特 別 号 〈その第1弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか? | 行政調査新聞

特 別 号 〈その第1弾〉川合善明市長は政治家として胸を張れるか?

――「教育再生首長会議」と「軍歌と右翼」に関する姿勢を問う――

政治家としての姿勢がなっていない。これは政治家以前の、「人としての在り様」という根源的な問題に関わってくる問題である。川合善明川越市長の話である。
本紙は以前から川合善明市長に疑問を投げかけ、問い糺してきた。
今回本紙が追及する内容は、これまでとは異質の問いかけであり、市長の政治家としての本質的姿勢を問うものである。これは一人川合市長に対する問いかけではない。日本中の心ある皆さんに本気で考えていただきたい問題を内包していると考える。

「教育再生首長会議」に関する質疑応答

川越市議会平成27年度の第一回定例会(2月)での質疑応答で、非常に珍妙な川合市長の答弁があった。多くがつい見逃してしまう発言だが、その答弁が意味するところは重大である。しかもその奥には下卑て厭らしい「おもねり」が透けて見える。
その問題答弁を理解するために、第一回定例会7日目の本山修一元議員(本山氏は平成27年4月12日執行の埼玉県議会議員選挙に出馬し落選。本山氏は現在、議員ではない)の質問から眺めてみたい。

この日、本山元議員(共産党)は「議案第二十三号、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律の施行に伴う関係条例の整備に関する条例を定めることについてお伺いいたします」と質問を切り出した。
昨年(2014年)『地方教育行政法』が改正された(本山元議員は「改悪」と表現)。
この改正については、一時は教育委員会そのものを解体するかのような怪説がインターネット上で飛び交ったこともあったが、本山元議員はこれに関していくつかの質問を行い、教育総務の横田隆部長が文部科学省からの通達事項を含め、今回の法改正で加わった3つの要素、新教育長・大綱・総合教育会議を中心に詳細に回答を行っている。

教育総務部長の回答を受け、本山元議員の質問は大綱の策定を首長に義務づけたことに関し、教育振興基本計画の基本方針を参酌することを目的に結成された「教育再生首長会議」に及ぶ。以下、定例会議事録より本山元議員の発言の一部をご紹介する。

「平成二十六年六月二日に教育再生首長会議が発足しましたと、山口県防府市長、松浦正人さんが会長挨拶をされております。ここには、この記念講演として教育が拓く未来、昭和天皇の御詔勅だとか、明治初年に発布された五箇条の御誓文、ちょっと時代的に非常にさかのぼるようなことを櫻井よしこさんですかね、講演で、ちょっと一部紹介しますと、我が国は皇室を中心に全ての国民が一緒によき国をつくってきました。その結果としてつくられた和を以てに代表されるすばらしい徳は決して他国から与えられたものではなく、長い年月の間にこの国で醸成され脈々と伝えられてきた賜物であるということを、まず子供たちに教えていかなければならないと思います。
このような価値観をぜひ首長さんたちが先頭に立って教育の現場に行き渡らせてほしいと思います。(中略)これは講演ですから、この会の綱領とかそういうものはわかりませんけれども、少なくとも教育再生首長会議の規約があるんですね、
ここに、七項目。事業として道徳、歴史、公民教育に資する調査研究だとか、適正かつ公正な教科書採択に関する調査研究、ふるさと教育、偉人教育に関する調査研究、こういう事業を行っていくことも記されて、この全国千七百自治体のうちの、既に八十自治体の首長が参加されております。ここに川合善明川越市長も名を連ねておられます。この教育再生首長会議とはどのような団体なのか、この会議の規約にも、先ほど紹介していますけれども、こういうことを承知で市長は団体に加入されてきたのか、どういう経過で加入されたのか、この辺について、これは市長にお伺いしておきたいと思います」

川合善明市長の「珍答弁」

この質問に対しても、まず横田隆教育総務部長が答弁を行っているが、これに続いて川合善明市長は以下のように回答している。

「教育再生首長会議とは、教育再生の先導的役割を率先して果たすことを目的に平成二十六年六月二日に設立され、平成二十七年一月二十七日現在、自治体の首長八十名が加入していると伺っております。教育再生首長会議の会長である松浦防府市長からお誘いがありまして会議のメンバーになったものでございます」

市長のこの回答を受け、本山元議員はさらに突っ込んだ厳しい質問を加える。
少々長くなるが、その内容を議事録から引用する。

「教育再生首長会議の団体に川合市長が加入されているということがわかりました。市長は、今御答弁があったように、防府市長から誘いがあって会議のメンバーになったものでございますというふうに言われて、前段で、この教育再生首長会議とは教育再生の先導的役割を率先して果たすことを目的にというふうなくだりも述べられました。この会議について十分承知の上で入られているのか、改めて市長にこの団体をよく御承知の上で入られたのか、たまたま松浦防府市長からの誘いがあって会議のメンバーに入られたのか、この辺ちょっと確認をしておきたいと思います。
それから、この教育再生会議の規約が、先ほど紹介しましたけれども、これは教科書採択に関する調査研究、調査研究ということですから、これはその段階にとどまるものとも言えるわけですけれども、教育の内容に介入するような懸念を思わせるようなことが書かれているわけです。さらに、安倍首相に提出した十の提言の中で、この教育再生首長会議の事務局団体は、懲戒処分を含めた小中学校の組織的ルールづくり、教職員団体の健全化、歴史の光を伝える教育への転換など、極めて戦前を思わせるような内容を申し入れをされているわけです。
インターネットでも私調べて、産経新聞が報道したようですけれども、今それは取り消されております、内容については。ちょっとこれは非常に今の教育委員会制度の改定が行われていく時期に当たって、こういうふうに首長がこのような団体に入られていること自体が果たして問題ないのかと、中立性だとか独立性だとかそういうことがしっかりと培われていくのかどうか、非常に私も心配しております。
先ほど来、一般行政は、首長からの独立、政治的な中立性は維持されていく、新教育委員会制度を、それぞれ答弁があったように再確認させていただきましたけれども、これと相入れない主張をしている団体に市長が入られているわけですから、これは参加すべきではない、この団体からは抜けていくようなことが私自身としては思うわけですけれども、市長の、先ほどのこの団体をよく理解した上で入られたかどうかも含めて御答弁いただきたいと思います」

これに対する川合市長の珍妙な答弁が以下である。
「一点目でございますが、十分承知の上でかどうかというその十分がどの程度のものをあらわすのか何とも言えませんが、一定程度承知の上でメンバーとなったというふうにお答えしておきます。
それから二点目、このような団体にいるのはいかがなものかというそういう点につきましては、軍歌を歌うからといって即右翼というふうに見られるものでもないという、それと同じであるというふうに答弁しておきます。(以下略)」

「軍歌」と「教育再生首長会議」

川合善明市長の言葉から、市長は「教育再生首長会議」を「右翼」と位置付けていることが理解できる。これは重大な点で、これについては後述する。もう一つ問題な点は、「軍歌」とは「右翼」であり、「自分は軍歌は唄うが、そのような思想を持ち合わせているものではない」と言外に匂わせ、それによって共産党の本山元議員の質問から逃れようとしている点だ。

軍歌とは何か。一般的には戦意高揚のために作られた歌と理解されているが、明治から昭和まで生まれた軍歌の有様は多彩である。戦意高揚を目的にレコード会社が商売のためにつくったものもあれば、前線の兵士たちの中で生まれて唄い継がれたものもある。戦意高揚一辺倒ではない。亡くなった戦友や故郷への思いまでもが唄われている。
「歌は世に連れ〜」という言葉に示されるように、軍歌を口にする多くの人々の心奥には、国のために命を賭して戦い、そして花と散った兵士に対する満腔の思いが流れ、ときにそれがノスタルジーとして人々の胸をうつのだ。

軍歌を唄っていることで、そうしたノスタルジーを理解しているかと思いきや、答弁となると「自分は軍歌を唄うけど右翼ではない」と、詭弁と媚びで共産党議員の質問を躱(かわ)そうとするなど、政治家としてあるべき態度とは思えない。
民衆を代表する政治家たるものは、国家のために己の信念を貫き通すことが必要である。その信念があるからには、自分とは異なる思想を貫く政治家に媚びるなど言語道断の話。その、やってはならない媚びを川合市長は共産党本山元議員に向けたのだろう。寒気がするおぞましい自治体のリーダーにあらざる姿勢である。

川合市長は軍歌が大好き。そして本山元議員も…

川合市長は酔うと行きつけのスナックで軍歌を唄う。
聞くところによると、共産党の本山元議員もまた、川合市長と一緒になって軍歌を唄う仲間だという。ということは、「軍歌を歌うからといって即右翼というふうに見られるものでもないという」川合市長の答弁は、まさに本山元議員に対する媚びへつらう姿勢そのものではないか。

時代劇のテレビドラマで、代官に擦り寄る悪徳商人が「お代官さまもお好きでございますね~」とおもねる、その雰囲気が、市議会定例会の場で演じられたようだ。あろうことか、共産党議員に擦り寄り「へっへっへ、お代官さまも…」と媚びへつらうのが、市長といった構図に見えてしまうのだ。川合市長による本山元議員おもねりの根底に、「教育再生首長会議とは右翼である」とする川合市長の勝手な「言い逃れ」がある。川合市長のこの姿勢を理路整然と厳しく糺したのが、同じく共産党の柿田有一議員だった。
定例会第14日目に質問に立った柿田議員は市長の政治姿勢に対して鋭く厳しい七項目の質問を行い、川合市長から各々について回答を得ている。それに続いて柿田議員は、本山元議員が質問した「教育再生首長会議」に関して、以下の質問を行っている。

共産党・柿田議員の党派を越えた一個の人間としての怒りが炸裂!

「過日、本山修一議員が教育委員会の制度にかかわる条例改正案、これは市長が提案をされた議案に対する質疑での答弁でありました。本山修一議員は、市長が一方では中立性が保たれると、執行部も含めてそういう答弁をされているのに対し、一方では、そういう中立性に介入するおそれのあることを、会そのものが目的としている教育再生首長会議について、所属しているのは必ずしも適当ではないんじゃないか、抜けるべきではないかという質疑に対して、直接答えることではなく、例を用いて表現をなさいました。それは、わかりやすく言ってしまえば、軍歌を歌うからと言って右翼ではないと、こんな答弁だったというふうに思います。
私はこの答弁に少し違和感を感じました。私自身、旧制中学であった古い学校を卒業しています。男子校です。厳しい規律のある応援団というところに私は所属をしていた過去がございます。縦に非常に厳しく、そういう教育や訓練を受けてきました。軍歌を歌う文化もありましたので、私は今、日本共産党の議員という立場で、この軍隊や軍歌とは対極にある立場で活動していますけれども、私自身も幾つかの軍歌はそらで歌えるものがあります。
そういう経歴を持つ者として、この例は正直に言えば、非常にかちんときました。左翼だって軍歌を歌うじゃないか、私はそういうふうに言われたように感じたんですね。市長の意図がどこにあったかはわかりません。ほかにもそういう方はいらっしゃるかもしれないし、何か特定の意図があったんじゃないか、こういうふうに曲解をすら、真面目な態度でお答えになったのか、そうではなかったのか、私は非常に不快感も含めて受けとめました。しかし、他意はないものと受けとめて、議案の質疑はそのまま続行していただいたつもりです。

改めてお伺いをしますが、さきの質疑における軍歌と右翼に関する答弁の意図が何だったのか、改めてお伺いをしておきたいというふうに思います」

共産党に籍を置く議員でありながら、柿田議員の質問はじつに鋭いものがある。
何より自身が「軍歌を唄う文化」を理解し、それゆえに川合市長が答弁に、軍歌と右翼を重ね合わせるような軽率な姿勢を見せ、その背後に本山元議員に媚び、おもねる厭らしさを嫌悪したことが、質問の中にありありと見てとれる。
柿田議員の質問は政治家としての川合市長の姿勢の欠如を糺し、また一個の人間としての立場から川合市長を戒めたのではないか。

柿田議員の難詰にしどろもどろの川合市長

この質問に対し、流石の川合市長も正対して前言を取り消すしかなかったようだ。
「まず、さきの質疑における軍歌に関する答弁についてでございます。これは外形的なもののみで判断していただきたくないという趣旨の例えとして申し上げたものでございますが、例えとして不適切でございましたので、取り消しをしておわびを申し上げます。大変申しわけございませんでした」

この後、柿田議員はとどめを刺すように川合市長に以下のような言葉を投げている。
「軍歌と右翼についての答弁の意図ですけれども、市長、不適切だということで謝罪もいただきました。皆そういうふうにきっと感じておられたんじゃないかなというふうに思うんですね。例を出すのであれば、少し慎重に言葉も選んで対応することがやはり大事ですし、市議会というのは、そういうことも含めて指摘をされる大変意味のある場でございます。そういうことも今回も含めて、市長は一つ一つ議会でのやりとりが、その先の議会につながる勉強になるんじゃないかなと思います」

川合市長は柿田議員のこの言葉を重みのある訓戒と受け止め、その姿勢を今後の市政に反映できるのかである。小心者が如く陰で政敵を罵り、果ては公用車を使い己を批判する市議の自宅へ個人的恨みをもって乗り込むなど、心ある者から嘲笑され、議会においては質疑応答に顰蹙(ひんしゅく)を買うなど批難材料の多い川合暴君市長、正道を踏まず自我剥き出しの政治姿勢に市民の批判は高まっている。

「教育再生首長会議」とは何か

川合善明市長の「軍歌発言」は、つまるところ「教育再生首長会議」に行きつく。「教育再生首長会議に参加してはいますが、それは市長の立場でのお付き合いであり、右翼(教育再生首長会議)の連中と立場を一緒にしないで下さい」といって共産党議員の追及から逃れようとしている。教育再生首長会議には多くの市長が参加しており、自分もお付き合いしているが、それは自分の本心ではないということを訴え、結果として本山元議員は教育再生首長会議に関する質問をこれで終えている。

答弁に軍歌を使うことで本山元議員の追及の手から逃れ、たしかに議会を乗り切ることができた。しかしそれは政治家としてあるべき姿なのだろうか。
そもそも「教育再生首長会議」とは何なのか。
ひと言で説明するなら、戦後教育を脱却し、これからの青少年のための教育制度を改革しようと考える自治体首長らが結成した会である。

わが国の教育のあり方を根底から見直そうとする安倍晋三首相、下村博文文部科学相の肝入りで作られたもので、地域の発展、日本の発展のためには人材育成、教育こそが重要であるとの想いを共有する市区町長が参加している。同時に、共産党が党の全力を挙げて潰そうと考えているのが、この「教育再生首長会議」である。共産党はこの会議を「安倍政権が国政レベルで進める『教育再生』と連動して結成された地方版」と捉えているが、共産党にとっては生命線と位置すべきものだろう。

余りの勉強不足!「情けない」限りの川合市長

共産党議員の質問に対し「教育再生首長会議とは右翼のようなもの」と身を躱(かわ)そうとする川合市長に、右翼の本質が理解できているのかを問いたい。

右翼思想の原点とは、吉田松陰が述べた「戦いは出来る限りにおいて避けねばならない。しかしギリギリ戦わなければならぬと最後の決断に到った時は、死を覚悟して戦いに望むのだ」という言葉にある。
右翼思想の本分は、反社会的勢力の抹殺である。「侵略植民地主義」「腐敗した政治勢力」「国民の自由と平和を阻害する勢力」「利益独占をもくろむ資本勢力」などは恒常的に右翼が闘いを挑む対象である。

今年一月に教育再生首長会議代表団の表敬を受けた安倍晋三首相は以下のように語っている。
「私は、この2年余り、教育再生実行会議を主催いたしまして、いじめ防止や教育委員会制度改革、大学入試改革など積年の課題を着実に実行に移してまいりました。
しかし、真に重要なことは、改革の理念が教育現場に浸透し、教育活動に反映されることであります。理念だけで終わっては何の意味もない訳でありまして、実際に現場でしっかりと、その教育内容に反映されることが最も大切であろうと思います。そのためには、全国の教育現場を預かる地方自治体の首長の皆さんの御協力とリーダーシップが不可欠であると思います。
ちょうど、NHKの大河で、松浦さんと私は同じ山口県でございますが、『花燃ゆ』で松陰先生が今取り上げられている訳でありますが、正に地方の本当に小さな私塾が日本を変えた訳でありまして、正に地方の教育こそ将来の日本の姿を決めていく、このように思う訳でございます」

共産党が死力を尽くして潰そうとする「教育再生首長会議」に参加しておきながら、共産党の追及に対して軍歌発言などを行って矛先から逃れようとする川合市長。軍歌を唄うが右翼ではないなどといった、歴史的背景をなにも知らずに自らの無知を晒す軽率極まりない発言を議会答弁で行い、共産党議員からも苦言を呈され謝罪、発言撤回をする市長。
政治家としての姿勢そのものが出来ていない人間が川越市の首長であること自体が恥ずかしい限りである。こんな市長が不勉強のまま、自らが「右翼」と蔑んだ「教育再生首長会議」に、これからもどの面下げて参加するとしたのなら、川越市民は日本全国に大恥をさらすことになるだろう。■