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6-1:判決以後の政治と国民の期待
前章でも述べたごとく、10・12判決は新しい田中時代の開幕でもある。
三審制にもとづくわが国の法律は「疑わしきはこれを罰せず」を支える大きな柱で、下級審で有罪判決があったからといって、被告を犯罪者呼ばわりすることは、わが国の法律を規定する根本を否定することと同じである。明治の大政治家星亨、大正の大政治家原敬は共に疑獄事件に連座し、下級審で有罪の判決を宣言された。
星亨は衆院議長、逓信相を歴任した政友会所属の大物政治家、また、原敬は絶対専制主義の政治に反対した政治家で、寺内内閣はじめ西園寺、山本両内閣の内務相さらに政友会総裁、原内閣の首相まで歴任した大物中の大物政治家である。
両名とも疑獄事件で法律の裁きと、世論の攻撃に身を晒したが、上級審での無罪判決で再び政治活動に進んだ人物である。
両名に共通していえることは、彼らが法の裁きを受けたときには、それ程名前の知れた政治家ではなかった。彼らが政治家として大物の道を歩み出したのは、上級審での無罪判決からであった。
この一例を見ても判る通り、政治家の疑獄事件には常に冤罪的な要素が絡みつき、一歩誤れば、罪のために政治生命だけではなく、人生や名誉まで棒に振る危険が政治家を取り巻いているということである。
法律に定めることは、同時に、社会一般の常識的な秩序である。一審判決だけで、田中元首相を罪人と決めつけることは、この常識と秩序を否定することで、それこそ反社会的な行為といえる。
明治の国民と世論、大正の国民と世論は、一審有罪の「星」と「原」を決定された罪人に仕立てることなく、最終判決まで見守ったのである。政治家と有権者の間柄は、政治家が困っているときは、有権者が助け、有権者が困っているときは、政治家が力を借すのが本来の姿なのである。
明治大正の有権者は、「星」と「原」に、この関係をもって応じた。結果
は衆知の通りで、青天白日の身となった彼らは、日本史・政治史に大きく記録される政治的貢献を果
した。
若しあの時、有権者が、現在の田中角栄氏と世論の関係にあったとしたら、剛腹の名をほしいままにした政治家星亨は生まれなかっただろうし、平民宰相、政友会の切れ者総裁と呼ばれた原敬は出現しなかったであろう。
判決後の田中元首相は、報道界史上最大といわれる規模の報道で、更めてマスコミの一斉攻撃、私刑の標的となっている。
マスコミの私刑に呼応するがごとく、政界でも田中批判、田中いじめの嵐が巻き起こった。マスコミもそして政界も、田中批難の口実、題目は一様に「政治倫理」である。
冗談いっちやいけない。政治倫理とは、彼らが鬼の首でも取ったように振り回すものとは根本的に異なり、政治倫理の哲学的意味は、もっと、高い次元において使われるものである。
安易な倫理主義は百害あって一利なしの格言もある通り、現代、現在の政治環境の中で倫理を唱える素地、土壌はない。極言すれば政治という巨大な象を、針の穴に通
そうとするのが、今日的な政治倫理である。
社会があって人間がいる以上、倫理そのものを否定することはできないが、ものごとにはすべて分限があるごとく、倫理にもそれにふさわしい分限がなくてはならない。
倫理を重んじる余り、戦後食糧難で餓死した裁判官がいた。しかし彼は文化勲章も授与されず、司法官の鏡にもなれなかった。否、それどころか、彼の餓死は、法を護るうとすれば彼のように死ななければならないのだぞということを如実に語っている。故に、餓死もせず職務に精励している他の司法官は、すべて法を破っているとイメージを社会に与えたのだ。彼は法の番人として忠実であったのではなく、法体系に反逆した異端者だったという立場に追いやられてしまった。本来、倫理とはこのようなもので、このことから導き出される倫理のありようは、過程のいかんではなく、結果
の大義である。政治に金がかかるということは哀しいかな世の絶対常識である。
だがこの言葉には倫理的な矛盾がある。しかるに倫理の名分をもって、特定の政治家を批難する政治勢力側も、この矛盾した政界に棲息しているではないか。
この意味からすれば、政治家全般に倫理を唱える資格はまったく欠落している。
もともと、政治の倫理と、個人の倫理とは相反する立場にあり、それをゴチャゴチャにするから、判決後の政局に見られるような混乱を生じるのである。
いま国民が政治に求めるものの大義は、田中辞職勧告決議案や、反田中勢力の宣伝合戦ではない筈で、日本民族全体を飲み込んでしまうかも知れない二十一世紀という巨大な力に対応する政治でなくてはならない。政治倫理の強調は、政治をより矮小化し、大事に取り組む力を政治から奪ってしまう。安易な倫理の宣伝は、政治からも社会からも活力を減退させる毒素の役割を担うだけである。
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