行政処分に時効はない! | 行政調査新聞

行政処分に時効はない!

さいたま地方裁判所「判決で言及した」
川合善明川越市長の「市道不正認定」

3月議会に市民の怒りが吹き荒れるか?

川越市は市民騙しの市道を撤廃し、 私道として齊木元市議に購入させよ

 本紙既報の通り、不正市道認定を訴えた住民訴訟に対する川合善明氏個人によるスラップ裁判は、原告・川合善明市長の全面敗訴判決で2021年の幕を閉じた。市民の権利である住民訴訟それ自体を「不法行為」だと主張した川合善明氏の暴走は、民主主義という言葉の意味も制度も知らない市長であり弁護士だったのだと、今更ながら思い返せば驚くことではない。逆に驚くべきは、この市長に投票する後援者や尻尾を振ってついていく、議員としての自覚も恥さえもない市議が存在することだ。

 本紙は先の川合氏全面敗訴判決が、川合市長自身と市政関係者の想像を超える決定的なダメージを川合市政に与えることになると予言する。当の「おれ様市長」は、自分を勝たせるはずだった司法を逆恨みするのが関の山だろうが、川合全面敗訴はそれどころでない、川合市政の崩壊前夜といって過言ではないほどの重大な意味を持つのである。

川合市長=増長した権力欲求の崩壊

 2017年6月から5年にわたって市民らが追及してきた「市道不正認定事件」とは、都市計画道路・寺尾大仙波線整備のための代替地に関して、川越市が不必要な土地を購入し、齊木隆弘氏(元川越市議会議員)の土地に繋がる市道を設置し、齊木氏に便宜を図ったことが明確な事件である。

 この種の「疑いが極めて強い」事件については、マスコミも、あからさまに「川合市長が当時の齊木氏に便宜を図る目的で事件に関わっていた」とは報じない。また本件を刑事事件として見た場合も、すでに公訴時効が成立しているため、今更「動かぬ物的証拠」(たとえば本件不正市道認定の実行を指揮した当時の幹部市職員による証言など)が出て来たとしても、川合市長(正確には川越市)も齊木氏も刑事罰を免れる結果は同じであった。ところが、この事件は誰も予想しなかった意外な方向に舵を切った。それが昨年12月23日、さいたま地裁川越支部で言い渡された齋藤憲次裁判長の判決文だ。
 原告・川合善明氏が訴えたのは不正市道認定事件を追及した住民訴訟の原告23名のうちの4名だけだ。川合市長の「住民訴訟自体が不法行為」だとの、市長としても弁護士としても常軌を逸した言い分は、「なぜ4人の市民だけを訴えたのだ?23名全員の住民訴訟が無効だと訴えなければ矛盾する」と反論されればそれで終わりの、端から破綻した馬鹿馬鹿しい、嫌がらせ裁判だったのである。
 川合市長に狙い撃ちされた4名の市民は、川合氏が昔から気に入らない元県議と交流があったというだけのことで、本来であれば司法に持ち込まれる事件ではなかった。しかし、異常な執念をたぎらせた仮にも市長職の男・川合善明氏が「この4名は、自分(川合市長)の個人攻撃を目的とした不当な住民訴訟を行った」のだと、執拗に、公務もそっちのけで法廷にやって来るものだから、裁判所としても無下には扱えないという歪みを生んだのである。
 この時期、川合市長は慢心していただろう。ここまで時間をかけて口頭弁論を継続するからには、4名の市民が不当な目的で住民訴訟を行ったとの判決を裁判所が書いてくれるとの身勝手な期待に鼻の穴でも膨らませながら…。
 だが、川合市長の増長した自尊心は退官した齋藤憲次裁判長によって砕け散った。

市長共謀は「不合理とはいえない」

 この「齋藤判決」が市民社会に重大な意味を持つのは、単に原告川合市長の請求を棄却するに留まるものではない、川合善明市長の潜在的な闇にまで言及したからだ。強いて言うならば、齋藤憲次裁判長は原告川合の請求を棄却するだけなら、書かなくても済むことまで判決理由として詳細に述べたことが、川合市長の致命傷となったのである。
 「齋藤判決」について昨年末の 2021年12月25日 掲載 に詳述を譲るが、この判決理由は以下の点だけでも、権力者=現職市長を相手にした裁判所の判断として突出して異例だ。

✅『齊木元市議は本件市道認定等に相当程度関与していたことが認められ、原告ら(川合善明氏ら)の間に、齊木元市議らの便宜を図る旨の共謀があったと考えることがあながち不合理とはいえない。』

✅『本件整備事業の代替地のために本件市道を整備する必要性は高くなかったと考える余地がある。』

✅『代替地の割り当て等が本件市道認定等ありきで行われたものであって、もっぱら齊木元市議らの便宜を図るために行われたものであると考えることもあながち不合理とはいえない。』

 さらに齋藤判決は、「市議会で、全員一致で可決した市道認定なのだから違法でないことは明らか」と川合市長の主張についても、「そのことは齊木元市議らの便宜を図るためだったか否かの判断をただちに左右するものとは言い難く」川越市土地開発公社の理事会でも問題の土地購入について「適法性や妥当性に疑問が呈されていた」として、「本件市道認定等が違法ではないことが明らかであるとはいえない」と述べている。

 大元であった、不正市道認定に対する住民訴訟自体が一審、控訴審とも原告市民側の敗訴となった事実から振り返れば、「齋藤判決」の特異性は明らかだ。簡潔にいえば、齋藤裁判長は川合市長に対して「信頼できない権力者」だと判示したからだ。
 そして判決以上に見逃してはならない重大なことは、川合市長は「控訴をしなかった」という事実だ。川合氏は、自らの主張の誤りを認めざるを得なかったばかりか、初めからこれが市民4名に対するスラップ訴訟であることを公言したに等しい。
 言い換えれば、裁判所を自分の権力行使の手足に使えると増長した川合氏は大きなしっぺ返しを食らってスゴスゴと退散したのである。川合市長とすれば本件での完全敗訴について口を閉ざすことで不正市道認定事件を風化させるしかない。

行政処分に「時効はない!」

 だがここに至って不正市道認定事件は、新たな局面を迎えることとなった。刑事としても民事としても「終わった」事件であるかに見えた本件不正市道認定事件には、「行政処分」という時効なき行政責任が残されていることを市民に知らしめることになったからである。行政処分についてのわかりやすい例としては、産業廃棄物不法投棄問題が挙げられる。産業廃棄物処理法に違反すれば刑事処分の対象となるが、その時効は5年だ。逆にいえば時効成立まで証拠を掴まれずに逃げ切れば実行者は刑事罰を免れる。ところが行政処分には時効が存在しない。
 つまり、不法な状況を継続する事業者や市民に対しては、行政はその問題について何十年経とうが指導や改善命令などの行政処分を行う義務がある。
 川合善明市長の高階地区後援会長だった人物が代表にあった民間企業「カナイ消防機材」は、現在でも事業所本店を設置してはならない市街化調整区域に本社を置いた都市計画法違反の状態で堂々と事業を継続している。それはあくまで刑法上の公訴時効が成立したから検挙されないだけのことで、カナイ消防機材という企業が、現在も行政処分の対象であり続けているのである。これは行政による「なし崩しの不作為」と断じて相違ない。

 市長と関係が深い企業に対する行政処分をあえて先送りにする、または触れないというあからさまな手口によって、市長による公然とした利益供与が継続されていることになる。ちなみに、本紙の報道により都市計画法違反が明らかとなったカナイ消防機材は「文具店」を擬態することで行政処分にあたらないという苦肉の策を市から指導されて、現在も形だけの文具店を偽っている。
 数年前、本紙記者がボールペンを求める一般客を装って「カナイ文具店」に入ったところ、奥から出て来た「カナイ消防機材」の従業員は困惑した表情で、目の前に並べられたボールペンを「これはお売りするものではないので」と対応に困っていたことを思い出す。本来、行われるべき行政処分が放置されている川越市の現状は、川合市政の不作為であり、不正市道認定事件も同じである。

3月議会 (令和4年第一回定例会) では川合市長の「責任を徹底追及」せよ

 「齋藤判決」によって、市民の疑いが妥当であることが判示され、その判決に対して川合市長自身が控訴もせずに受け入れたという事実こそが、川合善明氏自らが掘った最大の墓穴だったのである。
 川合市長が「齋藤判決」を不服として控訴していれば、皮肉なことに川合氏の主張はまだ延命できた。だが川合氏は請求をすべて棄却されて、そのまま引っ込んだのだから「控訴しても裁判所の理解は得られない」などという釈明は通用しない。あるいは川合市長は、本件裁判を「私人」としての争いで市長としての説明責任がないとうそぶくかもしれない。しかし、そんな屁理屈は川合市長に限って通用しない。

 平成31年2月 川合市長は、個人名義で住民訴訟原告市民らに対する恫喝行為に及んだ。原告市民の代理人弁護士を無視して住民訴訟を妨害し、市民らが原告から降りるよう手紙や電話までしていたという、もはやこれだけで市長職をリコールされて然るべき凶悪な人格の持ち主だが、要するに「川越市」という自治体を訴えた市民らに、川合善明という私人が平然と脅しをかけたのである。

 この期に及んで、原告川合の裁判が「市長としての自分と関係がない」など、どの口が言えるのだ。不正市道認定事件の「不合理とはいえない」疑いと、その疑いを事実認定した「齋藤判決」は、川合市長をトップとする川越市の行政責任を白日の下に引きずり出したといって過言ではない。

川越市は市民騙しの「市道を撤廃」し「私道」として齊木元市議に「買い取らせよ!」

 川合市長と元市議・齊木氏らの不法行為による、不正市道認定に関する川越市の不正な支出の一切は、齊木氏によって返還されるべきものだ。
 具体的には、齊木氏のためにでっち上げられた市道を廃止し、齊木氏に私道として購入させるべきである。

 この市道認定に至るまでには、土地開発公社の理事会でも議論されている。

 平成23年(2011年)3月23日の土地開発公社の理事会では、当時の建設部長が「やむなく計画した」と答弁。同年7月27日の理事会では「民間に認めていない行き止まり道路を前提に市が事業を進めるのか」と理事からの質問に対し、これにも「やむなく計画した」「今回は特例を活用した」と建設部長が答弁している。そもそも市道5565号線は、「川越市道路線認定基準」である「道路は、原則として公道から他の公道に接続していること」を満たしていない。

 だから川合市政は『(認定の特例)第3条 市長は、再認定の場合又は特に公共的若しくは公益的見地から認定することが適当であると認めた場合は、前条の規定にかかわらず、認定することができる。』という伝家の宝刀を使って、齊木氏への利益供与を強行したのである。なんのことはない「市長という権力者が認めるという場合は認められるのだ」というだけの開き直りでしかなく、それにより川越市民が不正な支出を負担し、また不公正な自治体の住民である精神的瑕疵を強いられたというのが、この不正市道認定事件の正体なのである。

 こうした経緯を辿れば、本件は「川越市道路線認定基準」に反した川合市政の行政責任に帰結する事件であり、時効なき行政処分の対象者は齊木氏であり、それを司法判断において明らかにしたものが「齋藤判決」なのである。
 重要な点なので重複して言及するが、川合市長自身が控訴もせずに「齋藤判決」を受け入れたことは、市長と齊木氏による本件共謀が不合理なことではなかったとの市民の訴えと裁判所の判断を、川合善明氏自身が認めたということに他ならない。

 判決を認めなないのであれば控訴することこそが、私人であれ市長職を生業とする川合氏の社会的義務なのだから。川越市議各位は、この重大かつ客観的な事実を、3月議会で川合市長に厳しく突きつけるべきだろう。

「市政100年」の歴史を謳う資格は皆無

 いま、本紙記者の手元にある「広報 川越」(2022年1月号)の表紙には『令和4年、川越市は市政施行100周年を迎えます』とのメッセージが掲載されている。
 ページをめくれば見開きで、「新春を迎えて」なる川合善明市長の、形式的で中身のない挨拶文が肖像写真と共に目に入る。川越市は大正11年(1922年)12月に市政施行されて、今年末で「100周年」となる。
 身もふたもない言い方をすれば、実社会で「市政100年」などと言っても自治体の自画自賛でしかないことが普通だ。ただし、だからといって「問題だらけの市長」がいけしゃあしゃあと、あたかも自身の政治手腕が「市政100年」に寄与するところがあるかのように「騙る」ことを許して良いはずがない。

 川合善明市長は、不正市道認定事件で齊木元市議に利益供与をし、それを住民訴訟で追及されれば市民を個別に恫喝したうえ、執拗かつ異常な嫌がらせの訴訟を複数件にわたって実行するという人物である。川越市政100年どころか、このような異常な人間が4期目にわたる「市長」でいることは、日本の自治体史上前例がないだろう。川合市長が、川越市政100年の直近12年のカウントダウンを自覚したであろうことは容易に想像がつく。だからこそ、川合市長は自分が作った多選自粛条例を廃止してまで4期目の市長選に乗り出したのだろう。

 早くも1年前の選挙当時、川合市長のマニュフェストは「コロナ禍」だった。
 だが、川合市長だからこそ川越市のコロナ被害が救われたという突出した成果などは見当たらず、再選後には、登庁して市長室に出勤さえすれば高額な給料と、溜まっていく退職金を楽しみにする「職業」としての市長を演じることが、川合氏の日常となっている。なにしろ川越市議会には、市議でありながら川合市長を「支える」と公言して憚らない政治家まで存在する。
 川合市長が、どんな問題行動をしようが不法行為に及ぼうが、川越市の歴史にかけて「市政施行100周年」の記念式典の市長席に川合氏を座らせることを恥だと認識するような市議は、ほとんどいないのかもしれない。しかし市民は違う。
 不正市道認定住民訴訟で、川合市長に現実に恫喝された市民は、偽善の仮面をかぶって裏では卑劣な市民抹殺を平然と行う、川合善明氏を断じて許すことはなく、この人物を市長とした川越市の市政施行100周年を祝福する者はいない。

 繰り返して指摘するが、川合市長と齊木氏らによる不正市道認定事件に時効はない。そして、この問題はすでに住民訴訟で市民らの敗訴が確定した民事裁判とは、まったく主旨が異なることを市議会が正しく理解し、川合市政を失脚させることでしか、川越市の本当の「新たな100年」は幕を開けることはないだろう。
 本紙は3月議会の動向もお伝えしていく。

 なお、足掛け5年にわたって本件不正市道認定事件を取材してきた本紙が入手した公図に基づいて事件経過の流れを詳しく解説した資料編を別紙に添付する  別紙 リンク

 「齋藤判決」は、原告市民の請求をすべて棄却した住民訴訟の一審、控訴審を全て否定し「川合市長と齊木元市議による利益供与の共謀」が示されている。 

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