行政調査新聞社 社主:松本州弘 埼玉県川越市

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議員削減
「川越市は議員が多すぎる!」
県下自治体・対有権者数トップクラスの議員数
「議員定数削減問題」の議論を深めよ!

 川越市議会の議員定数は40名である。この数字についてはかねてより「多すぎるのではないか」との意見が、おもに市民の中から提起されてきた。

 先に行われた、市職員公金横領事件を調査するための「百条委員会」設置決議案投票では、14名もの市議が設置に反対を投じたことは記憶に新しい。

 市職員による空前の公金横領事件が発覚し、市民の代表である市議が法的な力を持ってこれを精査しようではないか、という「反対すべき妥当な理由がない議案」に対し、背を向けた議員が半数近く存在したという事実は大きい。反対理由として考えられるものが「市議関与疑惑」であろうと、あるいは問題意識の希薄さであろうと、事件の全貌を「うやむや」の方向へと導こうとした市議はみな、反市民的と呼んでも差し支えなかろう。

「そんな市議はいらない」……という声が高まるなか、「そもそも川越市は、他市と比較して議員の数が多すぎるのではないか」という主張が、市民からいま一度提起され注目されている。

 川越市ははたして、他市より議員定数が多いのだろうか。

埼玉県における、人口30万人を超える各自治体の議員1人あたりの有権者数の比較
自治体名
議員
定数
総人口
総有権者数
議員1人あたりの有権者数
備考
川越市 40 333,343 267,308 6,682
所沢市 36 339,322 272,687 7,575
越谷市 32 308,307 250,105 7,815
川口市 44 475,896 380,014 8,636
さいたま市 64 1,193,039 921,338 14,395 今期に限り議員定数71人(岩槻区編入のため)

 表「議員あたりの有権者数」は、埼玉県下で総人口が30万人を超える自治体をピックアップし比較したもの。記載した総人口は最新のデータ、有権者数は各自治体が行った直近の選挙における数であり、必ずしも同時期の数字ではない。あくまで参考として見ていただきたいのだが、さりとて今年11月現在の実態とさほど異なるものでもない。

  こうしてみると、「議員1人あたりの有権者数」は川越市が最も少ない。つまり有権者全体からして、議員の数が最も多いのである。
 
  行財政改革の潮流から、全国の各地方自治体ではどこも議員定数削減に対する議論が盛んである。だが「議員1人あたりの有権者数」が埼玉県下トップクラスを誇る川越市では、議員定数削減に対する議論も、またその議論の必要性すらもほとんど提示されていない。

 03年に行われた前回の川越市議選において新選出議員となった小野澤康弘市議は、その公約で「議員定数削減、議員報酬の削減、議員定年制の実現」と、市議会に直接関係するものを3点も列挙した。だが今日に至るまで、小野澤市議の公約の実現可能性はもちろん、これらの問題に対し議論が深まる可能性ですら、あまりに心許ないと言わざるを得ない。

 議員定数削減に関する議論は大いに結構。どんどんやるべきだ。だが、気をつけておかなければならないことがある。

議会制民主主義の根幹を費用対効果=経済で語る愚を犯すなかれ、ということだ。

議員定数とは、何名が妥当な数なのか?

 行財政改革の主旨とは、適切な経費削減にある。この「適切」という部分には、経費に見合う市民サービスが確保されているのか、という評価が担保されていなければならない。何のことはない。無駄は切り捨てよう、という実にシンプルな考えだ

 と同時に、これは「市民サービスが向上するのであれば、経費はかけるべき」ということでもある。無駄か、無駄ではないか……この分岐点にあるものは効率であろう。経済と言い換えてもいい。

「行政の手続き」……抽象的な言い方をすれば、市民みんなが決めたある「意志」が、具体的に実現するまでの道のり、プロセスにあっては、経済的観点を持ち込むことに大きな意味がある。無駄をなくし、いち早く実現する方法を模索することは重要だ。

 しかし「意志決定」そのものに対してはどうか。

 議会制民主主義というシステムを、費用対効果という経済の観点からみることになってしまう。これほど馬鹿げた話はない。言うまでもなく、議会制民主主義とはそもそも「意志決定の経済」など度外視しなければ成り立たない制度だからだ。

 市民サービスが「行政上の手続き」の問題であれば、経済で語るのは妥当。だが「市民社会の隅々までの意見・意向を反映する」という意志決定のきめ細かさをも市民サービスと考えるならば、費用対効果という経済的観念が優位に立つことなど、あろうはずもない。

「地方の時代」が言われて久しい。だが地方自治体が真の意味で自主的な意思決定を行うためには、住民自治の根幹をなす地方議会の活性化や、住民参加の積極的な拡大と多様化が不可欠であることは言うまでもない。真の地方自治とは、住民の意思と責任に基づいて主体的に形成されるべきであるという基本認識のもと、住民自治のさらなる充実が求められている。「地方の時代」では、住民の意思を代表する地方議会の役割は格段に重いものになる。

 そうしたなか、たとえば「経費削減」という経済の観点から議員定数削減を論じるのは、果たして妥当なのかという問題はこれまでも再三論じられてきた。

「議員の数は多ければ多いほど良い」とする考え方もある。議員が市民をはじめ各地域、各種団体の利益に供する代表者であるとの認識に立てば、議員の数は多い方が良い、ということになる。議員が背負っているあらゆる市民の利益のために汗を流し、30万の人口がつくりあげる「市民社会」隅々に至るまでの意向を反映させるには、議員の数は多いに超したことはない、という論には一定の説得力がある。

 議員の定数は法によって決定されている。川越市の場合は、平成11年12月24日に制定された「川越市議会議員定数条例」がそれだ。議員定数という「数」にタッチするということは、法という「市民と社会との契約」に触れることであり、非常に重いテーマだ。

 単に各自治体の「議員1人あたりの有権者数」を並べ、その平均をとり、多いか少ないかを議論して「じゃあ議員を減らすべきだ」とする意見は、きわめて乱暴である。議員の数は何人が適切なのか、という問題は非常に難しい判断をともなうものであろうし、決定的な論拠を得ることはできないはずだ。

「議員の数に触れる」重いテーマを
「議論できるか、できないか」こそが問題だ
重要なのは「議論に足る議員の資質と知性」

 川越市に必要なのは「いますぐ議員定数を減らす」ことではない。議員定数削減について議論できる素養を身につけ、その土台を用意し、大いに話し合うことだ。市民の代表者である議員の「数」を重いテーマと捉え、川越市議会議員定数条例という「法」が規定したこの数が、果たして川越市にとって妥当であるのかに対し、可能な限り議論を尽くすことである。

 徹底した議論がなければ、議員定数削減は単なる「手続きの問題」と化す。誰かが口火を切り、別の誰かが各自治体における議員数の平均値などという「わかりやすい比較参照物」を持ち出して「これは無駄だ」と断じ多勢が同調する。そして定数条例が書き換えられる……こんな手続き処理の問題になってしまう。

「無能議員はクビにしろ」。これは正しい。「反市民的議員から議席を取り上げろ」。これも正しい。たとえば本紙が過去号にて報じた公金横領疑惑の権化・神田壽雄議員など、ただちに市議会から追放すべきだと本紙は考える。

 だが、追放した議員が座っていた「椅子」を潰すことは別である。「犯罪的議員、無駄飯食い議員をクビにすること」と、「議席そのものを削ること」とは、単純にイコールで結べるものではない。

 川越市会議員の年収と、寝ぼけたようなその働きぶりを見れば、「無駄じゃないのか」と思う市民の気持ちには共感できる。百条委員会設置決議案を提出した中原議員と、市民に背を向け反対票を投じた14名の市議が、同じ収入であることに納得できるのか、と問われれば、素直に肯じ得ない気持ちは理解できる。

 だからといって「14の議席そのものが無駄」と言えるのか?換言すれば、14の議席に座る市議が、みなすばらしい働きぶりを示したならばどうか。

 議員の数に触れるというのは、何度も言うが民主主義の根幹をなす重いテーマだ。と同時に、いますぐにでも議論すべき……いや正確に言えば、「議論を絶えず意識すべき」テーマでもある。

 それは「法は擁護されねばならないが、市民の同意により変更できる」という、ホッブス、ロック、ルソーらが唱えた近代社会契約説がもつエッセンスの、現代的意義を捉えなおす作業にもつながる。

川越市はいまや中核市。いつまでも田舎議会であってはならない。

 はたして、悲しむべきか笑うべきか、このテーマを議論するに足る素質をもつ議員が、川越市議会に何人いるというのか。考えるとぞっとする。と同時に、これは程度の低い議員を選んだ、われわれ有権者の責任でもあるのだ。この問題については、本紙インターネット版で引きつづき深めよう。■

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