特 別 号 〈その第2弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか? | 行政調査新聞

特 別 号 〈その第2弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか?

――「教育再生首長会議」と「軍歌と右翼」に関する姿勢を問う――

川合善明市長の「右翼発言」を考える

「軍歌を歌うからと言っても即右翼というふうに見られるものでもないという。それと同じであるというふうに答弁しておきます」

これは元共産党市議会議員本山修一氏の質問に対する川合善明市長の答弁である。川合市長は自分も参加している「教育再生首長会議」の存在を「右翼」と位置づけ、教育再生首長会議に加わっていることは「市長の立場でのお付き合い」であって、右翼(教育再生首長会議)の連中と立場を一緒にしないでくださいと、共産党議員の質問から逃れようとして、このような媚びた答弁を行ったことは甚だ不快である。

この答弁が、現代まで唄い継がれてきた「軍歌」の精神性を傷つけるものであることは明らかで、これを質した共産党の柿田議員の言葉にうろたえ、「例えとして不適切でございましたので、取り消しをしておわびを申し上げます」と謝罪したことは、本紙既報の通りである。しかし川合市長の認識不足、勉強不足はこれだけではない。答弁中にある「右翼」に関してもまた、川合市長はGHQによって生み出された戦後の自虐史観に基づいた極めて偏狭な認識しか持ち合わせていないことが理解できるのである。

「右翼」に関する認識

もともと右翼とは、フランス革命初期の議会で保守派が議長席の右側に陣取ったことに由来する言葉である。日本での保守・反共産主義の思想を持つ組織・個人を右翼と呼ぶのが一般的な認識である。
けれども、この認識は表面的なものに過ぎない。右翼思想の本質は、神話の時代から日本人の心に根付いてきたものであった。かつて神武天皇が畿内へと上陸する東征の過程で「八紘一宇」の言葉を掲げた時から、他者を不倶戴天の敵として抹殺することを命題とする西洋の覇道とは異なる、立場の異なる相手と争いつつも手を取り合わんとする博愛を至上とする日本独特の精神が生まれたのである。
神武天皇の掲げた「八紘一宇」の言葉を『日本書紀』では次のように記している。

八紘(あめのした)を掩(おほ)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや

「八紘」とは、天地を結ぶ8本の綱の意味であり、世界を表す言葉である。神武天皇が掲げた、この言葉には日本の国民さらには世界の人々が一つの屋根の下で仲良く暮らすことのできる理想が込められていた。
この思想は、大陸から流入した中国・朝鮮の儒教を根幹とする当時の「近代文化」に圧迫されて一時は忘却されていた。儒教とは、本質的に理想ではなく僅かな土地に住む人々を権力者が支配するための冷徹なシステム論に過ぎない。神武天皇によって掲げられた理想は、それを理解することのできない藤原氏をはじめとする時代ごとの権力者たちによって一時は、葬り去られてしまったのである。

これを復興させたのが、江戸時代に登場した国学である。中でも本居宣長は既に読み方すらも判然としなかった『古事記』の研究に生涯を費やした。本居宣長のほか平田篤胤や荷田春満、賀茂真淵によって確立した国学は、幕末の国難の中で草莽の志士たちを奮起させる思想的原動力となっていく。そして明治維新以降、いち早く西洋と対峙することのできる国家へと成長した日本は、西洋の暴虐な支配者の鉄鎖を打ち砕かんとするアジア諸国の同胞達と手を取り合う解放の思想へと進化していくことになる。

しかし、いわゆる第二次世界大戦後にGHQという占領軍は、この日本の伝統を廃絶することに血眼になった。その結果として成立した戦後民主主義というシステムの中で「右翼」とは、古ぼけた暴力的で危険な思想を持つ個人や組織というレッテルを貼られたのであるが、これらは真実の評価ではなく自虐史観に煽動され、右翼の本質を理解することを拒否した一部の人達の評価である。けれども、現代においても右翼思想の本質は不変である。右翼思想が志向するのは植民地主義による侵略と独占資本主義。すなわち自由と平和を阻害する勢力から世界の民衆を救済し維新を実現することにある。
川合市長の発言もまた、こうした思想の根幹を知らず、その上『古事記』『日本書紀』以来の伝統を学ぶことすらせず、西洋の覇道に操られた戦後の自虐史観に犯され尽くした、無知無学を晒しているものといえる。

右翼思想の原点を川合市長に申し上げたい

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

これは幕末の志士たちに多大な影響を与えた吉田松陰の和歌である。
松陰は、短い生涯の中で現代の維新の志にも通ずる幾つもの言葉を遺している。

「死して不朽の見込みあらば いつでも死すべし、
生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし」

「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」
「英雄はその目的が達成されないときには 悪党や盗人とみなされるものだ。世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる」
革新の志を鼓舞する一方で、松陰が次のような言葉を遺したことも忘れてはならない。「戦いは出来る限りにおいて避けねばならない。しかしギリギリ戦わなければならぬと最後の決断に到った時は、死を覚悟して戦いに臨むのだ」

戦後体制の下で、右翼とは軍国主義であり好戦主義であるかのような見方が喧伝された。それはまったくの誤解である。国を愛し、未来を愛し、美しい日本を後世の若者たちに残しておきたいと切望する熱い血潮を持つゆえに、止むにやまれず立ち上がる思想なのである。だからこそ、世人から馬鹿にされ、狂気と思われ、それでもなお「志定まれば、気盛んなり(吉田松陰)」と燃える者こそが右翼なのである。改めて述べるまでもなく国を愛し民衆を助ける意志の顕現である。同様の精神の持ち主は、いつの時代でも世界のあちこちに登場している。
19世紀のイタリアの愛国者・ガリバルディは妻子も家も捨てて、群雄割拠した国家の統一に生涯を捧げた。こうした愛国者たちを、尊敬しない国はない。

こうした事例からも「軍歌」を話のネタにして「右翼ではない」と答弁して共産党議員の質問を媚びて躱(かわ)そうとするなど、政治家としてあるまじき姿であることがよくわかるだろう。姑息な答弁で共産党議員の質問を躱そうと考え、追及されるとしどろもどろになって謝る。こんな小人市長を戴いている川越市民は悲惨というしかない。

川合市長が右翼と呼んだ「教育再生首長会議」を考える

川越市議会で共産党議員から質問が出た「教育再生首長会議」とは、いったいどのようなものなのか。それはひと言で述べると以下である。
教育こそ地域と日本の再生の根本との思いを抱く首長が連携し、昨年6月に結成された組織。現在、80人以上の市町村長が参加し、新たな教育施策を模索している。

今年(2015年)4月から教育委員会の制度が改革された。教育現場での首長の役割が非常に重要なものになってきた。下村文部科学大臣は「教育再生首長会議」について、「教育再生は一人一人の国民が人として生きるための当たり前のことを教育の中に取り入れていこうというものです。その中で志を持っている首長連合が国と足並みをそろえて教育再生の歩を進めることは非常に期待が大きい」と、「教育再生首長会議」への期待を口にしている。    (『産経新聞』1月31日)

いじめ・不登校・モンスターペアレントなどさまざまな問題が噴出している現在、とても先生だけでは対処できない。先生も多忙で子供と向き合うことができない。
そんな中、地域の人々が学校教育に参加し、子供たちをみんなで育て支えようとするシステムを作らなければならない発想は、そうしたところにあった。

「教育再生首長会議」への期待を下村大臣はこんな言葉でも表している。
「もともと日本は寺子屋のように、世界中で一番、庶民教育が進んでいた。勤勉で道徳心が高い国民性を持っている国柄でもあります。
それが残念ながら戦後、喪失しつつある。地方自治体も国の盛衰も人にかかっている。人が一番大切。国も地方自治体も、日本とその地域を立て直していくために、教育に力を入れていくことが重要で、そういう首長が出てくる自治体こそが活性化できるのではないでしょうか」。しかし『道徳』という教材が使用される点に関し、共産党を初めとするいわゆる左翼陣営は、これに猛反対を唱え、新教育制度に激しく抵抗している。

「左翼」が反対することは「右翼」なのか

川合善明市長が「教育再生首長会議」を右翼呼ばわりするのは、左翼であることを自称する共産党が反対しているから右翼なのだとする、じつに単純な発想なのではないだろうか。日本共産党は「教育再生首長会議」を「侵略戦争を美化し、特定教科書を押し付ける組織」と認識。党を挙げて全国レベルで反対運動を展開している。共産党がこうした反対運動を行うことは当然の話で、ここには問題はない。
議会だけに限らずあらゆる局面で論戦することは重要である。
しかし論戦もせずに、軍歌を唄うことを例え話に出して共産党の追及から逃れようとするなど、政治家として最低。それが市長とは、開いた口が塞がらない。

川合善明市長に率直に申し上げる。
議会の場で相手に媚び諂って論戦から逃げ出すことは、政治家としての資格ゼロである。次に、「右翼」の本来の姿というものを勉強せよ。学べば間違っても
「軍歌を歌うからと言っても即右翼というふうに見られるものでもない」などという軽々薄々な答弁はなされなかっただろう。

川合善明川越市長は弁護士である。
川合市長は司法界出身であり、憲法の大義を十二分に承知の上で議会壇上において 「軍歌と右翼」 発言した。そして安易に己の発言を共産党議員に謝罪している。
憲法の条文を理解しつつ憲法違反を承知の上で発言し、その発言を自ら撤回し、議会において謝罪するなどの行為は、日本国憲法で謳う思想・信条・結社の自由を侵害し、弄(もてあそ)ぶ行為は、極めて悪質であると云わねばならない。

ここまで日本の歴史を知らず、戦後の自虐史観に毒されたまま市長の椅子に座ることができるとは、厚顔無恥も甚だしい。
川合市長は34万人を越える川越市民の先頭に立つ者として、いや日本人として悠久の精神史を深く学ぶべきであるが、政治家としての素質をもとより欠いた川合氏には到底無理な話だろう。

余計なことながら、埼玉県下市町村長諸氏にはくれぐれも、川合善明川越市長の轍を踏まぬよう心して戴きたいと老婆心ながら申し上げるのである。

川合市長は「特別職公務員」である。
公務員は全体の奉仕者でなければならない。全体の奉仕者が特定団体を、悪意を以て決めつける行為は「特別職公務員」として憲法違反に觝触する。議会において謝罪しても、対象とされた我が国の愛国者諸氏に対して、如何様に詫びを入れるのかだ。
川合善明氏は、自治体首長として行政執行職の長たる役職を担いながら、保つべき平衡感覚を見失い、左翼に凭(もた)れ川越市議会壇上から正当な理由なく民族主義者を誹謗した行為は憲法違反もさることながら、市長という高額な歳費で温もった男が、だらけた政治感覚を以て高みより裸足で茨の道を歩む民族主義者に喧嘩を売ったと云うことだ。