朝鮮の内乱に乗じて朝鮮半島に出兵、支配するようになる。

 江戸徳川幕府は鎖国の間にも国際情勢はある程度把握していた。とくにアヘン戦争の様子には神経を尖らせ、英国の戦力がいかに強大であるかは熟知していた。また、欧州列強によるアジア侵略や、武力による植民地支配の現状も理解していた。

 清の朝鮮支配は、当時の明治新政府にとっては喉元に刃物を突きつけられたようなものだった。このままでは間違いなく清は日本に攻め込むだろう。かくして明治二七年(一八九四年)日清戦争が勃発。欧米列強注目のなか、日本は多大な犠牲を払ったすえにこの戦争に勝利した。この勝利で朝鮮の独立が正式に認められ、日本は台湾、澎湖島、遼東半島の割譲を受けた。ところが南下の欲望に燃えるロシアがこれに異議を唱え、ドイツ、フランスと組んで「三国干渉」を行い、遼東半島はロシアのものになってしまった。

 これが日露戦争の遠因となった。

 日露戦争に日本が勝利したことは、たいへんなことだった。

 この認識は、現在の人々にはなかなか理解できないかもしれない。なにしろ当時は、白人こそが優等民族で、有色人種は家畜以下の存在というワールド・スタンダードが存在していた。本当に本気で、真面 目な話、白色人種たちは有色人種を家畜扱いしていた時代である。

 極東の黄色人種である日本が、無敵のロシア「バルチック艦隊」を撃破したのだ。帝政ロシアの横暴に怯えていた諸国、諸民族は狂喜した。トルコのイスタンブールに今なお「東郷通 り」「乃木通り」があり、フィンランドでは今なお「東郷ビール」が愛飲されているのはその名残りなのだ。当時トルコ人たちは日露戦争の日本勝利に酔い、お祭り騒ぎをしたと伝えられる。この国が今なお親日国家であるのも、有色人種として初めて白人に勝った日本を尊敬したためである。

 辛亥革命をもたらした孫文自身、日本の勝利に勇気づけられたことを記している。「以前はアジア人は白人に後れをとり、絶対に白人には追いつけないと考えていた。日本はその白人から学び、追いつき、そして見事に追い越した」。

 だが、日露戦争で日本が勝ったことは、その後の世界情勢に大きな変化をもたらした。米欧諸国が日本に対して本気で牙を剥き始めたのである。

 有色人種とは白人に跪く家畜である――。二〇世紀初頭、米欧列強は真面 目にそう考えていた。南北アメリカを押さえ、アフリカを制圧し、アジアはほぼ掌中にあった。問題は白人国家がどういう形でアジアを分割支配するかだけだった。そして思わぬ 日本の反撃に対し、とくに米国は過敏な反応を示した。大正時代から昭和十年代にかけて実施された『オレンジ計画』がその代表的なものである。「排日土地法」「対日法案」「対日絶対法案」――。すでに本誌で何度か解説したが、これらの法案は日本をまったく家畜扱いした異常とも思える差別 思想で構築されている。

 まずは米国人に帰化した日本人の帰化権を奪い、土地を奪い、絶対的に日本人を締め出した。挙げ句の果 てにルーズベルト大統領は、「劣等アジア人種の品種改良計画」を提案するようになる。

 ――アジア人種はヨーロッパ人種との交配により品種を改良させる。ただし、日本人だけは品種改良計画から除外し、日本という島国に隔離して衰退させる――。ルーズベルトのこの計画は、本気で実行に移された。

 日本が米国から嫌われているのは、戦後の経済大国ぶりがその原因である、とか、日本人は本音を語らないから米国人に嫌われるのだ、などという話があるが、それらは妄想である。二〇世紀初頭以来、明確に連綿と、米国の中枢は日本を忌避し憎んできた。もちろん、米国人全員がそうだとは思わない。一部かもしれないし、多数かもしれない。だが、間違いなく米国中枢はアジア有色人種を差別 し、とくに日本を極度に嫌った。

 アジアが米欧白人から途轍もない差別を受けていることに、日本は真剣に立ち向かっていた。日清、日露、第一次大戦に勝利した日本は、大正八年(一九一九年)のパリ講和会議で、国連(国際連盟)の規約のなかに人種差別 撤廃を盛り込むように提案したほどだ。この提案は当時、十一対五で賛成多数となったが、議長ウィルソン(米大統領)は「このような重大問題の決定は全会一致が必要である」と、議長宣言で否決している。何とも乱暴極まりない話であるが、二〇世紀初頭の当時、白人が有色人種を導くことは常識以外の何ものでもなかったのだ。

 そうした流れの末に大東亜戦争が勃発した。

 その戦争が米国及び英国により極めて意図的に構築されたものであることは、すでに多くの著書、証拠類が暴いている。たとえば清水馨八郎著『侵略の世界史』(祥伝社)を一冊読むだけでことが足りるだろう。

あるいは最近話題の『第四の国難』(前野徹著・扶桑社)が良いかもしれない。この『第四の国難』には、戦時中に米軍大佐であった人物の言葉が引用されている(『チャールズ・A・リンドバーグの戦時日記』)。多少長くなるが、この部分を再引用させていただく。熟読を願いたい。

 「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしている者を射殺することを何とも思っていない。彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」。
 ニューギニアでは二千人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。オーストラリア兵のパイロットたちは飛行機で日本人捕虜を輸送中、山の上に突き落としたので、途中で「ジャップたちはハラキリをした」という。

 「ジャップの病院を占領した時には、病院に生存者をひとりも残さなかった」。捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのためわが同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに苦しみ抜いて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。金歯を抜き取る者、おもしろ半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大腿骨を持ち帰り、それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいたという。

 リンドバーグ大佐は、「わが国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに堕落しているとは、吐き気を催す」と同胞たちの日本兵に対する虐待を嘆いている……(以下略)

 戦後教育のなかでは、「戦時中に日本軍はアメリカ兵捕虜を虐待した。食事も満足に与えず劣悪条件のなかで過酷な労働を強いた」と学ばされた。恐らく間違いなく、日本兵のなかには捕虜を虐待し過酷な労働を強いて死に至らした場合もあっただろう。だが、大半の日本軍人は捕虜を優遇し、自分たちの食糧を割いてまで与えていたのだ。

 戦争とは悲惨なものである。

 戦場とは人殺しを命じられた兵士同士がぶつかり合う場所である。

 多くの兵士はその現場で、正常な精神を保てないだろう。

 だが、全体として、平均的な状況として、日本軍は世界中のあらゆる軍隊より遙かに国際協約に則り、遙かに武士道を通 した。

 だからと言ってこの戦争を「聖戦」と呼ぶわけではない。

 二〇世紀初頭、アジアは米欧列強の支配下にあった。独立国は名目上、清・朝鮮・シャムそして日本の四カ国くらいだった。だが清はすでにボロボロに浸食され、朝鮮は清の属国であり後には日本の支配下になった。シャム(タイ)は辛うじて独立国の面 目は持ってはいたが、すでに内情は悲惨な隷属家畜状態だった。つまり日本以外には、真の独立国と呼べる国は無かったのだ。

 アジアはアフリカ同様、家畜牧場としての意味しかなかった。

 米欧白人のための牧場だったのだ。

 そこに唯一、極東の島国が牙を剥いた。

 大東亜戦争がどういう意味を持つか、平成十三年を生きるわれわれは、それを正確に認識する義務を持つ。

 そんな面倒なことはイヤだと言うなら、これだけは理解すべきである。

 もし大東亜戦争が勃発しなかったなら、アジア諸国の独立はあり得なかった。いや、あったとしても数十年も先のことだったろう。

 今、国内では教科書問題が賑やかだが、大東亜戦争によって独立をなし遂げた国々の歴史教科書にも目を向ける必要があるかもしれない。

 「私たちは、強い意思と精神で日本が英国植民地主義の奢りを叩き潰すのに成功したことを認めた。日本による占領は、また敵に攻撃されたときに自国を守る場合に、他人に頼っているだけではいけないことを私たちに教えてくれた」。(マレーシアの歴史教科書)


永久戦犯

 しつこいようだが、もう一度書く。

 二〇世紀初め、一九〇一年の時点でアジアには独立国はわずか四カ国しかなかった。その四カ国のうち三カ国、タイ・清・朝鮮とも実質的には独立国の体をなさず、極東の島国・日本だけが完全独立国だった。

 米欧白人優位主義者たちは、有色人種は劣等人種でありこれを品種改良しようと本気で考える時代だった。そしてさまざまな理由により、日本に対し異常とも思える敵対心を持つに至る。とくに明治四三年(一九一〇年)に日本が朝鮮を併合した時点でとくに米国の激しい恨みを買ったようだ。

 米欧白人世界は大航海時代から着々と植民地を増やし、ついにアジアに流れ込んで来たが、欧州列強に比べて米国は遅れをとっていた。米国がアジアに乗り込もうとしたとき、残っていたのは清(中国大陸)の一部、満州、朝鮮、そして日本ぐらいだった。

 大正二年(一九一三年)に米カリフォルニア州に誕生した「排日土地法」は七年後には全米で適用されるようになり、これを皮切りとして「オレンジ政策」が採られていく。絶対的な日本差別 が始まり、同時にアジアの地域で日本締め付けが開始された。それは日本の全産業に壊滅的打撃を与えるものであったが、それでも日本は耐えた。

 終戦後の昭和二六年五月、米上院軍事外交委でGHQ最高司令官だったマッカーサー元帥が証言を行っているが、この内容は現在も簡単に入手できるものだ。

 マッカーサーはこう証言している。

 「日本には多くの原料が欠如していた。そして日本が必要とするすべてがアジアの海域にあった。もしこれらの原料が断たれたら日本国内で一千万から一千二百万の失業者が出ただろう。日本はこれを恐れていた。従って日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだ」。

 マッカーサーは日本が戦争に突入したのは、正しく「自存自衛」であったことを認めていたのだ。

 米欧諸国に蹂躙されていた当事のアジアにあって、日本はますます孤立化し、さらに極端な締め付けで、もはや国家の存続すら危うくなっていた。

 「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を逃れぬとすれば、戦わずして亡国に委ねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われわれの子孫はかならず再起三起するであろう。統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的完遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である」。(昭和一六年九月六日の御前会議席上での永野修身・海軍司令部総長の発言『太平洋戦争への道』角田順著・朝日新聞社刊より)

 対米戦を始めても亡国、戦わなくても亡国。

 その状況は日本軍部の中枢には把握できていた。

 座して死を待つより、撃ちてし止まん――。

 「たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われわれの子孫はかならず再起三起するであろう。」
 自存自衛のため。米欧白人勢力をアジアから追い出し、東亜を解放するため、敗れることを覚悟で日本は戦争に突入する決定を行った。

 戦争とは悲惨なものであり、国家が開戦を決定すれば軍部はこれに従って戦場に赴く。

 戦争は殺し合いであり、聖戦など本来あり得ない。

 だが、もし仮に「聖戦」と呼べる戦争があったとしたら、日本が米国に対して行った戦争は聖戦だったと言えるだろう。

 そして日本は戦争に負けた。負けたが、アジアやアフリカの諸国はここから民族意識を目覚めさせ、米欧白人に対する民族自決運動が開始され、続々と独立していった。もちろんそこには、英国との激烈な独立戦争を戦ったインド軍とともに四千の命を投げ打った南機関の人々を初め、インドネシアでなど日本軍の参戦も大きな力となった。

 昭和二〇年八月一五日――。ポツダム宣言を受け入れる玉音放送が流れ、日本軍の無条件降伏が決定。九月にはGHQが上陸した。

 そして極東軍事裁判(東京裁判)が行われ、勝者の理論により日本が裁かれる。ほんらい日本軍が裁かれるべきであるところで、日本そのものが裁かれてしまった。

 もともと米国大統領フランクリン・ルーズベルトが公言していたように、米国の一部には、「日本人だけは品種改良にも値しない民族であり、島国に閉じ込めて隔離させ衰退させる」という明確な意思があった。大東亜戦争終結の時点でその意思が動いたのだ。

 東條英機元首相、土肥原賢二、廣田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章といった面 々がA級戦犯とされて絞首刑となった。

 「人道に対する罪」「平和に対する罪」――。いかにももっともらしく、今を生きる人々にはわかりやすい表現であるが、そんな罪は東京裁判まではどこにも無かった。事後立法という、国際法をまったく無視した罪によって死刑を宣告されたのだ。

 しかも軍事裁判であるにも関わらず、死刑は絞首刑とされた。軍人にとって絞首刑というものがいかに惨いものであるか、おわかりだろうか。それまでの過去のあらゆる軍事裁判、軍法裁判の死刑は銃殺と決まっているのに、である。最後の最後に、軍人としての誇りまでも奪った非道の判決だった。A級戦犯とされた彼らは、国家の命令によって軍人としての責務を果 たしたに過ぎない、いわば被害者の一員ではないのか。しかも現在なお、A級戦犯が合祀されているという理由から靖国参拝が問題になったりしている。

 A級戦犯七名の処刑は、巣鴨プリズンで昭和二三年十二月二三日に処刑された。この日は当時皇太子殿下であられた今上陛下の誕生日である。もちろんこれも、マッカーサーによって意図して行われたものだった。


日本浮上

 十代の若者が残虐な犯罪に走ったり、学校におけるイジメや閉じこもり、あるいは「フリーター」を自称する無目的世代の存在がさまざまな形で話題になっている。

 これに対していろいろな意見が出ている。だが、根源からの治療法というか、本質部分を見抜いた説には行き当たらない。

 この日本を、本質から、骨の髄から真っ当なものにする方法がある。

 文化伝統を愛せるようになり、自分の生きる意味を知り、目的を持ち、前を向いて胸を張って生きる方法が一つある。

 誇りをもって先の大戦を語ることである。

 われわれの先人・先輩たちは何をしたのか。何を求め、どう考え、そしていかに戦ったのか。世界が日本に何を求め、日本はどう応じたのか。敵に対し日本軍はどの局面 でどんな作戦を採り、その結果はどうなったのか。

 戦争とは悲惨なものである。残虐で苛酷で非道なものである。

 その非道に向かったのは、如何なる理由によるものなのか。その戦いを通 して日本軍はどんな非道を行い、そしてどんな体験を味わってきたのか。米欧列強が、そして最終局面 でソ連が何をしたのか。昭和二〇年の満州(現中国東北部)に何があったか。さらに終戦後にGHQは何を求め、ソ連は何をしたのか。

  座して死を待つより、撃ちてし止まん――。

 「たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われわれの子孫はかならず再起三起するであろう。」
 先人先輩たちは誇りをもって勇猛果敢に戦い抜いた。全世界を相手に戦い、最後は一般 大衆までもが標的とされ、日本の国土が火塗れになるまで戦い抜いた。

 誇りをもって語って良い。

 それは戦争讃美ではない。犯罪釈明でもない。

 過去について、日本人が堂々と、胸を張って語れる日が必ず来る。……いや、ほんとうならとっくの昔に来て良かった。

 敗戦の日からずっと、日本はその刻を待った。戦後十年の節目、二十年の節目……。あるいは欧風かもしれないが二五年の節目、五十年の節目を……。

 終戦から十年経った昭和三十年(一九五五年)、保守合同がなり、日本は東西冷戦下における対共防波堤の役を担わされた。二十年後の昭和四十年には日韓条約が調印された。二五年後の昭和四五年は日米安保条約改訂。またこの年には、英霊の魂に取り憑かれたかのような三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊突入自刃事件も起きている。

 それでも日本は沈没したままだった。高度成長時代、バブル経済期を迎え、上も下も、政治家も庶民大衆も裕福になりつつある現実に酔い、過去の歴史も未来の構築も考えることはなかった。

 昭和の御世から平成に代わり、なお誰も動かなかった。何も変わらなかった。終戦五十年の節目、平成七年(一九九五年)には阪神大震災が発生、そして動いたのはオウム真理教だけだった。さらに世紀末を迎える刻が過ぎ、二一世紀がやってきた。

 この国の根源を本来の姿に戻すことができるのは、明治・大正に生まれ、あの時代の教育を受けた人々しかいない。戦後教育を受けた人間には絶対に持てないある独特の匂いを、大正時代以前に生まれた人々は持っている。神国日本という妄想を教え込まれ、天皇という虚像を一度は信じた人々……。同じ世代が、あるいは自分よりも後輩たちが、神州不滅を信じ日本の未来のためと信じ、特攻機に乗って突っ込んでいった、その記憶をはっきりと意識している明治大正生まれの老人たち。この国を真っ当な姿に戻すことができるのは、この老人たちだけだった。

 だが老人たちは誰一人として立たなかった。動かなかった。

 たったの一人も、である。

 敗戦から五六年の歳月が無為に流れた。

 では、もはやこの国は本来の姿に戻れないのだろうか。

 わからない。

 戦後五十年の節目が去り、新世紀を迎えた頃には、正直なところ、挫折感だけが去来した。諦観とでも表現したら良いのか、もう無理なのだという諦めがあった。血を流すほど唇を噛んで、あるときは明け方もの空に一人涙を流しながら日本復古維新を夢見た自分を馬鹿馬鹿しく思えることもあった。

 だが小泉政権誕生後に、空気がわずかに変わってきた。

 小泉政権が親米政権であり、「アーミテージ・レポート」遵守に力点を置いていることは間違いない。「聖域なき構造改革」を声高に語る小泉が、構造改革を断行し最終的にそれが日本の経済復興に繋がる可能性ですら不透明極まりない。しかもそれは、根源的に日本を復活させることとはほど遠い感じがする。ところが、小泉政権誕生前に始まった「新しい歴史教科書」問題と、小泉の靖国参拝が微妙に世の中の雰囲気を変え始めた。明治大正生まれの「特攻隊世代、特攻隊送り出し世代」がやらなければならなかった『新たな歴史認識作り』を、曖昧な形で漠然とはしているが、世の中全体が作り始めようとしているように思える。

 小泉個人の資質なのではなかろう。老人に愛想を尽かした日本が、歴史をまったく知らない若者たちに力を貸しているのかもしれない。

 これは、まだ「芽生え」の状態だ。この芽生えが上手く育って行けば、四、五年もすれば本物が生まれてくる可能性がある。もちろん「老人たちが邪魔をしない限り」という条件があっての話だが。

 あと四、五年。平成十七、八年……。

 ここまで書いて、本当にここまで書いて、気がついた。

 変革期は節目に訪れるに違いない。それは戦後十年、二十年……と考え、そこから先は西洋風に二五年、五十年、世紀末、新世紀などと考えてしまった。日本には古来、十干十二支という考え方があった。還暦という考え方があった。数え年六一年、満で言えば六〇年の節目。

 その日までに何としても成し遂げなければならないことがある。

 ここからが正念場だ。あと五年。最後の最後には燃え尽きボロボロになってもかまわない。

 日本という国、日本という民族、日本という文化、伝統、そのすべての生き残りを懸けた凄絶な戦いがいま始まろうとしている。

 

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