東京高等理容美容専門学校乗っ取り事件
爆弾資料・学校設置認可「起案書」を全文公開
県は「松村東」を、このまま見殺しにしてはならない!
本記事にて公開する「起案書」は、先に本紙が発表した「認可なき理容・美容専門学校トータルビューティカレッジ川越 学校乗っ取り事件の全容」レポートの、いわば締めくくりにあたる。
本紙は1年9ヶ月にわたり、「東京高等理容美容専門学校乗っ取り事件」に取り組んできた。さまざまな行政犯罪を見てきた我々にとってもなお、実に嘆かわしい、憎んでもあまりある犯罪であった。名もなき庶民はこうして権力者に食われていくのかを、まざまざと見せつけられたケースだった。
しかもこの犯罪は現在も継続中だ。セピア色の話では決してない。
これまでの間、本紙には読者からのご声援を数多く戴いた。また相当数の自治体職員とおぼしき方々からの声援に、本紙は奮起した。松村東氏本人への度重なる取材、また彼とともに厚労省、埼玉県庁を訪れ、彼がこれまで孤軍奮闘してきた長き苦渋の歳月を、わずかながらも共有してきた。この「東京高等理容美容専門学校乗っ取り」に関してわれわれは、やがて後続するかもしれない大手マスメディアでさえ決して踏み込むことのできない、事件の深奥までに踏み込んだ。
こうした取材活動を敢行できたのも、ひとえに読者諸氏からいただいた、数多くの励ましの声に支えられてのことであった。
この場を借りて心から御礼申し上げます。
上田知事、県職員は何と答えるのだ?
こんなものが通用するなら、埼玉県は無法地帯だ!
「こんな馬鹿な話があるものか。まるで犯罪の記録そのものではないか!」
この「起案書」を初めて眼にしたとき、本紙は思わず息を呑んだ。松山千恵子氏らの「学校乗っ取り」に際し、埼玉県が全面的に協力した事実が明らかになったのだ。
もはや現埼玉県庁舎内の誰も、当時の県職員らの行為を「間違い」「書類の不備」などとかばうことはできない。これは同校乗っ取り事件を追及する側にとっては、重爆弾に匹敵する文書である。
「起案書」の意味は、文字通り「案を起てる」文書。
案の内容は「4月に開校した、あの『東京高等理容美容専門学校』に、そろそろ学校として認可をあげたほうが宜しいのでは?」というもの。起案者は県学事課。認可権限を持つ知事をはじめ県首脳部に向けて、お伺いを立てているのだ。
学校開校をとっくに過ぎた、夏休み前になってから、である!
学校が開校し、学生たちがすでに勉強や実習を始めているその最中……そろそろ夏休みが始まろうとしている7月になってはじめて、県の学事課が「あの学校の『設置認可』をどうしましょうか。そろそろ認可してもいいんじゃないでしょうか?」などと、県首脳部にお伺いを立てているのだ。
この「お伺い」に総務部トップらが「おお、そうだそうだ。やれやれ。知事に起案しろ」とこぞって決済印を捺す。
その結果この学校は、何と9月になってから「学校設置認可」を得ているのである。
さらに、この名ばかりの「準学校法人」は、10月になって初めて「法人」として登記されたのだ。
まさに、滅茶苦茶。学校教育法も施行規則も何もない。「トータルビューティカレッジ川越」とは、無法の限りをつくして設置された「アウトロー学校」である。
一体この日本のどこの自治体、どこの県が、こんな「学校設置認可」を行っているというのだ??そんな自治体をご存じの読者は、どうか本紙にメールで連絡してほしい。どこの自治体が、「学校開校後」の何ヶ月も後になって「設置認可」を下ろすのか。
埼玉県は、絶対やってはいけない「学校設置認可」を、絶対やってはいけない相手に対して行ったのだ。
その相手とは、学校を建ててもいない、所有してもいない、学校とはまるで無関係の元代議士・松山千恵子氏である。
松山氏が当時持っていた「大いなる政治権力」以外に、こんな馬鹿げた学校設置認可を県が行う理由は何一つない。
その克明な記録こそが、ここで取り上げる「起案書」である。
* * *
松村東氏は平成18年3月28日、「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の学校設置認可書一式に対し情報公開条例に基づいて開示請求を行った。
「準学校法人東京高等理容美容専門学校」とは、言うまでもなく現「トータルビューティカレッジ川越」の前身にあたる学校だ。
松村氏の請求の結果、県から文書一式が開示された。そこには、驚くべき書類が含まれていたのである。
「準学校法人東京高等理容美容専門学校」が法的に無効であることを歴然と示す、複数の書類である。この一連の書類を、ここでは単に「起案書」と呼ぶ。
この起案書には、埼玉県による犯罪行為が生々しく記録されている。県が、自らの首を絞めるようなこの起案書を松村東氏に開示した理由は定かではない。本来なら開示されるはずのない40年前の文書が、内容をきちんと把握しない現在の県職員がうかつにも開示してしまったのか否かは不明である。というのもこの起案書は県庁舎内に眠っていたはずの、いわば機密ともいうべき文書だからである。
この起案書がどのような決定的意味を持つのかについて、ここで少し解説を試みる。
松村東氏の「学校設置認可」は県により省略された
学校設置認可とは本来、同校が開校するにあたり必要不可欠な手続である。学校の「設置者」が埼玉県に対し学校設置認可申請を提出し、県がこれを認可することで初めて同校は法的に認められた「学校」となる。
松村東氏は「東京高等理容美容専門学校」を、昭和40〜41年当時の埼玉県の指導により、通常ではあり得ない手順で設置した。本来ならば「養成施設指定承認」があり、ついで「学校設置認可」を得てはじめて建てられるべき学校を、こうした手順を踏まえることなく、県の指導により先に物理的に建ててしまった……つまり「学校設置認可」は必要なかったのである。
松山千恵子氏の「準学校法人東京高等理容美容専門学校」が本来、開校に至るまでに踏まえるべき手続、必要な手続の形を確認したい。
まず、この学校は理容師・美容師を養成する目的で設置された学校である。理容師・美容師とは国家資格であり、ライセンスをもつ免許業者である。したがってこの学校は、国家資格の取得を目的とする養成施設、ということになる。
そのためにはまず、同校は「理容師・美容師の養成施設」として指定承認されなければならない。養成施設指定承認を下すのは厚労省(旧厚生省)である。
養成施設指定承認が完了したら、同校は埼玉県に対し学校設置認可申請を提出。認可がおりてはじめて、土地(校地)、建物(校舎)が物理的に備えられる。こうして同校は学生を受け入れ(開校)、国家資格取得のための教育を行うことができる。
「設置認可」があってはじめて「設置する」……というのが、当然の流れである。そしてこれらの手続は、学校の開校日前にすべて完了していなければならない。
だが実際には、松山千恵子氏の「準学校法人東京高等理容美容専門学校」は、この手順をまったく踏まえていない。
なぜなら学校を設置したのは松山千恵子氏ではなく、松村東氏だからである。
松村東氏は、昭和40〜41年当時の埼玉県の指導により、通常の手続きとはまったく異なる順番で学校を設置したのである。

なぜこのような、変則的ともいえる手順で学校設置に至ったのかについては、先に本紙が作成し公開した「認可なき理容・美容専門学校トータルビューティカレッジ川越 学校乗っ取り事件の全容レポート」にてご理解いただけよう。
ここで重要なことは、「先に学校を建設したのが、県の指導によるものであった」ということだ。当時の埼玉県は「学校設置までの通常の手順」を完全に無視し、松村氏にまず「学校を建てること」を勧めた。そのため松村氏が「東京高等理容美容専門学校」を作るにあたって最初に始めたことは昭和41年8月30日、東京の建設業者である(株)松本建設と建設契約を結んだことだった。
学校を建設しながら、これと並行して松村氏は「理容師美容師養成施設指定申請」を県経由で厚生省に提出している。そして埼玉県は、まさに建てられつつある学校に対し「中間検査」(昭和41年11月25日)を行い、理容師美容師養成施設用の学校として法的に適合していることを証明する「確認通知書」を同日付で交付している。
つまり、松村氏の「東京高等理容美容専門学校」に限って言えば、県の「学校設置認可」は必要なかったのだ。
「県の勧めと行政指導により」松村氏は学校の土地を購入し、建設を開始したからである。学校の建設計画を県に提出し認可を得る、という作業は、松村氏の場合に限って省略されたのだ。
だがいくら「学校設置」に問題がなかったとはいえ、「養成施設指定承認」は必要である。これがなければ学校は高価なただの箱。国家資格取得を目的として学生を教えることも、学生を募集することもできない。そのため松村氏は、学校建設中である昭和41年10月18日(先の「中間検査」の前)、「理容師美容師養成施設指定申請」を県経由で厚生省に提出した。
この養成施設指定申請がのち、松山千恵子氏とそのグループの「工作」により却下されることとなるのは、これまで本紙がお伝えしてきたとおりである。
「乗っ取り」に絶対必要だった「学校設置認可」
厚生省は松村氏に対し「養成施設指定承認」を却下。しかし松山千恵子氏に対しては承認した。そして松山氏は「東京高等理容美容専門学校」を、松村東氏に無断で法人申請し「準学校法人」としての開校を画策した……。
ここで松山千恵子氏らに足りなかったもの、絶対に必要だったものとは、埼玉県の「学校設置認可」だったのだ。
県は「先に学校を建てている最中の」松村氏に確認通知書を、さらに4月17日(開校日前日)には、完成した学校建物に対する「検査済証」を交付している。したがってこの「学校」に対し、県学事課は設置認可を下さず、その必要もなかった。
それどころかむしろ、認可という手続き自体を取るわけにもいかなかったはずだ。先に学校を建てている最中、あるいは建設後に設置認可を下ろすという行為は、本来の「認可」ではないからだ。
だがこの「設置後の認可」という作業が、実際には行われていたのである。それは松村東氏に対してではない。繰り返すが松村氏には、学校設置認可は必要なかった。設置認可が下ろされたのは、松山千恵子氏に対してであった。
松村氏が建てた「個人設置・各種学校」である同校を、松山千恵子氏は勝手に「準学校法人東京高等理容美容専門学校」として法人申請し、学校をまるごと乗っ取ったことは、これまで縷々説明してきたとおり。だが法人申請に先だって、同校は「学校設置認可」を受けていなければならない。
松山千恵子氏が松村東氏と同じ方法で、つまり個人設置・各種学校として「先に作ってしまった学校」を持っており、松村氏と同様に個人設置・各種学校として開校しようとしたならば話は別だ。だが政治家である松山氏は事実、学校を所有してもいなければ、建てたこともない。
そして松山千恵子氏は、同校の「法人化」を企図した。
法人申請するには、寄附行為の添付が必要だ。当然ながら、「養成施設指定承認」、「学校設置認可」そして「(負債のない)校舎校地、その他資産」の3点セットがなければならない。
松山千恵子氏は何が何でも「学校設置認可」を受けなければならなかった。そうしなければ、法人申請はできないからである。
松山千恵子氏に「学校設置認可」を与えた
県による犯罪の生々しい記録
今回、埼玉県から開示された「起案書」は、県が学校開校日以後に松山千恵子氏に対し「学校設置認可」を与えた、おぞましい犯罪の記録というべきものである。県が松山氏の「学校乗っ取り」に荷担したというのが憶測ではなく事実であることを、この公文書は明らかにしている。
| 「起案書」時系列表(敬称略) |
| 2月12日 |
松山千恵子が県に提出した「設置認可申請書」(誓約書含む)に
松山氏自身が付した日付
(県による収受印、学事課課長・補佐の決裁印なし) |
| 4月12日 |
設置認可申請書を県が収受(収受印あり) |
| 4月18日 |
名称「東京高等理容美容専門学校」開校日 |
| 4月19日 |
埼玉県私立学校審議会開催 |
| 4月20日 |
私立学校審議会、同校の設置認可を答申 |
| 7月3日 |
設置認可について学事課が県トップに「伺い」(起案書) |
| 9月11日 |
同校の設置認可を通知(県総務部長から)
この認可は「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対して
行われている。
「法人」に対し、後から「設置認可」したもの。 |
| 10月4日 |
「法人」が成立(登記)。 |
まず「起案書」が含まれた、11ページの書類一式をひとつひとつ見てみよう。
1ページ 「公文書部分開示決定通知書」
(↑クリックすると別窓が開きます。以下同様)
松村東氏が平成18年3月28日、埼玉県へ「準学校法人東京高等理容美容専門学校」設置認可書一式の情報開示請求を行ったことに対し埼玉県学事課が同年4月14日、部分的に開示したことを示すもの。このページの次からが「設置認可書一式」の内容となる。
2ページ 松山千恵子氏が県に提出した「学校設置認可申請書」
3ページ 「誓約書」
松山千恵子氏本人が手書きしたもの。日付をみればわかるとおり、これらの文書は昭和42年2月12日に県に提出したことになっている。
だが「学校設置認可申請書」には著しい不備がある。一つは県学事課による収受印が捺されていないこと。もう一つは文書左上にある決裁欄において、課長と補佐という最も責任ある立場の職員2名による決裁印が捺されていないことである。
つまりこの文書から、次の事実が読み取れる。
- 県はこの文書を、少なくともこの日付の時点では「正式には」収受していない
- 学事課で最も権限のある職員2名は、この文書を決裁することによって生じる責任を回避した
3ページ目の「誓約書」については、次の一文を記憶する必要がある。
「この申請書に虚偽の事項があったときは、認可申請書を取り下げ、又は認可取消等の処分をうけても異存はありません」
虚偽が認められたら取消処分を受けても異存なし、と松山千恵子氏は誓約している。つまりこの「学校乗っ取り事件」とは、たとえば裁判で解決するような類の問題ではないことが、この一文で明白なのだ。
4ページ 東京高等理容美容専門学校設置認可についての「伺い」(起案書)
昭和42年7月3日作成(起案)。起案者は埼玉県文書学事課学事係の武井氏。起案先は知事、副知事、出納長であり、この起案書を総務部長、文書学事課長、課長補佐、学事係長、庶務係長、そして主事が決裁し捺印している。
「学校設置認可申請」には決済印を捺さなかった課長および補佐が、ここでは捺印しているのである。その理由は簡単だ。課長および補佐より上位の役職である総務部長が捺印しているからだ。彼らには「決裁印を捺さないことで責任回避」を図る必要がなかったのである。
画像では本文が読みづらいため、ここに原文書のうち「伺い」本文を採録する。
(伺い)
東京高等理容美容専門学校設置認可について
このことについては昭和42年4月12日付けで別添のとおり設置認可の申請がありましたので実態を調査した結果、設置基準に合致しているので4月19日開催の私立学校審議会に諮問したところ認可するよう答申がありましたので別紙案のとおり認可してよろしいか伺います。
この「伺い」によれば、すでに約2ヶ月半前である4月19日(学校開校日の翌日)に開催された「私立学校審議会」において、同校に学校設置認可を与えるよう答申があったとされている(「私立学校審議会」については後述する)。
それを踏まえて文書学事課学事係の武井氏は「もうそろそろ認可してもよろしいですよね?認可のお願いをトップに出したいのですが、皆さんよろしいですか?」との案を起て、この案に「そうだそうだ。起案したまえ」と、総務部長以下6名がこぞって決裁印を捺し、この文書が知事をはじめ県首脳部に送られたのである。
このとき誰も「学校開校後に設置認可とは何事だ?」と問題視しなかったことは注目に値する。むしろ「結論」は先に決まっていたと考えるべきだろう。
5ページ 東京高等理容美容専門学校の認可について(通知)
9月11日、総務部長が「準学校法人東京高等理容美容専門学校 設立代表者松山千恵子」宛てに通知した「東京高等理容美容専門学校」の認可通知書。
(11ページの「認可書」と1セットの文書)
留意すべき点として、総務部長は、
- 「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の設立代表者・松山千恵子氏に対し
- 「東京高等理容美容専門学校」の設置認可を
通知していることである。
さらにこの日、松山氏に対し県知事は法人の「寄附行為」を認可しているのだ。
つまり「準学校法人東京高等理容美容専門学校」とは、
- 「東京高等理容美容専門学校」として設置認可された日付
- 「準学校法人東京高等理容美容専門学校」として寄附行為認可された日付
が同じ9月11日という、法人設立要件も何も無視した形で「認可」された、違法な学校なのである。
以下に原文をなるべく忠実に採録する。
(案)
文第721号
昭和42年9月11日
準学校法人東京高等理容美容専門学校
設立代表者 松山千恵子 殿
埼玉県総務部長(捺印)
東京高等理容美容専門学校の認可について(通知)
昭和42年4月12日付けで申請のあった標記のことについては別紙指令書のとおり認可されましたので通知いたします。
なお学校の運営については、関係法令を十分熟知し、遺憾のないよう願うとともに下記事項に留意して下さい。
記
1.認可年月日を確実にしておいて下さい
2.市役所及び所管の税務署へ届けておいて下さい
3.学校としての諸帳簿を整えておいて下さい
4.申請書に記載された採用予定教職員については正式採用後必ず届出て下さい
5.校舎、園舎及び敷地は保存登記を速やかに行い、謄本を一部提出して下さい
6.私立学校共済組合に関することを処理して下さい。 23字抹消 1字訂正
その他不明の点は文書学事課にお問い合わせ下さい |
6ページ 理容師養成施設指定承認書
7ページ 美容師養成施設指定承認書
松山千恵子氏は2月20日、本人を設立代表者とする「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の「理容師美容師養成施設指定申請書」を埼玉県向けに作成した。
「養成施設指定承認書」は埼玉県の審査を経て、県経由で厚生省へと進達されるものである。
だがこの「指定申請書」には県の収受印が捺されていないことはもちろん、決裁印も、文書番号すらないもの。つまり「松山千恵子氏が手書きした、ただの紙切れ」に過ぎないものだった。
この「ただの紙切れ」を県経由で厚生省が受け取り、さらには養成施設として指定承認した書類が、この2枚の文書である(「理容師養成施設」と「美容師養成施設」の2枚組)。
8ページ 第1回私立学校審議会の結果について(答申) - 1
9ページ 第1回私立学校審議会の結果について(答申) - 2
4月20日に作成された、「第1回私立学校審議会の結果について(答申)」。作成者は埼玉県私立学校審議会である。
「私立学校審議会」とは、私立学校法(昭和24年制定)に基づく知事の諮問機関である。埼玉県私立学校審議会は昭和25年に埼玉県知事の諮問機関として設置された。
私立学校の設置および廃止認可の権限は県知事が持っている。
この法律では、県知事は私立学校の設置認可や廃止認可等の事項について、行政の適正を期すために、あらかじめ私立学校審議会の意見を聴かなければならないことを規定している。埼玉県知事は、私立学校審議会の答申を受け、その意見を尊重しながら認可の可否を判断することになる。
4月19日、すなわち「東京高等理容美容専門学校」開校の翌日、第1回私立学校審議会が行われた。
この審議会での議題は、埼玉県にある6つの私立学校に関する認可を審議することであり、それぞれ第1号〜第6号議案までが記されている。
文書画像に明らかなとおり、第1号議案には、次のように記されている。
第1号議案
準学校法人東京高等理容美容専門学校寄附行為認可及び
東京高等理容美容専門学校設置認可の件
認可するよう答申する。
ここでも「準学校法人東京高等理容美容専門学校」と「東京高等理容美容専門学校」が分けられて書かれていること、そしてこれら2つの議案が同時に処理されていることに留意願いたい。
繰り返すが「東京高等理容美容専門学校」の設置者は松村東氏であり、設置認可は必要なかったのである。同校に対し「学校設置認可」を必要としていたのは、法人化を画策していた松山千恵子氏に他ならない。そして「学校設置認可」と法人申請の「寄附行為」とが、学校開校の翌日に審議会の議案として審議され、「認可するよう答申」されているのだ。
これは単なる書類上の表記ミスでも、不備でもない。松村氏の学校は氏に対する「養成施設指定承認却下」より早い時期、昭和42年のかなり早い段階……正確には松山千恵子氏が「法人化乗っ取り」の行動を最初に示した2月7日(偽決議録作成日)以前から、すでに「法人として認可」されるよう仕組まれていたのである。
10ページ 設置認可申請書
「学校設置認可書一式」2ページ目にある、松山千恵子氏の「学校設置認可申請書」が昭和42年2月12日に作成されたものの、県がこの書類を受け取ったことを示す「収受印」が捺されていないことを記した。
だが10ページ目に見える、この「学校設置認可申請書」には、昭和42年4月12日の収受印が捺されている。
これは一体どうしたことだろう。
通常、決裁を要する重要書類については、決裁欄はその文書のトップ……すなわち最初のページの、冒頭に配置される。収受印も同様である。複数のページからなる文書一式を県が公式に受け取った場合、収受印を「扉のページではなく、中間のどこかのページに」さりげなく捺印する、などということは常識的に考えられないことだ。
収受印とは、収受した文書のトップに捺されるものである。
ここで一連の「学校設置認可書一式」の2ページ目、3ページ目の「誓約書」、そして10ページ目の「認可申請書」をもう一度比較しながらご覧いただきたい。
2ページ目の「認可申請書」と、10ページ目の「認可申請書」とは、明らかに筆跡が違うことにお気づきになるだろう。そして10ページ目の「認可申請書」と、3ページ目の「誓約書」をも比較していただきたい。「申請」の「請」の字が「言偏プラス青」ではなく「」と旧字体で書かれていること、微妙に右上がりの字体など、同一人物の筆跡であることがうかがえる。
ページ |
文書名 |
備考 |
2 |
設置認可申請書 |
作成日付あり( S42.2.12 )。県の収受印なし。
決裁欄不備(課長・補佐決裁印なし) |
3 |
誓約書 |
作成日付あり( S42.2.12 )。 10 ページと同一筆跡 |
10 |
設置認可申請書 |
作成日付なし。収受印あり( S42.4.12) 。決裁欄なし
3 ページと同一筆跡 |
2・3・10ページの文書が、ひとまとめに「学校設置認可申請」として県に提出されたものかどうかは定かではない。
「作成日付が記されているものには収受印がなく」「作成日付が書かれていないものに収受印が捺されている」……。これは何を意味するのか。県が設置認可申請書を開校日直前の「4月12日に収受した」、言い換えれば「2月12日に収受したことを認めてはならない」理由があった、とでもいうのだろうか。
11ページ 県知事による「東京高等理容美容専門学校の設置認可書」
9月11日付け。さる4月20に作成された私立学校審議会の答申書(8・9ページ)を受け、県知事が、
- 準学校法人東京高等理容美容専門学校に対し
- 東京高等理容美容専門学校の設置を認可
した文書である(5ページ「東京高等理容美容専門学校の認可について」(通知)と1セットの文書)。
留意すべきこととして、文書右肩には「準学校法人」の所在地として「埼玉県入間郡坂戸町仲町975番地」と記されていることだ。
だがこの住所に設置してある学校とは、松村東氏の「東京高等理容美容専門学校」以外の何物でもない。これは「校舎を先に建てるよう」松村氏に行政指導した県が、建設中の建物に対する「確認通知書」および建設後の「検査済証」にて、明確に記している事実である。
学校設置者は松村東氏。それ以外にあり得ないのだ。
学校設置者が松村東氏から松山千恵子氏に変更された事実は存在しない。これは平成13年10月4日、当時の埼玉県知事・土屋義彦氏が「松村東氏と松山千恵子氏との設置者の変更認可は不存在である」と、明確に証明している。
また現埼玉県知事の上田清司氏は今年6月、「松山千恵子氏名義による(学校建物の)確認通知書および検査済証一式が存在しない」ことを証明。
さらに7月、同知事は「松山千恵子氏が申請した学校設置認可申請書のうち、埼玉県の収受印、文書番号、決裁印のあるものは存在しない」ことをも証明している。
埼玉県は、松村東氏以外の人物に「東京高等理容美容専門学校の学校設置認可」を行ってはならなかったのだ。
* * *
ここでご紹介した文書、「準学校法人東京高等理容美容専門学校設置認可書一式」に含まれる、学校設置認可に関する起案書等は、本来ならば絶対に公開されるはずのないものである。約40年前に作成され、市民の眼に触れることなく県庁舎内で深い眠りについているはずの文書である。
その文書が、いま我々の眼前にあり、極めて重大な事実を歴然と示している。
松山千恵子氏の「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対して、「東京高等理容美容専門学校」の学校設置認可を下した当時の埼玉県は、松山氏らによる学校の「法人化乗っ取り」に、確実に荷担したのである。
松村氏は情報公開条例施行以後、つまり現在になってはじめて、はるか40年も前に、自分が何をされたのかを知った。学校設置に向けてあらゆる指導を約束した行政は、松山千恵子氏の政治力の前に豹変したのだ。
だからこそ、こんな滅茶苦茶な学校設置認可がまかり通った。
行政は強大な権力を持つ。当然だ。もし暴走すれば、国民はひとたまりもない。合法的に資産を奪われ、合法的に殺されることだってあり得る。
行政が権力者の侍女となり、屈服し、犯罪に荷担したら。これほど恐ろしいものがあるだろうか。
密室のなかで、犯罪に関するあらゆる証拠は隠蔽される。法はいとも簡単にねじ曲げられる。どんな凶悪な犯罪者、巧緻な知能犯でも不可能なことさえ、行政の強大な力をもってすればいとたやすく実現する。
そして犠牲者はいつでも弱い者たちである。行政が「過失」を犯しても、権力者が犠牲になることはない。いつだって必ず、真っ先に犠牲になるのは権力を持たない者たちである。
だが我々は、それでも行政に一定の信頼を置いている。過ちには強力な自浄作用が働くものと信じている。そうした我々の行政に対する信頼を、この「学校乗っ取り事件」は、地に叩き落としたのである。
むすびにかえて
知事よ、県職員よ。松村氏に残された時間は、あなたがたの誰よりも少ない
そのことを忘れないでほしい
本紙はもう一度読者に問いたい。こんな「学校設置認可」を行う自治体が、日本全国のどこにあるというのだ?
「トータルビューティカレッジ川越」への設置認可に関係する県知事、県職員らは、この「起案書」に記された事実を知り、直ちに以下の行動を取らねばならない。
【上田県知事は「トータルビューティカレッジ川越」設置認可を直ちに取り消せ!】
本紙は何度も主張する。埼玉県川越市新宿町1-23-1にある「トータルビューティカレッジ川越」は、松村東氏が40年前に作った「東京高等理容美容専門学校」の、インチキ・コピー学校のなれの果てだ。
上田知事は、直ちに「トータルビューティカレッジ川越」の学校設置認可を取り消さなければならない。同校「理事長」である松山千恵子氏も、「この申請書に虚偽の事項があったときは、認可申請書を取り下げ、又は認可取消等の処分をうけても異存はありません」と誓約書に記しているではないか。
知事がこの学校の実態を知らないはずがないのだ。ならばなぜ、他人の文書を盗用して「学校設置」と「寄附行為」認可申請した松村千恵子氏のインチキ・コピー学校、「トータルビューティカレッジ川越」に対する認可を取り消さない?なぜ黙ってみている?なぜ「法人」の実態もない「準学校法人」に、多額の補助金を毎年支給しているのだ??
知事の任期が完了するまで、目をそらして逃げ回るつもりか?あるいは「学校当事者」らが亡くなるのを待っているのか?
松村東氏は70歳を超え、松山千恵子氏は93歳だ。彼らがこの世から消え、誰からも責任追及されなくなるのを、手を拱いて待っているとでもいうのか?
残された時間はわずかしかない。学校当事者が存命中に「トータルビューティカレッジ川越」に対する認可を取り消せ。
上田知事よ。ゆめ忘れるなかれ。「トータルビューティカレッジ川越」に補助金を不正支給している以上、あなたも当事者の1人なのだ。
【埼玉県職員には、知事を告発する義務がある】
埼玉県庁職員は、設置認可権限を持つ上田知事を告発する義務がある。刑事訴訟法239条には「官吏または公吏は、職務を行うことにより犯罪があると思料する時は、告発をしなければならない」と規定されているからだ。
「『準学校法人』の学校開校日から5ヶ月後の時点での設置認可」など、合法ではない。あろうはずがない。認可申請の意味がまったくない。
「認可」とは何か。認可とは行政行為であり、その行政行為が私人の法律行為の効力要件とされているものを意味する。認可の申請があった場合、行政は、当事者が必要とする要件を満たしていると認めれば認可を行う。
換言すれば、認可は効力要件であるから認可を受けない行為は無効である。行為そのものが無効であるので、事後に認可されても効力はない。
「認可は認可を受ける行為の効力要件であるので、認可を受けない行為は無効である」(有斐閣・法律学小辞典)
もう一度言う。「トータルビューティカレッジ川越」の前身である「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に対する設置認可は無効以外にあり得ない。
そしてこの学校に対し過去40年間、多大な総額の補助金を不正受給してきた歴代知事の、その最後列にいるのが現・上田知事である。
彼は認可を取り消さない。ならば違法認可を知りつつ、その認可を「取り消さないこと自体」が、特別職公務員による違法行為ではないのか。不正であると「知りつつ」補助金を支給していることこそが、現知事がいまでも継続し実行している、犯罪に相当する行為ではないのか。
同校設置に至る経緯を正確に知り、きちんと事実を認識したならば、結論は自ずと明らかになるはずだ。ならば県職員よ、直ちに上田知事を告発しなければならない。
そもそもこの「起案書」が県庁舎から出てくること自体、県職員は事実を知りうる立場にいることの何よりの証左だ。あとは職員各々の問題意識にかかっている。その問題意識の有無こそが、夢を奪われたかつての青年松村東氏が味わった、その後の40年にわたる塗炭の苦しみに、一抹の……そしておそらく最後の光を投げかけるはずだ。
松村東氏は、もう十分に苦しんだ。十分すぎるほどに、苦しみ抜いた。
本紙は心ある県職員に問いたい。彼が、何をしたというのだ?松村東氏が、40年もの間こんな仕打ちを受けなければならないほどの、いったい何をしたというのだ?
「欺される方が悪い」とは、一面の真実を言い得ているのかもしれない。だが松山千恵子氏に欺された「若き日の過ち」に対する代価とは、はたして半生を費やして支払わなければならないものだったのだろうか?
無垢で情熱的な青年が、丹誠こめて学校を作ったことは、それほどの罪だったのか?
薄汚い連中と手を組み、悪魔に魂を売った政治屋・松山千恵子氏がかつて有していた、強大な政治権力。その麾下となった旧厚生省、埼玉県の地に墜ちた役人らの汚れた手によって、彼は40年の歳月を苦しめられてきたのだ。
そこに、世間の無理解と嘲笑が重なった。
「松山先生に学校を乗っ取られた、だって?何を言っているんだこの人は」
世間は彼の主張を信じなかった。まさか政治家が、国が、県が、そこまでのことはやるまい……。それは政治家や役人というものに対する信頼が、そこそこに保たれている証左でもあった。
彼は、いうなればたった1人の、悲壮な戦士だったのだ。歯を食いしばり、法律をゼロから勉強し、日々の生活に追われながら、国や県行政の厚い壁に立ち向かった。何度も何度も挑んでは跳ね返されつつ、それでもなお今日まで重く悲しい歩みを進めてきた。
いま、ようやく国も県もあらためて事態を把握しつつある。「そんな昔のことを」と嘲笑した、銀ぶち眼鏡に冷たい表情を浮かべていた役人たちも周章狼狽し、互いに罪をなすりあい、醜い責任転嫁を始めている。
だが、一日も早く松村東氏を40年にわたる不当な金縛りから解放しなければ、行政の正義はどこにあるというのだ?
上田清司埼玉県知事よ、あなたがすべきことはわかっているはずだ。さもなければ県民の誰も、もはやあなたをまったく信じなくなる。
松村東氏は十分に苦しんだ。そして生きた。もうそろそろ、彼を解放すべきではないのか。
どうか、これだけは忘れないでほしい。彼はもう70歳を超えている。あなたがたの誰よりも、彼に残された時間ははるかに少ないのだ。■
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