獄中記 第二十九回 | 行政調査新聞

獄中記 第二十九回

福 山 辰 夫

獄  中  記

<福 山 辰 夫>

第 二十九 回

皇紀2657年 【平成9年・西暦1997年】

10月1日 (水) 快晴 法の日 

 処遇の一部変更。網戸・団扇の引き上げの為、舎房扉前に出す。亦、夜間独居の食器洗い用液体洗剤・固型石鹸・スポンジクリーナの一斉交換が有り。交換物は食器孔の上に置いて出役する。
 本日付けで、法務大臣の-達示第86号-により「被収容者の領置物品の管理に関する規則」(領置物品の総量規制)が施行される。
 平成12年10月1日迄に、順次領置物品の保管数量を規制して行き、宮城刑務所の場合は指定領置箱25個(容量97.877㎤)以内に制限される。(尚、現在使用中の私物衣類他物品を含む)
 当所は無期囚が多く、中には全く身寄りのない高齢者も居る。決まった事は致し方無いが、一定総量を超過した場合は、差入れも購入もさせないというのは些か腑に落ちない。小生の場合で言えば、不必要な物品(本・書作品等)は実家へ宅下げする事で調整出来るので問題はない。
 “3年無事故”(*入病した月は除く)となり、「3年無事故章」を工場担当の菅野看守部長より交付される。(赤線4本になる)

◇『韓非子』の続続編― 韓非は「法」と「術」(テクニック、或いはその手段)を用いよと謂う。併し、法もただ単に煩瑣で苛酷な刑罰にすれば良いということではなく、「術」を用いなければ意味が無い…と。

10月2日 (木) 快晴  学制徴兵猶予停止、学徒出陣へ(1943) 

 朝から気分が悪い一日だった。当所の就業規則に、始業開始(7時50分)から8時30分迄の間は「作業指導及び材料の運搬等に拠る移動の禁止」というのは、以前から承知していたが、始業早々ミシンの調子が悪いのでドライバーの貸出しを願い出た処、菅野のオヤジなら修理工具を出して呉れるが、本日不在で代務に成田看守が就く。その成田看守も一番休憩で上がっていて、交代の若い看守に願い出た処「待っていろ」と一括され、かっとなり「ミシンが故障して作業が出来ないにも拘らず、工具の貸出しも駄目ないのか」と食って掛かる。
 交代看守曰く、「俺が休憩から戻る迄、工具を一切貸すなと成田看守に言われている」の一点張りで聴く耳すら持たぬ。規則というが作業に支障をきたしている状況に、応じる裁量が在っても好いだろう。何故、権力とはこうも杓子定規で物事を図るのか。机上で理屈ばかりを学んだ“国家公務員(上級職)”が規則(*何の根拠もない)を作り、懲役に強いて行使し、悦に入っているなんぞは憤慨の極。綺麗ごとだけでは、社会は上手く回らないという見本が此処に在ると言いたい。
 夜は、『東北管内文芸コンクール』(仙台矯正管区)に寄稿する、読書感想文「翔ぶが如く―司馬遼太郎」の原稿を起こす。

10月3日 (金) 快晴 

 本日も菅野看守部長が不在の為、成田看守が代務に付く。終業後、還房をする際に歩廊に整列をすると、入浴場の方から9工場(溶接工)が行進してくるのでチラ見をすると、13工場(写植工)で2年程一緒だった源河武(沖縄旭琉会功揚一家内)氏の姿を認める。
 ただ胸の名札が「黄色」(3級)だったので、何かしらの懲罰を受けて9工場(溶接工)に配役となったのであろう。源河氏の残刑期は3年程故、満期迄9工場で頑張って欲しい。
 夜は、「東北管内文芸コンクール」(仙台矯正管区)に寄稿する、読書感想文部門「翔が如く―司馬遼太郎」の原稿を脱稿する。

10月4日 (土) 晴れ をりをり 曇り 

「彼岸法要」に出席。(9時30分~10時30分 講堂)
 今回の法要は、真宗大谷派の僧侶で当所の教誨師でもある三浦先生ら3人に依る「仏説阿弥陀経」を読経する間、出席者全員で焼香。法要後は30分間の法話を謹聴致す。
 ※講話内容は―大阪市天王寺に「四天王寺」という聖徳太子が建立した寺が在り、丁度彼岸の日には寺の四方に在る東門の真中より日が昇り、反対側に在る西門の真中にて日輪が沈むという。

 其の話を聴いて思うのは、我々も朝の日の出を見れば「ヨシ!今日も一日頑張ろう」と誓いを立て、夕方に日が沈む様を見ては「今日一日はどうだったか」と反省をする。
 話は変るが先日、当所の“川柳会”の講師で在られた仁田耕一先生が亡くなられ、其の葬儀(仁田先生はキリスト教の信徒にて教会で行われた)の前日に伺った折、教会の牧師さんが次の様なことを言っておられた。「土で出来た陶器でも一流の人の手に掛れば高価な物として売れ、我々素人が作った物では見映えが悪く売り物にならない。
 併し、形ある物は何時か毀れ、毀れた陶器は使い物にならない。所詮、陶器と言っても土で出来た物であり、毀れてしまえば仕舞だ。其れ故、私達人間も死んで仕舞えば終りなのである」。
 だから此処で稲を例に出せば、秋になって収穫の時期を迎えると実る。諺にもある様に「実る程、頭を垂れる稲穂かな」という位、実の在る人は頭が低く、逆に実の無い者程威張っている。
 亦、稲は次世代に対しても実りを残して末枯れて行く事を思えば、私達人間も一日一日枯れていって軈(やが)て命を終える時に「何を残すか―」という事を、各々が考え乍ら生きて行かねばならぬ。午后は、テレビ視聴(13時~15時30分)も、途中で理髪(ガリ)が有り、出房する。
 夕餉後は、「東北管内文芸コンクール」(仙台矯正管区)の短歌部門に寄稿する作品10首を、提出専用原稿に認める。

  正月菜何を食むかと腕組みて悩む姿も獄中ゆえに
  集会の缶コーヒーの温もりで欠けし小指の霜焼け癒す
  紅ないに咲く一片の牡丹すら観察ならぬ身を怨みつつ
  グランドの一隅咲きぬヒルガオを摘み取る友を咎むる夏日
  夏の夜に打ち上げ花火上らねど吾(あ)がは獄ゆえ音だけ聞きぬ
  幾かえり囚獄(ひとや)に過す冬なれどいまだ慣れぬは肺病みしゆえか
  夜半(よわ)に降る雪が積もる起床前暗きわが独房(へや)照らす朝日が
   他3首―。

10月5日 (日) 曇天 

 午前中は臨池に勤しみ、午后は「人」紙及び「あをば」誌に寄稿をする短歌作品を原稿に認める。

  吾が独房(へや)の燈に寄せられて窓越しに蜻蛉の羽音宵にひびきぬ
  夕点検終へり階下で配食す友おもいつつ食器を出しぬ
  順送り国民愚弄す大臣の椅子は月給百八十五万
  「一回的」と師のことばからふと想ふ三島が言ひし「美は一度なり」を
   他数首―。

 夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴する。

10月6日 (月) 快晴 

 運動(11時~11時35分)は、明後日に予定されている「運動会」の行進・応援合戦の練習を行い、酒Kさん・K和さん・S木陸太郎さん・T正治と走り込む。愈々、運動会が間近に迫り、皆気分も昂揚してきた。当日は全力を尽して、結果は天命に任せるのみ。今日は、午前中に“懲罰明け”で1名下りて来る。それが、なんと!関正一(狭山市住人)さんで、平成4年4月に当所の「分類センター」(考査期間)で同房になり、共に新入訓練を受け関さんは2工場(木工)、小生が13工場(植字文選工・ワープロ)に配役される。
 両工場の一級者を通じて何度か伝言を頂いた。今も2工場で大人しく生活をしているのかと思っていたが、此処1年間で5回も喧嘩をして懲罰を受ける。そして毎回、罰明けの度に他工場へ配役なり数ヵ工場を回った挙句、12工場に下されたという。関さんは、来月22日で満期出所(今回は、銃刀法違反で実刑6年)となり、泌々と時の流れを感じる。併し、再会して第一声が「福山さんも大分老けたねぇ~」だった。抑々「分類センター」で一緒だった当時は27歳と若く、この12月10日で33歳になる。でも、精神力・体力共に衰えを感じざるを得ない。関さんも出所迄48日とあと僅かである。もう懲罰に行かず12工場から満期房上がりを見送ってあげたい。

10月7日 (火) 曇り のち一時 雨 

 明日は、『運動会』が開催される予定。今年は2度も「雨天順延」となり、折角高まった気分も萎え気味。孫子曰く「これを死地に陥れて、然る後に生く」といっておられるが、明日は競技の全てに「背水の陣」で臨み、己が身を窮地に追い込むことで「火事場の馬鹿力を発揮させる」状況を如何に作りだすかで、競技に出場する選手のモチベーションを奮い立たせ、出場しない者は競技する選手と一心になり応援の声を上げる。「兵は死地に於いて初めて生きる(「之れを往く所無きに投ずれば。諸・劌(ケイ)の雄なり(兵士たちを何処にも行き場のない窮地に置けば、おのずと専諸や曹沫(曹劌)のように勇戦力闘する)」―『孫子』(九地篇)。
 勝つためには、選手と応援する側が心を一にして、応援側も選手と共に競技を行う感覚になり、勝てば大いに歓喜をし、負けたら大きく悲観するといった事で同一性を図り、全員が同じ方向(優勝)を向くようにせねば勝利はない。明日を想い程よい緊張感の中、今夜は床に就く。

10月8日 (水) 晴れ 一時 小雨  寒露 

 朝から秋晴れの陽気になり、3度目の正直で『運動会』が開催さる。
〇7時50分から8時50分迄、作業(1時間)。終業の号令で、丸首半袖シャツとトレパン(白)に着替 える。警備隊からの無線連絡が入る迄、工場の食堂内に座って待機。
〇9時20分、工場出入口扉の下駄箱に行き、各自が運動靴に履き替え、警備隊の指示で各分区毎に決まっている整列待機場所へ移動。
〇9時40分、教育課の看守が爆竹を点火。それを合図に行進曲が流れ「選手入場門」を1分区より順次行進開始(12工は6分区の為、後半に入場)。グラウンドに整列・国旗掲揚(1級者4名による)。
「開会式」昨年度優勝分区の優勝旗及びトロフィーの返還・同準優勝分区の盾返還・所長の挨拶・来賓の挨拶・選手代表の宣誓(1級者)・体操隊形に開き、全員でラジオ体操第一行う・集合整列。運動会担当者の指示により、各分区指定見学席(ブルーシート)へ移動。
〇10時過ぎ、第一種目の「1周競争」を皮切りに、「宅配便レース」等の各種競技を実施。「分区対抗リレー」(予選)、「年代別リレー」と続き、各分区毎の「応援合戦」を開始する。尚、「応援合戦」にも点数が付き「閉会式」で表彰。応援演目はその年に流行った、ギャグ・音楽・流行語等を取入れ、色々と工夫がなされ凝ったものが多い。審査委員長は内海所長、各審査員は当所の篤志面接委員・仙台更生婦人会の各先生達。各応援演目に点数(1点~5点?)を記載した紙を箱へ入れ、合計点の一番高い分区が「応援部門:優秀賞」に選ばれ表彰される。最後は花形競技の「分区対抗リレー」(決勝)が、予選を通過した4チーム(4分区)が出走。今年のNO.1チームが決まる。
〇12時15分、「閉会式」集合整列。総合優勝・準優勝・応援合戦等の各表彰。所長の総評・来賓の総評。国旗降納(1級者4名)・整列。警備隊の指示で各分区指定見学席(ブルーシート)に戻る。
〇12時30分、見学席(ブルーシート)に全員で車座になって昼餉(焼肉弁当)を喫食。
〇13時~、順次還工。工場に戻りトレパン等を返納し、更衣室に入り衣体検査(*カンカン踊り=パンツ着用)後、舎房着に着替える。
工場食堂に待機して、無線連絡が入り入浴場へ移動し、「洗身浴」(入浴場:5分間)を行う。
〇16時~、舎房備付テレビで“作業安全ビデオ”「明るい職場」(20分間)を視聴。事前に配布されたレポート用紙に感想を認める。
〇16時40分、夕餉時に、『運動会』の特別菜として“袋菓子”(1袋)の給与有り。
〇17時30分、仮就寝。両太股や脹脛が筋肉痛の為、早目に床に臥す。
〇21時、本就寝。

 競技は、第1種目が“一周競争”(約100米)にT正治と出走。T.正治は第1組(5人中5位)で、小生は第3組でS之江君(営繕工)らと走り1位でゴール。第2種目は“宅配便レース”で、酒Kさんと小野寺の兄弟(5工・2人共「北見抗争事件」殺人罪で服役中)が同じ組で出走し、酒Kさんは3位に入る。数種目を経て「分区別対抗リレー」(予選)の第1組で、5分区のアンカーとして小野寺の兄弟が出走。兄弟も膝の具合が悪いと言っていたが、全力で走る姿を見て小生も燃える。
 第2組は強豪ばかりの中、K和・福山・酒K・O槻(8工)の順で出走。特に、酒Kさんが大活躍。2位でバトンを渡すが、惜しくも最後に抜かされて3位。残念だが決勝には行けず。リレー待機時に、酒KさんよりO田さん(2工・岸本一家内星川組)を紹介される。

 今年も6分区(8・12工連合)のリレーは早々に終わってしまう。総合優勝は8分区(10・13工連合)で47点。準優勝が2分区(2工)で41点。3位が7分区(9・11連合)で38点。6分区は31点で4位。昨年は24点で6位なので、総合点・順位共に其々躍進した。
 “応援合戦”は、今年も2分区が優秀賞。只、表彰授与を行った管理部長の総評で「何処かの応援で、人も羨むよりか工場という応援があった―」と、12工場の応援を取り上げて頂いたのは、さぞや記憶に残る応援だったからであろう。そして、予測外の出来事が“入場行進部門”で12工場が優秀賞を受賞したこと。当事者一同ですら「何でうちが行進でぇ~」と不思議がっているのに、菅野のオヤジだけは満足そう。
 普段、滅多に笑わぬオヤジが「笑てるぞ」と、皆が異口同音に私語(ささやく)。今迄、参加した『運動会』の中でも最高の気分で終えた年はなかったが、「あ~、疲れた」。明日から、また忙しない現実(指導工・ミシン縫製工)に戻る。今夜は、ゆっくり身体を休めるとする。

10月9日 (木) 快晴 

 昨日の『運動会』で張り切り過ぎて、腰が痛い。朝一番の運動(8時40分~9時15分)は、藤棚の下で関さんと語らう。午后から、K屋(五代目山口組光生会・山道抗争で服役)さんが入病。
 此処3日位下痢が治まらないと言っていたが、大丈夫だろうか。昼の休憩時に、「福山さん、午后から入病してきます」と声を掛けて下さり、「K屋さん、早く帰ってきて下さい」と、気が利かない言葉しか言えず。
 13時から「漢字能力検定」(文部省認定)が実施され、桜きなこ氏と竹之内武男氏(共に12工)が受験(桜きなこ氏が2級、竹之内武男氏が3級)。小野寺の兄弟(5工)も2級を受験して、桜きなこ氏が言うには、共に合格ラインは超えているのとの事で、一足早い合格祝いの言葉を贈らせて頂く。尚、次回の「漢字能力検定」実施は来年(平成10年)6月で、次回の検定で、小生も2級を受験しようと決意。其の旨、桜きなこ氏に話すと、「福山さんなら全然合格する」と御世辞を言ってくれたが、油断は禁物也。夕方、父上より書信が届く。誠に有難い。

◇北朝鮮の金正日が、朝鮮労働党総書記に就任する。中共では、党と江沢民の個人名義による祝電を送ったらしい。併し「ブタもおだてりゃ木に登る」であるが、我が国では国交正常化交渉を行う上で、政府は決して妥協的な態度を見せてはならぬ。而して、日本人妻の一時帰国だけで無く、日本人拉致被害者の全貌解明に全力を尽くし、国益に適う形でなければ国交を結ぶ可きではない。

10月10日 (金) 晴れ  体育の日 

 旧暦の9月9日「重陽の節句」(菊の節句とも)。旧習では観菊を行う宴が催されたりしたらしいが、今の御時世に斯様な風流を好む者は少なくなり、俗っぽい遊びに皆が現を抜かしている。
 日中は、姉上宛の信書を下書きして、臨池に勤しむ。夜のテレビは「金曜テレビの星」を視聴する。昼餉時に、「体育の日」の祝日菜として“ドーナツ”(2個)の給与有り。

10月11日 (土) 曇り をりをり 晴れ 

 午前中は、本年6月に「漢字能力検定2級」に出題された答案用紙を桜きなこ氏より頂き、試しに解いてみる。問題は、短文中の読み・部首・熟語の構成・送り仮名・対義語と類義語・3~4字熟語・同音と同訓異字の書取り・誤字訂正・短文中の書取り。常用漢字1945字(他に人名漢字)が対象範囲で、200点満点中、160点以上が検定合格ライン。全く勉強をせずに、いきなり問題を解き149点は不合格ライン。来年2月の能力検定迄に、今から少しずつ勉強しないと合格は覚束無い。桜きなこ氏に検定要領を教示して貰い一発合格を目指す。
 午后は、臨池・自主勉学(民族思想)に勤しむ。夜のテレビは、2時間スペシャル「赤ひげ」(山本周五郎:原作)を視聴する。小石川療養所を舞台にした時代劇で、赤ひげ役に藤田まこと。他出演者は、高嶋政宏・長山藍子。勧善懲悪的なワンパターン場面(シーン)多い時代劇の中で、此の番組は中々良かった。

10月12日 (日) 晴れ 

 先代月命日(15日)直近の免業日にて、朝から“般若心経”の写経を行う。
 午后は、テレビ視聴(13時~15時)。夕方は、ノート(民族思想)整理。夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」(20時~20時45分)を視聴。
 此の三連休は購入本が届かなかった為、臨池に勤しみ、漢字検定2級問題集を解いたりと、余暇を無駄にせず有意義に過せた。儒教の経書で四書の一つ『大学』に、「小人閑居して不善を為す」とある。 
 小人は暇で居ると碌でもない事を仕出かすので、常に忙中に身を置かねばならぬというもの。安岡正篤翁の座右の銘・六中観に「忙中有閑」(忙中にこそ閑が有り)とある。その意は、忙しい中に在ってこそ、閑(ひま・しずか)は在るもので、人は「忙しい、忙しい」と、ただ忙しなく立ち回っている中(うち)は、そこに在る本当の「閑」を識(しる)ことは出来ぬ。

10月13日 (月) 晴れ をりをり 曇り 

 連休明けに出役すると、12工場の総員34名中3分の1が風邪を引いており、感染(うつ)されそうな雰囲気。抑々(そもそも)、日頃から雑居房の連中は見栄(?)を張って薄着の上、夜も毛布を掛けずに就寝する者が殆どで、寒暖差がある此の時期は風邪を引くのも当り前。小生は一審の裁判中に「結核性胸膜炎」を患ったので、風邪も注意しないと高熱を出して即入病という事になりかねない。詰らぬ見栄を張り体調を崩したら元も子もない。
 還房後は、姉上宛の信書を清書。夜は、歌誌「郡山  8月号」(東北アララギ会:発行)を心読する。

10月14日 (火) 晴れ のち 曇り 

 昨夕、雑居房で日課(工場の計算工)のW辺さんが処遇部門に呼び出しを受けた儘、戻らずに「入独・取調べ」となる。入独の原因は不明だが、先日の『運動会』の朝にW辺さんと同房の若い奴が“作業拒否”で入独した件に関連しての事であろうか? ―何事も無く済めばと祈るのみ。
 9月分の賞与金教示が有り、1等工5割増+2割=9,253円也。
 運動(14時10分~14時45分)は、関正一(狭山市住人)さんとM(住吉会幸平一家加藤組)君と語らう。M君も今回事件を起こす前、一度だけ「川越平塚」の本部事務所に用事で行ったとの事。
 幸平一家と川越平塚は親戚になっていて、小生に随分気を遣って呉れる。M君は東京・八王子市の出身で、英寅の組長に従って仙台市へ出張って来ているという。もの静かでしっかりした男。
 夜は、姉上宛の信書を認める。

10月15日 (水) 晴れ  警察予備隊を改組し保安隊発足(1952) 

 昨夕、刑務所機関紙「人 10月号」が配付され、小生が寄稿した短歌作品が“宮地伸一選”で《特選》に入る。入選作は、   

  尿(ゆまり)のあと切れの悪さを感じつつ一人呟く歳をとりしと

 宮地先生の(評)「男性の切実なる感慨であろうか。きわめて特殊な表現で、おのずから微笑も誘われる」と添えられており、初の《特選》入選を感慨深く味わう。自称“仁俠歌人”と呼称している小生の出所後の夢は、「獄中作歌集」を出版すること。其の思いを実現する為には、今後も作歌に励む所存也。夜の夜間個室優良室テレビは、「目撃!ドキュン」「X‐ファイルⅢ」を視聴。

10月16日 (木) 晴れ 

 昼餉後、書道教室(2班)に出席。(12時20分~13時20分:処遇部門2階教室)
 今月より「平成9年度・後期学習」になり、新しい班編成が行われ来年3月迄、5工・7工・12工の面子で実施。今回13工(ワープロ作業)で一緒だった、赤石茂のおじさん(7工)と4年振りに同じ班となり、挨拶をして少し話す。此れ迄も行事等で、一言二言は話す機会はあったが、直に話をするのは久し振りだ。
 赤石のおじさんは「住吉会系の親分」(住吉会親和会光京一家・大泉貸元)でも、自ら先頭に立って務めている其の姿に、我々は勇気付けられている。小生が宮城刑務所の13工に下りて直ぐの頃、おじさんから「今の生活(13工)が嫌だからと、懲罰に逃げて他所の工場へ行けば楽になると思うだろうが、その行った先でもお前と気が合う者も居れば、逆に気が合わない者も必ず居る。
 懲役は何処に行こうと同じ。だから辛抱して務めろ」と言われた。以来、其の言葉を心に刻み務めている。今、3年半無事故でいられるのも、おじさんがくれた助言の御蔭である。

10月17日 (金) 快晴  神嘗祭  川端康成ノーベル文学賞受賞(1968)  

 先頃、「人 10月号」“短歌・宮地伸一選”にて《特選》入選した事で、更生統括より賞品(大学ノート2冊)を授与され、更生統括に「今後も好い歌を沢山作って下さい―」と言葉を頂く。
 夕方は「舎房用襟無しシャツ」の一斉交換を実施する筈が、代務担当の山浦看守が工場に忘れ、夜間独居全員の交換は明日に延期される。私本配付日に付き、領置金購入本「毛利元就(1)」「毛利元就(2)」(山岡荘八著・講談社)の計2冊が手元に届く。

10月18日 (土) 曇り をりをり 晴れ 

 午前中は、慰問演芸「松山恵子ショー」が開演される。(10時~11時30分:講堂)
 此の慰問は、赤石のおじさんに入った興行で、出演者は浅野英子(演歌)、小藤流(演歌舞踊)。
 而して、“お恵ちゃん”こと松山恵子。司会は、藤則江さんで今回も楽しい一時を過させて頂く。
 終演後、内海所長より感謝状の贈呈。前回の慰問や運動会の時と同様、気さくな人柄が懲役の心を掴んだ。小生も宮城に来て5年半が過ぎ6人の所長を見たが、内海所長は一番好感が持てる。毎回感謝状贈呈は自らの手で授与し、所長が舞台に登壇・降壇の際には懲役より拍手喝采を浴び、その喝采に所長も右手を振って応える。
 部下からしたら、所長人気が所内の秩序を乱す事にもなり兼ねず、立会看守は皆、苦虫を嚙み潰したような顔で見ている。懲役からすれば「粋な所長」だが、内海所長が移動して後任が着任した時、今の緩んだ行状に必ずや反動となって懲役に帰って来る筈だ。
 午后は、臨池に勤しみ、今月提出する作品(細字・かな半紙)を揮毫。夕方は、「毛利元就(1)」(山岡荘八著)を心読。夜のテレビは、「日本シリーズ 西武対ヤクルト」(第一戦・西武)。中継の為、視聴せず。尚、昨夕、姉上宛て信書の内容に一部不適切な表現があると、書信係より“訂正指導”を受けた為、初めから書き直す

◇「毛利元就(1)」28頁に、福原広俊が松寿丸(元就)に4カ条の約束をさせるのだが、其の中で「第4は相合(あいおう)の土居にあるうちは、決して敵をつくらぬため、いっさいお怒りこれなきこと」、「ご堪忍の稽古はあまり世間でせぬものじゃが、これも大切な兵法の一つでござれば」と福原に諭され、「兵法の一つ…といえば堪忍ではのうて、それは相手をあざむくものじゃ。あざむくこともせねばならぬか」と松寿丸が言う場面を読み、泌々と今囚獄で日々修行をする身にとっては目から鱗が落ちる思い。正に、堪忍も立派な兵法也。

10月19日 (日) 快晴 

 午前中は、「2級者集会」に出席する。(9時30分~11時30分:講堂)
 VTRは、「ポルターガイスト96’―悪魔の遺産―」(洋画)を鑑賞。折角の集会だったが、下らぬ映画に興醒め。飲食物は、イチゴジュース、カール(小)、ココアとチョコのケーキ(合計350円)を喫食。午后から入浴(10分間)。入浴後は、臨池に勤しみ今月提出分の作品(半紙規定及び随意等)を揮毫。夕方は、「毛利元就(1)」(山岡荘八著)を心読。夜のテレビは、NHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。

10月20日 (月) 快晴  皇后陛下御誕生日(地久節)・群青忌 

 皇后陛下が63歳の御誕生日を迎えられる。
 昨日の入浴時に、無期囚(別件+懲役12年)の桜きなこ氏より「戦友別盃の歌」(作詞:大木惇夫)を贈られる。本日は、『群青忌』(野村秋介烈士自決の日)に当たり、同歌詞を読み感慨に浸る。桜きなこ氏は、京都大学に入学?した博識な人である。俗に「馬鹿と天才は紙一重」というが、大罪を2刑犯し宮城刑務所に服役中(約8年=当時)。小生の様な無学でヤクザの若造に対しても、囚友(とも)として対等に接してくれる。氏自身は反右翼であるが、そうかといって革命思考の左翼も認めていない。以前、氏に尊敬する歴史上の人物を問うたところ、同郷人(現・山形県鶴岡市)の「石原莞爾」(陸軍中将、軍事思想家)を挙げた。13工場(写植文選工・ワープロ作業)以来、お互い紆余曲折を経て、12工場(ミシン工)で再会した訳だが、氏を間近で見て来た印象からは、その名は意外であった。氏のガテ(几帳面に細かい字で整然と認めてある)には、以前に読んだ本の物語に「戦友別盃の歌」が出てくる場面があり、その歌詞に甚(いた)く感銘を受けて、何時の日か別れが来る時(工場が変わったり、小生が出所する際)に、是非贈りたいと考えていたらしい。

戦友別盃の歌      作詞:大木惇夫
 ――S16 南支那海の船上にて――

 言うなかれ 君よ 別れを 世の常を また生き死にを
 海ばらのはるけき果てに 今や はた何をか言わん  
 熱き血を捧ぐるものの 大いな胸を叩けよ
 満月を盃にくだきて 暫し ただ酔いて勢へよ
 わが征くはバダビヤの街 君はよくバンドンを突け
 この夕べ相離るとも かがやかし南十字を
 いつの夜か また共に見ん
 言うなかれ 君よ わかれを 見よ 空と水うつところ
 黙々と雲は行き雲はゆけるを

 10月21日 (火) 快晴  神宮外苑で出陣学徒壮行会(1943) 

 本日、仙台では日中の最高気温が28.3度と8月中旬並みの陽気になる。此処数日は、気温の高低差が激しかった所為か、工場内(主に雑居房)では風邪が流行。下火になってきた今頃になって、小生は午后から鼻水が止まらず、躰の節々も痛い。結局、最後に感染(うつ)された。担当台へ行き症状を願い出て、「投薬願」(医療課長宛)の願箋を提出し、終業直前に菅野のオヤジより風邪薬の投与を受ける。昨夕、領置金購入の日用品が各舎房に入るが、購入した歯刷子が入らず。朝の願い事で菅野のオヤジに話すと、会計課で調べさせるので待ってくれとの事で一旦は引く。
 暫くして会計課より返事が有り、購入係の手違いというオチ。只、既に電子処理をしてしまった都合上、今回は「特別購入願」(会計課長宛)願箋で歯刷子を購入する事で結着。思えば、17日(金)晩に隣室のT口さん(14工)が「歯刷子が来ない」と、夜間看守に大声で嚙み付いていた。
 たかが懲役の物品とはいえ、購入係の方もキッチリ処理をして頂きたいものだ。

10月22日 (水) 快晴 

 昨晩はびっしょりと汗を掻き、幾らか風邪症状が良くなる。本日は1番入浴(15時30分~)で、還房後は「毛利元就(1)」を心読。19時~20時55分迄、夜間個室優良室テレビ「日本シリーズ・ヤクルト対西武」(第4戦・神宮)が有るが、視聴せず。ノート(民族思想)整理と『日刊スポーツ』を閲覧して過ごす。

10月23日 (木) 曇り のち 晴れ  霜降 

 工場定期発信日に付き、姉上宛に便りを発信する。工場用の作業帽子と舎房備え付け冊子専用ファイルの一斉交換が実施される。本日の新聞各紙は、「安室奈美恵(20)が結婚」の報道一色。
 小生が購読している『日刊スポーツ』の記事では、人気グループTRFのメンバーであるSAM(35)=本名・丸山正温と結婚し、既に妊娠3カ月になっており、1年間休業すると公表。
 安室は若い女性の間で“アムラー現象”を巻き起こし、ファッションだけでは無く、生き方其の物が影響を与えているだけに、又候「出来ちゃった婚」といったワードの社会現象が起こるかと思うと、複雑な気持ちになる。確かに、安室の「自分に正直な生き方」というのは、同年代の女性から見るとカッコ良く映るのであろう。
 然れども、未だ20歳の女の子1人に日本中が熱狂し、その一挙手一投足に注目、左右され振り回される現象は、何処かの新興宗教かと見紛う程、カリスマ性を演出していて何がカッコ良いのか分からない。本来、個性を求める筈の若者が、同一性を求めて集団(迎合)化する傾向にある。今日の日本を見て靖國の杜に眠る忠靈達は、こういった世相を如何様に思っているのであろうか?
 「圖南書道 11月号」が届き、先に行われた「平成9年度第2期かな等昇位試験」の合格者を紙上で発表。

・かな部      初段から二弾へ
・細字部(漢字)  二段から三段へ
・ 〃 (かな)  三段から四段へ
・硬筆部(漢字)  四段から五段へ
・ 〃 (かな)  三段から四段へ  夫々昇段する。

10月24日 (金) 快晴 

 教育課に、圖南書道会宛に送付する月例競書作品等を提出。
 午后から関正一さんが腰痛で入病。来月22日が出所日なので、もう工場には戻らず病舎から満期房へ上がり、出所日を待つ事になりそうだ。既に、川越への連絡(ハト=伝書鳩からの隠語)は依頼済み。これ以上他囚と揉めて最後に懲罰を喰らって満期房上がりなら、病舎でゆっくりして満期房に上がる方が絶対に良い。関さんもいい齢だし、二度と塀の内には戻らない事を祈る。
 15時頃、面会の呼び出しが有り、両親と面会。先日、友人のSに3人目(次女)が生まれたと聞いて驚く。亦、大親友の向坪より小生の安否を気遣う電話があったといい、真の友とは苦しい時、辛い時にこそ励まして呉れるものと感謝が尽きない。
 残刑期も4年4カ月となり、社会に居る皆の励ましに応える意味でも、己の信念を曲げず残りの刑期を務める所存。出所の暁には、一皮剥けた小生を皆に見て頂きたい。夕方、私本の配布有り。 
 領置金購入で注文した「教科書が教えない歴史②」(藤岡信勝/自由主義史観研究会著・扶桑社)が手元に届く。

10月25日 (土) 曇り をりをり 晴れ
君が代の楽譜完成(1880)・神風特攻隊第一陣5機初出撃(1944)

 午前中は、「毛利元就(1)」を心読。途中、10時頃に理髪(ガリ)が有り出房する。
 午后は、臨池に勤しみ(条幅・半紙作品を揮毫)、ノート(民族思想)整理を行う。
 夜は、床に就いてテレビ視聴。朝から喉が痛くて、朝餉後と夕餉後に当直看守に「投薬願」を申し出て、風邪薬を2回服用する。

10月26 (日) 曇り をりをり 晴れ のち 雨 

 午前中は、「毛利元就(1)」を心読。午后は、臨池に勤しみ(条幅・半紙作品を揮毫)、ノート(民族思想)整理を行う。夜は、床に就いてテレビ視聴。

10月27日 (月) 曇り のち 晴れ 

 午后は、予て教育課より告知を受けていた「座談会」に出席する。(13時~14時30分 処遇部門2階教誨室)刑務所機関紙“人”の編集を担当している西先生をお迎えして、―「あをば誌を通して人紙への投稿」―と題する「座談会」を開催。司会進行役は、日本現代詩人会会員・社団法人宮城県芸術協会常任理事で、所内文芸誌「あをば」で“随筆・創作・詩”の指導を行っている今入惇(いまいり・じゅん)先生が担当。懲役側の出席者は、いわき義男・石川夏雨・立花哀果・湖々路・桜きなこ・冨髙春雨・川越勘次(全員ペンネーム)の7名。
 討論はいくつかのテーマに分けて、順次質問形式で交わされる。
〇「人」紙、「文芸コンクール」の創作・随筆を通して
〇「人」紙への投稿を通して思うこと
〇「あをば」誌を通しての文芸活動
〇 余暇時間の活用
〇「人」紙を読み、また今後に望むことは

 各テーマに対して、其々が思い思いの討論を繰り広げる。西先生より「文章(作品)を書く時に、皆さんが気を付けている事は…」という質問があり、小生の意見は、短詩系(短歌や俳句)を含み文章を書くという行為には、常に文章を書く側に責任の所在がある。何故なら、他人に文章として示す以上は「いい加減な気持ちや、ただなんとなくといった安易な文章」では、人の感情を動かすことが出来ないばかりか、其れは単なる自己満足の為のマスターベーションに過ぎないと思う。
 透かさず、夏雨氏が手を上げて「自分では、今回の作品に対して自信が無いのにも拘らず、他人が評価をして呉れる場合が多々ある」と反論してくる。

 其れこそ小生から言わせれば、書く側に於ける怠惰であり、欺瞞であるといえる。誰しも文書を書く理由は、創作も含めて自身が感じたこと、思ったことを率直に表現する所から始まる。だから間違った表現や表記(創作の域を超えた嘘や捏造)、況してや盗作等は書く側が責任を無視した行為といえる。「思う儘に書く」と言っても、セオリーを無視した行為に直結するもので在ってはならない。つまり、飽く迄も書き手側には責任の所在が在ると言いたい。
 限られた時間の中では、まだまだ言い足りないが、日頃の文芸活動が評価され、斯様な機会を設けて頂き感謝の念に堪えない。最後に西先生より、本日の「座談会」の様子を編集して「人 平成10年2月号」の紙上に掲載しますと仰ったので、今から掲載号が楽しみ。
 東京で木枯し1号(昨年よりも1日遅い)が吹く。近畿では26日に観測される。

10月28日 (火) 快晴 

 朝から初冬を思わせる寒さに、工場では滅多に着用しない襟無しシャツ(通称茶テン)を着込む。
 先週の金曜日から今日迄、担当の菅野看守部長は不在。作業では、若手のM(仙台市住人)君が、昨日の午后に腰痛で入病。M君が乗る“飾り縫いミシン”は、何とか小生がカバーするも、風邪気味で製品の数は上らず。

10月29日 (水) 雨 のち 曇り 

 仙台は、平年より4度も低い一日で寒い。全然風邪が抜けず、毎晩咳込みが酷い。夜の夜間個室優良室テレビは、「セ・パ対抗試合」(福岡ドーム)が有るも体調が優れぬ為、視聴せずに就寝する。

10月30日 (木) 晴れ のち 曇り  教育勅語の発布(1890) 

 今日と明日の2日間で、「月間作業予定表」(10月の出荷目標量)の達成は厳しい状況下も、作業技官から1枚でも多く製品の出荷をして欲しいと頼まれる。桜きなこ氏と小生はフル回転でミシンを踏む。それにしても、同じ懲役で在り乍ら、忙しい者と手が空いている者(*モタ工)が居る。 
 そんな空間で忙しく作業に立ち回っている事にイライラが募る。
 以前、読んだ「田中清玄自伝」(文藝春秋刊)の一節に、静岡県三島市・龍沢寺(臨済宗妙心寺派)の住職である“山本玄峰”老師が、田中清玄に語った言葉に「蛇は頭を一寸出しただけで其の大きさが判るものである。而して、人間も同じで一言発しただけで其の人の人間として大きさが判る」を思い出し、此れも試練だと己が心中に言い聞かす。

10月31日 (金) 曇り をりをり 晴れ のち 雨 

 処遇の一部変更により、本日付けで「冬期処遇」を実施。変更となる処遇は、仮就寝時間が18時30分から17時30分に繰り上がり、舎房のメリヤス・チョッキ・冬靴下の着用を認め、掛毛布と敷毛布の各一点が増貸与される。工場ではメリヤス・チョッキ・冬靴下の着用を認める。(舎房用の官物メリヤス上下一組は、真っ更で支給になる)
 午前10時過ぎ、日課のWさんが罰明けで配役になる。今回の受罰事犯は“不正連絡”(ガテ=密書運搬)で「軽屛禁10日」の処分。昼の休憩時に「元工場に戻れた事で、ヨシとせねば駄目ですよ」と声を掛ける。社会から隔離された塀の中で、誰もが諸々の不安や心配事を抱えている。
 特に、身柄引受人に関する悩みは出所後の生活を含め、其々が抱えている問題は千差万別だ。出所が間近に迫り色々と連絡を取りたい気持ちは、同じ懲役の立場から痛い程分かる。Wさんは素っ堅気なのだから、真面目に日々生活をしていれば、自ずと結果は後から付いて来ます。だから無理をせず「一日一生」で生きて下さい―と諭す。夕方は私本配付日に付き、購入本の雑誌(1冊)と、領置下附を願い出ていた「老荘を読む」(蜂屋邦夫著・講談社現代新書)の計2冊が手元に届く。

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