世界支配構造に異常あり | 行政調査新聞

世界支配構造に異常あり

――崩壊直前の「世界管理システム」――

2016年は、近現代史の中で最も激動した年といえる。ヨーロッパではテロの嵐が吹き荒れ、英国がEUから離脱。中東では崩壊するIS(イスラム国)が断末魔の叫びをあげ、トルコ、イランあげくにイスラエルまでがロシアに接近。米国の威信は地に墜ち、中国経済の減速が如実になり、近づく世界金融市場崩壊。これまで世界を構築してきたシステムが壊れ、新しい世界に生まれ変わろうとしている2016年。これから何が起きるのだろうか。

エルドアンの強権政治でロシアに接近するトルコ

7月15日にトルコ軍の一部がクーデターを起こしたが失敗。16日正午にはエルドアン大統領が「クーデターは失敗に終わった」と宣言した。トルコは過去に3度、1960年、1971年、1980年にクーデターを起こしている。
現在のトルコ共和国は1923年にケマル・アタチュルクが「政教分離」の大原則を掲げて建国した国である。イスラム教を政治から排除することは建国以来の国是で、トルコ憲法にもそれが明記されている。だが2002年にAKP(トルコ公正発展党)政権が誕生したところで様子が変わってしまった。イスラム保守派を自認するAKPエルドアン(当時首相)は軍の力を弱める作業に着手。軍は、このままでは政教分離の大原則が壊れ、政党政治が混乱し経済が長期低迷に陥ると判断し、実力行使に踏み切る可能性はじゅうぶん考えられる状態にあった。
そうしたなか、2014年には直接選挙によりエルドアンは大統領に就任。対立する軍幹部を追放し、トルコを完全に掌握したとみられた。そんな状況下で、今回の軍によるクーデター失敗事件が起きたのだった。
今回の失敗に終わったクーデターを背後から操るのはギュレン(トルコ市民運動の指導者、米国に亡命中。75歳)だとエルドアンは主張。米国にギュレンを引き渡すように迫った。米国がエルドアンの要求に応じるはずはなく、この結果、米国とトルコの関係が悪化。そうした状況下の8月9日にエルドアンはロシアを訪問。プーチンとの会談で両者はがっちりと握手を交わすことになった。

昨秋11月にシリアのアルカイダ軍を空爆中のロシア軍機がトルコ軍に撃墜されるという事件が起き、それ以来トルコとロシアの関係は悪化していた。だが最近になって、このロシア機撃墜はトルコが単独でやったものではなく、米軍やサウジ軍が早期警戒管制機(AWACS)を飛ばして共同作業として行ったことが暴露され、トルコとロシアの関係修復の芽が生まれつつあった。そこにクーデター未遂事件、そして米国が首謀者ギュレンを渡さないという事態が発生したのだ。この結果、トルコは一気に米国から距離を置くようになり、ロシアに急接近する。もともとプーチンとエルドアンは仲が良かったため、関係修復は決まれば早い。
国際情報通の中には、今回のトルコのクーデター失敗事件は、エルドアンが描いた偽旗作戦ではないかとの説がある。クーデターとギュレンは無関係とする見方も強い。偽旗作戦かどうかは誰にも判断できないが、結果から見れば、クーデター未遂でエルドアンはいよいよ独裁権力を掌中に収めたことになる。
エルドアン独裁が強まる中、トルコは国家の舵をこれまでとは逆方向に切り始めた。これまでトルコはIS(イスラム国)を支援し、ISの石油を買い、ISに武器兵器そして兵士を補給してきた。(ISを作り育ててきたのは米「軍産複合体」に代表される英国・米国の戦争愛好家たち。)
そんなトルコが、ロシアと組んでIS叩きに回ることになった。沈没するISとは付き合いを止めるどころか、敵にしてしまおうというわけだ。トルコ(エルドアン)の頭の中にはIS掃討後のクルドとの駆け引きがあると思われる。

ますます磨きがかかるプーチン外交

トルコがロシアに急接近したことは、ISの終焉がいよいよ間近に迫ったことを意味する。同時に、ロシアにとって喜ばしい出来事として、NATO軍の南の守りの一角が崩れたことにも注目すべきである。これまでトルコは、欧米と組んだロシアの敵だった。それが米国を敵に回し、ロシアと組むのだ。これはロシアにとっては非常に大きい収穫であった。
ISが壊滅すればシリアの再建が始まる。シリアのアサドとプーチンは密接な関係にある。経済制裁が解除されたイランもロシアと緊密で、そこにトルコが加わった。既にイスラエルも親米から親露に方向転換をしている。まもなく、中東問題の鍵はロシアが掌握するようになる。

そのロシアでは、プーチンが有力側近を次つぎとクビにしている。
ロシアでは2018年に大統領選が予定されているが、どうやらプーチンはその大統領選に勝利し、長期政権を敷くつもりのようだ。それどころか、大統領選に立候補しそうな人物を排除し、大統領選なしで独裁権力を掌中に入れる腹づもりがあるようにも思える。
8月12日にはプーチンの盟友ともいわれる大統領府セルゲイ・イワノフ長官(63歳)をクビにしたが、このニュースは世界中に報道され、かなりの衝撃となった。イワノフ長官はプーチンと同じKGB出身で、20歳代の頃からプーチンと親しく、国防相や第一副首相も務め、次期大統領候補ともいわれていた人物だ。プーチンがこの1年間にクビにした大物を並べてみると、以下のようになる。

ウラジーミル・ヤクーニン(68歳)ロシア鉄道社長2015年8月
ビクトル・イワノフ(66歳)連邦麻薬取締局長官2016年4月
エフゲニー・ムロフ(70歳)連邦警護局長官2016年5月
アンドレイ・ベリヤニノフ(59歳)連邦税関局長官2016年7月
セルゲイ・イワノフ(63歳)大統領府長官2016年8月

彼らは大統領選に立候補しても不思議ではない実力者で、しかもプーチンと不仲なのではなく、プーチン支持派、支援派とみなされてきた人々である。彼らの後釜となったのは、新大統領府アントン・ワイノ(44歳)長官に見られるように、皆40歳代かせいぜい50代前半の若手である。
プーチンが目指しているのは長期独裁政権である。
米国が世界権力NO.1の座から転がり落ちる日は近い。欧州がEU維持に四苦八苦し、ロシアにすり寄ってくることは誰の目にも明らかだ。その後にくるのはBRICSを中心とした多極時代であり、その最大勢力は中露である。プーチンは5年後、10年後の世界政治を見据えて独裁政権構築に着手したと見ていいだろう。

完全独裁政権構築か、追放か

中国共産党は今年7月1日に北京の人民大会堂で創立95周年の記念式典を開いたが、習近平総書記はここで「創立100周年の2021年までに、依然として残る貧困問題を解決し、中国全体が『小康(ややゆとりのある)社会』を実現する」と演説し「共産党があってこそ、中国は救われ、発展できる」と結んだ。江沢民、胡錦濤と同様に10年の任期を全うするとなると、習近平の任期は2023年まで。「中国共産党創立100周年」は習近平国家主席が中心となって祝賀する大会となる。
2021年といえば東京オリンピックの翌年。あと5年先だが、波風なく習近平がそのまま総書記、国家主席の座に就いていると予想できる。しかし現実には現在、中国共産党内部はかなり厳しい状況にある。

今年6月15日に習近平は63歳の誕生日を迎えた。普通だったら、政府や共産党の主要メンバーが全員でお祝いすると思われる。ところが誕生日2日前の共産党機関紙『人民日報』にとんでもない記事が載ったのだ。おそらく習近平は真っ青になったか、あるいは激怒して真っ赤になったことだろう。
その記事とは――。

「 トップ(一把手)であるには、自分が握っている舵の限度をよくわきまえねばならない。何が可能で何が不可能なのかということだ。
あるトップは、自分がナンバー1だと勘違いして、職場を自分の『領地』に見立てて、公権を私権に変えて、やりたい放題だ。自分の話を誇大妄想的に政策にしていき、職場を針も通さない、水も漏らさない独立王国に変えていく。
このような唯我独尊的な権力の保持は、大変危険であり、往々にしてそのようなトップは『哀れな末期』を迎えるものだ」

こんな調子で記事は延々と続く。名指しはしていないものの、これが習近平に対する批判であることは、世界中の誰もが理解した。
原稿を書いたのは中国NO.2の李克強首相である。太子党の習近平と共青団の李克強は、ほんらい真正面から激突するライバルである。水と油の関係、犬猿の仲。どう表現しても同じだが、とにかく最悪の関係のはずだった。ところが習近平体制が固まった4年前から、なぜか李克強は習近平に対し「忠誠を誓うイエスマン」になりきっていた。「弱みを握られているのに違いない」と陰口を叩かれたが、李克強の口から習近平批判は一切出なかった。それが今年になって噴出し始めたのだ。そして習近平はその李克強に反論も反撃もしていない。

「蠅も虎も叩く」というスローガンの下、習近平は就任以来ずっと腐敗追放運動を展開してきた。その間、薄熙来を初めとする共産党幹部、周永康などの軍人、国営企業幹部、村長、町長など膨大な数の人々を処刑し、追放し、投獄してきた。その膨大な数の人々、家族親族たちの怨念たるや、計り知れないものがある。習近平暗殺未遂事件がいくつもネット上を賑わしているが、どれも真実の可能性が高い。
来年2017年秋には中国共産党第19回全国代表者大会が開かれる。5年に一度のこの大会で、通常であれば習近平が2期目の総書記・国家主席に選ばれる。だが6月に李克強が『人民日報』に上げた記事を見る限り、波乱が起きる可能性もある。
現在、中国共産党の構成は「7名+25名」の政治局と、「7名」の書記処から成立している。
政治局の7名とは習近平を含めた7名の中央政治局常務委員で、その下に25名の中央政治局員がいる。ところがこの7名のうち、習近平と李克強の2人以外は来秋には定年退職してしまう。そこで通常の場合、下の中央政治局員から何人かを上げるのだが、習近平体制を維持できるかどうか不明である。というのは、現在の常務委員7名は「太子党3名・共青団3名・江沢民派2名」で、太子党が江沢民派(上海幇)を取り込んで習近平体制を築いている。しかしその下の25名の主力は共青団で、次の常務委員の過半数を共青団がとる可能性が高い。そうなると、追放、投獄された旧実力者の怨念が一気に習近平を潰しにかかるだろう。この状況を突破する方法は、好条件をちらつかせて連立(野合)するなどいくつか考えられるが、どうやら習近平はもっと確実な手段を考えているようだ。それは政治局常務委員会の廃止あるいは極端な規模縮小である。
政治局常務委員会は戦前の1928年に登場し現在に至るが、過去には2人のこともあった。毛沢東と林彪、あるいは毛沢東と周恩来、また華国鋒と葉剣英などがそれだ。あるいは短期間ではあるが政治局が職務を停止し、毛沢東など5名の主席団が全権を掌握したこともあった。習近平が狙っているのは、こうした独裁体制なのだ。それが成立する可能性は非常に高いと見ていいだろう。

足下が揺れる欧州は王家復活を夢想する

国王を戴く絶対王政の国サウジアラビアが揺れている。
サウジアラビアとは「サウード家のアラビア」という意味で、サウード王族3万人が支配する国家であり、世界一の原油埋蔵量を誇る。国営石油会社のサウジアラムコは原油保有量、原油生産量、輸出量のどれもが世界最大で、しかもサウジの国家収入の9割を占めている。そのサウジで、国王継承問題を背後に抱えながら、ナイーフ皇太子(57歳)とサルマン副皇太子(31歳)が権力闘争を繰り広げている。
ナイーフ皇太子は副首相兼内相で、国内治安の最高責任者でもあり、米国と密接な関係を持ち、欧州の旧い王族とも深い付き合いをしている。米国留学経験もあり、米国には強い人脈を豊富に持ち、米CIAや軍産複合体と近く、次期国王第一候補だ。
いっぽうサルマン副皇太子は第二副首相兼国防相だが、同時にサウジアラムコを所有する評議会の議長として、サウジの財政を完全に掌握する立場にある。ナイーフが勝つかサルマンが勝つかは、親米派が勝つか嫌米派が勝つかといった面と同時に、中東一帯の王族の方向性を決定する影響力を持つ。
そのサウジ王族が勢力を二分する争闘を繰り広げている。ナイーフ、サルマンのどちらかが失脚あるいは死亡(暗殺)されない限り争闘は続くが、ネット上の情報を見る限り年内にも決着がつくだろうといわれる。

サウジを初めとする中東・湾岸諸国の王族が変質を始めているが、この原因はイスラム圏の混乱にあり、IS(イスラム国)が壊滅状態にあり、トルコやイランが親露方向に舵を切っていることが影響している。ざっくり言ってしまえば米国の弱体化が根本原因だ。
こうした潮流がヨーロッパ王室に及んでいる。これまで死に体のようになっていたヨーロッパの旧い王家が、息を吹き返したかのように、表舞台に顔を見せている。それは大きな意味で米国の没落が原因であり、米英を中心とする世界金融市場に対する不信感が原因ともいえる。第二次大戦後、七つの海を支配していた大英帝国に代わり米国が世界の覇権を握った。その覇権が米国の手から転がり落ち、中露中心のBRICSへ移行する可能性が高いが、金融市場崩壊の後に欧州王家が救世主となって世界を纏めるという根拠の無い観測が欧州各国に流布されているらしい。
「歴史は繰り返す」というが、じつは繰り返さない。歴史が「後戻り」することはない。欧州の王家が復興して再度君臨することはあり得ない。問題はそうした「風説」が、たぶん意図的に流されていることだ。それは欧州がこれまでの「親米」という原則から「親露」へ切り替えるための口実作りなのかもしれない。

欧州王家の中で注目を集めているのはホーエンツォレルン家とハプスブルク(ロートリンゲン)家で、それぞれ優れた系譜を持っている。
ホーエンツォレルン家とは旧ドイツ帝国の帝位とプロイセン王国(ともに1918年に消滅)の王位継承者一族。現在のホーエンツォレルン家家長はゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン(1976年6月~)。プロイセン王家の子孫であり、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の玄孫。
ハプスブルク(ロートリンゲン)家とは、神聖ローマ皇帝位を継承し、オーストリアを本拠として広大な領土を有したハプスブルク王朝(1918年に消滅)を築いた一族の末裔。現在のハプスブルク(ロートリンゲン)家家長はカール・ハプスブルク・ロートリンゲン(1961年1月~)。元オーストリア皇太子オットー・フォン・ハブスブルグの長男で、母はザクセン・マイニンゲン公家の公女レギーナである。
この流れに関係するのだろうか、あるいは欧州が親露に傾く表れなのか、ロシアのロマノフ王家の血を最も強く継承しているマイケル・オブ・ケント王子(1942年7月~。英エリザベス女王の従兄弟)をロシア皇帝(ツァーリ)に招聘するとの根も葉もない噂も流れている。ここにはさらに、「ロスチャイルド家がケント王子を支持している」との怪説も付いて回っているという。
これらは単なる噂であり、根拠はない。これまで世界を支配してきた構図が激変することを何となく理解した烏合の衆が勝手な予測を立て、流布しているだけのことだ。わかっていることは世界がまもなく激変するということだけだ。決してそうした流れに乗った訳ではないが、わが国の天皇陛下が「生前退位」についてお気持ちを公表された。

天皇陛下生前退位の激震

7月13日にNHKが「天皇陛下が生前退位の意向を宮内庁関係者に示されていた」と報道、直ちにこれを朝日新聞が後追い報道して日本中に激震が走った。直後に政府、宮内庁はこれを否定。「生前退位には皇室典範の改正が必要である」として、生前退位を報道したNHKに「独断」として不快感を露わにした。しかし陛下自らが生前退位のご意向をもたれていたことは事実である。常識的に考えて、その事実は宮内庁や政府は重々知っていたはずだ。だが皇室典範改正となると、陛下が政治に口を挟んだと受け取られかねない。そこで政府はNHKを通じて国民にご意向を知らしめ、世論の動向を見極めたうえで、8月8日の天皇陛下御自らの「お気持ち表明」に至ったと考えられる。
NHK報道の1週間後となる7月21日には皇太子殿下がご一家で奈良県橿原市にある神武天皇御稜をご参拝された。皇位継承の準備は万端であるとのアピールとも受け取れる。じつは今年4月に神武天皇没後2600年祭が御陵と皇居で同時に執り行われており、御陵には天皇皇后両陛下が、皇居では皇太子殿下ご夫妻が祭祀を行われた。雅子様の宮中祭祀ご出席は7年ぶりのことで、天皇陛下の強い要請があったと推測されていた。

8月8日、リオデジャネイロ五輪開会直後に天皇陛下がテレビにビデオ出演されお言葉をお話しになられたことはご存じの通りである。
菅官房長官はこの問題について、「天皇陛下のご高齢、ご公務の負担の問題や、憲法にしっかり謳われていることも踏まえ、どのようなことができるのか、その実現のためにはどういう手法が必要なのか、整理している」と語り、さらに「安倍総理からの指示として有識者会議の設置も1つの考え方。そこで何ができるかということをしっかり対応していく」と語っている(8月21日)。
陛下のお言葉の最重要点は、最後に纏められた点にある。
「(現行の)憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたびわが国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」
天皇陛下は最後にテレビを観ている国民に向かって頭を下げられた。陛下に頭を下げられた国民の一人として、これは真正面から真剣に解決を求める必要がある。陛下は何をお求めなのか。
現行憲法の象徴天皇であるならば、天皇の公務がこれほど膨大に存在して当然なのか。
わが国の歴史から考えて、象徴天皇のままで良いのか。
中途半端な象徴天皇を71年間放っておいた責任は国民ひとり一人にあるのではないのか。
世界が激変しつつある今日、わが国も変わらざるを得ない状況に立たされている。天皇陛下の今のお立場は、日本国を象徴しているように思える。