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 5-3:田中元首相の実像と虚像

はじめに
1:田中政治と田中の慧眼
2:金脈問題とロッキード事件の真相
3:新田中政治への期待

4:ロッキード事件とマスコミ
4-1:マスコミの専制主義
4-2:調査報道と私刑
4-3:田中元首相とマスコミ

5:ロッキード事件判決と世論
5-1:10・12判決の意義
5-2:真実に背を向ける世論の偽善
5-3:田中元首相の実像と虚像

6:第二次田中時代の展望
6-1:判決以後の政治と国民の期待
6-2:田中政治への期待
あとがき

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 金脈問題、ロッキード事件報道に従事した記者たちの言葉に、ある点で共通 したものがある。記者たちの目に映る元首相像は、はっきり二つに分かれるという。

 一つは、被告人として世論の糾弾を欲びる元首相であり、他の一つは、すべてが明け広げで些事にこだわるところのない懐の大きさをもつ元首相だという。もともと精神に異常をきたした病気でもない限り、一人の人間に二つの顔がある訳ではなし、この記者たちの言葉が示す意味は極めて大きく、記者たちの目に映るどちらかの元首相が本物で、他は偽物である。

 常識的にみて、永年の経験、その人の歩いてきた道から修得してできた人柄は、急に隠そうとしても隠し通 せるものではなく、意識されないまま本物の姿を現出する。

 これに対して、他者の意図によって作りあげられた「その人」は、意図した者の意思にしたがった人間になって、人びとの前に押し出される。

 個人とマスコミとの関係は、小事・大事の別なく、常に本物を偽物とすり替えて人びとの前に晒しものとする。

 したがって、マスコミによって報道される個人は、実際の本人、すなわち実像と、マスコミ用の偽者、すなわち虚像の二つに分断される。

 前出した記者たちの言葉は、この実像と虚像のありかたを如実に言い当てたもので、マスコミというものが、個人のもつ尊厳も気高さも容赦なく踏みにじり、勝手気儘な手法によって「虚像」をつくりあげるさまが手にとるように判るというものである。

 普通、虚像の呼び名は、反道徳的な暗いイメージを人びとに与える。だが、「本人の意思によって作られた虚像」は、そのものズバリであるが、マスコミによって作られた虚像は、実像つまり本人と一切がかわりなく、時には暗く、ある時は明るく変貌自在な姿を現わすのである。

 ロッキード事件に際して、田中元首相の虚像が背負わされたイメージは、金権であり、数の亡者であり、闇将軍のそれであった。また、マスコミが虚像に投げつけた名詞は、刑事被告人、あくなき権力追求者、世論への挑戦者等々だった。

 巷間伝えられるところによると、10・12判決の法廷に臨む日の朝、元首相は自宅で側近の人たちに「俺は男おしんだ」と語ったという。真偽のほどはさだかでないが、本人の知らぬ ところで作り固められた虚像が、滅多やたら罵声を浴せられる状況を見た実像が、ほんの束の間に漏らした感懐だったと思う。

 マスコミ的社会は、実像を敢て虚像化して見るが、本人にとっては実像も虚像も一体である。

 いかに強靱な精神をもっといっても、他人が勝手に作りあげた虚像であろうが、なんであろうが、「自分の分身」が外界で揉み苦茶にされるさまを見て平静でいられる筈のものではない。

 田中元首相が、当日の朝はしなくも漏らした言葉は、現実に自分が置かれた立場と、自分がいままで耐え忍んできた十年の道程を振り返った、真実の感懐と受けとめることができる。田中元首相に接触した記者たちは、一様に、自分の親爺のような気がすると述懐し、俺たちが知る範囲の政治家で、あのように懐の大きな人物は他に見たことがないと口を揃える。

 記者たちをつかまえて、誰彼の別なく「おいメシ食ったか」と話しかける元首相の言葉は、遊びほうけて帰宅する時刻を失ったいたずら小僧が、帰った途端親爺からかけられる言葉でホットする情景にも似ているとも語っている。

 思いやりが滲み、自分のことより他人を優先しようとする元首相本来の姿は、マスコミによって作られた虚像とは似ても似つかないものである。だが、現実巷間に流される田中イメージは、やはり、権謀術策一本槍の田中であって、実像のもつ親しみ易く良い意味での親分的気質は伝わることが少ない。

 マスコミが気にするものに、地元新潟での田中人気がある。彼らはこの人気の秘密を地元優先の政策に結びつけてやまない。

 代議士の使命は、国会議員として国政に参与すると同時に、選出して呉れた地元の利益代表でもある。田中政治を批難する者は、田中政治には新潟があって国がないと主張する。しかし、新潟優先の政治は、マスコミが作った田中政治で、実際新潟の近代化は全国に共通 する近代化と同じレベルである。

 田中時代の田中元首相は、政治の主催者であるとともに新潟選出の代議士でもあった。

 地元の利益代表として、出来得る限り地元に利益をもたらすのは代議士の神聖な義務である。

 何事につけマスコミの流れに乗ったことがらは、世間の注目を浴びる。佐藤、三木、福田、大平各歴代首相が、それぞれ地元に造った道路・橋梁・その他の公共施設についての「対地元政策」は、特別 な話題を提供しないのに対して、新潟の公共投資はすぐにマスコミが取りあげて、田中批判の標的にしてしまう。

 この間の事情を一番よく知るのは、新潟三区七市二十六町村の住民を中心にした新潟県民である。

 新潟県民にとって、田中元首相は最も忠実な選良であると同時に、新潟のために粉骨砕身してくれる唯一人の相談相手なのだ。

 周囲を見回しても判る通り、選挙の時ならいず知らず、通常の時期に有権者が議員のところに出向いても、精々秘書の応待でお茶を濁されてしまう。それでも議員に相談する場合は、それ相応なお土産が必要である。

 これが議員と有権者の常識的な関係である。だが、田中元首相だけは、この常識に反して有権者の立場で相談に応じている。

 地元の田中人気をマスコミは、地元政策に結びつける。これに反して、地元の有権者は人気の秘密を、忠実な選良の姿勢と、何にがなんでも地元に奉仕をと心掛ける代議士の姿勢に求める。

 現実の問題として、マスコミ勢が全力をあげて地元有権者と田中元首相の結び付きを断たうとするが、その努力は実っていない。地元にとって、マスコミが騒ぎ立てる金脈問題、ロッキード事件の批難は、真実を知る者の強さで、単なるアジとしか聞こえていない。

 地元の彼らは、田中元首相の実像を知るが故に、マスコミが訴えかける虚像に耳を傾けないのである。

 実像と虚像の問題は、世の中が情報化時代になればなるほど、大きな社会問題になる。

 マスコミは、その性格においても実像を人びとに伝える能力はない。

 国会報告、国政報告を通じて田中元首相と常に接触している新潟県民だからこそ、マスコミによって作り固められた虚像に惑わされることなく、田中元首相そのもの、つまり実像を知り抜いているのだといえる。

 前出した記者たちの述懐は、更めてマスコミの脅威を知らせるもので、人が人を理解するために必要なのは情報ではなく、心と心の触れ合いであることを証している。

 人びとがマスコミを媒介にして知る田中元首相は、否応なく不連続の状態で知る田中元首相である。

 これに対して記者たちと新潟県民は、連続した状態で田中元首相を見ている。このことから判るように、人を知るうえでの基本は、連続した形で見ることに尽きる。

 マスコミ情報の宿命は、その断片的な面にある。したがって国民一般 が田中元首相の実像を理解するためには、何等かの方法を使って、田中元首相を連続して見る手段を講じることが肝心である。

 「ヨッシャッ」は田中元首相のコールサインである。しかしこのコールサインは、今度こそ、国民の側から元首相に呼びかける「ヨッシャッ」にしたい。

 「ヨッシャッ!ヨッシャッ!」いまさら金脈もロッキードもいらない。お前さんがこれからやらなければならないことは、不景気のフッ飛ばしと、国民本位 の政治だ。貴族趣味の政治屋どもを追い散らして思う存分やって呉れ、正直なところ、いまの国民が政治に求めていることはこのことである。

 田中元首相の抱いている不退転の信念と、国民一般が政治を求めている本当の部分を実現するためには、マスコミが田中元首相にかぶせた虚像の衣をはぎとり、どうしても実像を前面 に押し出さなければならない。

 もう国民はマスコミの作った田中元首相の虚像に飽きた。この辺で「ヨッシャッ」の実像が大手を振って歩く姿を待望しているのである。


 


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