
舟橋ファミリー「学校乗っ取り」疑惑
本紙は見た!松村東VS厚生労働省
「東京高等理容美容専門学校」は県知事の指定承認のみ
事実指摘に青ざめる厚労省職員!
(地方紙版行政調査新聞平成15年9月号に掲載した記事です)
7月15日、本紙はトータルビューティカレッジ川越(旧・坂戸理容美容専門学校・東京高等理容美容専門学校)の「真の校長」松村東氏の厚生労働省との面会に同行取材した。午後1時のことである。
厚労省側からの事前連絡で、面会時間は1時間。限られた時間を有効に使うべく、松村氏は資料の確認に余念がない。
正面玄関を左折し共用第一会議室にて待機すると、まもなく厚労省側から3人の若手職員が現れた。私立学校法などの法律書を携えた職員が一人いるものの、総じて事件にかかわる事前知識は持ち合わせていないようだ。
開口一番、職員の一人が「本日は会議がありますので、1時30分までとさせて頂きたいのですが」と切り出した。冗談じゃない、我々は1時間という約束のもと、遠路はるばる埼玉県から来たのだ……。松村氏は表情を一変させた。パーティーションで区切られた無味乾燥な空間は、端緒から緊張に彩られた。
「1時間という約束だったではないか」「いや、この部屋は1時間の予約を取っていますが……」。国民の切なる陳情などいちいち耳を貸している暇はない、とでも言いたげな表情で、厚労省側の若手職員は薄笑いを浮かべた。「そんな話があるものか」。同行した記者も思わず抗議の声を漏らした。
本紙が昨年よりお伝えしてきた、東京高等理容美容専門学校(現・トータルビューディカレッジ川越)乗っ取り事件。平成13年施行の情報公開条例により初めて明らかにされた数々の公文書をもって、40年近い歳月をさかのぼり、巧妙に仕組まれた舟橋ファミリーの「完全犯罪」をひとつひとつ解き明かしていく作業は困難を極めた。その詳細は本紙過去号をご覧いただくとして、長きにわたる同校乗っ取りへの経緯やそれらを証明する公文書の一つ一つをここで提示し説明している暇はない。松村氏はこの日のために、これまでの経緯を簡潔に表にまとめた資料を渡し、冒頭から簡潔に説明する。場数を踏んできた松村氏である。説明はよどみなく無駄はない。
だが、一度でも「お役所陳情体験」のある読者諸氏なら、この場の雰囲気は容易に想像がつくに違いない。「で、聞きたいことは何ですか」「要するに何が言いたいんですか」……。若手役人が眼鏡越しに投げかける、怜悧ともやる気がないとも取れる、まるで血の通わない言葉が松村氏の説明をしばしば冷たく遮る。時計を握りしめた松村氏の左手が微妙に汗ばむ。
説明が簡潔に過ぎれば「話がわからない」、微に入り細にわたれば「要するに何が言いたいのか」……。そんな当たり前の反応しか示せないのは、この若手役人が話を汲み取る能力に欠如していることを如実に証明している。あるいは、これが厚労省側の常套的な「心理作戦」なのか。とまれ、国民の訴えに真剣に耳を貸す姿勢など、微塵も感じられない。
いや、その余裕がないのだろう。松村氏の訴えは揣摩憶測の類ではない。「学校乗っ取り」の経緯は、数々の公文書が明らかにしているのだ。松村氏にあるのは徹底したリアリズム……それ以外にはない。だが厚労省側の姿勢は「最初に結論ありき」。厚生政務次官であった松山千恵子氏の「学校乗っ取り」など、何が何でも認めるわけにはいかないからだ。
それは単に法人登記の過失問題だけではない。私立学校に対する数十年にわたる補助金の問題もある。松村氏の訴えが全面的に認められれば、県も国も「タダでは済まなくなる」からだ。絶対に認めるわけにはいかない……若手職員は、巨大な権力があらかじめ結論づけた意志の、単なる駒にすぎないのである。
若い役人の芸のない「心理的圧力」など計算済みだよ、といわんばかりに、松村氏は説明を続ける。やがて3人の職員のうち1人が微妙に首をかしげはじめたのを、本紙は見逃さなかった。
これまで収集した公文書を掲げ、問題点を指摘する松村東氏の朗々たる声は、まさにピンポイント攻撃のごとく厚労省職員の耳を直撃した。
松村東氏の主張に
わなわな震え出す厚労省職員
松村氏の要点を以下にまとめると、
* 昭和42年2月20日付けで「準学校法人東京高等理容美容専門学校」が開校したのだが、この「学校名」が重大なポイントである。松山千恵子氏側が提出した「理容師美容師養成施設指定申請書」は、文字どおり理容師美容師養成施設指定の申請である。この申請書は各都道府県知事が旧厚生省へ進達をはかるものである。
これまで本紙が何度も指摘してきたとおり、これが「学校法人」の申請書である場合、寄付行為の規約を添付せねばならない。だが厚労省は松山側の申請を「理容師美容師の養成施設のみにとどまったことを確認した」と証言。つまり、法人としての申請はまったくなされていなかったのである。これは厚労省が本紙記者の前で明言したことだ。
* さらに、松村氏は指摘した。昭和42年4月17日付けの検査済証(第229号)。開校日の1日前に発行されたこの文書では、建築基準法第7条3項の規定により、「内容は各種学校であり、建築主は東京高等理容美容専門学校・松村東」であることが明記されている。
松村氏が提出した各公文書のコピーに目を走らせる厚労省職員の顔色が次第に変わってきた。松村氏はここぞとばかりに声のトーンをアップした。「昭和41年4月18日には法人としては開校できません。その理由は、法人は登記をすることによって成立するからです」。厚労省職員の表情には、明らかに狼狽の色が伺えた。
松村氏は続けた。「松山千恵子氏の経歴書を見てください。昭和42年4月18日に校長・理事長……とありますね。登記をすませていないのになぜこんなことが書けるのですか。こんな虚偽がまかり通るのは、厚生政務次官を勤めた、当時の松山千恵子氏の政治力のなせる業以外にはありませんよ」
厚労省にとって、元厚生政務次官の松山千恵子氏はいわば大先輩であり、「身内」である。松村氏の舌鋒鋭い指摘と、その主張に確証を与える数々の公文書を目にした厚労省職員は、本紙記者の前で見る間に青ざめた。そして書類に何度も眼をやりながら、次第にわなわな震えだしたのだ。
「養成施設」というポイントにこだわる松村氏。当然である。「東京高等理容美容専門学校」は、まちがいなく養成施設だったのだ。
県は知事権限で、開校日の1日前に松村東に対し検査済証を発行したのである。したがって学校を使用するには、松村東氏が了解しない限り、あるいは松村氏が松山千恵子氏に「申請人」を依頼しない限り、不可能なのである。法人としての申請書が存在しないのに、いったいどこに「準学校法人としての学校」が存在するのか。
松村東氏は昭和43年11月30日、松本建設に対し学校建設費用の残金(約360万円)を個人で支払った。松村東の所有権に変更はないのである。
公文書の束と松村氏の論理的な説明に、顔面蒼白の厚労省職員。執念の男、松村東氏はまた一歩、駒を進めたのである……苦渋に満ちた半生を、自ら明らかにする光を求めて。■
|