福 山 辰 夫

獄 中 記
<福 山 辰 夫>
第 三十一 回
皇紀2657年 【平成9年・西暦1997年】
12月1日 (月) 晴れ
ミシンを踏むのは初めてと赤石のおじさんは言うが、親分になる人は何をやらせても覚えが早い。10時の休息後、簡単な縫製作業からやって頂く。此れは飽く迄も小生の見解だが、師走に入り今年も残すところひと月。皆の興味は近日実施される「総転房」(部屋替え)と、大晦日の菓子袋や正月の折詰・特別菜は何が出るのか?連休中に視聴するVTRの題名は?といった方に気を取られて落ち着きが無い。工場作業も終始ダレ気味で、注意力が散漫して締まりが無い。
そんな状況下の28日(金)におじさんが12工場へ配役になり、それ迄のダレ気味で緩んだ空気が一転して締まった空気に変わる。一角(ひとかど)の親分が醸し出す「空気」というのは、修羅場を何度も潜り抜けてきたからこそである。実録の任俠小説を何十冊と貪り読むより、身近に居る本物から所作を学ぶべきと心得たし。
12月2日 (火) 雪
仙台で今冬の初冠雪を記録。寒さは此れからが本番也。
運動(11時~11時35分 講堂)は赤石のおじさんを挟んで、M田さんと小生の3人で語らう。
毎回必ず渡世の話しになるが、おじさんは何でも知っていて娑婆に於ける交友関係の広さが窺える。夜は勉学に勤しむも底冷えがする為、19時過ぎに床を敷き就寝する。
12月3日 (水) 曇り のち 晴れ
朝の冷え込みが厳しく、最低気温は-3.3度。日中の最高気温も+1.6度迄しか上がらず「真冬日」となる。出役後、工場担当を通じて父上宛の年賀状を書信係へ提出。運動(8時40分~9時15分 講堂)は、昨日同様に赤石のおじさん・M田さんと語らう。亦、頃合いを見払っておじさんにM崎君(住吉会幸平一家加藤組内英虎組)を紹介する。幸平一家十二代目筑地久松総長の話しになり、おじさんも社会不在が長い所為か、頻りとM崎君に住吉会の内部事情を聴いていた。
12月4日 (木) 晴れ をりをり 曇り
作業は指導に縫製と息つく暇もなく、業者からは納期厳守と催促のFAXが届く。
2番入浴(15時30分~)で還房後は、夕点検迄「作歌帳」の整理。夕方は中国思想『荘子』を独学する。
◇米スペースシャトル「コロンビア」に乗った日本人宇宙飛行士・土井隆雄さんが、米中部時間3日午前3時(日本時間同日午後6時)過ぎから2回目の船外活動を実施し、クレーンと浮遊式ロボットカメラ「スプリント」のテストを目的とした船外活動は5時間に及び、3日午前8時(同午前11時)に終了(『日刊スポーツ』4日付・社会面から)。
12月5日 (金) 晴れ 聖徳太子が冠位12階制定(603)
工場担当の菅野看守部長は不在で、成田交代担当が一日付く。
運動(9時15分~9時50分 講堂)は、赤石のおじさん・M田さん・M崎君と語らう。二年半前に小生が13工場(写植)で務めていた時の話として、ある日おじさんが反則事犯で入独した途端、工場は緩んで締まりが無くなった。今、ウチの工場は空気が締まり好い事。
12月6日 (土) 快晴
午前中は『行動学入門』(三島由紀夫著)を心読。―革命哲学としての陽明学― の文中、大塩平八郎(中斎)を取り上げて「帰大虚」について考察している。
「聖人ハ即チ言アルノ太虚ニシテ、太虚ハ即チ言ハザルノ聖人ナリ」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入っていく他はない。形あるものすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさえ地震によってゆさぶられる。何故なら形があるからである。しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるように心が太虚に帰するとき、初めて真の「不動」を語ることができるのである。すなわち太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して真の良知に達し、天の正義と一致するのである(本文中212~213頁)。亦、大塩平八郎はその『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』に於いて「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」ということを常に主張して、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
而して、心が本当に死なないことを知っているならば、この世に恐ろしいものは何一つない。
決心が動揺することは絶対ない。そのとき我々は天命を知るのだ、と言った。朱子学の一分派ともいわれる陽明学だが、主観哲学である意味からすれば正に革命哲学といえ、それは行動哲学ともいえる。
真理は自分の中にあり
昼餉後、中国思想『荘子』を独学。13時過ぎに理髪の為、出房。理髪後は臨池に勤しみ、漢字部随意作品(条幅半切・行書)に揮毫する。夕方の余暇はノート整理を行い、夜は床に就きテレビ視聴を行う(19時~20時54分)。
◇土井隆雄さんらが搭乗したスペースシャトル「コロンビア」が、米東部時間5日午前7時20分(日本時間同日午後9時20分)頃、フロリダ州のケネディ宇宙センターへ無事帰還。今回の飛行日数は15日と16時間30分余りで、日本人宇宙飛行士では最長となる。
12月7日 (日) 雨
二十四節気の一つ「大雪」。
宗教教誨「神道」に出席する(9時30分~10時30分 1舎3階教誨室)。本日の教誨師は、仙台桜岡大神宮宮司の坂本寿郎先生。小野寺の兄弟、W辺浩君らは出席するが総員9名と少ない。毎年12月の教誨は、新たな年を迎えるにあたり心身を清める祓い―年越の祓―を行った後、来年の干支である「戌寅(つちのえとら)について」の講話を謹聴する。
戌(ボ)というのは樹木が茂るという意。寅(イン)は、約束=つつしむという意で、茂った樹木も余分な葉や枝を剪定しなければ、やがては立ち枯れてしまう。つまり来年の干支である「戌寅」は、我々人間も余分な力は削ぎ落として慎ましく一年を送らねばならない。「一年の計は元旦にあり」というが、人間は過去を改め、新しい年を迎える事によって心機一転、新たなる前進をするのだと。尚、小野寺の兄弟は5工場で衛生掃夫をやっており、毎日が充実していると言っていた。雑居へ転房して2カ月が過ぎ、今の所は問題無くやっている様だ。只、超短気な性格故にて其の辺が心配である。兄弟、年末年始は舎房での生活が長くなる為、呉々も喧嘩等で入独・取調べになる事なく頑張って欲しい。
昼餉後、中国思想『荘子』を独学。13時から入浴(10分間)の為、出房。入浴後は夕点検迄、臨池に勤しむ。15時頃、独居棟の南側高塀沿いを右翼の街宣車が大音量で軍歌を流し、市街方面~国道4号バイパス方面へと走り去る。夜のテレビはNHK大河ドラマ「毛利元就」を視聴。
12月8日 (月) 雨 開戦記念日(1941)
終日(ひねもす)雨にて鬱しい一日。先週金曜日に引き続き担当の菅野看守部長が不在の為、成田看守が一日代務で就く。作業中に幾度となく業者からFAXで年内必着オーダー製品の縫製状況、出荷の確認・催促 があり終始苛立つ。例年の事だが、年末から入園時期を挟んで5月迄は忙しい。運動(13時~13時35分 講堂)は赤石のおじさん・S向さん・M田さん・M崎君と語らう。
先週11工場のM本さん(稲川会上州田中一家総長代行)を含む、稲川会系の6名が入独。事の顛末は、作業指導するM本さんにМ谷(元12工)が居直り、それを見た同会系の者らにM谷はボコボコにされた。
当然、八王子のT君もその中に加わっているものと思っていたが、逆に止めに入るも“時既に遅し”であった。抑々、宮城の“サムライ(ヤクザ者)工場”といえば「4・5・6・11」が挙げられる。堅気で世間知らずの小僧がイキがって渡って行ける程、甘くはない。
12月9日 (火) 曇り をりをり 晴れ
王政復古の大号令(1867) 皇太子妃雅子様誕生日(34)
朝の最低気温は9.1度、日中の最高気温が13度と10月下旬並みの陽気で、暖かい一日。本日も菅野看守部長は不在の為、成田看守長が代務で一日就く。
運動(10時25分~11時 講堂)は、赤石のおじさん・M田さんと語らう。夜間独居の生活も3年が過ぎ、独居転房を機に“娑婆気(しゃばけ)を起こす”週刊誌・ヤクザ誌の類は一切購読を止めて、莫妄想(まくもうぞう)を自らに課す。只、今日のおじさん情報で信沢のおじさん(住吉会西井会代行)が、現在住吉会の顧問になっていると聞いて、娑婆に居た7年前に比べて急激なる組織の若返りを図った。其の空いた席の分だけ高島の親父をはじめ、名のある親分が逝去・引退したという伝聞に囚獄(ひとや)の中(うち)に居る所為か、世の変遷と寂寥感を覚える。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
12月10日 (水) 晴れ をりをり 曇り
33歳の誕生日。(獄中7年)
アリス時代から谷村新司が好きで「群青」「陽はまた昇る」等、心の琴線に触れる曲がお気に入りである。特に「昴」の歌詞は好い。
「昴」 作詞・作曲・歌 谷 村 新 司
目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より
他に見えるものはなし 鳴呼 砕け散る 運命(さだめ)の星たちよ
せめてひそやかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ
呼吸をすれば胸の中 木枯しは吠(な)き続ける されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり 嗚呼さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに 我も行く さらば昴よ
嗚呼いつの日か 誰かがこの道を 嗚呼いつの日か 誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ
谷村新司の詞(ことば)は人を感傷的にさせる。
出役後、刑務所機関紙「人」及び所内文芸誌「あをば」へ投稿する短歌作品原稿を教育課に提出。
今回の投稿作品は、
冬立ちぬ朝の歩廊にひびきたる囚らの歩調声高らかに
鰯雲染まる夕陽にむかひ飛ぶカスラの群よ何処へかへる
夜来より続く寒気夜が明けり初霜おりて芝うら枯るる
黄昏も短くなりぬみちのくは肌で感じつつ秋の終わりを
極道はみちをきはむることなりと真顔で言ひ立つ面会の父
「十年も務めりゃ角がとれるよ」と悟りぬ囚は無期囚なり 等。
昨夕の宗教教誨「浄土宗」に出席したH瀬さんが、小林会の相良福一組長より「呉々も福山さんに宜しく御伝え下さい」と伝言を言付かる。何時も言葉を掛けて頂き相良組長に感謝。
11月分の賞与金教示が有り、1等工5割+2割 = 8,294円也。2番入浴(15時30分)で終業が早く、還房後は夕餉を挟んで父上宛の便りを認める。夜は19時から20時55分迄、夜間独居優良室テレビ「一億人の大質問!?笑ってこらえて」「X-ファイルⅢ(最終回)」を視聴する。
12月11日 (木) 快晴
白物4点(枕カバー・衿布・敷布・毛布カバー)の一斉交換有り。
運動(13時35分~14時10分)は、久々にグラウンドでの実施。軽く走った後、藤棚の下で赤石のおじさん・M田さんと語らう。明日雑居の「総転房」が実施され、赤石のおじさんは2舎2階3室で北見のS向さんと同房。特に7工場のHさん(國粹会金町一家)が、罰明けで12工場に下りたおじさんの身を甚(いた)く案じていて、小生も出来る限りの事はしているが夜間独居の為、雑居房内に於ける気遣い迄は行き届かず気にはなっていた。小野寺兄弟の兄ィで、Hさんとは五分の兄弟分であるS向さんと一緒なら安心して頂ける筈。
10月9日に実施された「漢字能力検定」の認定証授与式が、教育課に於いて執り行われ、今回受験した4名全員が合格したとの由。授与式には小野寺の兄弟も居た旨、ミシンを踏むS向さんに伝える。亦、兄弟より桜きなこ氏を通じて「兄弟、6月は頑張れ!」と伝言を言付かり、必ずや「漢検2級」を一発で合格すると兄弟に誓う。
12月12日 (金) 快晴
仙台で光のページェント点灯18時~(青葉通り・定禅寺通り)
雑居の「総転房」を実施。赤石のおじさんはS向さんと就寝位置も隣になる。
連日に渡って年内出荷・必着の材料入荷に、確認・仕分けとてんてこ舞の忙しさ。亦、過日入独した3班の貴重な戦力であるYさん(五代目山口組三代目山健組内・気仙沼市住人)は、菅野のオヤジ曰く「未だに取調中で、年内は工場に戻れない」との事だ。昨日、新入で下りたT君(十和田市住人)は27歳と若く、3班の戦力として期待したい。入浴(16時~ 4番)。還房後は私本配付日に付き、領置金購入の『2級漢検分野別問題集』(財団法人日本漢字能力検定協会)が手元に届く。
◇松葉菊はハマミズナ科(ツルナ科)マツバギク属の多年草で、その花言葉は「忍耐」「勲功」(他に「怠惰」「怠け者」)とある。1941年の今日、真珠湾の奇襲で始まった戦争の呼称を「大東亜戦争」と閣議決定する。
12月13日 (土) 晴れ をりをり 曇り
終日舎房にて過す。日中は粉雪が舞い冬日になる。午前中は『老荘を読む』(蜂屋邦夫著・講談社現代新書)を心読し、所内文芸誌「あをば」へ寄稿する読書感想文「葉隠入門 -三島由紀夫-」の起草。午后は臨池(「九成宮醴泉銘」を条幅半切に臨書)に勤しみ、夕方は読書、ペン字の手習い。夜のテレビは「波乱万丈!スターの裏人生」(19時~20時54分迄)を視聴。
武士道といふは死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかり也。別に仔細なし。胸すわつて進む也。<中略> 毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度(おちど)なく、家職を仕課(しおほ)すべき也。(聞書第一)「常住死身」こそ 武士(もののふ)の道也。
12月14日 (日) 快晴 赤穂浪士が吉良上野介邸へ討ち入り(1702)
12月生まれの「誕生会」(9時30分~10時30分 講堂)に出席。本日の出席者は56名で、台湾の謝さん・AK澤さん・H君(13工)・Nさん(11工)・Iさん(4工)・N村さん(10工)・SN江君(営繕)らの顔を認める。12工場からはS瀬さん・Yさん・Kさん、それに小生の4人が出席する。
誕生日菜の汁粉(1杯)を喫食して、篤志面接委員の先生による講話「健康について」を拝聴。終了後、VTR「NHK歌謡コンサート」(録画もの)を視聴。還房後は、所内文芸誌「あをば」に寄稿する読書感想文「葉隠入門 -三島由紀夫-」の起草。午后14時から、先代月命日の写経(「般若心経」)を行い、夕方の余暇は『老荘を読む』を心読。夜はNHK大河ドラマ「毛利元就」(最終回)を視聴。
ドラマの中で、元就が「よく生き、よく死ぬ」と口走る場面が多々あったが、『葉隠』も死を中核に置いて常に死狂いを発しているものの、決してファナチシズムに染まった書物では無い。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てる事だと主張する。つまり、人は今日死ぬと思って仕事をする時に、其の仕事が活き活きとした光を放ち出すのを認識するが故也。
12月15日 (月) 晴れ をりをり 曇り 一時 俄雨
連日、業者より製品出荷の催促があり縫製作業に追われて、正に師走といった感あり。
運動(11時~ 講堂)は赤石のおじさん、М田さん、桜きなこ氏と語らう。一昨日の「クリスマス会」に出席した桜きなこ氏が、13工場の謝さん(台湾人。昭和40年代半ばに覚醒剤40㎏を密輸して摘発され、大阪刑務所に7年間服役。今回は香港で覚醒剤270㎏を押収され、40㎏を日本に密輸したところ空港で摘発。香港の方は罰金で済んだが、日本に密輸した40㎏の方で15年の刑期を服役中)と隣席になり、おじさんと小生へ呉々も宜しく御伝え下さいと伝言を頼まれたとの事。
謝さんは赤石のおじさんと同じ昭和9年生まれだが、とても60過ぎとは思えぬ程、元気溌溂としている。13工場で共にワープロ作業(3班)に従事し、役席も小生の真後ろに謝さんが居り、工場食堂の席次も小生の真向いが謝さんだから、休息・休憩時間は二人で色々と語らった。何度も繰り返し言っていたのが、「福山さんが出所した暁には必ず来日するから、赤石さんの所へ案内して欲しい。其れ迄俺は元気で頑張るよ」だった。
戦前は日本人であった謝さんは、台湾大学卒。台湾語・日本語・北京語・英語・ドイツ語が堪能で、フランス語も少し出来る。戦後、台湾人としてどう生きてきたか?本人の履歴を問うと口を噤んでしまう。只、ひとこと言えるのは異国の地で友人知己もなく、己一人だけの力で以て長期刑に服すのは並大抵の事ではない。それ相当の苦労が伴う覚悟と、只管沈黙に徹するという決意だ。
12月16日 (火) 快晴 戦艦「大和」完成(1941)
明日17日は、夜間独居の「総転房」を実施。舎房は4舎3階4室で一昨年暮れ~昨年暮れ迄、一年間起居した部屋である。
『葉隠』の「夜陰の閑談」にて山本常朝が佐賀藩の若い藩士である。田代陣基(つらもと)に話す。
行の最後に、“四誓願として”次の事を陳べている。
一、武士道に於ておくれ取り申すまじき事
一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起し人の為になるべき事
この誓願を毎朝仏神に念じ候へば、二人力なりて後へはしざらなるもの也。
平成の武士(もののふ)として生きる身に深く、此の“四誓願”を心に留め置き日々の生活を戒めねばならぬと心得る可し。
12月17日 (水) 曇り のち 晴れ
担当の菅野看守部長が不在の為、代務で成田看守長が一日就く。10時過ぎに警備隊の若い看守が工場に迎えに来て、夜間独居の「総転房」で荷物運搬に行く(4舎3階6室から同4室へ)。
一年振りの房内は汚いどころか、流し台下の板の間と畳が腐っているのには驚く。明日の朝、菅野のオヤジに願い出て営繕に修理を頼んで貰う。作業は年内必着の製品出荷に追われて息つく暇も無い。然し、フルに一日を終えたという充足感は余人には計り知れない。
夜は19時から20時54分迄、夜間独居優良室テレビが有り「ドキュメント大救出!!奇跡の生還者たち」を視聴。
◇昨年(平成8年)の今日、トゥパク・アマル(MRTA「革命運動」)がペルー日本大使公邸を占拠した事件から丁度一年。今では公邸も取り壊されて公園となっていて、囹圄に暮らす身には昨日の出来事の様な感覚でしかない。然し、熟皇国の臣民は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と、諺どおり事件は風化され危機管理に対する認識は忘却の彼方に。
皇国の臣民よ、嗚呼悲しい乎。今こそ目覚めよ大和魂。
12月18日 (木) 曇り をりをり 晴れ
東京湾横断道路「アクアライン」(川崎~木更津間)開通
東京・上野公園で西郷隆盛の銅像除幕式(1898)
9時頃、分類より新入が下りて来る。先週のT君(十和田市住人)が27歳、本日のK木さん(池袋・極東会関口連合会関心会)は38歳と小生よりか少し年上。日課台で私物確認等を終へ、ミシン工で3班の配属になり菅野のオヤジに呼ばれる。担当台に行きお互いに挨拶を交わし、K木さんの役席を案内して作業内容を説明。K木さんが工場に入ってきた瞬間、雰囲気や其の所作からサムライ(ヤクザ)だと確信。「娑婆は何処ですか?」と尋ねたら「池袋の極東会」という返事に、久里浜特別少年院で共に少年時代を過ごし、五分の兄弟分である小島太郎(極東会関口連合会二代目島田会)の名を言うと、見る見るうちにK木さんの緊張した面持ちが緩み「私も同じ関口一門であり、局長とは関口会本部で良く会いました」。其の言葉に小生も親しみが湧き、指導そっちのけで兄弟の話に花が咲く。Kさんの話だと、現在兄弟は二代目島田会大心総業組長、関口連合会の事務局長を務め、極東会の若手では一番の出世頭であるという。兄弟分として実(まこと)に以て嬉しい限り。そんな兄弟に後れを取らぬよう心新たに日々務めねば…。
前略 兄弟長らく御無沙汰致して居ります。残る刑期も4年3カ月を切り兄弟との再会を心に秘め、一意専心俠道に邁進して居ります。今般伝聞乍ら兄弟の御活躍を心より嬉しく一筆啓上仕り候。出頭前日、暫しの別れと送別の席を設けて頂き、兄弟と酒を酌み交わした光景が鮮明に想い出されます。未だ修行中の身でありますが、縁あって小野寺勝則と兄弟の契りを結びました。事後報告となりし事、誠に以て申し訳あませんが縁組の件御承知願います。亦、高島義雄親分亡き今思うところあり刑期満了を以て出所致す所存にて候。
末尾となりますが、寒さ厳しき折、呉々も御自愛の程お祈り申しあげます。
兄弟と相見(まみ)える日迄、更なる自己修養に努めて参ります。 草々
何れ春永に
小島太郎兄弟へ
12月19日 (金) 快晴
日中は暖かく、仙台の最高気温は14度と11月中旬の陽気。運動(14時10分~)は、赤石のおじさんと軽めに腕立て、腹筋等を行い、昨日新入で下りたK木さんを改めて紹介。極東会も松山眞一会長が関口五代目を継承して組織改革を実行。兄弟の親分である大熊建二会長も、極東会関口連合会田中二代目を継承。極東会の重鎮として池袋に事務所を構え、兄弟も一家名乗りを許され晴れて親分となり神農道に邁進している。
昨晩は兄弟の近況を聞いて夜半過ぎ迄、彼是思いを巡らせ寝付けず。26歳でジギリを掛けて服役中乍ら、人生に於いて失うものが余りにも多岐に渡り、青春・時間といったものを含め、失いしものは二度と己が身へ戻る事は無い。だから前向きになって“人より遅れた人生”を如何にカバーするかを思案し、失った分だけ何かを得て娑婆へ帰らねば、一度切りの人生全てが無駄・無意味になる。古今東西に於ける「豪傑・英雄・将軍」といった後世に名を残す人物は、如何にして歴史の表舞台に登場し、人心収攬をはかり、政治経済・軍事・治水と治世に須らく精通する。
12工場(洋裁工)で班長を務める3班は僅か10人程の所帯だが、工程別に仕分けた材料を各人の適性と技量を見極め、作業の進捗状況に応じて適宜対応して、各ミシン工の手が空くことなく材料を振り分ける。亦、出荷日及び納付期日の確認・不良製品等の管理とミシン修理も班長の役目である。ミシン工としての作業は元より、製品・人間の管理業務は人の上に立って判断を行い、物事を進めるという点では其の意とするところは一般社会と同じである。指導者として小生が上記三者の中(うち)、何れに該当するかは判らないが班長=指導側に立って日々勘案する。其処に必ずや何かしらの気付きがあり、其の積み重ねが大丈夫への道を歩む事となる。舎房の流し台下の畳が腐って、余りにも匂いが酷いので「営繕工場」に交換を願い出る。(真っ更の畳に交換)
12月20日 (土) 曇り をりをり 晴れ
「年忘れカラオケ大会」(9時30分~12時30分 講堂・出席総員632名)を実施催。開演前、先達て行われた「東北ブロック作業技能コンクール」(開催:山形刑務所)表彰と、当所で実施した「アーク溶接技能検定」合格証授与式があり、まさかのハプニング発生。
授与式は舞台前中央に所長が立ち、贈呈品を持った作業主席が脇に立つ形で行われ、先ず管区入選の木工班(2工場)一同の名が呼ばれて、所長より表彰を受けて着席。次に「アーク溶接技能検定」合格者の名を呼び、O波氏が立ち数歩前へ進み一礼。所長が合格証を授与し、滞り無く式終了と誰もが思った瞬間、所長に詰め寄り「所長、宮城は日本一処遇が悪いといわれており、決まりとはいえ飯(めし)が減らされ、我々年寄りはいいが若い者は常に腹を減らせていて可哀そうだetc.」と叫んだ。一瞬、何が起きたのか? 皆が唖然とする中、尚も食い下がり直訴するO波氏に対し、所長も怯まず毅然と立ち続ける。想定外の出来事に隣で固まっていた作業首席が我に返り、慌てて右手でO波氏の口を塞ぎ周囲に叫ぶ。同様に固まっていた立会の警備隊や看守らがO波氏に向かってドッと駆け寄り、暴れるO波氏の身柄を数人で押さえ付けて処遇へ連行。何故、所長への直訴に及んだかは容易に想像がつく。懲役の誰しもが先の法務省達示を不服とし、処遇上席へ面接やら願箋を提出するも問答無用で埒が明かない。そんな同囚等の心中を汲み取り、自己犠牲という形での漢気を見せた。抑々の発端は、少子高齢化が進み国の医療費負担は増大の一途。
其れに対して年金の徴収率は低下する一方である。其処で厚労省は「生活習慣病」に焦点を当て、生活習慣病を放置すると将来的に「病気・疾患・糖尿病etc.」へ進行する確率が高く、日頃の生活習慣を改めることで生活習慣病は予防できる。老後を明るく健康に過ごす為には、生活習慣を見直す事で病気の元を断ち健康に繋がる―と、国の政策として国民に奨励。法務省も大幅に予算を削られ財政事情が苦しい中、矯正施設の全国収容率は120%を超え、白書でも更なる増加傾向にあると分析。その増加分は他所の予算を削って充てるといった状況に、厚労省が「生活習慣病対策」と国を挙げての政策を提唱。大義名分を得て、法務省矯正局は専門家(栄養士)に依頼して、1年かけて全国に点在する矯正施設の献立調査を行った。結果は全施設でカロリー摂取量(1日)過多状態にあり、此の儘だと何れ「生活習慣病」に罹る者が続出する。
但し、今の摂取量から新たに決めた摂取量迄、一気に減らすと体調に異変をきたす為、年に1度・3回に分けて主食を減らしカロリー制限行う。3年かけて収容者を正常な体質に戻すという計画で、既に全国の矯正施設で実施されている。
人を知る者は智なり、みずから知る者(自分自身を知る者)は明(めい)なり、みずから勝つ者(自分自身に勝つ者)は強し。足るを知る者は富み、強いて行う者は志(志気)あり。その所を失わざる者は久しく、死して忘れざれらる者は寿(じゅ)なり(『老子』33章)
少し遅れての開演も、何事もなかったかのように進行。今年は歌唱レベルが低く過ぎて拮抗してイマイチ盛り上がりに欠けるが、12工場の代表・T高が「麦畑」を熱唱。音痴の歌は兎も角、審査員で紅一点の山田美津子さん(民謡歌手)を歌唱中に何度も見詰めるパフォーマンスで会場を沸かし、審査員特別賞を受賞。本日の審査委員は、舞台右から三浦先生(教誨師・真宗大谷派僧侶)・内海所長・神馬茂先生(三味線)・山田美津子さんの4名。司会は昨年に引き続き、佐藤時喜雄さん(民謡歌手・ビクターレコード)。
午后は13時から14時迄、テレビ『世界まるみえ!特別版「地球最後の大秘境」ガラパゴス諸島の冒険』を視聴。ダーウィン(英国の生物学者)の進化論首唱の根源となったガラパゴス諸島の生物達、今現在でも数多くの生物学者達が研究をし、自然を保護する様子は映像を通して知ることが出来た。夕点検迄は臨池に勤しみ、夕方は「老荘を読む」を心読。夜は「なるほど!ザワールド大復活祭スペシャル」(2時間)をテレビ視聴する。
◇一昨日、韓国大統領の投票が行われ、19日未明に接戦の末、野党・新政治国民会議の金大中(72)が1971年の大統領選初出馬から4度目の挑戦で当選を果たす。金大中氏は朴正煕政権時代に日本で拉致事件に遭う等波乱な人生を歩んで来ただけに、現在韓国に於ける経済危機(ウォンの大暴落)をいかに建て直すかで、金氏の手腕が問われる事になる。「知日派」であり、朝鮮半島の安定を目指すという点に於いて期待がもてる。
12月21日 (日) 曇り のち 晴れ
午前中は臨池に勤しみ、月例競書及び臨書(九成宮醴泉銘・条幅半切)作品を揮毫。
午后は13時から14時迄、テレビ視聴。其の後、細字(かな)月例競書を揮毫。夕方は「老荘を読む」を心読し、17時から硬筆(漢字・かな)月例競書を揮毫する。夜は19時から20時54分迄、テレビ視聴を行う。
彼(かの)孔子も老子のことを「猶(なお)龍の如し“猶龍(ゆうりゅう)”」と感嘆したらしいが、老子の言う「無為自然」の境地とは、上善(じょうぜん)は水の如し。水は善く事物を利して(利益を与えて)争わず。衆人の悪(にく)むところ(つまり低いところ)に居(お)る。故に道幾(ちか)し。〈中略〉それただ争わず、故に尤(とがめ)なし。(『老子』8章)
それは無智無欲にして、嬰児の如し也。
12月22日 (月) 晴れ
「忌日読経」に出席(12時20分~13時30分 処遇部門2階教室)。
洞宗僧侶で教誨師の井口先生に依る、読経“般若心経”を出席者全員で唱和して法話を謹聴。
※法話より
御釈迦様は仏典に於いて色々な教えを残されている。だが本当の意味から言えば、それらは部分々々を取り上げ、其の教えを後生の我々が勝手に知ったか振りをしているに過ぎぬ。其処で本当に御釈迦様が悟りを開いたのは何か?というと、喜怒哀楽も毀誉褒貶も無く、亦過去を何時迄もくよくよ引き摺ることや将来を彼是(あれこれ)と妄想せずに今を生きるのだという事を悟ったのである。我々禅宗は、座禅を組む事に由って今を生きるので在り、其の座禅を組む際には先ず呼吸を整えて姿勢を正し、彼是と脳裏に浮べども気に留めず、浮んだらば浮んだ儘にして只管(ひたすら)我を捨てて座禅に打ち込む。良く80、90歳になってから座禅をやるのではもう遅い等と皆さん言うが、遅いとかそんな事より、今思い立ってやろうと思った時に始めれば良いのであって、今からではもう遅い等という事は無いのである。つまり其れは、真心を持って今を生きる事に通ずるのであり、御釈迦様が悟ったという「我を捨てて今を生きる」という事なのである。
夕方に圖南書道會へ提出する硬筆(漢字・かな)月例競書を揮毫。夜は「老荘を読む」を心読・読了。
『荘子』の「人間世編(にんげんせいへん)」に、孔子と顔回の問答(創作)が在る。其の中に「人の悪をもってその(自分の)美を有(ほこ)る(他人の欠点を種にして自分の長所をひけらかす)ことで、そういう人物を「菑人(さいじん)(災いの人-他人に害をおよぼし、自分も害を受ける人)」という行(くだり)に、目から鱗が落ちる。世俗世界では、ある行為がいかに善意に基づき、客観的によいことであるとしても、結果として災いしかひきおこさない場合も有る。「人の悪をもってその美を有る」―。
而して「志を一にして」、「心斎(こころのものいみ)」、「坐忘(ざぼう)(自己を忘れ世界を忘れて、只々天地自然の在るが儘の働きにまかせる)し」、「天地の一気に遊ぶ」―。
◇映画監督の伊丹十三(64)が、東京都港区麻布台の事務所マンションの上から飛び降り自殺(20日夕方)をする。
12月23日 (火) 曇天 天皇誕生日 A級戦犯絞首刑(1948)
今上陛下64歳の御誕生日。東京では朝方に初雪が降る。
「2級者集会」が催され出席(9時30分~11時20分 講堂)。
VTRは「不法侵入」(洋画)を視聴も、全く面白くない作品。飲食物はミルクティー(hot)、ストロベリークリームが中に入ったナボナ風の菓子を喫食。
午后は臨池に勤しみ、かな(半紙・条幅半切)、細字(漢字・かな)の月例競書を揮毫。
夕方は2月分の私物購入願箋を記載し、夜は19時から20時54分迄、テレビ視聴を行う。
*昼餉時に、天皇誕生日の祝日菜として“大福”1ケの給与有り。
「圖南書道會」へ発送する月例競書作品(10点)を教育課に提出。
縫製作業は連日の忙しさにも拘らず、皆の頑張りで年内納期分を出荷(25日迄)して安堵するも、年明け直ぐ納期分の出荷が有り新年早々忙しい。だが、皆が此のペースを崩さず持続すれば問題は無い。
夕方、特別購入の墨汁と条幅用紙(半切)、「圖南書道1月号」が舎房に入り、先月18日(火)に願箋(賞与金使用)で申込んだ、年末・年始連休用の特別購入本「オールカラー写真集 海上自衛隊最新護衛艦隊」(グリーンアロー出版社)、「教科書が教えない歴史③」(藤岡信勝、自由主義史観歴史研究会・扶桑社)、「逆説の日本史4・中世鳴動編[ケガレ思想と差別の謎]」(井沢元彦著・小学館)の3冊が手元に届く。
夜は、夜間独居優良室テレビが有り「おもいっきり健康法‼“芸能人が実験台になりました”スペシャル」を視聴(19時~20時54分)。
*昼餉時に、特別菜として“苺のショートケーキ”と“コーヒー”の給与有り。
12月25日 (木) 快晴 クリスマス 大正天皇崩御で元号が昭和と制定(1926)
12時30分から13時30分迄、書道教室(2班)に出席。年内最後の講習だが欠席者が多く、出席者は5工のN村さん、7工のOさん、T正治ら総員7名。鈴木登郁先生を囲んで和気藹藹と添削指導を受ける。終了時に「来年も御指導賜りますよう、呉々も御健康に留意され良いお年をお迎えください」と先生に伝える。小生も年末年始は、臨池三味の日々を送る所存也。
◇『日刊スポーツ』(本日版)に拠ると、「七人の侍」「用心棒」など数多くの黒澤明監督作品に出演して「世界のミフネ」と呼ばれ、日本を代表する俳優として活躍した三船敏郎(本名同じ)が24日午后9時28分、全機能不全のため東京・三鷹市の杏林大病院で死去。享年77歳だった。今年は大物の死去が相次ぎ、最後に三船敏郎とは…。(萬屋金之助・勝慎太郎・伊丹十三監督に続く、三船の死)
12月26 (金) 快晴
2カ月振りにK屋さん(五代目山口組伊豆一家)が、休養解除になり病舎から戻る。腎臓が悪いと聞いているが非常に辛そうで、顔色も悪く浮腫みが酷い。運動時(13時35分~ グランド)に赤石のおじさんを紹介するも、見ている此方の方が逆に辛い。K屋さんは道仁会との抗争で懲役20年を服役中で、残刑期9年と未だ先がある故、無理をせずに務めて頂きたい。K木さん(極東会関口連合関心会・池袋)がK屋さんと同室(2舎2階4室)である事から個人的に紹介する。
還房の際に年末年始の長期連休に入る事から、警備隊による「手荷物及び身体検査」を実施。
還房後、本年最終となる私本交付有り。購入本の「新漢字必携2級」(日本漢字能力検定協会)が手元に届く。
12月27日 (土) 曇り のち 晴れ
「教科書が教えない歴史③」(藤岡信勝、自由主義史観研究会・扶桑社)を心読。10時頃、ガリ(理髪)が有り出房。10工場のN村さん(稲川会山川一家内堀組)に刈って貰う。
午后は臨池に勤しみ、「平成10年第一期昇位試験課題」(条幅半切)作品を揮毫。夕方はスポーツ新聞を閲読し、19時から20時54分迄、テレビ「今夜思い出リクエストもう一度聞きたい…!もう一度歌いたい!生放送ヒットパレード」を視聴。阿久悠が作詞した名曲の数々を堪能する。
明治初期に流行った大ベストセラーに『西国立志編』(スマイルズ著・中村正直訳)は、欧米の政治家、科学者、芸術家など偉人の短い伝記を集めたもので、政治では「人は志を立てて努力するならばきっと成功する」ということが繰り返し説かれている(『教科書が教えない歴史③』31頁から)。
12月28日 (日) 晴れ
月例の「短歌会」に出席(10時~11時30分 教誨室)。日は扇畑先生の他、番組制作会社のディレクター(1名)が視察目的で同席。
今月の詠草は、
冬至にていずくに響く鐘の音(ね)の午前(あさ)の6時を闇より伝ふ
であったが桜きなこ氏の添削で、
いずくより冬至に響く鐘の音の午前6時を闇より伝ふ
と訂正。然し、先生や他囚の意見は最初の方が良いとの事で先生が添削。
冬至の日いずくや響く鐘の音が午前6時を闇より伝ふ
先生曰く、歌の材料が良いので幾らでも換えられるとの弁―。
歌会の総括として「三十一文字(みそひともじ)」の中に、自分の言いたい事を表現するということは大変尊い事であり、そういった能力は素晴らしいものである。彼の斎藤茂吉も歌一首で小説一冊分に匹敵すると述べている(by扇畑忠雄)。小生も歌を詠むことで少しでも視野を広げ、人間としてものに感じる精神を培いたいと思う。
午后は13時から14時20分迄、テレビ視聴。途中で総入浴(10分間)が有り出房。
入浴後は臨池に勤しみ、夕方はノート整理、読書。19時から20時54分迄、テレビ視聴を行う。
12月29日 (月) 晴れ をりをり 曇り
平成9年の御用納め。10時半に終業、役席周囲の清掃(15分間)。検身場で工場着から舎房着へ着替える際、口論の疑いで2名が入独。検身前に菅野看守部長が年末・年始の連休中、呉々も注意・指導を受けて入独する事が無い様自重した生活を送って欲しいと、訓示したばかりの事にオヤジも堪らん気分であろう。還房後は仮点検・昼餉。12時30分から舎房掃除(15分間)を実施し、夕点検迄は「短歌会」批評等を作歌ノートに纏める。途中、14時15分頃から総入浴(15分間:8番)にて出房。夕方は「教科書が教えてくれない歴史③」を心読し、夜19時から20時54分迄、『年末は超危険&超絶叫世界まる見え!テレビ特捜部‼究極㊙特選版「今年一番スゴイ映像ドッとお見せします」』を視聴する。
12月30日 (火) 曇天
年末・年始の連休初日。日中の最高気温は4.7度と寒い一日。
午前中は総集行事として、テレビVTR「乱気流」(洋画)を視聴(9時30分~11時15分)。ストーリー的には、中々おもしろい作品で評価は◯。午后は13時から臨地に勤しみ、「平成10年第1期昇位試験・漢字部課題」(条幅半切)を揮毫。夕方は『王陽明の哲学の心髄骨子』論文(一部箇所)をノートに写す。夜は18時45分から20時54分迄、テレビ「スターどっきり㊙報告史上最強の超豪華スペシャル」を視聴する。
12月31日 (水) 晴れ 大晦日
午前中は「教科書が教えてくれない歴史③」を読了。9時から11時30分迄、テレビ視聴。
尚、9時30分から総入浴(15分間:3番)が有り出房。
午后は臨池に勤しみ、「平成10年第1期昇位試験課題」(条幅半切・隷書、行書)を揮毫。16時20分、夕餉。17時過ぎに袋菓子、年越そば(カップ麺「どん兵衛」)、密柑(1ケ)が給与され喫食。夜18時15分から、テレビ「第39回輝く!日本レコード大賞」(20時54分迄)、「第48回紅白歌合戦」(23時45分迄)、「ゆく年くる年」(0時迄)を視聴。平成10年を迎えて就寝。
◇レコード大賞は2年連続で安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」で受賞。最優秀歌唱賞は中村美律子。最優秀新人賞は知念里奈が受賞。紅白歌合戦の司会は和田アキ子と中居正広(SMAP)が務め、今年は白組の勝利で終わる。
