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【学校乗っ取り=補助金不正受給疑惑】
舟橋市長への刑事告訴は現在進行形!
「誹謗中傷文書」からわずか半年後の「和解条項骨子案」
一銭も出さず、他人の学校を掠め取った「舟橋ファミリー」

本紙が約3年間追いつづけている「学校乗っ取り=補助金不正受給疑惑」。事件の根は深く、構図は複雑である。ここでもういちど、現在進行中である松村東氏による舟橋市長への刑事告訴(名誉毀損)……その発端となった、舟橋市長の手による誹謗中傷文書にフォーカスをあてることで、その半年後に舟橋・松山氏側から提示された「和解条項の骨子案」のもつ意味がよりいっそう輪郭を露わにする。古すぎる事件でもなければ、時効などもない。

松村東氏に対する恥知らずな「誹謗中傷文書」
「和解条項の骨子案」が提示されたのは、その半年後!

 昨年11月30日、松村東氏は舟橋功一川越市長を刑事告訴し、西入間警察署がこれを受理した(刑第87号)。告訴の内容は「名誉毀損」。本紙既報(2006年12月付け記事もご覧ください)の事件だが、今後この刑事告訴が「学校乗っ取り=補助金不正受給疑惑」に大きな役割を果たすと思われるので、ここでもう一度その概要をお伝えする。

 昨年の川越市9月議会のさなか、ある「怪文書」が市議会議員会派の各リーダーに配布された。「ご連絡」と題されたA4版2ページの文書である。1ページ目に付せられた署名は「川越市長 舟橋功一」。本文に相当する2ページ目の最後に付せられた署名は「弁護士 舟橋功一」であった。

 名誉毀損の対象として特に重要視される記述は、「未成年の女性インターン生」およびその親権者を原告とする、松村東氏への「告訴事件」である。昭和46年1月におきたこの事件は、松村氏を「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の理事の座から引きずり下ろし、学校から放逐するために造作された完全なでっち上げ事件だった。松村氏は不起訴となり、また原告側には誣告罪が確定しているのだが、このとき原告側の弁護人を担当したのが、他ならぬ舟橋功一弁護士であった。なお、松村氏はこの事件で、自分が設置した個人運営・各種学校だったはずの「東京高等理容美容専門学校」が、いつのまにか「準学校法人」にされていたこと、そして自分が「理事」であったことを知ったのは、本紙がこれまでお伝えしてきたとおりである。

 舟橋市長はかつて弁護士時代に担当したこの事件について、誰よりもよく知る人物のひとりである。でっちあげ事件であるため松村氏は不起訴。だが氏が拘留されている数日のあいだ、舟橋弁護士は原告の親権者と「グル」になり、松村氏の親戚から示談金の名目で50万円(昭和45年当時)を奪い取ろうとさえしたのである。

 ここで舟橋市長による松村東氏への誹謗中傷文書を再掲する。この「学校乗っ取り・補助金不正受給疑惑」事件の今後の展開で、その重要性が再浮上する可能性がある文書である。議会の最中、有権者の代表である市議会議員の、その会派のリーダーに対し、ご丁寧に「市長・弁護士」の二つの肩書きを添え、現職市長が一市民を貶めるこの文書をばらまいたのだ。

 そして忘れてはならないのは、この反論にならない反論文書を配布したまさに半年後、舟橋・松山氏らは松村東氏に対し、みずからの犯罪を認めた「和解条項の骨子案」を提示してきたことである。
(「和解条項の骨子案」については2007年5月付け本紙記事もあわせてご覧ください)

【1ページ目】
お世話になっております。

 市政に関する件ではございませんが、私の名誉のため参考としてご連絡させていただきます。
  なお、川越市議会各会派代表の方のみ送らせていただきました。
  今後ともよろしくお願いいたします。

川越市長 舟橋功一


【2ページ目】

ご連絡

 最近、一部のインターネットや不定期刊行の通信紙において私と私の義母松山千恵子、そして義母の関係する専門学校トータルビューティカレッジ、及びその前身の理美容学校等について悪質な攻撃記事が流布されており、皆様の目にも触れていることと思います。
  事実無根の誹謗中傷ですので、特別反論する必要もないと考え、現在まで放置してまいりましたが、あまり黙認を続けると誤解を招くおそれもあるという意見もあり、最小限の説明は必要であると考え、以下に説明することに致しました。お忙しいところ大変恐縮ですが、ご一読いただければ幸いです。

* 松村東なる人物が、トータルビューティカレッジの前身である専門学校が乗っ取られたものであり、設立認可手続きに不備があるかの如き主張をしておりますが、全く事実に反しております。この専門学校は正式に認可されて発足し、卒業生も多数輩出し既に40年以上の歴史を有する学校です。攻撃をしている松村東氏は学校発足後、数年間理事兼職員として勤務していたもので、その期間は全くそのような攻撃も主張も行いませんでした。今になって何故松村東氏がこのような主張を行っているのか全く理解できません。

*松村東氏は、当時雇用していた未成年の女性インターン生の親権者(父)から告訴され、警察に逮捕されるまでは平穏に勤めておりました。学校側がでっちあげ事件を作ったかの如く攻撃なさっているようですが、親権者から強く抗議を受けた学校側はそのような事件を理事教員に起こされ、当時まだ無名に近かった学校としては存続の危機に陥りかねないような事態でもあった為、我々の更なる発展を考慮し、学校のイメージダウンに繋がらないよう尽力した次第であり、学校関係者一同はこの件に関して多大な迷惑を被ることになりました。
(告訴事件の罪名については、松村氏とインターンの名誉のため伏せさせていただきますのでご了承ください)

* 松村氏は一度、理美容師学校養成施設の設立認可申請を厚生省に提出しているようですが却下されています。乗っ取られたと称している学校は存在しなかったものです。準備資金についても調達方法不詳と却下理由に記されてありますので誰が準備資金を用意したのかについても不明です。以下にその詳細を太字にて記しましたのでご査証ください。

・厚生省環境衛生局長から昭和42年2月1日付けにて(環境第7027号)埼玉県知事宛に松村氏申請の、理・美容師養成施設の指定申請について、下記理由により厚生大臣指定の養成施設として適当と認めがたいので却下する旨の通知があり、この通知は松村氏宛に同年同月20日(42環第219号)付けにて埼玉県衛生部長の通知として発送されています。

却下理由として

(1) 設立者について
  申請書提出前に厚生大臣指定施設である旨を記載した虚偽広告を配布して生徒募集を行った行為は教育機関の設立者として適当であると認めがたい。

(2) 経営方法について
  虚偽広告をもって事前募集を行った行為からして経営方法が適切かつ確実なものであると認めがたい。

(3) 新設資金の調達方法が不詳である。

以下略

* 松村氏は学校理事については、任期満了した昭和50年9月18日の理事会で出席理事の投票の結果(松村氏も投票に参加)1票しか入らず、理事を落選しました。落選した松村氏は自分に投票しなかった理事に対し損害賠償の裁判を起こしました。浦和地裁川越支部(昭和50年(ワ)第279号)、東京高裁(同年(ネ)第508号)、最高裁(昭和58年(オ)第1295号)でいずれも松村氏は敗訴し、長い裁判が確定しました。

* 松村氏は裁判に負けた為、法律手続きによらず嫌がらせを始めました。松山や私の悪口を書いた文章を川越市や坂戸市、毛呂山町等の一部に配布しました。また、私に対する腹いせからか、弁護士会に対して懲戒請求をしました。当然ながらそのような請求は通るはずもなく、次は私や他の弁護士関係者(松村氏の代理人の弁護士まで含む)に対し3億円という法外な請求をしてきました。当然、そのような請求が通るわけはない松村氏は敗訴しました。

* 裁判所より松村氏の学校への「立ち入り禁止」の決定が下りているにもかかわらず、今尚、学校の旧校舎(坂戸市)に勝手に侵入し立て札などを立てたりしているようですが、これはれっきとした住居侵入に当たります。

 皆様方に不用な誤解、ご迷惑をかけるべきではないと、上記の文書を作成いたしましたが、どうぞご考察ご理解のほどよろしくお願い致します。

平成18年9月  弁護士 舟橋 功一

 事件の詳細は本紙過去記事(2006年12月19日付け)をご覧いただくとして、笑止千万といえるこの事件の核心とは「ありもしないひとつの暴行事件に対し、2つ(「強姦」および「強姦未遂」)の訴えが同時にO(原告の未成年女性)側からなされた」ことである。司法の俎上に乗るべきは事件を構成する事実とは、一つでなければならない。過去に起きたとされる事実の内容がころころ変わる事件を、裁判所が裁くことはできない。松村氏は当然、不起訴となった。

 だがこの事件で、舟橋功一弁護士は2つの重大な「工作」を実行した。その1つめが、まさに原告Oの告訴状作成。「強姦→強姦未遂」への証言変更の際、変更された内容の訴状を作成したのも舟橋弁護士であった。訴えの内容が変わったことに驚いた裁判官が「本件事件についてはこれにて終了します。松村さん、もう帰っていいですよ」と、一瞬にして終わらせたほどの馬鹿げた告訴内容である。舟橋弁護士も、訴えの変更により裁判所が一蹴するであろうことは、当然わかっていたはずなのだ。

にもかかわらず舟橋弁護士はこの事件で、「東京高等理容美容専門学校」とは何の関係もない原告Oの弁護を担当し、結果的に不起訴とはいえ「強姦容疑で逮捕」という事実をつくりあげるよう尽力したのである。そもそも「学校のイメージダウンに繋がらないよう尽力した」のなら、なぜ松村東氏を弁護しなかったのだ?舟橋弁護士の「真意」が、松村氏を学校から放逐するための理由づくりにあったことは容易に想像できる。舟橋弁護士にとって「O親子の訴えが嘘であることがすぐに証明される」ことなど、さほど重要なことではなかったからだ。重要なのは松村氏が「強姦容疑で逮捕された」という既成事実を作ること。これほど教育者にとって致命的なダメージを与えうるものがあるだろうか。

舟橋弁護士によるもうひとつの工作とは、松村氏が越生警察署に拘留されていたわずか数日のあいだに、「Oの親権者の意志」により、松村氏の兄から示談金を取ろうとしたことである。裁判官が法廷で一蹴するほどの馬鹿げた告訴……その訴状を書いた舟橋弁護士が、松村東氏不在の数日を利用し、松村氏の兄に示談金を要求。松村氏の兄は弟を助けるため、示談金を払ってしまった(この示談金は、事件そのものが誣告罪であることが立証された後、O側より返還された)。

 こうした経緯を、舟橋功一「弁護士」市長はすべて当事者のひとりとして熟知しているのだ。そのうえでの誹謗中傷文書である。繰り返すが、「学校のイメージダウンに繋がらないよう尽力した」のなら、なぜ学校側の人間である松村東氏を弁護しなかったのだ?なぜ、学校とは何の関係もない原告Oの弁護を担当したのか。そしてでっち上げられたひとつの暴行事件に対し、「強姦と強姦未遂」という2つの告訴を同時に進行させる愚を犯したのか。舟橋弁護士は「松村東氏のイメージダウンに繋がるよう尽力した」のだ。

「強姦容疑」とは、たとえそれが事実無根であろうとも、訴えられただけで負うダメージは大きい。まして教育の場に従事する人間にとってはなおさらだ。虚偽であり、いくら遠い過去のこととはいえ、蒸し返されるだけで新たな悪印象を植え付けられかねない。事実無根とはいえ、こんな容疑をかけられたこと自体が極めて不名誉。かけられた方にとっては、一刻も早く忘れてしまいたいはずのものだ。

 そんな忌まわしい記憶をご丁寧に蒸し返す。法律のプロとして、あのときの事件が虚偽であり、彼が無実であることを充分すぎるほど知っているにもかかわらず、根も葉もない悪印象を再びよみがえらせ、その破廉恥なイメージを衆目にさらす……。現川越市長である舟橋功一弁護士は、そんな最低の行為を行ったのである。

 冤罪事件によりかけがえのない人生の大半を刑務所で過ごした後、ようやく無罪を勝ち取り、老いてなお新たな人生を歩もうと努力している人が少なからずいる。そういう人々を指さし「あいつは人殺しだ」と言う人間を、読者はどう思うだろうか。他人の人生をもてあそぶ、最低のくず野郎ではないか。ましてその「くず野郎」が弁護士であり、現役の市長だったらどうか。舟橋功一氏がやっていることはそれと同じことだ。

 しかも市議会各会派のリーダーに、文書で吹聴して回ったのである。これは有権者に対して行っていることと同様だ。「告訴事件の罪名については、松村氏とインターンの名誉のため伏せさせていただきますのでご了承ください」。何といやらしい表現だろう。舟橋功一という人物の、唾棄すべき人間性がここに露呈しているではないか。

 本紙は過去記事においてこう書いた。この誹謗中傷文章が露わにする舟橋功一という人物の人間性を再確認する作業は重要だ。なぜなら、この半年後に舟橋・松山氏側から「和解条項の骨子案」が提示されてくるからである。

 なお、市長によるこの誹謗中傷文書には、松村氏の学校に対する理美容養成施設指定申請が却下されたことについても触れている。それによれば却下理由は、「申請書提出前に厚生大臣指定施設である旨を記載した虚偽広告を配布して生徒募集を行った行為は教育機関の設立者として適当であると認めがたい」という松村氏(設立者)の問題と、「虚偽広告をもって事前募集を行った行為からして経営方法が適切かつ確実なものであると認めがたい」という経営方法の問題、さらに「新設資金の調達方法が不詳」という、いいがかりのような一文もある。

「新設資金の調達方法」は、本紙も再三報じたとおり、100%松村東氏の自己資金。松村氏は20代のとき、すでに横浜の戸部駅前で理容室を開いていた。当時流行していた新しい理容技術を駆使していた松村氏の理容室は大当たりし、一時は駅前から行列ができるほどの盛況ぶりだった。客の回転をあげるために他の理容師をも雇用し、数人で手分けし店を切り盛りしていたのである。そして20代を終える頃、松村東氏は若くしてすでに一財産を拵え、家屋敷をも所有していたのである。自らの手で作った資産をすべて投入して彼が実現しようとしたのが、埼玉県西部地区で初の理容師美容師養成施設、すなわち東京高等理容美容専門学校であった。

舟橋市長による誹謗中傷文書に記された、その他の「却下理由」……つまり「虚偽広告」云々も事実無根である。

「生き証人」がいた!
松村氏の学校に対する「検査済証」を作成した
埼玉県の技術吏員・大河原氏

 このことは松村氏が平成15年4月18日、厚生労働省を訪れ当時の健康衛生局生活衛生課係長らとの質疑応答のなかで、厚労省側が明らかにしている。もちろん厚労省側は約40年前のチラシ等、紙媒体をはじめとする「広告」の現物証拠を保管しているはずもない。だが松村氏はこのとき、彼らからより重要な証言を得ている。

なんと昭和42年当時、厚生大臣は埼玉県知事と「電話で連絡しながら」却下理由を作り上げた、というのだ。却下通知書(昭和42年2月9日)には、却下の理由のひとつとして「役員給、評議員給等法人運営費が総予算に占める額が大きすぎる」という、理解不能な謎の一文があった理由も、この「電話連絡による却下理由の模索」を傍証する。いうまでもなく松村氏は「個人運営・各種学校」として養成施設指定申請を行ったのである。「法人」という言葉は、松村氏の申請書類のどこにも書かれていない。

 そして面白いのは、厚生省が東京高等理容美容専門学校の養成施設指定申請をここで「法人として」却下してしまったため、松山千恵子氏側が準学校法人として同校への養成施設指定を再申請する際に「準学校法人東京高等理容美容専門学校・東京高等理容美容専門学校」という、名称の頭に「準学校法人」を付け、さらに校名をもう一度反復する「インチキ・コピー学校」の名義で行わねばならなかった。埼玉県にとっては、こんな紛らわしいインチキ・コピー学校の申請文書を収受し、審査し、進達し……厚生省がこれを収受する、という一連の痕跡を残すわけにはいかなかった。すべての経由プロセスを省略し、厚生省が一方的に「承認」を埼玉県に通知し、埼玉県がこれを収受することで、その前提にあるはずの、松山千恵子氏の「申請」と県の「進達」を、既成事実化したのである。

詳しくは本紙の「東京高等理容美容専門学校乗っ取り事件・完全解明レポート!」をご覧ください。

レポート本文:119ページ・PDFファイル 1.3MB

 厚生省環境衛生課が昭和42年2月9日、埼玉県知事に宛てた「却下通知書」には、こうした「虚偽広告」の他に、学校建物の構造設備について「実習室の坪数が不足している」ことを却下理由のひとつにあげている。先に述べた「法人云々」と同様、事実無根であり、かつ「何をどう解釈したらこのような却下理由が出てくるのか」まったくわからない、ミステリアスなものである。

(もちろん昭和42年当時、松村氏はこうした「却下理由」を何一つ知らなかった。通知されたのは「却下された」という事実のみ。当時の県環境衛生課課長らが松村氏に対し説明した却下理由とは「個人申請ではやはりダメ」というものだった。松村氏が「却下通知書」を初めて見たのは、情報公開条例が施行された平成13年以後のことである)

 理容師美容師の「養成施設指定承認」では、承認権限を持つのは厚生省。指定承認について厚生省は、各都道府県に自己(委任庁)が持つ権限の一部を委任して行われる。埼玉県に住む申請者が理美容師の養成施設指定申請書を提出するのは、埼玉県総務部環境衛生課である。したがって環境衛生課は申請内容について、不備の有無などを詳細に調べ、問題があれば申請者に戻す。申請者は再度、申請書を整え直して埼玉県に再提出。場合によってはこの過程が何度も繰り返さなければならない。つまり厚生省にしてみれば、進達されてきた内容は受任庁(埼玉県)が念入りに調べ「問題なし」として進達してきたものだ。委任庁は内容に関する再度の審査をすることなく、受任庁からの進達に対し、承認しなければならない性質のものなのだ。

昭和41年11月25日、東京高等理容美容専門学校の校舎がほぼ完成し、中間検査が県(環境衛生課・学事課等も立ち会い)によって行われた。建築基準法第7条第3項規定によるこの検査で、埼玉県は入間郡坂戸町字仲町975番地に建設されつつある、そしてほぼ完成間近を迎えていた建物が松村氏個人を建築主とし、各種学校用途にきちんと適合していることが証明された。

このとき中間検査に立ちあい、さらに翌年4月17日……すなわち開校1日付けで、松村氏に対し県が作成し発行した「検査済証」に署名している県職員がいる。技術吏員であった大河原光行氏。早大卒後に県庁入りした大河原氏は、県職員時代に学校建築に関する学術論文をも共著している、いわば学校建築のプロフェッショナル。こうした「生き証人」は、東京高等理容美容専門学校が松村氏の建物であることを知っているどころか、旧厚生省側の「却下理由」が根も葉もないものであることをも知っている。

厚生省から県知事に送られた「却下通知書」の作成日付は先に述べたとおり昭和42年2月9日。その2日前には、奇妙な「会合」が同校建物内で開かれたことになっている。「準学校法人東京高等理容美容専門学校」の設立決議録によれば、この日に設立発起人会が開かれ、松村東氏も出席。そして全員一致で法人設立に必要な「寄附行為」を承認したことになっている。むろん、松村東氏にはまったく覚えのない事実である。発起人会出席者の筆頭に記されているのは、松山千恵子氏。つまり学校づくりの流れのなかで、松村東氏とは一面識もない「松山千恵子」なる名前が、唐突にこの書類……やってもいない「設立決議」の記録の中に、はじめて登場するのである。

この設立決議録になされた松村東氏の署名が、明らかに偽造であることはもちろん、そもそも2月7日という日付は、厚生大臣の松村東氏の理容師美容師養成施設指定承認の申請が却下される以前なのだ。松村東氏が法人寄附行為を承認するはずもなければ、松村氏しかカギを持たず、また机も椅子もない新築直後の校舎内で、松村氏不在のまま「設立発起人会」が行われたという記録自体が、捏造以外の何物でもない。「乗っ取り計画」は、昭和42年2月の時点ではとっくに始動していたのだ。

あらためて浮上する、県から送り込まれた「パイプ役」
田中慶次郎なる人物の「寄附行為認可までの重要な役割」

「乗っ取り計画」は松村東氏に気づかれぬよう、巧妙かつ慎重に行われた。それは県と旧厚生省との書類のやりとりのみならず、学校現場においても同様であった。

 松山千恵子氏による「専門学校乗っ取りプラン」は、簡単に言えば以下のような順番で進んだ。

  1. 厚生省に対し、松村東氏の「養成施設指定申請」を却下させる
  2. 埼玉県に対し、「専門学校」を自ら設置した準学校法人として認可させる
    (「学校設置認可申請」および「寄附行為認可申請」を作成)
  3. 養成施設指定申請が却下された松村氏に対し、松山千恵子氏名義の個人設置・各種学校で再申請するよう、松村氏を欺す(実際には機能しない書類=カラクリ書類の作成)。
  4. 松村氏に気づかれぬよう、「専門学校」を松山千恵子氏を代表とする準学校法人として知事認可させ、登記する
  5. 理事に就任した松村東氏を、頃合いを見計らって「専門学校」から追い出し、絶縁する

こうした計画を実行するにあたり、学校現場におけるキーマンとなったのが、開校間際の東京高等理容美容専門学校に、埼玉県が半ば強引に押し込んできた人物、田中慶次郎氏である。田中氏は元県庁職員。退職と同時に、同校と県との「パイプ役」として、県環境衛生課が田中氏を突然「おたくの事務長になる方ですよ」と松村氏に紹介。松村氏が一度は拒否しても、「松村さんが学校運営にお慣れになるまでは、田中さんを事務長にお願いしますよ」と、取り付く島を与えない強引さで田中氏の雇用を要請したのである。

もともと事務長のポストには松村東氏の知己である小林稔氏が就任するはずであった。小規模な「個人運営・各種学校」に、事務担当人員はそれほど必要ない。小林氏が事務長に、そして2〜3名の女子事務員さえいればすべては事足りた。だが、県は田中氏を事務長として雇用するよう要請してきたのだ。
 
田中氏の役割の詳細については割愛する(詳しくは本紙「東京高等理容美容専門学校乗っ取り事件・完全解明レポート!」をご覧ください)が、重要なことは松山千恵子氏が田中慶次郎氏を理事として登記し、かつ事務長に就任させたこと、「松山千恵子名義の養成施設指定承認書類」は学校の金庫の中に納められ、その金庫の鍵は田中氏のみが管理していたこと(松村氏は「松山千恵子名義でおりた養成施設指定承認の書類を見せてほしい」と何度も田中氏に懇願したが、その都度うまくごまかされてしまった)、そして田中氏を中心として、松村氏の知己であった小林稔氏を何度も県に足を運ばせ、開校(S42.4.18)以後に行われた寄附行為認可(S42.9.11)と法人登記(S42.10.4))に関する書類手続きをやらせていたことである。

のみならず、先の市長による誹謗中傷文書にも記されている「でっちあげ強姦事件」により、松村氏を学校から放逐するまでのすべてのプロセスを、田中慶次郎事務長は熟知していた。だが松山千恵子氏側にとって、田中氏のような「知りすぎた人物」を、いつまでも事務長に据え置くことはできない。

「いままで黙っていてすまなかった……」
小林稔氏は死の床で、乗っ取り計画のすべてを松村氏に告白
彼の最期の言葉が、すべてを失った純真な青年・松村東氏を
「闘う男」に変えた!

先の「でっち上げ強姦事件」により松村氏がいったん逮捕されたのは昭和46年1月25。だがその2週間以上前の日付で、同学校法人は「緊急理事会」を開いたことになっている。「なっている」というのは、実際に行われた理事会ではなく、議事録の中にのみその記録が残っているからである。でっちあげ理事会であるため、当然ながら松村氏はその存在を知らず、欠席理事となっている。が、欠席したのは松村氏だけではなかった。田中慶次郎氏もまた欠席理事に名を連ねている。松村氏はこの「緊急理事会」で、「理事教員としてあるまじき行為」云々という、まるで同月後半の逮捕を予測していたかのような理由により松村氏の理事解任を決定。松村氏はこの時点でもまだ、同校を「個人運営・各種学校」であると信じ込んでいた。そのため自分が「理事」として解任されたことで、はじめて「いつのまにか法人になっていた=乗っ取られていた」ことを知るのである。

同時に田中慶次郎氏も理事解任。そして即日、小林稔氏が事務長に就任している。田中氏に忠実に動いてきた小林氏に対する、これが見返りであった。

自ら作り上げた学校を、いつのまにか「寄付」させられ、そのあげく「理事解任」という理由により放逐された30代半ばの松村氏……。情報公開条例などあるはずもない時代である。法律の知識もなく、頼るべき人間もいない。松村東氏は、つい数年前までもっていた豊かな資産も、社会的信用も、そのすべてを失ってしまった。この後、彼が生活を立て直しつつ、どのような心境をたどり自らの半生の「謎」に対し解明を挑もうと思ったかについては割愛する。しかしあるとき、松村氏の人生にとって劇的なモーメントが、何の前触れもなく、意外な形で訪れることになる。

小林稔氏……。松村氏の知己であり、学校をつくるプランの当初から話にのり、途中から金子友夫坂戸町議(松山千恵子後援会会員)に籠絡され「学校乗っ取り計画」の実行部隊的な役割を演じてきた人物である。松村氏が学校から追放されたとき、晴れて念願の事務長に就任した小林氏が、何と病床でいまわの際にある、という話が、松村東氏の耳に入ってきたのだ。しかもしきりに松村氏に会いたがっている、というのである。

事務長に就任した小林稔氏は、その2〜3年後に癌の大手術を受けていた。そしてこのとき、すでに死の床に就いていたのである。小林稔氏は、傍らに腰掛けた松村氏の手を握った。そして驚くべき証言……すなわち松山千恵子氏らの「学校乗っ取り計画」の全貌を告白したのである。

「松村さん、いままで黙っていてすまなかった……」。小林氏は、合掌し涙して松村氏に詫びた。

このとき、松村氏はすべてを理解したのである。むろんそれまでも松山氏らに対する不信感は日に日に募っていた。「3年たったら(校長の座を)お返しします」と明言した政治家・松山千恵子氏は、結局そのまま、一銭も出さずに校長に居座っている。代わりに学校から追い出されたのは松村氏本人。のみならずでっち上げの強姦事件――。そして一番奇妙に感じたのは、松山千恵子氏が「理事長」であり、松村東氏自身も「理事」として解任されたこと……。個人運営・各種学校のはずだったのに、いつのまにか法人化されていたことだ。松村氏がおかしい、と感じた松山氏ら、田中事務長らの言動は、やがて根強い不信感へと変化していったのは事実だった。しかしさりとて、まさか「乗っ取られた」という考えには至っていなかったのだ。

だが、小林氏の「最期の告白」ですべてが明らかになった。松村氏は全身の血が凍り付くのを感じた。このときから、彼はもはや「だまされやすい夢多き青年」ではなくなった。松村氏にとって大きな追い風となったのは、平成13年に施行された情報公開条例である。彼は事業家としての多忙な日々のかたわらに法律を学び、開示請求による公文書をひとつひとつ丹念に集め、巨大な権力機構と、「一銭も出さずに松村氏の資産を奪い取った」政治家ファミリーを相手に、たった1人で手探りの苦闘を強いられてきた。そして72歳の今日も、いまだに戦い続けている。

松山氏らの「和解条項の骨子案」に対し
松村氏「顔を洗って出直して来い」!

本文冒頭に再掲した舟橋市長による誹謗中傷文書からわずか半年後、松山氏側から提示されてきたのが「和解条項の骨子(案)」であったことはこれまで繰り返してきたとおりである。
(同骨子案については本紙5月29日付け記事をあわせてご覧ください)

文書のタイトルこそ「和解条項の骨子案」だが、その内容はいわゆる「和解」とはおよそかけ離れたもの。謝罪の言葉ひとつすらなく、いきなり「松村東は、〜〜無断で立ち入ることをしない」、「松村東は、舟橋功一の名誉毀損事件についての告訴を取り下げる」……こんな調子である。

先の本紙記事では和解条項の第6項、すなわち「6 準学校法人川越専門学園は、過去に埼玉県から受給した補助金を返還する」にフォーカスをあて、彼らが過去40年間、補助金を不正受給してきたことを事実上認めていることを指摘した。だがこの第6項は本来、松村氏との「和解案」に含めるべき内容ではない。「学校乗っ取り」に対し松村氏が松山千恵子氏側とどのように折り合いを付けようとも、補助金不正受給疑惑はまったく別の話であり、別の犯罪要件だ。

そのため松村氏は、回答ではこの「補助金返還」には触れなかった。そしてこの品性下劣を絵に描いたような和解条項案に対し、松村東氏は自らを「松村氏」と第三者的視点をとり、客観的かつ威厳をもって一蹴した。一言でいえば「顔を洗って出直して来給え」ということだ。以下に松村氏の回答を原文のまま全文掲載し、本文を終える。

和解条項の骨子(案)に対する回答
松村 東

和解とは争いをしている当事者が、互いに譲歩し合って、その間の争いを止めることを約する契約をいう。
また、この場合の和解とは、たとえば松村東氏と松山・舟橋両氏が、同等の立場で意思を結集し学校運営の任に当たったが、両者齟齬をきたし、相互対立して喧嘩別れしたものが時至り和解への機が熟し、仲介者の口利きで相互歩み寄るものでなくてはならない。
  しかし、両者の関係は和解に至る以前に松山・舟橋両氏は、松村氏に対し道義的に欠くべからざる作業が必要だ。
  当該和解条項の骨子(案)と称する松山、舟橋両氏の和解の提示文書が松村氏の手元に届く以前に松山・舟橋両氏からなる深い謝罪の意思が松村氏に伝達されてしかるべきであり、仲介者による道義的作業による松村氏の了解を得てより初めて和解を目的とした条件が提示されなければならない。
  これが松山・舟橋両氏の、松村氏に対する欠いてはならない道義的作業であり、人としての筋道である。
  何故かと言えば、松山・舟橋両氏は、松村氏が弱冠三十歳にして立ち上げた東京高等理容美容専門学校を、あくどい手段で略取した、政治家の仮面を被った犯罪者であるからだ。
  松村氏は、学校を彼らに乗っ取られた後、四十年にわたり悲劇の人生の中にも己を失わず、不法な行為に敢然と立ち向かい、松山・舟橋側に与した理不尽な国や県の対応にめげず、遂に認可権者である埼玉県知事より、松山・舟橋両氏の主張する正当性を排除する公文書を勝ち取ったのだ。
  そのことは、松村氏にとって艱難辛苦の時代を耐え、松山・舟橋両氏の悪しき政治権力との長い歳月の闘いに勝利を得た証であり、唯一の学校経営の任に当たるべき者とする実質的公認書である公文書を手にしたことが、松村氏の主張の正しさの総てを立証する根拠となるものだからである。
  しかるに、松山・舟橋両氏より弁護士を通じて託された和解条項の骨子(案)たるや、一方的な宣言文のような文脈であり、松村氏の四十年間の苦渋に満ちた人生を癒すべき慰謝のかけらもないものだ。
  彼らは、和解条項の中に、己の罪悪を表現せずに事済ませたいとする社会的地位の確保に懸命にしがみつく焦燥感が見え隠れする。
  同時に、和解条項の内容たるや松山・舟橋の犯罪の軌道が余すことなく歴然と判明するのである。
  頭隠して尻隠さずとはこのことをいうのである。
  たとえて言えば、7の提示条項だ。
  彼らは、準学校法人川越専門学園は、平成19年3月までに解散すると言明している。彼らは己の立場が判っていない。
  学校事業が永続できると確信しているのだが、彼らの誰にも解散権などない。彼らには解散などはできないのだ。解散命令は、認可権者である埼玉県知事のみがその権限を有しているのだ。
  松山・舟橋両氏の学校経営(元々有していないが)権は、埼玉県知事による解散命令によって剥奪され、二度と彼らの元に戻ることは不可能である。そして、真の意味の学校設置者である松村東氏に学校経営は託されるのである。
  彼らは、松村氏が和解に応じれば、今までどおりつつがなく理美容の学校を経営できると思いこむことは結構だが、人を陥れ奪い取り苦渋を与えた犯罪行為は、それらが公文書によって明らかになったいまこそ、それらの非道は正されなければならない。
  仮にも、和解する意思が松村氏にあったとしても、提示する項目が和解という語彙の範疇を逸脱して謙虚を欠き、松村氏の支え続けたプライドをさらに傷つけることになるだろう。
  松山・舟橋両氏こそは、今一度顔を洗って出直さねばなるまい。

この回答後、「和解」を趣旨とした松山氏側からのアクションは一切ない。■

 

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