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舟橋・松山政治家親子の“悪の軌道”!
【学校乗っ取り=補助金不正受給疑惑】
看板問題=松山千恵子氏の「所有権主張完全放棄」のその後
トータルビューティカレッジ川越「旧校舎」より発見された
厚生大臣より松村東氏に渡されるべき、隠匿された「感謝状」が示す驚愕すべき事実!
トータルビューティカレッジ川越の「真の設立・設置人」松村東氏が、同校の前身である坂戸理容美容専門学校(旧・東京高等理容美容専門学校)の旧校舎に、自らが所有権者である旨を明記した看板をめぐる顛末は、本紙地方紙版3月号にてお伝えしたとおりである。事の経緯を簡単に振り返ると、
1;松村東氏が昨年7月20日、『坂戸理容美容専門学校』校舎に、自分が同校の設置・設立人であることを明記した看板を立てた。
2:すると9月29日、同校理事長兼校長を名乗る松山千恵子氏が「松村氏に看板をはずすよう、処分命令してくれ」と裁判所に訴えた(平成18年(ヨ)第72号・看板撤去等仮処分命令申立事件)。さいたま地裁により仮処分が確定。
3:そこで松村氏は逆に松山氏側を訴えた。 「冗談じゃない。もともと私の土地にあった学校を勝手に壊し、私のあずかり知らない建物(坂戸理容美容専門学校校舎)、すなわち妨害物を建てたのは、あなたたちの方ではないのか!」
4:松村氏のこの申立て((モ)3008号・保全異議申立書)は、先の仮処分命令と同様、さいたま地裁が受付。「クリーンハンドの原則」により仮処分命令が無効化。そして今年3月5日、松山氏側は先の「仮処分申立」を全面取り下げした。ここにおいて松山氏側は全面撤退を余儀なくされ、事件そのものが終了。
「看板をはずすか否か」に矮小化されたかに見えるこの事件、ポイントはいうまでもなく同校校舎の所有権が松村東氏側、あるいは松山千恵子氏側のどちらに存するか、にある。
松山氏側が自らの所有権を証明するために準備したもの(疎明方法)は事実上、公信力なき同校校舎の土地および建物の登記簿謄本のみ。松山氏側に所有権が移転した理由、すなわち「寄附」(昭42・11・22)とは、「準学校法人」東京高等理容美容専門学校設立に際し、寄附行為における「資産」として同校の土地建物が添付されたことを意味する。だが本紙がこれまで再三報じてきたとおり、法人設立の寄附行為には負債があってはならない。昭和42年11月の時点で、松村氏は同校建設費のうち約400万円が未払いだったのである(完済は翌年6月)。つまり寄附は不可能であり、したがって「法人」は無効である。松山氏側の「疎明方法」が公信力をもたない登記簿謄本であるのに対し、松村氏はこの「未払い金」をめぐり、公正証書と完済時の領収書という、公信力を有する2つの書類を、彼の「疎明方法」としてさいたま地裁に提示した。
松山氏側の「申立て全面取り下げ」……。この意味するところは、松山千恵子氏は、同校に対する所有権の主張を、完全に放棄したに等しいことにある。
松山氏側の申立全面取り下げののち、松村東氏は誰憚ることなく坂戸理容美容専門学校の校舎を、我がものとして立ち入ることが出来るようになった。もともと彼が私財を投じ、隣接する永源寺から購入した土地である。校舎建物こそ彼が建てた当初のものとは異なるとはいえ、学校の所有者が彼であることに変わりはない。松村氏は失われた過去を少しずつ取り戻すかのように、一昨年前より使用されなくなった同校校舎に立ち入った。そしてようやく手元に帰ってきたわが子を慈しむかのごとく、まずは丹念に掃除をはじめたのである。
彼が教鞭を執っていたはずの実習室には、松村東氏が「東京高等理容美容専門学校」時代に購入した理容椅子が3台、設置されていた。40年前、実習用設備として彼自身が購入し、壊されてしまった校舎に置かれていた理容椅子が、つい最近まで使われていたのだ。
会議室、職員室……。もはや使われなくなった各部屋のドアをあけると、収納スペースの中から、うち捨てられていた書類が多数、発見された。そのどれもが松村氏にとっては「貴重な一次資料」であった。見つかったのが帳簿をはじめ、学校運営に重要となる書類だったからだ。これらの書類は、トータルビューティカレッジ川越の新校舎に移転する際、その重要性が理解されないまま「過去の書類」として残置されていたものだ。
刃物を扱う理美容専門学校の校長として「専任し常駐しなければならない」はずの校長・松山千恵子氏は齢90歳を超えている。「引っ越し」の際に本人がここに現れ、書類持ち運びの不備を点検したとは到底思えない。そもそも松山氏は「旧・東京高等理容美容」時代からめったに学校には姿を現さず、また理美容師の資格もなければ、学校運営にもずぶの素人だったのだ。学校運営にとって何が重要書類なのか、など昔も今もわからないはずだ。そして一般職員は、よほど目に付くところに注意書きでもない限り、古色然とした紙束など、無用のゴミに見えたのだろうか。
だが松村氏には違った。理事の誰が、いくらの報酬を得ていたのかをはじめ、「でっちあげ強姦事件」で彼が同校を放逐されてからの「学校の実態」を雄弁に物語る、貴重な資料を手にしたのである。彼は集めた文書はみかん箱にぎっしり5箱分に達した。
その古い書類束の中に、松村東氏は驚嘆すべき一枚の書類を発見したのである。この書類のおかげで、昭和42年当時に松山千恵子氏が埼玉県に「提出したはずの」、同校の養成施設指定申請書の謎が、一挙に氷解したのだ。
解けた謎・その1
松山氏の養成施設指定申請書には
なぜ県の収受印・発送印がなかったのか?
それは埃まみれの書類の束に、まるで隠されたかのように差し込まれていた、一枚の「感謝状」だった……。

<発見された「感謝状」(クリックすると別ウインドウに拡大表示します)>
ここで少々、昭和42年2月の松山千恵子氏による「養成施設指定申請」をめぐる動きを簡単に振り返ってみる。
* 2月12日 松山千恵子名義による、同校を準学校法人とした、県知事あての「寄附行為認可申請書」および「「専門学校」設立認可申請書」が作成される。
* 2月20日 松山千恵子氏、本人を「設立代表者」とする、準学校法人の「養成施設指定申請」を埼玉県向けに作成。ただしこの文書には県の収受印もなく、文書番号も記載されておらず。また環境衛生課課長および補佐の決裁印もない。
* 2月21日 県知事、同校の「養成施設指定申請」進達書を厚生省向けに作成。
ただしこの文書には学事課による発送印はなく、また知事名義の文書であるにも関わらず知事印もない。しかも驚くべきことに、県はこの文書を厚生省に発送したように細工している。
養成施設指定申請書は本来、県(受任庁)がいったん収受し、入念なチェックのすえに、承認権限を持つ旧厚生省(委任庁)に進達される。しかし松山千恵子氏の「養成施設指定申請書」は、県の収受印も、厚生省への進達の際に捺印されるべき発送印も、文書番号も上級職員の決裁印すらも不備という、とても公文書の体をなしているとは思えない……はっきりいえば単なる紙切れであったことは既報の通りだ。
だが、そうした「養成施設指定申請」とタイトルされた紙切れの束こそが、厚生省環境衛生局が松山千恵子に対し、昭和42年4月10日付けで法人として「養成施設指定」を承認したとする、材料となっていたのだった。
しかし、である。感謝状の文面を、目を凝らしてご覧いただきたい。感謝状が贈られたのは「東京高等理容美容専門学校」。「準学校法人」とはどこにも書かれていない。当時の田中正巳厚生大臣の署名による文書である。もしこの感謝状が「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に贈られたものなら、校名に付くはずの「準学校法人」を省くことなど、絶対にない。
この感謝状が雄弁に物語るのはひとつの事実……つまり、すくなくともこの感謝状が発行された昭和50年当時、厚生省のトップ(厚生大臣)の認識は、「東京高等理容美容専門学校は実際に存在している」というものだった、ということだ。
松山千恵子氏は、まだ認可も受けず、登記もしていない「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対する養成施設指定申請書を埼玉県に提出(昭42・2・20)。県は「翌日」、この指定申請書を厚生省に進達したことになっている。だが先にも述べたとおり、文書には公印という「埼玉県の痕跡」が、何一つ残されていない。
養成施設指定承認は埼玉県を経由し厚生大臣に進達される。だが「経由地」である埼玉県が、これを受け取った形跡も、厚生大臣に進達した形跡も、何一つ残していないのだ。
いっぽう松村氏の養成施設指定申請が却下された(昭42・2・9)のは既報の通り。情報公開条例施行後に判明したことだが、当時の厚生大臣・坊秀夫は埼玉県知事・栗原浩と電話で、却下理由を模索していた。その結果、捏造された理由が「法人運営費が総予算に比して多すぎる」というものだったのだ。松村氏は個人設置・各種学校として指定申請を出したにもかかわらず、である。
- 松山千恵子氏の「準学校法人」に対する指定申請→県(受任庁)の経由痕跡なし。
- 松村氏の「個人設置・各種学校」に対する指定申請→法人として却下。
これだけでも胡散臭さ全開なのだが、問題は厚生省が「東京高等理容美容専門学校」という名称の「養成施設指定対象」を、すでに「法人」として一度却下してしまったことだ。だから、松山千恵子氏が「準学校法人東京高等理容美容専門学校」と、名称の頭に「準学校法人」だけを付けた「インチキ・コピー学校」に対する養成施設指定を申請してきても……その文書を埼玉県が収受し、審査し、進達し……厚生省がこれを収受する、という一連の痕跡を残すわけにはいかなかった。すべての経由プロセスを省略し、厚生省が一方的に「承認」を埼玉県に通知し、埼玉県がこれを収受することで、その前提にあるはずの、松山千恵子氏の「申請」と県の「進達」を、既成事実化したのである。
だが厚生省側にも、「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対する養成施設指定承認などという、こんなインチキな記録を残すわけにはいかない。したがって、
- 厚生大臣・坊秀夫、「東京高等理容美容専門学校」への指定承認を法人として却下
- 同時に「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対し指定承認。
- 厚生大臣坊秀夫(ないし当時の厚生省トップ)、指定承認はあくまで「法人ではない、個人設置・各種学校の『東京高等理容美容専門学校』」へのものとして申し送り……。
こんな恐るべき過程が、この1枚の「感謝状」から窺えるのだ。しかもこの感謝状、その理由の一つとして「理容師美容師養成制度発足」に同校が貢献したことを明記しているのだ。
明らかに昭和50年当時の厚生省にとって、同省が昭和42年に養成施設指定承認を「与えたと認識していた」のは、「東京高等理容美容専門学校」に対してであり、「準学校法人〜」ではなかったのだ。
「準学校法人〜」に対する指定申請と承認は、県と厚生省が画策した、薄汚い隠密工作だった。後の厚生省トップは、そんな工作などつゆ知らず、松村氏の個人設置・各種学校に対して感謝状を贈ったのである。
解けた謎・その2
新築の校舎はなぜ10年で壊されなければならなかったのか?
この感謝状は、同時に次の疑問にも答えてくれる。つまり「松村氏が新築した校舎は、なぜ約10年で取り壊されなければなかったのか」という謎だ。
松村氏が東京高等理容美容専門学校校舎を建設し終え、落成式を迎えたのは昭和41年12月12日。当然ながらその間、県が何度も足を運び中間検査を実施、学校として使用するに何の問題もないことを確認している(確認番号第2880号文書)。鉄筋コンクリートの立派な建物であった。耐久年数はおよそ50年。本来なら、平成19年の現在でも使用可能な建物だった。
だが昭和54年、50年持つはずだったこの建物は松村氏に無断で壊され、現在の坂戸理容美容専門学校校舎として新たに立て直された。松村氏は昭和46年、「でっち上げ強姦事件」(後に誣告罪が成立、松村氏無罪)の余波により自らの学校から放逐され、同校の運営に関与できなくなってしまった以後のことである。
ここでもう一度、感謝状の日付を確認していただきたい。昭和50年3月14日となっている。松村氏を追い出した松山千恵子氏ら「準学校法人〜」経営陣には、さぞ寝耳に水の衝撃だっただろう。松村東氏をまんまと放逐し、完全に「乗っ取り成功」となったはずの学校が、実は厚生省側には「個人設置の各種学校」と認知されていた……という事実が、この感謝状が送付されてきたことで一目瞭然となったからだ。
想像していただきたい。読者がもし松山千恵子氏だったら、どうするだろう?元厚生政務次官としての持ち前の力をフルに発揮して、厚生省側に感謝状の送り先を変更してもらうよう要請するだろうか?そんなことをすれば、昭和50年当時の厚生省の役人がすべてをチェックし、8年前の「準学校法人〜」に対する、不可解な養成施設指定承認の経緯をほじくり返してしまうだろう。繰り返すが「準学校法人〜」に対する養成施設指定承認は、あくまで当時の厚生大臣・坊秀夫が「承認しました」という既成事実をつくることで、その前提にあったはずの過程をすべて「クリアしたこと」にして、済ませているものなのだ。
ではどうするか。感謝状の送り先は「東京高等理容美容専門学校」である。しかし「松村東」の氏名はどこにもない。あくまで個人設置・各種学校の同校に対するものなのだ。
ならば……。ここからは推測だが、松山氏らは同校から「松村東色」を一掃することを思い立ったに違いないのだ。松村東氏の校舎を取り壊し、新校舎を建設すると同時に、「準学校法人」の名称を変更することだ。そうして同校の上っ面の過去をどんどん裁ち切り、松村東氏の影も形もない学校に変えてしまうことだった。
そうでなければなぜ、約50年の耐久年数を持つ鉄筋コンクリートの校舎を、わずか12年で建て替える必要があったのだろうか。さらに、開校から12年経ち、卒業生たちもすでに社会の第一線で活躍するようになった時期である。理美容業界からも認知された、由緒ある「東京高等理容美容専門学校」の名称……しかも首都圏・東京という広域エリアを冠した、いわば「見た目のいい」有利な校名を、なぜローカル色濃厚な「坂戸理容美容専門学校」に変更する必要があったのか。
すべては松村東色の一掃、そして「養成施設指定承認が下されたはずの学校(旧校舎)はもはや存在しない」状況を作り上げるためだった、としか思えないではないか。過去記事でも何度も触れたが、松山千恵子氏は自らの「養成施設指定申請書」に、松村東氏の校舎の図面、建築確認証等を盗用している。そうした「盗用した図面」、指定承認が下された先にあった、物理的に存在していたものを、松山氏らは可能な限り改変したのである。
だがいうまでもなく同校の法人設立認可、そして登記の発端は「準学校法人東京高等理容美容専門学校」である。法人名をいくら変更しようとも、必ずスタート時点で「準学校法人東京高等理容美容専門学校」が姿を現す。そしてこの法人こそが、違法に認可された「無効な法人」であることは、本紙がこれまで再三にわたり詳述してきたとおりだ。
チンピラ3人組の闖入
「こら、松村呼んでこい!俺たちは川越の専門学校、学校法人の者だ!」
感謝状をはじめとする、おびただしい重要書類の束を発見した松村東氏。彼はその後も足繁く同校校舎に足を運び、隅々を丁寧に掃除した。彼の家族も手伝った。
そんなときである。3月10日午前11時。家族とともに会議室を清掃していた松村氏の耳に、おかしな叫び声が聞こえた。どうやら校舎の外から響いてくるようだ。
この日、校舎入り口ではちいさな工事が行われていた。鉄の扉が老朽化し危険なため、松村氏が依頼した職人2名がアコーディオンカーテンへの取り替え作業を行っていた。そのさなかの出来事であった。
おかしな声に気づいて松村氏は会議室の窓を開けた。やはり人の怒鳴り声である。「なんだか様子がおかしい」と氏の家族が外を見に行くと、チンピラ風袋の男が3人、校門の中に入ってくるところだった。そのうち1名は、赤いジャンパーを着用していた。
チンピラ3人組は鉄の扉の取り替え工事を行っていた職人2名に「そんな工事、すぐにやめろ。松村を呼んでこい」と怒鳴りながら、校舎に入ってきた。職人たちは彼らを無視し、黙って工事を続けている。
「てめえら、こんなものを作ってもすぐぶっ壊してやる!松村呼んでこい!!」
その様子を目撃した松村氏の家族が会議室に戻り、氏に報告した。
「ああそうですか、じゃあ行ってきましょう」
松村氏はこのとき背広姿ではなく、掃除用のジャンパーを着用していた。松村氏が廊下に出ると、2メートル先から3名のチンピラが声をかけた。松村氏がジャンパー姿だったので、清掃業者だと勘違いしたのだろうか。
「てめえは何だ?」 チンピラの1人が松村氏に怒鳴った。
松村氏は彼らに黙って近づき、冷静に話しかけた。
「あなたたちは弁護士さんですか?わたしが松村東ですけど」
チンピラたちは一瞬、黙った。松村氏は続けた。
「あなたたちは何の権限があって『工事をやめろ』だとか『松村を呼べ』と怒鳴っているのですか。まずはご自分の身分を明らかにしてください。ここは学校ですよ」
すると3人のチンピラは、こう言い放ったのである。
「俺たちは川越の専門学校の、学校法人の者だ!」
「では、それを明らかにするためにあなたの名刺なり、あなたの所属を確認できる電話番号なりを教えてください」
松村氏がそう問いかけると、彼らは再び口をつぐんだ。短い沈黙が長く感じられた。
「どうやらお答えがなさそうですね」 静寂を破り、松村氏は一気に続けた。
「あなたがたの発言、うちの職人さんに工事をやめろだとか、ぶっ壊すとかの脅迫・強要発言を、わたしはいま、この場でしっかり確認させていただきました。さらに、あなたたちはいま、私の学校の敷地内に無断で侵入しています。住居不法侵入に該当しますね。いまから3回注意しますから、3回で出て行かなければ警察に通報しますよ。では行きます。直ちにこの場から立ち去りなさい。1回目ですね。ただちにこの場から……」
松村氏が繰り返す都度、3人はじりじりと後ずさりしはじめた。
退去命令を3回繰り返した松村氏は、3人を見据えたまま、大声で背後の家族に命じた。
「カメラを持ってきなさい。この人たちの写真を撮るから」
するとチンピラらは、さっと逃げ出した。家族に手渡されたカメラを握りしめ、松村氏が後を追う。逃げ腰のチンピラたちは、振り返りながら捨て台詞の吐いた。
「そんなこと言ったって、もうこっちは110番しているからな。おまえらは逮捕されるぞ」
松村氏は一瞬、わけがわからなくなった。怒鳴りながら不法侵入してきたのは彼らの方なのだ。その彼らが「110番通報した」とは、何を言っているのか。
松村氏が校舎沿いの大通りまで追いかける。チンピラたちはすたすたと逃げる。赤いジャンパーの男など、大急ぎで道路の反対側に逃げた。
確かに彼らは110番通報した……いや、通報してから学校に侵入してきたのだろう。すぐにパトカーとバイク等で、警察官が4名やってきた。そのうち坂戸駅前の交番に勤務する巡査は「看板事件」等を含め、松村東氏をよく知っている。
「松村さん、何があったんです?いまここで、どういうことがあったのか教えていただけませんか」
彼はチンピラがやってきた正確な時間等を含め、さきほどの彼らとのやりとりを復唱した。
「早い話、チンピラが脅しに来たようなもんですね。松村さんわかりました。いまあっちで彼らに話を聞いているので、こちらにも刑事さんがきます」
目を転じると、どうやら別の警官が、すたすた逃げようとしていたチンピラを捕まえていた。ややあって西入間警察署の私服刑事2人が到着した。刑事らを校舎事務所へ案内し、先ほど巡査に説明した話を繰り返した。
「松村さんわかりました。もう結構です。外で彼らにも話を聞いてきます」
12時を迎えていた。彼も家族も、職人たちもみな空腹だった。
チンピラ3人組を尋問していた警官は手を焼いたのか、彼らのいう「専門学校」の人間を現場に呼んだようだ。急行してきたらしい男女2名が警察官に説明している様子を、松村氏は遠くから確認した。おそらくはトータルビューティカレッジ川越の職員だろう。
家族を車に乗せ昼食に向かおうとした松村氏に、駅前交番の巡査が声をかけた。
「松村さん、あとでさっきの刑事さんが(3人の)名前や住所を連絡するよ。学校の鍵は締めておいてほしい。あとは私たちがしっかりパトロールするから」
「わかりました。お願いします。あの3人の不法侵入は私の家族や職人たち全員が見ていたのです。現行犯逮捕していただきたい」
だがこの事件の後、松村氏が西入間警察署に問い合わせたところ、警察は3名を逮捕しなかったことが確認された。警察側としても、チンピラ3人組の行動について、逮捕拘留すべき理由が見つからなかったに違いない。自ら110番通報し、松村氏の退去命令に従ってはいるのだから。しかし「学校法人の者だ!」と名乗った彼らは、いったい何者なのか。誰に依頼され、何を目的として松村氏を脅しに来たのか。警察はその裏を、しっかりと掌握しているはずだ。
本紙の取材に松村氏は語る。
「おそらく小さな事件だったため、泳がせているのではないでしょうか。というのも、今回あの校舎に残されていた書類の束から、もっと重要なことが続々と判明したからです。補助金の不正受給額……時効を迎えていない分の総額も数千万に達することがわかりましたし。理事ら役員がいくらの報酬を得ていたのかも、これから書類をひもとくことで明らかになります」
松村氏は傍らに置かれた5つの段ボール箱を指さしながら、自信に満ちた表情でそう述べた。現時点ではまだ報じることができないのだが、彼はこれら貴重な一次資料に基づいて、すでにしかるべき行動を起こしている。
学校乗っ取り行為、インチキ学校法人設立、補助金等不正受給、申請書類の盗用、虚偽、捏造、名誉毀損……。舟橋功一川越市長(弁護士)、松山千恵子元厚生政務次官。この親子は、これでも本当に政治家と言えるのか。政治家を装う、ただの汚い悪党ではないのか。舟橋功一氏の「現役市長」という立場、その虚飾、その口のうまさに騙され、媚びへつらい踊っている人々に待っているのは、政治家親子に対する厳しい法の裁きであることを、本紙は警告する。
松村東氏の半生を潰し、全財産であった彼の学校を乗っ取り、さらに汚い手段で松村氏を学校から追い出した……。彼に40年にもわたる苦渋を与え続けた舟橋・松山親子の罪のあくどさに、本紙はあらためて震撼とした。
行政調査新聞は、ターゲットとするテーマに対し労をいとわず、可能な限りの時間とエネルギーをかけ、公文書等の「一次資料」にあたりつつ調査する。当事者の証言も同様に、可能な限りチェックする。憶測や大胆な推測を込める部分は本文中に「憶測」と明記する。
我々は、嘘は書かない。■
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