「柿と日本人」 | 行政調査新聞

「柿と日本人」

「柿と日本人」   伊上武夫

柿と奈良

 秋です。柿の美味しい季節です。日本人と柿との付き合いは古く、江戸時代から続く陶芸家の名前「柿右衛門」や、さらには飛鳥時代の歌人で三十六歌仙の一人である柿本人麻呂など、歴史的に有名な名前にも使われています。
 また「柿」という単語を前にして、反射的に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句を思い浮かべる人も少なくないと思います。視覚と聴覚、そして味覚、さらに郷愁の感覚を強烈に刺激するこの俳句、江戸時代よりもっと前に作られたかと思いきや、実は明治28年(1895年)に正岡子規が「海南新聞」に発表した俳句でした。
 正岡子規は日清戦争に記者として従軍しましたが、帰国途中結核が悪化して大量に喀血(かっけつ)し入院します。この句は子規の療養期間中に奈良の茶店で詠まれたものです。実際に柿を食べている時の情景を詠んだらしく、食べた柿も奈良名産の御所柿(ごしょがき)と言われています。この御所柿、宮中や幕府に献上されていた品種でありまして、だから御所柿という名前かと思いましたが、最初にこの品種が見つかったのが奈良県御所市だからなのだそうです、この柿は、樹上に実っている時から既に甘い「完全甘柿」と呼ばれる珍しいもので、どうも突然変異的に生まれたものらしいのです。

甘柿渋柿

 「完全甘柿」があるなら「不完全甘柿」もあるのかなと思った方、正解です。
 また当然のように「完全渋柿」と「不完全渋柿」もあります。ざっくり分けると次のようになります。

「完全甘柿」……元々渋みが少なく、樹になった状態で甘くなる。
☑「不完全甘柿」…種子が多く入ってくると渋みが抜けてくる。
☑「不完全渋柿」…種子が入ってきても渋みが一部に残る。
☑「完全渋柿」……種子が入っても渋みが抜けない。

 ところで、渋柿を食べた経験のある人はお分かりと思いますが、一口噛んだだけで口の中が全て渋みだらけになり、柿を吐き出しても唾を吐いても口の中の渋みはしばらく抜けません。これは渋柿の中に含まれるタンニンが水溶性のため、口の中の唾液に溶け込んで拡がるからです。
 タンニンはお茶にも含まれているのですが、カキタンニンは緑茶タンニンと違い分子量が大きく、またタンパク質との結合力が強いので唾液のタンパク質と結合し、渋みを感じる物質を作り出してしまいます。このカキタンニン、渋い時は水に溶けやすいのですが、柿が熟してくると褐色の斑点、いわゆる「ゴマ」の状態になって、水に溶けにくくなり渋みが無くなります。

 つまり柿は「甘くなる」のではなく「渋くなくなる」わけです。また困ったことに柿が持っている本来の「甘さ」は渋柿の方が多いのです。
 ここで、欲望に忠実な人間の、工夫と努力が始まります。
 調味料のミリン、漢字では「味醂」と書きますが、この「醂」の字は「醂(さわ)す」と読みまして、この字一つで柿の渋みを抜く事を表します。それ専門の漢字があるくらいですから、過去の東アジア人の甘味獲得にかける執念がわかります。柿の渋みを取る伝統的な方法は、「酒に漬ける」「焼酎などの強い酒をかけて1週間密閉する」「湯につける」といったものがあり、なんとなく「お清めしたら甘くなった」という感じも受けます。

 たぶん塩とかお酢も試してみたのかもしれません。この他によく知られた渋抜きに「皮を剥いて乾燥させて干し柿にする」があります。いずれも工業化される以前に「タンニンの不溶性化」という正解にたどり着いた方法です。工業化された現在では、炭酸ガスを使い一度に大量の柿を渋抜きする事も可能です。
 この、柿が渋くなくなる、つまりカキタンニンが不溶性に変化する仕組みですが、先に述べた方法の全てにおいて、アセトアルデビドという物質が介在しています。二日酔いの原因物質として知られているアセトアルデビドはアルコールが酸化することで生成されます。このアセトアルデビドがカキタンニンと結合して不溶性に変化させ、渋みを消してしまうのです。
 また、お湯につけたり炭酸ガスを使った場合、酸素不足になった柿は好気呼吸をできなくなり、嫌気呼吸に切り替わります。この時に本来なら正常に分解されるはずのピルビン酸が分解されず、アセトアルデビドが生成されてしまい、結果的に渋みがなくなります。
 干し柿も同様で、干す前に皮を剥くことで正常な呼吸が妨げられ、アセトアルデビドの生成に繋がっていきます。昔の人は試行錯誤の末に科学的正解にたどり着いているわけで、甘いものが食べたいという執念には頭が下がります。

柿の利用

 柿の原産地は中国揚子江沿岸らしいのですが、日本に渡り独自の発展をしていきます。中国はグジュグジュに熟した柿を食べるのが一般的ですが、日本だと歯応えのある柿が売られているのが普通です。考えてみれば、渋さが消えてから柿を食べる方が当たり前のように思うのですが、日本の場合渋いものを甘くさせる方法を模索して食べてしまうわけです。さすがは毒のあるフグの安全な食べ方を見つけてしまう民族。食べる事に関してはこだわりが違います。

 こだわりすぎて、柿の実だけではなく葉まで食べてしまうのが我々日本人。内陸部の奈良や和歌山で、腐りやすい魚を食べるために、発酵させた「なれずし」が生まれました。同じような理由で、塩漬けの魚を柿の葉で包んで保存していく中から生まれたのが「柿の葉寿司」です。
 柿の葉はすし飯を乾燥から防ぐ以外に、葉にも多く含まれるタンニンが抗菌・抗酸化作用を発揮してくれて、冷蔵庫の無い時代の優れた食品保存手段でした。やがて手段が目的にとって代わり、塩漬けにした季節毎の柿の葉の風味を楽しむようにまでなるのが日本人のこだわりです。

 また柿の葉をお茶にして飲む柿の葉茶というのもあり、咳や高血圧予防などの薬効もあるそうです。食べる事ばかりが柿の利用ではありません。
 日本人は渋柿の渋みそのものを利用してもいます。渋柿の汁を絞って発酵させた「柿渋」は、和傘などに塗られました。渋柿にはタンニンの他に揮発性の有機酸が含まれていて、この2つの物質を塗料として使う事で、耐水性・防腐性・耐久性が大きく強化されていたのだそうです。また木材としても、柿は使われています。中でも「黒柿」と呼ばれるものは、日本有数の銘木とされています。黒柿という種の柿が存在しているわけではなく、樹齢150年を超える柿の老木を切った時に、ごく稀に樹の中心部が黒いものがあり、これを黒柿と呼ぶのだそうです。黒柿の出現確率は1万分の1とまで言われており、どのようにすれば黒柿が出来上がるのかも未だわかっていないのだそうです。
 黒柿は墨絵のような模様が不均一に現れるため、古来より珍重されてきました。天皇家ゆかりの品や寺院などに用いられている事からもわかります。

柿と日本と世界と

 海外でも柿は食されていますし、ゴルフのドライバーヘッド部分などにも柿の木は使われています。ですが柿がどれほど日本と関係が深いかは、その学名がディオスピロス・カキ(Diospyros kaki)である事からわかります。日本語由来なのです。
 柿は 英語とドイツ語ではパーシモン(Persimmon)ですが、現地にいる日本人のブログなどを読むと「カキ」で通じるとあります。それもそのはず、ポルトガルとスペインでは「カキ」(Caqui)そのままです。柿は16世紀に日本に来たポルトガル人によりヨーロッパに渡り、その後世界中に広まったのです。
 そういった意味では、柿は禅(Zen:インド発祥中国経由)や碁(Go:中国発祥)、空手(Karate:中国発祥沖縄経由)と同じ「純日本産では無いが日本で熟成され、後に世界に広がった日本文化」の1つと言えるでしょう。

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