獄中記 第十五回 | 行政調査新聞

獄中記 第十五回

福山 辰夫

 獄  中  記 
<福 山 辰 夫>


第 十五 回

 皇紀2654年 【平成6年・西暦1994年】 

 12月3日 (土) 

 朝餉後の9時30分から10時30分迄、宗教教誨『神道』に出席。
 本日の教誨師は「坂本寿郎先生」で、毎年12月の教誨は『年越大祓式』を実施。
 教誨室備え付け「神棚」の御神体に対して、「神道形式」といわれる参拝(*二礼二拍手一礼)を行う。ただ、参拝する前後に「神棚」へ向かって一揖(いちゆう)をするのだが、これは神に対して畏まる姿勢の表れであると推察する。
 この一揖を含むお辞儀について、現役の宮司である坂本先生に質問すると、「礼」(拝)は90度でお辞儀をし、「一揖」は60度。また、他にも「少揖」(しょうゆう)は15度と、軽いお辞儀もあるという。更に、祝詞等を読む前には45度のお辞儀をするといった段階毎によって、其々に意味があるという事だった。
 そこで、一般の神社に於ける際の参拝としては、神殿に向かい「一揖二礼二拍手一礼一揖」の作法で良いらしいとの事。これぞ目から鱗、矢張り知らぬ事は知らないままにして置かず、斯道の大家に問い質すことが肝要也。
 午後は、舎房前の廊下にて「頭刈り」を実施。

12月8日 (木) 開戦記念日 

 昼餉後の12時20分から13時20分迄、『書道教室(1班)』に出席。
 受講者は、13工のSさん(無期囚・秋田出身)、Tさん(懲役20年・殺人/抗争事件)、6工のT.M(懲役16年・殺人/八王子抗争)、W.H(懲役12年・殺人未遂、銃刀法違反、火薬取締法違反/金丸信副総裁狙撃事件)、Sさん(東亜友愛事業組合三代目伊藤興業内)で、各人が持参した作品を講師である「鈴木登郁先生」に添削指導を受ける。

12月10日 (土) 

 30歳の誕生日を迎える。
 『論語‐為政篇』に、孔子の言葉として「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を踰(こ)えず」とある。
 今日に至る迄、親兄弟や他人を当てにした生活を改める事無く、己の身勝手な都合のみで生きてきた。「三十にして立つ」(三十而立)とは、此の束縛された環境の中で魂を研磨し、自己の確立と確固とした立ち位置を定めるべく、その素地造りをせねば…。今、何を為すべきかを見極め、将来への布石を打つことが肝要也。
 本日、三十という節目を迎え、心新たに人生の再スタートを切るものと誓う。

12月13日 (火) 

 11月分の賞与金教示有り。「7等工+1割増」=1,262円也。

12月14日 (水) 

 仙台市街は、非常に厳しい寒さに見舞われ、この冬初の積雪を観測。

12月16日 (金) 

 工場定期私本配布日に付き、先月30日に風邪休養中の病棟で催された、「ブックフェア」に於いて自弁購入した、『逆説の日本史1古代黎明編‐封印された「倭」の謎』(井沢元彦著・小学館)、『逆説の日本史2古代怨霊篇‐聖徳太子の称号の謎』(井沢元彦著・小学館)の2冊が手元に届く。

12月17日 (土) 

 本日は「総集行事」として、『年忘れ♪カラオケ大会』(9時30分~11時30分迄)が催される。過去に何度か同催しを行っていたと、長く務める同囚に聞いていたが、暫く中止されており、小生が「平成4年4月14日」に宮城刑へ入所してからは初めてとなる。
 今回の企画は『教育課』の手に依るものの、決済等は全て『処遇部門』であり、特に特警は「何か事があったら…」と、可成りピリピリしている様子。
 昨日も昼休憩に、工場担当の菅野看守部長より長々と訓示を受ける。何故、この催事が今日迄中止されていたのか?要は、催事中に必ず懲役の一部が調子図いてヒートアップし、工場代表として歌う同囚を応援するだけに止まらず、他工場の真剣に歌う者を笑い・茶化し・挙句の果てにはヤジを飛ばす。それが発端となり、後日「喧嘩事犯」に発展した事例が過去にあったという。

 菅野看守部長曰く、「大体、我々職員が聴いても余りにも音痴過ぎて、吹き出してしまう者も実際には居る。だが、本人は至って自分が音痴だとは思っていないどころか、真剣に歌っているのに衆人環視の面前で馬鹿にされなければならないのか?そこで腹に一物を持ってしまう。皆も自分の事に置き換えて考えて見たら、誰だって頭に来る筈。何度も五月蠅い事を言う様だが、明日はそういった他人を馬鹿にするような者が12工から出ないことを信じている」と締め括られると、普段面倒を見て貰っている工場のオヤジ(*工場担当看守)に恥をかかす訳にはいかないと、不思議な連帯感が生まれる。

 そもそも12工は、殆どの者が懲罰を受け、他工場から回されてきた掃き溜めである。一人ひとりは我が強い反面、逆に人情にほだされ易い部分があるのもまた事実。そんな事を黙想しつつ回想していると、行事に参加する受刑者の繰り込みが終わり、警備隊主任の「黙想止め」の号令で目を開ける。幕が上がり開演となり、自称カラオケ自慢と称する各工場の代表が、マイクを握り「十八番」(*おはこ)を熱唱。やがて12工代表のS.Yが登場すると、同囚全員が大拍手で迎え彼の歌を真剣に聴く。
 余談ながらS.Y氏は、1980年代前半に高齢者を中心に金の地金を用いて、現物まがい商法(*ペーパー商法)で組織的詐欺を行い、「悪徳商法」という言葉を世に生み出し、『豊田商事事件』と社会問題化し、世間を騒がせた1人である。会長の永野一男(当時)からも信任厚く、関西地区だか中部地区のエリア長を務めていた幹部で、件の詐欺罪により懲役5年を受ける。
 普段は控えめで大人しいヤスさんが、懲役600人を前に「五木ひろし」の曲を熱唱。残念乍ら結果は入賞外でも、日頃のヤスさんを見ている同囚からすると、今日の舞台に立つだけでも凄い事で、12工の仲間は君に感動を貰ったよ。
 頑張ったなヤスさん、お疲れ…。尚、午後からの余暇は「臨池」に勤しむ。

12月18日 (日) 

 9時30分から10時30分迄、12月誕生の者を祝う『誕生会』に出席。寒風が吹き込む講堂にて、篤志面接委員の先生の講話を15分拝聴。その後、立会職員の「喫食開始」の号令で、既に冷めてしまった「汁粉」を食みつつ、テレビVTR視聴『遠山の金さん』(出演:松方弘樹ほか)。尚、今日は繰り込みの順番が早く、講堂に入り座席に着き黙想をしていると、後ろに座った者が指で小生の肩を突っつく。
 悪戯かと思い「イラッ」として後ろを振り返ると、前工場の13工で同房だったN口氏(茨城県出身)が、ニコニコと愛嬌のある顔で微笑んでいるではないか…。もう拍子抜け。12工の誕生日該当者は、地元シャブ屋のネタ元・S木さん(塩竈市住人)、自称彫師・S田(秋田県出身)と小生の3人。
 午後は、かじかむ手を擦りながら「臨池」に勤しむ。

12月19日 (月) 

 年に一度の『総転房』(*雑居房のみ)が実施される。
 半年前に「懲罰明け」で12工に下りた小生は、「2舎2階3室」と変わらず。
 同房者はSさん(盛岡市住人・五代目山口組三代目山健組系組長)、Sさん(伊勢市住人・五代目山口組伊勢志摩連合系)、Tさん(一関市住人・松葉会上萬一家系)、Ⅰさん(渋谷区住人・稲川会三本杉一家系)、小野寺さん(北見市住人・稲川会岸本組星川組内)、自称彫師のS田(秋田県出身)と小生の計7名。しかし、毎年『総転房』が近くなると、何処から「ネタ」(*情報)を仕入れるのか、必ず数日前から諸々の「デマ」が飛び交う。ある者は「オヤジ」から直接聞いたという、尤もらしい話が流れる。

 だが、その殆どが「ガセネタ」(*嘘)であり、今年も見て分かるように「ハンメ」(*仲が悪い、対立している者)と同房になる事はない。
 亦、事前にオヤジに囁く者も居て、懲役の意見に耳を傾けてくれる部分もあるんだと立証できた。折角、希望に沿う形での舎房割りとなったのだから、これから1年は皆で協力をしつつ、来年の『総転房』時迄、この部屋からは1人として欠ける事無くやろうと、皆で誓う。

12月21日 (水) 

 昼餉後は『古城漢字』(1舎3階・教誨室)が有り、「18級」のテストを受ける。
 舎房用「枕」と「枕カバー」の一斉交換が実施され、真っ新に変わる。

12月22日 (木) 冬至 

 冬至とは、1年で最も日が短い日であり、北半球では正午に於ける太陽の高度が1年で最も低くなる日。つまり、北半球では「昼が1年中でいちばん短く、夜がいちばん長くなる日」。出役時に、圖南書道會へ出品する12月分の書道(漢字部・競書規定)作品1点を工場担当経由で教育課に提出。昼餉後の12時20分から13時20分迄、『忌日教誨』(講堂)に出席。
 教誨師である曹洞宗僧侶が読経(*般若心経)する中、2年前に亡くなった高島義雄(住吉会副理事長川越平塚一家四代目総長=当時)親父の魂魄に対して焼香する。
 夕方の還房後は、工場定期私本配付日に付き、購入の週刊誌1冊と領置下付にて『新選組血風録』(司馬遼太郎・角川文庫)、『論語の活学‐人間学講話』(安岡正篤・プレジデント社)2冊が手元に届く。

12月23日 (金) 天皇誕生日(天長節) 

 連休初日。昼餉時に祝日菜の給与有り。午後は、悴む手を擦りながらも「臨地」に勤しむ。夜は早目に床に就き、テレビ視聴を行う。

12月24日 (土) 

 連休2日目。日中は雑居房前の廊下で「刈り」が実施され、6㎜と長めに刈って貰う。刈りの後、舎房の水道水で頭を洗うものの、余りの冷たさについ声を上げてしまい、立会の看守に騒ぐなと注意を受ける。
 午後は、今日も「臨地」に勤しみ、夜はテレビ視聴。

12月25日 (日) 

 連休最終日。「クリスマス」という事で、昼餉時に副食として「ショートケーキ」(1ケ)の給与有り。同囚等は喜んで喫食しているが、娑婆なら金さえ払えば欲しい時に買って食べれば良いだけ。
 ただ、囹圄(れいご)の中(うち)にて、それすら叶わない「ショートケーキ」を食みつつ、束縛の身の我が現況を思い知る。午後は「臨地」に勤しみ、夕方の余暇は『論語』を独学。早目に床を敷き、夜はテレビ視聴。

 12月28日 (水) 

 午前中、『処遇部門』から呼び出しが有り。迎えに来た警備隊看守に連行され処遇棟へ。第二統括第二主任の熊谷主任より、予てから君が願い出ていた「夜間独居」へ、本日付けで転房させるとの言い渡しを受ける。これは13工場の時に願箋で願い出、前第二統括第二主任であった八代主任と面接を行い、「夜間独居の空き待ち」という条件で、一年も継続案件となっていたもの。

 午後の作業が始まると、再び警備隊看守が迎えに来る。先ずは、雑居棟「2舎2階3室」へ行き、衣類・寝具類及び私物等を纏めて台車に載せ、自ら台車を押し、個室棟「4舎3階16室」へ。速やかに荷物を舎房へ入れ、整頓は還房後ゆっくりとやるようにとの事で、急ぎ工場に戻る。
 昼休憩時、19日の『雑居総転房』で小野寺さん(稲川会岸本組星川組内)と同房になったのに残念と言うと、小野寺さんも『夜間独居希望願』(処遇主席宛)を提出。

 既に、主任との面接も終えて「空き待ち」との事で、申し訳なさそうな小生に対し「自分も後から行きますから、福山さんは遠慮せず一足先に独居生活を満喫して下さい」と、快く送り出される。夕餉後、『夜間独居の整頓規則』に則り荷物整理を行う。就寝後、床に入ると、改めて雑居房から独居房へと移動して、人の温もりというものが如何に暖かいかを実感する。

12月29日 (木) 

 官庁御用納め。午前中で作業を終え、役席周りの掃除を行う。還房時「身体捜検」があり、舎房にて昼餉。12時45分から15分間程、舎房の掃除。以後、『年末年始の連休』に入る。夜間独居は、夜のテレビ視聴が無い為、余暇は『新選組血風録』(司馬遼太郎・角川文庫)を心読。

12月30日 (金) 

 総集行事。雑居房は、全房にテレビが設置されているので、各舎房毎にVTR視聴が可能だが、独居房は無い為、夜間独居収容者は講堂に参集してモニター視聴となる。寒くて震え乍ら、9時30分から11時30分迄『学校』(製作:松竹・日本テレビ放送網。1993年公開。出演:西田敏行、竹下景子、田中邦衛、裕木奈江、萩原聖人、中江有里ほか。監督:山田洋次)。夜間中学校を舞台に、複数の人物の実話エピソードを織り交ぜながら、その人間模様を描く物語。中々良かった。
 午後は、「臨地」に勤しみ、夜は『新選組血風録』(司馬遼太郎・角川文庫)を心読。

12月31日 (土) 大晦日 

 日中は、只管「臨地」に勤しむ。尚、総入浴(*15分間)が有り、残すところ数時間となる「平成6年」の垢を落とす。夕餉より、主食の「麦シャリ」が「銀シャリ」(*白米)に変わる。配食後は、「年越しそば」(*カップ麵1ケ)と「袋菓子詰め合わせ」の給与有り。雑居房の連中は18時30分から0時迄、テレビ視聴。
 その笑い声が独居房へ響き渡ってくる。寒さに耐えかね早目に床に就き、舎房スピーカーから流れる、ラジオ放送の『日本レコード大賞』、『NHK紅白歌合戦』、『ゆく年くる年』を聴取。就寝時間迄、独り寂しく菓子を食みつつ『新選組血風録』(司馬遼太郎・角川文庫)を心読。0時と同時に減灯、本就寝。

 毎年の事だが、『大晦日』はどうしても気持ちが高ぶり、寝付けない。でも、近くのお寺から「除夜の鐘」を撞く音が聞こえる。既に、事件から4年が経過したが、余りにも単調すぎる日々の所為か、それとも時の流れの遅さに因るものなのか?この無為に刑期を務める間に、齢を重ねてしまう事に焦りを覚える。
 然れども、無期囚で20年以上を務める者がザラに居る当所では、11年の刑期なんぞは真に片々なりきもの也。『平成7年』も獄(ひとや)暮らしとなるが、明日へ繋がる何かを掴むべく、新たな1年を自己修養の場と心得て精進すべし。

第十五回 「獄中記」