現在
 ゲスト 28 人
 がオンラインです
ポスト胡錦濤時代を率いる「1つの党・2つの派閥」 印刷 Eメール
内外展望 - 海外情勢
2010年 4月 20日(火曜日) 13:52

海外展望
上海万博以後の中国
ポスト胡錦濤時代を率いる「1つの党・2つの派閥」

プリントアウト用はこちら

まもなく世界第2位の経済大国となる中国。だが2年前の08年、グローバル金融危機の余波により中国は深刻な経済危機に陥った。輸出は急減し、繁盛を誇った沿岸地域の数千もの工場が閉鎖。たとえば2008年の下半期だけでも、1000万人の新たな失業者と、100万人の大卒失業者が発生した。また当時、中国証券市場は65%の下落を記録し、3兆ドルに達する損失を出した。

こうした事態に対し、胡錦濤国家主席は「今回の経済危機で、中国の危機突破能力と党の統治力が試されている」と言及。政府による積極的な財政出動と金融緩和策が功を奏し、今年の1~3月の国内総生産(GDP)実質成長率は11.9%と、リーマン・ショック前の水準まで回復した。

だが都市部の失業率は依然として4%台の高い水準が続いている。そんななか、来る5月1日から10月1日まで上海万博が開催される。国威発揚の絶好のチャンスであると同時に、中国共産党政権がその強盛さを世界に誇示する最後の機会になるかもしれない、との予測もある。08年の北京オリンピックは世界のメディアから「開催不可能」とまで予測されたが、実際には過去最大の204カ国が参加という大成功を収めた。だが上海万博で、中国の成長と威光を世界に誇示するイベントの連鎖は終わる。人件費の高騰で海外メーカーは生産拠点をベトナムに移動しはじめているなか、2012年には胡錦濤から習近平へ主席の座が移譲される可能性が高まっている。

もし、上海万博以後の中国経済の成長率が08年当時のようにふたたび急減、あるいは沈滞したならば……。これが中国共産党にとって悪夢以外の何物でもないことは歴然としている。30年前、鄧小平が改革開放政策を打ち出して以来、高度成長を繰り返してきた中国経済の活力こそは、中国共産党の統治に正当性を付与する源泉であった。

もし中国がこれまでのような高成長率を維持できなくなったり、あるいは増加する労働力に仕事を提供できなくなれば、大衆の不満と社会不安は手の施しようもない状態に陥ることは明らかだ。

巨大経済を引率してきた党指導部は、こうした事実を誰よりも知悉している。2桁の経済成長率はSARS(重症急性呼吸器症候群)、四川大地震、幹部の腐敗スキャンダルの中でも維持されてきた。だが約2年前の経済危機が、世界的規模の金融危機やこれにともなう政治的難関への対処を、中国共産党の新たな課題として浮かび上がらせた。

中国共産党は毛沢東、鄧小平などの強力な1人統治システムから脱却し、中国最大の権力集団である政治局常務委員会を中心とする集団指導体制を定着させつつある。この集団指導体制は、影響力拡大のため互いに絶えず競争する2つの非公式な派閥、すなわち太子党と共青団派から構成されている。「太子党と共青団派」は、ポスト胡錦濤時代の中国のトップ習近平とナンバー2である李克強をめぐる「既得利益擁護派V.S改革派」としてこれまでも多くが語られてきた。中には「本当にこうした派閥対立が存在するのか」と疑念を呈する主張も見られた。上海万博という「最後のビッグイベント」を迎えつつある現在、共産党内部における「太子党と共青団派」という2つの派閥が共通に有している「経験」を踏まえながら、再度考察してみたい。

習近平と李克強という「2人の後継者」

中国共産党内部の派閥競争は昨日今日のことではない。だが最近になって浮上している競争の様相は、一方が勝者となれば他方が敗者となるゼロサムゲームから抜け出しているという点で注目に値する。

その好例が2002年、江沢民が後継者・胡錦濤に権力を譲ったケースである。これは中国共産党史上初の平和的権力継承であった。また2人がそれぞれ異なる派閥に属していたという点でも意味深長な「事件」であった。「鄧小平以後の中国」とは、競争する派閥グループによって統治されてきた、としても過言ではない。

中国共産党内の競争システムは、2007年10月に胡錦濤国家主席が、次期後継者1人を指名する過去の直接継承方式を捨て、例外的に2人の「ライバル」を後継者として抜擢したことにより、より強く固められた。当時の中央委員会はあらゆる面で相異なる習近平と李克強を、ともに政治局常務委員として任命したのである。両名に共通するのは、50代半ばという年齢のみ。習近平は1953年6月生まれ、李克強は1955年7月生まれである。

胡錦濤、呉邦国、温家宝、賈慶林、李長春、習近平、李克強、賀国強、周永康の9名から構成される政治局常務委員会とは、名実ともに中国国家指導者の「産室」である。2012年の党大会以後、権力を共有することになる習近平と李克強。この2人の今後の役割は常務委員への抜擢当時、すでに決まっていたも同然であった。習近平は胡錦濤から国家主席職を継承し、いっぽう李克強は温家宝から総理職を譲り受けるのである。この2人には一族、政治的背景、リーダーシップ技術、政治的指向などにおいて共通点がほとんどみられない。だが中国の政治・経済政策を今後10年以上主導することになる、2つの競争する派閥を両名がそれぞれが率いているという共通点だけを有している。

明らかな事実は、永らく持続してきた中国の輸出主導型発展モデルを、迅速かつ効果的に改革していかなければならないという難題を、この2人が引き受けるようになる、という点だ。ここには改革はもとより市場の自由化、また中国経済の体質を内需中心へと改善するために「政府の介入」を調和させていく必要があり、困難な作業となる。指導層が大きく分裂、または権力競争が深刻化する場合、難関にぶつかる可能性は非常に高い。

「ポピュリスト」と「エリート主義者」

派閥統治は、選択の結果というよりも中国指導部の新たな必要により登場したものと考えるのが正しいといえるだろう。胡錦濤主席は2007年、習近平と李克強を推戴した際、2人がそれぞれ代表する「たがいに違う支持層」の重要性を示し、両派閥が合意を引き出す唯一のポイントが、彼らが属する第5世代指導者たちの深刻な政治的混乱に対する予防策にあることを暗に示唆した。また当時、「公益のために(for the sake of the greater good)」競争相手同士を同志にするというリンカーンの考え方が、中国メディアに繰り返し引用されていた。中国共青団の機関紙「中国青年報」はリンカーンのこうした考え方について「競争グループがそれぞれ公益と政治的生存力を極大化するための政治的妥協を導き出すために、必要かつ立派なアイディアである」と評している。

これら2大派閥はそれぞれ正反対な「ポピュリスト」と「エリート主義者」に区別される。「中国共産主義青年団」を意味する共青団派は代表的なポピュリズム系列だ。胡錦濤主席と温家宝総理をはじめとして、李克強、李源潮(中央組織部部長)、汪洋(広東省党委書記)などが核心メンバーとして活動している。

共青団派は党中央委員会の23%、政治局の32%を占めながらも、おもに貧しい内陸地方の地域リーダーらで構成されている。共青団派メンバーの相当数は宣伝技術と法務分野での専門知識を有しており、核心メンバーはみな胡錦濤主席の長い間の政治的同僚。そのほとんどが1980年代初期の、胡錦濤主席の共青団活動時における彼の直属部下にある。

共青団派は組織管理と宣伝技術に優れているものの、国際経済分野には脆弱、という短所がある。そのため共青団派の能力は、海外資本の導入や経済の自由化が重視された江沢民時代には高評価を得ることができなかった。だが社会不安や政治的緊張が高まっている現在、その政治的な重要性があらためて確認されている。

いっぽう「エリート主義者」といわれる太子党は、江沢民時代に誕生した……。いや「江沢民時代に、中国上層部のある種の人々がこのカテゴリーに分類された」と言う方が適切かもしれない。中国には「太子党」と名乗る政党や政治組織は存在せず、自らを太子党のメンバーと名乗る者もいないからだ。したがって共青団派が中国共産主義青年団を出自にもつメンバーからなるのに対し、いわゆる「太子党」メンバーとは「中国共産党高級幹部の子弟、ビジネスマンとして成功した二世グループ」など、既得権益を代弁する傾向が強い層を指している。

公的に存在を認められなくとも、特権階級として確実に存在しているこの「太子党」には、呉邦国(第11期全人代常務委委員長)や賈慶林(全国政協主席)などを核心リーダーに数えることができよう。太子党メンバーは海外では相対的にあまり知られていないものの、中国の最高指導者層に属している。おもに高位幹部の子弟から構成される太子党は第5世代指導者の核心メンバーである習近平、王岐山(国務院副総理)、薄煕来(重慶市委員会書記)などを主軸としている。太子党は政治局員の28%を占めていると分析されている。そのほとんどが裕福な沿岸地域で成長しており、金融、貿易、国際、技術分野で経歴を積み重ねている。

太子党メンバーは強い連帯を誇示することはない。だが最近では彼らの「特権階級の縁戚ネットワークや権力の世襲」に対する大衆の反感が大きくなってきたため、自分たちの利権、既得権益を守るため、団結の必要性は増える趨勢にある。

「大衆に分裂を見せてはならない」
相反する派閥が共有する政治的経験

現在、中国共産党政治局内の6名の第5世代指導者のうち3名は共青団派、3名は太子党である。彼らは政治的背景と同様、異なった社会・経済勢力を代表している。太子党がおもに企業家と新興中産層を代弁しているとすれば、共青団派は農民や都市貧民など社会の脆弱階層に関心を傾けつつ、貧富の格差解消に傾注している。こうした派閥の特性をそのまま反映するかのように、習近平と李克強の路線も驚愕に値するほど異なる。

市場自由化と民間部門の発展持続に対する習近平の情熱はすでによく知られている事実である。経済の効率化、国内総生産(GDP)成長率の維持、中国経済の世界経済編入なども彼のおもな関心事に属している。また習近平は、特に中国東部地域の裕福なエリート階層の利権を維持することにも、大いなる関心を傾けている。

いっぽうの李克強。失業者問題を政策の最優先順位に掲げている。庶民のための低価格住宅の普及や基礎医療サービスの提供を根幹とするセーフティーネット構築の重要性を強調する李克強は、過去における中国の産業基地であり、労働集約地域の一つであった東北地域の再開発をも進めている。経済格差を減らすことは、経済の効率性を高めることよりもいっそう急務である、というのが李克強の主張だ。

習近平と李克強の、このように相反する政策路線は人民元為替レート問題、景気浮揚政策の実行など、中国が当面する経済的懸案事項の行方を計るのに、主要な要素となるであろう。

こうした差異にもかかわらず、共青団派と太子党の第5世代政治家たちは、中国の「失われた世代」である、という共通の経験がある。中華人民共和国建国以後に生まれた彼らは、文化大革命が吹き荒れた1966年前後に10代を過ごした。政治的激変の渦中にあって、正規の教育を受ける機会を剥奪され田舎に送られ(下放)、数年間の肉体労働を強制された。共青団派の李克強と李源潮は、それぞれ安徽省と江蘇省の貧しい農場で労働した。また太子党の習近平と王岐山も、北京から陝西省延安(延川県)へ送られ、農夫で数年を過ごしている。

当時の苛酷な経験を通じて、彼らのような中国の次世代指導者たちは忍耐心と適応力、未来への見識、また謙遜など指導者に必要な資質を獲得した。中国農村の実状を肌で知る貴重な経験を得ただけでなく、まったく異なる社会経済的環境に適応する能力をも身につけることができた。下放の経験から、彼らは比較的若い年齢であっても、困難に対処する方法や環境と妥協する方法を学んだわけである。習近平は最近、ある中国メディアとのインタビューのなかで、延安(陝西省延川県文安駅公社梁家河大隊)で過ごした時期が自身にとって「かなり重要な経験」であり、「人生の転換点」だったと述べている。

文革に劣らず彼らの人生に重要な影響を及ぼした事件が、1989年6月4日に発生した天安門事件だ。この事件が彼ら一人一人にどのような影響を及ぼしたのかを詳細に知ることはできない。だが彼らは民主化デモ隊のリーダーたちよりも上の世代であり、当時は地方党委書記など各地区・市の指導者や共産主義青年団の幹部として活動していた。その過程で、彼らは天安門事件に直面した当時の中国指導部が、深刻に分裂した姿を目撃した。彼らはまた、党内部の闘争がどのように危機を深化させ、結局は暴力的な対応を生じさせるのかをも、しっかりと見守ったのである。

2つの派閥の妥協点

文化大革命と天安門事件……。これらの経験から第5世代指導者たちは、いかなる代価を払ってでも政治的安定を維持しなければならない、という教訓を得た。また大衆に対し「指導部の分裂」を絶対に露出させてはいけない、と悟るに至った。党内部で互いに異なる路線を追求する二大派閥が競争しているという状況であっても、彼らは指導部の分裂が党の外部に露出することを避けるために最善を尽くすほかはないのである。過去の経験から、彼らは「指導部の分裂」が露わになることが党と祖国に有害であるとう事実をよく知っている。そのため、最高幹部間での連帯を企てていることは容易に想像できるだろう。

共通の政治的経験を抱きつつも、2つの派閥が争う深刻な路線の差が厳然と存在しているなかで、中国の次世代指導者たちは今後の中国経済をどのような方向へ牽引していくのであろうか。

太子党の経済的見識は、今後数年間に中国が直面するであろう生産物市場、貨幣市場、労働市場におけるマクロ経済的問題の解決のために核心的な役割を果たし、また共青団派の組織・宣伝能力は、経済の沈滞から惹起され深刻化するであろう社会的問題への対処に役立つであろう。

「分裂」ではない「競争グループ」の浮上は、中国が盲目的・無条件的なGDP成長率極大化政策から抜け出し、経済成長と社会正義を同時に追求する方向へと進む契機となり得るのである。すでに中国政府はグローバル経済危機により、輸出主導型の経済体制を、農村の要求を反映した内需中心体制へと変化させるために努力した。その結果として08年秋には、農民により多くの権利とインセンティブを提供することができるよう、土地耕作権の譲渡と売買を許可する改革案を採択した。小規模農家が土地の使用権(請負経営権)を売買することを中国共産党が認めたことは、農民の所得増加や経済不平等の解消、持続可能な都市化の追求はもちろんのこと、究極的には100年近くつづいた都市と農村との分離現象を終熄させるためにも有効な措置といえるだろう。この土地改革措置につづいて発表された、鉄道建設および農村インフラ構築を中心とする6000億米ドル規模の景気浮揚策が中国の内需経済を刺激し、今年初旬の国内総生産(GDP)実質成長率はリーマン・ショック前の水準まで回復したのである。

土地改革措置は、基本的には胡錦濤主席をはじめとするポピュリスト・グループである共青団の意中を反映している。だがエリート主義者の陣営である太子党メンバーらもまた、この政策を支持している。ゼロサム型の派閥争いではない、政治的妥協と合意の形成こそが、中国の農村開発政策および景気浮揚対策を可能にした原動力として作用したわけである。

しかし、こうした中国の新エリート政治ゲームはまた、失敗の可能性をも内包している。経済状況に持続的な悪化が見られるようになれば、最高幹部間の派閥主義がコントロール不能を来たし、破局ないし露骨な反目につながる可能性も十分にある。上海万博以後の中国に浮上するであろう資源配分、公共医療システム、金融改革、エネルギー安保、政治秩序の維持、少数民族等の諸問題などをめぐり、すでに形づくられている深刻な見解の相違は、効率的な統治に必要な合意の形成をますます困難なものにするだろう。

2012年・「1つの党、2つの派閥」は共存できるか

もちろん中国指導部が完全に予測不可能な状況に陥る可能性は、2010年現在ではほとんどないと言ってもいいだろう。共青団派の政策影響力は今後3~4年間は太子党より優勢であり、またグローバル経済危機の余波が続くことで、中国指導部による経済への政府介入が増えると予想されるためである。

ただし2012年、太子党の習近平が胡錦濤主席の地位を継承した暁には、胡錦濤が江沢民を継承した当時のような「逆政策」という変化が発生する可能性は十分にある。指導部の権力移動とともに生まれるこの種の変化は、一つの派閥が過度な権力を振り回すことを防止できるときにのみ、そのカウンターパートとして健全な政治的躍動性を形づくる。派閥間の専門性、経歴、経験の差が、彼らに権力を維持するための「たがいに共存する方法」を探る必要性を、切実に悟らせるのである。

派閥の路線差にもかかわらず、彼らは結局のところ中国社会の安定と、国際舞台における中国の地位を強める、という共通の目標を持っている。中国が、1人の指導者によって意志決定が行われる独断的システムに慣れ親しんだ長い歴史を持っていることを考慮すると、「1つの党、2つの派閥」という最近の中国の「実験」は、中国共産党はもちろんのこと、中国人民にとっても重要な進展であることは間違いない。■