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【埼玉県入間郡三芳町】
鈴木町政、早くも腐敗へのカウントダウンか?
「墓地造成計画」をめぐる町長・農業委員会会長と
「カネの入った封筒」を配り許可前に事前着工した「正圓寺」との癒着疑惑!
さいたま市に所在する正圓寺(さいたま市中央区本町西4-3-15。代表役員・深谷基雄)。天正9年(1581)の創建と伝えられる浄土宗の由緒ある寺がいま、三芳町の農家の感情を逆撫でしている。その理由は同寺が、三芳町上富に墓地(所沢シティメモリアル)を造成しようとしているためである。
「所沢シティメモリアル」造成計画とは何か?
「所沢シティメモリアル」の事業者である正圓寺側は、あらかじめ「カネの入った封筒」をばらまき、墓地造成に関する近隣住民の同意書をまとめてしまった。だが三芳町の地域農家はこぞって反対。農業委員も全員が強硬に反対した。造成地の一部が農地だったからだ。
鳥害による農作物被害拡大、交通渋滞招来への懸念は言うに及ばず、農地は農家にとって生活の糧。「所沢シティメモリアル」計画には、守るべき農地がなし崩し的に墓地造成ラッシュへとつながる予兆があった。三芳町には墓地造成に対する規制(他市町村の宗教法人による墓地造成不可)がないのだ。また墓地では固定資産税が生じないため、町にとって何のメリットもない、という意見も反対材料のひとつだった。
農地を含む土地を墓地造成する側には、農地転用許可が必要である。正圓寺に対する農地転用許可をめぐり、農業委員会は3度も否決。
まして否決審議の最中、事業者側(正圓寺)が勝手に「事前着工」をはじめていたことまでもが確認されたのである。「農地転用許可以前に事前着工するとは、何たる悪質事業者」と、委員らのなかに「可決」の意志など生じる余地もなかった。
だがその直後、事態は急変した……。掌を返したような「許可相当」が同委員会で採決されたのである。強い疑念を抱いた本紙は三芳町行政および農業委員会関係者に綿密な取材を敢行し、事業者側に奇妙に肩入れしているとしか思えない同委員会事務局長(三芳町職員)の存在を確認。さらに調べてみると、同職員もまた、「上」からの要請に従って事業者側に沿った行動を余儀なくされていた形跡があった。
その「上」とは、農業委員たちを「農地転用可決」へと強圧的に誘導したといわれる農業委員会会長・島田弥三郎氏である。7月25日の三芳町農業委員会定例会議にて、強硬に反対する農業委員全員を前に、会長はこう言い放ったという……。
「いつまでも反対していたら、正圓寺に損害賠償請求されてしまうぞ!」
墓地造成に必要なのは「土地開発許可」と「墓地造成許可」
「所沢シティメモリアル」のネックは「農地転用」
墓地を作るにはどうしたらいいのだろうか。一般読者にはあまりなじみのない話だと思われるので、ここで簡単に説明しておこう。飲食店やビルとは異なり、墓地はいきなり市街地に造られるものではない。墓地や霊園が新規に開設されるのはたいてい、市街地から離れた場所である。あまりに人里離れた場所では利用者に不便。かといって土地の規模からも施設の性質からも、住宅地に唐突に造られるものでもない。市街地からほどよく離れた山林等が適している、と一般的には考えられている。
墓地を造成するためには、都道府県知事の許可を経なければならない。大別すれば「土地開発」と、「墓地開設」の2つの許可を得ることである。
まずは土地の開発許可。一般的なケースでいえば、墓地の候補地とは通常、山林に属している。山林にある土地を開発するために必要となるのは、県による林地開発許可である。これは墓地開設のみならず、どんな目的であろうとも山林を開発するために必要な許可である。
もうひとつの墓地開設許可……。開発許可済みの山林地に墳墓(墓地)を開設するには、やはり県による許可手続きが必要となる。このために県(実務上は所轄保健所長)に墓地の経営許可申請書を提出し、許可を得なければならない。
だが「所沢シティメモリアル」計画の場合、事情は異なる。墓地として造成しようとしている土地の一部(三芳町上富1584-1および1584-2)が農地だからである。しかも事業者が転用後の事業目的のために、すでに手付金というかたちで購入代金の一部を支払っているものであり、「もとの農地地権者自らによる転用」ではない。そのためまず、土地の開発許可に際し農地転用許可(農地法第5条)を得なければならない。農地法では、転用または転用を目的とした権利の設定・移転に対して規制を設けており、都道府県知事(4haを超える場合は農林水産大臣)の許可が必要となる。そしてこのためには、農業委員会の決定を経て埼玉県農林部生産振興課(実務上は川越農林振興センター)に農地転用を申請し、許可を得なければならない。つまり「所沢シティメモリアル」を完成させるためには、墓地造成許可のほかに土地に関する2つの許可(山林開発プラス農地転用)が必要となる。
先に述べたとおり県に農地転用の許可申請を提出する際、その窓口(受任機関)に相当するのは農業委員会である。農業委員会は許可申請を受け付け、定例総会において申請の内容を審査。許可相当・不許可相当などの意思決定内容を意見として添付して、県に申請書類を進達する……。これが農地転用許可におけるプロセスである。
墓地造成許可にひとつ付け加えねばならないのは、三芳町には墓地造成に関する規制が存在していないとのことである。さいたま市に所在する正圓寺が購入した三芳町の「所沢シティメモリアル」用地とは、もともと所沢在住の地権者の所有であった。その所沢市では、地元に拠点を置く宗教法人でない限り墓地造成の許可は下りない。本来、墓地造成許可の権限は県にあるのだが、所沢市はすでに県より権限委譲を受けているため「地元宗教法人以外は不可」としている。
だが三芳町なら可能である。この点において現在、三芳町は墓地ビジネスにとって格好の地場である。と同時に農家との攻防が今後激化する可能性も大いにあるため、墓地造成許可に対する規制が望まれている。また三芳町側も平成21年度より県から墓地造成に関する権限委譲を考慮しているという。換言すれば、平成20年度までは全国どこの宗教法人も、国の法令にさえ違反しない限りは、三芳町に墓地を「造り放題」なのだ。
「農地転用」に全員一致で反対!紛糾した農業委員会
4回の審議を重ね逆転「許可」採決の怪?
農転を早めるために「恫喝」まがい発言を繰り返した島田会長
ではここで、「所沢シティメモリアル」造成地に含まれる農地の転用をめぐる、農業委員会での審議過程を簡単に見てみる。
- 3月26日(日):定例農業委員会会議。議長(会長)をのぞく全員一致(11:0)で否決(不許可)。
- 7月25日(水):定例農業委員会会議。また委員らが正圓寺側による「事前着工」を申請地にて確認。全員一致(12:0)で否決(不許可)。このとき、島田農業委員会会長から「正圓寺に損害賠償責任を取らされたらどうするんだ」との発言あり。以後の審議でもその都度、こうした発言を繰り返したことを本紙取材にて確認。
- 8月1日(水):農業委員会会長が委員会全員を招集し会議となる。このとき記名式の投票が行われる。投票の結果、7:5で否決(不許可)。
- 8月3日(金):三芳町職員(農業委員会事務局長)が農業委員全員の自宅を個別訪問。その理由は、正圓寺側から反対委員の氏名を教えるよう強く要求されたため。職員はこのとき委員らに、正圓寺側が「事前着工」を是正したことを報告し、あくまで農地法第5条に基づく判断を、と要請。
- 8月5日(日):賛成多数で「許可相当」意見書の採決。
この案件がはじめて審議された3月26日の定例会議から7月末に至るまで、委員らは一貫して正圓寺の農地転用許可申請に対し否決(不許可)の意思を表明していたことがおわかりいただけよう。
7月25日の定例会で、ある農業委員は、「農地法は人間が作ったもの。『農地法第5条』に基づく判断が絶対に正しいなどと言うことはあり得ない。法令に触れなければ何でも許されるのか。地元農家代表である農業委員の反対意見を優先すべきではないのか」と、農地法だけに基づく判断の「地域農民不在」を強調した。
ましてこの日、農業委員全員が現地(申請地)を視察したところ、正圓寺側がすでに造成工事を着工していたことを確認したのである。
「許可を得る前に工事を始めるなんて、とんでもない話だ。地元農家を馬鹿にしているのか!」……。正圓寺の事前着工をその目で確認した農業委員らのあいだで、反対意見はいっそう増幅された。一週間後の8月1日に行われた記名式の投票においても、反対7・賛成5で否決。農地転用はもはや実現しないものと思われた。
にもかかわらず、である。記名投票から4日後の8月5日、農業委員会は正圓寺の農地転用申請に対し「許可相当」と可決してしまったのだ。わずか数日間で賛成と反対の数が逆転したのである。いったいこの間に何があったのか。正圓寺側、あるいは三芳町側が、反対する農業委員たちを丸め込む何らかの圧力をかけたのであろうか。
「反対委員の氏名を教えろ!」
正圓寺側の「不当な要求」を理解する島田会長
事務局長は委員全員を個別訪問
農業委員会事務局長(兼・三芳町産業振興課課長)の証言をもとに、ここでは事実だけを記そう。8月1日の記名投票でやはり反対の意を表明した農業委員会に対しその直後、正圓寺側の代理人は農業委員会事務局長の元を訪れ「いったい誰が反対しているのか。反対委員の氏名を教えろ」と強く要求した。事務局長はこの事実を島田会長に相談。その結果、会長の判断により事務局長は「賛成派・反対派の両方を含む農業委員全員の氏名のみを正圓寺側に伝えた。このとき事務局長は、誰が反対しているのか、を示す情報は一切与えなかった、という。
「それで正圓寺側は納得したのか」との質問に対し、事務局長は「とうてい承服しがたい表情だった」と、正圓寺側が不満を露わにしたことを述べた。
そして3日、事務局長はやはり「会長の意を受け」、農業委員全員の自宅を個別に訪問したのである。このとき事務局長は、正圓寺側が「事前着工」を是正したことを報告し、あくまで農地法第5条に基づく判断を、と委員らに要請した。
その2日後、事態は賛成多数で急転直下「可決」してしまったのだ。
常識的に考えるならば、正圓寺側が「反対委員の氏名を教えろ」と要求したところで、農業委員会トップは「お教えする必要はありません。お引き取り下さい」と断るのが普通だろう。事務局長が会長に相談しても、普通ならば「そんな要求は断れ」と言下に一蹴するはずだ。
だが島田農業委員会会長は違った。「反対委員の氏名」こそ提供しなかったものの、正圓寺側の非常識な要求に対し、聞く耳を持っていたのである。事務局長は「これで勘弁してください」とばかりに、農業委員全員の氏名のみを教えざるを得なかった。
また事務局長は会長の意に逆らえないまま、農業委員全員を個別訪問。そこで反対派の理由……すなわち農家の本当の意見を「封殺」して、農地法第5条だけを判断材料にするよう、要請する以外になかったのである。
この事実だけでも、島田農業委員会会長の正圓寺側への「すり寄り」が歴然としているではないか。
「所沢シティメモリアル」造成許可をめぐる動静 |
日時 |
墓地造成許可に関する動き |
農地転用許可に関する動き |
3月12日 |
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正圓寺側、「農地法第5条による許可申請書」一式を埼玉県に提出 |
3月25日 |
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上富1区総会時、約80名の地元住民が反対 |
3月26日 |
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定例農業委員会会議。
議長(会長)をのぞく全員一致(12:0)で否決(不許可)
委員会、農林振興センターに「不許可相当」を進達。振興センター、農地法に基づく申請を、と要請 |
4月11日 |
正圓寺側、所沢保健所長に「所沢シティメモリアル」墓地設置計画書を提出 |
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4月13日 |
正圓寺と三芳町まちづくり推進課との間に開発事前協定締結。 |
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4月21日 |
正圓寺側、近隣住民説明会を開催。下富地区地権者1名のみ参加 |
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5月17日 |
正圓寺側、三芳第1区長宅を訪問 |
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5月20日 |
正圓寺側、三芳第1区長に対し「所沢シティメモリアル」管理運営等に関する誓約書を作成 |
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5月21日 |
正圓寺側、三芳第1区長宅を再訪問 |
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6月29日 |
鈴木町長、「墓地設置計画に係る意見について(回答)」を所沢保健所長に送付
※農業委員会は「許可予定」という町長の姿勢を知らなかった。 |
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7月6日 |
所沢保健所、正圓寺側に「審査意見書」。県墓地等指導要綱に基づき審査したところ「支障なし」 |
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7月12日 |
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三芳町まちづくり推進課が正圓寺の「事前着工」(無許可開発)を確認
正圓寺に対し農業委員会への確認を要請
また山林に関しては伐採の1ヶ月前に伐採届けを出すよう要請 |
7月25日 |
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定例農業委員会会議
委員全員が正圓寺側による「事前着工」を現地確認
全員一致(12:0)で否決(不許可)
このとき島田会長から「正圓寺に損害賠償責任を取らされたらどうするんだ」との発言あり |
8月1日 |
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農業委員会会長が委員会全員を招集し会議となる。このとき記名式の投票が行われる。
投票の結果、7:5で否決(不許可) |
8月3日 |
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三芳町職員(農業委員会事務局長)が農業委員全員の自宅を個別訪問。このとき委員らに、正圓寺側が「事前着工」を是正したことを報告し、あくまで農地法第5条に基づく判断を、と要請
個別訪問の理由は正圓寺側から反対委員の名簿を要求されたため(農業委員会事務局長の証言) |
8月5日 |
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賛成多数で「許可相当」意見の採決 |
8月6日 |
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農業委員会「農地法第5条による許可申請書に係る意見書」を県に提出 |
8月21日 |
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県より正圓寺に対し農地転用許可が下りる |
地元農家の生の声・反対意見に聞く耳を持たない三芳町役場!
住民感情を無視した「農地法ダブルチェック」に何の意味があるのか?
はじめから「許可ありき」で、農業委員たちは振り回されただけ!
複数回にわたる否決のさなか、反対する農業委員らに向けられた言葉が2つある。ひとつは先に述べたとおり「農地法第5条に基づく判断を」である。農地法第5条とは、現在農地の使用収益権を持たない者が農地の所有者、耕作者から農地を買い受け・借り受け、あるいは耕作権の移転を受けて転用する行為についての規則を定めるものだ。
そもそも農地法には、農地の荒廃・乱開発を防止し優良な農地を確保するため、転用は原則として不許可……という精神がある。つまり農地転用許可とは「不許可の例外」なのであり、農地法には立地基準および一般基準で「いかに優良な農地の転用を許可しないか」が盛り込まれている。
その許可基準を簡単にあげると
- 農用地区域内にある農地
- 集団的に存在する農地その他の良好な営農条件を備えている農地
- 農地を転用して申請にかかる用途に供することが確実と認められない場合
- 周辺の営農条件に支障を来たす恐れがあると認められる場合
は許可されない。
逆に言えば、農地転用許可の権限を持つ都道府県は、農地法の「不許可」基準からすべて外れている農地の転用申請に対しては「不許可の例外」として、許可せざるを得ないのである。
そして先述のとおり、県への農地転用許可申請は農業委員会が窓口となっている。農業委員会は申請に対し許可相当、あるいは不許可相当などの意思決定内容を添付し県に進達する。県(農林振興センター)は農業委員会の意見内容を尊重した上で、農地法に違反していないことを確認してから許可・不許可の決定へと至る。許可とは「不許可の例外」であるため、申請書に農業委員会の意見書(許可相当)がプラスされ、このセットに農地法上の問題がなければ、県は転用を許可しなければならないのである。
しかし先の審議過程を見ると、3月26日および7月25日の定例会議において、どちらも農業委員らの出した結論は全員一致で「否決」(不許可相当)。農業委員会はこの意見を添付し県農林振興センターに進達した。ところがセンター側は「農地法に基づいた判断を」と要請しつつ、この進達を差し戻したのである。つまり農業委員会の審議とは、その転用案件が「農地法に違反していないかどうか」を委員全員が確認する作業以外の、何物でもないということになる。
県農林振興センターの審査基準が農地法であるのは当然だ。だが「農業委員会の審議も農地法オンリーで」との理由から、いったん添付され進達された「不許可相当」の意見書が差し戻されてしまうのであれば、何のための農業委員会審議なのかという問題が浮上せざるを得ない。農地転用における「農業委員会→農林振興センター」のプロセスとは、単に農地法に照らして申請案件をダブルチェックしているだけなのであろうか。
「農地転用許可は必ず下りる」確信で農家をナメきった「工事の事前着工」
バレて元に戻した「悪質事業者」正圓寺に県の「ペナルティなし」
しかも農地法第5条、いや第5条だけでなくとも、転用に関する基準は数こそ多いものの、さほど複雑なものではない。良い場合は良い。ダメなものはダメ。難解な法解釈を要求される類のものではない。つまり申請者……正圓寺側は、農地転用申請を検討する段階ですでに結論を知り得るわけだ。そして農地転用に関しては問題がないと判断したからこそ、墓地事業への布石として申請したのである。
農業委員会における農地転用許可審議が「農地法違反を検証するプロセスのひとつ」に過ぎないのであれば、地方自治体における多様な農営事情など考える必要もない。国家の大枠、食糧増産時代に骨子が策定された農地法でのみ、農地転用における問題はすべて解決されるはずだ。だが当然ながら、国家の法律があらゆる問題を網羅できるはずがない。
ある日突然、近隣の農地が買収され、いつのまにか「墓地ができるらしい」との話を耳にする……。そのような事態に直面したとき、地域の農家が日々仕事をする上での、あるいは営農環境を良好に守っていくためのさまざまな不安や心配が生まれる。むしろ農地法の条文に書かれた以外の部分にこそ、農家の真実が溶け込んでいるはずだ。農地法だけではわれわれの農地を守りきれない。農地法違反こそなくとも、この申請はわれわれの死活問題。不許可相当だ……と判断するのが当然のケースは、何も「所沢シティメモリアル」に限ったことではない。またそうした不安や懸念を「感情論」と断じるのでは、あまりに冷たい。農地法とは、血の通わない法律なのか。
さらに農業委員会は7月25日の時点で、申請者=正圓寺側があまりに歴然とした違反、すなわち「事前着工」(無許可開発)を行っていたことを確認しているのである。農業委員会だけではない。これに先立つ7月12日、三芳町まちづくり推進課もまた、この大違反行為を確認している。
この「無許可開発」という事実ひとつをとっても、正圓寺とは悪質な申請者、不良不適格事業者であることは明白だ。にもかかわらず農林振興センターから正圓寺側に伝えられたのは是正要求のみ。ペナルティはなし。正圓寺側はのち8月3日にこれを是正、つまり土地を元の状態に戻している。しかし「どうせ申請は通るのだから」と高をくくって許可を待たずに事前着工。「許可前に着工したら申請は却下」と県側にバレて、あわてて土地を元通りにしたとしか思えないのだ。正圓寺の遵法精神には致命的な欠落があることを示している。地域農家の信頼など、得られるはずもない。
だが農業委員会は8月5日、最終的に賛成多数で正圓寺の申請を「許可相当」とした。いや、せざるを得なかった。県が、委員会が一度すでに提出した「不許可相当」意見書を差し戻し、2度にわたる委員らの「全員一致の否決」をも評価せず、なぜそのような否決に至ったかについて、農家の不安を露ほども考慮することなく、「農地法による判断」以外に聞く耳を持たなかった……だから結局、あきらめたのである。

<急転直下「許可相当」とした農業委員会による意見書。決定の理由にあるのは「転用目的の実現性が確実と思われるので許可相当とする」。馬鹿げた理由だ。墓地造成は確実であり……そして確実に困るからこそ、農業委員らは何度も反対したのではないのか。意見書とは名ばかりで、農家の本当の意見など何ひとつ反映していないことは明らかだ。こんなくだらない「意見決定の理由」を書くために、農業委員らは休日返上で審議に振り回されたのだろうか。>
密約ありか?墓地造成には「同意書」が必須条件
周辺に「カネの入った封筒」を配る事業者(正圓寺)を中心に
鈴木町長と農業委員会島田会長に深まる疑惑
農業委員会の審議の過程で、反対派に向けられたもう一つの言葉……それが本文冒頭に記した会長の「損害賠償請求されるぞ!」だった、とある委員は証言した。この一言が、正圓寺という事業者の正体、「所沢シティメモリアル」造成計画の背後をかいま見せている。
問題の農地(三芳町上富1584-1および1584-2)をふくむ「所沢シティメモリアル」造成予定地全体は現在、正圓寺の資産。墓地が公共的性格を持つとはいえ、農地を転用し墓地造成すること自体は、正圓寺の資産運用行為だ。ボランティア事業ではない。「所沢シティメモリアル」とは、紛れもなく正圓寺のビジネスである。そういう意味では、転用後の土地活用が墓地であろうと自動車工場であろうと違いはない。正圓寺側は「農地法に基づく確実な見込み」から、自ら取得した農地=資産を、自らの利益追求のため、墓地ビジネスに投資したのである。この投資行為について、農業委員会には一切の責任はない。当たり前のことである。
先述の通り、「所沢シティメモリアル」造成にあたって正圓寺が乗り越えねばならない障害は2つ。ひとつは「墓地造成許可」(実務上は保健所管轄)であり、もうひとつは「農地転用許可」(実務上は農林振興センター管轄)である。このうち墓地造成には、申請書のほかに、近隣住民(計画墓地の敷地境から100メートル区域内の居住者、隣接地所有者、町内会)の同意書等の添付が必要となる。
隣接地所有者の一人である島崎氏は5月29日、所沢保健所に対し、正圓寺の代表役員である深谷基雄氏に宛てた内容の「意見書」を提出し、保健所がこれを収受した。そこには島崎氏の反対意見か箇条書きされ、深刻な農業環境への懸念が記されている。と同時に正圓寺側が近隣住民の同意書を取り付ける際に示した、興味深い行為も併記されているのだ。
(反対意見2)「はじめに同意書をもらいに来たときに、金の入った封筒をちらつかせたりした(後ろめたいことがなければこんなことはしないはず)」
(反対意見3)「土地の売買をまとめた人が『バックに大物がいる』などと言って説明している」
一週間後、正圓寺は島崎氏の反対意見に対し「見解書」を示した。この見解書によれば、「金の入った封筒をちらつかせた」理由は正圓寺が「地元地権者の方々と今後も良い関係を築き、地域環境に寄与するために事業者としての配慮です」(原文ママ)だったとのこと。また「バックの大物」については「そういう方は一切存じ上げません」と回答している。
本紙は住民関係者への取材の結果、このとき正圓寺側が配ったのが、3万円の入った白封筒であったことを確認している。おそらくは「同意書」を得る対象、つまり墓地造成地から半径100メートル以内に配ったものと推測される。何のことはない。正圓寺は周辺住民の同意をカネで買ったのである。
正圓寺はカネで買った「同意書」を添付し所沢保健所に墓地造成申請を行い、すでに許可を得た。残るは農地転用……それには農業委員を丸め込まなければならなかった。農地法だけで判断すれば農地転用許可そのものは間違いなく下りるはずなのだが、問題は農業委員たちが反対意見を提示することだ。反対派がしつこければそれだけ余分な時間と労力を消費する。場合によっては「損害賠償云々」で委員たちを脅かす必要もある……おそらく正圓寺は、そう考えたのでないか。
正圓寺にとって「所沢シティメモリアル」造成は確実な資産運用。反対派委員に対し「農地転用できなければ損害賠償だぞ」とまで言い放った農業委員会会長の言葉とは、正圓寺の「確実なビジネス」をよりいっそう担保するための発言ではなかったのだろうか。ならば正圓寺と会長との間に、なにがしかの密約が存在したのだろうか。
「カネ入り封筒」を配る正圓寺の「反対委員の氏名を教えろ」要求に
「損害賠償請求されるぞ」とひたすら寺側にすり寄る島田会長と
6月時点で保健所に「許可予定」を表明した鈴木町長
町長・会長と正圓寺間に「三者密約」があったのか?
こうした疑惑を後押しする奇妙な資料がある。三芳町自治環境課が鈴木英美三芳町長名義により作成し、所沢保健所長に宛てた「墓地設置計画に係る意見について(回答)」がそれだ。6月29日……まだ農業委員全員が反対を表明しているそのさなか、鈴木町長はこの文書のなかで「平成19年5月16日に都市計画法第43条許可申請を受理し、審査中ですが、関係他法令の許可権者と許可見込みについて意見調整等、合議を行った上、許可する予定です まちづくり推進課 開発建築係」と明記しているのである。
農業委員全員が農地を墓地に転用することに反対しているにもかかわらず、鈴木町長はすでに6月29日の時点で、「許可予定」を自治環境課経由で埼玉県所沢保健所長宛に送付していたのである。
しかも奇妙なことに、自治環境課が担当したこの文書について産業振興課は「知らなかった。横の連絡が不十分でわからなかった」と本紙に述べた。
「このような文書が存在したこと自体を知らなかった。確認さえなかった」。
産業振興課課長は農業委員会事務局長を兼任している。農地転用が条件の墓地造成であれば、農業委員会と密接な連絡をとりながら進めるのが常識であるはずだ。自治環境課も「町長の決裁はもらっていたものの、農業委員会との連絡は不十分であった」と認め、同じ三芳町役場内が抱える重要な案件について「意思の疎通がなされていなかった」と本紙に回答した。さらに驚いたことに、自治環境課は「(農地転用について)農業委員会が反対していることを知らなかった」とまで述べたのである。意思疎通ができていなかった、というレベルの問題ではないだろう。
農地転用に反対する農業委員会をつんぼ桟敷に追いやったまま、鈴木町長はこの墓地ビジネスについて、事業者である正圓寺の意を十分に汲み取っていた。そして「意見調整等の合議」という形どおりのプロセスを経てから許可する意向であることを、所沢保健所に声明していたのである。
そして農業委員会はそのことをまったく知らないまま、休日さえ返上して地域環境保全のために審議していたわけである。農業委員会の存在を完全に無視した鈴木町長の独善的な姿勢に、三芳町町民は強い怒りを喚起している。
墓地造成の同意を得るべく金を配った事業者=正圓寺にことを有利に運ばせる立場に立った鈴木町長、農業委員会の島田会長と正圓寺側との間に、何らかの「金銭的疑惑」を追及されても不思議ではない。

<鈴木町長が所沢保健所に送付した意見回答文書。6月15日は、農業委員全員が正圓寺の農地転用に反対していた最中である。文書の担当は「自治環境課」。だが産業振興課も農業委員会も、この文書の存在を知らなかった。>
おかしいじゃないか。三芳町はなぜこれほど正圓寺にすり寄るのか?
踏み潰された農業委員メンバーの意志と立場
三芳町議会は町長、農業委会長と正圓寺との関係を調査追及せよ!
農業委員会の島田会長は、なにゆえ正圓寺側に立ち、農業委員らに「損害賠償」などという筋違いもはなはだしい、恫喝めいた発言を繰り返したのか。また鈴木町長は農業委員会の審議(全員不許可の立場)の最中に、所沢保健所に正圓寺の墓地転用に関して許可をする予定と回答したのであろうか。農業委員会を無視黙殺した行為、農業委員会会長、鈴木町長ともに正圓寺に強く加担したとしか思えない行為……。三芳町の心ある人々はいま、両名に対し強い疑念を抱いている。そうした町民の声なき声、「意見書」に本当の意見を何一つ反映させられなかった地元農家のためにも、三芳町議会は「所沢シティメモリアル」造成を注視し、疑惑に対して鋭く追及しなければならない。本紙もまたこの問題を継続して調査する所存だ。■
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