「甘 酒 の 話」 | 行政調査新聞

「甘 酒 の 話」

「甘 酒 の 話」
伊上武夫

甘酒の製法 

 見た目はドブロクのように白濁で、名称に堂々と「酒」と書かれているのにも関わらず、一般の店で全年齢向けに販売されている唯一の飲料、それが甘酒です。酒税法によりますと、酒類と定義されるのはアルコール度数が1%以上となっています。ですので1%未満であれば酒税法とは関係なく販売ができるわけです。では、甘酒にはどれほどのアルコール分が含まれているのかといいますと、甘酒の製法を知る必要があります。
 実は甘酒には、酒粕から作るものと、米麹と米から作るものがあるのです。
 酒粕を原料とする場合は、湯に酒粕を混ぜて溶かし、砂糖を入れて甘くして作ります。酒粕はその名の通り、日本酒を作る過程で発生した搾りかすですので、酒粕そのものにアルコール分が含まれています。ただ酒粕の段階で8%ほどあるアルコール分も、お湯を加えて薄めて加熱した段階で1%未満となりますので、酒税法の適用から外れます。

 米麹と米から作る甘酒は、米と水と粥と米麹とを混ぜて50度から60度くらいの温度に保ちながら、約10時間から12時間ほど寝かせる事によって完成します。この過程で米麹のコウジカビから出される酵素(アミラーゼ)が働き、米のデンプンが糖化されて甘くなるのです。この反応ではアルコールは発生しません。そしてこの製法では、砂糖を加えません。
 この二つの製法の甘酒、片方が片方の代用品というのではなく、並行して古くからあるようです。酒粕から作られる甘酒と思われる最古の資料は、奈良時代に編集された「万葉集」に見ることができます。歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ「貧窮問答歌」の中に「糟湯酒(かすゆさけ)うち啜(すす)ろひて」と記載されています。上は天皇から下は平民まで、様々な階級の人たちが詠んだ我が国最古の和歌集である万葉集ですが、その中でも「貧窮問答歌」は最底辺と言っても良い人たちが詠んだと思われます。
 タイトルから判るように「ビンボーな人の問いにビンボーな人が答える」内容となっています。先の「糟湯酒」の前後の部分を現代語にしますと 風まじりに雨が降り、その雨にまじって雪も降る、そんな夜はどうしようもなく寒いから、堅塩を少しずつなめては糟湯酒をすすり、咳をしては鼻水をすすりあげる。 という、実に身に染みるビンボーな生活描写なのですが、それでも酒粕を湯で温めた糟湯酒はたしなめるくらいに入手が容易で一般的だったというのが、よーく理解できます。
 では、米麹と米から作る甘酒はどうなのかというと、これも奈良時代に編纂された日本書紀に記述があります。吉野の民が応神天皇に醴酒(こざけ)を振る舞って歓迎したというのがそれです。この「醴酒」については、平安時代の967年に宮中の様々な年中行事や人事制度などの律令の細則としてまとめられた「延喜式」に「米と麹と酒を用いた酒」と記録されていますので、甘酒の起源と見て間違いないと思います。
 また日本書紀にはこれと別に、神話時代の出来事として、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)に関連する話にも甘酒らしきモノが登場します。大山祇神(オオヤマツミノカミ、古事記では大山津見神)は、瓊々杵尊(ニニギノミコト)に嫁いだ娘の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を安産されたことを喜んで、狭名田の茂穂で「天甜酒」(あめのたむざけ)を造り、お祝いしたとなっております。

 これだけですと米を元にした酒としか読み取れませんが、木花咲耶姫命が一夜で身籠った事と、天甜酒が別名「一夜酒」と呼ばれる事から、米麹と米で一晩でできる甘酒と考えることもできるかなと思います。なお、奈良時代に京都南部に作られ、平安時代に京都の梅津に遷座された梅宮大社は、大山祇神・瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊と、先ほどの「天甜酒」の話に出てきた四柱を祀っております。なかでも大山祇神は最初に酒を作った神という事で「酒解神」(さかとけのかみ)と呼ばれ、木花咲耶姫命は酒解子(さけとけのみこ)とも呼ばれています。つまりこの四柱は初めて酒を作った神様達になりますので、梅宮大社は日本中の酒造メーカーがこぞって奉納しております。

栄養ドリンクとしての甘酒 

 江戸時代の俳人、与謝野蕪村の詠んだ俳句に次のような句があります。
 あま酒の地獄もちかし箱根山 これは、箱根の大涌谷・小涌谷あたりの蒸気が噴き上がる「地獄」を目にして、「もうすぐ宿場だ甘酒が飲めるぞ頑張ろう」という気持ちを詠んだ俳句です。俳句だから当然季語はあるはずで、この句の名詞は「あま酒」「地獄」「箱根山」ですから、季語になり得るのは「あま酒」しかないわけです。では「あま酒」が表わす季節はいつなのかと言えば、夏なんですよこれが。なぜ甘酒が夏の季語なのかと言えば、昔は夏用のスポーツドリンクのような扱いだったらしいのです。というのも、冷蔵庫も無くあらゆる食べ物が腐りやすい時代でしたから、栄養のある食べ物はなおさら腐敗がはやく、そのため人々は夏に栄養不足だったわけです。そんな時代に米と米麹で一晩で完成し、かつ栄養価も高い甘酒はありがたい存在だったわけです。

 甘酒の栄養価がどれだけ高いかと言いますと、必須アミノ酸9種が全て含まれる事がまず挙げられます。必須アミノ酸を簡単に説明しますと、人間が必要としてなおかつ食物から摂るしかないアミノ酸で、筋肉やタンパク質を作り、肝機能を助け、脂肪をエネルギーに変える手助けをし、ドーパミンやノルアドレナリン・セロトニンといった脳内伝達物質の材料となり、ヘモグロビンや白血球・成長ホルモンを産み出す原動力となります。

 また、糖質をエネルギーに変える手助けをするビタミンB群、でんぷん質を消化して糖分に分解するアミラーゼ、タンパク質をアミノ酸に分解するプロテアーゼ、脂肪を分解するリパーゼ、そして何より、ブドウ糖です。甘酒のブドウ糖はコウジカビの働きでデンプンからすでに糖化された状態のため、身体の負担が少ない形で消化されやすくなっています。これらの他にも様々な栄養素が含まれるため、甘酒は「飲む点滴」とまで言われるわけです。

米 麹 

 ところで、米麹の説明がまだでした。麹は、米や麦・大豆といった穀類に麹菌(コウジカビ)をつけて発酵させたもので、米麹は米をコウジカビで発酵させたものです。コウジカビから出される酵素が米のデンプンを糖に変える話は先にも書きましたが、米麹そのものも食べる事ができて、なおかつ栄養があります。コウジカビは甘酒だけではなく、日本酒・焼酎・味噌・醤油・漬物など、日本の食生活を有史以来支えてくれていました。
 そんなにアレにもコレにも使われているけど、なんだかんだ言ってカビなわけで、毒性とかはどうなんだと思いますよね。正しく使えば大丈夫なモノであっても、使用頻度が高ければ一定数の事故は発生します。「火」がまさにそうで、人類が火を手にしてから数万年経っていますがいまだに火災事故は起きて多数の被害者が出ています。
 ですから食品に広く使われているカビに対して食中毒を心配するのは当然です。21世紀になり、この問題に本腰を入れて関係者たちが本格的に調査を開始しました。参加団体は日本醸造協会、酒類総合研究所などの研究所・東京大学・東京農工大学・東北大学などの各大学、大関・キッコーマン・協和発酵・月桂冠・ヒゲタ醤油などの各食品メーカー、これら16団体からなる「麹菌ゲノム解析コンソーシアム」と「製品評価技術基盤機構」が、ニホンコウジカビのDNAの解読に成功します。そこから様々な事実が判明しました。

 カビ毒の一種に、天然の発癌成分であるアフラトキシンというモノがあります。
 世界でも数多くの家畜や人間の死亡原因となっているこのカビ毒は、アスペルギウス・フラバスというカビによって生成されるのですが、これがニホンコウジカビと非常に種が近いのです。しかしニホンコウジカビで様々な発酵食品を大量に摂取している日本でその手の事件が起きていない。このアフラトキシンを作るDNAが、ニホンコウジカビには欠落しているのです。どうやら、日本では有史以来の麹の改良で、「菌の家畜化」がいつのまにか成功し、無毒なニホンコウジカビが増殖していったらしいのです。ですのでコウジカビは平成18年(2006年)に「日本の国菌」とされました。キジ(国鳥)やオオムラサキ(国蝶)と並んだわけであります。

日本を支えるカビ 

 コウジの漢字には「麹」と「糀」の二種類があります。「麹」の方は当然ですが中国からきた漢字ですが、「糀」は明治時代に日本で作られた漢字、国字になります。中国ではコウジを作るのに主に麦を使い、日本では米を使いました。また製法も異なり、中国では麦を粉にして水を加えてコウジカビを加えてコウジを作りますが、日本では米を蒸してコウジカビを加えて作ります。そして「麹」は麦の粒を包んだ形を表していますが、「糀」は米の周りの菌糸が、花が咲いたように見えるところから作られました。
 和食は平成25年(2013年)にユネスコ無形文化遺産へ認定されました。日本の食文化は、稲作とコウジカビによって作られたと言っても間違いではありません。これを側面から支え続けてきたのが、コメとコウジカビから一晩で完成する栄養ドリンク、甘酒であると思います。店頭で甘酒を見かけた時、これらの事を少し思い出してみてください。この安価で栄養たっぷりの飲み物は、日本の智慧と経験のエキスなのですから…。

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