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6-2:田中政治への期待
混迷する政治の現状は、何か新しいものが誕生する陣痛かもしれない。
倫理、倫理で騒ぎまくった政局も、時がくればその力も萎えてやがて正常化するだろう。倫理が政治に何の貢献もしないことを知り尽しているのは政治家自身である。
この意味からすれば、判決以後田中糾弾を叫び続けてきた反田中勢力の活動は、自分たちの存在を国民に知らせるためのデモンストレーションであり、お祭りであったにすぎない。建前は別
にして、現実に政治を動かすものは力である。反田中勢力のお祭り騒ぎも要は、この力を国民に求めたものだったのだ。これに対して国民の受け取り方は、あくまでも建前と本音を区分けし、自分たちの生活を犠牲にしてまで建前に味方する気持ちはなく、マスコミの苛立ちにかかわりなく、本音の部分に味方している。
では、国民、有権者が求める本音とは何か。それは、新しい田中政治の待望と期待である。大多数の国民は政治を知らず、同時に、田中政治の本質も知らない。ただ、国民が肌で感じている政治のあり様は、田中さんの時代は何もかも良かった。それからの三木、福田、大平さん、そして中曽根さんの政治は、中味が判からず生活も悪くなった。そろそろこのあたりで田中さんの出番を期待したい、である。
プロの政治屋は、朝野の別なく理屈で政治を云々する。しかし、国民一般
の期待する政治は、理屈抜きで生活が豊かになる政治である。本来政治というものはこのようなものではなくてはならない。
政治をメシの種にする評論家・政治をやたら難しくする政治家の政治遊技とは無縁なものである。
マスコミのロボットにされた国民一般、田中批判をすることで正義感振る政治家に、一大覚醒をもたらすには、ここ一番、田中勢力の大攻撃を実現しなければならない。
田中は無罪である。三審制の規定はこのことを明確にしている、田中追い出しを策す辞職勧告決議案は憲法と国会法に違反している。政治の倫理と個人の倫理とは本質が違う。数の力は現代社会に公認された一つの権力である。マスコミのいう世論に根拠はなく、依然国民の大多数は田中元首相を支持している。三木も福田もそして大平も駄
目だった。田中時代が一番よかった。田中元首相の支持理由を捜すにはこと欠かない。
強行突破結構。それが男のやる仕事である。根拠のない世論に一喜一憂するなどは大物の資格ではなく、自らが世論を作ることに大物の条件がある。
歴史を見ても、敗北主義で社会を制した者はなく、覇者の条件資格は、一にも二にも強行突破でしかない。破廉恥漢と呼ばれても良い、世の中すべて勝てば官軍、敗ければ賊軍であり、最後の決定は結果
の大義である。
今こそ、田中角栄氏は「心雲外天に置く」の気概をもって日本民族の為に身を粉にして働かねばならないし、それが田中前首相の絶対義務である。
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