「川越市行政…寺尾地区水害被災を放置」 | 行政調査新聞

「川越市行政…寺尾地区水害被災を放置」

浸水が始まった夜半、住民は川越市に通報。
川越市の初動は明け方5時…既に…床上浸水で被害続出。

最低限の文化的生活を送る権利と社会保障が存在するはずの日本。しかし川越市では行政の不手際によって、無辜の市民が人災に泣いている。
過日、台風21号に伴う豪雨によって水魔に襲われた被災地区住民が、いま川越市による人災の犠牲になっているのだ。これまで、本紙では川合市政の様々な問題点を追求してきた。だが今回の出来事は、今まで本紙が追及してきた問題とは次元が違い、多くの市民が命の危険に晒され今なお水害の疵痕の中で経済的にも苦しめられ、不安な毎日を送るという生き地獄に苛まれている。
しかし、川合市長は被災者に対して非情である。今まさに困窮する被災者がいる。これを放置することはできない。本紙は過去数週間にわたって、この人災のもたらした惨劇に対し総力取材を行ってきた。

10月22日の夜半、台風21号による寺尾地区の「中島雨水排水ポンプ場」のある地域を中心に広範囲に渡って浸水(内水被害)が始まり、それに気付いた地域の住民は夜半、正確な日付は23日午前1時川越市に概況を電話し「土嚢を持って来てほしい」旨を伝えた。
電話を入れてから2時間を経る午前3時になっても寺尾地区へ市の職員は来ない。
浸水は水嵩を増し焦った住民は再び市へ電話を入れたところ、電話は道路環境整備課へ回され、電話を受けた職員は「5時には土嚢を持って行けます」との返事であった。
このことは午前1時に浸水の状況を伝えた住民の声が、担当部署に伝達されていなかったことになる。地域住民の切迫した声を聞き捨てにした、市の職員の氏名は判っていない。災害に対応する為のビリビリとした緊張感が「市の職員」に欠落していた。

後に判ったことだが、川越市は「災害対策本部」も置かず、陣頭に立って指揮を執るべき川合市長が自宅でのんびり待機では、市民の被災に即応する体制など確立できる筈もない。住民の話では、午前3時の時点で水位が上がり、今更土嚢を持って来ても意味がない状況であったという。既に床上浸水が始まっていたのだ。
激しい風雨…停電…家の床を犯した浸水が音もなく水嵩を増す。突然、ガサッと家具が浮く音に恐怖がつのる。外に飛び出し逃げることもできない。外は濁流だ。
家族が闇に包まれ孤独と恐怖の夜を過ごす悲劇の最中の午前5時、市の職員から電話があり近くまで来ているのだが、浸水地域まで近づくことができないので土嚢を持っていけないといい、また持っていける時に改めて連絡を入れるということであった。既に土嚢の必要は過ぎ、強大な水力が牙を剥き地域住民に襲い掛かっていたのだ。
……結局、土嚢が届いたのは、台風22号が近づいた、29日になってからだという。
それまで、市からのケアはなく住民の怒りを倍増させることになったのである。

10月30日の臨時議会における川合善明市長による責任回避の醜態…
小林薫市議の質疑で詰められ
「責任は私にある」との不様な答弁に傍聴席の顰蹙(ひんしゅく)を買う
「情報伝達 不十分だった」 川越市長 対応の不備認める
台風21号浸水被害 臨時議会で答弁

台風21号による大雨で川越市寺尾地区の約四百四十戸に浸水被害が出た問題で、川合善明市長は三十日、「(被害)状況の把握や情報の伝達に不十分な点があった」と対応の不備を認めた。また、市長を本部長とする災害対策本部を設置しなかったことについて「今考えると、設置した方が初期対応で、より速やかに適切にできたと思う」と述べた。この日開かれた臨時議会で答弁した。市は寺尾地区の浸水被害の原因について、新河岸川に雨水を排水する下水路のゲートが、新河岸川の水位が急上昇したために逆流を防ぐため閉鎖された状態が続き、排水ができなくなったためと明らかにした。また市側は、寺尾地区への避難準備情報が出せなかったことや、災害対策本部を設置しなかった原因について、市の水害対応が、河川水位や雨量の監視を中心にしているため、雨水が排水できなかったことで起きた寺尾地区の被害を予見できなかったと説明した。
議員からは川合市長が二十二日夜、自宅や衆院選の選挙事務所にいたことに批判が集中。
市長が災害後、寺尾地区を視察したのが二十五日になってからだったことにも批判が出た。川合市長は「市長の判断が必要なことには逐一連絡を受けており、不適切ではなかった。二十三、二十四日は通常業務をしていた」と述べた。(『東京新聞』2017年10月31日)

この水害は明らかに「人災」である…川合市長の対応は、すぐに市議会でも非難の的となった。「報告 第9号 台風21号への対応状況の報告について」を市からの提出議案として「平成29年 第8回急施臨時会」が10月30日(月)開催された。
小林市議の質疑は、10月23日付で埼玉新聞に掲載された「自由民主党・神山佐市氏の当選」を報じる記事に、神山氏の当選祝いに駆け付けた川合市長(右側に吉野郁恵市議も…)の万歳三唱をしている写真を見たが、同党の川越市議もその選挙事務所にいたにも拘わらず、市長に対して「大型台風がきているので庁舎に詰めて災害の対応をするべきではないのかと注意する市議は、誰もいなかったのか」と議場に響く小林市議の質疑の声は、被災住民の悲しみと苦しみを知る小林市議の怒号であった。
小林市議は政党名や市議の名前の発言はなかったものの、議会を傍聴していた人達は皆、自民党の市議らを指す発言であることが理解できた。また各市議の質疑に対する川合市長の答弁は、寺尾地区内水に関する行政対応の失態について「災害対応部長会議」を主催した大河内徹危機管理監一人の責任であるかのように議会は進行していた。
しかし小林市議が市長への質疑で『川越市の対応の遅れは「災害対応部長会議」を主催した危機管理監一人の責任であるのか』と質し、それによって川合市長は己が危機管理の最高責任者であることを認めざるを得ず渋々「責任は私にある」と答弁した。

小林市議の質疑がなければ、大河内危機管理監に責任の所在を全て押し付け、川合市長は今回の災害の終着点として臨時議会は閉会していただろう。閉会後、数人の市議は「あれじゃ…大河内危機管理監は、全ての責任を背負い込まされて可哀そうだ…」と、大河内危機管理監に全ての責任を押し付けて議会を終了させようとした川合市長の卑劣な責任回避の意図が判明したことに対する怒りの声を聞くことができた。
産経新聞(10月31日付)の記事は、川合市長の「陳謝」となっているが本紙は川合市長の陳謝の言葉を聞いていない。「川合市長からの陳謝及び謝罪の言葉が議会中にあったのか」と議会関係者に問うと「川合市長からは謝罪の言葉はなく報告や被害対応についての不備を認める言葉しかなかった」ことが確認された。

11月1日の記者会見において
川合市長は 「浸水被害を24日の夕方、ネットで知った」 との恥なき詭弁
寺尾地区住民に対しての陳謝なし
―川合市長は行政首長としての使命感ゼロだ―

11月1日に川合市長が記者会見を開いた翌日、各紙の朝刊は総じて川合市長に対して批判的で、東京新聞の見出しは「甚大被害24日夕に知った。市長報告なくネットで」とあった。本紙に向けた市民からの電話は、総じて川合市長に対し「呆れてものも言えない。市長の不在を守る市の職員の立場を足蹴にした卑劣この上ない無責任な市長の発言だ」との怒りの声で満ちていた。川合市長には行政首長としての素質、使命感がゼロであることを川越市民は改めて知ったのである。
本紙は11月2日付の各紙の報道を見て川合市長の謝罪がなかったことを再確認した。

自宅で逐一報告は受けていた。
登庁しなかったことは「不適切ではないので、問題ない」と嘯(うそぶ)く川合市長

―「あんな人(川合市長)の下で働くのは嫌だ…」職員の悲痛な声―

10月30日(月)の臨時議会での市長の言葉は「市庁舎には行ってはいないが、22日市(災害対応部長会議)からの報告を自宅で逐一受けていた」という答弁であった。
23日午前6時には防災危機管理室の職員から、8時には消防本部より寺尾地区の被災報告が「災害対応部長会議」に入っているのだ。ということは、寺尾地区の最大被害状況は即、23日早朝に川合市長の耳に入っていたのだ。
自宅で報告を受けていたが、市庁舎へ登庁していないことについて「法」に触れさえしなければ、市民の被災に関する対応の過ちも「不適切ではないので問題はない」と市民の怒りを呼ぶ答弁を平然と嘯く(うそぶ)人間としての情実を全く欠いた川合市長は、行政のトップとして許し難い似非(えせ)者であり不適切な人物である。

臨時議会が閉会した後に、某市議に市民から「市長の議会における対応に怒りを通り越して呆れ果てた」という電話が入り、また市職員2名から「あんな人(川合市長)の下で働くのは嫌だ」という悲痛な声があったという。この匿名の市職員は、臨時議会をタイムリーに聞くことができる立場の職員であろう。直近の職員から嫌悪される川合市長は既に裸の王様なのだ。
11月1日の記者会見では「浸水被害を24日の夕方、ネットで知った」などと恥じる様子もなく災害被災者の皆さんに対し、また庁舎の職員に対しても不快、且つ非情な言葉を吐いているが10月23日の午前6時に寺尾地区の被災を防災危機管理室の職員が電話を受け「災害対応部長会議」に飛び込み報告している。また早朝5時7分頃寺尾地区の浸水被害が発生し、川越地区消防局がボートで被災者の救助活動の報告は遅きに期するが、定時報告として午前8時に「災害対応部長会議」に報告している。

いわゆる23日早朝、6時と8時に入った情報は即「災害対応部長会議」より自宅にいる川合市長の耳へと入っている。川合市長は寺尾地区の浸水による最大被害に関する全ての状況を掌握していたのだ。にも拘わらず川合市長は記者団に、寺尾地区の浸水被害を「24日の夕方ネットで知った」などと当事者らの心情を逆撫でし、己の責任を回避する虚偽の発言を恥じなく言い募った偽善者である。
その発言は同時に、己の部下を無能者呼ばわりしていることなのだ。己の非を部下の責任に転嫁して、己に向けられた批難を逃れようとする卑怯者が川合善明と言う仏頂面した低俗な男なのだ。1日の記者会見での川合市長は、報道機関にまで24日の夕方「ネットで始めて知った」などと虚言を弄してはばからない人物なのだ。
22日の夜半に起きた川越市内の最大被害をネットで24日の夕方に知ったなどと、川合市長の自己責任を回避する虚言に満ちた発言を満天下に告知したのだ。この偽言を市民・川越市職員・市議らも聞き捨てにしてはならない。川合市長による言質は無能な部下の被災に対する未報告によって、市長として果たすべき責任を遂行できなかったことが慙愧(ざんき)に絶えないとする意をマスメディアに通じ、市民社会に向けて訴えたのである。
〝三文芝居の役者にでもなった方がお似合いだよ(笑)〟と侮蔑の声あり。
己の非を棚に上げ、己が果たすべき責任を庁舎職員諸氏に転嫁する悪意を以て被害者の如く装い、そのことを社会に披歴して恥じぬ卑劣な男を川越市長の座より追放することが市民そして、市議・川越市庁舎職員の責務とし嘘の無い、明るい川越市政を再生しなければならない。
11月1日の記者会見において川合市長は「22日夜から23日早朝にかけ、詳細な情報や報告は受けていない。寺尾地区については、それほど大規模な被害とは思わなかった」と部下に全ての責任を転嫁する虚言を吐き続けたこの人物は、卑劣な己の性格を市民の前に曝(さら)け出したのだ。

市長が24日まで事態を知らなかったとする発言は、11日に開催された住民説明会でも、避難の的となった。質疑応答で発言した住民の一人から、もしも24日まで市長が水害を知らなかったのであれば「市のミスではないのか」と、怒りをもった言葉がぶつけられたのである。これに対して、川合市長はさらに恥の上塗りをしたのだ。
川合市長は「対応が後手に回ってしまったという点は大変痛感しているところでございます。ミスかどうかということになりましたら…もう少し迅速に違う対応ができたであろうなというふうに考えております」と答えている。言葉だけならなんとでもいえよう。
それに、この言葉にはあくまで「職員が迅速に対応しなかった」かのような、責任を他人になすりつける意図があるようにも見える。なぜ川合市長は自身の責任であると頭を下げることができないのか。虚言と責任転嫁を繰り返し、住民の怒りを更に募らせている。

万歳三唱をしている場合なのか…誰もまともに相手をしない川合市長の孤独

前述のように、台風が近づく中で川合市長の行動は、選挙事務所で万歳三唱をするまでの待機であった。その間、2時間余り。万歳三唱を終えた川合市長は、登庁もせず帰宅し緊急事態に待機していたという。その頃、既に市役所には部課長級をはじめ職員が詰めていた。今回、初動が遅れた責任は否めない川越市であるが、職務を果たそうとする意志のある職員らもいた。開票作業のため多くの職員が割かれたその当日に、台風が直撃することは前週よりわかっていた。彼らは防災のみならず関連部署では、人員が少ない中で対応をする準備に勤しんでいたのである。
ところが、そうした職員の努力を一切顧みることなく、川合市長は自宅でのんびりと待機をしていたのである。ここに、川合市長の人間性が露呈している。
これまで、本紙では繰り返し川合市長の問題を取り上げてきた。そこで明らかになったのは、川越高校出身で弁護士としても長らく実績があるはずの川合市長の人間性の欠如である。詳しくは過去の記事を参考にして欲しいが、簡易に述べるならば川合市長は、己の行動にミスがあっても、そのことを進言する者が全くいないということである。
弁護士として常に自分がボス。法律に反しなければなにをやってもよいと、人生を歩んできたゆえであろうか。川合市長は、人の言うことに全く耳を貸そうとしない。
川合市長が最初に、市長選に立つと決めた時、川越高校の同窓生たちや民主党をはじめとする市議たちは、川合善明氏に対する献身を惜しまなかった。
当選後の川合市政を支え、市民のためになる市政を運営しようと、市議や川越高校出身の職員が川合市長を盛り立てた。しかし、今はどうだろう。当初のブレーンたちは、誰一人として残ってはいない。川合市長に対して苦言を呈する者を遠ざけ、切り捨ててきた結果である。もしも、周囲に心ある人物がいたならば、神山佐市氏の選挙事務所で当選祝の万歳三唱をして、あとは家でのんびりなんてことをさせはしなかっただろう。

この日、台風が近づいた各地での政治関係者たちは、とてつもなく多忙だった。
格差はあれど、支援をしている候補者のいる自治体首長や議員たちは、一旦は選挙事務所に顔を出したりはしているが、台風の接近を知りながら2時間も待機して万歳三唱をするなど悠長に構える自治体首長などは、川合市長をおいて他にはいない。
誰もが、候補者に挨拶を終えるとすぐに役所に駆けつけ、警戒態勢を取り陣頭指揮にあたっていたのである。もちろん、候補者のほうでも台風の最中に「不義理をした」などと思うことはない。むしろ「こちらは、いいから」というのが当たり前だろう。

ところが川合市長は、ずっと神山佐市氏の選挙事務所にいたのだ。誰もが「なんで、こんな台風が近づいている時に、のんびりと選挙事務所に座っていられるのか」と思いながらも誰も川合市長にそのことを注意する人物はいなかった。「駄目な市長だな…呆れたよ」という関係者の声を本紙は耳にしている。これまで、本紙が幾度にもわたって警告してきた、川合市長の人間性がもたらす市政の混乱。これが寺尾地区の住民に「人災」となって表面化したのである。

被災住民からの証言でさらにわかった「人災」の理由と、行き届かない支援
―市からの避難指示などはなかったー

この記事を進めている過程で、本紙は2度にわたって被災した市民から、詳しく話を聞く機会を得た。事前に日時を決め、本紙記者が尋ねたところ既に10人あまりの被災住民の方々が集まり、誰しもがこの「人災」に怒りと絶望感に喘(あえ)いでいた。
まず市民たちが憤り、同時に不安を感じているのは、生活の立て直しである。川越市は床上浸水した被災世帯に見舞金として5万円を支給するといっている。5万円は日常の生活においては大金かも知れないが、今回の被害はそんな額では復旧できるものではない。むしろ「はした金を手渡しておけばよい」というような市の態度は、より住民たちを不安にさせ市の非情さに、更に怒りが増すのである。
23日未明、住民たちは隣接するふじみ野市側でさかんにサイレンが吠えるのを聞いている。中には不安に思い自主的に避難を考える住民もいた。ところが前述した如く、陣頭指揮にあたるべき川合市長不在の市役所の対応は不十分だった。
住民の中には「南古谷小学校に避難所ができたので、そちらに…」といわれた人もいるという。いったい…豪雨と暗闇の中で、どうやって避難をすればよいというのか…。
結局、なんら避難指示もないまま、寺尾地区は水魔に呑み込まれてしまったのだ。
「事前に避難指示があれば、もっと被害を少なくすることもできたはず」だと、住民たちは憤る。そうした情報がないために水が押し寄せ、生活に欠かせない車や家電製品、家財道具全てが水没してしまった。
それだけではない。別な被災住民のお宅では、水に浸かって使用できなくなった家財を家の片隅に集め、家族の思い出であろう写真やアルバムを乾かしていた。そう、明らかな「人災」によって大切な思い出を拾い集めている悲しい光景を本紙は目にした。
単に車や家財が被害にあったのではない。今日まで歩んできた人生そのものを「人災」によって毀損されたのである。
川合市長の父親は元市長で、もとより財力に恵まれた家で育ち現在多額の給与を受け取っている川合市長には、被災者の悲しみや苦しみが理解できる訳などない。
住民からの取材では、もともと寺尾地区は水害の発生しやすい場所である。当該地区はかつて田畑が広がり豪雨があっても、雨水は田畑が吸水していた。また、現在は寺尾調節池になっているあたりが、かつては遊水池としての機能を果たしていた。

ところが高度成長期以降都市化が進み、平成15年に遊水池が整備され新河岸川の氾濫を防ぐための寺尾調節池となったことで様子は変わった。寺尾調節池整備に伴い調節地の土手が建設され、周囲から集まる水の逃げ場がなくなってしまったのである。
それに対処するため、平成16年寺尾地区に「中島雨水排水ポンプ場」の建設が行われ「江川都市下水路」へ排水するポンプ場を整備したが、このポンプも十分な排水機能を果たしていない。それは、台風が来るたびに寺尾地区は冠水するからである。

ふじみ野市では寺尾地区に隣接する元福岡地区の内水を入間東部地区消防組合ふじみ野分署が、雨水で溢れる江川都市下水路へ排水できないため、埼玉県が管理する寺尾調節地に雨水を排水する許可を得て、寺尾調節池に排水する措置をとっていた。ところが、川越市は、そうした対策を全く行っていないのだ。つまり、豪雨が起これば寺尾地区は危険であるという問題を川越市は、知っていながらに放置していたのである。
これは許しがたいことである。だが、百歩譲って起こってしまったことはしようがないとしても、問題は発生後の対応だ。形ばかりの視察に訪れた川合市長の姿は、多くの住民によって目撃されている。作業服を羽織った川合市長は、同じ作業服の職員の間を隠れるように「散歩をしているかのように」ぐるっと一周して帰って行ったというのだ。
住民には、声を掛けることすらなかった。市役所の対応も万全ではなかったが、その元凶は市役所を機能不全へと追い込んだ責任は川合市長にある。22日の川合市長の職務放棄と記者団を前にした偽言は、この水害を通じて白日の下にさらされるであろう。

―片野広隆市議の臨時議会での質疑―
川合市長は水害被害を差し置いても、
鹿児島で開催される中核市サミットへ出席したかった…

片野市議は10月30日に開催された臨時議会での質疑で、26日に鹿児島県で開催される「中核市サミット2017in鹿児島(25日、川越を出発し鹿児島で一泊してサミットへ出席)」へ出席する市長の対応について質している。

寺尾地区で23日の未明より大規模災害が起きているにも拘わらず、川合市長は25日の朝までサミットへ出席するつもりでいたのだ。災害に対する最高責任者として救援活動にひた向きに取り組む態度の希薄さに失望すると同時に、前述したように11月2日の各紙の報道での災害を24日の夕方ネットで知ったなどと記者団の前で虚言を吐いたが、寺尾地区の尋常ではない被害の事実は23日午前6時と午前8時には「災害対応部長会議」からの報告で、川合市長は確実に認識していたのである。
 

関係者の話では25日10時頃、栗原副市長と大河内危機管理監を伴い市庁舎を出発し、現地視察を終え12時前には市庁舎へ戻ってきたという。川合市長は寺尾地区の台風の被害の深刻な状況を知りながらも、まだ鹿児島のサミットへ参加する気でいたところを栗原副市長と大河内危機管理監に鹿児島行きを止められ、渋々断念したとの話である。
人災を生んだ元凶・・・災害対策本部はなぜ設置されなかったのか ―
川越・浸水被害 市の対応に批判続出
説明会に470人 被災者「人災」の声も 市長、専門家交え検証表明

台風21号による大雨で川越市寺尾地区の約四百四十戸に浸水被害が出た問題で、市は三十日夜、寺尾小学校体育館で被災者を対象に説明会を開いた。住民約四百七十人が参加。二時間余りの説明会では市の対応への批判が続出し、「人災だ」として補償を求める声も相次いだ。
川合善明市長は「市のミスかどうかを判断するのは時間がかかる。防災専門家も入れて検討する必要がある」として、第三者を交えた検証組織を設置する意向を表明した。
市によると、寺尾地区にたまった雨水はポンプで下水路に排水され、下水路から新河岸川に排水される。ところが、新河岸川の水位が急上昇したため二十三日午前一時十五分ごろ、川からの逆流を防ぐために下水路のゲートが閉められ、川に排水できない状態が続いた。同地区の車のほとんどは窓の上まで水につかり、廃車にするしかない状態。家財を二階などに上げることができなかった住民も多い。
説明会では、住民から「ゲートを閉めれば寺尾地区の雨水がたまり、水位が上がることは十分予見できたはず。何の警告も勧告もなかった」「朝まで二階で寝ていて浸水に気付かなかった人もいた。市が情報を発していれば、車や家財を移動できた。補償してほしい」などと厳しい意見が相次いだ。市側の「急速に水位が上がった場合は、避難するとかえって危険。二階にいた方が安全な場合がある」との弁明には「二階にいてくださいという放送もなかった」と批判の声が上がった。今後の同地区の水害対策として川合市長は、たまった雨水をポンプで新河岸川や寺尾調節池に直接排水する方策を県に要請するとした。
住民側の要望で近く、二回目の説明会実施も決まった。(東京新聞2017年11月1日)

今回、市役所内において対応が後手後手に回った理由として、災害対策本部が設置されなかったことについても触れねばならない。
川越市は11月1日、急遽、川合市長を本部長として災害復旧支援本部を設置した。
それは良いことだが、その中に義援金の募金活動がある。この募金活動は、あまりにも拙速に過ぎるのだ。救助活動は手鈍いが義援金の募金活動に関しては、市民に手を出す手際が良すぎると言いたい。ならばなぜ、10月22日に手際よく災害対策本部を設置しなかったのか。22日に災害対策本部の設置を発令し、川越市の市民を守るために、川合市長は寝食を忘れ職員の先頭に立って懸命に働いたならば、誰もが義援金の募金に喜んで応ずるであろう。市民の緊急事態に対応できない川越市は、話にならないお粗末行政であるにも拘わらず、市民に向けた募金に関してだけは敏速である。

川合市長は被災者宅を隈(くま)なく詫びて歩け ―

川越市長の所作が身勝手極まりないと市民は言うのだ。床上浸水家屋には5万円の見舞金、床下浸水家屋には見舞金は出ない。床上浸水被災者も床下浸水被災者も避難準備情報が発令されているならば、路上駐車した車を避難させることが可能だった。
川越市は寺尾地区に避難準備情報の発令も無く、路上に置いた車は全て浸水被害を受け廃車せざるを得ない。これらの被災は正に「人災」だ。とにもかくにも、22日の夜中から23日にかけて市長不在のため命令系統が確立されず、川越市は寺尾地区の被災に対応することが出来なかった。このような不様な事態を引き起こしたことを棚に上げ、募金活動にだけは敏速に動く川合市長を始め執行部の姿勢に、台風の被害を最小限度に抑えることが出来ぬ不手際が一層浮き彫りになった。
川越市のミスとは反対に、ふじみ野市の職員は庁内で義援金募集を始めたという。市長の心映えが違うと、職員らの心映えもそれに反応する。
電話を受けた職員のミスがなければ、道路環境整備課が23日午前1時の時点で現場に飛び、現場の状況を「災害対応部長会議」に報告してさえいれば、被害の拡大が多少なりとも食い止められたのではなかったか。それよりも、現地調査班13班の中の「第6現地調査班」の連中による現地の状況を報告する義務を怠ったとしか思えぬ行動が、被災を更に拡大せしめたのではないか。
緊急時には鈍く、募金のことになると敏速に動く川合市長による行政指導の身勝手さが目に余る。募金活動を速めるよりも、今からでも遅くはない。川合市長は寺尾地区の被災者宅を一軒一軒、己の不手際を詫びて歩く誠意を尽くすべきだ。

ふじみ野市の高畑博市長は10月22日、台風の状況から「空振りとなってもいいから、災害対策本部を設置しよう」と災害対策本部を自ら進んで設置した。また災害で市内が危険に陥った場合「選挙の開票作業を後回しにしてでも市民を守らねばならない」との市長発言があったことを関係者から聞いた。
ふじみ野市では22日の午後2時30分に避難所を開設。午後3時、災害対策本部設置。午後6時40分、元福岡地区に避難準備・高齢者等避難開始情報の発令を出している。
また狭山市では、22日午後3時に避難準備・高齢者等避難開始情報の発令を出している。川越市の避難準備・高齢者等避難開始情報発令は、22日の午後10時20分である。
但し寺尾地区には出していない。川越市においては当日、災害対策本部の設置なし。
川合善明川越市長からは危機に対する積極的な指令はなく部下に全ての責任を押し付け、行政のトップが自宅で報告を待つなどの川合市長の無責任体質が職員らに浸透し、川越行政全体に緊張感が喪失していたのだ。此の失態の責任は総て川合善明市長にある。

寺尾地区の被災は、川越市行政トップの無対応による「人災」と言えよう。
小心・自己中心主義の男に川越市長の重任は務まらない。川越市民のためにも「辞職せよ」の声が高く上がっている。ここまで、川合市長は巧妙に自らの失態を隠し市長の椅子にしがみつくことができた。しかし、どうだろう。この水害によって如何に川合市長が住民に対して、冷淡で身勝手な人物であるかが明らかになったのだ。

被災した住民のみならず、一連の報道によって川合市長に対する市民の怒りは爆発寸前である。11日に開催された説明会でも被災者に対する保証は明らかにされず、被災住民の怒りは治まらない。議論や言い訳などいくらでもできる。心ある市職員や市議は、被災住民の悲しみや怒りを全身で受け止め、被災にあった寺尾地区住民が安心して暮らせる川越市を立て直さなければならない。
これ以上、川合市政の下で泣く市民の姿を見たくはない。

― 聞き取り ―

 (1)建設部道路環境整備課職員 (2)宮本建設部長 (3)大河内危機管理監
 (4)川越市道路管理事務所  (5)川越地区消防局   (6)建設部河川課
 (7)上下水道管理センター 

(1)道路環境整備課職員
道路環境整備課に市民から「土嚢をもってきてほしい」と依頼があった場合は、市民の氏名・住所・土嚢の数量を道路管理事務所に連絡し依頼主に届ける。
道路環境整備課が道路管理事務所に連絡をしない限り、道路管理事務所は直接、土嚢運搬作業を行わないシステムになっている。
職員によれば寺尾の住民の方とは、10月23日午前3時と5時に対応していると記憶する。午前3時にご連絡を戴いた時点で、「今から土嚢を持っていくことができるのは5時頃になります。」と対応している。それは寺尾地区だけではなく、近隣地域に対応しながら寺尾地区に行くためと職員は言う。
浸水への対応は寺尾地区だけではなく他の地区に対しても行っており、午前5時の段階では完全に浸水している地域に土嚢を持って行っても間に合わないのではないか、という現場の状況が推察できた。午前5時に土嚢は現場に到着したが、既に水位が上がり被災現場への土嚢の運び入れは不可能の状態であった。

電話を掛けられた寺尾地区住民の方には大変申し訳ないが、既にその地域に土嚢を持っていくタイミングを逸し、意を尽くすことが出来ない空しさが道路環境整備課内を暗く包んだ。そして気を取り直し、まだ間に合う他の地域への対応に全力を注いだと職員は話す。午前1時の時点で道路環境整備課に連絡が来ていれば、2時か遅くも2時半頃迄には寺尾の被災地域の方々への救済活動ができたと思うと電話連絡の不備等が申し訳なく、また悔しく思っています…と語る。

22日の夜から23日の朝にかけて、道路環境整備課の事務所に詰めていた職員は7~8人。半分の職員は、選挙の開票作業の片付けで外に出払っていた。道路環境整備課が土嚢の運搬を道路管理事務所へ連絡をする任務は遂行するが、道路環境整備課が現場の状況を上層部に報告する対応はできていないと職員は話す。
道路環境整備課が台風21号に伴う電話に直接対応した件数は23件(市民からの土嚢の要請)。この電話によって使用した土嚢の数は924袋であった。23日午前1時の寺尾の住民の方からの電話を道路環境整備課は受けていない。最初に受けたのは午前3時であることを本紙は確認する。

(2)宮本建設部長
10月22日13時から各部長を招集し「災害対応部長会議」が結成された。概ね2時間ごとに会議を開いた。この会議では情報の収集・台風の状況を確認し、体制の見直し・警戒等を行う。当会議は、被害が出ていないうちに、各地区の情報を収集して体制を立てる会議である。2時間ごとの会議の度に、その時の状況において警戒等を発令することなどを決定する。「災害対応部長会議」に出席している各部長の傍らに部下の職員が待機しているわけではなく「災害対応部長会議」で決定したことを各部長が各部へ情報を伝達するシステムである。
部長のところへは、各課担当が伝達を受理した事案が全てに渡って報告が上るわけではなく、各課で待機している職員は各課の業務に適する状況に対処するために待機しているので、「災害対応部長会議」より伝達された事案をその都度、部長に報告を上げることはない。全ての事案は事後整理し、部長に報告される。

(3)大河内危機管理監
災害対応部長会議とは、台風の進路や雨量などを報告しあい、市としての対応をどのようにするかなどを決定する機関である。22日の夜から総務課に電話の対応をする場所を設け、7人態勢で市の代表電話に対応していた。この電話に対応しきれない電話は、防災危機管理室が対応した。市民からの問い合わせの内容によって各課へ転送されるが、寺尾の住民からの電話が、どこの誰に繋がって、どこに転送されたかはわからない。

22日に市民から掛かってきた電話の数は、あまりにも多すぎて現時点(11月6日)把握しきれていない。防災危機管理室には10人の職員が在籍している。
22日の朝から勤務している職員は7人。2人は選挙事務(当日選挙日)が終わってから、防災危機管理室に合流し翌日まで「9人で対応」していた。1人は休み。
各課から選ばれた現地調査班13班を組織し、各担当地域を見回る現地調査班の定時連絡が「災害対応部長会議」に報告として上がる。台風が通り過ぎたため「災害対応部長会議」は23日16時に解散した。災害対策本部は、大きな災害が予想されるときに設置し、市長が本部長となって組織する。

 結局、川越市は今回の災害において、予想も想定もできなかったのだ。
「現地調査班の出動地域」
調査班名出 動 地 域
第1現地調査班岸町1丁目  新河岸川  畳橋上流地区  畳橋下流地区
第2現地調査班不老川  御代橋付近
第3現地調査班新河岸川  不老川  扇河岸地区  砂弁天地区
第4現地調査班新河岸川  桜堤  わかば台団地  わかば台藤木
第5現地調査班新河岸川  旭住宅  河原町地区  宮地町住宅
第6現地調査班寺尾中付近  関端地区
第7現地調査班川越ハイツ
第8現地調査班南大塚  電源開発南地区
第9現地調査班古川ポンプ場  新高島屋クリーニング付近
第10現地調査班キングスガーデン  初雁の家
第11現地調査班古谷地区  古谷樋門付近
第12現地調査班芳野台遊水池
第13現地調査班砂新田五ツ又地区

(4)川越市道路管理事務所
台風21号のために用意した土嚢は約3000袋。用意した土嚢だけで対応できた。
23日の午前3時過ぎに寺尾地区の住民の方から、土嚢の要請があるとのFAXが道路環境整備課より届く。道路管理事務所は岸町の住民からの要請があったことから、そこに土嚢を届けてから寺尾地区に向かった。午前5時頃、寺尾小学校手前辺りに到着するが、その場で待機していた消防隊から「この先は冠水しており進めない」という状況を聞き、車を降り徒歩で寺尾の住民の家に向かったが途中の道は既に長靴に水が浸入し、この先は舟を必要とするくらいの冠水状況であったため寺尾地区の住民の家に行くことを断念した。

 川越市は「災害対応部長会議」を立ち上げ、現地調査班が組織された。調査班の業務は各地区に被害が発生する以前に現地の状況を事前に掌握し、それらの報告を「災害対応部長会議」へ定時連絡するシステムであるというが、現地調査班が組織されてもその機能が生かされず、寺尾地区の調査報告を疎かにした「第6現地調査班の責任」は厳しく問われるべきである。

(5)川越地区消防局
話を聞く前に局職員より「情報が纏まり切っていないので…(11月10日現在)」という前置きがあった。
23日am:2:01寺尾小学校近くのセブンイレブンの北側(中島雨水排水ポンプ場の辺り)の道路冠水のため、消防ポンプ車1台出動。現場を確認し排水作業は行われず撤収。 
23日am:3:38同地区床下浸水のため消防ポンプ車1台出動。現場の状況確認を重視し寺尾地区に待機していた。この時も排水作業は行っていない。
23日am:5:07床上浸水のため救助隊が出動。救助ボート5艇で救助にあたる。
最終的に22世帯38人を救助ボートで浸水していない場所まで搬送する。
被災者の要望で避難所まで消防や市の車で搬送した。
避難場所は仙波小学校と寺尾公民館。市のHPより仙波小学校に避難した住民は8人。

消防局長は市の「災害対応部長会議」と情報を共有するため、22日午後1時から23日午後4時までの間、定期的に連絡を行っていた。23日午前2時・5時・8時に定期連絡をしていたものの寺尾地区が冠水し、消防隊が救助活動を行っている状況を報告した時刻は午前8時であった。午前5時の定期連絡の時、寺尾地区の床上浸水情報を得ていなかったため寺尾地区の状況を市に伝えることができなかった。
現場と本部とのタイムラグが生じてしまうためとのことである。

(6)建設部河川課
「江川都市下水路」は川越市が事業主体となり、川越市・ふじみ野市の2市にまたがる集水面積879ha(川越市572ha・ふじみ野市307ha)をもち、昭和42年度に事業認可を取得する。昭和55年度 総事業費19億6800万円 総延長4320mで事業を完了した。
「江川都市下水路」「新河岸川の境界にある樋門(水門)」は2門設置されており、新河岸川の水位が8.8mを超えると自動的に閉門する。また8.5mを下回ると開門する。

新河岸川の水位の観測は川越市ではなく朝霞市の宮戸橋で観測されており、埼玉県のHP内の「川の防災情報」で現在の水位を確認することができる。宮戸橋観測所における新河岸川の水位は、およそ1.5m~2mとなっており、通常の水位より5mほど上昇すると「避難判断水位」「氾濫危険水位」となり、川越市にも非常態勢が発令される。
10月23日午前1時16分―台風21号の影響で新河岸川の水位が8.8mを超えたため江川都市下水路の樋門が自動で閉じる。
23日午前1時45分―河川課の職員が樋門に到着し、新河岸川の水位が江川都市下水路の水位より高い状況を確認する。その後は、経過観察を行う。樋門が閉じなければ、江川都市下水路に新河岸川の水が逆流してしまうため、樋門は自動で閉じる。
23日午前10時36分―新河岸川の水位が江川都市下水路の水位より低くなったことを確認し、2門あるうちの1門を手動で開門する。午前10時50分、もう一方の樋門も手動で開門する。
23日午後2時より国土交通省の排水ポンプにより排水作業を開始する。同時に川越市の現地調査班による排水作業も開始。この時の排水作業は、江川都市下水路にではなく寺尾調節池への排水作業。23日午後7時(実働5時間)、現地調査班の排水ポンプを撤収する。
24日午前2時、国土交通省の排水作業が終了している。

(7)上下水道管理センター
「中島雨水排水ポンプ場」は、平成16年3月より可動している。
寺尾地区約10haの内水(雨水)を江川都市下水路へ排出するために作られた。ポンプは大型2台・小型2台、計4台設置されている。排出量は64㎥/分(1秒間に1㎥の排水)。
寺尾調節池は平成15年に建設されており面積13ha・容量36万㎥である。周囲はジョギングコースとなっており、一周は1820mである。

「中島雨水排水ポンプ」は、遠方監視し自動運転のため、職員が常駐せずに運転することが可能である。ポンプが可動し、どの位の量を排出しているかは上下水道管理センターに、データとしてリアルタイムで確認することができる。ただし、遠隔操作はできない。
万が一故障した時は、周辺のポンプ施設を含み委託業者が24時間体制で巡回しているため対応が可能である。中島雨水排水ポンプ場は、委託業者の職員が巡回している。

23日の報告では、am:2:55可動を確認。am:5:43も可動を確認。am:6:25停止を確認している。am:2:55とam:5:43の時点で、中島雨水排水ポンプ場の入り口は冠水しておりポンプ場内に入ることができなかったが、ポンプ場の南側(セブンイレブン側)よりデジタルカメラの望遠機能で制御盤を確認したとのことであった。
寺尾地区の住民が語る制御盤が赤く点灯しており、ポンプの可動に異常を示しているのではないかとの問いには「ポンプが可動している時は制御盤内に赤色の点灯がある」とのことであった。非常用の発電機等が可動していなかったのではとの問いには「非常用の発電機は可動することはなかった。電気は供給されていたが制御盤が浸水したために、ポンプが停止した」とのことである。停止時刻は23日am:6:20である。
停止したポンプは24日の夕方に1つが手動で可動し、11月1日には全てのポンプが通常通り自動運転を行っている。

川越市の一番の手落ちは、寺尾地区に避難準備情報が発令されなかったことが住民の被災を拡大した大きな原因である。
総合的には、先頭に立って働くべき市長が自宅待機などによる失態によって、市職員全体の士気が奮わなかった。
「川合善明市長…台風21号に対処する危機感ゼロ…」

22日の台風情報を尻目に…午後3時からの親戚の法事を理由に登庁せず

午後9時50分…神山佐市氏の当選祝で万歳三唱
午後10時頃… 登庁せずに帰宅

川越市では台風の被害が予測された10月22日当日、川合市長は私的な法事と神山佐市氏の当選祝いに出掛け、その後自宅へ帰り登庁しなかったことが原因で執行部の統率が執れず「災害対策本部」が設置されなかった。そのため、同日の午後1時に大河内徹危機管理監の招集で「災害対応部長会議」が設置されたが、議事は各河川の水位の上昇に集中し寺尾地区に関する議事はなかった。

「災害対応部長会議」の災害情報収集は「現地調査13班」が組織され、市内8地区には避難準備情報を出したが寺尾地区には避難準備情報は発令されていない。
川越市「災害対応部長会議」において組織された「現地調査13班」の第6現地調査班は、寺尾地区の内水被害を確認報告しなかった。それによって寺尾地区住民の被災を「災害対応部長会議」には報告されず、「災害対応部長会議」には寺尾地区における最大被害を知らぬままに重大な過失を抱えたまま無為な一夜を過ごしたことになる。

ふじみ野市による「空振りでもよいから…災害対策本部を設置しよう」と万全の用意を布いた高畑博ふじみ野市長の炯眼には厚く敬意を表する。それに反して川合善明川越市長は、緊急事態を考えることもなく朝から登庁もせず、22日午後3時から行われるという親戚の法事とやらに出席し、午後8時過ぎにはノコノコ神山佐市氏の事務所へ行き、午後9時50分の当選情報で祝賀の万歳三唱などをしている危機感ゼロの川合市長の笑顔が載った新聞の写真を見て、無性に腹が立ったという市民が続出している。

挙句の果てに部下が待つ庁舎に登庁もせず、自宅で待機とはこの男何様のつもりなんだと非難の声が被災住民の間で満ちている。事態を軽視し「災害対策本部」も設置せず、市民の安寧を旨とする誇りある中核都市としての当然の義務を放置した川合市長の自己中心的姿勢が齎(もたら)した寺尾地区の災害は、被災住民より「人災」だとの怒号を浴びる結果を生んだのである。川合市長による寺尾被災地区への視察は、なんと台風が通り過ぎた2日後の25日午前中の僅かな時間でしかなかった。
被災住民に対する謝罪も…ねぎらいもない…短時間の視察であったという。

― 寺尾地区…水害被災住民の怒りの声を聞け!―

11月11日(土)午後3時より「第2回台風21号の被害に関する説明会」が、
川越市立寺尾小学校体育館において開催された。
「川越市執行部」

川合市長・栗原副市長・板東副市長・福田上下水道事業管理者・田中広報監・
大河内危機管理監・早川総務部長・荘財政部長・関根福祉部長・松田保健医療部長・
大野環境部長・宮本建設部長・石井上下水道局長・中沢教育総務部長・
細田市民部長(司会)

「冒頭 川合善明市長の挨拶」の後に「被災住民と執行部との質疑応答」
Nさん(男性)私の自宅は1階、膝くらいまで水が浸入しまして、1階大半、自家用車、オートバイが沈みました。私は中島地区に47年住んでおり、この辺りの経緯は熟知している。以前は寺尾調節池ができる前の中島地区の内水は、新河岸川に自然に流れていったのでそれほど水が溜まっている状況はなかった。ところが調節池ができたおかげで、そこが壁になってしまい、この中島地区の内水がどこにもいけない構造になった。これに対しての対策というのが、中島雨水排水ポンプのみということですか。
危機管理監現在ポンプのみで江川都市下水路へ排水し新河岸川へ流れていくとなっています。
Nさん(男性)中島地区は毎年台風がくれば、必ずと言っていいほど冠水する。例えば去年8月22日に台風がきました。中島地区の家で自宅の中まで浸水している家がある。つまり雨水ポンプだけでは足りていない。また、ここ5年くらいで寺尾の農地が宅地として開発されたり、地面がアスファルトに埋められたりして、雨水も地面に浸み込みにくく、溜まりやすい構造となっているが、ここ5年くらいで雨水ポンプを改良した点などはあるのですか。
危機管理監ここ5年では改良した点などはありません。
Nさん(男性)なぜ毎年冠水する中島地区に対して対策を何もしてくれなかったのですか。
危機管理監雨水を排水する中島ポンプの機能が発揮されていまして江川都市下水路に排水できていた状況が…。
Nさん(男性)冠水していた家があったのはご存知だったのでしょうか。
危機管理監詳細までは承知していません。(館内ざわつく)
Nさん(男性)何も対策をしてくれなかったのは、人災ともいえるんじゃないのですか。水害は起こるべくして起こったと思えますが。(館内から「人災だよ」の声)毎年冠水しています、中島地区は。明らかにポンプの設計ミスと言えると思います。
危機管理監中島ポンプにつきまして、検証することを考えています。今後、対策について考えています。
Nさん(男性)川越市の不十分な対策による人災ということで判断してよろしいでしょうか。見舞金もまだもらっていません。これ以上の保証がないということであれば、我々の中でも集団訴訟という話も出ています。我々は確実に勝つことができるという話を弁護士の方から頂いている。ただ、こういったことをすると、我々も大変ですし、川合市長を始め、皆さんもかなりの負担になると思います。そういったことは最終手段と考えておりますので1日でも早い対応の方をお願い致します。(拍手)
Kさん(女性)災害対応部長会議はただ単に会議を開いているだけで、本来これだけの被害があれば、市長中心に災害対策本部をたてるべきだと思いますが、なぜ災害対応部長会議で終わらせてしまったのですか。
危機管理監災害時の配備体制につきましては、被害の状況等に応じて体制を配備するものでして、今回につきましては台風の状況、雨の状況を考慮して災害対応部長会議で対応してまいりました。寺尾地区に大きな被害が出ることを十分に把握できなかったということですが、今回は災害対応部長会議をもって災害対応をしたということです。
Kさん(女性)現地調査班が21時30分に3名、男性2人女性1人を私共も確認しています。調整池の土手に上がり、寺尾小学校の周りを見回っていたことは、話をした住民がいるので判っています。ただし現地調査班が調節池を見て「まだ大丈夫だな」と答えていました。既にその時点、ポンプ場の前は靴が水に浸かるくらいの内水が溜まっていました。その状況を見て市の職員は「まだ大丈夫だ」と市長のようなお答えをしていました。ご高齢の方が「一人なので避難したいんですけど」とその市の職員に尋ねたところ、「南古谷の方に逃げてください」と言われたと聞きます。その時点、避難所の設置もありませんでした、避難場所を答えることもできませんでした。既に水が出ていたにも拘わらず、市職員は新河岸川しか意識がないために、寺尾地区を「大丈夫だな」と言って帰っていった職員は、どういうことなのですか。その時点、長靴に水が入るくらい水は溜まっていた。しかし市の職員は「大丈夫だ」と判断していました。これは新河岸川が「大丈夫」なのであって、寺尾地区は「大丈夫」ではなかったのではないのでしょうか。
危機管理監現地調査班は調査したり、巡視したりしておりまして、この地区に内水が集まるということを承知はしていたんでしょうけども、新河岸川に水位も同時に監視していたことも考えられます。
Kさん(女性)では、わかりました。4時59分に「中島雨水ポンプ場監視装置の電源が断たれ監視機能が停止する」この時点でポンプ場の3分の2は浸水していました。これは目視したものなのですか。どこで監視していたのですか。
上下水道
事業管理者
4時59分まで、上下水道管理センターという事務所がありまして、そこで監視装置が働いておりましたので監視しておりました。
Kさん(女性)しかし、ポンプ場は3分の2が浸水していたにも拘わらず、現場にも行っていないといことですか。
上下水道
事業管理者
管理センターの方で監視できないということを受けまして、業者の方に向かわせる指示を出したという経緯でございます。
Kさん(女性)5時58分には、ポンプ場の隣のアパートの住民がボートで避難しています。いつも台風前日からポンプ場の待機小屋に待機している人がいました。今回これだけの大型台風にも拘わらず、なぜ待機小屋に待機させなかったのか。台風22号の時は待機している人がいましたが、21号の時はなぜ待機できなかったのですか。
上下水道
事業管理者
待機小屋につきましては、市で設置したものではなく業者が設置したものです。
Kさん(女性)それは市が委託しているもので、市に責任はあるのではないですか。
上下水道
事業管理者
待機小屋に関しましては、他のポンプ場を巡回して…
(途中でKさんが質問を入れる)
Kさん(女性)ポンプ場の小屋は、市の管理体制にはなっていないのですか。
上下水道
事業管理者
ポンプ場に関しては、市の職員も巡回して回っております。
Kさん(女性)ポンプ場に水が溜まっているにも拘わらず、市が対応をしていないのはどういうことなのですか。
上下水道
事業管理者
市の職員は、午前1時頃には行って確認しています。
(途中でKさんが質問を入れる)
Kさん(女性)午前1時じゃ、水はそこまで溜まっていません。
上下水道
事業管理者
市としてはポンプの可動状況は、動いているし監視もできたことを確認しています。
Kさん(女性)目視していない。機械だけを信用していたのでしょうか。
上下水道
事業管理者
1時の時点ではポンプ場の中に入り、目視で確認しています。
Kさん(女性)水門を閉めた後、2時間くらいで車の天井が浸かるくらい水が溜まったことは、管理しているとは言えないのではないですか。
危機管理監現地調査班がどこにいたかは、詳細は判らないです。
Kさん(女性)23日24日は、市長は自宅待機と聞いておりますが。
市長23日24日は通常業務を行っておりました。
(館内から失笑と大きなざわめきが起こる)
Kさん(女性)水没しているのに通常業務を行うというのは、どういうことですか。市民を守る市のトップが通常業務とは、どういうことなのですか。
市長寺尾地区の状況の把握、情報の伝達ができていなかった。そういう状況で私の方にも具体的な状況が伝わっていませんでした。
Aさん(男性)江川都市下水路の樋門が閉じてしまい、寺尾地区に内水による浸水の被害が出たことについて、今後の対策として中島雨水排水ポンプ場だけでは安心ができないので寺尾調節池や直接、新河岸川へ排水できるポンプの設置をお願いしたい。
市長専門家を入れた検討委員会で検証や対策を行っていきたいと考えています。新しいポンプの設置や地下に雨水貯留槽を作り一時的に貯めることも考えています。
Aさん(男性)この対策はいつから始めるのですか、今年中に造ることができるのですか。
市長最優先の課題として取り組んでまいります。しかしながら「今年中に造る」と、ここで約束する訳にはまいりません。
Sさん(男性)11月2日の東京新聞の『甚大被害「24日夕に知った」市長報告なくネットで』の記事で、水が出ていたことは知っていたはずです。対応をしなかったのは市のミスではないのでしょうか。(大きな拍手)
市長今、お話された通りでございますが、対応が後手に回ってしまったという点は大変痛感しているところでございます。ミスかどうかということになりましたら…もう少し迅速に、違う対応ができたであろうなというふうに考えております。
Sさん(男性)市のミスです。この被害が大きくなった分、市が保証してくれるのでしょうか。(大きな拍手)
市長ここで申し上げることは、なかなか難しいです。市の職員の対応、きちんと対応をしていれば損害が発生したのか、しなかったのか、その辺のところをしっかり検証しなければ、今の時点で私といたしましては、何とも申し上げられません。(不満のどよめきが起こる)
Eさん(男性)各家庭における被災証明を市の出張所等に提出し被害状況等を記入しているが、市長は寺尾地区の被害額を把握しているのですか。
市長計算していません。
(失笑と「呆れた」という感じのざわめきが起こる)
Mさん(女性)床上浸水で床や壁紙の張替えの内装工事のため、仮住まいをしなければいけなくなりました。市営や県営の住宅を貸してもらいたいのですが…。(そのくらい即答できるだろう。対応遅いよ。との声)
危機管理監市の公営住宅は空きがないために直ぐに対応できないので検討していきたいと思います。
Mさん(女性)まだ、子供が小さいため小学校や幼稚園に通える範囲でお願いしたいので、できたら県営の川越市藤間やふじみ野市の県営住宅にお願いしたいのですが。
板東副市長週明けにも、県の方に要請していきます。その結果をすぐ報告していきます。
【 説明会での住民の声 】

Tさん(女性)
朝起きたら床上浸水寸前の状態でした。市に連絡して「川が決壊したのか」と聞いたところ下水が溢れたと言われました。下水道局に連絡しポンプで排水をお願いすると、1台は出払っており、もう1台は壊れているとの回答でした。「今調査班が向かっている」とのことでした。今回の浸水時には、防災無線等はありませんでした。
今回、防災危機管理室というところは、防災に対する準備もできず危機意識もなく、管理能力もないとうことが判りました。
うちは去年入れたばかりの太陽光発電の蓄電池、車2台が廃車になりました。
床下浸水なのでお見舞金すらない状況です。あとは自分たちで何とかしなさいということなのですか。随分、無責任な対応ではないですか。人口が増えて下水の使用が多くなる。その対応もするべきではないですか。

Hさん(男性)
「埼玉県・市町村生活再建支援金」という制度がある。
この制度は「住宅が全壊又は大規模半壊した世帯に、住宅の被害程度や再建方法に応じて最高300万円を給付」という支援が県から受けられるのだが、福祉部長から「この県の制度を受けることができない」との発言がありました。
今回の寺尾地区の災害において、市の方から交渉や要望を県に上げた結果での支援が受けられないということではなく、この制度には当てはまらないと市自身が判断することはおかしいのではないですか。
被災した住民は受けることができる支援は、できるだけ受けたいと考えています。市自身で県に対し調整、交渉、運動という形をやってもらいたい。
それをやってくれないということは、市は寺尾地区を見捨てているということになるのではないですか。(大きな拍手が起こる)

Nさん(男性)
寺尾地区は近づくことができないと市に報告が入っていても、災害対策本部を設置せず、市長は通常業務を行う程度の情報しか上がらない体制では仕方がないとの声。

Yさん(男性)
去年も内水で長靴に水が入る状況であった。1件でも内水により浸水していれば、それは浸水被害である。それが広範囲で起こったことなのか、狭い範囲で起こったのかの違いであり、その地域を注意して見ていれば対応ができていただろうとの声。

【 説明会終了後の被災者の声 】
  • 市との距離を感じた。市と住民の間の温度差がかなり大きくあったように思えた。
    最後に市長に「何のためにあなたは市長になったのか」と尋ねたかったが、聞くことができなかった。
  • 今回の説明会は意味のない会であり、参加しなければよかった。
  • 市はお見舞金5万円だけで今回の災害の幕引きを図ろうとする考えではないのか
  • 川合市長は川越のために頑張ってくれており、川越を日本全国にアピールをしてくれていると評価していたが、そのような人ではなく今回の市長の対応で落胆した
  • ふじみ野市の説明会にも参加した寺尾地区の住民某氏は「ふじみ野市の会場は暖かくしてくれており、今回の川越市の説明会のように足が震えるような環境ではなかった」と話す。またふじみ野市では、職員自ら被災者のために義援金を集め始めている。
  • 次の第3回説明会の予定はまだ決まっていない。今回の説明会が終わるとき、次の説明会を開くかどうかが決まっていないことに対して、市に食って掛かった住民がおり、一週間以内に次の説明会を開催するかどうかをビラで配布するということになった。
    おそらく次の説明会は開催されないだろうと予想している。
  • 具体的には決まってはいないが、寺尾地区の自治会単位で市に対して要望等を出そうという動きがある。数人の有志が集まり、地域の議員や有識者に意見や対応を聞き、これからどのように進めていくか話し合いが行われる。
  • 「被災住民と市執行部との質疑応答」の中に被災者Sさん(男性)より、川合市長に対して「11月2日の東京新聞の『甚大被害「24日夕に知った」市長報告なくネットで』の記事で、水が出ていたことは知っていたはずです。対応をしなかったのは市のミスではないのでしょうか。」と質問されている。この質問に対して川合市長は「今、お話された通りでございますが、対応が後手に回ってしまったという点は大変痛感しているところでございます。ミスかどうかということになりましたら…もう少し迅速に、違う対応ができたであろうなというふうに考えております。」と己の吐いた虚言を反省なく、あたかも真実であるが如く被災者を前に図太く言い抜けている。この人物には自省心などは欠片(かけら)もないのだ。
  • 言質は取り返しがつかない。己の偽言の整合性を保つ為に、説明会においても被災住民を前に、また偽言を晒したのである。このように市民を前に虚言を言い立てる川合市長は、市長という職務に座る資格はない。
    このように偽言を言い立てて、憚らない市長を置く川越市行政の存在は「市民の恥」である。