川合市政の決定的ウイークポイントは、行政経験の無さと調整力の無さである。報道機関を侮辱した川合市長の過ちは許せない。 | 行政調査新聞

川合市政の決定的ウイークポイントは、行政経験の無さと調整力の無さである。報道機関を侮辱した川合市長の過ちは許せない。

憲法第93条について、ご存知でない方が多いと思われるが、それには、市町村長は住民の選挙によって選ばれる、とある。市町村長になるには、無投票を除いて選挙は避けてとおれないことなのだ。そこで、マスコミが挙って使う出馬表明という表現がある。
初出馬の場合には、出馬の時期を見計らって記者会見場を設け記者発表する、というのが一般的だ。ところが、これが2度目3度目ともなるとその態様は実に様々である。
川越市の川合善明市長が去る5月20日、自身3選出馬を目指して記者発表を行い翌日の新聞を賑わした。注目したいのは、この記者発表ということだ。
後に、このあたりの理由について川合市長自身は、ある政党の支部が近々推薦したい旨を申し出てくれているので、出馬表明していないのに推薦をいただくわけにはいかないということで急いだ、とコメントを出している。

これをお読みになった読者諸氏は、既にお分かりと思うが、肝心なのは、出馬表明していないのに推薦をいただくわけにいかない、という意味合いだ。
ここで時期を遡ってみたい。
昨年の8月9日に執行された埼玉県知事選挙で、大方の予想どおり現職の上田清司知事が、自民党県連が推薦した元総務省官僚の塚田桂祐氏等を破り、4選を決めたことはまだ記憶に新しい。次点の塚田桂祐氏に50万票以上の大差をつけての圧勝に終わった。この時、川合市長は、上田知事の川越市の選挙対策本部長を務めたことは既に周知のとおりだ。一方、自民党川越支部は、当然の事ながら塚田氏を推した。こうして見ると、当時、埼玉県知事と自民党埼玉県連、川越市長と自民党川越市議団の対立軸が見えてくるのは一目瞭然だ。
ところが、正月気分も明けきらぬ今年1月26日、川越市にあるウエスタ川越を会場に、川合市長の市政報告会が開催された。そこで驚いたことには、この会場に自民党川越支部の面々、即ち自民党の川越市議会議員等が出席していたのである。
自民党の川越市議会議員等が議員として筋をとおすのであれば、当然この報告会には欠席をすべきであった。それにもかかわらず、報告会に出席したということは、明らかに選挙に当選したいがための自分自身の保身以外の何物でもない。ここでは、自民党川越市議会議員等を一々論じている暇はないので、これ以上の論評は控えたい。

話しを元に戻そう。市長選出馬にあたっての推薦の件である。何故急ぐ必要があった、という表現を使ったのか。
ご承知のとおり、現職の首長が出馬表明をする場合には、与党会派の長老格の議員が本会議場で質問をし、それに答える形で出馬表明するのが理想的な形だ。しかし、そうした方式を取らない場合は、首長と議会(与党会派)との関係があまり好ましい関係ではないと考えられる。首長と議会との関係が良好ではない場合には、どうしても議会との調整や根回しが必要になってくる。ここらあたりが、首長以下幹部の手腕の発揮どころとなってくるのである。
現在、川越市では6月定例会の最中である。ここで、去る6月7日に開催された定例会での一般質問において、共産党の柿田有一議員が発言に立ったが、その発言の一部を取り上げてみたい。
柿田議員による質疑では、次のような内容について発言している。
今回の対応を見ると「議会には伝えなかった」と言っているが、「議会には話してある」との報道がある。今は、市長は議会には話していないという前提でのことだが、マスコミに話した対応と異なる。 これはメディアに失礼ではないのかと思う。間違いであれば「議会に話したということは誤解があります」とマスコミに謝った方が良いと思う。
議運で議長に話を聞いたのだが、「議会として申し出を受けたことはない」との話である。しかし会派の代表を通じて出馬のことは聞いているとのことであった。議長の所属している公明党議員団には何らかの話をしているということであるが、これは公的ではなくプライベートなことである。少なくとも共産党議員団と他の会派は区別されているということが、これで明らかになった。
議会は合議体である。様々な会派や考え方が違う中で、民主的に共産党の意見も尊重して議会では対応されている。議会の中で共産党議員団が排除されているというようなことは、少なくともこの間は感じてはいなかった。議会は合議体であるが、主義主張や立場の異なる議員、会派で構成されている中で、お互いに諮り、尊重し合って運営しているが、市長はこうした議会の実情を理解して対応しているのか。

これに対して、川合市長の答弁は次のような内容だ。
「立候補の意思表示を議会に話してはいないのではないか。マスコミに話した事と食い違うのではないか」の質疑に対して、議会に話していないというものは、議長を代表者とする議決機関、組織体としての議会という意味からすれば話していない。しかしながら一部の報道が「議会に話してある」という記載があるが、実際には記者側からの問いに対して「ご理解頂いているものと認識しています」と、そのような主旨の返事をしたものが、要約されて「議会に話してある」と記載されたものであり、やや不正確な報道であったと思う。したがって「マスコミに話した事と食い違うのではないか」は、これを報道したマスコミ側が、やや不正確な報道をされたと認識している。
この柿田議員と川合市長のやり取りの中で、川合市長の答弁にある「ご理解頂いているものと認識しています。」という表現だ。この表現はどのように見ても、話しをしたと解釈するのが普通であろう。何をもって理解して頂いている、というのか。何も話しをしていないのに理解して頂いている、と言っても無理があろう。これは、川合市長自身の身勝手な解釈であって、こうしたコメントを言うこと自体、議会側に対して失礼である。
次に、この表現を取ってして「やや不正確な報道をされたと認識している。」という表現は、一部マスコミに対して配慮に欠けていると言える。むしろこの場合には、私の真意が伝わらず皆様に誤解を与えるような報道となってしまい、誠に申し訳なく思っている、という謙虚さがあって然るべきである。これでは、あまりにも川越市長としての品性に欠けていると言われても仕方あるまい。
前述の何故急ぐ必要があったのかは、蓋し川越市議会最大会派である自民党川越市議団による本会議場での川合市長への出馬に関する質問が、不調に終わったからであろう。
初当選以来、これまで川合市政を見てきて欠けているのは、こうした配慮の無さにある。大都市川越の首長ともなれば、一言一句の持つ意味が責任重大であり、政治家即ち首長としてその発言には、責任を持たなければならない。正に行政経験不足を露呈しているようなものである。
長年、行政を経験している者であるならば記者会見の重要性というものは、十分に認識しているはずだ。ましてや首長ともなれば、一つひとつの言葉の重みは、計りしれないものがある。
執行部と議会との関係についても然りである。執行部と議会の関係はどうあるべきか、ということを当然熟知しているのであれば、取るべき手法は自然と考えられるし、それには経験と技術が必要とされる。所謂、政治的な駆け引きということだ。しかしながら、分かっていてもそうした才覚や力量がなければ駄目だ。川合市長本人のみならず、就任早々の川合市長の側近に、そうした役割を期待してもまず無理であろう。
川合市政7年間の副市長人事についても同様なことが言える。既に何人が替わったであろう。このような人事を行っていては、市民からも信頼されないし議会からも信頼されないことは、言うまでもない。こういう人事というものは、余程のことがない限り、軽々に替えてはならいのが鉄則だ。
何度も繰り返すが、出馬表明していないのに推薦をいただくわけにはいかないということで急いだ、という川合市長のこの浅はかな考え、このような考えに至るということは、自身何度も指摘されているように行政経験の無さと調整力の無さ、即ちその無能ぶりを公に晒してしまっているということだ。
この人の自己中心主義は、「川越ほっと」という真摯な報道機関に対して嘘つき呼ばわりし、自己防衛をした取り返しのつかない行為である。正に首長の資格なしである。
川越市民の一人として、実に恥ずかしい限りである。
市議会は、川合市長の偽善の事実追求の手を休めてはならない。

市内読者より