「チョコレートパニック」 | 行政調査新聞

「チョコレートパニック」

「チョコレートパニック」

伊上武夫

チョコレートの原産地

 今回はチョコレートについて書くことにいたします。
 バレンタインデーが近づくと店頭には様々なチョコレートがあふれます。
 お酒が入ったチョコもありますし、手作りチョコの材料として使われるものもあります。日本では高級なチョコも売れるので、パティシエたちが腕を振う季節でもあります。そのバレンタインデーが終わって1カ月以上経った4月に、なぜチョコレートの話なのかと疑問に思う方も多いと思いますが、しばらくお付き合いください。

 チョコレートの原材料はカカオです。ではカカオの原産地はというと、アフリカのガーナかなと思う人が多いかと思いますが、実はメキシコ周辺です。
 マヤとかアステカの遺跡から、紀元前1900年前から栽培されていたことが判っています。紀元前1900年前ですから、キリストが生まれる1900年前でして、今からざっと3900年前というわけです。中国だって殷より前の夏王朝ですよ。ちなみにエジプトを代表するギザのピラミッドはクフ王の時代の紀元前2500年頃に作られているので、やはり古代エジプトは特異な存在です。
 さて、マヤやアステカでカカオがどのように用いられていたかと言いますと、なんと飲み物だったりします。神への捧げ物としても用いられていたのですから、お酒と同じような扱いですね。そしてそれだけでなく、通貨としても使われていたのです。
 これは別に驚くべきことではありません。日本だってついこの間まで、武士の給与や藩の財政を米で勘定していましたから。定期的に生産され保存ができて嵩張らず、それそのものに価値があるなら、金の地金でもポケモンカードでも通貨と同じ扱いができます。

ヨーロッパに渡ったチョコレート

 カカオがヨーロッパに持ち込まれたのは1502年になってからで、持ち込んだのはコロンブスでした。コロンブス以降、南北アメリカ大陸からヨーロッパに普及された食用の植物には、トマト・ジャガイモ・トウモロコシ・唐辛子などがあり、カカオもその一つになります。食用以外の植物には、ゴム・タバコ・そしてコカがありました。
 カカオが面白いのは、ヨーロッパに持ち込んだにも関わらず、しばらくはその用途が理解されていかなった点です。カカオの利用法は1519年になってから、アステカ帝国を征服したスペインのエルナン・コルテスによりヨーロッパへ伝わります。

 砂糖や香辛料を加えた食べ物「ショコラトル(チョコレート)」はヨーロッパ上流階級に瞬く間に広まり、急速に拡大したカカオの需要に対応するため、カリブ海のスペイン植民地トリニダード島でカカオの栽培が始まります。やがてカカオは「ココア」としても普及が始まります。スペインからフランスに嫁いだ王妃アンヌ・ドートリッシュ(ルイ14世の母親)によりフランス上流階級にココアが広まり、カカオ需要はさらに高まります。フランスはカリブ海に獲得したマルティニーク島で1660年代よりカカオ栽培を開始します。

 ヨーロッパ諸国によるカカオ需要と海外植民地獲得はその後も拡がり続け、19世紀半ばにはポルトガルが西アフリカのサントメプリンシペで、イギリスが現在の赤道ギニアで、フランスが現在のコートジボワールでカカオ栽培を開始します。
 歴史の教科書に出てきたプランテーションです。新大陸からもたらされた植物がアフリカで大規模栽培されだしたわけですが、これはアフリカ(エチオピア)原産のコーヒー豆がブラジルなど中南米で大規模栽培されるようになったのと真逆の現象です。同じなのはヨーロッパの植民地主義が介在している点です。

アフリカの黒い情熱

 ここに一人の人物が登場します。1842年にアフリカ西海岸のイギリス領ゴールドコースト(黄金海岸)に生まれた男は、宣教師から教育を受けて鍛冶屋となり、スペイン領フェルナンドポー島(現在の赤道ギニア)に出稼ぎに行きました。
 そこで彼は、島中に広がるカカオの大規模農園をはじめて目にします。彼が凄かったのは、カカオの木が直射日光に弱い点に注目した事です。ゴールドコーストの食糧作物の一つはバナナでした。バナナの木は大きく葉を広げますが、日陰でカカオは問題なく育ちます。主要食物の生産を減らすことなく、カネになる作物の生産が可能という事です。
 6年間の出稼ぎが終わった男は、故郷の村にカカオの種を持ち帰ります。
 3年後に収穫されたカカオの種を、男は友人や親戚に分け与え、カカオの栽培を勧めました。ゴールドコーストの気候と風土はカカオの生育に適していた事もあり、カカオ栽培は彼の国全体に拡がり、後に世界最大のカカオ生産地となりました。
 カカオがもたらした富をもとに、イギリス領ゴールドコーストは1957年に「ガーナ共和国」としてブラックアフリカ初の独立を果たします。この男の名前はテテ・クワシ。ガーナに初めてカカオと富をもたらした男です。彼の肖像はガーナの紙幣に残されています。

未来への黒い予感

 ところで、バレンタインデーが終わった後のスーパーマーケットなどのお菓子売り場の異変に気づかれた方も多いのではないでしょうか。店頭からチョコレートの品数が減っているのです。はじめはバレンタインデーが終わったからチョコレートの売り場面積を減らしたのかなと思いましたが、通常なら並んでいるはずの商品がいつまでたっても入荷されません。
 薄利多売の100円ショップにおいてこの現象は顕著で、売り場面積が2月末からどんどん縮小され、4月になるとチョコレートの販売そのものが無くなってしまいました。実は、世界的にカカオの供給不足が起きているのです。

 テテ・クワシの活動のおかげで、ガーナとその隣のコートジボワールは、世界のカカオの60パーセントを生産するまでになりました。その両国で、この数カ月の間に壊滅的な状況が進行しているのです。原因の一つに、気候の変動があります。
 アフリカ西海岸一帯で、暑く乾燥した時期が長期化してきており、カカオの生育に悪影響が出てきています。そしてもう一つ、カカオの病気の蔓延があります。現在「カカオ膨梢ウイルス」がアフリカ西海岸で拡がっていて、3割近くのカカオがウイルス被害に遭っています。そこに追い討ちをかけるように、違法な金の採掘集団がカカオ農園を破壊しているのです。この連中は重機で農園を破壊し、地面を集団で掘り起こし、金を採掘していきます。それだけでなく、大地を汚染していくのです。
 具体的には水銀で汚染されます。細かく粉状に砕いた鉱石に水銀を加えると、水銀は不純物以外の金や銀を吸収します。

 この水銀を加熱して蒸発させると金銀だけが残ります。これは水銀アマルガム法という採取法で、水銀の回収装置が無い場所で行う事は禁止されていますが、元から法律などを守る気の無い連中には関係ありません。連中が水銀中毒になるのは自業自得ですが、汚染された大地が回復するには気の遠くなる年月がかかります。荒らされた農地を元に戻すだけの財力がカカオ農家には無く、結局は農地を手放すことになり、違法業者は更に儲けるという悪循環が起きているのです。

 ガーナは昔「ゴールドコースト」と呼ばれていた事から判るように世界有数の金採掘地でもあるので、このような大地の強盗が発生してしまいます。ウクライナや中東の紛争に端を発する世界的な金価格上昇が、この強奪集団大量出現の背景にあると見て間違いないでしょう。カカオの新たな入手先として、世界は中南米のカカオ農家との契約を増やすのでしょうが、今から生産を増やしても実がなるまでに3年以上かかりますから、しばらくはチョコレートは贅沢品になるはずです。高級チョコレート専門店は経営破綻するところも出てくるでしょう。

 恐ろしいのはそれだけではありません。
 カカオの生産力が極度に落ちているのにも関わらず、というか落ちているせいなのか、カカオの先物市場はかつて無い高値での取引が行われています。3月末の段階で銅の価格を上回る金額になっています。コショウが同じ重さの銀と交換されていたコロンブス以前の世界の再来です。しかし現物が存在しないのに高額取引だけが行われ続ければ、この先に待っているのは国際的な金融破綻しか無いはずです。
 カカオを巡る世界は、甘くはないようです。

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