佐藤鐵太郎 海軍中将 忘れられた「海主陸従」の国家戦略家 ― 前編 ― | 行政調査新聞

佐藤鐵太郎 海軍中将 忘れられた「海主陸従」の国家戦略家 ― 前編 ―

忘れられた「海主陸従」の国家戦略家

― 前編 ―
藤 井 厳 喜
(国際政治学者)

佐藤鐵太郎(1866-1942)は、海軍兵学校第14期の出身であり、帝国海軍の中将であった。1923年に現役を引き予備役となり、1934年には貴族院議員に勅選されている。1942年(昭和17年3月)逝去している。
ミッドウェイ海戦で日本軍が大敗を被る3か月前であった。
佐藤鐵太郎の名前は、今日の日本では殆ど知られていない。しかし彼は幕末明治以来の日本の近現代史の中で、最も明確な海洋国家日本の戦略を打ち出した国家戦略家であった。日露戦争後の日本は、彼が理想とした国家戦略とは全く異なる道を歩み、その結果として昭和20年8月15日の敗戦に至った。

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