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トータルビューティカレッジ川越,松山千恵子

「私の学校を返せ!!」
乗っ盗られた
「トータルビューティカレッジ川越(旧・
坂戸理容美容専門学校」)
公文書だけが知っていた!舟橋ファミリーの「完全犯罪」
唯一の誤算は「情報公開条例」!

設立者の苦汁の半生に日は射すのか?
現在5件の刑事告訴、進行中!!

公文書が明らかにした「学校乗っ取りへの経緯」時系列表
トータルビューティカレッジ川越(旧・坂戸理容美容専門学校)

(本文中の各画像はクリックすると拡大表示します)

 

トータルビューティカレッジ川越 現在、川越駅西口に5階建てのビルが建設途上にある。

 「(仮称)川越理容・美容専門学校」。平成17年度4月開校予定のこの学校の建築主は「準学校法人・坂戸理容美容専門学校」理事長・松山千恵子氏である。

更新:2005年6月
現在は「トータルビューティカレッジ川越」として開校している。

 まず結論を言おう。この学校は「準学校法人」ではない。あるはずがないのだ。

 さらに理事長は「松山千恵子」氏ではない。工事現場に明示された「建築基準法による確認済票」に記載された「建築主又は築造主氏名」に付された肩書きは、すべて法的に無効なのである。

「川越理容・美容専門学校」では工事申請すら出されていないことが、本記事執筆後の調査で明らかになった)

 平成13年から施行された「埼玉県情報公開条例」さえなければ、この「学校乗っ取り事件」の真相は、長い年月とともに風化し葬られたはずだった。「公文書は市民に開示できない」時代に練られ実行された入念な計画――「乗っ取り」を実行した連中の最大の誤算は、情報開示という時代の流れを予想できなかったことだった。

 認可は効力要件であるから認可を受けない行為は無効であり行為そのものが無効であるので認可されても効力はない(最高裁判例 昭和38年11月12日)

 認可……認可は認可を受ける行為の効力要件であるので,認可を受けない行為は無効である(有斐閣・法律学小辞典)


トータルビューティカレッジ川越 坂戸理容美容専門学校物語
「真の設立者」の、執念の戦いが始まった!

 いまをさかのぼる約四十年前――。

 夢に燃える青年理容師がいた。彼は二十代、必死に働いた。商才に運が味方し、若くして一財産を拵えた。

 その資産をすべてつぎ込み、彼が純粋に個人で作った専門学校。だが開校直前に突然、理解不能な事態に見舞われる。県がお墨付きを与えた彼の学校を、なぜか国は認めず一蹴。校長であったはずの彼は、知らないうちに理事の一人に格下げされ、まったく見ず知らずの人間が、勝手に「校長・理事長」に居座った。

 彼が個人で作ったはずの学校は、なぜか「準学校法人」として……法人認可も受けずに開校した。

 さらに、破廉恥極まりない「強姦」の訴えが彼を襲った。無実は証明されたが、時すでに遅し。彼は理事の地位すら解任されてしまう。

「私が作った学校だ!」そう訴える彼に、「見ず知らずの校長」側の弁護士は言った。「だってあなた、寄付したんでしょ」 

 寄付などした覚えはない……。当惑、困惑、怒り、周囲の無理解。どうしてこんなことになったのか。

 彼の、長く孤独な戦いが始まった。

 そして34年の歳月が過ぎた平成13年。情報公開条例が施行されたことにより、まるで霧が晴れたかのようにすべての事象が見えてきた。

 若き日の自分が、何をされたのか。なぜ学校が「乗っ取られた」のか。真の理由は、長きにわたり県庁舎に眠っていた、公文書だけが知っていたのである。

 彼の名は松村東(70)。そして「一面識もなく突然、校長の座に居座った人物」とは、埼玉県初の女性代議士・松山千恵子――現川越市長、そして若き日は弁護士として活躍した舟橋功一氏の義母である。

 現在、5件の刑事告訴が進行中である。彼の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。

 取材に応じた松村氏は開口一番、本紙にこう語った。

「乗っ取りは歴然としていますし、官庁職員の証言や公文書による膨大な証拠資料もあります。そもそも松山千恵子氏が、準学校法人登記をできるはずもなければ、校長を務めることもできないのです。第一、あの学校は『準学校法人』じゃないんですからね。

大きな政治力の介在なくして、この乗っ取りはできなかったでしょう。しかしそうした汚い公権力の関与を知ったのは、情報公開条例以降だったのです。当時の私には、知る由もありませんでした」

 これが事実ならば、重大問題である。そして松村氏によれば「公文書による証拠がある」というのだ。

 現在、坂戸理容美容専門学校(元・東京高等理容美容専門学校)のホームページを開くと、「沿革」にはこう記されている。

更新:2005年6月
現在は「トータルビューティカレッジ川越」として開校している。
沿革に関してはこちら

――本校は昭和42年4月、厚生大臣指定、埼玉県知事認可により創立した理容師・美容師養成のための学校である。昭和51年4月高等専修学校となり、更に平成10年4月坂戸理容美容専門学校として認可を受け、高卒者を対象とする専門学校となった。

 本校を卒業した3,300余名は、現在第一線の理容師・美容師として、また、業界の指導者として県内外で広く活躍している――。

 だが同校のホームページをつぶさに見ると、奇妙な点に気づく。この学校の法人形態も、学校長の名前すら明記されていないのだ。

 松村氏は語る。

「だって書けるわけがないでしょう。『準学校法人』を名乗りながら、実際は法人じゃないんですからね。校長はあくまで、この私です。あの建物も土地も、みんな私が買ったものなんです」

 それにしても、である。一見荒唐無稽とも思える「学校乗っ取り」がなぜ可能だったのか。仕組まれたプロットを俯瞰するために、まずは話を昭和41年に戻す。


トータルビューティカレッジ川越 存命者は知っている!
東京高等理容美容専門学校を誰が、どうやって作ったのか……

 昭和41年3月頃のことだった。当時の青年・松村氏の運命の歯車が、長く奇妙な歳月の小径に入り込んでしまった日のことを、氏はいまでも鮮明に覚えている。

 所用で県庁を訪れた松村東氏に、環境衛生部の高松氏が声を掛けた。「松村さん、毛呂山で床屋さんをやっているんでしょう?ならば学校を建てたらどうだい? もちろん県の方できちんと行政指導はするよ。個人で申請した方が面倒が少なくて済む。ともあれ、顔つなぎをかねて帰りに環境衛生部の方に寄って行きなさい……」

 環境衛生部に挨拶を済ませて帰宅した松村氏が、まず頭を悩めたのは土地の準備だった。

 運良く、坂戸市仲町にある「永源寺」の住職から声がかかった。松村氏の兄が永源寺の檀家なのである。

「松村さん、うちの土地を売ってもいいよ。お兄さんには檀家さんとして世話になってるし」。

 松村氏が喜んだのは言うまでもない。校舎建物も「うちで是非やらせてくれないか」と東京の建築業者、松本建設からの申し出があった。

 実は松村氏、二十代のときに横浜の戸部駅前で開いた理容室が大当たりし、すでに家屋敷を所有していた。その資産をすべて売り払い、学校の建設に投じたのだった。

「だから私は無借金で、あの学校を建てたんです」。松村氏は述懐する。

 夢に燃える若き松村氏は、間もなく生まれる学校の名前を「東京高等理容美容専門学校」に決めていた。

 同年8月には東京高等理容美容専門学校の工事設計図ができあがり、建物の建設工事が始まったのである。

 さらに同年11月25日、完成した校舎に対し埼玉県知事による確認検査が行われた。建築基準法第7条第3項規定によるこの検査で、松村氏個人を建築主とし、入間郡坂戸町仲町九七五番地に建設された建物が各種学校用途に適合していることが証明されたのである。

トータルビューティカレッジ川越「埼玉県で、国の認可をもらえる学校を作ったってのは、たいしたことだ……」。当時の坂戸町長・清水包治氏らの祝福のうちに昭和41年12月12日、「各種学校」東京高等理容美容専門学校の落成式が執り行われた。

 この落成式に参加した人々のうち数名は、現在も存命中である。彼らはみな知っている。「学校は松村東氏が、一からすべて作ったものである」と。

 時に松村東氏、31歳であった。そして落成式に、松山千恵子氏は影も形もなかったのである。


トータルビューティカレッジ川越 県のお墨付きをもらった専門学校
だが厚生省による指定申請は「却下」

 各種学校・東京高等理容美容専門学校の落成式から一週間後である12月19日、当時の埼玉県・栗原知事は厚生省に対し、理容師美容師養成施設指定申請書を提出した。申請者は松村東氏、施設の名称は「東京高等理容美容専門学校」である。

 県のお墨付きはもらった。あとは厚生省から養成施設指定をもらうだけだ……。待ち遠しい気持ちを押さえつつ、松村氏は昭和41年の年を越した。

 ところが翌42年2月27日、川越保健所に出向いた松村氏が知ったのは「却下」であった。

「やっと待ちに待った指定がもらえると、意気揚々と行ってみたら、却下ですよ。『なぜだ?』と落ち込みましたよ」

 却下通達は厚生大臣から埼玉県知事、そして川越保健所へとなされる。

 公文書を開示してようやくわかったことだが、厚生大臣が却下したのは2月9日だった。そして調査を進めた氏は、実にミステリアスな文書を発見することになる。

 却下が決定された9日の二日前、すなわち2月7日に、目を疑うような事実が記載された文書があったのだ。(同校の)「準学校法人設立認可申請書」である。

「準学校法人設立認可申請書」全文ダウンロード:PDFファイル約8.5MB)


トータルビューティカレッジ川越 やってもいない「設立決議」
公文書が明らかにする「突然現れた松山千恵子」
日付は「指定申請却下」の2日前!

「許可申請書」に添付された文書の一つ、「設立決議書」を見た松村東氏は激怒する。

「こんな決議が行われた事実は一切ありません。だいたい、ここに書かれている『発起人会出席者』の名前なんて、見ず知らずの人間ばかりですよ」

 発起人会出席者の筆頭に記されているのは、松山千恵子氏である。つまり専門学校設立の流れの中で、見ず知らずの「松山千恵子」が、唐突にこの書類に登場するのだ。しかもやってもいない「設立決議」の記録の中に、である。

 松山千恵子氏……昭和29年に衆議院議長、そして第一次岸内閣で文部大臣をつとめ、東京オリンピックの招致に貢献した故・松永東氏を父に、埼玉初の女性代議士となり厚生・郵政政務次官をつとめた、名実ともに埼玉の名士である。

 だが一介の理容師だった松村氏は、松山千恵子氏とは一面識もなかった。

 松村氏は語る。

「松山氏の地盤に、いまは亡くなったKという美容室経営者がいたんですが、これがワルだったんです。Kは町会議員でもあり、坂戸における松山千恵子後援会の役員でした。このKがあるとき、私に言ったんです。『永源寺の側に学校を建てるんなら、テメエは何で町会議員をやっている俺のところに最初に話を持ってこないんだ。こんな学校、潰してやる』とね。口汚い言い方でしたよ。仕方ないので他の町会議員に挨拶に行ったんですが、これがますますKを怒らせることになってね。

当時、私の片腕的存在の、洋品屋の小林(故人)という人物がおりました。Kはこの小林氏をまんまと籠絡し、学校乗っ取りを企てたんです」 

 松山千恵子後援会役員のK町議が、松村氏の「片腕」を抱き込み、書類の捏造を行ったと松村氏は主張する。そして松山千恵子氏といえば、厚生政務次官を辞めたばかりであった。

 松山千恵子氏は同職を昭和41年8月まで務め、落選後そのポストを離れた。専門学校設立の時期、彼女はいわば「身軽」になっていたのである。

 松村氏は語る。

「Kは美容室の経営者だったから、指定申請のために、どこにどういう書類が出ているのかをよく知っていたんですよ。しかも松山千恵子氏は元厚生政務次官。だから私の申請を却下させたんでしょう」

「設立決議録」は、設立代表者が「松山千恵子」に決定した、と記されている。その発起人の一人に、松村東氏の名前も見える。

「冗談じゃない。名前を勝手に使われたんです。だいたい、設立決議なんかやってもいないし。松山氏側は私の申請が却下されることを、2日前に知っていたんですよ」


トータルビューティカレッジ川越 公文書の蓋を開けて驚いた「なんだこれは!悪事ボロボロ」
松村氏「却下」後、松山千恵子側があわただしく書類提出
法人申請の「資産」は、何と松村氏の学校そのもの!

 埼玉県知事が川越保健所に却下を通達した、まさにその日(2月20日)、松山千恵子氏は同専門学校に対する「準学校法人厚生大臣指定申請書」を埼玉県知事に提出している。

 そして翌21日、つまりたったの一日で埼玉県知事は厚生大臣に進達しているのである。

 さらに4月12日、松山千恵子氏は県知事に「準学校法人設立認可申請」を提出している。松村氏が「個人」で作った各種学校が、いつのまにか「法人許可申請」されていたのである。

 ここで重要なのは、法人許可が認定され、「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の法人成立登記が行われたのは、同年10月だった、ということだ。

 公文書にはもうひとつ、恐るべき事実が記録されていた。

 法人申請には「資産」が必要である。私立学校法第25条には、学校法人設立の際に、経営に必要な資産を提示しなければならない。

 松村氏が得た結論は驚くべきものだった。松山千恵子氏は学校法人申請の際、赤の他人、松村東氏の「学校建物と土地」を、こともあろうに自分の資産として添付書類に記していたのである!

 もちろん「設置者の変更認可」など一切行っていない(後年、土屋知事がこれを証明)。

 松山千恵子側が提出した「準学校法人設立認可申請」には、「設立代表者」の変更申請なる文書が添付されている。だがそもそもこの「準学校法人厚生大臣指定申請書」が、丸ごと捏造文書だったのだ。

私立学校法
(資産)第25条 学校法人は、その設置する私立学校に必要な施設及び設備又はこれらに要する資金並びにその設置する私立学校の経営に必要な財産を有しなければならない。

 しかもこの捏造文書には、恐るべき一文が記載されている。

 この文ひとつで、松村氏は自ら私財を投じて購入し建設した学校の土地建物から、一円の利益をも得ることが出来なくなってしまったのだ。

 それは、松村氏の財産に対し、氏の知らないところで勝手に行われた、死刑宣告に等しいものだった。

「準学校法人東京高等理容美容専門学校の寄附行為を全会一致で承認した」……。

 だが当時の松村氏は、これら松山氏側の動きも、この「法人申請文書」が提出されていたことすら、何一つ知らなかったのだ。


トータルビューティカレッジ川越 昭和42年4月18日、「準学校法人」東京高等理容美容専門学校、開校!
だが法人認可は開校日の半年後
県ぐるみ?派遣されてきた「事務長」

 東京高等理容美容専門学校の開校日は4月18日。

 この日付は重要なので、どうかご記憶願いたい。この「学校開校日」には、同校はまだ法人認可されてはいなかったのである。

 まだ若く「世間知らずだった」と語る松村氏は当時、却下された理由を自分に求めた。思い当たることは何一つないのだが、そう納得するしかなかった。松村氏は自分が作った学校であるにもかかわらず、理事の一人に名を連ね、学生に教鞭をとることになる。

 ここで、県からTなる人物が「事務長」として派遣されてきた。松村氏は語る。

「私は各種学校として指定申請し却下されたのに、その後すぐに『準学校法人』で開校でしょう?わたしだって疑問に思いました。認可の書類は学校の金庫の中にあるのですが、県から派遣されてきた事務長のTという男が全部を握っていたんです。『認可の書類を見せてくれ』と何度も頼みましたよ。しかしTの言葉に、私はまた騙されたんです。『松村さん。松村さんの申請で一回却下されたから、いまはとりあえず『偉い先生』に校長になってもらって、やっと開校までこぎ着けた。だかあと三年もしたら、今度こそは名実ともに松村さんが校長先生になるんだからさ、それまでの辛抱だよ』とか何とかね。いま思えば、あのTという男を派遣してきた県も、グルだったんです」

 T事務長はのち、ある事件を契機にその職を辞した。松村氏によれば「あまりに露骨な話だったので、いい加減嫌気がさしたんでしょう」

 その事件とは……。


トータルビューティカレッジ川越 松村氏、無実の罪(でっちあげ強姦罪)で逮捕
「被害者側」の弁護士は現市長・舟橋功一氏!
松村氏は示談金を詐取され、理事を解任

 専門学校で一教員として指導に当たっていた松村氏に、寝耳に水の事件が襲った。松村氏の家族らとともに同居していたインターンの一人、Oを強姦したとして松村氏が逮捕されたのだ。昭和46年1月25日のことだった。

 松村氏の兄・武松氏は、弟の松村東氏にことの真偽を確認する以前に、何とか釈放させたい一心でO側に直ちに示談金を支払ってしまった。だがこの強姦事件そのものが事実無根であり、いわば「被害者側」による虚偽の訴え……誣告罪であったことは、後の裁判で明らかになった(示談金は返還された)

 しかし、この不可解な「でっちあげ強姦事件」の容疑により、翌2月3日……すなわち無罪判決を得る以前、松村氏は東京高等理容美容専門学校の理事を解任されたのである。

 ここで注目すべきなのは、「強姦」を訴えた側、つまり嘘の被害届を出したO側の弁護士が、松山千恵子氏の義理の息子であり、当時は弁護士として活躍していた現市長・舟橋功一氏であったことだ。
 
 そもそもどうして「すぐに嘘であることがばれる」強姦被害をOは訴えたのか。無罪の証明は間もなく行われたが、この破廉恥な事件は地元の知るところとなり、松村氏の社会的生命は一時的に著しいダメージを受けた。そしてこれを理由に、東京高等理容美容専門学校……松山千恵子氏側は、松村氏を理事の座から外すことに「見事に」成功したのである。

 しかも、謎の被害者Oの弁護人は、松山千恵子氏の義理の息子である舟橋功一氏なのだ。

 何かおかしくないか。否、出来すぎていないか。あまりに露骨な「乗っ取りプロット」というべきではないか。

 ここで本紙は、おぞましい想像をかき立てられる。そもそも松山千恵子氏の登場から松村氏理事解任まで、このプロットを作り、法的に「逃げおおせる根拠」を拵えたのは他でもない、弁護士の舟橋功一氏ではなかったのか……。


トータルビューティカレッジ川越 「300万で学校の土地建物を買いたい」と提案し
その翌日には「だって松村さん、寄附したんでしょ?」と
せせら笑う弁護士・舟橋功一氏

 ここまでの話を聞き、本紙は松村氏に疑問をぶつけた。学校運営はさておき、土地建物は松村氏の資産であることは明白ではないか。専門学校側から、土地建物の使用料……家賃に相当する金銭を定期的に得ることは可能だったのではないか?

 松村氏は語った。

「結論から言えば、私は東京高等理容美容専門学校から土地建物使用料を一切受け取っていません。先のでっちあげ強姦事件で私の無実が証明され、わたしは逆に自分が蒙った被害についてO側と争い、さらには理事解任の件で給与の未払い金がありましたので、このことでも裁判を起こしたのです。

 このとき私の弁護士(相磯まつ江氏)に対し、学校側の弁護士……舟橋功一氏から電話があったことを伝えてきました。『300万円で、松村さんの土地と建物を買いたい。それでよければ明日、印鑑を持ってきてくれ』ってね。私の弁護士も『この際、先方が買いたがっているんだから後腐れがないように売ってしまった方がいいんではないか?』と提案してきたのです。

『じゃ、いいよ。相磯弁護士に任せるよ』と私が答えると、『じゃあ明日裁判所で受け渡しするから松村さん、判子を持ってきてよ』と言われました」

 翌日、松村氏は相磯弁護士に言われたとおり……つまり舟橋弁護士の伝言通り、印鑑持参で裁判所に赴いたのである。ところが舟橋弁護士は前日の言をひっくり返し、相磯弁護士を通じてこう言ったという。

「昨日の話はなかったことにしてくれ。松村さん、あれは寄附だもの。寄附行為でしょ?裁判は続行するよ」

 松村氏は何度も繰り返す。

「私は寄附なんてした覚えはまったくないんです。それに何度も言いますが、『準学校法人厚生大臣指定申請書』なんてものも、設立決議も、わたしは何にも知らないのです。知ったのは、情報公開条例で公文書を初めて読んだ、平成13年以降だったのですから」

 昭和42年2月27日、待ちに待った指定承認を受け取りに葉書と印鑑を持って、意気揚々と川越保健所へ出かけていった松村東氏。氏にとって、「指定承認が下りる前に」、土地もろとも学校全部を松山千恵子氏に寄附する……というのは、なにより動機の点であまりにも説得力がない。そんなこと、絶対にするはずがないのだ。


トータルビューティカレッジ川越 坂戸理容美容専門学校は「準学校法人」ではない!

トータルビューティカレッジ川越

松山千恵子氏と松村東氏との学校設置者の変更は「存在しない」。
(クリックすると拡大します)

 公文書の開示がなされないことをいいことに、「準学校法人厚生大臣指定申請書」の添付書類を捏造し学校の土地建物を「寄附行為」とし、茶番劇の如き「強姦事件」を申し立てては理事の座から外した……これら一連の事件が最初から「学校乗っ取り」を目的とし、松村氏に対し舟橋ファミリーが仕組んだのであれば、彼らの誤算は「時代の流れを予測できなかったこと」であろう。平成13年に埼玉県情報公開条例が施行されなければ……これらの筋書きは成功し、証拠は時とともに風化していったはずだ。そして松村氏が一番輝いていたあの日、「学校落成式」に集まった人々がみな亡くなれば、証人もいなくなる。学校を「乗っ取りおおせた」のである。

 だが、今年70歳の松村東氏は執念の人である。彼は何人も論破できないほどの確信をもって主張する。

「私の学校、現在の名称『坂戸理容美容専門学校』は、乗っ取られたのです。またこの坂戸理容美容専門学校は『準学校法人』を詐称しています。本当は、準学校法人であるはずがないのです。

なぜなら前身である東京高等理容美容専門学校の開校日、昭和42年4月18日には、この学校は未だ法人認可がなされていなかったからです。認可されたのはそれから半年後ですよ。『認可』とは効力要件です。認可を受けない行為は無効なんです。だからいくら松山千恵子氏が同校を『準学校法人』と名乗ろうとも、認可を受けていない段階で行ったことは無効なので、仮にのちに認可されたとしても、その行為はあくまで『無効』なんです。これは昭和38年11月12日の最高裁判例です。

従って、『昭和51年4月に高等専修学校となり』、『平成10年4月に坂戸理容美容専門学校として認可を受け』たのも、すべては無効の行為からはじまったことで、発端が無効ならば、後続するあらゆる行為はすべて『無効』なんです。埼玉県は同校に対する認可を無効とし取り消し、松山千恵子氏は学校を私に明け渡さなければなりません」

 松村東氏は現在、5件の刑事訴訟……上田知事、埼玉県総務部学事課、坂戸理容美容専門学校、そして同校の弁護士等をそれぞれ訴え、現在も進行中である。


トータルビューティカレッジ川越 松山千恵子氏は松村氏に誠意ある姿勢で臨む必要がある

「松山千恵子氏は私の学校を乗っ取ったのです。こちらには公文書による証拠資料が大量にあります」と主張して憚らない松村氏。

 無論、本紙は松村東氏と松山千恵子氏との、どちらに荷担するつもりもない。しかし、松村氏の主張の妥当性を公的記録が担保していることも、また事実なのである。

 ここで松村氏の主張から大きく引き下がり、松山千恵子氏が昭和42年4月当時より現在に至るまで、「準学校法人・坂戸理容美容専門学校」の正統な創立者であり校長、理事長であるとしよう。だとしても本紙は、松山千恵子氏にこのように問うことができるはずだ。

 ほかでもない、三十数年前に坂戸市仲町11-10の土地を準備し、家を処分した資金で校舎を建設した人物がいま、それまでの人生の倍以上の時間をかけて公的文書を収集し、自らの正当性を主張しているのである。はたして現在九十歳を越える松山千恵子氏は、松村東氏に一言の釈明も了解も得ず、その輝かしい生涯に幕を閉じてもよいのだろうか。

 松山千恵子氏は、このままでは晩節を汚すことになる。

 現在進行中の「(仮称)川越理容・美容専門学校」開校に関しても、その資金の運営、煩雑な事務処理等、高齢な松山千恵子氏では無理な話だ。ここに、舟橋功一川越市長の存在意義が大きく関わってくる。

 舟橋ファミリー危機存亡の秋であることはたしかなようだ。坂戸理容美容専門学校,川越理容・美容専門学校,東京高等理容美容専門学校,松山千恵子

 


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