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 5-1:10・12判決の意義

はじめに
1:田中政治と田中の慧眼
2:金脈問題とロッキード事件の真相
3:新田中政治への期待

4:ロッキード事件とマスコミ
4-1:マスコミの専制主義
4-2:調査報道と私刑
4-3:田中元首相とマスコミ

5:ロッキード事件判決と世論
5-1:10・12判決の意義
5-2:真実に背を向ける世論の偽善
5-3:田中元首相の実像と虚像

6:第二次田中時代の展望
6-1:判決以後の政治と国民の期待
6-2:田中政治への期待
あとがき

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 振り返ってロッキード事件の経過を検証すると、そこにはロッキード事件でしか見ることができない数々の疑問につき当る。

 米上院多国籍企業小委員会で、コーチャン・クラッター両ロッキード社関係者が証言したのは、五十一年二月四日だった。

 この証言を受けて、検察庁、警視庁それに国税庁が合同調査体制を組んだのが二月二十四日、そして五ケ月後の七月二十七日には田中元首相を検察庁が逮捕している。

 事件発生からわずか五ケ月後に中心人物を逮捕するなどは、従来の疑獄事件に見ることのできなかった素早い対応である。

 とくに、コーチャンの証言の直後、検察・警察・国税が、一糸乱れぬ 動きを示し、二十日後には合同調査本部を設け、数百人におよぶ捜査員を定めて捜査に着手している。

 従来の疑獄事件捜査は、事件発覚から中心人物の逮捕まで相当の期間を必要とした。また特別 合同捜査本部の設置は、各庁の意見調整に手間取り短時期内の設置はできなかった。

 ロッキード事件の捜査では、数々の例を破って、あたかも予定された行動のごとく、検察・警察・国税が動いた。

 しかも事件が表面化したのは国内ではなく多くの外交的枠組の違いがあるアメリカだった。

 国内の疑獄事件でさえ、事件の表面化までに相当な期問を要するのに、外国に端を発した事件が、このような短期間に国内の事件に発展した理由は常識的にみて理解できない。

 理解できないのは、捜査側の素早い対応だけではない。

 普通、疑獄事件捜査は、検察・警察の合同捜査で進められる。捜査の記録は検察・警察ともに二部づつ作られ、それぞれが各一部をもつのが習わしである。

 だが、ロッキード事件の捜査については、捜査の総括資料が警視庁にないという。警視庁にあるロッキード事件の資料は単なる事件概要資料だけで、捜査二課を中心に百四十余人の捜査員を投入して行ったロッキード事件捜査の総括資料が警視庁にないというのである。

 何故か。その理由は部外者の知るところではないが、釈然としない多くの疑問を感じる。ロッキード事件で逮捕された被疑者は総勢十八人である。その内訳は、東京地検の逮捕十四人、警視庁の逮捕は四人である。

 疑獄事件の場合、中心人物の逮捕は地検が行っているが、その他の被疑者は概ね警視庁の担当である。

 にもかかわらず、ロッキード事件については、"合同捜査"の先例を度外視して、十八名中十四名までが東京地検逮捕である。

 捜査の段階と同じく、被疑者の逮捕もなぜか検察中心に進められた。捜査、逮捕で、補助役に回された警視庁は、その他のケースでも無視され続けた。

 捜査続行中、コーチャン証言に関係したアメリカ側の秘密資料が検察側に届けられた。届けられた資料について、警察側はツンボ座敷におかれた。不公平な扱いに業を煮やした土田警視総監が検察に異議を申し入れた結果 二週問後、検察は秘密資料の写しを警察側に渡したが、資料の重要部分七百ページがカットされており、資料からアメリカ側の秘密事項全般 を読み取ることはできなかったという。検察・警察の対立を恐れた警視庁は、このことについて関係者に緘口令を敷いた。発覚から捜査着手、捜査から捜査の続行、起訴になるロッキード事件の全般 は、まったくの異例づくめだった。

 終始検察中心の捜査で、重要捜査については警察側の介入さえ拒否し、捜査内容の外部流出を検察は極端に恐れた模様である。捜査の段階で、被疑者のしぼりこみ、関係者の一人ひとりの扱い、職務権限の解釈等々で、謎に満ちた多くの具体例もあるが、ここでは省くとして、ロッキード事件の「検察・警察合同捜査」は、実は、検察主導、警察補助協力の捜査だった。

 慣習を無視した検察側の態度は、一体何を意味しているのか。第三者は知る由もないが、このようにして行われた捜査と、捜査結果 によって田中元首相は逮捕され、そして起訴された。

 法律の定めるところにより、東京地方裁判所は、ロッキード事件丸紅ルートの公判を、五十二年一月二十七日に開始した。

 検察が裁判所に提出した資料は、前掲した捜査によって得たもので、外部の闖入を一切拒否して作りあげた資料だった。

 ロッキード事件捜査に関し検察側が取った頑なな姿勢は、関係者にとっていまでも深い謎である。

 検察のこのような姿勢は、後日、ロッキード事件のアメリカFBI謀略説、日中親密化を恐れるソ連国家保安委員会KGBの謀略説、果 ては経済で世界を企むユダヤ資本の謀略説まで取沙汰される原因となった。外国の謀略説はどこまでが真で、どこが偽であるか確かめる手だてはないが、ロッキード事件についてその背後に「巨大な力」があったことは否定できない。

 初公判開始から七年、実に百九十回の公判を重ねて、百九十一回目の判決の日となった。

 10・12判決は、衆知の通り被告全員有罪の宣告だった。

 総理の犯罪を裁くとして喧伝されたこの日の判決は、裁判史上消し去ることのできない汚点を残した。

 判決の法律的解釈は措くとして、判決の意味するところは、正に中世の魔女裁判を思わせるもので、そこには法律の公正性、司法の独立性を窮わせる要因は一点たりとも認められない。

 この判決がいかに欺瞞に満ちたものであったかを証すものとして、判決後に記者会見した検事総長の言葉から読み取ることができる。検察側の勝利宣言であった当日の発言は、検察捜査、公判維持全般 が、「国民の強い支持と支援によって行なわれた」に貫かれていた。この言葉は根底において間違っている。少くとも法治国家の法運用は、法律に従わなければならない。わが国の法体系は三権分立で、司法に対する立法、行政の介入は許されていない。

 検察の立場および裁判も、この法体系から見れば完全に独立した性格をもち、いかなる勢力、権力とも関係してはならない筈のものである。しかるに、検事総長の発言は、明確に第三勢力、すなわち「国民」が関与したことを明らかにしている。

 では検事総長に問いたい。若し、国民一般が無関心が、反対かの場合、貴方は捜査、公判維持をどのようにしてやるのか、と。

 戦後多くの冤罪事件が法廷史を汚した。

 ある事件で被告人が裁かれた場合、この裁判が世間の注目を浴びず、また関心を呼ぶものでなかったから波は有罪と断定された。しかし再審裁判は、世間の注目するところとなり、「国民が彼を支持」したから無罪にしたとでも弁解するであろうか。

 司法の活動は、警察、検察、裁判の全過程で完全に独立したものでなければならない。 捜査、公判が公正であればあるほど、国民の支持も支援も必要としない。

 裁判の目的は「真実の発見と公正な審理」に尽きる。

 当初から検察による不当な捜査と、不公平な公判運用に振り回されたロッキード事件は、裁判においても同じ扱いを受け、参考人の証言、証拠品の採否についても、検察側の圧倒的優位 のうちに進められた。

 この不公平な公判運用は、金銭授受に関する証言と証拠物件真贋の鑑定、さらにアメリカから届けられた「嘱託尋問調書」の証拠採用決定に見ることができる。

 二・三の法律的解釈は、次章に譲るとして、10・12有罪判決は、起訴時点の疑惑をそのまま受け継いだ形で進められ、ロッキード事件そのものがもつ多くの疑問、疑惑を一切解明しないまま判決にいたっている。判決直後、法相の経験がある古井喜実氏は、「この裁判は間違っている」と明言し、検察の偏見と独断による公判維持を批難した。検察のいう国民の支持は、同時に、検察の独断とファッショを示す言葉である。果 してこの判決に全面的な支持を与えたのは、全国民であっただろうか。検察の不可思議な捜査、裁判所の検察寄り公判運営に疑問をもち、その結果 として判決に疑念を抱いた者は、検察のいう「国民」の中に含まれていないのだろうか。

 ロッキード事件の10・12判決の背景には、いろいろな力が働いていることは前にも述べた。

 それが故に、ロッキード事件判決はあのような道理に反したものとなり、「無茶苦茶判決」と批判されるに至ったといえる。

 国民支持による国民寄りの「判決」は、人民裁判の道理である。検察総長の発言、司法関係者の発言、少なくとも、ロッキード事件裁判が人民裁判であったことを裏付けている。

 民主主義の原点は、国民が「主」であることにある。だが、いくら主であっても、法律という厳粛な世界に、国民が世論という武器を携えて土足のまま入り込むことは許されない。判決後に発表された田中「所感」は、この判決は「政治に暗黒を招く」と述べている。

 田中元首相に限らず、10・12判決をそのまま鵜呑みにすることは、政治はもちろんのこと、社会全般 が暗黒化するかも知れない危険を大いにはらんでいる、10・12判決は、法のありかたを改めて国民に問いかける判決であった。


 


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