舛添要一都知事問題(都税の私的流用)と同根―川合善明市長の反社会的人格 | 行政調査新聞

舛添要一都知事問題(都税の私的流用)と同根―川合善明市長の反社会的人格

 舛添要一都知事による公私混同の税金私的流用問題が次々に明らかとなり、問題は東京都民だけに関わらず全国民の、政治家および政治への怒りが渦巻いている。
 政治資金で趣味の書画骨董数十点を購入しこれを「資料代」とし、千葉県木更津の温泉旅館に家族を伴って宿泊、その費用を「政務調査費」とし、また毎週末に公用車で湯河原の別荘へ往来するなど公用車の私的利用は日常という、国民の血税を自分の財布でもあるかのように浪費する舛添都知事は、もはや禁治産者に等しいほど病的な金銭感覚の人物と言えそうだが、完全な確信犯であることは明白だ。
 問題となっている湯河原の300坪という広大な別荘は、99年に舛添都知事夫人が代表を務める株式会社舛添政治経済研究所の法人名義で購入。これによって舛添氏は実質的には個人の別荘の減価償却が可能で、管理費・維持費といった諸費用を法人経費として計上し、また固定資産税も個人に課税されないような万全の節税対策を講じている。
 つまり舛添都知事は、単に金銭感覚が欠落しているのではなく、専門的な財務の知識に利して、法的なグレーゾーンを熟知した上で計画的に都税を私物化したということである。連日のようにマスコミで報じられる舛添都知事の醜悪極まる釈明でも、まるで自分の計略の隙の無さを誇示するかの卑俗な優越感さえ窺える。問題は個別の経理処理が法的に違法ではないかどうかなどではなく、舛添都知事の政治家としての大義と倫理観の欠落にあるのだ。
 今回のスキャンダルも舛添都知事は事態が発覚したから火消しに詭弁を弄しているに過ぎず、そもそも露呈しないように巧みな経理処理をしていた事実こそが、舛添都知事自身が確信犯で公金を流用した証左と言ってよいだろう。

 これは川越市にとっても対岸の火事ではない。
 2020年の東京オリンピックでゴルフ競技の開催が予定されている。この川越市でも舛添都知事問題と同根の公私混同を、市長の既得権益だと思い込んでいる政治家が行政トップに安座しているのだ。
 それが、早くも三期目を画策している川合善明市長である。川合市長については、一期、二期と自らを首長に押し上げた選挙支援者を用済みとなれば次々と斬り捨て、意見する者に対しては耳を貸さないどころか、感情的な怒りを露わに排撃するといった、市長と呼ぶには憚られる醜態が市内巷間に伝わっている。
 こうした中、かつて川合市長は休日に公用車を使い、自らの政敵である市議宅を急襲したことが明らかになった。ある土曜日、川合市長は議会での論敵である小林薫市議の自宅へ私怨に満ちた形相で訪れ、小林議員に対する抗議文を手渡し「従ってもらわなければ法的手段を取る」と弁じ立て公用車で帰っていったというのである。
 川合市長は議会で小林市議から批判され、さらにかねてより小林市議がブログで川合市長に対して批判的な意見を述べていることに対して、身勝手かつ執拗な怒りを増幅させていたようである。市長自らが公用車を使って、休日の市議宅を襲撃するなど前代未聞の醜態だが、こうした問題も舛添都知事の公私混同と同根であろう。
 法律家でもある川合市長は、自らの言動に違法性を言及される境界線を熟知しており、その独自の解釈から、公休日に公用車を走らせ自分の気に入らない市議の私邸に押し掛けるなどというチンピラ同然の反社会的な振る舞いを正当化し得ると慢心しているのだろう。
 だが、仮にも市長であれば政敵との対話は文字通り議会で、または庁舎内の公務として為すべきが当然である。市長は小林市議に謝罪を済ませてはいるものの、市民に対する謝罪は未だに放置している。個人的な激情に駆られて公用車で市議宅に乗り込むなどという川合市長は、法的解釈以前に政治家としての職責も大義も倫理観もなく常識さえ欠くこと甚だしい。首長に不適格な人物であると糾弾されるべきなのだ。

 本年5月20日、川合市長は記者クラブで来年1月の市長選に出馬表明を行った。この出馬表明に関してはインターネット新聞の「川越ホット」にも記事として掲載された。6月議会開会を待たずに出馬表明したことについて、川合市長は「議会にはお話はしてあります」と同紙記者に対して語った。だが、川越市議会の正副議長は「川合市長の3期目出馬を知らなかった」という。また、副市長も出馬を知らされていなかった。記者会見の席上で川合市長は「嘘」を公表したのだ。議会軽視も甚だしい。
 公の場での市長発言には公職者としての責が問われるという常識さえも知らないらしい川合市長に三期目の市長の椅子に就かせることを、私たち川越市民は許して良いのだろうか。