獄中記 第二十回 | 行政調査新聞

獄中記 第二十回

福 山 辰 夫

獄  中  記

<福 山 辰 夫>

第 二十 回

皇紀2655年 【平成7年・西暦1995年】

 6月18日 (日) 父の日 

 10時から11時迄、『第39回宮城刑務所物故者慰霊祭及び大祓式』(*講堂)に出席。此れは、毎年『宮城県神道青年協議会』の有志によって神事を行う。早朝より若手神官が来所して、講堂の舞台上に本格的な神壇(しんだん)を設けて斎行される。
 式次第は、「修祓、一拝、降神の儀、献饌の儀、大祓詞奏上、大麻の祓い形代配布~全身を人形(ひとがた)で撫でて息を3回吹きかける~形代回収、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌の儀、昇神の儀、斎主一拝」。
 最後に『浦安の舞』を奉奏して神事終了。その後は、参列者一同で神社庁作成のVTRを視聴。今年は『天龍村(長野県)の夏』という題名で、天龍村全村民による「村祭り」の準備段階から祭り当日迄の様子を映像で記録したもの。午後は「臨地」に勤しみ、自主学習として『論語』を独学。夜は20時から同45分迄、NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』を視聴する。
※『浦安の舞』の歌詞は、昭和8年(1933年)の「歌会始め」(*勅題は「海」)で昭和天皇がお読みになられた御製から撰ばれた。

天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

6月24日 (土) 

 今日は行事も無く、午前中は読書に耽る。只、夜間独居4舎3階の「理髪」が有り途中出房する。午後は「臨地」に勤しみ、夕餉後は『論語』を独学。夜は19時から20時55分迄、『夜間個室優良室テレビ視聴』を行う。

6月25日 (日) 

 10時から11時30分迄、クラブ活動の『短歌会』(1舎3階教誨室)に出席する。
 今月の自詠一首
    東雲(しののめ)に美しき調べ聞こしも夢うつつなり鶯の聲(こゑ)
 批評の中で、講師の扇畑忠雄先生より「古来より鶯を詠んだ歌は数多にあり、東雲という表現も古臭い」と言われ、先生の添削によるのが下である。
    夜の明けの夢うつつにて聞こえしは聲(こゑ)美しき鶯なりき
 先生曰く、現代短歌は現代の言葉による表現で良いと。

 それは明治時代に正岡子規が『短歌・俳句』に新しい息吹を吹き込み、写実主義と写生(*リアリズム)というものを重視した。その子規の歌風を色濃く受け継いでいるのが『アララギ』で、先生は19歳の時『アララギ』同人となり、斎藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。京都帝国大学文学部国文学科卒。現在84歳だが青年のように好奇心旺盛、老いてなお矍鑠としておられる。
 「人の神経細胞は日に10万個死んで行くというが、その死滅する細胞の分を少しでも補うべく、新たな知識を得ることを僕は毎日心掛けている。だから、老いを恐れてはいない」と。
 昨今の良く言われる『認知症』とは全く無縁の方であろう。午後は「臨地」に勤しみ、夕方は『論語』を独学。夜のテレビ視聴では、バラエティー番組とNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』を視聴。21時、就寝。

6月26日 (月) 

 圖南書道會へ出品する、6月の「漢字部規定・随意、細字漢字・かな規定の月例競書」(漢字半紙作品2点、細字作品2点)を工場担当経由で教育課に提出。

6月30日 (金) 

 昼餉後、12時20分から『古城漢字』(1舎3階教誨室)が実施され「12級」テストを受ける。但し、前13工場で一緒だったOさん(住吉会系・水戸住人)が、先月で無事「1級」合格。受講生達の面前で「修了証」と「賞品」の授与が行われる。Oさんとは、来月から顔を合わせることは出来ないが、残刑がまだ結構あるので、呉々も元気でやって欲しいと願う。
 還房後は「私本配布日」にて購入本1冊、領置下付本2冊=『ハンディ版/和英併用 実用国語事典』(山田俊雄/石綿敏雄編・角川書店)、『野村秋介獄中句集 銀河蒼茫』(野村秋介著・二十一世紀書院)。計3冊手元に届く。

7月5日 (水) 

 本日の出役時より、処遇が変更され『夏季処遇』となる。工場・舎房共に「半袖上衣」と「夏靴下」が交付され、冬靴下の引き上げを実施。亦、上衣を脱ぎ丸首半袖シャツになっての作業が許可される(※但し、溶接・塗装・木工・機械工等で、肌を露出しての作業は別途に指示有り)。

7月10日 (月) 

 6月の賞与金教示有り。「5等工3割+1割増」=3,215円也。

7月11日 (火) 

 7月は『刑務作業安全月間』であることから昼休憩が終了後、工場の食堂備付のテレビで『作業安全VTR』(約20分間)を視聴して、午後の就業に着く。

7月13日 (木) 

 今月は『薬物乱用防止月間』にもなっており、『覚せい剤・麻薬防止VTR』(第2回目)を18時20分から同50分迄、舎房のテレビにて視聴する。

7月15 (土) 

 免業日にて、午前中は読書に耽る。午後は「臨地」に勤しむも、途中「刈り」(*理髪)が実施され出房する。夕方は『論語』を独学し、19時~20時55分迄『テレビ視聴』を行う。

7月19日 (水) 

 13時より、年に一度実施される『集団健康診断』の為、講堂へ移動して「胸部レントゲン撮影」を行う。

7月20日 (木) 

 本日付で『盛夏処遇』となる。舎房には「網戸・団扇」が入り、運動時のみ「グラウンド・シャワー」の使用が許可される。夕餉後、18時20分~同50分迄『覚せい剤・麻薬防止VTR視聴』(第3回目)を行う。

7月21日 (金) 

 11時過ぎ、両親の面会有り。過日の便りにて依頼をしていた「書道用下敷き・手漉き半紙・墨・本」の差入れと、『日刊スポーツ』(*購読3ケ月分)を面会窓口で差入れをして頂く。何時も有難う御座います。

7月22日 (土) 

 本日は10時30分から11時30分迄、「総集行事」として『講演』が講堂で実施される。講演者は、沖縄教誨師会会長の田中菊太郎(*キリスト教・教誨師)氏。話しの中で田中氏自身、若い頃に少年刑務所を務めた経歴があり、その時に「キリスト教」と出会い、出所後は「主の教え」に従い牧師となり今日に至っているという。その是非はともかく、小生も現在の境遇を無為に過ごす事無く、自らの力で以て道(運命)を切り拓くべしと誓う。
 只、真夏の陽気は講堂内に熱を籠らせ、其処に700人の懲役が詰め込まれるとさすがに暑い。皆、汗を滴らせながら同氏の話しを拝聴している。
 其々がどのように感じたかは別だが、所詮自分と生き方が違うから、元々宗教には興味がないし、偶々尊敬できる牧師(*宗教家)に出逢えたからだろう? 俺にはそんな出逢はないから…。長く塀の中(うち)に暮らしていると、誰もが「ネガティブ傾向」な存在になる。茹だる暑さの中でいやいや聴くか、我慢して話しを聴くかだ。でも、折角こういった機会を得て更生した者の話しを聴けるのだから、心に響くところだけでも耳を傾けてみても良いのではないか。午後は「臨地」に勤しみ、夜は「テレビ視聴」を行う。

7月23日 (日) 

 9時30分~11時30分迄、講堂にて『3級会』が実施され出席する。今回のVTR視聴は『ブロンド・ターゲット』(製作:米国)。アクションものだが、内容的には今一つ。午後は「臨地」に勤しみ、自主勉学にて『論語』を独学。夜は19時から20時55分迄、「テレビ視聴」。NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』他を視聴する。

7月24日 (月) 

 昨日の願い事で工場担当に『畳・布団乾燥』を願い出て、朝の出役時に『畳・布団乾燥願』(舎内清掃班担当宛)願箋を舎房の食器孔の上に提出。予め、実施は当日の天候次第と言われていたが、工場出役中に実施されたようだ。
 夕方のラジオ放送(TBCラジオ)で、仙台管区気象台が「東北南部の梅雨明け」を発表したと報ずる。

7月25日 (火) 

 圖南書道會へ出品する7月分の書道作品「漢字部規定・随意、細字部漢字・かな規定」(漢字半紙作品2点、細字作品2点)を工場担当経由で教育課へ提出。 
 此処の所、工場作業(*洋裁・縫製工)の方では納期に追われ、班長としては忙しい日々であったが、漸く作業がひと段落付く。

7月27日 (木) 

 『刑務作業安全月間』も最終となり、午後から工場区で作業する懲役が講堂に参集し、仙台労働基準監督署の能登氏による『作業安全講話』を拝聴。
 講話の内容は、『ハインリッヒの法則』で、1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故があり、更にその背後には作業事故にも至らぬ300件もの「ヒヤリハット」があるというもの。
 つまり作業事故の発生は「慣れと気の緩み」から起こるのであって、常に各職場に於いて「安全確認」と「危険予知」は互いに共有しあう事が必要である。

7月28日 (金) 

 12時20分から『古城漢字』が実施され「11級」のテストを受ける。前13工場のAさん(五代目山口組三代目山健組内)も今回で卒業し、小生が見知った顔もMさんとIさん(稲川会大前田一家内)の二人となってしまった。
 還房後は「私本配布日」に付き、購入の週刊誌1冊と領置下付本として『さらば群青』(野村秋介著・二十一世紀書院)、『「学徒出陣五十周年」特別の記録 いざさらば我はみくにの山桜』(靖國神社編・展転社)の2冊が手元に届く。

7月30日 (日) 

 10時から11時30分迄、クラブ活動『短歌会』に出席。毎月自詠一首を詠むというが、早くも壁にぶつかっている。
   親しみし囚人(とも)と離れて塀の中(うち)同じ飯食(は)む話し出来ねど

 午後は「臨地」に勤しみ、読書。夜の「テレビ視聴」は20時~同45分迄、NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』を視聴する。

7月31日 (月) 

 昼餉後、12時30分~13時30分迄『書道教室(4班)』に出席。
 講師の鈴木登郁先生に自作品の添削指導を受け、来月提出する昇位試験課題の手本を揮毫して貰う。

8月1日 (火) 

 処遇の一部変更として『盛夏処遇』の追加。終業後に「一分間のシャワー浴」(*運動該当日の工場のみ)が実施され、シャワー浴が実施される場合は終業が15分繰り上がり、それに合わせて入浴も其々15分繰り上がる(※1番入浴開始が15時15分~15時となる)。尚、本日より終了の指示がある迄、当分の間実施する。
 今日の『日刊スポーツ』社会面に、「三島由紀夫夫人」(平岡瑤子)が肺真菌症により昨日逝去した…との記事が掲載されていた。
 三島由紀夫の版権は全て瑤子夫人が所持しており、昨今三島由紀夫ブームとなっているが、生きる三島の事を語れる唯一の人であり、残念でならない。
 瑤子夫人の御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。合掌

8月2日 (水) 

 工場作業中、担当台の脇で『平成7年度第二期漢字部昇位試験(第三部)』受験料3,000円を圖南書道會へ支払う為、『受験願』(教育主席・会計課長宛)と『領置金使用願』願箋を記載して提出する。

 8月4日 (金) 

 過日、『特別下付願』(会計課長宛)を願い出ていた、差入れの『行政調査新聞』が手元に届く。

 8月5日 (土) 

 9時30分から10時30分迄、『盂蘭盆会』(*講堂)に出席。
 臨済宗の僧侶による「般若心経」の読経中、官と懲役の代表各1名が舞台上に設置された祭壇の「釈迦像」に甘茶をかけ、出席者全員が舞台下に設置された焼香台で焼香をする。仏事後、僧侶の法話が有り「刑務所にいるという事は五里霧中であるが、社会復帰に向けて如何に磁石で道(方針)を付けてやるか。それが今の君らに置かれた立場である」。
 それは一切合切の事は因縁であり、全ては己に帰趨するという事。

◇随想
 本日の『盂蘭盆会』で僧侶が「般若心経」を読経する中、小生の脳裡に去来したのは、13工場の雑居房に居た「平成4年12月15日」の出来事である。
 本就寝(*21時)直前、舎房の蛍光灯が突然チカチカと点滅し「あ~、消える。消える」と誰もが口走る中で、今にも消えそうな魂の燈火(ともしび)。
 屹度、最期の力を振り絞っているのだろう。切れた蛍光灯が明るく橙色に発光するが、それは一瞬の出来事であり直ぐ事切れるようにゆっくりと消えて元の暗闇に戻る。一体、あれは何だったのか?
 翌々日に実父からの便りが有り、「15日の夜に、高島の親分死す」と訃報。
 巷間では、「虫の知らせ」というが、渡世上の片親としてだけではなく我が子のように可愛がってくれた親父。享年56歳だった。
 小生が『東京拘置所』より移管され『宮城刑務所』に務めて、一年も経たぬうちに肝硬変で逝去なんて信じられなかった。

公判中に姐さんと二人で面会に来た時、
「今回の件で決して天狗になんじゃないぞ。常に頭(こうべ)を垂れて務めろ、西口会長や俺は必ず見ている。木元とお前が帰ってくる迄、俺は引退せずに総長をやっているから心配するな。他人が何を言おうが、お前は俺に気を遣うのが役目だからな。外の事は心配せずに一日でも早く帰ってこい。そして、高島義雄の子として堂々と務めてこい」
 これが親父と今生に交わした最後の言葉である。

 実父の便りを何度も読み返しては男泣きした…。法要前の黙想中、その事を想い出したら瞼が熱くなり涙が溢れ出た。親父が幽明境を異にして三年半の時が過ぎ、小生も既に三十路になるが、まだまだ社会復帰は遥か遠い。
 あの晩、魂の炎が消えかけた瞬間、親父は何を伝えようとしたのか?
 もう今となっては、確かめようもない。
 唯一、言えることは志半ばであっただろう親父の魂の叫びが、『東京女子医大』(*新宿区河田町)の病床から仙台で刑に服す小生へ、最後の力を振り絞り今生の別れを告げに来たものと信じている。我が心の中に、親父は今も生きている。「信念を持って生きれば必ず道は拓ける」と、小生は信じて已まない。

(プリントアウトはこちらから)