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| どこに行く?民主連立政権:第3回 |
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| 内外展望 - 国内情勢 |
| 2010年 2月 11日(木曜日) 22:47 |
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どこに行く? 民主連立政権 さて。本紙はこれまで「どこに行く? 民主連立政権」の第1回、第2回において民主党政権の可能性と展望を、どちらかといえば明るく描いた。そこには旧来の自民党政権に対する絶望感の裏返しがあった。 だが、与党となった民主党の現状はどうか。天下を取ってはしゃいでいるのではないのか。政権担当能力は大いに疑問。小沢一郎政治資金問題に対する鳩山首相の「信じています。がんばって(地検と)戦ってほしい」などと、自浄作用の鱗片さえ見えない様子はどうか。与党・民主党にこぞって趣旨替えする元自民党議員・関係者の節操のなさも見苦しいが、そうした「裏切り者」をまるで嬉々として根こそぎ受け入れるかような民主党こそは、無節操の極みではないのか。こうした体たらくで真の行政改革ができるのか、この国の隅々まで浸透している官僚主義を排除するだけの政治哲学と理性、知力を結集できるのか。いわゆる民主党政権は本当に日本国民に資するべく機能しうるのか。 それとも。与党でいられる今のうちに「旧来の自民党利権を潰し、代わりに新たな小沢利権を構築しようとしている」だけなのか……。 小沢一郎、不起訴1月23日に続いて2月2日にも東京地検特捜部の事情聴取に応じた小沢一郎だが、2月4日になって特捜部は、小沢一郎に対して刑事責任を問えるだけの証拠が十分ではないとして、不起訴処分とすることを決定した。4日に拘置期限を迎えた元秘書の衆議院議員・石川知裕と公設秘書・大久保隆規、元私設秘書・池田光智の3人は、政治資金規正法違反で起訴された。 この間、地検特捜部が恐ろしいばかりに暴走したことは、すでに多くの情報として流されている。大マスコミは基本的には小沢批判に徹したが、夕刊紙や一部週刊誌、あるいはミニコミやネットの世界では、地検特捜部に対する批判や、まるで陰謀論のような話が渦を巻いていた状態だった。 地検特捜部批判の急先鋒は「週刊朝日」。同誌には地検から “圧力”がかけられていたという。同誌の山口一臣編集長のもとに特捜部から文書で「 出頭要請 」があったというのだ。理由は「捜査妨害」。差出人は東京地検の谷川次席検事。出頭要請があった当日、山口編集長は出張中のため要請に応じることができず、この要請内容がネット上に公開されてしまった。これを知った検察内部は大慌て。朝日新聞司法クラブを通じて、朝日新聞本社上層部に圧力をかけたのだ。その圧力の内容とは、「検察から記事に対する抗議があったが、出頭要請はなかったことにしろ 」というものだった。 恐るべきことに、朝日新聞社上層部は地検に屈服し、「記事に対する抗議があったが出頭要請はなかったことにするよう」と週刊朝日編集部に指示したという。 内容の冒頭部を記すと、「『週刊朝日』2月12日号に掲載されたジャーナリストの上杉隆氏による「暴走検察 子ども“人質”に女性秘書『恫喝』10時間」が話題を集めている。記事によると、1月26日に石川事務所の押収品の返却について検察から呼び出しを受けた石川議員の女性秘書が、検察庁に到着して「民野健治」という担当者と話すと、そのまま携帯電話を切るよう命じられ、その後約10時間にわたって取調べを受けたという。だが、女性秘書は約3年前に石川議員の秘書として働きはじめたばかりで、いま問題となっている2004年の陸山会の収支報告書については何の知識も持っていない。しかも、女性秘書には3才と5才の子どもが保育園に通っているにもかかわらず、保育園の閉園時間である午後7時になっても夫や知人に電話することすら許さなかったという」(以下略) もっともこのケース、情報は週刊朝日の側からもたらされる一方的な話ばかりで、地検側のコメントなどありようはずもない。だがやはり傍目には「地検が暴走したのではないか」とさえ思える状況は確かにあった。マスコミの報道では、中堅ゼネコンや大手ゼネコンまで巻き込んだ贈収賄事件に発展するかの勢いだった。それが今回の“不起訴”で、一応の決着となる。 ただし特捜部は、小沢幹事長の政治資金に関しては、なお16億円の記載漏れ、20億円の不明金など、巨額の不透明資金が動いているとして、今後も引き続き全容解明のための捜査を続行する見通しだと報道されている。 あれほどまでにマスコミを賑わせ、海外のメディアでも大きく扱われた事件が、結局のところ単なる「虚偽記載」で幕引き。「大山鳴動して鼠一匹」というべきかもしれない。だが地検特捜部はいま、来る7月の第22回参議院議員選挙の直前に、再び小沢一郎政治資金問題に猛攻をかけるべく、虎視眈々と準備しているとも言われている。 小沢一郎の資金問題が表面化したり、特捜部から事情聴取を受けたことから、民主党内の一部には、小沢批判が噴出し始めていた。前原誠司国交相、野田佳彦財務副大臣、枝野幸男元政調会長などが“小沢批判派”の先頭を走っていたようだが、こうした動きも一気に沈静化。鳩山首相は「幹事長として仕事をやってもらいたい」(2月3日)と発言、参院選を小沢氏の下で戦うことが「至極当然だ」とも述べている。 民主党の内部は、もちろん一枚岩ではない。先に挙げた前原、野田、枝野だけではなく、小沢幹事長と距離を置く議員も一定数存在するし、党内では公然と、鳩山首相と小沢幹事長の確執が囁かれているほどだ。また民主党内部だけではなく、一般庶民の間からも、小沢幹事長に牛耳られて、何の抵抗もできない鳩山首相に対する不満も噴出している。 しかし民主党の反小沢派幹部は「これで小沢さんは本当の実力者になる」と感想を漏らし、また大ベテラン議員も、「小沢の権力集中はいよいよ高まる」と語っている。 今後も小沢幹事長の資金問題を巡り、党内、政権内、そしてマスコミを中心として、さまざまな“攻撃”が考えられる。本紙もまた、小沢一郎に限らず、不透明、不明瞭な資金問題が発生すれば、当然ながら追及していきたい。だが最も重要なことは、日本国民として日本の未来をどう考えるかだ。どうやって明るい未来を築き、明日に向かって夢を持てるかだ。 すでに本紙前号で、今回の特捜部の一連の動きが“官僚 vs 政治家”の闘争であることを記した。小沢一郎に対する事情聴取とは、「人事権を巡る話し合いの場ではないか」という本紙の見解も述べた。これについて、さらに検討を加えてみたい。 「内閣人事局」新設構想1月29日に鳩山首相が施政方針演説を行った。「いのちを、守りたい」という言葉、いや情緒的な願望の吐露で始まった異色の演説。これまでの自民党政権時代には、各省庁から届けられた短冊型の原稿をつなぎ合わせた、「ホチキス」と呼ばれる原稿が用意されていた。今回の施政方針演説の原稿は、まったく官僚に頼らず、松井孝治官房副長官と平田オリザ内閣官房参与(劇作家)の二人と意見交換をしながら、鳩山首相自らが作成したものだという。そのぶん、たしかに情感たっぷりの内容だったが、財政再建などに具体的政策が示されていないという弱みもあった。 また、昨年末、鳩山首相がインドを訪問した際に、ガンジー師の慰霊碑に献花したことを披露してから、ガンジーの「七つの大罪」を並べたが、二番めの「労働なき富」と口にした途端、自民党席からは「お前のことだろう」と厳しいヤジが飛んだ。母親からの巨額資金提供は、まさに労働なき富以外の何物でもない。 鳩山首相の施政方針演説は、24回も繰り返された「いのち」と、「労働なき富」に注目が集まったように思えるが、国会全体が緊張したように静まり返ったのは、「政治主導による行政体制の見直し」について演説したときだった。 「行政組織や国家公務員のあり方を見直し、その意識を変えていくことも不可欠です。省庁の縦割りを排し、国家的な視点から予算や税制の骨格などを編成する国家戦略局を設置するほか、幹部人事の内閣一元管理を実現するために内閣人事局を設置し、官邸主導で適材適所の人材を登用します」。(1月29日鳩山首相施政方針演説より) じつは、この施政方針演説が行われた直前、1月29日の午前中の閣議で、鳩山首相は公務員制度の改革案を明らかにしていた。事務次官から局長への再任を可能にすることで、これまであった次官と局長のポストの格差を縮めるというものだ。これにより、次官を頂点とするピラミッド型の官僚機構が崩壊することになる。 公務員制度改革を担当する仙石由人行政刷新相は、「役所内で“社長”と呼ばれる事務次官の意向を窺いながら職員が執務することは、大幅に減るだろう」(29日の記者会見での発言)と、この案に自信を見せている。 民主党政権が考えているのは、次官ポストを事実上、局長級に格下げすることだ。こうすることにより、たとえば農水省局長が環境省次官となり、それから数年後には財務省局長になるというような人事を可能にする。「次官→局長」という人事が、格下げではなく、当たり前の人事異動になれば、適材適所が可能だというわけだ。 こうした人事異動が行われ、官僚のトップが「社長」と呼ばれる事務次官でなくなれば、各省庁の職員は次官ではなく大臣や副大臣、政務官を向いて職務に励むことになる。この公務員制度関連改革法案を今国会に提出し、今年度中の実行を目指す――。これが民主党の目論見だ。 これを実現するために作られるのが「内閣人事局」。内閣人事局では、まず、幹部にふさわしい候補者名簿を「次官・局長級」と「部長級」という2種類に分けて作成する。「次官・局長級」は総勢200人超と見込まれるが、これに関して、首相、大臣、官房長官らが協議して、適材の次官、局長を決めていく。ただし、人事院と検察庁に関しては除外するという。その理由は、「職務の中立性に配慮するため」と説明されている。 事務次官は現在、内閣府、財務省、外務省など11府省に12人存在する。彼らは省庁内の人事権を掌握し、個別政策を決裁する立場にある。だが、民主党連立政権誕生後、閣議に上げる案件を調整してきた「事務次官会議」は廃止され、次官の定例記者会見もなくなった。結果、次官の業務はかなり減ったとされる。 しかし、事務次官を頂点とするピラミッド型の官僚機構は、明治時代から続いてきたものである。人事権を政府に掌握されることを、霞が関官僚が納得することなどあり得ない。小沢一郎の政治資金を巡る一連の騒動は、官僚たちの抵抗と考えればわかりやすい。 官僚の抵抗「今日の中央集権的な体質は、明治の富国強兵の国是のもとに導入され、戦時体制の中で盤石に強化され、戦後の復興と高度成長期において因習化されたものです」(1月29日施政方針演説より) 日本の官僚制度は明治維新直後に作られたものだ。その官僚制度の歴史をザッと眺めてみよう。 慶應3年12月9日(1868年1月3日)、「王政復古の大号令」が発された翌日、維新政府は、総裁・議定・参与という3職制を定めた。そして参与に優れた人材を集めようと、各藩から優秀な藩士を求めたのだが、結果としては薩摩・長州からの人材が官吏として登用されることとなった。 その後、欧州調査を終え帰国した伊藤博文は、明治18年(1885年)に内閣制度を導入し、自らが内閣総理大臣となる。そして翌明治19年、藩閥にとらわれない官吏を育成しようと、帝国大学令を定め、東大を初めとする帝国大学を、優秀な官吏を養成するための機関としたのだ。 「大日本帝国憲法」では、「天皇大権」として官制大権そして任免大権が定められ、官吏は勅令を以て定められた。つまり現在の「国家公務員法」のような官吏制度に関する法律は存在せず、勅令によって定めたのである。 長い鎖国から目を覚まし、周辺を見渡せば、アジアは欧米という猛獣たちに食い荒らされ、次々と植民地化されていくところだった。文明開化、脱亜入欧、富国強兵……。アジア東端の小さな島国日本は、生き残るために総力を挙げ、叡智を巡らし、歯を食いしばって欧米と対峙しなければならなかった。 明治27年(1894年)、伊藤博文首相は行政制度再編を目指し、文官任用令と文官試験制度を定めたが、この年には日清戦争が勃発している。そして明治35年の日英同盟締結、明治37年の日露戦争と、日本はまさに荒波に揉まれながら世界の舞台に立っていた。この時代の日本を下支えしてきたのは、間違いなく「優秀な官僚たち」だったのだ。 第二次世界大戦で日本が敗戦し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により官僚制度は大きく改正された。それまで「天皇の官吏」だった存在が「全体の奉仕者」に置き換えられたのだ。昭和22年(1947年)には「国家公務員法」が定められ、新たな職階級が導入された。だがそれは、制度として官僚の立場が変わっただけであり、官僚が行うこと、官僚の実権には変化がなかった。 明治維新以降敗戦に至るまで、「天皇陛下のために=日本国のために」存在していた官僚は、「全体のために=官僚全体のために→所属する省庁のために」存在する官僚となった。その結果、官僚は「省益のために働く官吏」となり、それは「自分たち自身のための利益、権益を守り通す最高実力者」となっていった。当然と言えば当然の帰趨かもしれない。 民主党が掲げる「官僚主導から政治家主導へ」というスローガンは、明治維新以降の日本の官僚制度を抜本的に変えようとするものなのだ。 「首相と官房長官が、官僚の幹部人事を仕切ることができるか。脱官僚というテーマの天王山に差し掛かっている」(1月29日、仙石由人行政刷新相の談話) 民主党が目指す公務員制度改革の第一歩は、幹部官僚の人事を実際に行えるか否かだ。それは具体的に、「次官→局長」という辞令を発令し、それが受諾されるかどうかにかかっている。 官僚の中には、「局長に格下げされることを打診された場合、次官は誰もがその時点で退任するだろう」と、そんな辞令が意味を持たないと公言する者もいるようだ。 だが、天下りを根絶して出口を塞げば、官僚の我儘は通らなくなる。2月4日の参院決算委で原口一博総務相は、「独立行政法人は原則廃止だ。(天下りなどは)廃止を含め検討しないと止まらない」と述べ、天下り防止のための抜本的改革を進める意向を表明したが、これもまさしく「官僚の人事権掌握」のための一歩なのだ。だが、それでも霞が関官僚の必死の抵抗は続くだろう。鳩山首相、小沢幹事長を初め、民主党の全議員、連立を組む国民新党、社民党は一致団結して公務員制度改革に挑まなければならない。それこそが国民大衆の願いなのだ。 だがそれは、明治維新以降百数十年続いた官僚制度をぶち壊すことである。革命と言っても過言ではない。 米国務次官補らの表敬訪問を受ける |


