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1:田中政治と田中の慧眼
まず、田中政治の足跡を研究したものをダイジェストしてみよう。
田中政治の驚異的な洞察力は、田中氏が総理に就任する以前、既に国際政治の場で発揮されていた。自民党幹事長時代の田中氏は、天与の超人的慧眼で世界を睨んでいた。
世界の平和を只一筋に念願する彼は、東西両陣営の相互理解を達成する目的で、世界の常識を破り、犬猿の仲以上の角づき合いを演じていた米国と中共の接近工作の大芝居をうった。
名古屋に来た米国の卓球選手を北京に送り、史上初めて米中親交の舞台演出を敢行、その成功を機に、次はキッシンジャー大統領補佐官と周恩来中共首相の蜜月会談を工作した。世に言うピンポン外交の始まりで、外交の成果
は全世界の陣営に雪解けムードを醸し出した。機を見るにかけては世界第一級の手腕をもつ田中氏は、国際外交の常識を無視して、一挙、ニクソン米国大統領と毛沢東中共主席の会談を実現した。田中政治の特徴は独断と専行にある。だが彼田中の独断と専行は、単なる思いつきや、場当り的な政治でなく、深く潜行した思慮と頭脳コンピューターで得た回答の政策化だった。
世界の大勢、国内の大勢は、この時期に米中が握手するなど夢の中の出来事と思っていた。然るに田中氏は断行し実現した。
田中氏がこの時を選び、世界の緊張を融和の方向に導いた主因は、正に田中氏の外交的慧眼と国際情勢を見抜く洞察力にあった。
中共の核武装、文化大革命後に起こる中共内部の政治変動の予測は、田中氏の主要外交課題を中共に向けさせた原因だった。
中共とは別に、西側が東側と融和を計らねばならない原因が他にもあった。
第三世界、石油産出国の動向も、当時の国際情勢を見る上で重要な課題だった。
田中氏の慧眼は、この時既に、東西両陣営が一丸となって第三世界の石油攻勢に対応する必要を読んでいた。
そのために田中氏は、時期尚早の批難を覚悟のうえで、米中接近の脚本を練り演出した。初期の政治目的を達成した田中氏は、今度自らが首相となるや、間髪をいれず、日中国交正常化に取り組み大成功を納めた。
ピンポン外交から発展した米中の接近、米中接近を足場にした国際緊張の緩和は、第三世界の無謀な石油戦略の出端を挫くと同時に、国際緊張を利用して世界征覇を企むソ連共産主義集団の機先を制する役割も果
した。
外交の大役を果した田中政治は、政治の全力を投入して日本列島改造政策の実施に着手した。普通
、列島改造政策は、経済の拡大と景気浮揚の面からのみ見られ勝ちである。このため政策の実施中に発生した物価パニック、狂乱物価の責任のすべてを列島改造政策に押しつけられてしまった。
田中政治が列島改造政策を敢て強行した背後には、破産寸前の日本経済を瀬戸際で立ち直さなければならない問題が控えていた。池田、佐藤両内閣が推進した所得倍増政策は、ニクソンショックで大打撃を被り、もうどうにもならない局面
に立たされていた。
田中政治の大目的は、昭和恐慌、鍋底不況といわれた不況から経済を救済し、再び活気を与えることだった。
救国的国際政策、これが新発足した田中内閣に課された至上問題だった。列島改造政策は大成功し、経済は再び蘇り、企業も国民も共に喜び合った。
生活水準の驚異的な向上に浮かれた日本経済に、海の向こうから冷水が浴せられた。第一次石油ショックの到来である。世界中が狂乱物価に踊らされ、その余波は日本経済にも飛び火し、とめどもない物価の高騰が日本中を見舞った。
田中内閣の救国経済政策は、海の向うの出来事が原因で途中挫折のやむなきにいたった。しかしあれ程のショックにもかかわらず、日本経済は破綻も破滅もせず耐え抜いた。
その理由はなにか?
それは、田中氏が自民党幹事長時代に手を打っていた第三世界対策と、田中、ニクソン盟約による、ニクソン・ショックの緩和策、さらに、列島改造政策によって力を備えた日本経済の実力だった。
国際政治、国内政治とも上面だけでは何も判らない。真の政治は表に出ない裏側にある。われわれは、田中政治の再吟味でこのことを強烈に知らされた。
マスコミや国民一般は、政治の表面に出た一部分、それも都合のよい部分だけを取り出して田中政治を批難する。
ニクソンショック、石油ショックに続く狂乱物価の攻勢に耐えた日本経済の秘密は、田中政治が政治の表舞台に出さなかった部分、要するにコンピューター頭脳の緻密さをもって国家百年の大計で考え抜いた、政治的貢献によるものである。われわれは、田中内閣の性格を殉難・殉国の内閣と評価してやまない。
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