獄中記 第二十八回 | 行政調査新聞

獄中記 第二十八回

福 山 辰 夫

獄  中  記

<福 山 辰 夫>

第 二十八回

皇紀2657年 【平成9年・西暦1997年】

7月1日 (火) 快晴 

 日本時間午前1時(香港時間午前0時)を以って、香港が英国より中国へ返還。
 「1841年に英国が香港島領有宣言から156年にわたった英国の香港統治は幕を閉じる。アジアきっての金融・貿易センターに成長した香港は中国の特別行政区として、社会主義と資本主義が共存する史上初の実験“一国二制度”の下で新たな歴史を踏み出す―」 (『讀賣新聞』朝刊)
 時報と共に、ユニオン・ジャックが降ろされて五星紅旗が掲揚された。中共は返還前より世界に向けて「向こう50年は現状維持とする」と公言しているが、「一国二制度」は所詮まやかしである。中共の狡猾さは次に「台湾問題」。而して「尖閣諸島問題」と、段階を経て外交カードを切ってくる強(したたか)さが見え見え。我々民族派は、決して中共に騙されてはいけない。

7月2日 (水) 曇り のち 晴れ      金閣寺全焼(1950) 

 半夏生。昨日の日記で「中共は次に台湾問題」と記したが、本日の新聞報道に拠ると、国家主席である江沢民の演説概要を見ても、「一国二制度」は台湾統一も視野に入れている事がはっきりと判かる。領土問題で隣国と摩擦を起こしている中共の強さは要注意。
 夜は、夜間独居優良室テレビが有り「目撃!ドキュン」「X-ファイルⅢ」を視聴する。

7月3日 (木) 晴れ のち 曇り    小野妹子が遣唐使に任命される(607) 

 教育課宛に、「平成9年度 所内薬物乱用防止標語」の募集作品として、次の作品を投稿する。

「一度位試してみよう」がすぐ乱用

7月4日 (金) 曇り のち 晴れ 

 仙台で、日中31.9度を観測。暑い中、「ソフトボール大会」準決勝が実施され、対10工場(印刷工)戦を行う。(13時35分~) 準決勝からユニフォームを着て試合。中堅で4番と同囚の期待を背負い乍ら、結果は散々であった。特に変な所で緊張し、精神修養の足りなさを緊々(ひしひし)と感じる。試合は2対4でサヨナラ負け。打者では投飛と3振(それも全くタイミングが合わず)の凡打に終わり、守備でもフライの目測を誤って逆転される原因を作ってしまう。己の力量の無さが皆の足を引っ張ってしまい、入病しているK和さんにも全力で頑張ると誓ったのに、約束を果たせず申し訳無い。日頃、他人の事をどうこう云っている狭量さが、いざという時に結果が出せない原因と猛省する。菅野看守部長も云っていたが、来年への課題も出来たし、新たな気持ちで練習に励むのみ。
 薬物乱用防止VTRが実施され、「覚醒剤はなぜ恐ろしいか」を視聴する。(18時40分~19時)

7月8日 (火) 雨 

 北朝鮮では、故金日成主席死去3周年中央追悼大会が開かれ「3年の服喪期間終了宣言」をする。だが、北朝鮮国内では餓死者が出る程の食糧難にも拘らず、対米政策の行詰まりや韓国との軋轢は更に広がり、我が国も「周辺有事」を想定した世論の高まりが窺え、政府が米国と共に「日米防衛協力のための指針」のガイドライン見直し作業が行われ、中でも「集団的自衛権」がキーワードになっている。最悪のシナリオを想定すれば、専守防衛を一歩踏み込んだ見直しが必要であり、北朝鮮の敵は韓国等では無く、日本だという事を忘れてはならない。

7月10日 (木) 雨 のち 曇り 

 賞与金教示有り、1等工3割増+2割で8,512円也。
 昼餉後、工場の食堂に於いて作業安全ビデオ「40歳を超えたら」を視聴する。夕方は、薬物乱用防止VTR・第2回目「ハートイーターに気をつけろ」を視聴。“ハートイーター”とは、薬物乱用という事を云い、小生もC型肝炎に成ったのは覚醒剤の影響に因るもの。自業自得とはいえ「薬物は百害有って一理無し」、決して手を出すものではない。特に、将来有る若い連中には声を大にして云いたい。

7月15日 (火) 快晴 

 今朝、隣室のS原(新潟市住人)さんが仮釈放前指導等編入の為、残房となる。S原さんとは3年程、一緒に生活をした。作業面では、色々と意見の食い違いから云い合う事も多かったが、逆に云えば愚痴を話せる人でもあったが故、一抹の寂しさを覚える。
 出役の時、舎房の食器孔から「御世話になりました」と云うS原さんに、「塀の中では無く、今度は娑婆で会いましょう」と返答する。人生には出会いが在れば、必ずや別れが訪れるのは致し方ない事。命が尽く迄に、多くの出会いと別れがあるだろう。良い出会いをし、良い別れとなる様に心掛けて生きねば。

7月17日 (木) 曇天 

 起床時、雑居房で“口論事犯”により2名が取調べで入独。此処の所、懲罰やら仮釈で3班は人が減り、ただでさえ人手不足で困っている中、更なる欠員(1名)は痛手。9時30分頃、分類センター(考査)より新入(1名)が下りてくる。早々に私物検査を終え、3班に配役される。本人はミシン経験が無く、基礎から教える必要が有り。またしても熟練工の穴は埋まらず。
 昼餉後は、書道教室(4班)も教育課の職員が迎えを忘れ、小生だけ10分遅れで出席する。出席者は、T原君(11工)・T田さん(13工)・S水さん(13工)・W浩君(13工)等。W浩君は、先日迄6工場(革靴工)だった筈だが「職業訓練生(表具課程)」として、13工場へ転業。
 彼こそ、栃木県足利市で講演中の“金丸信・自民党副総裁(当時)”に向けて発砲した人物。(懲役12年)夕方は舎房にて、薬物乱用防止VTR・第3回目「コカイン―人間の脳が直撃される!―」を視聴。(18時40分~19時)

7月21日 (月) 曇り のち 晴れ     振替休日 

 3連休の最終日は、読書・ノート整理・臨池に勤しみ、休日の余暇を過す。
 夕餉時に、4工場(洋裁工)担当の成沢看守部長が配食に立会い、舎房食器孔の所で少々話す。成沢看守部長には、直に使われたことは無いが、「福山、最近は落ち着いてやっている様だな…」と気に掛けて頂き、看守と懲役と立場は違うが有り難い事。
 1953年の今日、「破壊活動防止法」が公布・施行される。

7月25日 (金) 晴れ のち 曇り 

 両親が面会に来る。(11時~11時30分)先日、同級生のSが実家に立ち寄り、小生が川越拘置支所で裁判中に生まれた娘が、来春に小学校へ入学するという。其の後、長男が生まれたと聞き、改めて月日の流れを感じる。残る刑期は4年半だが、出所した暁には「浦島太郎」になっている。

【毎年7月は“刑務作業安全月間”であり、本日は其の一環として「作業安全講話」を実施。今回の講師は、仙台労働基準監督所の菊池氏で「安全について」と題した講話を拝聴する。―「安全第一」という言葉は百年前から云われ続けているが、其れ以前は常に「生産第一」であった。
 併し、機械の故障や作業事故が多発、生産律の上下の波も激しくて、米国の或る鉄鋼会社の社長が「安全第一」と提唱して作業を行った処、機械の故障や作業事故といった人災が減って生産律も一定になり、結局一番良い成果が顕われた事から「安全第一」という言葉が定着したという―。物事の総てに理(ことわり)が在ると云われるが、「安全第一」で作業を行う事も一つの理であると証明された。】
 午后の休息(14時30分~14時40分)では、アイスの給与有り。還房後は私本配付日に付き、下附を願い出ていた「翔ぶが如く(七)」「翔ぶが如く(八)」(司馬遼太郎著・文春文庫)の2冊が手元に届く。

7月27日 (日) 曇り をりをり 晴れ 

 昨夜のタイトルマッチの結果は、坂本博之が1対2で判定負け。亦、WBA世界Jフェザー級タイトルマッチ12回戦“王者・アントニオ・セルメニ(ベネズエラ)対葛西裕一”戦も、12R 2分35秒にK0で葛西が負けて日本人の世界戦挑戦は14連敗となる。
 本日は「短歌会」が開催され出席。(10時~11時30分 1舎3階教誨室)
 今月は、 仮釈放間近になりて去る友の空きたる独房(へや)を覗きぬ夕べ   と詠む。
 扇畑先生の批評では、結句を普通ならば「夕べ覗きぬ」とする所、「覗きぬ夕べ」と逆にした点は技巧的であると指摘を受け、添削の手が初めて入らぬ詠歌となる。今月より同囚のT.正治も久々に出席し、実父が歌人だったとあって素晴らしい歌を詠んでいる。
 此処に記したい。 爪立ちて塀越しに見る街の灯は漁火(いさりび)の如し靄むる宵
 T.正治(現在41歳)。無期囚として20年も務めると、斯様なる歌が詠めるのか。日頃は落ち着きがなく、懲罰ばかり喰らっている彼の別なる一面を見た。午后の午睡時は、読書。終了後は臨池・勉学(思想)に勤しみ、夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴する。

7月30日 (水) 曇天 

 一番入浴の為、15時40分に還房。「翔が如く(九)」(司馬遼太郎著・文春文庫)を夕点検迄、心読。夕方のTBCラジオ『小沢昭一的こころ』で、今週は“海千山千について…考察のココロだぁ~”と題する放送を行っている。抑(そもそも)「海千山千」の意は、海と山に千年ずつ住んだ蛇は竜に成るという俗説からきている。併し、昨今では「世の苦労を経験して抜け目がなくなり、悪賢いこと。亦は其の様な人を指す言葉として用いられる」。其の辺を踏まえて、今の囚獄暮らしを自身も含めて考察するに、何如に懲役とは「海千山千」の者が多いことか。

斯様な人間の暗部を見つつも吾が人生は、正道を以て竜と成る可し   蛟龍

8月1日 (金) 晴れ 一時 豪雨 

 15日ぶりに仙台で32度を記録し、真夏日になる。
 暑さでイライラする。併し、班長として作業指導をする立場上、些細な事で癇癪を起さぬ様心掛けるも、未だ小人にて狭量な己が情け無い。能く「情けは人の為ならず」と謂うが、人に親切をすれば、巡り巡って自分にも良い報いがある―との意味からしても、全ての人に対して“忠如”の精神を以て接すれば、囹圄の中に於ける苦労の日々も報われる筈。
 他人に感化を与える人物に成らねば、此の刑期を務める意義がないのではないか。

8月2日 (土) 晴れ   湾岸戦争勃発(1990) 

 「盂蘭盆法要」に出席。(9時30分~10時30分 講堂)毎年、此の法要には臨済宗の僧侶で当所の教誨師でもある、三浦先生と星先生が来所して行なわれる。法要の前半30分は僧侶に依る読経の中、出席者各々が故郷へ向けて焼香し、手を合わせる。焼香後の後半30分は、星先生に依る法話を謹聴。(尚、星先生は大正3年生れで、現在83歳)

※法話より
「今こうして獄中に務める結果となった訳だが、其れは法に背いた結果であって誰の所為でも無い。併し、逆に斯様な機会を利用してもう一度自分の生を振り返り、且つ今後を考える事で、自由が無いという苦しみを少しでも和らいで呉れる筈」と仰っていた。正しく自分の人生は全て自身が責任を負うものであり、辛いからといって直ぐに逃避するのでは無く、和らぐ工夫を凝らす事で人は悟りを拓く。従って、此の機を逃しては大成なんぞ出来ぬと心得る可し。

8月6日 (水) 晴天   広島市の原爆投下(1945) 

 今朝、地元仙台のS組長(住吉会錦戸一家内)が満期上りになる。11工場(革靴工)から罰明けで当工場へ配役。偶々、工場の食卓が一緒で5カ月と短い付き合いであったが、昨日は「福山さん、元気で頑張って下さい」との言葉を頂き、小生も「堀の中では無く、今度は娑婆で御会いしたいものです」と言って送り出す。今回は刑期5年を務めたとの事で、誠に御苦労様でした。
 工場で「平成9年度第2期かな等昇位試験」の受験料13,000円を、領置金にて支払う旨の願箋を提出する。(教育首席及び会計課長宛)
 「東北三大祭り」の一つである“仙台七夕”が始まる。(6日~8日迄)

8月8日 (金) 雨 のち 曇り 

 “仙台七夕”も、本日が最終日。青森から始まった東北の夏祭りも、此れで一段落する。
 運動時間中(14時10分~)、桜きなこ氏とSが些細なことで口論になり2人とも入独。現時点では口論に至った事の次第は判らぬが、抑々(そもそも)Sという人間は性格が粗暴で非常識。常に他囚を威嚇する様な態度をとり、言葉遣いも横柄で協調性もない。そんな者を相手に口論とは?沈着冷静な桜きなこ氏らしくない。此処に来て、熟練工が続けて「出所・入独」では作業に響く。特に、桜きなこ氏は工場に1台しかない“ゴム入れミシン”操作が出来る唯一のミシン工だった。終業直前、菅野のオヤジから「緊急事態なので、月曜日から福山が作業指導とゴム入れミシンを掛け持ちして呉れ」と云われ、言い訳になるが出荷量が激減するのは已を得ず。

「我慢」という重荷にたふて暮す獄つねに囚らの間(はざま)にて生く

8月9日 (土) 快晴   長崎に原爆投下(1945)・反ロシアデー 

 仙台で34.3度を記録。夏前に、仙台管区気象台で「今年は冷夏となる」予想であったが、連日の暑さにバテ気味。だからとだれていては、何の為の修養生活か分からぬ。じっと我慢の一語。
 午前中は、臨池(漢字部昇位試験の課題)に勤しみ、午后の午睡時に「翔ぶが如く(十)」を心読。夕方は、所内文芸誌「あをば」に寄稿する短歌の詠草を推敲して原稿に認める。

  仮釈で出所する友が刈りたりし頭撫でおり安否おもいて
  仮釈が間近になりて去る友の空たる席を吾しばし見る
  「今日も無事をへり」とわが身に呟きて坐して待ちをる夕点検を 
  
等作品5首。夜は19時~20時54分迄、テレビ視聴を行う。

8月12日 (火) 曇り のち夕方に 雷雨 

 刑務所機関紙「人」に寄稿する短歌の原稿を提出。(教育課宛)
 7月分の賞与金教示が有り、1等工4割増+2割の9,411円也。
 明日から「お盆休の連休」に入る為か、皆だれている感有り。只、小生は8日に桜きなこ氏が入独した事で、材料運搬・作業指導・ゴム入れミシンと忙しい。
 宋の政治家で学者でもある“王陽脩”の歌に、静定工夫試忙裡 和平気象看怒中
(意)人間は物事の本質を深々と考えねばならないが、静定工夫はむしろ忙裡で試みるがよい。亦、人は常に心穏やかに保たねばならないが、夫れはむしろ怒中に看るがよい…と在る。
 未だに己が所作は、未だ小人の域を出でぬと猛省する次第。
※「君が代」制定記念日(文部省が儀式用の唱歌として1983年公示)

8月14日 (木) 曇天 

 仙台の最高気温は23度と昨日より8度も低く、仙台管区気象台は「低温注意報」を発令。
 朝、「翔ぶが如く(十)」を読了。私本は下附・購入を合わせて月3冊(但し、勉学教本として許可されればプラス2冊)迄となっており、全10巻を読破するのに5カ月も掛かった。今回の事件を起こして爾来、何百冊と本を読み漁ったが、少しは己が身の血となり肉となったであろうか。
 日中は臨池(漢字部昇位試験条幅作品)に勤しみ、隷・行書作品を揮毫。午后の午睡時は、所内文芸誌「あをば8月号」と歌誌「群山(むらやま)5月号」を心読。
 「あをば8月号」に「山頭火―行乞記」(昭和11年11月18日)が掲載されいたが」、次の言葉は如何にも放浪の俳人たる種田山頭火らしい。

<なかれ 3章>
 一、くよくよするなかれ
 二、けちけちするなかれ
 三、がつがつするなかれ

<べし 3章>
 一、茫々たるべし   茫々とは、ひろくはるかなさま
 二、悠々たるべし   悠々とは、ゆっくりと落ち着いているさま
 三、寂々たるべし   寂々とは、無念無想のさま

 夕餉後はノート整理を行い、夜はテレビを視聴する。

8月15日 (金) 曇天   終戦記念日 

 「総集行事」としてテレビVTRを実施。確か昨年?だったか、日本の各映画賞で各賞を総ナメにした、役所広司・草刈民代・竹中直人・柄本明等主演、周防正行監督の「shall we ダンス」を視聴する。(9時30分~11時30分)社交ダンスを題材にしてブームを巻き起こした作品だが、所詮は日本映画の域を出ていない。只、昨近の堕落した邦画界に於ける中では、作品として抜きん出ている。11時55分より「全国戦没者追悼式」(日本武道館)のラジオ放送が入り、陛下の御言葉に続き、正午の時報と共に一分間の黙祷を捧げる。
 小生の父の実兄は先の大戦によって戦死し、忠靈として靖國に祀られている。仮令、囹圄の中(うち)に在ろうとも246万柱の御祭神に感謝の意を込めて、九段の方角へ向い黙禱。12時30分~14時30分迄の午睡時は、「百人一書 ―日本の書と中国の書―」(鈴木史楼著)を心読。夕餉を挟んで、忠靈及び先代親分の月命日にて“般若心経”を無我の境(きょう)に入って写経する。

【是か非か、正か邪か、それとも善か悪か、或いは美か醜か等と見てゆけば相対するものは幾らでも在る。其の中で小さな違いを見付け乍ら、実は彼是と右往左往して生きているのが我々の日々であり、此の世のことは万事が「夢」である―と仏は説いている。お盆という機会にこそ各自が生の何たるかを一考すべき時と思う。】

8月17日 (日) 曇り をりをり 晴れ   お盆休み最終日 

 「総集行事」としてテレビVTRが実施され、洋画「クールランニング」(9時20分~11時20分)を視聴。西インド諸島の島国であるジャマイカのボブスレーチームが初のオリンピック(1988年カナダ・カルガリー冬季大会)に出場を果たすという物語で、笑いの中にも感動させる場面が在り、連休中に3本のVTRを視聴して「クールランニング」が一番良かった。
 午后の午睡時は、「百人一書 ―日本の書と中国の書―」を心読。午睡後は臨池に勤しみ、ノート整理。夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

【百人一書 ―日本の書と中国の書―」(鈴木史楼著)を読了し、改めて書の深さを識る。
“書は人なり”と云われるが、人間の内面、心の奥底に在るものを引き出す表現力が書にはある。夫れは書は語るという事で、正に“直接言語”であると著者も語っている。】

8月22日 (金) 曇天 

 数日来、腰痛で悩まされていたが、今朝の出役直後にギックリ腰になり、歩くのもやっとの状態。運動の時も列外で行進は免除され、ソフトボールやランニングに興じる同囚を横目に、ベンチに座って安静にしているのみ。作業中に、交代担当の成田看守へ作業指導を願い出て担当台へ赴き、用件を申し出ると、成田看守より「福山は礼儀正しいが、何かスポーツをやっていたのか」と問われ、「中学生の頃、極真空手をやっていました」と答えたら、妙に納得していた。成田看守は柔道の高段者で、『全日本柔道選手権大会(無差別級)』に宮城県代表で何度も出場し、全盛期の斉藤仁とも戦っている。

 余談だが、先代の高島親父が面会に来た折、口を酸っぱくして云われたのが「今回の事件で天狗に成り、礼儀を忘れて他人に迷惑を掛ける事はするな。また常に腰を低くして、誰に対しても頭を下げろ」(*此れが、遺言になってしまった)を墨守しているに過ぎず、成田看守に礼儀正しいと云われ全く思いもよらず、逆に驚いた次第也。当一家(=親父が云った言葉)の家風とは、任俠道に由る処の「仁義を尚び、礼節を重んじること」を旨とする。獄中記を綴り乍ら、“礼儀正しい物腰とは?”を現在の境遇から勘案するに、日々囹圄の中(うち)に於ける修身の賜物と、精神(心)の充実といった要素が重なり、無為なる境地に至れば自ずとそうなる。

8月28日 (木) 快晴 

 本日の運動(10時~10時35分)は、来月に開催予定の「運動会」に向けて入場行進と、各競技の練習を始める。尚、今年から新たに“年代別リレー”が増えて、小生が出場する“分区対抗リレー”の選手と合同で練習を行う。皆、久し振りに全力で走ったが故に、息切れを起こして惨憺たる有り様であった。午后の休息時(14時20分~14時30分)に、アイス“かき氷(あずき)”の給与有り。終業後に「1分間のシャワー浴」(14時21分~)を実施。

8月31日 (日) 曇り のち 晴れ 

 「短歌会」に出席。(10時~11時30分 1舎3階 教誨室)
 相変わらず、I.夏雨・T.正治・桜きなこ氏の作歌は良い。最近は、小生も扇畑先生に自詠を褒められ、漸く一つの壁を乗り越えた感有り。先生が何時も云われる「歌は心で歌うもの、どんなに修飾した言葉で詠もうとも心が無ければ駄目だ―」は、蓋し至云。
 午后の午睡時に、差入れの「興福寺国宝展」(写真集)を閲覧。終了後は、テレビ視聴(14時30分~15時30分)。夕方は臨池に勤しみ、夜のテレビ(19時~20時45分)は「追悼・ダイアナ元妃 華麗なる36年の生涯」と、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。
【元就は、安芸の国を一枚岩にする為に、毛利家重臣の井上元兼一族を誅殺する。其の理由も、どんな小さな反乱も見逃せないという決断から。組織というものは足並みが乱れると、斯くも詭いものか-元就は熟知していた。】
※ダイアナ元皇太子妃(36)が本日末明、フランス・パリで交通事故に遭い、同日午前4時(日本時間同日午前11時)、肺出血のため死去。同乗していた恋人のドディ・アルファイド氏(42)と運転手は即死。元妃のボディガードが重体で、ダイアナの死は世界を駆け抜け、英国民は宝を失った様な深い悲しみに暮れると報ず。

9月1日 (月) 雨 のち 曇り   防災の日 

 運動(10時25分~11時)時に「避難訓練」を実施。『日刊スポーツ』は、昨日死去したダイアナ元英皇太子妃の報道に七紙面を割き、ダイアナ一色と成る。奇しくもチャールズ皇太子と離婚して一年が経ち、記事では“薄幸な人生”だったという見解には疑問符が付く。
 亦、先の「五代目山口組若頭 宅見勝射殺事件」の実行犯が所属する上部団体で、同組若頭補佐の中野会会長・中野太郎氏が破門される。

9月4日 (木) 快晴 

 書道教室(4班)に出席。(12時20分~13時20分 処遇部門2階 教誨室)
 本日は、入病等で欠席者が3名。K林さん(10工)・S水さん(13工)の顔が見えず、T原君(11工)・T田さん・W浩君・H山君(13工)といった、出席組は変わらず元気。指導中にT田さんより、「最近、福山さんの字が優しくなった」と云われ自身では全く気付かぬ故、そんなものかと思うが、未だ未だ己れの字には納得せず。
 終業後に「1分間のシャワー浴」を実施も、余りの水の冷たさに開始早々で上がる。
【3日前に「五代目山口組若頭 宅見勝射殺事件」で、同組より“破門”された中野会会長・中野太郎氏が“絶縁処分”となる。亦、新若頭に三代目山健組・桑田兼吉組長が内定する。『日刊スポーツ』社会面】

9月5日 (金) 曇天 

 昼の休憩時、菅野看守部長と「運動会」の件で話す。競技に出場する懲役だけで無く、看守の間でも自らが受持つ工場が優勝すると矜持を持っている様が、会話の中から緊々(ひしひし)と伝わってくる。『讀賣新聞』朝刊の編集手帳欄に、▽昨日は行革会議の中間報告が纏められ「より自由かつ公正な社会形成を目指して<この国のかたち>の再構築を図る」と、理念と目標をそう記している。<この国のかたち>とは勿論、作家の故司馬遼太郎氏の言葉の引用であるが、今この国の信価が問われている。

9月7日 (日) 

 午前中は臨池に勤しみ、午后の午睡時は,雑誌を閲読。午睡後は、テレビ放送「薬師寺・平成の大復興」(14時30分~15時30分)を視聴する。薬師寺は法相宗の大本山で、南都7大寺の一つ。
 680年天武天皇の発願より、持統・文武朝を通じて藤原京に造営された(本薬師寺)が、平城遷都後に現在地へ改めて建てられる。新たに講堂を解体し、創建時の大講堂を復興することで、平成の大復興が終了するという。因みに、大講堂の完成は平成14年(2002年)になるとの事。
 夕方は、相撲テレビが有り「大相撲秋場所  初日」(17時15分~18時)を視聴。
 夜は、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

9月8日 (月) 雨 のち 曇り   慶應から明治に、一世一元号制定まる(1868) 

 二十四節気の第十五「白露」。(陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也)
 刑務所機関紙「人」へ寄稿をする短歌原稿を提出。(教育課宛)

  外山にて蝉追いし若き日々おもい今独房で蝉時雨聴く
  満期ゆゑ早朝出所をする友のしわぶき二つうつつに聞きぬ
  七夕の祭りの賑わい知らずして宮城の獄に務むる六年
     等作品10首

 本日、昼の献立は“柳川風煮込み”であったが、汁飯缶(しるばっかん)に大量のラードが混入し、上澄み部分を食した者が腹痛を起こす。小生も作業中1回、夕餉後1回と下痢で厠に立つ。他工場でも数名の者が同様の症状を訴え、ふと昨年の一斉食中毒が脳裏を過ぎる。19時頃、夜勤看守に願い出て「整腸散」の投薬を受ける。

【「聖人南面而聴二天下一、嚮レ明而治」<易経―説卦伝>
「聖人南面して天下に聴く、明に嚮(むか)いて治む」とは昔、中国で天子は南に向いて臣下と対面したところから、天子となって天下を治めるという意である。明治という名も此処から来て居り、1868年の9月8日に明治天皇朝が成立したことは、正に天子が天下を治める思いが込められた元号であるということが分かる。】

9月11日 (木) 曇天 

 「あをば」誌に寄稿する短歌5首を提出。(教育課宛)
 19日に予定している「運動会」の応援合戦に、前に出て応援する団員に欠員が出て、応援団長を務めるOさん(栃木県氏家町住人)より「福山さん、応援団を手伝って下さい」と頼まれるも断るが、結局は誰も受けないので男気を出して引受ける。例年なら、“分区対抗リレー”1本に絞って調整をすれば済むのだが、今年は“一周競争”“応援合戦”の3種目を掛け持ち。
 流石に、体力的にも不安が在るのも事実。午后に“分区対抗リレー”第1走者のK和さんが「肝機能検査」の結果、入病となりドクターストップ。代わりに“年代別リレー”でアンカーを務める、運動委員の竹之内武男氏が“分区対抗リレー”の第3走者になり、リレー競技2種目を掛け持ち。 
 亦、第2走者の小生が第1走者へ繰り上がる。
 夕方は、相撲テレビ「大相撲秋場所 5日目」を視聴。
【第2次橋本改造内閣が発足し、注目の行革の長である総務庁長官には、ロッキード事件(1976年・昭51)に絡み受託収賄罪で有罪が確定(懲役2年・執行猶予3年)した“佐藤孝行(69)”が就任。政治評論家の浅川博忠氏は「旧経世会復活内閣」と新聞紙上で述べているが、自民党に於ける「派閥の力学」は未だ健在也。】

9月14日 (日) 雨 

 台風19号の影響で昨日に引き続き、終日雨模様となる。
 午前中は、宗教教誨「神道」に出席。(9時30分~10時30分 1舎3階 教誨室)

※坂本寿郎先生の講話より
 先頃、先生が出席した2つのシンポジウムの話をして頂く。特に「正しい歴史」という内容では、戦後の社会科教科書は日本の歴史を歪めた記述と、天皇及び勲功が在った人物を除いて、先の大戦で日本は亜細亜諸国に対して非道を働いたと、「自虐史観」を植え付けるものが実に多いという。併し、昨今では教科書検定問題をジャーナリズムが取り上げ、各方面で議論され始め、正しい歴史に焦点が向けられつつある。今、奇しくも「教科書が教えない歴史(一)~(四)」(藤岡信勝著 自由主義史観研究会・扶桑社)を読んでいて、先の大戦前後に於いて、亜細亜諸国の独立運動に係った日本人は数多に居る。逆に、中国人も多くの日本人を殺しているという事実が在るにも拘らず、畢竟それらは一際表に出る事無く、我々の先達だけが亜細亜諸国に対して悪逆無道を行なったと、一方的に攻めを受け続けている。戦後から続く「自虐史観」教育によって、其の子孫たる現国民は日本人で在る事に矜持を持てず、捏造された歴史を信じて戦前の日本を否定する。

 「自虐史観」とは「東京裁判史観」であり、連合国(勝者)が一方的に敗者を裁いた「東京裁判」に依って、二度と日本人が欧米人に逆らわぬ様に仕組んだ茶番劇であり、其の事実に目を背けていては日本の未来はない。21世紀を迎えようとする今日、民族の精神と矜持を失った儘では、更なる凋落の一途を辿るのみである。此の獄中記にも何度か書いているが、21世紀は新たなる民族主義が台頭して、広い範囲で国家同士が手を取り合う時代へと突入する。戦後の日本弱体政策の一環として、日本人に「自虐史観」を植え付けた事は、当時の文書やマッカーサー語録でも明らかになっている。其れを日本人自らが「自虐史観」を引き摺っていては、亜細亜のリーダーどころか全世界から孤立してしまう。
 教誨で、約半年振りに小野寺の兄弟と会う。兄弟曰く、今5工場で工場掃夫をしていて、近々雑居へ転房するとの事だった。何処に居ても元気で事故さえ起こさぬ様、頑張って欲しい。兄弟のガテ(密書の手紙)に「雑居に戻らないの」と認めて在ったが、次回のガテで「兄弟、俺はもう少し夜間独居で頑張る」と返信するよ。
 午后は、読書・テレビ(14時30分~15時30分)を視聴し、臨池に勤しむ。夕方は、相撲テレビ「大相撲秋場所 9日目」を視聴。夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴して就寝。

9月16日 (火) 曇り のち 雨 

 本日の運動時間(10時25分~11時)は、一切の競技練習を取り止め応援合戦の練習に充てる。可成り皆の士気も高まり、応援の方も纏まって来た。小生は団長のOさんの下で、皆を上手く乗せるのが役目と心得、只管馬鹿になるのみ。夕方は、相撲テレビ「大相撲秋場所10日目」を視聴。夜は、ペン習字(ディスクペン)に勤しみ、『文集 みちのく』(発行:仙台矯正管区)に寄稿する、読書感想文「翔ぶが如く―司馬遼太郎―」の草稿を起こす。

9月21日 (日) 曇り 一時 雨 

 午前中は臨池に勤しむも、今一つ気が乗らず筆運びが悪い。此処の所、書の壁に突き当っている感在り。入所して1年経った頃、当時13工場で一緒であった赤石茂(住吉会親和会光京一家邑楽町貸元)のおじさんに云われて、精神修養の一環として書を始めて4年半。非才の身にて、一寸した事で直ぐ壁に突き当たってしまう。
 王守仁(陽明)の語録に、破二山中賊一易、破二心中賊一難
 「山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るは難し」と在り。其の意とする処は、山賊を討つのはたやすいが、心の中の悪を討つのは難しい。つまり精神修養の難しさを云っているのであり、人生に於いて、此処一番に集中出来る者こそ大業を成し得るとも。王陽明が云う「心中の賊」とは、邪(よこしま)なる心だけでは無く、楽をしたい、どうせ何を行っても駄目だろという、諦めの心等も其の範疇に入る。「心中の賊」を破る為には、倦まず弛まず日々修養に励むことしかない。
 午后の午睡時は、歌誌「群山 第53巻7号」を心読。夕方は、相撲テレビ「大相撲秋場所千秋楽」を視聴。夜のテレビでは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴する。

【「平成9年大相撲秋場所」は、優勝決定戦(貴乃花―武蔵丸)となり、横綱の貴乃花が大関の武蔵丸を破り18回目の賜盃。矢張り、此処一番の集中力と雑念の無さは見事也。是も日々精進の賜物にて、正に「不惜身命」で稽古に励んだ結果であり、小生より年下だが精神力の強さと絶対に勝つという執念を、緊々(ひしひし)と感じた。】

9月22日 (月) 曇り 一時 雨 

 午前に、第二次橋本内閣の行革の要である総務庁長官・佐藤孝行(69)氏が、橋本龍太郎首相(60)に辞表を提出。就任僅か12日目にして大臣の椅子を去る。
 今回の騒動に於ける責任の所在は、本人も当然乍ら大臣任命者である橋本首相に在り。ロッキード事件で有罪判決を受けている佐藤氏を、如何なる理由(中曽根康弘のゴリ押しだが)が在ろうと、起用した橋本首相は国民を愚弄するに等しい行為。
 畢竟、自民党も形の上では派閥解消を公言しているが、未だ派閥力学に拠る順送り人事での大臣枠分配。而して、政権与党として永田町の中枢を握り、霞が関の高級官僚と手組んで国を動かしている。律令制度の導入以来、何時の世に於いても魑魅魍魎が跳梁跋扈するは常なるも、此の国難にあたり「草莽崛起」を望む。北朝鮮では朝鮮労働党平安南道代表会に於いて、金正日書記を党総書記に推す決定書を満場一致で採択。今後も各地方機関で同様の推薦決議が行われて、10月10日の党創建記念日前後に総書記に就任。世界の潮流に逆らい新たな独裁者の誕生は、朝鮮半島情勢に暗雲が立ち込め、我が国にも何かしらの影響があるものと、犇々(ひしひし)と感じられる。

9月29日 (月) 晴れ 

 久々の好天に恵まれ、気分も陰から陽へと変わる。
 2番入浴(15時30分~)。還房後は『「韓非子」の知恵』(狩野直禎著・講談社現代新書)を夕点検迄、心読する。夜は、『文集 みちのく』(発行:仙台矯正管区)に寄稿する、読書感想文「翔ぶが如く―司馬遼太郎―」の原稿を起こす。
【権謀術数渦まく戦国の世。人心を掌握し統治の実行をあげる秘策とは、冷徹な人間観察と現実主義に立って、厳格な「法」の適用と信賞必罰の「術」を用いることであり、韓非は実体が名目と一致するように責めたてること。「刑名一致」を喧しい程、其の著書に記して居る。】

9月30日 (火) 快晴 

 本日付けにて、「夏期処遇」が終了(舎房網戸・団扇の引き上げ、拭身・運動時のシャワー・免業日の午睡が中止となる)。運動時間(11時~11時35分)は、「運動会」のリレーに向けて調整。夕餉後は、『文集 みちのく』に寄稿する、読書感想文「翔ぶが如く―司馬遼太郎―」を脱稿。

【昨日に引き続き『韓非子』の続編―。人が利を追求すれば、そこに混乱と無秩序の生ずることは疑いないのであるが、韓非は君主に向って人を信じてはいけないと説き、そうすることによって、その地位は守られるのだと謂う。「人主ノ患ハ人ヲ信ズルニアリ。人ヲ信ズレバ則チ人ニ制セラレル」(備内篇)。権力者とは、自ら心の内を曝け出す事は無く、常に孤独であれと韓非は謂う。】

(プリントアウトはこちらから)