次のローマ法王は「最後の法王」となるのか? | 行政調査新聞

次のローマ法王は「最後の法王」となるのか?

「聖マラキの預言」が暗示するバチカンの終焉

ローマ法王ベネディクト16世が自ら退位して、新しい法王が選出されることになった。8年ぶりに行われるコンクラーベという法王選出法も興味深いが、次の法王が「最後の法王」だという噂もある。いまたしかに世界中が混乱混迷の中にあるが、これはキリスト教が預言する「最終戦争」が起きる前夜なのだろうか。

ローマ法王辞任の衝撃

2月11日に第265代ローマ法王ベネディクト16世が高齢(85歳)を理由に退位を表明した。ローマ法王となった以上は死ぬまで法王を続けるのが当然と考えられていたため、キリスト教社会にとっては衝撃が大きかった。じっさい、法王が退位を申し出たのは、教会大分裂の解消のために退位したグレゴリウス12世以来約600年ぶりのこと。異例中の異例の話なのだ。

ところで「ローマ法王」という表現は日本では普通に使われているが、正しくは「ローマ教皇」である。正確に表現すると「ローマ司教、キリストの代理人、使徒の頭…」と恐ろしく長大な肩書きになる。本稿では日本で一般に用いられる「ローマ法王」で統一しておく。

ベネディクト16世は2005年4月に前法王ヨハネ・パウロ2世の後を継いで法王になった。しかしこの時すでに神父による性的虐待のスキャンダルがローマ法王庁を揺るがしていた。法王の座に就くや、ベネディクト16世は性的虐待の特別調査を命じ、被害者たちと面会して謝罪するなど火消しに努めたが、被害者たちは納得しなかった。今回も法王の退位表明後、同性愛、幼児虐待の話題は燃え広がり、真実か否かはわからない猟奇的な内容に世界が興奮している。しかし本当のところは、この下品な話題よりはるかに重要な問題がある。カネや利権の問題だ。性的な話題は、このカネの問題から目を逸らすために仕掛けられているとの噂もいっぽうにある。

下世話な話題はともかく、ベネディクト16世はすでに2010年に著書の中で「法王は体力的、心理的、精神的に務めが果たせなくなった場合は辞任する権利と責任がある」と書き、このときから「法王は引退を考えている」という情報があった。じつはベネディクト16世の前の法王だったヨハネ・パウロ2世も、かつて退位を真剣に考えていたようで、在位中の2002年には「法王が退位を検討している」との報道がされたことがあった。

法王退位の情報は超ビッグニュースとして世界中を駆け巡り、その理由についてもいろいろ報道されたり陰で囁かれたりしている。しかし何といってもその深奥に30年も前に起きたロッジP2事件があることは間違いない。

世界を震え上がらせたロッジP2事件

「フリーメイソンなど実在しない」「フリーメイソンは実在はするが、単なる親睦団体だ」

――日本ではその程度の認識が多かった1976年(昭和51年)に、イタリアのフリーメイソン、P2ロッジがフリーメイソンから破門された。破門の理由は武器売買など違法取引をしたためとされる。これが本当に破門だったのか、見せかけだけのものだったか、説はいろいろあり、真実は不明だ。問題はその後のP2ロッジの活動にあった。

武器売買を指揮していたロッジのグランドマスター(親分)は元極右ファシスト党員ジェッリという人物で、南米の軍事政権とつながり武器売買をしていた。噂では米CIAとも密接な関係にあったとされる。

ロッジP2はフリーメイソンから破門されたが、その後も秘密裡に活動を続けていた。破門となった1976年には銀行をいくつか持つ大資産家シンドーナという男が3億ドル横領事件を起こして逃亡。この男はP2のメンバーだったが、4年後の1980年にニューヨークで逮捕された。

ところが翌1981年1月、マンハッタンの刑務所に収監中のシンドーナを白昼ヘリコプターで奪いさろうという事件が起きた。この脱獄劇は成功しなかったが、同じ年の夏、今度はイタリアのボローニャ駅で85人が死亡する爆弾テロが起きる。他にもさまざまな陰湿な事件が起き、すべてはP2の仕業と睨んだ警察は、ナポリにあるグランドマスターのジェッリの家を急襲。ジェッリは不在だったが、警察はそこからP2に属しているフリーメイソン員900名超の名簿を手に入れ、これを公表したのだ。この中には38人の現職国会議員、4人の現職閣僚、30人の現役軍幹部、さらには諜報部員やマスコミ関係者、実業家などの名があった。興味深いことだが、元首相のベルルスコーニの名もこの名簿の中にあった。現在、未成年少女との売春疑惑や弁護士への賄賂問題でヤリ玉にあげられている元首相だが、この当時は実業家として有名な人物だった。

このP2絡みのフリーメイソン名簿の中に、ニューヨークで捕まり服役中のシンドーナの名も存在したが、シンドーナの仲間としてアンブロジアーノ銀行の頭取カルヴィの名もあったのだ。アンブロジアーノ銀行とはローマ法王庁の資金援助により設立された銀行なのだが、マフィアが僧や修道尼の名を借りてマネーロンダリングに使っていた可能性が高いと考えられた。しかし翌1982年にアンブロジアーノ銀行は倒産し、頭取カルヴィはロンドンに逃亡。そこで首吊り自殺に見せかけて殺されてしまう。

アンブロジアーノ銀行倒産より4年前の1978年に法王パウロ6世が亡くなり、ヨハネ・パウロ1世が法王に就任した。ヨハネ・パウロ1世はバチカンとマフィアの関係を断ち切ろうと、不正融資やマネーロンダリングの実態調査に乗り出したが、法王就任からわずか33日後に急逝している。法王の死については不明な点が多く、暗殺されたとの説が根強い。次の法王に就いたのがベネディクト16世の前の法王ヨハネ・パウロ2世だった。人望も厚くカリスマ性を持った偉大な法王との評判が高いヨハネ・パウロ2世だが、不正融資解明などには一切手を付けようとしなかった。

ロッジP2は1981年10月に「正式に」フリーメイソンから破門されている。5年前の1976年に一度破門されているのだから、その後の事件に関し「フリーメイソンとは無関係」と言い逃れもできただろうが、そうした主張は一切なかった。このことからも1976年の「破門」は形だけのものだったといわれることもある。

P2のグランドマスター、ジェッリはその後逃亡先のジュネーブで逮捕され、ボローニャ駅爆弾テロ事件やアンブロジアーノ銀行頭取殺害事件など多数の罪で有罪判決を受けるが、何度も脱獄している。この脱獄にはイタリア首相、閣僚などが関与したと噂されているが真相は不明だ。1987年には64件の殺人事件と136件の密輸などの罪で終身刑を宣告されたが、2005年に始まった裁判では無罪を勝ち取り、93歳の現在、P2を再生させようと活動しているといわれる。

退位したベネディクト16世の前の法王ヨハネ・パウロ2世はバチカンとマフィアの関係、マネーロンダリングなどについて触れようとはしなかった。ベネディクト16世もまたこの問題を放り出したままだった。その結果ついにローマ法王庁は、抜き差しならぬ状況に追い込まれたのではないだろうか。

バチカンに落雷、そしてロシアに隕石落下

ベネディクト16世の在位中には、法王庁は性的虐待事件以外にもさまざまな事件に巻き込まれていた。2006年には法王がドイツの大学で講演した際に、イスラム教の教えを邪悪とするビザンチン帝国皇帝の言葉を引用し、イスラム教徒から猛反発を受けたこともあった。また昨年(2012年)には法王庁の元執事が内部文書を暴露して大騒動が起きた。この内部文書は、バチカンの高官が法王に宛てて出した手紙などで、そこにはバチカンの内部対立や腐敗、高官の利己的な権力志向などが赤裸々に綴られていたのだ。

こうした醜聞に掻き回され続けた法王庁だったが、悪いことばかりではなかった。とくにベネディクト16世は環境問題と真剣に取り組み、ホールに太陽光発電パネルを設置したりもした。だが何といっても最大の功績は東方正教会との和解である。

ローマ・カトリックと東方正教会は8世紀に分裂したが、その後も関係は続いていた。それが1054年にそれぞれが相手を「破門」として完全に分裂したものだ。東方正教会は現在、東欧やロシアを中心に18の正教会を持っており、最大のものは信徒数1億人ともされるロシア正教会である。

中国に渡った景教やエジプトのコプト教会を東方正教会の仲間に入れることもあるが、一般的には東方正教会といえばギリシア正教会、ルーマニア正教会、ロシア正教会など18の正教会を指す。カトリックも東方正教会も、ともにキリスト教であり、教義の原則は同じ。宗教世界の中身に関しては誤解を招く表現が憚られるため、興味のある方はご自身で調べていただきたい。ひと言で言うなら、東方正教会のほうが原初的キリスト教に近く、カトリックが合理的なのに反し、東方正教会は神秘的だとされる。

ローマ法王ベネディクト16世と東方正教会コンスタンディヌーポリ総主教ヴァルソロメオス1世の二人が同席した「聖体礼儀」は、2006年11月29日にトルコのイスタンブールで行われた(イスタンブールは東ローマ帝国首都コンスタンチノープル)。この儀式で法王と総主教が互いを抱擁し、全世界に大ニュースとして流されたが、両者が完全に歩み寄るには、まだいくつかの高いハードルがあると思われる。しかし少なくともカトリックと東方正教会が合体に向けて動き出したことは間違いない。

それは一部には、腐敗と堕落で救いようのないローマ法王庁に、ロシア正教会の息吹を吹き込む覚悟ではないかとも表現される。ただしこれは、あくまでも比喩的な表現であって、現実には日本人の政治家が中国の閣僚に入るようなもので、そう簡単には起こり得る話ではないだろう。

ベネディクト16世が退位を表明したのは2月11日の月曜日。その夜、ローマを大嵐が襲った。そして法王が住むバチカンのサン・ピエトロ大寺院に落雷があったのだ。

その4日後の2月15日午前9時15分(現地時間)にロシアのウラル山脈中南部チェリャビンスク州に隕石が落下した。

どちらも自然現象である。しかしサン・ピエトロ大寺院の落雷は「神の怒り」の表れではないかと怯える者も多かった。またロシアでは隕石の本体がチェバルクリ湖に落ちたが、湖畔に建つロシア正教の教会で休日の祈りが捧げられている最中だったため、「神の啓示」だとする説が真剣に語られたという。

陰謀論が好きな人々は別な話題を口にしている。サン・ピエトロ大寺院の落雷はハープ兵器によるもの、そしてロシアの隕石はUFOが小惑星を撃墜したものだそうだ。そうした話で盛り上がる方々はどの世界にもいるので無視するしかないが、2月12日朝に行われた北朝鮮の核実験は、考えてみれば絶妙のタイミングで行われたものともいえる。

そもそもローマ法王ベネディクト16世の退位もまた絶妙のタイミングで行われたとしか思えない。ベネディクト16世は2月24日に最後のミサを行い、28日午後8時をもって法王の座を辞任した。ベネディクト16世の退位表明から辞任までの期間、全世界は揺れ動き続けた。イタリアの総選挙では欧州金融危機がくすぶり続けていることがわかったし、米国、中国、日本、いや世界中が不安定であることが明確になった半月だった。

世界は間もなく途轍もない大変革期を迎えそうだ。
2月中旬から3月初旬にかけて、そんな予感が多くの人々に去来したのではないだろうか。

聖マラキの預言

ベネディクト16世が去り、新たな法王は3月12日から始まったコンクラーベで選出される。誰が次の法王になるか、いろいろな説は出ているが、間もなく結果が出る。現在118人いる枢機卿のうち投票権を持つのは115人。そのうち67人はベネディクト16世が任命したもので、ベネディクト16世の意向が反映されることは間違いない。(法王になるためには3分の2以上、すなわち77票が必要。)

今度選出される法王が「最後の法王」だという話がある。オカルティストたちの間では有名な書である『聖マラキの預言』に、次の法王が最後だと書かれているというのだ。

『聖マラキの預言』という預言書が世に出てきたのは16世紀末。聖マラキは12世紀ごろに活躍したアイルランドの大司教で、このマラキ著した書にそうした記述があるというのだ。ただし『聖マラキの預言』の原本などは存在せず、16世紀末になって修道士が書いた著作の中に、そのような預言があったと記されていたとの伝聞話なのだ。

その預言には、歴代法王の特徴とか属性を連想させるような短い言葉が書かれていた。たとえばヨハネ・パウロ2世は「太陽の労働」とあり、これは彼がかつてポーランドの鉱山労働者であり、民主化運動の象徴的存在だった『連帯』に属していたことを表しているという。退位したベネディクト16世は「オリーブの栄光」と書かれていた。オリーブの枝をシンボルとしているのが『ベネディクト会』で、それを見事に言い当てているというのだ。

『聖マラキの預言』の信奉者によれば「すべてが恐ろしいまでに的中している」というが、正直なところ当たっているのか外れているのか、詳しく解説されないと理解できない。かつて一世を風靡した『ノストラダムスの大予言』のようなものだと考えればいいのかもしれない。

さて、そのノストラダムスならぬ『聖マラキの預言』では、ベネディクト16世の次の法王は何とされているか。以下に『ウィキペディア』に掲載されている「最後の法王」の文を引用する。

「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう.。」(In p’secutione. extrema S.R.E. sedebit.)
「ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」 (Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus: quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.)

「極限の迫害の中で着座する」とか、「様々な苦難の中で羊たちを司牧する」という言葉は、たしかに現在のローマ法王庁の苦境を物語っているようにも思える。「7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る」という表現は、黙示録を初めとしてダニエル書やエゼキエル書等々に書かれている「最後の審判」につながるものと考えていいだろう。

そしてその後に「終わり」と記されている。

この「終わり」についてもいろいろな説がある。世の中が終わる、人類の最後だという説もある。キリスト教社会が終わるという説もある。もっとも納得されている説としては、ローマ法王庁が終わる、法王という存在が終わってしまうというものだ。そんなに恐ろしい話ではないとする説もある。マラキ大司教による法王の預言がここで終わり――法王は続くが、マラキが預言を終えてしまったという説だ。

どんな説でも関係ないと考えるのが普通の日本人だろう。聖書もローマ法王も、キリスト教とは無縁の日本人にとっては、大した問題ではない。そう考えるのは当然のことだ。しかし一つだけ明確なことがある。こんにちの世界をリードしているのが聖書に生きる人々だということだ。

一神教の世界観で生きる欧米、中東の人々が何を考え何をしようが、私たちには関係ない――。残念ながら現代は、それを許してくれない。旧約聖書が語る恐怖の「最後の審判」や、『聖マラキの預言』が示すキリスト教社会の最後の刻が訪れたと考えている人々が、現代を動かそうとしているように思える。これを覆すことができるのは、聖書とはかけ離れた世界観を持つ人々だけである。■