「一年の始まり」 | 行政調査新聞

「一年の始まり」

「一年の始まり」
伊 上  武 夫

日本の正月

 令和6年の1月になりました。今回は、「正月」について書いてみたいと思います。
 年賀状に「正月」「元日」「元旦」と書いたりしますが、意味としては正月は1月、元日は1月1日、元旦は1月1日の朝、ということになります。
 あらためて見ると元旦の「旦」の字は地平線や水平線から太陽が上る様子そのものですね。門松などの正月飾りを飾るのはだいたい7日までですが、昔は15日まで飾ったようです。現在も地域によって15日だったりします。正月飾りそのものは、新しい年を迎える、すなわち年神様をお迎えするためのものです。年神様がいらっしゃる期間を松の内と呼び、年末に大掃除をして家を掃き清め、玄関を門松で飾り年神様をお迎えします。

 その「年神様」ですが、古事記に登場する須佐之男命(すさのおのみこと)の子「大年神」(おおとしのかみ)、その子「御年神」(みとしのかみ)、さらにその子「若年神」(わかとしのかみ)の三柱を指すそうです。この三柱は親、子、孫、といった関係ですが、同格の神のようです。また古事記には系譜だけの登場で、かつ日本書紀には登場しません。しかし誰かが号令をかけたわけでもないのに、日本全国同じような感覚で行動するというのは、確かに「なにごとのおはしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)のような感覚なのかもしれません。
 さて、そんな神様が、年に2回もやってきたらどうなるでしょう。なんだか盆と正月が一緒にくるような話ですが、正月は2回あったんです。小正月(1月15日)の事ではありません。旧正月(太陰暦の正月、令和6年は2月10日)でもありません。
 実は、古代の日本は1年を2つに分けていたらしいのです。まだはっきりとした証拠があるわけではないのですが、古代日本は1年を2つに分けて2年とする生活をしていたという学説があるのです。二倍暦、もしくは二倍年暦といわれる学説ですが、魏志倭人伝などの記述から、古代日本は一年を「耕作期(春・夏)」と「収穫期(秋・冬)」の2つに分けていたのではないか、というのです。これを念頭において考えると、魏志倭人伝にある日本人の寿命が長いのも納得できますし、古代の天皇の寿命が雄略天皇(第21代)の年齢が古事記で124歳、日本書紀で62歳とピタリ2倍だったり、継体天皇(第26代)が古事記43歳、日本書紀82歳とほぼ2倍なのも納得できます。
 また神道の行事において、大祓いが6月30日と12月31日に行われる事も、年末が2回あったと考えると納得できます。半年を1年とする暦にも驚きますが、そもそも「1年の最初の日」はどうやって決めていたのでしょうか。

「1月1日」の決定

 1月1日が「1年の最初の日」なのは当然だとお考えの方が大半と思います。しかし現在我々が使っている「1年の最初の日の1月1日」は、戦争に明け暮れた古代ローマの事情によって決定されたものなのです。長くなりますが、古代ローマのカレンダー事情について説明いたします。少し混乱しやすいので先に説明しますが、これから述べる「◯◯暦」は、「西暦」のような歴史の年数を表すものではなく、「太陽暦」「太陰暦」のような、1年間をどのように表すかという「こよみ」、カレンダーの方になります。
 まず、古代ローマの暦は、古代ギリシアの暦の影響を受けて太陰太陽暦でした。これは月の満ち欠けを基準にした太陰暦を基にした暦ですが、太陽の周期とのズレを調整するための閏月を採用しています。3年に1度、1年が13カ月になるのです。
 はじめは建国の父ロムルスの名前からロムルス暦と呼ばれるものでしたが、なんとこの頃のローマでは1年が365日だと知られていませんでした。29日または31日の月が10個、そして61日間の名前の無い月というか期間が1つあるといった暦でした。

 名前が無い期間は現在の1月と2月に相当する時期で、つまり農業に適さない期間は名前すら無いという事です。ちなみにこの時、1年の最初の月の名前はマルティウス(Martius)、軍神マルスを意味しています。これが現在のMarch、3月です。農作業が始まる春の始まりの月から1年が開始され、農閑期の冬は1年の最後だったのです。
 その後、紀元前713年にローマ国王ヌマ・ポンピリウスによって暦が改訂されます。
 名前の無かった期間に名前が与えられまして、その名も門の守護神ヤヌアリウス(Jānuārius)と浄罪と贖罪の神フェブアリウス(Februārius)です。この2つの月のスペルは現在の英語のJanuaryとFebruaryとほぼ変わりません。この時に改訂された暦をヌマ暦と言いまして、紀元前46年まで667年もの間使用されました。
 ですがこのヌマ暦、紀元前153年に1度改訂されているのです。この改訂の理由というのが、戦争の都合なんですね。よく誤解されてしまいますが、古代ローマは最初から皇帝がいたわけではありません。はじめは王政、次に共和政、そして皇帝による帝政と、3つの時代に分けられます。
 クレオパトラとシーザーの関係とか暴君になったり名君になったりと評価が上下するネロの印象が強いので「ローマ=皇帝による帝政」のイメージがありますが、紀元前753年から紀元前509年までの244年間は王政、紀元前509年から紀元前27年までの482年間は共和政の時代でした。共和政ですから国家元首は選挙で決定します。
 ローマの国家元首(執政官)の任期は年の始めから終わりまでの1年間でした。

 その共和政時代の紀元前153年、ローマ属州のヒスパニア、今のスペインで反乱が起きます。スペインまで軍隊を派遣するのには時間もかかりますが、それよりも反乱の時期が冬で新しいローマ執政官が決まっていない時期だったため、様々な軍事的決定ができない状況でした。そのためローマは急遽、年の始めをマルティウス(Martius)からヤヌアリウス(Jānuārius)に繰り上げて新しい執政官を選定しました。これ以降、新年は冬の最中から開始される事になります。ただ、ヌマ暦では1年は355日でした。そのため1年で10日もズレが生じていました。途中調整があったようですが、どんどんズレて季節までズレてしまいます。そこに、ローマ皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が登場します。その名がドイツ語のカイザーやロシア語のツァーリの元になった「ザ・皇帝」であります。永久独裁官になった人ですから反対意見もなんのその、これまで667年間続いていたカレンダーを変更してしまいます。それが「ユリウス暦」です。

 それまでの太陰暦を基にした太陰太陽暦を廃止して太陽暦を採用しました。これにより1年間は365.25日となります。つまり365日が3年続いたら4年目は366日とすると言う、現在我々が使っているカレンダーがここに完成したわけです。
 ユリウス暦は、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が暗殺されても、キリスト教がローマに認められても、そしてキリスト教がヨーロッパ中に広がっても使われてきました。正確な太陽暦を使っていれば季節もズレませんし農作業をするのにこの上なく便利ですから当然です。ところが問題が発生します。どのような問題かと言いますと、精度の問題です。ユリウス暦の1年は365.25日ですが、実際には365.242189572日なのです。
 何を細かいこと言ってるんだと思うでしょうが、これは128年で1日ズレが出ることを意味するのです。ユリウス暦が採用されてから1600年も経つとズレが広がりまして、さすがに何とかしないと不味いとなります。ヨーロッパ各国の天文観測者、それは教会関係者でもありました。彼らがこのズレの問題に気づいて協議を重ねた結果、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が新しい暦を制定します。1582年の10月を10日間減らして調整し、ユリウス暦では400年間に100回だった閏年を97回に変更するというもので、グレゴリオ暦と呼ばれています。現在我々が使っている暦はこのグレゴリオ暦です。

日本のグレゴリオ暦

 ちなみに、日本がグレゴリオ暦を採用したのは明治6年(1873年)と、わりと最近になってからです。これに関しては明治5年の11月9日に、いきなり「明治5年12月3日を明治6年1月1日にします」と決定され、社会的混乱も起きました。
 そりゃそうです。いきなり11月に「今年は12月無くなりますからよろしく」と言われたら怒りますよ。忠臣蔵の季節が無くなります。
 とにかく明治政府は、世界標準の採用の必要性を主張し(実際、月日のズレから外交問題が起きたらしい)、グレゴリオ暦への変更を押し切りました。つまり我々が元日と考えている日は、幕末から明治維新の頃には12月上旬だったのです。

 ただ、明治政府がグレゴリオ暦の強制採用をした理由には隠れた理由があったようです。それまでの日本は太陰太陽暦を採用していたので、翌年は閏月がある年、つまり1年が13カ月ある年だったのです。強制的にグレゴリオ暦に移行した事で、明治政府は明治5年の12月分と明治6年の閏月分、計2カ月分の俸給を官吏に払わずに済ませる事ができたのです。戦争のために新年ズラした古代ローマとか、給料払いたく無いから新年ズラした明治政府とか、天文学や宗教的伝統などを割と無視した形で今の正月は決定されてきています。それでも元日というのは、何か世界そのものが改まったような気持ちになってしまうのは不思議なものです。

 このコラムを読まれている方の中にも、今回の震災の被害に遭われた方もいらっしゃると思います。また、現地で救援活動をされている自衛隊や海上保安官、警察、消防、医療関係者とそのご家族もおられるかと思います。みな、正月どころでは無い毎日を必死になっておくっています。被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 そして救援活動に携わっている方々に対しては、可能な限りの応援をしていきたいと思います。今年は考えや行動をあらためていかねばならない年かもしれません。
 本年もよろしくお願い致します。

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