「プーチンの戦争」結末はどうなる? | 行政調査新聞

「プーチンの戦争」結末はどうなる?

ロシア軍がウクライナに侵攻をはじめてから1カ月半が過ぎた。
和平交渉は思ったように進展していない。攻め込んだロシア軍は、苦戦しているにも関わらず強気の姿勢を崩していない。
この戦争のお陰で、世界経済はあちこちで悪化、コロナ禍も加わり世界情勢は不安定だ。この先、ウクライナ情勢はどうなるのだろうか。

ウクライナ侵攻戦は「プーチンの戦争」

 今回の戦争をロシア側は「戦争」と言わずに「軍事作戦」と呼んでいる。
 呼び方がどうであれ、ロシア軍が一方的に仕掛けた戦争だ。この戦争を仕掛けたのはプーチン大統領である。その当のプーチンが病気だとか、プーチンが暗殺されるかもしれないとの情報も流されている。本当のところはどうなのだろうか。
 プーチンが病気ではないかとの説は、2月初旬にクレムリンでプーチンと会見したマクロン仏大統領が「以前会ったプーチンとは同じではなかった」と発言したことが発端だった。その後「プーチンがパーキンソン病を患っている」との説が真実かのように世界中で流されている。4月1日にはロシアの反プーチン情報誌「プロエクト」がプーチンの病気は甲状腺癌だとの情報を載せた。他にも病気説はいくつかある。

 何かの病気を患っていたとしても、演説の態度、口調などからは、すぐに病状が現れる可能性はゼロだ。病気説そのものが策謀と考えられる。だが、10月に70歳となるプーチンに、残された時間が少ないことも事実だ。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアとの和平交渉が継続しているとしつつも「今のところ言葉だけで具体的なものはない」と交渉に厳しさをにじませる。ロシア・ウクライナ両国の主張は、少しだけ歩み寄りを見せているが、本質的には大きな隔たりがある。仮に停戦協定が成立した場合でも、長くもちそうにない。ウクライナ国内のどこかでまた戦争が再燃するだろう。両者の要求は本質的に正反対なのだ。
 プーチンの最終目標はウクライナの中立化ではない。ウクライナ全土の完全掌握だ。今回の戦争(軍事作戦)は、短期間には収束しない。「戦争は必ず落としどころがある。短期間で決着がつく」などといった甘い見方はしないほうがいい。また、プーチンが暗殺される可能性はゼロではないだろうが、バイデンも習近平もジョンソンも……世界中の誰もが暗殺される可能性をもっている。プーチン暗殺などというのは、陰謀論者でも取り上げない話で、話題にするほうがおかしい。

仕組まれた戦争

 ウクライナの東部・東南部では、2014年のクリミア半島ロシア併合以来、ずっと内戦が続いていた。そんな状況下の昨年(2021年)10月下旬にウクライナ政府軍が、停戦協議で禁止されていたドローン兵器を使用した。ゼレンスキー大統領は「領土と主権を守るために必要だ」と胸を張った。
 だが、この協定違反の兵器使用を受けた形で、国境付近にロシア軍が集結しはじめた。協定違反の兵器使用がロシア軍を招いたことは間違いない。
 ウクライナ国境付近にロシア軍の大軍が集結し、ウクライナに攻め込むのではないかとの情報が世界中に流れはじめた。だが一部の情報通たちは、これを「政治的圧力」と考えた。実のところ本紙もまた、これは見せかけのポーズに違いないと考えた。2014年にロシア軍がクリミア半島を併合したときは電光石火の早わざだった。

 旧ソ連のアフガン侵攻を見ても、アッという間に怒涛の大軍が攻め込んだ。国境付近に大軍を集結させ、それを世界に誇示するなど、圧力に違いないと判断してしまった。そんな状況下の12月8日に、オンライン形式でバイデン米大統領とプーチン露大統領が会談を行った。この席上でバイデンは「ロシアが侵攻した場合、米国は強力な経済措置をとる」「その経済制裁は、クリミア侵攻時より厳しい内容になる」と発言した。この発言が意味するところは「米国は軍事力を使いません」との表明である。誰もが、そう捉える。裏を読み過ぎるかもしれないが、ウクライナと米国がロシア軍侵攻を意図的に呼び込んだとも思えるのだ。

プーチンの正体を見抜く

 今回の戦争は、間違いなくプーチンが始めた戦争だ。この戦争の行方を読み解くには、プーチンの実像を正確に見据える必要がある。ところが、プーチンの本当の姿はなかなか見えてこない。今年10月に70歳の誕生日を迎えるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンの出自や系譜は謎に包まれている。

 祖父がレーニンやスターリンの料理人だったこと、父が破壊工作部員で、第二次大戦の独ソ戦で負傷し傷痍(しょうい)軍人になったこと、母は敬けんなロシア正教の信徒であることはわかっているが、家族や一族についての情報は少ない。離婚した奥さんとの間に2人の娘がいることもわかっているが、その娘の居所は隠されている。先祖の姓はラスプーチンだったとか、ハプスブルグ家の子孫といった噂話もあるが、これ等の話はかなり怪しい。

 自伝『プーチン、自らを語る』(扶桑社)によると、レニングラード市の平均的な貧しい家庭に育ったという。プーチンが柔道を始めたのは11歳のころ。柔道の師範に会うまでは「自分は問題児だった」といい、「柔道がなければ自分の人生がどうなっていたかわからない」とも述べている。その後プーチン少年はスパイ映画やスパイ小説が大好きになり、スパイに憧れるようになった。そして14歳のときに強い決心でKGBを訪問し、どうすればKGBに入れるかを尋ねた。応対したKGBの職員から、今後KGBには近づかないこと、KGBに入るためには学業優秀でスポーツ万能であること、宗教・思想から遠ざかることなどを指示されたという。

 プーチンはこれを忠実に守り、柔道などのスポーツに打ち込み、レニングラード大(現サンクトペテルブルグ大学)法学部を卒業と同時にKGBに引き抜かれたという。KGBに入ったプーチンは、エリートコースの「対外諜報部第5総局」に配属され、東ドイツのドレスデンにある「シュタージ(東ドイツ国家保安省)」に派遣され、指導することになった。シュタージは国民に対する徹底監視活動を行う恐怖の秘密警察で、プーチンの指導のお陰で、質量ともにKGBをしのぐ機関になった。
 そんな状況の下、プーチンはベルリンの壁崩壊(1898年11月)、そしてソ連崩壊(1991年12月)という衝撃的事件に遭遇している。

恐怖の組織「東ドイツ国家保安省シュタージ」

 ソ連崩壊後、プーチンはサンクトペテルブルグ市副市長・ロシア連邦保安長官・首相などいくつかの職につき、やがてエリツィン大統領の引退を受け、1999年12月31日に大統領代行、翌年正式にロシア連邦第2代大統領に就任する。
 プーチンが大統領に就任したころから、旧ソ連圏や中東諸国で「カラー革命(花の革命)」が次つぎと起きる。ジョージアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)、キルギスの「チューリップ革命」(2005年)、そしてチュニジア「ジャスミン革命」(2010年)に始まる一連の「アラブの春」などだ。
 プーチンはこのすべてが西側機関による謀略だと考えた。

 共産圏諸国や独裁体制の中で起きたカラー革命の背後に、英米の諜報機関(MI6やCIA)が動いているという説は、明確な証拠はないが、たぶん正しい。
 体制打倒、民主化などを叫ぶデモ隊や活動家には潤沢な資金が与えられており、その資金を米国のソロス財団(ジョージ・ソロスの財団)が提供していたことは数多くの証言として明らかになっている。プーチンがKGBに入ったときのKGB議長(トップ)はユーリ・アンドロポフだった。

 ソ連の歴代指導者は、スターリン・フルシチョフ・ブレジネフ・アンドロポフ・チェルネンコ・ゴルバチョフの6人。その4番目がアンドロポフで、在位は1982年から1984年。ソ連のトップにいた人物の中で唯一KGB議長出身者である。アンドロポフはKGB内に「対外諜報部第5総局」を創設した人物だ。この第5総局とは、英米を中心とする西側諸国のスパイ活動を裏から調査する組織で、密告や拷問などがまかり通った恐怖の秘密警察である。

 アンドロポフが創設した「対外諜報部第5総局」の思想の根源は、帝政ロシア末期の「ツェルトン」という秘密警察で作られたものだ。ツェルトンとは「反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会」という名の組織。密告・拷問・破壊工作・暗殺など何でもありの恐怖の組織である。ツェルトンでは特に毒を使った暗殺(あるいは病気を患わせる毒)が多用された。プーチンの祖父がレーニンやスターリンの料理人だったことは、いかに信用されていたかが理解できる話でもある。
 プーチンはこの「対外諜報部第5総局」で訓練を受け、その能力を高く評価されて東ドイツの国家保安省(シュタージ)に配属された。シュタージを「恐怖の秘密警察」に仕立てることがプーチンに与えられた任務だった。そしてシュタージは、KGBを超える強力組織に成長した。プーチンとは、英米西側諸国のスパイを摘発し、民主化運動殲滅に動いた第一人者なのだ。その手法として、裏面からの工作活動、密告や暗殺を駆使することは、プーチンにとっては当たり前の話なのだ。

ヨーロッパの真ん中で核兵器が爆発する

 「1980年代末、ソ連は弱体化し、その後完全に崩壊した」。それが世界のパワーバランスの崩壊だったとプーチンはいう。それまでの条約や協定は事実上効力を失った。ソ連の崩壊後、世界は再分割の時代を迎え、コソボ空爆やベオグラード攻撃などに見られるように、ヨーロッパ中心部で戦闘機が飛び交い、ミサイルが発射された。国際法の規範は無視され、やがてイラク・リビア・シリアにも及んだ。
 NATOは1インチも東に拡大しないといったが、それもウソだった――。

 これはロシア軍がウクライナに侵攻を開始した2月24日のプーチンの演説である。この中にプーチンの強烈な思いがにじみ出ている。英米西側諸国、NATOは国際法の規範を無視してヨーロッパの中心部に戦闘機を飛ばし、ミサイルを撃ち込んだ。そして西側の領域を広げていった。それを取り戻すために、国際法の規範を無視しても文句は言えないはずだ! プーチンの思いはそこにある。
 今年初めから、ロシア軍がウクライナ国境に集結しはじめた。政治的圧力として軍事力をちらつかせる手法だろうと、多くが考えた。そうしたなか、バイデン大統領はゼレンスキー大統領に電話で「ロシア軍がウクライナに攻め込む」と電話。その電話内容が世界中に報道された。
 そして報道が正しかったかのように、2月24日にロシア軍が攻め込んだ。
 3月21日、バイデンは「ウクライナが生化学兵器を持っているというが、それはプーチンが生化学兵器の使用を検討していることを意味する」と警告を発した。これはウクライナで生化学兵器が使用される可能性を示唆している。
 ロシア軍が使うのか、ウクライナ軍が使うのか、あるいは英米NATO側が使うのかは不明だが、いずれにしてもロシア軍がやったことになる。これまでの流れを見る限り、戦闘行為が膠着状態に陥るか、和平交渉が行き詰まったところで、劇的な事件が起こされることになるだろう。それはおそらく4月中旬以降月末までの間と推測できる。世界史はこうして作られていく。
 そして――。最も怖いのは「ロシア軍がヨーロッパで核兵器を使用する恐れがある」という警告が発せられるときだ。その警告は、いわば予言である。成就することが決まっている話なのだ。そんな警告が発せられないことを祈るばかりだ。

戦火は極東に飛び火する

 2019年4月、北朝鮮の金正恩総書記はロシアのウラジオストクでプーチン大統領と会談したが、このときの金正恩の発言は大変意味深長である。
 金正恩はこう語っている。
 「わが人民は世代と世紀が変わっても、朝鮮解放の聖なる偉業に高貴な命を捧げてくれたロシア人民の息子、娘らの崇高な国際主義偉勲を忘れておらず、今後も永遠に記憶していくだろう」
 「プーチン大統領のたゆみない領導の下、ロシアが必ず強力で尊厳高い偉大な国として復興繁栄することを心から願っている」
 「両国(ロシアと北朝鮮)は侵略脅威が造成された場合や平和や安全に脅威を与える状況が造成された場合、協議と相互協力をする必要がある場合には速やかに接触する」

 ロシアに危機が生じた場合には、北朝鮮は必ず応援に駆けつけることを誓っているのだ。そして今、ロシアに危機が生じている。北朝鮮としては、ロシアに敵対し米国の言いなりにロシアを制裁する国を、攻撃することを当然のこととしている可能性が高い。北朝鮮は今年に入って12回のミサイル発射実験を行っている。
 1月に7回、そしてロシアのウクライナ侵攻直後の2月27日に1発。3月には4発のミサイルを撃っているが、3月24日のICBM「火星17号」は北海道沖15okmのわが国EEZ(排他的経済水域)内に着弾させている。
 ヨーロッパの情勢次第では、極東にも戦火が飛び火する可能性がある。今年が激動の年であることは間違いない。戦争だけではなく、噴火や地震も多発するはずだ。日ごろから感性を研ぎ澄ましておくべきだろう。■

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