
【短期集中連載】
いま明かされる、県住川越笠幡団地をめぐる
「約9億円の錬金術」!
第三回:マスタープラン
前回までの連載をお読みになった読者諸氏の中には、そろそろ「謎の空き地」に関する疑惑の全貌がおぼろげながら見えてきた方もいらっしゃるだろう。ここでこれまでの「まとめ」を兼ね、「県住川越笠幡団地」をめぐる計画の全体像を簡単に述べておきたい。
「何が何でも土地を売りたい」
笠幡の森にある「謎の空き地」とは、神田市議を地権者代表とする5筆の土地からなる、8,423.23uの土地である。この土地は、市街化調整区域内に存在する。
地権者が、この地域の土地を売却し大きな利益をあげるのは非常に困難だ。市街化調整区域(山林)という、自然環境の整った野鳥の棲息する森林地帯の一部を切り売りしたり、宅地を造成するなどできないことだからだ。とても商業ペースには乗せられない、いわゆる不動産の商い対象としては論外の、まるで値打ちのない二束三文の土地だ。
またこの森林地帯は自然環境保護の見地から、不動産売買という商業活動の介入は許されない。森林は公共性を持つ総有的な存在であり、地域共同体の財産といえる。良識ある者の側から見れば、触れてはならない「聖域」だ。それは山林を所有する者にとって、常識的な感覚といっても過言ではなかろう。
だが、神田壽雄現川越市議は違った。「サンクチュアリーなき人物」神田氏は当時、川越市の幹部職員。学識を有した良識の府に在職し、ベテラン行政マンとして環境保全を指導する立場にあった。だが、神田氏の頭にあったのはオオタカの営巣地を守ることでも、市民共有の財産として豊かな自然を保全してゆくことでもなかった。「自分が持っている、商業的価値のないこの土地をいかに処分するか」……。これこそ公僕である神田氏の、大いなる悩みであった。
川越市幹部職員でありながら、川越市が市街化調整区域として保護する山林にある、自分の土地を売却する……こうした考えが神田氏の頭にもたげた時点で、すでに彼は公務員の矜持も、保つべき良識も、自然に対する良心さえも捨て去ったのだろう。もし仮に第三者から売却を勧められたとしても、「市民への奉仕者」という矜持があるならば、笑って拒否すれば済むことである。
だが神田氏の頭の中には、自分の土地を売るためにはどうしたらいいのか、という考えしかなかった……。
なにぶん古い話である。「謎の空き地」をめぐり徹底した調査を行った本紙でさえ、あの土地が生まれるに至る一連の物語のところどころに、ミッシングリング(失われた連環)が存在することを認めざるを得ない。
ミッシングリングの一つは、神田氏と「県の有力者」とが、どのように結びついたのか、という部分だ。これは推測するしかないのだが、神田氏は自分の意とする「悩み」を県の何者かに述べたのであろう。それは「計画」と呼べるものではなかったかもしれない。単に「資産運用の相談」だったのかもしれない。
時はバブル経済の真っ最中である。熱狂的な土地神話が全国に充満していた。そんな雰囲気に神田氏もまた煽られていたのだろう。土地を持っていても有効な資産運用の方策がわからない人間が、ある種の強い焦燥感を抱いていたとしても、何ら不思議ではない「時代の空気」が、そこにあった。
神田氏の「悩み」を最初に受け止めたのが何者だったのかはわからない。だが神田氏の相談がやがて、ある人物の耳に入ったことだけは明らかだ。その人物は、埼玉県庁内部で強い権力を有していた……。そして神田氏にとって、彼は絶対に必要な存在だった、ということだ。
土地を売りたくても、神田氏個人の力ではどうしようもない。神田氏が自らの「企図と欲望」を実現するには、この有力者の存在が不可欠だったはずだ。
神田氏とこの「有力者」との間に、どのような言葉がどれほど費やされたのかを知る術はない。だが「謎の空き地」をくまなく調査した本紙にとって、おそらく昭和61年のうちに交わされたであろう、両者の会話における一番のエッセンスを想像することは容易である。
それは、実にシンプルな、こんな内容だったはずだ。
「山林の土地を何とか高値で売りたいのだが、どうしたらよいだろう」
「ならば、その場所に県営住宅を建てればいい」。
マスタープラン始動!3つの障碍をクリアせよ!
県営住宅を建てればいい……。この「有力者」は、おそらく間違いなくこう示唆したはずなのだ(のちにこの人物は県庁内で非常に興味深い動きを見せるのだが、そのことについては後述する)。
神田壽雄現川越市議(当時・川越市経済部次長)にとっては、二束三文の土地を売却できる千載一遇のチャンス。この「有力者」の示唆は、県による暗黙の「県営住宅地として買い上げる約束」にさえ聞こえたことだろう。
いや、事実、それは「買い上げの確約」を意味していたはずだ。
神田氏の悩みは変わった。「商業的価値のないこの土地をいかに処分するか」から、「あの二束三文の土地を県に買い取ってもらうには、どうしたらいいのか」へと進化を遂げた。
神田氏が、自分が所有する市街化調整区域内の土地を県営住宅地として県に「買ってもらう」……このマスタープランを実現するには、なによりクリアすべき障碍が三つあった。
第一の障碍は自らが勤務する川越市=川越市行政そのものである。繰り返すが神田氏は当時、川越市の幹部職員だったのだ。その神田氏が安易に川越市を通して埼玉県住宅都市部へ、神田氏を代表とする地権者がもつ、所有地である森林の一角を県住用地として切り売りしたい旨を申し出たとすればどうだろうか?
その時点でまず川越市は神田氏の人格を疑い、現在いる立場を自覚すべきだ、と厳しい忠告を与えるだろう。「市の現役幹部職員の立場でありながら、あなた何を考えているのですか」という具合だ。
県住宅都市部(以下、「県住」)が新たに県営住宅を建設するためにはまず、建設予定地となる土地を買い付けなければならない。その際、県住は通常、売買したい物件について県住側から直接その土地の所有者に接触して、買付の交渉を図ることはない。建設を予定するエリアが属している地元自治体から進達されてきた土地を、県営住宅建設地の対象とするのが通例であるという。県住から打診を受けた地元自治体側は、要請地を良く調査した上で県住に進達する。ものの道理からして当然だろう。また県住宅建設に対する、近隣住民等による反対運動などへの対応を避ける意味においても「県住より自治体への打診」→「自治体からの進達」が、土地買付のプロセスとして最も適切なのだ。
たとえ川越市が神田氏の要請を受理し、市の幹部職員である神田氏の土地を埼玉県住宅都市部へ進達する可能性があるにせよ、川越市による現地調査の段階で地元住民の反対を受けることは間違いない。地域住民の誰も望まない県営住宅の建設地として、こともあろうに川越市幹部職員の地位に座る神田氏が、自然を愛する地域の人々の意に反して、森林の一部を売却するというのである。必ず猛反対されるどころか、神田家は私利私欲のために自然環境破壊を目論んだ者として指弾され表通りを歩けなくなり、幹部職員にもかかわらず何をやっているのだ、と川越市庁舎中の物笑いの種、嘲笑の的となることは明白だからだ。
「有力者」にはそのことがはっきりとわかっていた。だから「神田氏の土地一帯を県が『県営住宅用地』として買い取る」マスタープランを立てたとき、まずはその計画から「川越市」を除外することに決めたのだ。行政の仕組みを熟知すればこそ、「目的達成のために不都合な部門は除外する」ことの重要性を理解し、またそのためにフルに発揮できる力を持っているのが、「有力者」の有力者たるゆえんなのである。
方針は決まった。「地権者と埼玉県との直接売買」だ。買付プロセスから川越市は排除する。これしかない。
第二の障碍は、神田氏が所有している土地の形状にある。

<赤で囲んだ部分が神田壽雄氏が所有する土地。道路に隣接していない「ヘリコプター土地」である(クリックすると拡大します)>
図を見ていただければ一目瞭然なのだが、神田氏が所有する土地(赤で囲まれた部分)である笠幡1678-1と同1678-2は、道路に隣接していない。入口のない土地……いわゆる「ヘリコプター土地」(他の地権者の土地を通過しない限り、ヘリコプターでも使わなければ入れない土地)である。
したがって「県住買い上げ」というマスタープランが立案されたときには、神田氏所有の土地を囲む形で存在する、他の2名の地権者が持つ2筆の土地をも、同時に買い上げなければならないことが明確になっていたはずである。
言い方を変えれば、「神田氏所有の土地を中心として」このエリアに県営住宅を建設するとなれば、最低でも押さえておかねばらない「他の地権者」の土地は、道路に隣接する笠幡1672、および同1671-1である……。つまり県営住宅の規模とは、神田氏の土地を中心に、他の地権者が持つ道路に面した土地に対する、最小必要買収面積で決められたことになるのだ。
他の2名の地権者であるI氏およびS氏と、神田氏側との間にどのような交渉の過程があったのかは不明だ。おそらくは県住建設計画について話したのだろう。そして神田氏は両名それぞれに対し「あなたがオーケーさえしてくれれば、あの土地は県が買い取り、県営住宅ができるのだ。あなた次第なのだ」と説得したのかもしれないが、これは想像の域を出ない。
だがはっきりわかることは、I氏もS氏も山林=保護すべき自然環境を売り渡すことに同意したことである。すなわち神田氏と「有力者」とが決めたマスタープランに従属したということだ。
地権者らの意志はまとまった。
こうしたお膳立てがそろって初めて、第三の障碍のクリアに着手することができる。そして県は神田氏の土地を「県住用地」として買い上げることができる……。
第三の障碍とは、すでに本連載2回目に記した「市道8113号線」の拡幅である。目的の土地に県の住宅が建設されるとなれば道路が必要であるのは言うまでもない。だが前回の連載で記したとおり、当時(拡幅前)この道路の幅は2.7メートル。県営住宅を建てるためには、この道路の幅を拡げなければならない。だが「市道8113号線」の拡幅工事は、川越市の事業なのだ。
先の「第一の障碍」で述べたとおり、県住建設用地の買収プロセスから川越市は除外することが決まった。したがって「市道8113号線」を拡幅するには、県住計画とはまったく別の理由が必要となる。川越市に市道拡幅を要請する大義名分が必要なのだ。
川鶴三丁目(市街地)の宅地化による交通量増大を理由とした、陳情しかない……。神田氏は行動を開始した。とはいえ、周辺住民に広く意見を問う必要もなければ、その時間もない。昭和61年度末に「形をつけ」なければならないからだ。地元エリアの4自治会会長さえ説得できれば充分だったのだ。
かくて1987年(昭62年)3月23日、本連載第2回に記したとおり、当時の川合喜一川越市長あてに「要望書:川越市大字笠幡地内の道路等の整備方について」が提出され、「マスタープラン」は始動した。
拡幅工事の要望書を昭和61年度末に受けた川越市は、諸々のプロセスを経て約一年で用地取得・補償を完了、さらに次年度から工事を行うであろうことは、「神田経済部次長とワンセット」だった関根常次課長(当時)との話し合いで、あらかじめ決められていた。つまり「要望書」を提出し受理されてから、道路の拡幅が完了するまでに約2年5ヶ月を要することは、すでに要望書を提出した段階で「読めていた」のだ。
この約2年5ヶ月の期間内で「マスタープラン」は完結されねばならない。
「要望書」提出のちょうど2ヶ月後、すなわち年度が替わってからすぐに、地権者たちは行動を開始した……。
上げよ、上げよ、地価を上げよ
県に「最高値」で買い取らせよ!
繰り返すが神田氏の「土地売却」という欲望に対し、神田氏と一蓮托生となる「県の有力者」は、氏の目的を県の明確な事業として自信をもって実現することに太鼓判を押したのである。プロの行政マンである当時の神田氏が道路拡幅を「最初の行動」としたことは、この「有力者」の実務能力と権力に対し、神田氏が絶対的ともいえる信頼を置いていたことにほかならない。
神田氏は、何も知らぬ地元の4自治会会長に対し、交通量増大による道路拡幅の必要性を訴え、「要望書を提出させた」……マスタープランが第一歩を踏み出した瞬間、神田氏と「有力者」は、悪徳行為に手を染めた……と考えざるを得ない。彼らがひっそりと、しかし明確に有していたのは、私利私欲のために埼玉県から公金を略取する意志である。
だが神田氏が秘めたこの意志を、当時は地域住民の誰一人知るよしもなかった。道路拡幅の要望書を提出した4自治会会長らも、何も知らなかったはずだ。彼らは昭和61年度末、川越市に駆け込み的に提出した要望書によって、地区の狭隘な市道が立派に広く拡幅されることが市に了承され、素直に喜んだことであろう。
神田氏が、自分の所有する山林の土地を「謎の空き地」にするに至る経緯は、公務員でなければ絶対にできない行為なのだ。
地元有志の「要望書」で川越市道路建設課が着手した道路拡幅事業の名称は、「市道8113号線拡幅事業」である。川越市は拡幅に必要な道路際用地の買収で、神田市議を代表とする地権者に一平米当り、9,708円の価格を支払っている。
当時、その周囲の土地……すなわち市街化調整区域の土地は、一平米あたり4,000円ほどの価格であったと周辺住民は述べている。その土地が、一平米当り9,708円に値上がりしたのだ。マスタープランの「初手」にしては上出来である。
だが、当然ながらこんなことで話は終わらない。
神田氏が所有する「二束三文の土地」は、まず道路拡幅によって価格に若干の影響を受ける。隣接する道路が拡がれば、当然ながら土地の価格も上がる。拡幅工事が完了していなくても、「2年5ヶ月後には拡幅される」ことは確実なのだ。バブル期である当時の状況を考えれば、「土地に対する確実な期待」が如何に価格を左右したかは想像にあまりある。
道路拡幅によって上昇した土地価格。だが最終的に県に売却されたときは、さらに、信じがたいほどの値段……約11倍もの価格へとつり上がったのである。
もちろん価格が自然につり上がったのではない。しかるべき「工作」が、短期間のうちに畳みかけるように行われた。
神田氏のこの「価格つり上げ工作=土地コロガシ」のキーマンは、郷土開発鰍フ細谷金作社長。いや、現「埼玉県住宅建物取引業協会の細谷金作会長」と呼ぶべきだろう。
「商業的価値のないこの土地を如何に処分するか」という課題は、「市道8113号拡幅工事」の指示を受け、確実に関係者のみぞ知る「県住宅建設用地」に昇格したのである。県有力者と神田氏ならびに関係者による秘密裡の「県住宅建設用地」の地価が「市道8113号線拡幅事業」によって値上がりしたとはいえ、平米当たり9,708円で県に売却するつもりはさらさらなかったはずだ。
「県への売却までに可能な限り地価をつり上げよう。県には『最高値』で買い取ってもらおう」……。こうした考えが神田氏や県の有力者との間に生まれても、何の不思議もない。
次の課題は「いかにして地価をつり上げるか」である。
県住買い上げ「予定地」は5筆の土地からなることは先に述べたとおりだ。このうち神田氏は2筆(1678-1、1678-2)を持ち、残りの3筆のうちI氏が1筆(1672)、S氏が1筆(1671-1)、神田氏の親戚が1筆(1679-3)を所有する。
土地価格を上昇させる最も一般的な手法は土地の短期土地譲渡……いわゆる「土地コロガシ」である。とはいえ、5筆の土地すべてを短期土地譲渡の俎上に乗せる必要はない。「価格上昇の牽引役」となる土地があれば、その周辺も自然に上昇することが見込める。
「牽引役」として神田氏が選んだのは、自ら所有するうちの1筆(1678-2)と、I氏所有の1筆(1672)であった。この2筆の土地を「土地コロガシ」のカードとして、神田氏は不動産業者に持ちかけ、業者もまたこの話に乗ったのである。
この時点で土地コロガシが開始された。そして「満足のいく地価」が出た時点で、他の3筆の地価も先行する土地コロガシによって高められた2筆に合わせ、自然上昇するというわけだ。
土地コロガシが開始されてから約1年半後である1989年(平成元年)2月13日。埼玉県はこの5筆を、細谷金作氏より最高価格で買い付けた。
「マスタープラン」はここで、事実上の完了を迎えたのである。
県は「わかりません。本当にわからないのです」
本連載に先立ち、本紙は埼玉県に対し、「謎の空き地」をめぐるさまざまな質問をぶつけてみた。あの土地が生じた経緯について疑問を持つ者なら当然発すべき質問であり、県も直ちに明確な回答を提供できるはずの問いかけである。
本紙の質問は、次の7項目であった。
1:埼玉県が川越市大字笠幡字中新町に建設を予定している県営住宅について、事業計画の正式名称を知りたい。
2:上記事業は、具体的に何年の何月頃から計画が起案され、当該予定地の地権者に対して何年の何月何日に県側の買収意図が伝達されたのか。
3:この事業計画に関連して、こうした用地を県が買収する場合、用地の適否等について地元自治体関係者などに照合するのが通常だと前回の取材でご教示戴いたが、当該事業については川越市側との調整はどのように行われたのか。
4:本紙調査では、当該予定地のうち二筆の買収地(大字笠幡字中新町1672、同1678)について県が買収する以前に不自然な売買が同じ業者によって繰り返されたが、そのことを県は買収以前に調査していなかったのか。
5:行政機関等が公用地として取得を希望する土地については、事業の手続きの中で現状を固定するため、転売や利用様態を変更したり過分に価値を附加するような開発行為・築造が禁止、制限される。大字笠幡中新町の当該地については、何年何月何日付をもってこうした制限をかけたのか。
6:当該事業が進捗する前後、県川越土木事務所長、県住宅都市部長を歴任した村上貞夫氏が川越市助役に就任している。当該事業と同氏の関わりについて、ご教示願いたい。
7:いまだ当該事業は完成を見ていないが、今後の進捗見通しについてご教示願いたい(事業は今日も継続中なのか、今後中断して違う計画に変更する可能性があるのか、その他)。
上記の質問に対し、県の回答は、
質問1の回答は、仮称「県住川越笠幡団地」です。
質問7への回答は、「現在は凍結中ということで、継続事業となっております」
そして質問2〜6に対しては「わかりません。本当にわからないのです」を繰り返すばかりなのだ!
われわれが「謎の空き地」に抱いた疑惑を強め、のちに「裏に犯罪行為あり」との考えを決定づけたのは、まさに県のこの回答に端を発している。
凍結中というのなら、凍結するまでの経過およびその記録が保存されてしかるべきだ。まして継続事業であるなら、なおさらこの土地に建設される予定の県営住宅団地の計画書や基本図面など、詳細なデータが保存されているはずだ。否、保存されていなければならない。そして「事業継続中」であることを県民に対し、客観的に証明できなければならない。
「凍結中の継続事業」に対し、「資料やデータが何もない」などという馬鹿げた回答があるだろうか。埼玉県には行政機関として持つべき透明性も公明正大もなければ、そもそも行政機関として失格だ。「それでは県民に対する事業の説明ができないではないか」と、半ばあきれつつ指摘する本紙に対し、県の回答は「わからないのです」をオウムのように繰り返すだけなのだ。
神田氏と「有力者」が立案したマスタープランの骨子は、「二束三文の山林を県に高値で買い取らせる」ことであった。県営住宅の建設とは、そのための方便であった。「本当に県営住宅を完成させる」のは、マスタープランのいわば「後日談」に相当する部分だ。はっきりいえば「どうでもいい」ことだった。
後は野となれ山となれ……。「有力者」の心の奥底にあったのは、こうした考えであったのだろう。だからこそ、県には「何の資料も、データも残っていない」のである。そうとしか考えられないではないか。
(つづく)
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