キリスト教終焉の日が迫る? | 行政調査新聞

キリスト教終焉の日が迫る?

ローマ法王庁を揺さぶる恐怖の福音書

『聖マラキの預言』によるとフランシスコ現法王は「極限の迫害の中で」就任し、「恐るべき審判が人々に下る」時代を生き、ローマ法王は彼の代で終わるという。『聖マラキの預言』とは、ローマ法王庁の終焉を預言する書だが、一説にはキリスト教圏の最後を預言するともいわれ、欧米では広く知られる書だ。ローマ法王庁が今、さまざまな疑惑やスキャンダルに打ちのめされ、喘いでいることは事実だ。そんな折り、キリスト教を根底から引っくり返すような怪奇な福音書が出現した。ほんとうにキリスト教の最後が近づいているのかもしれない。

ローマ法王庁からの「異例の要請」

今年(2014年)7月、ローマ法王庁がトルコ政府に対して奇妙な要請を行った。2012年にトルコの裁判所が所在を明らかにした古代の聖書について、「カトリックの専門家に調査を委ねるべきである」というのだ。ローマ法王庁の要請がインターネット上のニュースとして流され、この奇妙な「古代の聖書」の存在が知れ渡った。

トルコの古代聖書の話は最近に始まったものではなく、30年も前から話題になっていた。今回、法王庁が要請したことで「やはりあの噂はバルナバの福音書に関係していたのか」と納得した人々も多かったらしい。といっても、これはイエス・キリストの伝説、あるいはキリスト教にとって致命傷となる話かもしれないが、一神教とは無縁の世界にいるわれわれには、さほど重要な話だとは思えない。

磔刑から逃れたイエス

トルコに秘匿されていた古代の聖書「バルバナの福音書」とは、いったい何なのか。
「バルナバの福音書」とは、ほんらいトルコとは無縁のもの。公式的には「16世紀に書かれた偽の聖書」だといわれている。

バルバナというのは人の名前である。イエスと行動を共にしたレビ族のユダヤ人だ。キリスト教ではバルナバは70門徒に入る聖人の一人。70門徒とはイエスの直近の弟子「12使徒」の次の位に位置する70人のこと。バルナバの本名はヨセフといい、「バルナバ(慰めの子)」は通り名。「バル」とは「慰め」、「ナバ」とは「子」を意味する。

「バルナバの福音書」、または「バルバナスによる福音書」とは、16世紀ころに出現したもので、イエス・キリストの生涯について書かれた「悪意のあるニセの書」だとされる。少なくともカトリック界では、そう言っている。

当初はスペイン語版、イタリア語版の2種があったようだが、現在では18世紀に写されたイタリア語版写本しか残されていない。

この書によると、磔刑になったのはイエスの弟子の一人で、本人は逃げだして無事に生き延びたという。さらに「イエスは神の子ではない」と記され、イエスは数多い預言者の一人と規定している。三位一体が否定されているのだ。

三位一体――父と子と聖霊が一体であり、イエスは神の子であるという論は、キリスト教の根幹の一つでもある。バルバナの福音書は膨大な量のもので、記述の多くの部分は一般のキリスト教聖書と同じ内容だが、肝心の三位一体に関して、他の聖書と記述が異なっている。この福音書はキリスト教徒が書いたものではなく、イスラム教徒がイスラム教の正統性を主張するために捏造したとの説が強い。
現存するイタリア語版は本文の周囲が赤く塗られている。これはイスラム教のコーランの仕様。バルナバの福音書はイスラム教徒が作った偽典だとする説を補強する。

しかしバルバナの福音書に関して、6世紀、7世紀の書物にその存在が明記されているところからも、16世紀どころか少なくとも5世紀には存在したはずだとの説が強い。ただしローマ法王庁を頂点とするキリスト教の世界では、古代のバルバナ福音書が存在することなど認められないらしい。いろいろな理由をつけて、そんなものが存在することは「あり得ない」と断定している。

洞窟の髑髏が抱いていた福音書

1970年代のトルコは3ケタに達するインフレ率で物価は高騰し、失業率は高く、政治も経済も混乱の極みにあった。そんななか政治テロが頻発し、トルコ国家は壊滅状態だった。1980年に入ると、大統領の任期切れが来ても議会は後任を選びだせず、巨大労組連合がゼネストを呼びかけ、左翼と右翼が激突。その混乱に乗じてクルド族が分離独立の闘争を展開していた。
この混乱の真っ最中、1980年9月の軍事クーデターは、必然として起きたものだった。
軍が強権を発動し、トルコ全土に戒厳令が敷かれた。

年が明け、1981年を迎えたが、トルコはなお経済混乱の中にあり、軍政が継続されていた。そんなときにシリアとの国境に近い東アナトリア地方ハッキャリ県のウルデラという寒村の洞窟の中から奇妙なものが発見された。非常に古い時代のものと思われる骸骨と、その胸に抱かれていたパピルスの束である。

村人たちは、これが「お宝」に違いないと確信した。トルコ中の人々が経済的苦境に喘いでいたときの話で、発見した「お宝」を村人たちがカネに換えようと考えたのは、当然のことだった。

しかしそのパピルスに記された文字は、村人の誰にも読めない代物だった。そこで村人たちは、尊敬する有名なイスラム教の大博士で、古代言語に詳しいハムザ・ホシャギリ師にパピルスを数枚手渡し、これが何であるか訊ねてみた。

パピルスに記されていたのは古代シリア文字で書かれたアラム語だった。アラム語とは紀元前後に中東で使用されていた国際語で、イエスもアラム語を口にしていた。わずかのパピルス文書を読んだところで、ハムザ師はこれが噂で聞いたことのある「バルナバ福音書」に違いないと確信するようになる。

パピルスは没収。政府に圧力がかけられる

ウルデラの村人たちはハムザ師の言葉の端々から、パピルスが間違いなく「お宝」であると確信し、これを売りさばこうと町に向かう。ところが村を出たところで軍に囲まれ、村人の行為は「盗掘」にあたるとされ、パピルスは没収されてしまったのだ。

ハムザ師は軍に没収されてしまったパピルスが重要なものであることを理解していた。しかし軍政の間は、ハムザ師は何もできなかった。

2年後の1983年12月末、混乱のトルコで経済再建のために首相に選ばれたのはトゥルグト・オザルだった。本題とは無関係だが、1985年のイラン・イラク戦争のとき、イラン在住の日本人救出のためにトルコ航空機が派遣されたが、この航空機の派遣決断をしたのがオザル首相で、日本には彼を慕い尊敬する人は多い。オザルは混乱期のトルコ経済を建て直し、10年にわたる長期政権を成功させた辣腕政治家である。

ハムザ師はオザル首相にウルデラ村出土のパピルスがいかに重要なものかを説いた。しかし混乱の政局、経済体制を建て直すためにオザルは昼夜なく働いており、とてもハムザ師に耳を傾ける余裕などない。ハムザ師がオザル首相と直接会って話すことができたのは、イラン・イラク戦争まっただ中の1986年のことだった。

ハムザ師の話を傾聴したオザル首相の計らいで、ウルデラ村出土のパピルスは順次撮影され、解読することが許された。以降、ハムザ師の下、古代シリア語で書かれたアラム語の解読が進んだ。だが、全体の2割程度しか解読されないところで、突然に作業は中止されることになった。作業中断は政府からの命令だったが、その背後に何者がいたのか、わかっていない。ローマ法王庁からの強い要請があったとか、米大使が威嚇したとか、国連から命令されたとか、さまざまな噂はあるが、本当のところは不明だ。

作業が中止される直前に、幸運なことにハムザ師は、この福音書が全部で4束(4冊)作成され、ウルデラと同じものがあと3カ所に隠されているとの文章にめぐり会っていた。その3カ所とは、シリア領ゴラン高原、イラク北部の町、サウジの修道院だった。

イスラム教に改宗、そして暗殺

ゴラン高原とはシリア領ながらイスラエルに占領されている地で、ハムザ師が翻訳したウルデラ村の福音書には、位置が特定できるゴラン高原の地図が記されていた。サウジアラビアの北部にあるトゥル山の修道院も、福音書が秘匿された地。そしてトルコ国境の町で35万人が住むイラク北部の大都市ザホにも同じ福音書が隠されていると書かれていた。

この3点のうち、2カ所――ゴラン高原とサウジの修道院からは、古代の福音書が取り出されている。イラクのザホからは、まだ見つかっていない。サウジの修道院から福音書を取りだしたのはサウジ軍で、2007年のことだ。この福音書は現在サウジ王家の手元にあるとされるが、その後の情報はない。

シリア領でありながらイスラエルが占拠しているゴラン高原の福音書を探すために、ハムザ師はイスラエル人の女性を頼った。かつてトルコのイスタンブール大学の研究室でハムザ師の下で学んでいたヴィクトリア・ラビンという女子大生だ。彼女の祖父はイスラエル首相だったイツハク・ラビンである。

ラビン首相はアラブとの和平を積極的に進めた元軍人で、和平合意のオスロ合意に調印し、パレスチナ和平でノーベル平和賞を受賞した人物。だがラビン首相は1995年11月に和平合意に反対する青年の凶弾に倒れ在任中に死亡している。

ヴィクトリア・ラビンの協力を受け、問題の福音書はゴラン高原にあるダビデ王ゆかりともいわれる遺跡の中から発見された。ラビン首相が凶弾に倒れてから7年後――2002年のことだった。ハムザ師は直ちに古シリア語で書かれたアラム語の翻訳に取りかかった。それはまさしく『バルバナ福音書』であった。ハムザ師の翻訳を読み終えたヴィクトリアは、その日からイスラム教に改宗してしまった。

敬虔なユダヤ教徒であったヴィクトリアがイスラム教徒になったのだ。そして間もなく、彼女は殺害されてしまった。なぜヴィクトリアは殺されたのか、その理由は明らかにされてはいない。

盗賊団が隠し持っていたハルナバ福音書

この原稿の冒頭部に、今年7月、ローマ法王庁がトルコ政府への要請をした話を書いたが、じつは2年前の2012年2月にもローマ法王庁はトルコ政府に同様の要請を行っている。このときもバルナバ福音書と思われる古代聖書が問題となったのだ。その経緯をご紹介しよう。

2012年2月末にトルコの新聞『トゥデイズ・ザマン』紙ウェブ版に、「2000年にトルコ警察が密輸捜査の折りに、地中海地方で密輸団から古代の聖書を押収した。それは長らくアンカラの民俗博物館が保管し調査していた。これについてバチカン(ローマ法王庁)が正しい調査を行うよう申し入れをした」という記事が掲載された。

2000年に警察が押収した古文書は、アンカラの民俗博物館が独自の調査により、動物の毛皮に古シリア文字でアラム語が記されており、紀元前後に作成されたものと分析したらしい。それを伝え聞いたローマ法王庁が、カトリックの研究者による正しい調査を行ってほしいと注文したというのだ。『ザマン』のウェブ版には「警察に押収されなければ12億円で取引されただろう」との記事も載っていた。

12億円とは安すぎる感がする。キリスト教界を根底から揺るがす代物だから、数十億円くらいが妥当とも思えるが、持っていれば命までも狙われそうだから、そう高価な値はつかないかもしれない。それはともかく、「地中海の盗賊団」が持っていたバルナバ福音書とは何なのだろうか。

ハムザ師の解読では、バルバナ福音書は全世界に4冊しかないということだった。
ウルデラ村の福音書はトルコ政府が管理している。
サウジの修道院で見つかった福音書はサウジ王家が保管している。
イラクのザホという都市にある筈の福音書は、まだ見つかっていないとされる。
ゴラン高原から見つかったものは、訳本はヴィクトリア・ラビンに渡ったが原本はハムザ師が保管している。

しかしこれらは全て、伝聞情報でしかない。
なにしろキリスト教世界では、途轍もなく重要なものなのだ。イエスと行動を共にしていたバルバナが、イエス没後すぐに作成したものだとしたら、そこには限りなく真実に近いイエスの物語が書かれているだろう。そこでは今日信じられているイエス・キリストの物語は否定されるだろう。さらにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が「神」と崇めるものの正体について触れられているに違いない。
バルバナ福音書は公開されるだろうか。それは、いつだろうか。
一神教とは遥か離れた位置に立つわれわれでも、その内容が気にかかる。まして一神教の人々、さらにはキリスト教の信者にとって、またローマ法王庁にとっては、焦燥と苛立ちの日々が続いていることだろう。■