本紙記事を「嘘八百」と公言した川合善明市長の早とちりの大恥! | 行政調査新聞

本紙記事を「嘘八百」と公言した川合善明市長の早とちりの大恥!

姓名を付箋で覆った挪揄的な私信の真意に気づかぬまま、
これを「欣喜雀躍」して本紙を「嘘八百」メディアと公言し
恥じない川合市長の低劣さを嗤う。

川合善明市長が自身のホームページ内「川合よしあき日記」(1月18日付)で、本紙既報の記事を「嘘八百」であると公言した。同サイトには、本紙記事批判の根拠として、ある市民から市長に宛てられた書信をご丁寧にも写真掲載までしている。だが、川合市長は選挙直前になって自ら決定的な墓穴を掘ったことにも気がついていないようだ。川合市長が「嘘八百」と公言した本紙該当記事は、1月15日に本サイトで公開した『川越市新斎場(火葬場)、またまた波瀾』だ。
この記事に関してある市民から市役所宛てに手紙が届き、川合市長はこの手紙の内容を根拠として「行政調査新聞の記載事項が如何に嘘八百であるか、ご理解いただけることと思います。」などと得意げである。
本来の本紙のポリシーでは、斯様に低次元なる政治家の軽挙妄動の揚げ足取りに腐心する気もないが、仮にも現職市長に「嘘八百」呼ばわりされながら、これを黙認することで本紙の報道価値を下げることは看過できない。まして市長選直前の記事である。市長のこのような倒錯した主張を信じる市民が、本紙で追及して来た川合善明市長の幾多の疑惑や問題について、それらが本紙の虚偽報道だと誤認することがあってはならない。
そこで件の手紙を市長に送達した人物と本紙の関わりについて、また前回本紙記事の一部訂正を兼ねて、読者諸氏に対して本件記事の背景事情を解説しておくことにした。判断は読者に委ねる。

単純な和解ではない、秘された現地事情

本紙は新斎場隣接地権者が立てた看板を見た。渋谷実氏のチラシにある「のり弁(市による黒塗り公開文書)」にリンクする看板であるかどうかは定かではないが、大文字のスローガンが人目を惹く。もし「和解」が完全解決であれば、こうし看板は打ち立てられない筈であるのだが、本件の内実はそう簡単ではないのである。本紙は川合行政と闘い続けてきたリーダーと4年越しの交友関係にあるO氏に取材した。O氏とは本紙記事中で「事情を知る関係者」とした人物である。
当時、川合行政は元より新斎場隣接地権者や地域住民との直接対話がなく、それによって尚更に川合市政に対する反発の度合いが激しくなっていったのだ。一時期、本紙は川合市政の強硬な新斎場(火葬場)設置に反対派リーダーと共に川合市政に対抗していたが、反対派が知的な背景を擁して川合市政に抵抗するにつれて反対派も重量感が増したことを機に、本紙も本件に関する集中的な活動から自然の内に遠ざかったという経緯があったのだが、その後も「事情を知る関係者」O氏からは反対運動の近況報告は入っていた。
原則的に本紙の取材先はO氏であり、この人物を情報源に報じていたものだが「事情を知る関係者」による「東京高裁云々…」以外の経過は本紙の記事の通りである。

追加取材で明らかとなった「真の和解条項」の存在

今回たまたま、川合市長が自らのブログで取り上げた私信を呈した人物に近い人に出会い詳細を聞くことが出来た。それによると「和解条項」とは東京高等裁判所に裁判上の和解を可能にするために川合市政が提出した案文で、その「和解条項」を以て川越市議会の議決を求める「素案」であったというのだ。この「素案」が議決され「和解条項」として東京高裁に提出されたというのが正確な経緯であり、本紙が記事中に開示した「和解条項」は東京高裁から出されたものではないということであった。
この点については、本紙から読者に対して訂正をさせて頂くが、記事が追及している本件問題自体については間違いがないことは同時に強調しておきたい。理由は以下の通りだ。
川合市政はそれまで新斎場近辺の地権者並びに住民に対して余りにも強硬的な手段を取っていた。川合市長からすれば、東京高裁の要請に基づく「和解条項」を提出することは屈辱的であったろうことから、川越市民に向けて「和解条項」を披瀝することを忌避していたのであろう。
反対派リーダーに近い人物によれば、「事情を知る関係者」のO氏が本紙の取材に対して一部不正確な経緯を語った理由は、O氏が川越市民ではなく地権者・地元住民ではないため、懇意であるリーダーからも極秘事項は知らされていなかったからだという。問題の深層に秘められた事情までO氏が知る由もなかったということになる。
しかし、これらの実情を伝えた人物は、本紙の前回記事での「和解条項」の内容の扱いに違和感があったものの、その他の点について、記事はすべて事実であることを改めて本紙の取材で認めた。
ではなぜ、この匿名の人物はこの一件を本紙に寄せずに、川合市長宛てに私信を送達したのか?その回答は驚くべきものであった。実は他に、「真の和解条項」とも言うべきものが出ているらしいというではないか。つまり、それこそが訴訟で和解となった法的に有効な真の「和解条項」であるとのことだ。
そして、この事実は「新斎場建設差し止め訴訟」に参加した者のみの掌中にあり、今は秘しているというのである。何故、いま公開しないのかとの質問に対して、リーダーに近い人物は、こう回答した。「おそらく最後のカードとして秘しているんでしょう」
同氏によれば、当然、川合市長も東京高裁からの「和解条項」を保有している筈だとのこと。つまり、川合市長が嬉々として自らのブログに取り上げた手紙の裏には、このような決して市民に知られたくない都合の悪い事実が隠されているらしいのだ。

文書を都合よく「誤読」する川合市長のリテラシーの欠如

ところで、本紙記事を「嘘八百」だと結論している川合市長の主張は、市民某氏送達の手紙の記述を根拠としている。川合市長は、手紙による市民某氏の主旨を「記事については原告の一人である自分自身は一切関わっておらず、立て看板の写真掲載の許可もしていないから、同記事は単なる市長の誹謗中傷のみを目的とした不公正なものである」と読み取った。
市民某氏は「取材を受けた覚えもございません」と私信に述べているが、それは本紙1月15日付の記事についてである。紛争当初の市民某氏は、取材どころか反対派関係者と共に自ら積極的に資料を本紙に持参しては、川合市政追及を訴えており、本紙とは協力関係にあった。誤解のないように付記するが、それは市民運動への協力であって本紙の営利業務ではない。
従って当時から市民某氏だけに留まらず、本件紛争については複数の市民が問題を共有していた。注釈すれば、そもそも某氏による立て看板は、まさにこの問題を不特定多数の市民に告知する目的から衆目に触れるよう設置され、今なお撤収されていないのである。ここに地域住民が、真に川越市民に訴えたい重大な問題の「案件」が秘められているという。
かかる事実経過に鑑みれば、現況を示す立て看板の写真掲載自体に某氏の許可など要するはずもなく、本紙自身が当時から同問題の取材成果を共有していた事実からして、今になって某氏を取材する必要もなく、本紙に情報を伝えた「情報をよく知る関係者」が自ら取材に応じたのだ。
しかし、某氏の文面を精読すれば理解できることだが、某氏は本紙記事に対する同氏の見解や感想を市長宛てに述べたに過ぎず、本紙が言及した新斎場を巡る問題の存在そのものが「虚偽」であるなどとは一言も記してはいない。市長は文書に対するリテラシー(読解・記述能力)にも瑕疵があるようだ。
つまり川合市長は、選挙直前のこの時期において、手許に届いた私信を、笑止千万にも「アンチ行政調査新聞」という利害を一にしたものと判断し、自身のホームページ上で公開したのである。川合市長とすれば本紙が「某氏の許可も取らずに掲載した記事」という抽象表現をもって、本紙が予てから追及している川合市政の疑惑と問題の矛先を変え、本紙の信憑性を損ねるべく転用しようとの狙いがあったのだろう。

最後の審判は市民の掌中にある

ここで改めて認識されることは、川合善明市長のこうした感情的かつ短絡的な言動である。政治家であるならば、「嘘八百」などと児戯の如くに本紙攻撃をする以前に、新斎場について近隣市民の反対や疑問がなんら存在しないとする合理的な説明を公告することが先決であり、その意思があるならば「のり弁(黒塗り)」文書の情報公開などをすることもないはずだ。
本質的・客観的な知見に関知せず、自分の有利に働きそうなものであれば無条件に利用するかの川合善明市長の行動律は、本紙を共通の敵として見せた市民某氏の文章にコロリと乗せられ(または積極的に便乗し)、本紙や議会でも追及されている自身の官製犯罪疑惑については依然として触れないまま、次期市長選さえ乗り切れば事態を風化し得ると慢心するかの姑息な権力志向にあることを今回も露呈したと言えるだろう。
かつては、休日に公用車で小林薫(三遊亭窓里)市議の私邸に乗り込み、同市議を恫喝したこともある川合市長の激昂癖は、少なくとも川越市では「自分が一番偉い」との尊大な権力志向から生じているのだろう。強権的な川合市長の言動は、同じく「川合よしあき日記」1月14日に掲載された、本紙らを被告とした「告訴状」の写真にも明らかだ。原告の川合市長は自宅の電話番号、被告の小林市議の住所等を一応は付箋で隠しながら、同被告人とした本紙、政治結社(いずれも川越市民)の住所と実名は、見せしめのつもりなのか堂々と公開している。警察が受理する以前の告訴状の段階で「おれに逆らえばこうなる」とでも言いたいのか、公職者の疑惑を訴える市民の個人情報を感情的に公開し犯罪者扱いすることが許されると信じているようだ。個人情報保護法の観点からも、この問題は後に追及されるべきものだろう。しかも、同ブログで公開されている写真の告訴状には提出の日付も入っていない。受理されるどころか警察に提出前の画像を使い、あたかも市長側が正々堂々と法的に対処しているかの印象を粉飾している。
このような権力的かつ軽挙妄動の人物の言動こそが「嘘八百」ではないのか?川合善明氏が川越市長に再選されることが川越市民社会にとって幸福だろうか?いよいよ2日後に迫った市長選による最後の審判は、川越市民の手に託されている。

さて、本紙記事を懸命に追跡しているであろう川合市長に、この機会に申し上げておきたい。川合市長は、本紙を名誉棄損で告訴したという。公職者(それも首長)の公務に係わる有権者からの疑惑の追及をどのように名誉棄損とするのか、その法律構成を是非とも拝聴したいところだが、市長自身が法廷に持ち込むというのだから小林市議と並んで本紙も大いに望むところである。