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学校乗っ取り・補助金不正受給疑惑
40年間、一度も合法ではなかった「トータルビューティカレッジ川越」
松村氏の資産を盗んだ決定的文書(寄附申込書)がついに公開!
旧厚生省は松山・舟橋ファミリーの「政治的権力」に屈し
「存在しない学校法人」を養成施設に指定承認していた!

(地方紙版・行政調査新聞10月号掲載記事です)

 ふたたび厚労省が揺れている。

「学校乗っ取り・補助金不正受給疑惑」の舞台である理美容専門学校トータルビューティカレッジ川越。この学校の運営母体である準学校法人川越専門学園の「非合法性」が、日を追うごとに明らかになりつつあるためだ。

 同校が合法的な存在であるためには、△理美容師養成施設指定承認(現・厚労省。昭42年当時は厚生省)△学校設置認可(埼玉県知事)△法人寄附行為認可(埼玉県知事)という3つの大きな柱に支えられていなければならない。そして現在、これら3本の柱はそのどれもが激しく炎上し、まさに崩壊寸前。準学校法人川越専門学園はどの角度から見ても、その合法性を担保する根拠が見あたらない。それどころか開校以後40年間、一度たりとて合法的存在であったためしがないのだ。

トータルビューティカレッジ川越 「真正な登記回復に証人審尋の必要性を認めず」
「登記請求権請求事件」第1回口頭弁論わずか20分で閉廷

 さる10月4日、さいたま地裁川越支部にて松村東氏を原告、準学校法人川越専門学園を被告とする「登記請求権請求事件」(峯金容子裁判長)の口頭弁論が行われた。

 これに先立つ9月26日、被告側は2名の弁護士の連名による違法な「答弁書」を提出(違法である理由は後述)。4日の審尋期日に出廷しない意思表明であり、同時に裁判を長引かせるための嫌がらせでもあった。

 そのため当日は松村東氏のみが出廷したのだが、わずか20分足らずで閉廷してしまった。その理由は松村東氏が申請していた証人への尋問を、峯金裁判長が「必要性なし」と却下したためである。

 松村氏が申請した証人は上田清司(埼玉県知事)、舟橋功一(川越市長)のほか、準学校法人川越専門学園側として松山千恵子(元理事長・元校長)、舟橋浩子(現理事長・校長)、そして山崎禅明(元同校理事・永源寺住職)の5氏。なお上田知事は同学校法人の設置認可・寄附行為認可権者であり、舟橋市長は被告である学校法人の前法律顧問弁護士である。

 峯金裁判長が証人審尋を却下した理由は「本件は登記請求権請求事件であり、不動産にかかる真正な登記の回復であるため、これら証人の必要性が理解できない」とのこと。これに対し松村氏は「回復すべき所有権とは、もともと『不法な法人設置』と旧厚生省による『不法な養成施設指定承認』に関係して不正に移転されたものであるため、これら不法行為を認知している証人への審尋が必要」と主張。松村氏は来る11月5日までに裁判所に対し、この主張を文書にて提出するよう求められた(次回口頭弁論は11月8日の予定)。

 裁判長の判断で重要なことは、この裁判の趣旨が「真正な登記の回復」という一点において、まったく動じていないことである。松村氏の主張の真偽について審議するというレベルをとうに超えており、目的は不動産登記の回復一点のみ。したがって証人の必要もない、と判断していることだ。

 もっともこの「登記請求権請求事件」の前段階で行われるはずだった同校不動産物件に関する「保全異議事件」では、裁判所側は松村氏による証人(今回とほぼ同一の顔ぶれ)申請を認め、審尋期日も3月6日に決定。裁判所より各証人らに通知されていた。ところが審尋期日の1日前である3月5日、学校側が「保全異議事件」のベースとなった「看板撤去等仮処分命令申立事件」(1月18日仮処分命令判決)を書面にて全面取下げしたため、保全異議事件も霧散したのは本紙既報のとおりである。

「看板事件」を学校側が全面取下げした理由はいたってシンプルだ。自らの所有権を証明できないからである。当時すでにはじまっていた保全異議事件のテーマは「校舎建物の所有権」そのもの。すなわち「私の学校(東京高等理容美容専門学校)を勝手に壊し、私の土地に無断で新校舎(坂戸理容美容専門学校)という妨害物を建てたのは、他ならぬ松山千恵子氏側ではないのか」……という松村氏の主張に対し、松山氏側は自らの所有権を証明できずに逃走したのである。

 これについて松山氏側は「仮処分命令により松村さんが(私たちの学校に建てた)看板を下げてくれたので、私たちも訴えを取り下げたのです」と述べている。だが「看板撤去等仮処分命令申立事件」の判決日(終局日)は1月18日。そして全面取下げは約1ヶ月半後の3月5日。民事訴訟において判決日以後の取下げ行為は「再訴禁止」となる。もし松村氏が再度、自らの所有であることを謳った看板を同校校舎に掲げても、松山氏らはもはや二度と同じ訴えができない……つまり攻撃に対する防御方法を永久に捨ててしまったことと同義なのだ。

 ちなみにこの「判決以後の取下げによる再訴禁止」では、判決自体はもちろん判決を導き出した証拠等もすべて無効になる。だが9月26日、松山氏側が提出した「答弁書」に添付されていたのは、取下げした「看板事件」で、すでに松山氏側が使っていた証拠書類であった。つまり9月26日に学校側から提出された答弁書とは、2名の弁護士の連名でありながらも違法なシロモノ。「使ってはならない証拠書類」が添付されていたからである。

 閉廷後、松村氏は午後1時半より川越市役所記者室にて記者会見を行った。その記者室と同じ4階フロアには市長室がある。秘書室職員によればこの日、市長は「一歩も外に出ず市長室に籠もりきり」だった。目と鼻の先で松村氏が記者会見を行い「舟橋市長ファミリーに学校を乗っ取られた」と主張しても、市長は抗議の一つもするどころか、市長室でじっと息を潜めていたのである。

トータルビューティカレッジ川越 松山・舟橋ファミリー「準学校法人」存立の法的根拠はまさに崩壊寸前!
松山千恵子氏が県に提出した禍々しい犯罪の物証――「寄附申込書」

 準学校法人川越専門学園を支えるのが養成施設指定承認・学校設置認可・法人寄附行為認可の3点セットであることは先に述べたとおりだ。このうち旧厚生省による「養成施設指定承認」がいま、大きく炎上し崩れようとしている。そのきっかけとなったのは、「法人寄附行為認可」(埼玉県知事権限)をめぐりこれまで開示されなかった1通の文書が、ついに松村氏の目に触れることになったためである。

 学校設置認可については、すでに崩壊している。松山千恵子氏の「学校設置認可」は存在しないのだ。「松山千恵子氏を設置者とする(決裁済みの)学校設置認可申請書」も、「松村東氏と松山千恵子氏との設置者の変更認可申請書」も、ともに不存在(土屋前知事および上田知事が証明)。前者の松山氏名義による「未決済の」学校設置認可申請書に添付されていたのは、ほかでもない松村東氏が県から手交された学校校舎の建築確認通知書および検査済証であった。もちろん松山氏名義の「確認通知書と検査済証一式」など、この世のどこにも存在しない(これも上田知事が証明)。

 法人寄附行為認可。これもすでに決定的に瓦解している。なにより松村東氏、自分の資産(学校校舎および土地)を、松山千恵子氏の「準学校法人」に寄付したことなど一切なく、仮に寄付しようとしても法的に不可能であった。であるから松山氏らの「準学校法人」は、まったく資産をもたない存在なのだ。

 トータルビューティカレッジ川越の前身・東京高等理容美容専門学校の開校日は昭和42年4月18日。もしこの学校が「準学校法人」として開校したのであれば、開校日前に法人認可(寄附行為認可)が行われ法人登記されていなければならない。だが実際に寄附行為認可が行われたのはこの年の9月11日。法人設立は10月4日である。

  さらに、昭和42年9月11日に当時の県知事が松山氏の寄附行為申請を認可したこと自体、不正中の不正行為。というのもこのとき松山氏が寄附行為に添付した、学校校舎および土地という「資産」(実際には松村東氏の個人資産)には、当時の金額で約400万円の負債があったからである。これは同年6月、校舎建築に携わった東京の(株)松本建設と松村東氏との間に交わされた、工事残金の存在を示す公正証書、そして翌年11月の完済時に同社から発行された約360万円の領収書という「公信力をもつ書類」2点が明確に示している。

 さる9月18日、埼玉県は松村東氏に対し、氏があらかじめ申請していた公文書一式を開示した。松村氏が開示請求したのは、松山千恵子氏が昭和42年2月当時に県に「提出した」とする学校設置認可申請書と寄附行為認可申請書をめぐるもの。両文書はすでに松村氏の手にあるのだが、ともに県が「決裁した」形跡がないものだ。そこで松村氏は「各々の審査決裁関係書類を含む書類一式」を開示請求したのである。

  当然と言うべきか、審査決裁が行われた形跡は皆無だった。だが開示された文書の中には、これまで松村氏の再三の請求にもかかわらず開示されないままだった一通の文書が含まれていた。この文書こそが、松山千恵子氏らの禍々しい犯罪を赤裸々に示す、門外不出の「犯行記録」そのものだったのだ。

一円も出さずに他人の資産を掠めた松山千恵子氏の「犯罪記録」!

それは松山千恵子氏が準学校法人を設立する際、埼玉県に提出した「寄附申込書」である。

松山千恵子氏の寄附申込書松山千恵子氏の寄附申込書

<松山氏が県に提出した「寄附申込書」。こうして彼女は一円も出さず、他人の資産を盗んだのだ>

<1ページ>

昭和42年2月12日

設立代表者 松山千恵子殿
住所 ●●●●●●●●●
     氏名 松山 千恵子     

・寄附申込書

準学校法人東京高等理容美容専門学校が設立されましたら、下記のものを寄附いたします。

1. 入間郡坂戸町仲町975番地所在、木造亜鉛メッキ、鋼板葺2階建校舎、床面積635.90u(192坪)

2. 建築確認工事請負契約書等は松村東名義のものであったが、昭和42年2月7日開催設立発起人会の設立決議録のとおり、設立代表者が変わったので、松山千恵子の名義で寄附申込みするものである

<2ページ>

準学校法人 東京高等理容美容専門学校
設立発起人 氏名 松山千恵子 (印)
          氏名 原田信雄 (印)
          氏名 松村 東 (印)
          氏名 山崎禅明 (印)
          氏名 小林 稔 (印)
          氏名 酒本隆男 (印)
          氏名 ●●●● (印)

 本紙過去記事をご覧になった読者諸氏には、この文書の「とんでもなさ」が明瞭にご理解いただけるだろう。

△「設立発起人会」は行われていない
  まず、昭和42年2月7日に開催されたという「設立発起人会」。実際にはそんな発起人会など行われていない。松村東氏はこのとき、前年10月18日に「理容師美容師養成施設の指定申請」を県に提出し、指定承認がおりるのを心待ちにしていたのである。松村氏が指定申請に対し「却下」通知を受け取ったのは2月20日。7日の時点で、指定承認がおりるものと信じ切っていた松村氏がどうして口も聞いたことすらない、見ず知らずの他人に寄附行為などするだろうか。絶対にあり得ないことである。「議事録」なるものに署名されている松村東氏のサインは明らかに他人が書いたもの。この議事録を寄附申込書に添付した段階で、松山千恵子氏は私文書偽造罪をも犯していることになる。

△「設置者の変更認可」がなければ寄附できない
  さらに「設立代表者が変わったので」という文言にも意味がない。学校は「設置」するものであり、設置者は松村東氏。いみじくもこの寄附申込書でも「建築確認工事請負契約書等は松村東名義のものであった」と記されているとおり、学校の建築に関する確認(中間検査)や請負契約書などはみな、松村東氏こそが「学校設置者」であることを示している。

  設置者にとって学校は「資産」。そして法人の「寄附行為」は資産が存在しなければならない。

  したがってもし、この寄附申込書のとおり「松山千恵子名義で『学校という資産』を寄附する」のであれば、そこには当然ながら「設置者の変更認可」が必要となる。松村東氏と松山千恵子氏間の「設置者の変更認可」は存在していない。これは埼玉県の2人の首長、すなわち土屋前知事と上田知事の2名が、いわば「代を継いで」証明した。

  なお、文中にある「設立代表者」という肩書きはこの場合、法的には通用しない。「ボス」「キャプテン」「リーダー」と同様、集団の長であることを示す一般的な呼称にすぎない。この寄附申込書は、その文意からしてまったく合法的ではないのだ。

△資産に負債があっては寄附できない
  これまでも報じてきたとおり、松村氏は新築した学校に対する建築費支払いの際、東京の(株)松本建設に対し、瑕疵担保責任に起因する負債……建物に不備がないことを確認してから残金を払うべく、総建築費の一部を未払いにしていた。このため松村氏と松本建設間では昭和42年6月29日に公正証書を作成。松村氏は翌年11月30日、この公正証書に基づき校舎建築費の残金を松本建設へ支払っている。

  つまり昭和42年2月7日(偽発起人会)であろうと、2月12日(寄附申込書の日付)であろうと、学校法人設立の「寄附行為」に添付すべき資産……寄附申込書の“1”に書かれている「入間郡坂戸町仲町975番地所在、木造亜鉛メッキ、鋼板葺2階建校舎、床面積635.90u」には、昭和42年当時で約400万円もの「負債」があったのだ。この「資産」を寄附行為に添付することは、絶対に不可能である。

 この書類の2ページ目には、なんと松村氏の署名までをも確認することができる。もちろん氏本人の署名であるはずがないどころか、松村氏にはこの手書きの「寄附申込書」が、約40年を経た現在でも、実際に誰の手で書かれたものかを即座に理解することができた。学校を作るに際し、松村東氏の片腕的存在であった小林稔氏の筆跡そのものだからだ。数年後、小林稔氏は同校の事務長に就任するものの、身体は癌に冒されていた。彼はこの世を去る直前、病床で松村氏に対し乗っ取りの全貌を涙ながらに告白したのは本紙既報のとおりである。

  この馬鹿げた、そして許し難い犯罪記録である「寄附申込書」1枚から明瞭に読み取れるのは、何の資産も持たない松山千恵子氏がまったく身銭を切ることなく、ビタ一文も出さずに、他人の資産を丸ごと掠め取ったという紛れもない事実だ。

  松村東氏が県の窓口からの口利きである人物を紹介され、この人物が間に入ることで初めて松山千恵子氏と会ったのは同年3月下旬。養成施設指定申請を却下され、わらにもすがる思いで「(旧)厚生省の実力者」である松山氏に、個人運営・各種学校の暫定的校長を依頼した際、松山千恵子氏は「わたしは政治家ですので、3年経ったら(校長の椅子を)お返しいたします」と、凛然と確約した。その松山千恵子氏が、である。実は1ヶ月以上前に、犯罪行為の端緒となる偽造書類を作成し、まだ見ぬ松村氏のあずかり知らぬところで、学校乗っ取りを着々と進めいていたのである。

トータルビューティカレッジ川越 旧厚生省、存在しない学校法人に「養成施設指定承認」
「昭和42年4月18日・開校日」を基点とすれば、乗っ取り工作は歴然!

 この「学校乗っ取り・補助金不正受給疑惑」は松山千恵子氏(元厚生・郵政政務次官)と舟橋功一川越市長(弁護士・元同校法律顧問)の政治的権力を背景に、3つのライセンス(養成施設指定承認・学校設置認可・法人寄附行為認可)と2つの認可権者(厚生省および埼玉県)とが重層的に絡み合った複雑怪奇なものである。

 だが、「昭和42年4月18日」という同校開校日を基点として捉えれば、不正工作の痕跡は明瞭に浮かび上がってくる。そしてこの「乗っ取り」をめぐりいま、ふたたび厚労省(旧厚生省)が揺れている。

 経緯を簡単に説明しよう。松山氏側は今年3月5日、「看板事件」を全面取り下げしたのは上述のとおり。これは明らかに学校の所有権を彼らが立証できなかったことに起因する。看板事件に後続していた「保全異議事件」を消滅させるのが、取下げの目的だからだ。

 もっとも松山氏側は「仮処分命令申立てを取り下げたからといって松村氏の所有権を認めたわけではない」と、ご丁寧に弁護士2名の連名による「強要・脅迫文書」を2度も松村氏に送付し反論した。仮処分判決後の訴え取下げにより、松山氏らは二度と再訴できなくなったため、脅迫めいた文書で嫌がらせをはじめたのである。

 しかし準学校法人側が所有権を証明できないのは事実であり、いっぽうの松村氏は公信力のある証明材料をふんだんに有している。しかも学校側は所有権証明のチャンス(保全異議事件)までをも捨てて逃げた。

 ならば、松村氏はどうすべきか。学校の校舎および土地は現在、登記上は準学校法人のものとなっている。先の「寄附申込書」は真っ赤な虚偽捏造。それを証明する物証も松村氏は有している。

 資産を証明できない学校法人は解散しなければならない。だが学校側は一向に解散手続きをはじめる様子がない。したがって松村氏は登記を自分自身に戻す――「真正な登記の回復」を趣旨とした訴えを起こし、来る11月8日に第二回口頭弁論が行われるのは本文最初に記したとおりだ。

 この登記回復の訴えと並行し、松村氏は別の作戦を立てた。氏はここで新たな「養成施設名」を作ったうえで、「準学校法人川越専門学園」の養成施設名称変更届をさる6月11日、厚労省の出先機関である関東信越厚生局に提出したのである。

 すると19日、厚生局は松村氏に対し変更届を返送してきた。「準学校法人川越専門学園の専門学校トータルビューティカレッジ川越から提出されたものではないため返却します」がその理由だった。

 その2日後、松村氏は同局に対し質問事項を送付。すると厚生局は平成10年4月1日、当時の厚生大臣・小泉純一郎氏が「準学校法人坂戸理容美容高等専修学校・理事長松山千恵子」に宛てた理美容養成施設指定承認書を松村氏に送ってきたのである。

 トータルビューティカレッジ川越の運営母体は現在「準学校法人川越専門学園」。だがこの「法人」は、これまで何度も名称を変更しては、法人設立当初の名称である「準学校法人東京高等理容美容専門学校」を衆目に触れさせないようにしてきた。だがいくら名称を変更しても、法人設立登記は1度しかない。平成12年当時「「準学校法人坂戸理容美容高等専修学校」という法人名称を用いていようとも、その法人登記時の名称は「準学校法人東京高等理容美容専門学校」である。

 先に記したとおり、同校開校日は昭和42年4月18日。だがこの学校に対し、「法人」としての知事認可(寄附行為認可)がおりたのは同年9月11日。法人設立登記に至っては10月4日である。

 ところが同校に対し旧厚生省は4月10日、理美容養成施設指定承認を下している。法人設立の半年も前に、当時の厚生大臣・坊秀男氏は「そのときはまだ設立さえもしていなかった」学校法人に対し、養成施設指定承認を行っていたのである。

トータルビューティカレッジ川越トータルビューティカレッジ川越

<同校に対する養成施設指定承認書。宛先は「準学校法人」の「設立代表者・松山千恵子」だ。4月10日には「準学校法人」など影も形もなかった>

 松村氏は怒った。「昭和42年4月10日には、同校は法人寄附行為認可すら得ていない。旧厚生省はいったいどこの『学校法人』に養成施設指定承認を下ろしたのか!」

  すでに報じてきたとおり、松村氏は個人運営・各種学校として東京高等理容美容専門学校を設置。昭和41年10月の段階で厚生省に対し養成施設指定承認申請を行った。だが翌42年2月27日、理由不明のまま「却下」の事実のみが伝えられた。

 松村氏が自分の学校に対する「却下の理由」を知ったのはそれから約35年後。平成13年より施行された情報公開条例のおかげであった。氏の公文書開示請求により開示された、当時の厚生省環境衛生局より埼玉県知事に送られた「却下理由」には「法人運営費が総予算に占める額が大きすぎる」などの、事実無根に満ちたもの。松村氏は個人運営・各種学校として申請したのに対し、厚生省は法人として却下してきたことがようやく判明したのであった(のち、当時の県と厚生省とが「電話でやりとりしつつ」却下理由をでっち上げていたことを厚労省職員が証言)。

「厚生省は、私の申請に対しては嘘の理由で却下しておきながら、なぜ松山千恵子氏の『存在していない法人』に対し、養成施設指定承認を下ろしたのか。そもそもどこに法人があるのだ!」

 激怒した松村氏は再度厚生局を訪れ、さる7月18日に養成施設名称変更届を提出。すると対応した3名の職員が「本日、関係書類をお預かりしました」と、受理したことを証明する書類に捺印したのである。

トータルビューティカレッジ川越 昭和42年当時の「犯罪」に揺れる現厚労省
「養成施設指定承認」問題をどう説明するのか?

 いま、松村氏の養成施設名称変更届を受理した……受け取らざるを得なかった厚労省が「非常にまずい立場に陥った」ことは容易に想像できる。

 というのも実は昭和50年まで、厚生省の公式な認識では準学校法人ではない個人運営・各種学校の「東京高等理容美容専門学校」に養成施設指定承認が下ろされていたからである。昭和42年4月10日に「準学校法人東京高等理容美容専門学校」へ指定承認を下ろしたのは「厚生大臣・坊秀男」名義で承認書を発行した、当時の厚生省環境衛生局だったのだ。

 このことは昭和50年、「東京高等理容美容専門学校」(準学校法人ではない)に対し当時の田中厚生大臣が発行した、理美容養成制度制定20周年等にちなんだ「感謝状」に、端的に示されている。もしこの感謝状が「準学校法人東京高等理容美容専門学校」に贈られたものなら、校名に付くはずの「準学校法人」を省くことなど、絶対にない。

「東京高等理容美容専門学校」に送られた感謝状

<昭和50年3月14日、理美容養成制度制定20周年等を記念し「東京高等理容美容専門学校」に送られた感謝状。この書状のどこにも「準学校法人」とは記されていない。厚生省が法人格を省略した感謝状を発行するなどあり得ない>

 先に記したとおり、旧厚生省は松村氏の個人運営・各種学校を、すでに「法人」として一度却下してしまった。だから、松山千恵子氏が「準学校法人東京高等理容美容専門学校」と、名称の頭に「準学校法人」だけを付けた「インチキ・コピー学校」に対する養成施設指定を申請してきても……その文書を埼玉県が収受し、審査し、進達し……厚生省環境衛生局がこれを収受する、という一連の痕跡を残すわけにはいかなかった。すべての経由プロセスを省略し、厚生大臣が一方的に「承認」を埼玉県に通知し、埼玉県がこれを収受する……。こうすることで、その前提にあるはずの松山千恵子氏の「申請」と県の「進達」を、既成事実化したのだ。

 これは、松村氏が昭和41年に新築した、耐久年数50年の学校校舎を、松山氏側はなぜ9年後の昭和54年に取り壊さなければならなかったのか、を説明することにもなる。昭和50年の厚生省からの「感謝状」を見て焦った松山氏らは、同校から「松村東色」を一掃することを思い立ったに違いないのだ。松村東氏の校舎を取り壊し、新校舎を建設すると同時に、「準学校法人」の名称を変更することである。そうして同校の上っ面の過去をどんどん裁ち切り、松村東氏の影も形もない学校に変えてしまうことだったのだ。

当時31歳の松村東氏

<昭和42年夏、通信課程学生のスクーリング授業を担当する
当時31歳の松村東氏>


東京高等理容美容専門学校専門学校内部写真

<新築校舎内部。当時とてもモダンな学校と評判だったこの校舎を、
なぜ松山千恵子氏は築9年で壊さねばならなかったのか>

 松村氏の「養成施設名称変更届」を受け付けた厚労省。いま、彼らが直面しなければならないのは40年前、大臣名義で書類の捏造を行った内部犯罪……。旧厚生省環境衛生局の犯罪そのものである。

「一浩にはまだ早い。5期目も私がやる……」
舟橋市長、次期市長選にも出馬意思の噂!
こんな男に川越市を任せて本当にいいのか?いまこそ川越市民の民意を問う!

 冒頭で述べた「登記請求権請求事件」第1回口頭弁論後の記者会見。松村氏の説明を聞き入っていたのは本紙以外に朝日、毎日、読売、産経の各全国紙、そして月刊誌「財界にっぽん」の記者らであった。

 会見後、記者らの誰ともなく口にした「ある噂」に、本紙は慄然とした。

「舟橋氏はつぎの市長選にも出るらしい。何でも『一浩にはまだ早い。あと一期は私がやる』と言っているらしいんだ……」

 会見の行われた川越市庁舎記者室からやや離れた、同じフロアの市長室で舟橋市長は息を潜めていた。廊下でうっかり記者らに目撃されれば、松村氏の件で質問攻めにあう恐れからか、秘書室によれば「一歩も外に出なかった」。

 昨年9月議会の最中に市議会各会派リーダーに「名誉毀損の言い訳文書」(松村氏による刑事告訴進行中)をばらまいたかと思えば、松村氏に「12月31日に5000万の和解金を支払うから舟橋功一への名誉毀損を取り下げろ」「補助金は全額、県に返還する」などの文言をしたためた「和解条項の骨子案」を提示。松村氏に一蹴されると今度は松村氏の「看板」に対し仮処分命令を申立て、「他人の不動産に妨害物を立てたのはそちらではないか」と氏に反論されるとしっぽを巻いて逃げる。逃げて再訴禁止になれば西入間警察署を利用した嫌がらせ攻勢。そのあげくに松村氏の「真正な登記回復」を求める裁判に、違法な答弁書を提出して時間稼ぎ……。何とも卑劣な男である。

 元文部大臣・第45代衆議院議長をも勤めた松永東を筆頭に、文部大臣・通産大臣・大蔵大臣を歴任した松永光、衆議院議員であり埼玉県副知事をも勤めた松山義雄らが名を連ねる松山ファミリーが持つ強大な政治権力を背景に、娘婿の舟橋功一弁護士は現職市長。その子息である一浩氏は先の県議選で当選した埼玉県議である。この川越の土地に「政治の松山・法律の舟橋」の根は深く、その影響力は政府、自治体行政のみならず司法の場にまで及ぶという。

 その彼らが、その舟橋市長が、である。川越随一のエリート一家としての栄耀を享受するその一方で、他人の資産を簒奪し、以後40年にわたり松村東氏に苦渋の人生を強いてきたのである。

「もう一期を私がつとめ、以後を一浩氏に譲る」という噂が真実であるならば、これはもはや「化け物ファミリー」の川越市私物化、という以外に何と言えばいいのか。

 こんな男、こんなファミリーに郷土を任せたまま、政治的に無為な生活に甘んじるままで、中核市川越市民は本当にいいのか?本紙はいまこそ真剣に、川越市民の民意を問う。■

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