家族にも友達にも見放される悲しい老人! 川合善明市長が見ているのは「自分の名誉だけ」か? | 行政調査新聞

家族にも友達にも見放される悲しい老人! 川合善明市長が見ているのは「自分の名誉だけ」か?

本紙では、今年「川合善明市長は政治家として胸を張れるか?」というタイトルで3度に渡って川合善明という人物が果たして川越市長として相応しい人物かを世間に問うた。
この一連の記事は、川合市長の目にも触れているはずである。しかしながら11月27日から始まる市議会定例会を前に川合市長は、また懲りることもなく市長としての器量を持ち合わせていないことを、自ら露呈してしまったのである。

川合よしあき市政報告会」のご案内

その一つ目が、ここに掲載した『「川合よしあき市政報告会」のご案内』という文書である。この文書は一枚ごとに宛名を記し、封筒に入れて共産党を含めたすべての川越市会議員に送付されたということである。
文書によれば、この報告会は明年の1月26日にウエスタ川越で開催。会費として当日3000円を申し受けることが記されている。

この文書を一読すると、ある程度政治に興味のある読者ならば、驚くほど問題があることがわかるのではなかろうか。そう、このパーティーが会費を徴収するものであり、政治資金パーティーであることが、どこにも記されていないのである。

通例、政治家が開催する「報告会」や「励ます会」といった案内には必ず「この会は、政治資金規正法第八条の二で規定する政治資金パーティーです」という一文が記される。なぜならば、パーティーの会費から一定以上の収益がでればそれは政治資金にあたることになる。政治資金規正法では「1,000万円以上の収入のあった政治資金パーティーを開催した場合は、パーティーの名称、開催年月日、開催場所及び収入額並びに対価の支払をした者の数」「一つの政治資金パーティーにつき20万円を超える支払いをした者がいた場合、その支払をした者の氏名、住所及び職業並びに金額及び年月日」を政治資金収支報告書に記すことを義務づけている。
もしや、この報告会の主催者である川合市長の後援会は「そのような金額の収益や支払いをする者などいない」と考えているのかもしれない。けれども、こうした案内に「政治資金パーティーです」の一文をしるすのは、政治の世界では常識。それどころか、川合市長は以前にも後援会が主催したパーティーを議会で問題視されたことがあるのだ。

平成26年12月の市議会定例会で可決された「市長に説明責任と猛省を求める決議」が、それだ。この決議によれば川合市長の後援会は平成22年と平成24年の賀詞交換会、さらに平成25年の後援会役員懇親会において収支の不足分総額126万731円を後援会で負担したという。こうしたパーティーで不足分を後援会がまかなう行為は公職選挙法が有権者への買収とみなす「後援団体が行う寄附の制限」に抵触する可能性が高いものだ。市長は不適切な支出であることは認めたが「政治とカネ」をめぐる問題が常に有権者の強い関心となっている昨今、市議たちの怒りは強かった。賛成多数で可決された決議では、「公選法で禁止されている後援団体の寄付の制限に抵触する可能性が高いと市長自身認めた」と指摘した上で「極めて遺憾」と強い文言で断罪。「市民に説明責任を果たし、出処進退を含めた政治責任を果たすことを強く求める」とした。
これを受けて川合市長は「誠に申し訳ない。政治責任は誠実に対応したい」と陳謝はしたものの「後援団体が設立目的により行う行事、事業への寄付は認められているが、誤解を生じる余地があった」違法性については認めないままに、うやむやにしてしまったのである(この問題は『産経新聞』2014年12月18日付など新聞各紙でも報じられた)。

さらに平成25年の後援会役員懇親会では、招かれた川越市議会・江田肇議長が司会より「川越市議会議長・江田肇先生御挨拶」と指名され、江田議長も自ら「お招き戴いた議長の江田肇でございます」と議長名で挨拶するという場面があった。平成25年9月の市議会定例会では本山修一市議(共産党)が、市議会議長という公的な役職を私的な会合で名乗るという行為は、問題ではないかと厳しく追及。返答に窮した江田議長が議会を欠席してしまうという椿事も起きた。

つまり、川合市長にとって「市政報告会」等々のパーティーは、石橋を叩いて行わねば、誰もが注目している状態のはず。けれどもまったく懲りずに「政治資金パーティー」の一文も記さない、呆れた案内状を配布しているのである。変わった点があるとすれば、これまでは5000円だった会費が3000円になっていること。もしや、値段を下げれば問題ないとでも勘違いしているのだろうか。どうも川合市長と後援会には学習するという能力が欠如しているようである。

川合市長の呆れた行為は、これだけに止まらない。現在支援者などに配布されている「後援会ニュース」vol.8には、驚くような内容が記されているのだ。
(「後援会ニュース」vol.8の拡大版は、最後にまとめて掲載しています)

それが3ページ目に記された「現在進行中の工事」の項目。ここに「新学校給食センター整備」が川合市長が成し遂げた業績のように記されているのである。給食センターの建設は子供を持つ川越市民も注目している事業であろう。それが決定するのは、現在開催中の平成27年度12月の市議会定例会である。

そう、この事業はこれから市議会で業者選定の結果が報告され、業者との契約内容などが説明された上で市議会の承認を得る事項。すなわち、予定はされているが最終承認は受けていない事業である。そんな段階だというのに市長は11月から後援会ニュースを通じて、「既に決定した自分の手柄だ」として宣伝しているのである。「議会軽視」と呼ぶのもアホらしい、先走りぶりである。

この後援会ニュースは、ほかの項目も含めて、色々とおかしさ満点である。なにしろ、今年3月にオープンしたウエスタ川越や、建設中の新斎場。新河岸駅前や本川越駅西口の整備など、様々な事業をすべて川合市長がやり遂げたかのような記述になっているのである。

3期目に向けて

そもそも、ウエスタ川越は「西部地域振興ふれあい拠点施設」として計画された埼玉県の共同事業。すなわち川合市長が自らの手柄として振る舞うのは疑問が残る。さらに、新斎場は計画通りに土地を取得することができずに、いびつな形になってしまい完成前から市民に不評になっている事業。市役所内外では「市長が地権者に頭を下げれば、地権者は同意したのに……」という声も多い。そんな、事業を自らの手柄として振る舞うとは、川合市長はなにを考えているのだろうか?
そんな理解に苦しむ川合市長の願望を見せてくれるのが、後援会ニュースの最終ページに記された「三期目に向けて」というコーナーだ。

まだ今期の任期が一年以上あるというのに、早くも三期目に言及する。ここから垣間見えるのは、自身が落選するのではないかという危機感が先走り、なにがなんでも市長の椅子にしがみつきたいという、名誉欲が透けて視える不快な後援会ニュースである。

「政治とカネ」の問題をめぐり、既に一度は陳謝するハメになっているのに、同じような行為を繰り返そうとしているとしか思えない報告会の案内。先走り過ぎる後援会ニュース。これらの文書から浮かび上がってくるのは、もはや市長の周囲にはブレーンとなる有能な人材はおろか、ちょっとした間違いを注意する後援者もいないという惨めな状況である。
とりわけ、日々市長と顔を合わせる市役所の幹部たちはすでに「なにを言っても無駄だ」と諦めきっていて、市長の話にはまともに取り合おうともしていない。

なにしろ、本来は埼玉県から人を選んで出向してもらうのが通例の副市長も呼ぶことができない。総務部と都市計画部には国からの出向者もいるというのに国とのパイプも断絶している。本来、市町村の首長というものは、市民の生活向上のために国や県とも密接な関係を持ち足りないところを支えてもらわなければならない。ところが、川合市長という人物は、そうした交渉能力が皆無なのだ。ある市役所の幹部は「とにかく頭を下げることができない。自分で思いついたことをやっているだけの状態。道路一本でも県が難色を示すのだったら粘り強く交渉したり、県議に働きかけたりするものでしょう。それを“じゃあ、川越市でやります”といって、そのまま放置してしまうんですから」。今や、定年を迎える市役所職員も「定年後に嘱託で再雇用はして欲しい。でも、本庁はイヤだ。どこかの公民館とか、とにかく市長がいないところにいきたい」と愚痴るほどなのだというから、相当の嫌われ方だ。

そして、これまで川合市長を支えてきた後援会も、こうした状況に呆れて、どんどん優秀な人材が離れていっているという。とりわけ、川合市長は市民を集めてのタウンミーティングを熱心に開催してきた。市長と市民の直接の対話は、ほぼ市民からの要望を聞く場となっているのだが、こうした席で川合市長は「検討します」と聞いたフリをして忘れるばかり。市民としては市長に直訴した感覚なのだから、期待をするだろう。しかし、その期待の気持ちは川合市長にはまったく届いていない。おそらくは「市民の声を直接聞く、俺はかっこいい市民派」と自己満足をしているのではなかろうか。これまでの川合市長の経歴を見ると弁護士として活動する一方で、川越市選挙管理委員長や東京弁護士会副会長を務めたり、川越市立第一小学校愛校会長、川越市中央ロータリークラブ会長、筑波大学法科大学院客員教授になったりと「肩書きマニア」なのではないか?という疑念が否めない。川合市長にとって市長になったことがゴールであり、あわよくば2020年の東京オリンピックまで市長の椅子にしがみつき、華々しい人生を描きたいという思いでいっぱいなのだろう。

特定の企業や個人に利益を誘導するような悪事も働かないが、一方でなにも市民の豊かな生活のためになる実績もつくらず「市長」の肩書きに酔っている。そんな姿に後援者たちは次々と川合離れの状態が進行しているのが現状だ。最初の当選で頼みの綱になったという出身校である早稲田大学の人脈も、もはや川合市長を応援する者などいないという。残ったのは、政治の素人ばかり。それも、川合市長の思いつきになんら意見も提言できぬイエスマンばかり。それが、問題だらけの市政報告会の案内になり後援会ニュースとなっているのだ。

そして、川合市長のおかしさは、家族すらも注意できないようだ。なにしろ川合市長の妻君は川越九条の会の幹部を務めているのだ。
社民党をはじめ「リベラル」な思想の文化人を中心に呼びかけられている「護憲派」の市民団体である。「リベラル」「護憲派」などといえば、聞こえはよいが有り体にいえば日本という国や民衆をどのように守っていくかの意識もない。ただ「憲法第九条を守っていれば日本は永遠に平和である」を信じているのである。
かたや川合市長は、そんな奥方とは正反対。本紙がこれまで報じてきたようにカラオケでは軍歌を歌うことが大好きだというのに、議会で「教育再生首長会議」に参加したことを質問されれば「誘われただけ」と答え「軍歌を歌うからといって即右翼というふうに見られるものではない」とまで口走ってしまう。すなわち時に愛国者のポーズを取りつつも、その実態はなんら政治的信念もない人物なのである。
揃って神武天皇の掲げた「八紘一宇」以来の日本の歴史を知らず、惚けた政治観を持つ点ではお似合いの御夫婦だろう。けれども、これでは一つ屋根の下で暮らす夫婦でありながら、政治家として大切であるべき政治的な話題には触れることもない。されば仮面夫婦か。本来、もっとも自分を身近に感じ親身になってくれる存在であるはずの伴侶との間に政治談義の無い証拠だろう。

昨年、ある忘年会に出席した川合市長は次の予定があるため簡単に挨拶だけし、司会に進められカラオケを一曲披露したという。そのまま退出するかと思いきや川合市長は、時計を見て「まだ、時間があるからもう一曲」と、さらに熱唱したのだという。このエピソードからは、川合善明という人物は、市長としての役職以前に、65歳を迎える男としてどこかネジが外れているのではないかと思わざるを得ない。
人間、誰しも間違いはある。けれども、それを糺してくれるのが家族であり友人である。しかし、川合市長にはそうした持つべき家族も友人もいないのだろうか。もう、誰も彼に忠告しないとすれば、彼はまったくの裸の王様になってしまったのか。そうであるとすれば、真に悲惨な生き様を世間に晒すことになる。そんな市長によって運営される川越市民は、もっと悲惨である。
今回の市議会12月定例会では、前述の給食センターと共に「第四次川越市総合計画基本構想」も議題として提出される。本当に郷土のためを思う川越の人士は、この構想を一読し、改めて川越市にふさわしい市長の存在を真剣に考えなければならない時期を迎えたということだ。