ウクライナ紛争の先に見える世界 | 行政調査新聞

ウクライナ紛争の先に見える世界

 ロシアがウクライナに侵攻して、まもなく1カ月になる。
 この間、ウクライナ紛争に関して様々な情報が報道されてきた。新聞テレビなどの一般情報と、フェイスブック・ユーチューブなどのSNSとでは、全く違う情報が乱れ飛んでいる。ウクライナ紛争は「情報戦」と呼ばれるほど、右と左では話が違っている。ウクライナでは現実に血が流され、多くの一般市民が犠牲になっているのに、それを「フェイク・ニュースだ」と解説する者もいる。
 やがて真実が明らかにされるが、それでもフェイク・ニュースを信じてしまう人々もいる。いまウクライナで何が起きているのか。それはこの先、どんな未来を作り出すのか。
 冷徹に現実を俯瞰し、すぐ目の前にある衝撃の未来像を見つめよう。

空手に先手なし 

 日本を代表するものといえば富士山・漫画・柔道……などが挙げられるが、空手も日本発の文化として大人気だ。現在、全世界の空手の競技人口は2,000万人、愛好家まで含めると1億3,000万人が空手をやっている。世界には、空手を愛する人が日本の総人口より多くいる。空手の本家本元、日本の空手人口は200万人。競技人口は53万人だ。空手人口が世界で一番多いのはロシアで、競技人口は100万人、空手愛好家まで含めると1,000万人が空手に親しんでいる。ちなみに、総人口は日本が1億2,600万人、ロシアが1億4,400万人。
 それほど差がない。ロシア人に空手愛好家が多いことは、この数字からも理解できる。空手は旧ソ連だった時代から人気があった。旧ソ連領だったウクライナでも空手は盛んだ。昨年(2021年)の東京五輪でも、女子55kg級でウクライナのA・テルリウガが銀メダルを、男子75kg級でH・スタニスラフが銅メダルを手にしている。その空手の世界では「空手に先手なし」という言葉が重要視されている。
 この言葉は空手の創設者ともいえる船越義珍が遺したもので、那覇市沖の宮の入り口にある船越義珍顕彰碑にこの格言が刻まれている。
 「空手に先手なし」は、世界の空手愛好家の誰もが知っている有名な言葉だ。今、世界中が注目しているウクライナ紛争は、ロシアが攻め込んだ紛争だ。ロシアが先手を打って攻め込んだものだ。

「英米NATOがロシアを招き入れた」というウソ 

 NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大がロシアを刺激し続けた。
 英米がウクライナをNATOに加盟させようと圧力をかけたことが、ロシアのウクライナ侵攻を招いた。ウクライナ紛争の元を作ったのは英米NATOにあるという主張がある。攻め込んだロシアは悪いが、英米NATOにも責任があるという説がある。
 これはとんでもない言いがかりだ。ウクライナは有史以来、その領土を巡って、様々な国家が紛争を続けてきた。古くは9世紀~13世紀(日本の平安時代から鎌倉時代)にかけて、キエフ大公国という巨大な国家があったが、その後、モンゴル帝国(元)、ポーランド共和国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマントルコ、ロシア帝国などが入り乱れてウクライナを領土とし、争いを繰り返した。

 長くウクライナを領土としてきた帝政ロシアが崩壊した後も、ロシア白軍、ソビエト赤軍、ポーランド黒軍、ウクライナ緑軍が戦った地域である。1920年にはウクライナ領有をめぐってポーランド・ソビエト戦争が起き、西ウクライナがポーランド領となったこともある。ウクライナの歴史をちらりと眺めただけで、この地が有史以来ずっと紛争の場だったことが理解できる。
 1991年にソ連が解体され、ウクライナは独立国となった。だがソ連解体は、ウクライナをめぐる綱引きを劇化させただけだった。2004年には中立派(親NATO派)のユシチェンコと親露派のヤヌコビッチとの大統領選をめぐってオレンジ革命が起きた。このときユシチェンコが突然、正体不明の病気にかかり、美男子ユシチェンコの顔が痘痕だらけになる騒動があった。
 オレンジ革命は米CIAが陰から糸を引いていたとか、ユシチェンコの病気はロシア側がダイオキシンを使った暗殺計画だったとか、様々な噂が乱れ飛んだ。この噂は、かなり真実に近いものと推測できるが、真相は不明だ。真相は不明だが、ウクライナをめぐって東西陣営の激しい駆け引きが行われたことは間違いない。その後、ユシチェンコを支持した資産家女性のティモシェンコとユシチェンコが対立。

 その対立の狭間を縫ってヤヌコビッチが大統領に就いたのだが議会は混乱。結局、2007年にティモシェンコ大統領が誕生。ところが2010年の大統領選では親露派ヤヌコビッチが辛勝する。2013年にヤヌコビッチはEUとの政治、貿易などを拒否。これに対して議会の親米派、親ユーロ派が激しく反発。2014年2月には国内が揺れ動き、2万人を超えるデモ隊が反政府運動を展開。治安部隊が出動、警察官を含む82人が死亡するというウクライナ騒乱が発生した。この騒乱の最中に、親露派のヤヌコビッチが首都から脱出。
 ウクライナ議会は逃げ出したヤヌコビッチを罷免し、新大統領を任命。これに対して「クリミア半島のロシア人を守る」という名目でロシア軍がクリミアに侵攻した。
 クリミアでは住民投票が行われ、親露派が圧勝し、ウクライナから独立してクリミア共和国の建国を宣言。これをロシアが併合した。クリミアの独立やロシア併合を、ウクライナや西側諸国は承認していない。クリミアの独立とロシア併合の後に、ウクライナ東部のルガンスク州やドネツク州でも独立運動が起き、2014年以降ずっと内戦状態が続いていた。ひと言で総括するなら、ソ連崩壊後のウクライナでは親露派と親英米派(親NATO派)が対立し、綱引きを繰り返してきたと言える。

 実のところロシアは、ウクライナをそっくり領土にすると経済的負担が大きくなるので、併合はしたくない。だがウクライナがNATOに加盟すれば、ウクライナを完全に奪われてしまう。ロシアとしては、ウクライナを中立・親露派の国(NATOとの緩衝国)に仕立てたい。英米NATOは、ウクライナのNATO入りに向けての圧力を高め続けてきた。英米NATOの本音は、ウクライナのNATO入りが目的なのではない。
 ウクライナを親英米NATO派の中立国に残しておきたいのだ。こうしてウクライナを舞台に、ロシアと英米NATOの政治・外交圧力が高められてきた。そんな状況下、今年(2022年)冒頭からロシア軍がウクライナの国境に集結し始めた。政治戦・外交戦が戦わされている最中に、軍事的圧力を高めるという手段は有効だ。そのやり方は否定できない。だが、それは圧力だけの話だ。こんにち、核を所有する大国が先に武力を使用することは許されない。国際社会が、人類全体がそれを拒否する。空手に先手なし。一撃必殺の空手では、先に「必殺の一撃」を加えたら、それで勝負が終わってしまう。一撃必殺の空手という武術を体得した者は、戦いを避けることを最優先させなければならない。それが「空手に先手なし」という言葉の真髄である。空手をやる者であれば、船越義珍のこの名言は体に染みこんでいる。
 プーチン大統領は極真館空手の八段である。

ロシア軍は苦戦どころか惨敗の様相 

 「次の戦争の覇者はAI(人工知能)だ」と言ったのはプーチン大統領だ。
 ロシア軍参謀総長(兼国防次官)のB・ゲラシモフは、次に起きる戦争では宣伝・情報、ハッカーなどが開戦前に勝敗を決めると予測した。戦争が始まる前に通信網やインフラを破壊することで勝敗の80%が決まると演説した(これを「ゲラシモフ・ドクトリン(原則)」という)。
 プーチンはゲラシモフの予言を高く評価していた。NATOに加入していないウクライナに、英米軍やNATO軍が援軍を出すことはない。ウクライナ軍単独であれば、ロシア軍の敵ではない。しかもロシア軍がウクライナに侵攻する直前に、ロシアのハッカー部隊がウクライナ軍の通信網を寸断し、連絡が非常に取りにくい環境を作り上げていた。ロシア軍の勝利は確定的に思えた。軍事超大国のロシア軍は、圧倒的勝利で快進撃し、ウクライナに「一撃必殺」の致命傷を負わせるはずだった。

 プーチンは、そう考えていただろう。ところがウクライナの通信網は、全く問題なく使用できたのだ。なぜか。米国の実業家で大金持ちのイーロン・マスク(電気自動車テスラの創設者)が人工衛星で通信網を回復させたのだ。まさか通信用の人工衛星を飛ばされるとは、プーチンも考えていなかっただろう。ウクライナは、通信網を回復させただけではない。ロシア軍が侵攻したとき、ロシア軍の通信を手に入れ、ハイブリッド戦を有利に進めたのだ。 (「ハイブリッド戦」とは正規軍同士の戦争だけでなく、情報・宣伝・ハッカーなどが活躍する戦争のこと。)

 ウクライナ軍がロシア軍の電子戦車両を捕獲していたことが3月12日に明らかになり、その写真も公開された。ロシアの電子戦車両「ボリソグレブスク2」は、車両に積まれた「多機能電子戦兵器」で、いわば最前線の司令塔である。
 捕獲したのがいつかは発表されていないが、ロシア軍侵攻直後にウクライナ軍の手に落ちたと思われる(2月27日に捕獲されたとの情報もある)。そのため、全ロシア軍の作戦・行動などが細部までウクライナ軍に筒抜けになっていたのだ。
 ロシア軍の侵攻が開始された2月24日に、ウクライナ政府は全国民に対し、ロシア兵を見かけたらSNSその他で直ちに連絡するように要請していた。
 ウクライナ全国民が諜報員となり、ロシア軍の動きを把握していたわけだ。その情報が「ボリソグレブスク2」捕獲を成功させたらしい。その背後に英国MI6や米CIAの暗躍があったと推測できる。この推測は、かなり信憑性が高いが証拠はない。

 米英などの諜報部隊は、ロシアがウクライナに侵攻するように仕向け、ロシア軍の心臓でもある電子戦車両をまんまと入手したのだ。電子戦車両「ボリソグレブスク2」は最高の獲物である。どうやって捕獲したかは不明だが、これが奪われた時点でロシア軍は負けたも同然。どんな戦力を持ったロシア軍が、どこに向かって、いつ、どんな隊列で進軍するかなどの軍事情報が完全にバレていたのだ。
 これではロシア軍に勝ち目はない。3月15日にウクライナ南部マリウポリを襲撃中のロシア軍オレグ・ミチャエフ少将が戦死した。少将はロシア・ライフル師団の師団長(将軍)。少将が戦死したことで、ロシア軍はウクライナ侵攻1カ月たらずで4人の将軍を失ったことになる。これはソ連のアフガン侵攻のとき10年で失った将軍の数に匹敵する。ロシアには全部で20人ほどの将軍がいると推測されているが、開戦早々に将軍の5分の1が戦死したことになる。明らかにロシアは「負け戦」を戦っている。

「米国支援の生化学兵器工場」はウソの情報か 

 2月24日に侵攻を開始したロシア軍は、その日にチェルノブイリ原発を掌中に収め、3月に入ってまもなく南東部のザポロジエ原発を襲撃し、これを制圧した。
 その後もロシア軍は原発や病院を攻撃している。攻撃する理由は、「ウクライナが生化学兵器や核兵器を開発」しており、原発や病院などが生化学兵器の工場だからだと主張する。「ウクライナには米国が資金提供している生物化学兵器研究所がある」という情報はロシアが発信したもの。だが確定的な証拠は提出されていない。

 多くの陰謀論者が「米国は世界中のあちこちに資金提供して生化学兵器の研究開発を進めている」と語るが、何一つ証拠らしいものはない。調べてみると、3月9日に開かれた米国議会公聴会でのヌーランド国務次官発言を中国の『人民網』が誇大表現し、それをロシアが悪用したものとも思える。「ウクライナには生物研究所があり、その研究材料がロシアの手に渡ることを恐れている」というのがヌーランド国務次官の発言だった。「生物研究所」であって「生化学兵器研究所」ではない。
 また、米国が資金援助していたという話は『人民網』が断定的に伝えているが、その証拠や公的な情報はない。「米国が資金援助して生物研究をやっている。その中にウイルス研究のような、生化学兵器につながるものもあるに違いない」という話が一般的に流布されているが、あくまで噂話の域を出ていない。この噂が真実だとしても、米国が資金援助して研究させるなら、常識的に考えて親米国家のはずだ。

 ウクライナは2002年から2007年までは親露派のヤヌコビッチが首相で、2010年から2014年2月まではヤヌコビッチが大統領。親露派の政権時代が長かった。
 そんなウクライナに米国が資金援助する生化学兵器工場が造られるなどありえない。ロシアが原発や病院を襲撃しているのは、ウクライナ軍の防御が手薄なところを狙っていると考えられる。ロシアは本気で「米国が資金援助した生化学兵器工場がある」と考えているのなら、その証拠を提示すべきだ。もっとも確たる証拠もないのに、「イラクは核兵器を作っている」として米国を中心とする有志連合がイラクを攻撃した「イラク戦争」(2003年)の例もある。米国にしても、「疑惑だけで他国を攻撃することは許されない」と主張できない弱みもあるのだ。

難航する停戦交渉 

 ウクライナ情勢が緊迫する2月7日、フランスのマクロン大統領がモスクワを訪れ、プーチン大統領と会談を行った。ウクライナ侵攻後の3月7日にもマクロンはプーチンに直接電話するなど、仲裁役になる期待があった。44歳のマクロンはロスチャイルド・グループの投資顧問をやっていたこともあり、フランス政界の貴公子とされる。だがフランスは4月10日に大統領選を控えており、言動の総てが大統領選の票の行方に関わってくる。そのためマクロンの動きは鈍く、大統領選が終わるまでは、ウクライナ問題の仲裁役にはなれそうにない。

 2月末にウクライナ問題への仲裁役を買って出たのはトルコのエルドアン大統領だった。トルコはNATOの一員であり、ロシアともウクライナとも深い関係を持っているから、仲裁役としては適任に思えるが、実は欧州各国はどの国もトルコに対する信頼度が低い。トルコを信用していない。3月10日に、トルコ・ロシア・ウクライナの3カ国外相がトルコ南部アンタルヤで会談を行ったが、その後の進展は見られない。ロシア軍の侵攻が始まってから、世界が注目していたのは中国の動きだった。

 中国はロシアと手を握って欧米との対決姿勢を強めるのか、それともウクライナに加担し欧米との関係を求めるのか。3月18日夜(日本時間)にはバイデン大統領と習近平国家主席がテレビ会談でウクライナ問題を話し合った。
 バイデンは習近平に対し「ロシアを支援するなら結果を伴う」と半ば脅し文句を並べたが、これに対し習近平は「中米関係を正しい軌道に沿って発展させるだけでなく、国際的責任を引き受け、世界の平和と安定のため努力する必要がある」とウクライナ問題で協調する姿勢を見せている。だが実際のところ、中国はロシアと敵対することは避けたい方向にあり、その動きは鈍い。仲介役の中心にはなりそうもない。
 いま仲介役として期待されているのはイスラエルとバチカン(ローマ法王庁)だ。
 イスラエルのベネット首相は3月5日の土曜日にモスクワに行きプーチン大統領と会談を行い、その帰路にベルリンでドイツのシュルツ首相と会談している。ユダヤ教徒は何があっても土曜日は休日。イスラエルの商店も官公庁も土曜日は休み。そんな土曜日にベネットがモスクワに飛んだことには、相当な思い入れがあったのだろう。ベネットに同伴してエリケン(建設大臣)もプーチンと会っている。
 エリケンとは次期イスラエル首相とも見られている閣僚だが、ウクライナ生まれウクライナ育ちのユダヤ人で、プーチンとも顔見知り。ロシアとウクライナの関係には「ユダヤ問題」という底流があり、仲裁役としてのイスラエルには深い意味がある。バチカンのローマ法王庁もウクライナ問題解決に意欲を示している。

 ロシア正教とウクライナ正教は親戚関係にありながら対立する奇妙な位置関係にある。ロシアのウクライナ侵攻には、ロシア正教によるウクライナ正教弾圧という側面があると分析する宗教学者もいるほどだ。この対立の仲裁役として、最適任はバチカン法王庁。バチカンはロシアとウクライナの対立調停に名乗りを上げ「両者(ロシアとウクライナ)の対話再開を手助けする用意がある」(3月1日、ローマ法王庁パロリン国務長官)としている。
 こうした状況下、ゼレンスキー大統領は3月18日には「ロシア(プーチン)との話し合いの時が来た」と発言。19日には「停戦は自らの失敗によって負った傷を軽減させる唯一の方法だ」とロシアに対し強く停戦を呼びかけている。停戦に向けてのロシア・ウクライナ双方の主張には、かなりの隔たりがあるように思えるが、ウクライナ政府は「早ければ1、2週間で、遅くとも5月初旬には停戦」と口にしている。どうやら何者かによる停戦交渉が本格化している模様だ。現在続行中の戦闘は、停戦交渉に向けてそれぞれが優位性を求めようとする動きなのかもしれない。
 しかし、仮に停戦となっても、それは一時的な休息でしかない。ウクライナの衝突は世界の金融界・経済界・国際環境を激変させようとしている。
 ウクライナがどうなろうとも、米英アングロサクソンはヨーロッパから切り離されていく。米国は結局、ヨーロッパから切り離される。世界はウクライナ紛争を契機に、いよいよ混迷の度合いを深めていくだろう。■

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