特 別 号 〈その第3弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか? | 行政調査新聞

特 別 号 〈その第3弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか?

――「教育再生首長会議」と「軍歌と右翼」に関する姿勢を問う――

戦後70年の今年、改めて日本人がいかに過去を総括し21世紀の激動を乗り越えていくかが問われている。それは国際政治の場だけでなく、ここ川越市においても、である。
 先にも報じたように、今年2月、川越市議会平成27年度第1回定例会での質疑応答において、川合善明市長は共産党の本山修一元議員から「教育再生首長会議」に関する質問を受けた。
 質問の趣旨は、以下の二つである。

(1)教育再生首長会議に参加した理由。
(2)極めて戦前を思わせる首長会議に参加すべきではない。この団体から抜けたらどうか。

 本山元議員の質問に対して川合市長の答弁は、次のようなものだった。
(1)に関しては「一定程度承知の上でメンバーとなったというふうにお答えしておきます」と答弁している。
(2)に関しては「軍歌を歌うからといって即右翼というふうに見られるものではないという、それと同じであるというふうに答弁しておきます」と答弁している。

(1)についての川合市長の答弁は、少しも質問に対する答えになっていない。既に本山元議員の質問に腰を引いてしまっている。教育再生首長会議は、平成26年6月に、教育再生の先導的役割を率先して果たすことを目的に設立されたものだ。川合市長は、答弁の中で概要を説明はしたものの、もっとも強調したのは教育再生首長会議の会長である松浦防府市長に誘われたから参加したというものであった。
 例え誘われたとしても、参加するか否かの決断は自身の政治的心情に基づくもののはずだ。しかし川合市長は教育再生首長会議に参加した意義、己の政治信条を胸を張って堂々と主張することもしなかった。
 教育再生首長会議に批判的な共産党の議員からの質問に、自らの政治信条を掲げて対抗するでもなく媚を売るかのような川合市長の答弁。そこには、川越市34万市民のリーダーの矜恃の欠けらも感じられない。

(2)の質問に関する答弁は、議会という場所柄もわきまえず、政治家としての答弁ではなく本山元議員個人に向けての答弁である。
 もとより川合市長は本山元議員とは共に同じ店に顔を出す吞み仲間である。そこで川合市長は議会という公的な場所にも関わらず、私的な友好関係を強調し、本山元議員と共にスナックで軍歌を唄っていることの理由として、お互いに右翼思想など頭から否定する間柄ではないかと本山元議員に媚びを売ったのである。
 「軍歌・右翼・教育再生首長会議」を共通項の位置に設定した川合市長は本山元議員の質問に対し「私は教育に深い関心を持っているが、教育方針については保守ではなく貴方と一緒ですよ」という意味で「軍歌と右翼」に例えたのである。

 既に戦後70年を迎えたが現在でも軍歌を愛好する者は多い。今年6月12日に『産経新聞』に掲載された「今、『軍歌』がアツい!」と題する記事によれば、動画投稿サイトYoutubeでの「出征兵士を送る歌」の再生回数は200万回以上。「元気が出る」など若者らしき書き込みも絶えることはないという。この記事では、戦前から続くレコード会社各社が戦後70年を契機に軍歌CDを多数リリースしていることを記しているが、その中でレコード会社重役のコメントとして「ヒーリング(癒やし)ソングとして楽しんだり、出社する前に聞いたりするという若いファンもいる」と報じている。
 軍歌の旋律・歌詞は戦争を知らずとも男女を問わず愛され、歌い継がれていくのである。酒に酔って軍歌を歌う時の川合市長や本山元議員らは、軍歌は右翼という心の定位置にある思想的なわだかまりも何もかも消え去って、日本男子の一人として懐旧の念に浸り、癒やされるように抒情的に軍歌に陶酔しているのだろう。

 しかし、川合市長は酒が抜けても、議会という市民より付託された尊厳の場を忘れ、本山元議員に媚びを売ってしまった。「極めて戦前を思わせるような教育再生首長会議に参加すべきではない。この団体から抜けたらどうか」という本山元議員の質問。これは、言葉は丁寧だが多くの問題を内包した質問だ。戦前の青少年に対しての教育が亡国に通じる。すなわちアングロサクソン流の帝国主義によって洗脳された戦前の日本を悪とする思想。加えて、もはや「革命」の大義も忘れた偏狭なスターリン主義政党である共産党独自の思想に裏打ちされた質問なのだ。
 この本山元議員の「教育再生首長会議に参加するな」「そこより抜けろ」という命令に等しい過激な質問に川合市長は議会という場を忘れ、先の「軍歌と右翼」発言に至ったのであった。

 川越市民を代表する市議会議員諸氏を前に「軍歌を唄うからといって即右翼というふうに見られるものではないという、それと同じであるというふうに答弁しておきます」と川合市長と本山元議員との仲を知らぬ者なら、川合市長は何を言っているのだと川合発言に異を唱えるだろう。
 当然、本山元議員にしても二人で酒を呑み、のうのうと軍歌を唄ってさえいなければ、川合市長に向けた質問に「市長として明白に回答せよ」「答えになってない、何を言っているんだ」と迫るだろう。しかし川合市長にしても然り、議員連中にしても川合市長と本山元議員との深い仲を知っていた。勿論、本山元議員は川合市長の答弁に本山元議員は、川合市長から二人の仲を議会に持ち出されたことで、急いで質問を打ち切ったのである。
 本山元議員は教育再生首長会議に対して、言いたい放題を議会で放言したことで溜飲を下げたのだろう。市議会議員諸氏は二人のやり取りを苦笑して眺めていたのだ。しかし川合市長の発言は、議事録が川越市のHPに掲載された時点、民族派からの厳しいクレームが出るであろうことを予測する議員もいたのである。川合市長の発言を以下のように推測する者もいた。

川合市長は「本山さん、こんな質問は止めて下さいよ、お互い酒を呑み軍歌を唄う仲じゃあないですか、私が参加している教育再生首長会議を右翼の会だと本山さんが嫌っていることぐらい判っていますよ」と、川合・本山の二人だけに理解できる意味を込めて「軍歌を唄うからといって即右翼と見られるものではない」云々を答弁したと思う。
 それでなければ川合市長は、軍歌という言葉・右翼という思想的に対決する言葉を議会に持ち出す必要は無かった筈だと語っていた。
 川合市長は本山元議員と軍歌は唄っていても、潜在的思想は左翼だったのだと語っていた。

 「軍歌を唄うからといって即右翼というふうに見られるものではないという、それと同じであるというふうに答弁しておきます」と本山氏と川合氏の関係を知らぬ者達からすれば答弁にならぬどころか、教育再生首長会議を思想闘争の場に引っ張り込んでしまう主役を演じてしまった。
 この発言は政治家であり市長である立場の者が、口に出すべき言葉ではなかった。川合市長には、軍歌は右翼だという固定観念があるのだ。川合市長は小心が故に、本山元議員の質問に川合・本山の二人が共通する軍歌を譬えにして、教育再生首長会議を比喩し、そこに右翼の言葉を並べてあたかも左翼が否定する教育再生首長会議が右翼であるが如く貶めてしまった。川合市長は弁護士であったとは思えない憲法違反行為を議会の場で発言してしまった。

 川越市の某ライオンズクラブに所属するO氏は言う。
 「戦後の教育制度を改革し、GHQという暴虐無知なる占領軍によって破壊しつくられようとした真の日本の精神美を教育に取り戻し、未来の日本を…いや、世界を担う人材を育成する教育を子供にほどこそうという大切な「教育再生首長会議」。川合市長は、そこに所属しながらにして、川越市議会での発言で存在理由を台無しにしてしまったのである!」と怒っていた。

 「教育再生首長会議」には、現在全国の自治体の首長80名あまりが参加する会議になっている。川合市長は、その全員に裏切りに等しい行為を働いてしまったのである。すなわち、もはや全国に口では愛国を唱えながら、実際には共産党所属議員ともなあなあな関係を築く、思想性の欠片もない市長がいる川越市というものが、既に全国の自治体首長の知るところになってしまっているのである。
勿論、誰しも思想信条の自由というものがある。だから川合市長の思想が、左翼的思考であろうとも粉砕する必要などないが、このような人物が川越市のリーダーとして相応しいとは言えない。思想的な知識も体験もなく「左翼」だの「右翼」だのという言葉を、あたかも中学生が使うようなレベルで使うことしかできない川合市長。その結果、共産党に媚を売るばかりか、己の発言の不手際の点を厳しく指摘した別の共産党議員から、政治家としての勉強不足を指摘され恥じて「軍歌と右翼」発言を取り消し謝罪するなどの不様を晒している。
 しかし、それで済んだと思っているのだろうか。
 戦後70年を迎えるという年にも関わらず無知な発言を晒した川合市長の罪は大きい!全国に恥をさらすことになってしまった川越市民にも、国を愛するすべての人に対しても、そしてなによりも「教育再生首長会議」にしっかりと謝罪せよ!