「冬至を巡る話」 | 行政調査新聞

「冬至を巡る話」

「冬至を巡る話」

伊 上  武 夫

地軸の傾き

 年の瀬も押し迫ってきますと忠臣蔵とふたご座流星群のニュースが流れてきますが、これが終わりますと次は12月22日、世界共通の天文現象「冬至」です。太陽が出ている時間が最も短く、太陽の高さが最も低い日になります。
 世界共通と書きましたが正確には「北半球共通」ですね。この日は南半球だと太陽が最も高く上る日、夏至になります。北半球のこの時期は緯度が高くなるにつれ太陽が出ている時間が短くなり、北極に近くなると全く太陽が出てこない日々が続いたりします。その逆に夏になると北極付近では太陽が沈まずに24時間上空をグルグル回っている事になります。「白夜」という現象です。

 これは地球の地軸が23.4度傾いていることが原因です。この傾きにより公転中に太陽からの光の入射時間に差が発生し、「季節」が生じるわけです。ちなみに、地軸が23.4度傾いた先に見えるのが北極星です。
 季節の移り変わりは植物の生育、収穫に影響しますし、植物を求めて移動する草食動物、さらにその動物を狙って移動する肉食動物や人間にも影響します。人間の生態が狩猟から農耕へ変化してくると、季節変化から受ける影響は飛躍的に拡大します。
 種を蒔く時期、雨季乾季、収穫の時期、これらの正確な時期と周期を理解しないと自分たちの群れが全滅します。そのため、太陽や月、天の星の動きを正確に調べる人間が登場します。知識の継承は専門の職能集団を必要とするのですが、農耕で得られた穀物は肉類とは違って長期貯蔵が可能だったため、生産に携わらない専門家集団を養う事ができたのです。

太陰暦と太陽暦

 さて、月や太陽の運行の規則性に気づいた人類は、その周期から太陰暦と太陽暦を作り出します。太陰暦は月の満ち欠けを基にした暦で、夜空を見ても今が何日か理解できますし、なにより潮の満ち引きと密接に関係していますので大変重宝します。しかし、月の満ち欠けは太陽の運行と若干のズレがあるので補正する必要が出てきます。それでも太陰暦を使い続けてきたのは、今日がだいたい何日かが夜空を見上げただけで理解できたからです。

 今日が何日かは月の満ち欠けで、今の季節は日照時間で理解できます、というか暑い寒いで理解させられます。「日短きこと至る」のが冬至です。

 「寒さが続いていてもこの日を過ぎてしまえば太陽はまた昇ってくるぞ、春になるぞ、頑張ろう!」という日です。体感としてはこの通りですが、人生いろいろ積み重なってくると「悪い事が極まってきたら今度は好転するもんだ」という気分というか願望が生まれてきます。
 古代中国の陰陽思想の根底に「陰極まれば陽に転ずる」と言うものがあり、これが人生好転の気分を後押しします。そこから来た言葉が「一陽来復」です。
 この文字が書かれたお守りを一度は目にした方も多いと思います。

 冬が終わって春が来ますよ、というのが本来の意味ですが、悪いことが終わってこれから良い事が起きる、それが転じて商売繁盛という縁起物の意味合いで日本人には浸透しています。一陽来復のお守りの発祥は、早稲田の穴八幡宮です。年中配布されるわけではなく、冬至から立春(節分)までと期間が限定されているのは、冬が終わり春がくるという本来の意味に忠実なためです。

冬至の風習

 ところで、冬至にはカボチャを食べて柚子湯につかるという風習もあります。
 ですがよく考えると、稲作文化と太陽信仰に密接に繋がる冬至の風習として、なぜカボチャが登場するのでしょう。南瓜という漢字はありますが、古来より続く文化と比較するとかなりの新参者ではないでしょうか。日本にカボチャがやってきたのは天文年間、というか戦国時代に、豊後(大分県)に漂着したポルトガル人が、大友宗麟に献上したのが始まりのようです。南蛮渡来の瓜で南瓜の字があてられたのでしょう。カボチャという音は、ポルトガル寄港地のカンボジアが由来という、実は由緒正しい外来語だったのです。そして肝心の、冬至にカボチャを食べる風習ですが、これがどうやら近代になってからのものらしいのです。
 比較的新しい風習だったのです。とはいえ、全く無意味なわけではありません。
 新鮮な緑黄色野菜が減ってしまう冬の時期、栄養価の高いカボチャを積極的に摂る事は病気予防に効果があります。

 明治時代にはみな体験的に理解していたわけです。また柚子湯の風習ですが、これは逆に江戸時代からありました。端午の節句に菖蒲湯につかる風習は古代中国由来ですが、冬至の柚子湯はってぇと、どうも由来がはっきりしない。
 お浄(きよ)めの意味があるってのはわかるんだが、これがお金の融通と柚子、湯治と冬至をかけたんじゃねぇかって話まであるんだから恐れ入るね。かけるのは湯だけにしとくれよ。冗談はさておき、何かと理由をつけては風呂の中にリンゴだミカンだと入れて入浴と香りを楽しんできた日本人としては、特別な日に特別なモノを入れて楽しんでしまったんだろうなと納得してしまいます。

海外の冬至

 では、「冬至」の言葉を作った中国ではどうなのかかと言いますと、春節(中国の正月)と同じくらい大きな行事であり、家族揃って天と祖霊に感謝を捧げるそうです。そして古くからの慣わしで、餃子を食べるらしいです。また揚子江から南方になると、白玉粉で作られたお団子「湯円」を食べる風習もあります。
 台湾も「湯円」を食べるグループに入ります。韓国では冬至になるとパッチュクと呼ばれる小豆粥を食べます。見た感じ、日本のぜんざいとよく似ています。

 インドが少し違っていて、ヒンドゥーの太陰太陽暦に従った冬至の祭り「マカラ・サンクランティ」を、1月の14日か15日に行います。太陽が射手座から山羊座に移る日を祝う、というのが本来の意味です。収穫祭でもあります。
 インドで冬至の祭りの日程が、天文学よりヒンドゥーの教えを優先させて制定されたのは、それだけヒンドゥー教の文化が強いのだろうと思うのですが、ひょっとすると赤道に近いため、あまり日照時間が短くなったという実感がないので、天文学的な正確さにこだわる必要がないのかもしれません。では南半球、南米の冬至はと言いますと、当然ですが北半球の夏至の日に行われます。

 ペルーで行われる「インティ・ライミ」と呼ばれる祭りがあります。元はインカ帝国の宗教的祭りで、6月21日に行われます。神に感謝し生贄をささげ、神輿を担ぎ町中を踊り歩きます。我々日本人が考える祭りのイメージが、地球の裏側でも通用するのが面白いです。このインティ・ライミ、スペインによる征服後は長く禁じられてらいて、復活したのはなんと第二次世界大戦終結の1年前、1944年です。
 キリスト教が普及した現在、インティ・ライミはヨハネの聖名祝日(6月24日)と結びつけられるようになってきているそうです。

古代ローマでの冬至

 冬至が別の祭りと結びつけられた最大のものは、なんといってもクリスマスでしょう。本来この時期のヨーロッパでは、複数の冬至の祭りが行われていました。
 北部ゲルマンやケルトでは冬至の祭り「ユール」がありました。また、古代ローマでは農耕の神サトゥルヌスを祀る収穫祭があり、そのすぐ後に新年を祝うカレンズがありました。そして意外な事に、ゾロアスター教に起源を持つミトラ教の、古代イランの太陽神ミトラスの誕生日を祝う祭りが12月25日にありました。

 なんで古代ヨーロッパにゾロアスター教が?と思われる方も多いと思いますが、アレキサンダー大王の東方遠征が契機となったヘレニズム交流が原因です。
 これにより地中海世界とインドまで文化交流が生まれ、インドの仏像にはギリシアの影響が刻まれ、そして地中海にペルシア(イラン)のゾロアスター教が拡がっていったのです。インドと戦争したわけでもない日本にだってインドの教祖の教えが国家のトップにまで普及したくらいです。戦争するほど大量の人間が移動すれば当然大きな文化の伝播が起こります。
 とにかく、古代ヨーロッパに「光と闇の戦い」というゾロアスター教が大きく入り込んでいた事は事実であり、これが後にパレスチナからやってきた新興宗教(キリスト教)を受け入れる素地になった事は容易に想像ができます。というわけで、ローマ帝国の状況を少し整理します。
 アレキサンダー大王がマケドニアからペルシアまで領土を拡げてから300年以上後の時代、ローマの領土だったパレスチナでイエス・キリストが生まれます。
 はじめはユダヤ教の分派だったキリストの教義が、キリストの死後に弟子たちの手でローマに拡大していきます。弾圧を受けながらも拡がったキリストの教義は、やがてローマも認めることになります。しかしローマは古くからのローマの神々、ケルトやゲルマンの神々、そしてゾロアスターの神々を信仰する者たちが既に存在していました。そこにキリストのみを神とするキリスト教を加えればトラブル必至です。

 そこでローマ帝国は、正確な生年月日が不明だったイエス・キリストの誕生日を、太陽神ミトラスと同じ12月25日に定めるという策を講じました。
 こうして、各宗教風習混合の祭りとしてのキリスト聖誕祭が誕生したのです。
 なお、砂漠で生まれた宗教なのに、クリスマスのモチーフにヒイラギ、クリスマスツリー、トナカイ、そして薪の形をしたケーキ「ブッシュ・ド・ノエル」まであるのは、全て北欧文化の影響です。

冬至にかける希望

 消えかかる太陽を再び呼び戻すという願いは、砂漠や熱帯より北欧の方が切実だったはずです。日本の場合おそらく、「天の岩戸神話」は、冬至と日蝕の二つのイメージが合わさって出来上がったのではないかと思います。
 今年いろいろあって大変だった方も多いかと思います。
 しかし人類は、必ずまた日は昇ると信じて何千年も頑張ってきました。輪廻思想の無い中東やヨーロッパですら、太陽はまた昇ると信じ、冬の終わりと春の始まりを力いっぱい祝ってきたのです。

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