獄中記 第二十六回 | 行政調査新聞

獄中記 第二十六回

福 山 辰 夫

獄  中  記

<福 山 辰 夫>

第 二十六 回

皇紀2657年 【平成9年・西暦1997年】

1月1日 (水) 元旦 

 新春を迎へ、本年の自己指針である「和敬清寂」の第一歩を踏み出す。
 「和敬清寂」とは、心をやわらげてうやまい、静かにひっそりとしている意であり、特に茶道で重んじられている心得也。矢張り男子は、小さな事でガタガタせず、心を広く持って大樹の如く大地にしっかりと根を張り、多くを語らぬが人物というもの。
 朝餉時、正月菜として「折詰」と「二の折」の給与有り。父より年賀葉書が届く。

1月6日 (月) 

 仕事初め。官の都合とやらで、終業が通常より2時間短縮(14時30分:終業)。刑務所機関紙「人」に短歌作品を寄稿する(教育課)。
 今月の作品は、 関東の獄より毛布の数多き冬のみちのく吾が身こたえり   他8首。

 今日は「作業安全日」故、運動時に避難訓練を実施。亦、「圖南書道1月号」硬筆部漢字3段位で賞を取り、同会より賞状が届く。夕方、父より書信有り。

1月11日 (土) 鏡開き 

 本日より暫くの間「感冒対策」として処遇の一部変更有り。其の内訳は、横臥許可(13時~15時・横臥してのテレビ視聴可)。13日(月)以降の運動は、天候に関係無く講堂にて実施というもの。午前中は臨池に勤しみ、午后は早速布団を敷いて横臥し乍ら読書。

1月14日 (火) 

 18時のNHKお昼のラジオニュース(録音)で、本日皇居にて催された新春恒例の「歌会始め」を報ずる。今年の歌題は「姿」。
 陛下の御製は うち続く田は豊かなる緑にて実る稲穂の姿うれしき   
 下拙も獄中で作歌を始めて約2年。幸いにも当所歌会の講師・扇畑忠雄先生が「アララギ派」の一流歌人で在り、少しずつだが作歌の楽しさが分ってきた。今後も出所する迄、先生の指導を仰ぐ事に成るだろうが、歌を作る行為によって物事の本質を見極める力と、己の視野を広げていきたい。日中に、賞与金の教示有り。2等工5割増+2割6,369円也。

1月17日 (金) 

 父が面会の為、来仙。川越の方は、特段これといって変わり無く、無駄話で30分の面会を終了。帰り際に、本と「日刊スポーツ」(3カ月分)を差入れして頂く。官本交換有り。

1月26日 (日) 晴れ 

 「短歌会」(10時~11時30分)。月例の歌会に参加して約2年。本日は、机上に花瓶が置かれ、一輪の造花が挿して在るので、皆で訝っていると直ぐにその理由が判明した。それは、歌会視察という名目で当刑務所の福原正昭所長が入室し、其の場に着席したからだ。
 懲役側は、予期せぬ所長の登場に漲る緊張感の中で歌の批評に入るも、目の前の所長を意識して皆言葉が少なめ。やがて、それを察した先生が「所長さんが居るからといって畏まらず、此の歌会は君らが主役だから何時も通りにやればいい」の一言で、全員肩の力が抜け、何時もの辛口批評あり、笑いありの和やかな雰囲気で終わる。所長も歌を嗜むのか、一切余計な口は挟まなかった。
 併し、各批評を聴いて肯いたり首を傾げてみたりと、しっかり歌会には参加していた。
 午后は臨池に勤しみ、自主勉学として民族思想。夜はNHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

1月31日 (金) 晴天 

 夕方、私本配付有り。予め願箋にて下附を願い出ていた「史記 司馬遷の世界」(加地伸行著・講談社現代新書)、「野村秋介獄中日記―千葉編―」(二十一世紀書院)の2冊が手元に届く。
 昨年末に起きた「ペルーの日本大使公邸人質事件」は、未だ膠着状態が続いている。亦、「オウム真理教破防法適用に関する査問会」があり、同団体に対する破防法は不適用となる(31日、午后に決定)。

2月1日 (土) 曇り一時晴れ 

 午前中は、「野村秋介獄中日記―千葉編―」を耽読。
 本の扉部分にある氏の辞世 先駈けて散りにし人の悲しみをわがものとせむこの道をゆく
を、暫し凝視する。「常住死身」とは『葉隠』の山本常朝(やまもと つねとも)が口述した、武士(もののふ)としての精神を謳ったもの也。午后は臨池に勤しみ、夕方は「野村秋介獄中記―」を耽読。夜はテレビ視聴。東北放送(TBC)ラジオの「修・翔子のハラハララジオ」という番組に、当刑務所の教誨師で、下拙も神道教誨で御世話に成っている「坂本寿郎」先生(桜岡神宮宮司)が出演。明後日の節分の話しをして下さった。一般に、節分の豆蒔きでは「鬼は外、福は内」と掛け声をかけるが、此れは祝詞から来ており、其の文句は「天内・地内・四方内・鬼の御霊打ち袚へ・鬼は外、福は内」であると仰っていた。

2月3日 (月) 大雪のち曇り 節分 

 雪霏々たり。節分にて、昼餉時に「でん六豆」(1袋)の給与有り。
 *作業中に少し勘案する所あり。
 当工場は「縫製」で、種々なるミシンによる流れ作業である。それは一人一人の力が結集して、一つの製品が出来上がる。3班の班長となり約1年を経るというのに、直ぐ短気を起し、常にイライラして居る者に他人は付いて来ないと思う。そういえば、昨年末の「忌日読経」の際に曹洞宗の僧侶が云いし、「常に真心を持って他人に接する様心掛ける。真心を持って事にあたれば全てに成就する」を心に留め乍らミシンを踏む。「経済革命倶楽部(KCC)」の山本一郎が詐欺罪で逮捕される(17時30分:TBCラジオニュース)。

2月4日 (火) 

 昨日の大雪は、仙台市内で25㎝を記録。亦、夜来の強風は現世に対する警鐘か…。特に最近では「オレンジ共済組合事件」や「経済革命倶楽部(KCC)事件」といった、悪逆非道な巨額詐欺事件が多発。正に我利我利亡者が世に蔓延るといった体を成している。
 Fraudulent(フロウデュラント):詐欺的な、不正直なと、如何ともしがたい世の中也。
 日中、工場で広瀬さん(無期囚)と「野村秋介獄中日記―千葉編―」の内容について語らう。広瀬さんも、当時千葉刑務所を無期刑で務めており、野村秋介氏や大先輩の福岡幸男氏(港会日野一家・無期懲役=東声会の陳八芳、東声会傘下三声会の三木恢を射殺)、武川一夫氏(現住吉会日野会会長・懲役12年=同事件共犯)と一緒の工場だったいう。そこで、今読んでいる獄中日記の内容を話すと、頻に「懐かしい」と連呼し、遠くを見るような目で語ってくれた。「自分も是非、秋さんの供養としてその本を買い求めたい」と云うので、題名及び出版社名を教える。
 「平成9年度第一期かな等昇位試験」の受験料13,000円を領置金にて支払う為、願箋提出(教育首席及び会計課長連名宛)。運動時に避難訓練を実施(14時10分:講堂)。

2月5日 (水) 晴天 

 鉄窓の外は雪景色なるも、微かに春の近付きを感ず。
 そんな朝の出役時に11工場で喧嘩。扨も、人間も動物故、春が近付くと脳の思考も自然と緩むのであろうか?囚獄(ひとや)に居ると、それがより一層顕著になる。12工場とて同じであり、昨日から菅野担当が不在の為、工場はだれて、日課係のWさんも「何とも云い難く、福山さんこんな時に事故は起るもの」と言っていた。自らを棚に上げて他人の事を云う様だが、作業一つにしても自分勝手で、己の立場を弁える者が少ない。昼休憩で江口副担当が訓示をするも、皆馬耳東風。日頃、仮釈を欲する奴ら程、務める姿勢に信念無き者が多い。御釈迦様が真理を悟り、宇宙も空気も水も、而して自己も全てが宇宙で在る。其れは、宇宙で在り空気で在り水で在り自己で在るということが、尊いのである。終業間際に急ぎの材料が入荷。明日も願張ってミシンを踏まねば。

2月6日 (木) 曇りのち晴れ 

 戦後、「個性の時代」等と云われているが、別な見方をすると「個人主義社会」という非協調性社会をも生み出す要因になっているのも事実である。出役直後の訓示で、江口副担当より菅野のオヤジの話が有り、休んでいるのは躰の具合が悪く入院しているという。尚、昼休憩後に山浦担当の話しでは、本日受けた検査の結果が良ければ、週明けの10日(月)から出勤するので、皆には心配しないで欲しいと伝言(メッセージ)有り。
 此処毎日、愚痴ばかり云う様だが工場はだらだらで、全く以て懲役というのは腹の坐らぬ者ばかり。然れども、不満が口に付く小生も同類であって、日記を書きつつ反省。
 「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又た日に新たなり」(大学・傳2章)
 先ずは、自らを律するべし。

2月7日 (金) 晴天 北方領土の日 

 13時35分から運動有り(講堂)。先週から腕立て伏せ、スクワット等を5ラウンド熟(こな)し、竹之内武男(稲川会谷津一家)氏と合流して、更なるストレッチを一緒に行う。竹之内氏は27歳で、小生が32歳だから5歳の差がある。何とか食らいついて熟(こな)すのがやっとで、肉体だけでなく精神的にも負けていると痛感する。但し、作業での班長職は「常在戦場」であり、終業前は材料の運搬と皆から縫製指導が集中する為、つい癇癪を起す己の未熟さを恥づ。
 司馬遷曰く、「人、木石に非ず」(白居易・李夫人)とは人に接する処世である。自分だけで無く、相手の気持ちを慮る心の拓さが欲しいものだ。
 「北方領土の日」は、日露通商友好条約締結日に因み、1981年に閣議決定される。

2月8日 (土) 快晴 

 3月上旬の陽気(日中の最高気温6.6度)となり、先達ての大雪も日陰に僅か乍ら残っている程度。鉄窓を眺めて一首 雪とけて芝露るる旧正月わずかな緑に春感じおり
 午前中は「野村秋介獄中日記―千葉編―」を耽読。午后は臨池に勤しむ。今月は「かな等昇位試験」の為、かな・細字の受験課題を揮毫。

2月9日 (日) 快晴 

 午前は臨池に勤しむも、隣房の爺さんが大掃除をやっていて、水道の蛇口をキュッキュッと開閉する音、窓枠をガラガラ引く音、窓ガラス拭きでガタガタする音に気が散って、作品の揮毫が出来ず。併し、懲役の性というやつで、独居に居ると殆どの者が拘禁病になり、必要以上に「手を洗う・うがい・まめに掃除」をする。亦、普段は静かな環境からか、聴覚過敏となり小さな物音にも敏感になる。それが分かっていて心が乱れる様では、小生もまだまだ修業が足りぬ。
 今朝方、床の中で頭に浮んだ歌 たとへ野辺に朽ちるも敷島の礎(いしずえ)なりて土と還らん
 松陰先生の辞世に似ているが、是も敷島の道に勤しむ身なれば、人生の生き様として願ふもの也。

 2月10日 (月) 晴天 

 久々に菅野のオヤジが出勤する。先週迄のだれた雰囲気が一転、工場内に緊張感が漲り良い事だ。
 3班の班長である小生は、オヤジが復帰しようと忙しさは変わらず。懲役といえども人の上に立ち、指導をする立場では然(さ)もありなん。安岡正篤先生も「忙中有閑」と喝破されている。
 本当の閑というものは、忙しさの中にこそ在り、却って人間は常に閑で在ると、堕落して碌なことをしない様になる。故に、忙中に於ける閑こそ我々の人生にとって真に有意義な、而して貴重なる一時となるのであると云っている。
 18時のNHKお昼のラジオニュース(*録音)で、昨日のベルリンに於けるG7(ルーブル合意:先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)でドル高円安を懸念。その結果、為替に変動があり先週末の124円が昨日120円、今日の昼現在で122円とドル売り円買いとなり、多少であるが円が回復する。  亦、ペルーの日本大使公邸人質事件で、人質解放に向けてペルー政府とMRTA側との予備的対話交渉に入る。

2月11日 (火) 曇り時々小雪舞う 建国記念の日 

 旧紀元節。昨日迄の暖かさから一転して厳しい寒さとなる。今は5年後、10年後を見据えて、自己を磨き人生を拓く時期。過般、江口副担当も訓示をしていたが、誰もが刑務所に来て冷暖房完備。而して、食事も満足であったら刑務所なんか必要ない。確かに其の通りで、我々に甘えは禁物。囚獄暮しとは、斯くも厳しくて辛いものでなければならぬ。それにしても、相変わらず流俗は乱れている。「コモンセンス(良識)」の中で、著者のトーマス・ペインは「諸君の持ち物は目の前で打ち壊されたことがあるか。諸君の妻子は身体を休めるベッドで命をつなぐパンに困ったことがあるか。諸君の親や子は彼らの手で殺害されたことがあるか、そして諸君自身は落ちぶれた哀れな生き残り者になったことがあるか。―」(以下は略、「民族派ノート・弐」を参照)
 更に、トーマス・ペインは「政府は衣服と同じく、人類が純潔を失った表微である」とも云っている。我が国の政・官・財の癒着は、正に純潔を失いし表微で21世紀の日本は亜細亜諸国のリーダーどころか、世界から総スカンを食いかねない。日本人として「紀元節」を御祝い、建国の理念である「八紘一宇」を肝肺に確(しか)と刻み付けねばならぬ。
 「野村秋介獄中日記―千葉編―」を読了。昼餉時に「建国記念の日」の祝日菜として、ロールケーキ(大)1本の給与有り。午后は臨池(かな)に勤しむ。

2月12日 (水) 曇天 菜の花忌 

 眠い…。昨日の昼餉で飲んだコーヒーと、階下(2階)の処遇上の者が真夜中に度々便所を使用。都度、便水を流し窓の開閉をする為、折角寝付いても起される。その繰り返しで、現(うつつ)状態で朝を迎える。獄中の楽しみは「食う・寝る・娯楽」の三つだが、その一つである「寝る」を奪われては堪らない。今晩はゆっくり休ませて欲しいもの。
 作業は、昨年10月より引切りなしに材料が入荷し、担当及び作業技官と揉める日々も、漸くひと段落付き「ホッ」とする。18時のNHKお昼のラジオニュース(*録音)で、ペルー日本大使公邸人質事件で公邸前の民家にて予備的対話が行われたと報ず。

2月13日 (木) 晴天 

 「光陰矢の如し」と云うが、班長になってから一日が早い。囚獄の日課は、午前6時50分起床から夜21時の就寝迄、実に単調。況してや、常に看守の指示で整然と行動するので、本来は長く感じるものだ。併し、同じ懲役でも社会での地位や、立場があるという認識を持ち、その志(こころざし)如何によっては単調なる日々も楽しく、充実したものになる。而して、他囚と切磋琢磨することで腹の括った人物へと形成される。塵中と雖も影響力があり薫陶を受ける人物は少なからず居る。やがて来る春を信じて、只管刻苦勉励する事で、今は人生に於ける厳冬期を過さん。
 be  ambitious. (ビ、アンビシャス)…大望を持て!
 アイロン班のT・正治が、取調べで入独。20歳で無期懲役をくらい、既に20年以上も務めて居り娘も成人しているというのに、今回で通算懲罰58回目か?

2月14日 (金) 小雪のち曇り 

 バレンタインデー。昼餉時にアーモンドチョコ(一箱)の給与有り。老いも若きもチョコレートで喜んでいるのが、何とも微笑ましい。
 北朝鮮の思想家で、国家指導原理「主体思想(チュチェ)」を体系化した理論的支柱であり、朝鮮労働党国際担当書記の「黄長燁(ファン・ジャンヨプ)」(73)が中国の韓国大使館に飛び込み亡命申請をする。尚、亡命動機は「不条理と矛盾と満ちた社会に衝撃を与えるため」(「日刊スポーツ」14日・社会面)。「虚構の国・北朝鮮の崩壊か?」。否、其れは無いだろう。独裁者金日成が死して3年、年内には金正日が権力世襲すると云われる直前の出来事に、間に入っている中共の対応次第では、朝鮮半島危機が流動化する可能性がある。同じ民族同士で常に緊張を強いられている国も在れば、長年の平和ボケから危機管理意識が全くなっていない政府も在る。

2月16日 (日) 雨のち晴れ 

 午前中は2級集会に出席(9時30分~11時30分:講堂)。
 VTRは「スターゲート」(製作:米・仏合同。1994年公開。主演:カートラッセル)なる洋画を鑑賞。物語(ストーリー)自体は大した代物では無いものの、獄中に6年も居ると昨日の慰問同様、やけに感情が迸ってしまう。コンクリートの高塀に囲まれた閉塞感から心情の変化を齎(もたら)すのか、それとも歳の所為か?
 「敷島の道」(*歌道)に勤しむ昨今、多少なりとも視野が広がり、他人の気持ちや立場に立った考え方が出来る様になった、と勝手に思う。反面、日々の生活に於いては目先の事象に対して直ぐに一喜一憂し、遇にもつかぬ感情に左右されやすいのも実情。故に古人曰く、「何ヲ以テ知ル君子、交情復(また)(たん)の如(ごとし)と。矢張り、深く接(まじわ)れり人少なき場所柄にて常に自重すべき。集会では、岸本一家の小野寺兄弟と顔を合わせるも会釈する程度。只、互いが心中に於いて通じていればそれで良い。

2月17日 (月) 晴天 

 「ファラオの呪いの日」。1925年(大正14)、英吉利(イギリス)の考古学者・カーターがツタンカーメンのミイラを発見した事に由る。亦、一昨日の夜に北朝鮮の黄書記亡命申請事件に関連して、金正日書記の最初の妻の甥で、15年前に韓国へ亡命した「李韓永」(36)が北の工作員にソウル郊外のアパートにて銃撃され脳死状態になる。常々思うに、北緯38度線で南北が分断され、同民族で在り乍ら互いに銃砲を向け合うのは、真に悲しい事也。
 同じ東亜の民として、日本人も決して対岸の火事と安閑としてはならぬ。何故なら「平和」という虚構に対し、対岸では常に戦時体制が敷かれており、朝鮮半島の情勢は我が国の喉元に突き付けられた刃なのだ。「平和」という薄っぺらなガラス細工を念仏の様に唱えるだけでは、有事の際に必ず起きる社会の混乱を防ぐ事は出来無い。

鳴呼悲しき哉皇国の臣民よ     吾が憂憤は鉄窓の静寂に谺する

2月18日 (火) 晴天 

 二十四節気の一つ「雨水」。雪が解けてあまみずとなる意。
 作業は、急ぎの縫製材料が入荷され忙しない。一番入浴の為、15時35分に還房となり久し振りに父へ便りを認める。中東のレバノン・ベイルートで、日本赤軍の岡本公三ら5人が拘束される。今更乍ら亡霊の如き連中。未だ「世界同時革命」を夢想しているのであろうか?

2月19日 (水) 晴れ一時小雪舞う 

 午后の運動では、酒K(稲川会岸本一家星川組)さんと語らう。夕点検終了後、青木処遇官が舎房に顔を出し、夜中に階下で水道・便水等を使用する件で、変わらず下は五月蝿かと問われ、「此処、2~3日は静かです」と答える。小生も江口副担当を通して注意を促した事から、態々気に掛けて部屋まで来て下さり誠に有難い事。只、職員に頼み事をする以上は自身も律せねばならぬ。
 夜は、夜間独居優良室テレビが有り。「コロンブスのゆで卵」「X―ファイルⅡ」を視聴(19時~20時54分)。

2月20日 (木) 曇りのち晴れ 

 起床直後、4舎3階(夜間独居)の布団乾燥を「実施する、しない」で、懲役と若い看守が揉める。「取り敢えず、乾燥する準備をして出役しろ」と指示が有り工場へ。結局、実施せず官側の不手際には腹が立つ。昼の休憩時に、同じ夜間独居のS木(三代目山健組系組長・盛岡市住人)さんと今朝の悶着について語らう。
 18時の録音ニュース(お昼のNHKラジオニュース)で、中共の最高指導者「鄧小平」(92)が死去したと報ず。鄧氏は以前よりパーキンソン病を患っており、健康の悪化と共に94年秋以降、政治の表舞台から退き、現国家主席の「江沢民」が後継者として権力を継承している事から、然したる混乱は無いと察する。唯、我が国に於ける対中政策という点から見れば、江沢民という人物は強者(したたかもの)故、対中政策が今迄以上に厳しくなると予想される。我が国政府も毅然たる態度で以て、中共に対応する事を切に望む。

2月25日 (火) 快晴 

 花粉症が酷く、午前10時頃に医務診察を受ける。因みに体重を量ると60㎏で、半年前より1㎏程増す。医務待合室で地元のK(柴田町住人)さんとS(塩竃市住人)さんに会う。Kさんが「頑張って」と囁くので、小生も軽く会釈をして返す。尚、日中は12.8度と例年を6度も上廻り暖かい一日だった。夜は1時間程度、臨池に勤しむ。

2月28日 (金) 快晴 

 朝から体調が優れず、風邪なのか花粉症なのか判らぬ儘、何とか作業を了えて還房する。明日、明後日は免業日となるので、じっくり休養に充てたい。
 私本配付日に付き、購入の週刊誌1冊と下附を願い出た「若き侍のために」(三島由紀夫著・文春文庫)と「旺文社 漢和辞典(改訂新版)」の計3冊が手元に届く。
 夜は「豊臣秀長 ある補佐役の生涯(上)」(堺屋太一著・文春文庫)を心読。21時、減灯・就寝。

3月1日 (土) 曇り一時晴れ 

 暦の上では弥生。春も間近い―。
 午前中「豊臣秀長 ある補佐役の生涯(上)」を心読。午后は臨池に勤しみ、夜はテレビ視聴。

  3月2日 (日) 晴れのち曇り 

 宗教教誨「神道」(9時30分~10時30分)に出席。
 教誨師は坂本寿郎先生で、今日は「乃木希典と日露戦争(旅順攻囲戦)」について。
 教誨の最後に、「水師營の会見」1~3番迄を全員で唄う。

「水師營の会見」       作詞:佐々木信綱   作曲:岡野貞一

一、旅順開城約成りて 敵の將軍ステッセル
  乃木大將と會見の 所は何処(いずこ)水師營
二、庭に一本棗の木 彈丸痕(あと)も著(いちじる)く
  崩れ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二將軍
三、乃木大將は嚴かに 御恵(めぐみ)深き大君の
  大御勅(みことのり)伝うれば 彼(かれ)畏みて謝し奉(まつ)る
四、昨日の敵は今日の友 語る言葉も打ち解けて
  我は称えつ彼の防備 彼は称えつ我が武勇
五、形正して言い出でぬ 「此の方面の戰闘に
  二子を失い給ひつる 閣下の心如何にぞ」と
六、「二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり
  これぞ武門の面目」と 大將答えて力あり
七、両將晝食をともにして 尚も盡きせぬ物語
  「我に愛する良馬あり 今日の記念に獻ずべし」
八、「厚意謝するに餘りあり 軍の掟に從いて
  他日我が手に受領せば 長く勞(いた)り養はん」
九、「さらば」と握手懇に 別れて行くや右左
  砲音絶えし砲臺に 閃き立てり 日の御旗

 教誨には、小野寺の兄弟、W浩君も出席。併し、K林さん(10工)とRさん(5工)は欠席。
 午后は、入浴(10分間)。臨池に勤しみ、夕方「豊臣秀長 ある補佐役の生涯(上)」を読了。
 夜は、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

3月3日 (月) 晴天 上巳(桃の節句) 

 花粉症が酷い。12工場ではY(三代目山健組内・気仙沼市住人)組長と小生のみが重症で、皆は平気な顔をしている。小生の花粉症歴は、既に15年。
「桃の節句(上巳)」という事で、昼餉時に「大福(2ケ)」の給与有り。
 運動時(13時35分~14時10分)、避難訓練を実施。藤棚の下でS向さんと語らい、本人及び小野寺の兄弟の事件「北見抗争」の話を聞く。夜は「豊臣秀長 ある補佐役の生涯(下)」を心読。

3月5日 (水) 晴れ時々曇り 

 レバノンで旅券偽造等の容疑にて、日本赤軍メンバー5人を逮捕したとレバノン当局が昨日発表。岡本公三(49)・和光晴生(48)・足立正生(57)・戸平和夫(44)・山本乃里子(56)の5人。
 岡本はテルアビブ空港乱射事件(1972年)、和光はオランダ・ハーグのフランス大使公邸占領事件(1974年)、他の3人も有印私文書偽造容疑等で警視庁から国際指名手配されている。尤も、20年前の亡霊が未だに日本の革命(世界同時革命?)を信じての活動なのか、国際指名手配犯故の逃亡なのかは判らぬが、全く時代遅れも甚だしい。然し、民族派陣営も未だに反動的な御仁が多いのも否定出来ず。― 皇道とは、日本とは、大和民族とは如何なるものなのか。今獄中に於いて活眼せねば、11年間の社会不在も全てが無駄になってしまう。
 夜は、夜間独居優良室テレビが有り「目撃!ドキュン」「X-ファイルⅡ」を視聴。

 3月10日 (月) 晴天 

 午前中に医務診察を願い出て、花粉症の薬をレスタミン粉末から毎年飲んでいる錠剤へ変更して貰う。医務分室の待合所で、中藤(三代目浅野会・福山市)さんと顔を合わす。
 本日、職員の所内移動があり工場の副担当に、前警備隊だった「成田看守長」が就く。菅野のオヤジが休憩で交代した瞬間、工場内が急に締った感有り。只、此の緊張感が何時迄続くやら…。
 初日は誰一人、連行される事無く平穏無事に還房する。誰が担当に就こうとも態度を変える事無く、荀子が謂う所の「是是非非」也。
 過般、書道教室の際に鈴木登郁先生に依頼した、「認定証」(毛筆漢字部5段位)が手元に届く。

3月12日 (水) 晴天 

 賞与金の教示が有り、2等工5割増+2割6,592円也。
 昨夕、縫製材料が入荷。急ぎ縫製は僅かで、夕方には平ミシン部隊が暇になる。夕餉後は、相撲テレビ「大相撲春場所4日目」(17時15分から18時迄)を視聴。
 今場所3度目の綱とりとなる大関・若乃花が、昨日の対旭鷲山戦で白星も右足断裂と怪我の為、本日より休場。若乃花にとって大阪場所は鬼門也。夜の夜間独居優良室テレビは、「萬屋金之助さん追悼」「X-ファイルⅡ」を視聴。

  3月15日 (土) 雨のち曇り 

 総集行事にて映画鑑賞有り(9時30分~11時30分:講堂)。
 映画は「学校Ⅱ」(製作:松竹。山田洋次監督作品)で、今回の作品は北海道雨竜町に在る「雨竜高等養護学校」が舞台となり、先生と養護学校生徒の葛藤を描く物語。特に最後の場面では、長瀬正敏演ずる小林先生が「私達は3年間であの子達に何をしてやれたのか、と熟考えさせられました」とリュー先生(西田敏行)に問い掛ける。リュー先生の答えは「子供達に与えるのではなく、我々が子供達に教えられ、また教えられたことを子供たちに返してやることなぁんだよ」云々に、今の我が国の教育の在り方を勘案する。
 昨今、教育制度改革が叶ばれているが、机上に於ける理論のみの偏重教育だけで、先ずは社会通念を身に付ける情操教育を行い、豊かな心と健全なる精神を培う場を作る可きではないのか。
 午后は、先代の月命日にて「般若心経」を写経する。夕方は、相撲テレビ「大相撲春場所7日目」を視聴。夜は、1時間程テレビ視聴をして、「豊臣秀長 ある補佐役の生涯(下)」を心読する。

3月23日 (日) 晴れのち曇り 

 「彼岸会」に出席(9時30分~10時30分:講堂)。浄土真宗僧侶で教誨師の藤坂先生に依る「仏説阿弥陀経」を読経の中、各自焼香。其の後、同先生の法話を謹聴する。

 『お釈迦様は、「人生は苦なり」と云われた。彼岸とは「彼(か)の岸(きし)」と書き―涅槃であり、彼岸会のことを涅槃会とも謂う。つまり「苦労の後に彼岸(涅槃)へ到る―到彼岸」。
 所伝法輪では、お釈迦様は最初に四つの悟りを拓いたが、其の四つが「苦集滅道」四締で…人生は苦であるという真理(苦諦)、その苦の原因に関する真理(集諦)、苦を滅した悟りに関する真理(滅諦)、悟りに到る行法に関する真理(道諦)。簡単に言えば、我々の人生そのものが苦しみであり、その苦しみを集めるのも自分自身である。併し、その苦しみを滅す為に兎角、人間は他人の所為にするけれども、総ては自分の無智から出た事だと悟る可き。仏法では、「八正道(はっしょうどう)」と謂う八つの正しい行いとして「正見・正思惟(しょうしゆい)・正語・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進・正念・正定(しょうじょう)」。即ち、正しい見解・正しい決意・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力(仏修行)・正しい思念・正しい瞑想。此の八正道の意味を深く心に秘めて日々の生活に活かし、人間として“悟る”ことである。“悟る”と謂うことは何か…と良く聞かれるが、“悟る”とは我々の両親、亦は祖先より此の世に生まれて呉れという願いと、自分自身が此の世に生まれたいとして現生に生きているという尊さを知ること。彼岸とは正に夫等の事を踏まえて沈思する日でも在る』

 今日も良い話を聞き、お釈迦様が生まれて直ぐに七歩進んで天と地を指差して、「天上天下唯我独尊」と云った意が、茲にあるのかと沈思黙考する。午后は臨池に勤しみ、随筆作品ノートを整理する。夕方は、相撲テレビ「大相撲春場所千秋楽」を視聴(貴乃花・曙・武蔵丸・魁皇による四つ巴の優勝決定戦となり、貴乃花が優勝)。夜は、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

3月24日 (月) 晴天 

 熱は下がったものの、風邪で体調不良の為、入浴を控える。
 夕方に「圖南書道誌」が手元に届き、かな等昇位試験の結果を見る。

細字部 漢字……初段から二段へ
 仝  かな……二段から三段へ
硬筆部 漢字……三段から四段へ
 仝  かな……二段から三段へ
かな部   ……準段から初段へ       と昇段する。
 昨日の「日刊スポーツ」(社会面)に、「短歌のアララギ終刊」の記事有り。
 「1908年(明治41)に創刊され、日本の短歌会界の中心的存在で、斎藤茂吉・島木赤彦らの有名歌人を数多く生んだ短歌結社、歌誌「アララギ」(発起人、小市巳世司氏)が今年いっぱいで解散、終刊することが決まった」と、同誌上で発表したという。
 所内の月例歌会講師である扇畑忠夫先生も、土屋文明の後を受け「東北アララギ会」として歌誌「群山(むらやま)」を発行し、其の師に教わる小生としても「アララギ」の終刊は残念であり、亦一つ日本の文芸・文化が廃るのを危惧する。夜は、短歌同人誌「群山」を耽読。

3月26日 (水) 快晴 

 父より郵送にて差入れ有り。品物は以前、便りで注文した「本・筆・条幅用紙(半切り)・タオル」等。無期囚の広瀬さん曰く、「福山さん、差入れをして呉れる人が居るだけ幸せです」の言葉は重い。正にその通りであり、親不孝な倅といえる。先日の花粉症対策(マスク使用許可)に関する「面接願」の返答が無い為、第二統括第二主任宛で願箋を記載。夜は、夜間独居優良室テレビ視聴を行う。

3月27日 (木) 曇天 

 朝イチに、第二統括第二主任宛の「面接願」願箋を提出。
 作業は“シック付け”という股下の当布縫い。併し、面倒な作業こそ班長として率先してやらねばならない。昼の休憩時間に感じた事だが、若い連中は安易に軽々しく無責任な言葉を吐くので、一歩間違えれば衝突為兼(しか)ねない。相手がヤクザ、堅気であろうとも度を越した冗談は駄目だ。決して他人事では無く、日々気遣いを忘れず、逆に相手の立場を考え、慈しむ心を培って行きたいもの。     不注意なることばで人を傷つけてこころ分らぬ友の若さは

3月28日 (金) 快晴 

 4月下旬の陽気となり、仙台の最高気温は17.4度と暖かい一日。
 午前10時頃、処遇部門へ呼び出される。理由(わけ)は昨日提出した「花粉症対策(マスク使用許可)」に関する件で、第二統括第二主任に拠る面接。小生の云い分は主任にも分って貰えた様だが、主任では直ぐに結論が出ず、最後は「上司に相談する」で面接終了。言葉のニュアンスからして、当面許可は下りないだろう。夕方、私本配布有り。「翔ぶが如く(一)」「翔ぶが如く(二)」(司馬遼太郎著・文春文庫)の下附本2冊と、書道用手本として自費購入の「九成宮醴泉銘・欧陽詢」(二玄社刊・中国法書選シリーズ)の定本とガイドブック(各1冊)が手元に届く。

3月30日 (日) 晴天 

 「短歌会」が催され、Sさん、桜きなこ等と出席(10時~11時30分)。
 過般、新聞等で報道された「90年続いた『アララギ』が年内一杯で解散」という真相を扇畑先生に尋ねる。くだんの件は、先生も寝耳に水で現在抗議をしているとの事。それから“仙台高等検察庁検事”の郡司氏が当所で行われている歌会の噂を聞き、是非出席をしたいと所長に願い出ている旨、先生より伝えられる。若し実現すれば“検事と懲役”が同席する歌会。実に面白い…。
 塀の上暮れゆく夕日をながめをり少年の目をかがやきおもふ

 午后は臨池・勉学に勤しみ、夜はNHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴する。
 今日は復活祭。英語の「Easter(イースター)」春の女神を意味する古い英語が語源。異教の女神の名がなぜキリスト教徒にとって最大の祭りを指すようになったのか。陰鬱な冬が終わり、生命(いのち)の躍動が始まった喜びと十字架上で息絶えたキリストが、予言どおり復活した喜びには通じるものがあるからだ…。(讀賣新聞・朝刊「編集手帳」から)
 我が人生も、今は陰鬱なる冬であるが、必ずや復活して春が訪れる。其の日の為に、日々努力を怠らず精進するべき也。

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