川合善明氏は川越市長としての使命を果たしたことがあったのだろうか。
私は、来年一月の市長選を前に、そのような疑問を抱いています。
思えば、平成21年2月8日のこと。彼は、市民に推される形で市長となりました。
川合という男は、市民が選び市民のために尽くしてくれる人物に違いない。そう思って、私も一票を投じました。為政者に対して信頼と畏敬の念を抱くのが日本人の美徳です。そして、為政者とは、そうした民の期待に応える高潔な人物でなくてはならない……私は、そう考えています。しかし、期待は淡くも消え去りました。
当選から2期8年の歳月を彼は川越市長として王の如くに君臨してきたのです。
もちろん、愚行を重ねる王に対して意見を述べようとする忠臣もいました。しかし、この王は、自らに市長たれと進言する者を躊躇(ためら)いもなく切って捨ててきたのです。政策とは名ばかり、前市長の手掛けたものに薩摩守(さつまのかみ)をやってのけただけで、あたかも己の手柄であるかの如く得々としているではありませんか。
ちなみに薩摩守とは下の名を忠度(ただのり)といい「ただ乗り」に掛けたシャレです。
民の期待を得て、王となったにも拘わらず諫言をする忠臣には耳も貸さず、周囲には奸臣ばかりを集める川合市長。その姿は、夏桀殷紂(かけついんちゅう)には及ばずとも暴君といわざるを得ないと思っています。
かのような男だから公私混同甚だしいのも当然です。
今さら書くまでもありませんが、この王様、かつて売れずとも弁護士をやっていました。弁護士に売れる売れないというと疑問を持つかもしれませんが、調べて見ると彼の弁護士としての仕事のほとんどは企業の顧問など。裁判所で法律論を戦わしたりすることもなく、ただただ「先生、先生」と祭りあげられるだけの人生を過ごして来ただけなのです。
そんな人生の中で、彼は法律の知識だけを増やし「罪にさえ問われなければ、なにをやってもよい」と独断する性格を自ら作り上げたのです。それを、如実に履行したのが、貴紙発行の水色の冊子「特報」と、同時に市民に配布された「号外」です。
これを読んで、私はまさかここまでの悪事を働いていたとは思わず驚きました。ここで明かされた、市民は知らなかった川合行政の実態。大きく書かれた「癒着」という文字……。市民への背信行為。㈱カナイ消防機材を特別優遇。市民無視・不道義・あいた口が塞がらぬ、といった言葉。結局のところ、川合善明市長の公約「改革・公正・公開」なんて嘘っぱちだった、ということでしょう。
もはや、川合市長の悪辣さはすべての市民が知り得るところになっています。
ここまでの悪事を明らかにされて、もはや市長を続けることができるとは思えない。それどころか開き直っているではありませんか。こんな男が来年の市長選に出馬して3期目を目指すという。単に市長という肩書きを得て、満足したかっただけのなにも中身が無い男が8年も市長をやって、まだ満足できないのでしょうか?
号外には、とても共感できる言葉が詰まっていました。
断固として許せない。断じて許すわけにはいかない。市民不在の独裁行政。
川合善明市長と金井眞一郎会長との不適切な関係。
事業の原資は市民の皆さんの大事な血税だ。市長の身勝手を許さない。
私も同感です。こんなことが行政内で何年も続けられていたことを、市民はまったく知らなったのです。貴紙はよくぞご調査してくれました。市民として厚く感謝するよりほかありません。
さて、こうして悪事が露見したにも拘わらず、川合市長は、後援会の主要メンバーを、相変わらず神様・仏様のように持ち上げているようです。だが、その蜜月ぶりは、貴紙の発行した水色の冊子の特報において、すべて明らかになっています。
川合善明市長<川合行政>…㈱カナイ消防機材に特別優遇
――都市計画法違反を視て視ぬふり――
◎文具店として開発許可を受けた市街化調整区域に、防災事業の本社を構えた5年間の脱法行為に目をつぶる。
◎川合善明市長の盟友㈱カナイ消防機材 金井眞一郎会長は、川合よしあき後援会高階(たかしな)地区後援会会長だった。
こう書かれた68頁の冊子には、ビッシリと悪の経過が示されています。「よく調査された」と感心するしかありません。当初、チラシに基づいて現地へ行き㈱カナイ消防機材の家屋・看板を見たが、正に貴紙に書かれた通りの文房具店とは程遠い営業所の社屋であり、お体裁に小さな文具店の看板が掛けてあったにすぎません。
しかし、貴紙の「チラシ」を手にしてより既に5か月近くに至っても、㈱カナイ消防機材は旧態依然として以前のままです。行政からの厳しい査察もなく、川合市長は「大した問題ではない」と、これらの件を放置するばかりです。あからさまな違法行為に手も付けず、素知らぬ顔で3期目出馬に専念する厚かましさ、川合・金井の悪の連携プレーに見ざる・言わざる・聞かざるを決め込み、川合善明を市長の座に据えるため、目の色を変えている連中には、市民の生活などどうでもいいのでしょう。
まさに卑劣な暴君!今こそ求められるのは、李世民や朱元璋のごとく民のために、我が身を省みず断固として立つ英雄です。
だが、この暴君を倒すために、我が身を捨てようと決意を固める人物は、なかなか現れませんでした。なぜなら、市議会にはお飾りとして川合市長に飴を与えておいて私欲を貪る、これまた悪辣な市議がいっぱいだからです。こうしたヤツらにとっての理想は、現状維持。だから、不正・官製談合には見て見ぬフリをして、この身勝手な人物を再び市長に据えようと目の色を変え動き回っているではありませんか。とりわけ、川合を押す連合系・公明党・自民党の連中、彼らは川合・金井の癒着・犯罪行為に一言も発することなく見ざる・言わざる・聞かざるを決め込んでいるのです。
市議会の答弁を聞いていても、なんら市政や市民の問題を追及することもせず、ただただ、議会を開催して仕事をしたフリをしているのが多くの市会議員の姿です。彼らは、自らを竹林の七賢かなにかだとでも思っているのでしょうか。しかし、共産党の柿田議員が川合市長に牙をむきましたね。市井の流れに鋭敏に耳をすまし、目をこらし、市民に害ある者を排し、市政の向上に力を尽くさんとする者を推挙して当然なのです。それが議員の市民に対する義務であり、節度でしょう。
川越から出ている県会議員も同罪です。彼らとて、川合市長の今日までの自治体首長としての危うい行跡を知らないとは言わせません。ことに自民党県会議員の中野英幸氏は、次は国政に打って出るとの下馬評が盛んです。川合・金井の悪質行為に目を閉じ耳を塞いでいる。川合市長の選対本部長代行で会派の市議を指図しているとか耳に入っています。
国政に打って出るのであれば、勝手にすればよいでしょう。ただ、これだけは言いたい。「あまり出過ぎると己の選挙に差し障りが出て来るでしょう……」と!
市民の存在を軽く見ない方がよいと忠告しておかなければなりません。
また、公明党福永信之県議と川合市長との個人的関係の深さは、相当、市中には流れています。福永氏の号令の元に公明党市議団は川合市長支持だろうといわれています。「上意下達」は、公明党の宿命ですから、仕方ありません。ゆえに、彼らも川合・金井の一件から目をそらしています。ただ、心ある公明党支持者は、相当心を痛めているとも聞きます。
果たして、悪しき人物を祭りあげて自らの利益を保持しようというのが、仏の教えなのか。
福永氏には、今一度『立正安国論』を読むことを薦めたいと思います。日蓮聖人は鎌倉幕府に対して「国家諫暁」すなわち処刑すらも恐れず国難を憂い意見することを止めなかった。ならば執権・北条時宗に比べれば、ごくごく小粒のような権力者に過ぎない川合市長に意見ができない道理などありません。
ああ、ほんとうに貴紙が書いている正義はどこへ行ってしまったのでしょうか。市議・県議・有力者・連合、皆な己らの都合のみで川合支持に走っているようにしか我々市民の目には映りません。
となれば共産党だけが真剣に川合・金井問題を取り上げているということになります。
自らを川越市のエスタブリッシュメントかなにかと勘違いした人々は、川合・金井の悪の始末の結着を付けず事を終わらせるつもりなのでしょうか。我々市民の怒りを封じ込み、川越市歴代最低といわれる川合善明を再び担いでシャンシャンで済まそうというのでありましょうか。
そうした中、いよいよ彼らに対して旗を立てる人物が現れました。先日、出馬表明を決めた渋谷県議です。渋谷県議がこれらを見るに見かねて出馬を決めたといいます。
自民党支部長の立場を投げ打っての出馬は、余程に川合市長の狂態に我慢がならないのでしょう。本来、川合市長を支持しておけば甘い汁を吸えたかも知れないのに、そのようなものを捨てて正義のために尽くそうとする渋谷県議。
渋谷県議は元々物欲のない生粋の政治家だと耳にしています。ですから、党派・会派の市民不在の思惑を越えて、川越市民の為に善政を敷いてほしいと思います。
11月末に、反川合を掲げて出馬を予定していた山根さんが病に倒れ、断念したために、我々は歯噛みしている所へ渋谷県議の出馬でホッとしているのです。
もはやグローバリズムの進展によって、消費主義と金融資本主義が世界を席巻した中で正義という言葉は死語のようになっています。しかし、この川越にはまだ正義が残っているはずです。果たして、川越市民の一票が、天に代わって不義を討つことになるのか?市長選の開票が楽しみです。