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どこに行く?民主連立政権:第4回 印刷 Eメール
内外展望 - 国内情勢
2010年 2月 21日(日曜日) 04:28

どこに行く? 民主連立政権
――政権政党のあるべき姿――第4回

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民主連立政権は「脱官僚」、「対米自立」を掲げ、日本に新しい幕開けをもたらすはずだった。明治維新以降、連綿と百数十年間続いてきた官僚支配を打破し、敗戦以来六十余年にわたって米国に隷属してきた日本を、真の独立国家に仕立て直すはずだった。しかしそれは、気が遠くなるような作業である。魂を奪われた国民大衆を覚醒させ、革命にも似た大変革を一気に成し遂げなければ、目標の達成はない。“小鳩政権”に、腹の底からその覚悟ができているのだろうか。

■内閣支持率が急落

鳩山内閣の支持率が急落している。

日本TVが2月12~14日に行った全国世論調査では、鳩山内閣の支持率が前月より6.8ポイント下がって39.0%に、支持しないが6.6ポイント上がって45.6%になった。ここにきて初めて、不支持が支持を上回ったことになる。
時事通信社の調査(2月12日)では、支持35.7%、不支持44.7%で、ここでも日本TVと同様の世論調査結果が示されている。

こうした結果を受けて、平野博文官房長官は、「政府として謙虚に受け止めないといけない。できるだけ早く予算案を通してもらい、実行することを強く望む」と語っているが(15日の記者会見)、支持率低下の直接原因と思われる小沢幹事長の政治資金問題に関しては、「必要な時に適宜説明していくものと思う」としか答えていない。

昨年夏の衆院選で、国民が民主党に期待したものは、直接的には、長引く不況を打破してほしいとか、税金の無駄遣いをやめさせたいといった思いだった。その奥底には、閉塞感極まる日本の現状を打破したいという願いがあった。明日に希望が持てる国にしてほしいという、ごく当たり前の夢があった。

本音を言えば、国民大衆は民主党に過度の期待をしたわけではない。
大衆が求めたのは、自民党支配からの脱却だ。自民党支配により滅茶苦茶にされた日本から逃げ出したい――それが大衆の思いだった。

昨年9月に誕生した民主連立政権は、いきなり荒波に漕ぎだした初航海の船長さながらの雰囲気だった。国民の誰もが不安を感じたが、それでも事業仕分けや米軍普天間基地移設問題、あるいは年金問題、道路・ダム建設問題など、荒波をなんとか乗り越える操船術を随所に見せてくれた。

これまで米国に隷属し、「アメリカの忠犬ポチ」を振る舞ってきた自民党政権の姿勢と訣別した民主連立政権は、鳩山首相が掲げる「東アジア共同体構想」の下、新たな外交戦略を展開するとしている。

1月末に行われた施政方針演説で鳩山首相は、「行政組織や国家公務員のあり方を見直す」と断言。「省庁の縦割りを排し、国家的観点から予算や税制の骨格などを編成する国家戦略局を設置」すると同時に、「内閣一元管理を実現するために内閣人事局を設置し、官邸主導で適材適所の人材を登用する」と述べている。

対米盲従の“忠犬ポチ”をやめて、対等な日米関係を構築すること。
官僚主導から政治家主導へ転換すること。
忠犬ポチからの脱却とは、戦後日本を根底から変える作業である。
官僚主導から政治家主導への転換となると、明治維新以降営まれてきた日本経営の根本的変革であり、それは“革命”と呼んでもいい大変革である。

そしてこの作業は、鳩山首相や小沢幹事長が頑張れば達成できるものではない。民主党が、あるいは連立政権が一丸となっても達成できるものでもない。
日本の国民大衆が――最低でも国民大衆の大多数が納得し、本気でその改革を希求するようにならなければ、チェンジに成功しない。

日本の国民大衆の多くは、残念ながら真に覚醒しているとは言い難い。それでも鳩山や小沢が生命を賭けて突き進めば、必ずや突破口が開かれるであろう。彼らが本当に命がけで事に当たれば、である。

■小沢一郎=ナチスという批判

すでに本紙連載で明らかにしてきたように、民主連立政権、とくに鳩山首相、小沢幹事長に対する執拗なまでの攻撃、嫌がらせが続いている。対米自立を目指し、脱官僚を掲げている以上、こうした攻撃を受けるのは当然だ。この程度の攻撃に怯み、支持率を落としているのは、鳩山、小沢両名にチェンジの気概が不足していると言わざるを得ない。
胆が座っていないと非難されて当然である。

小沢一郎に対する嫌がらせは、昨年3月の大久保秘書逮捕から始まっていると思われるが、本紙がとくに注目したのは、評論家・立花隆による文藝春秋誌「小沢一郎『新闇将軍』の研究」だった(本紙「民主政権はどこに向かって舵を切るのか」
12月5日掲載参照)。
ここで立花はこう書いている。

「…あのナチスが国政選挙を通じて、大量の議席を獲得して、合法的に一九三〇年代のドイツを一挙に作りかえようとしはじめ、それを大衆が熱狂的に支持しているところを見たときに一部の人々が感じたであろうような、なんともいえない居心地の悪さ、不快感を感じている」。
つまり立花隆は、小沢一郎をヒトラーのような危険な政治家だと断じているのだ。

もともと「小沢民主党はナチスと同じだ」と口にしたのは、自民党の麻生太郎幹事長(前首相・2008年当時幹事長)だった。このときはそれほど注目を浴びなかったが、立花隆が文藝春秋誌に論文を発表してからというもの、立花隆の同類か、あるいは単に立花の論文に刺激されたものか、小沢一郎をヒトラーに見立てる投稿などがネット上で散見される。「多くの民主党員が小沢批判をできないのは、ナチス党員がヒトラー批判をできなかったのと同じだ」といった類だ。そこそこ名の通った評論家氏連中も、競うかのように「小沢=ヒトラー」、「民主党=ナチス」と論じているのだから、開いた口が塞がらない。

小沢を、あるいは民主党をナチスやヒトラーになぞらえるのは、全体主義的であること、権力を一手に掌握していることなどが理由らしい。年金問題を政治のテーマのようにしたことも、「小沢民主党=ナチス」論の根拠になっているのかもしれない。

いずれにしてもこうした批判は、ナチスあるいはヒトラーを“悪の権化”と見なしたうえで、小沢一郎や民主党を「ナチスやヒトラーと同じだ。だから悪だ」と断定している。ナチスやヒトラーを“悪”と言うのはともかく、小沢や民主党をナチス呼ばわりすることには、些か呆れてしまう。まるでリスとライオンを「同じ哺乳類だから危険だ」と言っているようなものだ。

そんなことを言ったら、“悪の権化”に失礼である。小沢とヒトラーは似ても似つかないし、民主党はナチスになり得ない。

■小沢よ、「胆の座り方」を学べ

ちょっと余談に過ぎるが、ここでナチスの歴史を簡単に振り返ってみたい。

第一次世界大戦に敗北したドイツは、莫大な戦後賠償金を抱え、軍備の制限のなか、国民は過酷な生活に追いやられた。1929年に始まった世界大恐慌は、さらなる悲惨をドイツにもたらし、大統領ヒンデンブルグは内閣を次々と交代させていった。また当時のドイツ国民のなかに、共産党の台頭に対する不安感も存在していた。

1933年1月30日、ヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命。ドイツに右翼系連合政権が誕生したのだ。
しかしこの時点で、閣内に入ったナチス党メンバーは、フリック内相とゲーリング無任所相(兼航空総監)の2人だけだった。

このときドイツの新聞「フランクフルター・ツァイトゥング」紙は、ナチスとヒトラーに関してこう書いている。
「内閣の構成を見ればわかるが、ヒトラー首相は大きな制限を受けざるを得なかった」
「政府はヒトラー首相ではなく、フーゲンベルグ(経済相兼食糧・農業相)国家人民党党首を中心に動いていることがわかった」。
ドイツの新聞だけではない。米「ニューヨーク・タイムズ」紙はこう記している。
「内閣の構成は、ヒトラーから『独裁的野心の達成』の見込みを奪い去った」。

新聞だけが状勢を見誤ったわけではない。副首相として入閣したパーペン(元首相)は「われわれはヒトラーを雇っただけだ」としたうえで、「私はヒンデンブルグ大統領に信頼されている。2カ月もしないうちにヒトラーは隅っこに追いやられ泣いているだろう」と語っていたのだ。だが、それから数日のうちに、事態が変化する。

ヒトラーが首相になって5日後の2月4日、「国民保護のための大統領令」が発令され、デモや屋外政治集会などが禁止された。さらにドイツ最大の州であるプロイセンの治安支配権がゲーリング(無任所相兼航空総監)に与えられたのだ。この大統領令に基づき、ゲーリングは州警察にSA(突撃隊)と鉄兜団60,000人を配属させたのだった。

ヒトラー首相は2月20日になると、産業界、金融界の首脳25人と会談。共産主義の根絶と国防軍の再建を約束している。

そして2月27日、オランダ人共産主義者ルッペが国会議事堂に放火。共産党による国家転覆の陰謀と見なしたヒトラーは、翌日の閣議で、言論の自由、報道の自由、郵便や電話の秘密性、集会や結社の自由、私有財産不可侵性などを停止する大統領令を決議し、即刻発効させた。
このとき4,000人に上る共産党員が逮捕され、共産党の全活動が禁止された。

その1週間後、3月5日に行われた総選挙では、国会647議席中、ナチス288、社会民主党120、共産党81という議席数になった。だがナチスは共産党の議員資格を剥奪し、国会議席数を566に減らし、ナチス党が単独過半数を獲得することになった。

こうして開かれた新たな国会で、ヒトラー首相の全権委任法が可決された。
憲法を除く法令の制定の際、国会の承認も大統領の署名も必要とせず、外国との条約締結にも議会の批准を必要としない権限を、ヒトラー首相は手にしたのだ。

それまでドイツの各州は、独立性の高い自治権を持っていたが、これが中央に纏められ、一党支配による中央集権国家が確立された。7月にはナチス党以外の政党は解散、または禁止された。
ヒトラーが首相就任後わずか半年余りで、完全な独裁権が確立されたのだった。

政権を握るためには、武力、金力を掌握する必要がある。まして革命とも思える大変革を成し遂げようとするならば、最低でも警察・検察の力を握り、財務を掌握しなければならない。

鳩山、小沢に、その決意があるのか。

小沢一郎は選挙戦に強いとされる。民主党の支持率に翳りが出ているとはいえ、小沢が態勢を立て直し、巧みに民主党をリードし、今夏参院選に勝利する可能性は高い。だが、単に数に頼り、自民党利権を民主党に回すだけだったら、下劣な「政治屋」の誹りを受けて当然だ。

■夢まぼろしの「対米自立」

国内政治改革のためには、警察・検察力と財務・国税の掌握が不可欠である。
そして外交のためには、軍事力が重要だ。
民主党が真に「対米自立」を成功させるためには、軍事力の掌握、増強は絶対条件だと考えるべきだろう。

大東亜戦争、太平洋戦争に敗れた敗戦国日本は、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)により軍を解体され、米国製の「平和憲法」を押し付けられた。昭和30年(1955年)の保守合同以降、日本は「政治思想的には防共の砦となる」ことを義務づけられ、経済的には「廉価な家電製品などを米国に提供する」国となった。

戦後の日本は、米国の「核の傘」の下、国防意識は希薄となり、愛国心を完全に喪失し、「経済は一流、政治は三流」と言われても、笑顔を見せて頷く下劣な国家になり下がってしまった。それでも右肩上がりの高度成長期には、膨れ上がった財布を手に、得意げに海外で買い物を楽しむ日本人には、まだ“誇り”の欠片が残っていたのかもしれない。

その間、隣国である中国は、国防費が21年間連続で二桁の伸び率を示し、2009年度(平成21年度)には4,806億元(約7兆円)の国防予算を計上している。米国防総省は「中国の国防費は公表されている額の2~3倍になる」と指摘しているから、実質的には15兆円~20兆円規模だと考えていいだろう。日本の防衛予算5兆円弱と比較して、いかに巨額かが理解できる。

名目で中国7兆円に対し、日本が5兆円というのは、日本の防衛費が高すぎるのではないかとの批判があるかもしれない。しかし現実的に「購買力平価換算」で比較すると、名目軍事費で中国のわずか12分の1でしかない。

また日本の防衛予算支出の内訳をみると、対米従属ということがより鮮明となる。
F-15などの主力戦闘機、イージス艦、そしてミサイル防衛関係、さらには米軍基地の“思いやり予算”など、防衛予算のかなりの額が、そっくり米国に渡る仕組みになっている。とくに近年においては、米軍再編に伴う基地移転費、MD(ミサイル防衛)費は、いわば「聖域化」されてしまい、米国の言いなりにカネを支払わざるを得ないような状況になっているのだ。

民主連立政権が「対米自立」を掲げることは素晴らしい。
奴隷のように米国の言いなりになる忠犬ポチをやめ、米国の属国ではなく、対等に、普通に渡り合える独立国日本を目指すことには、諸手を挙げて賛成する。
だがそのためには、独自の軍事力が不可欠なのだ。
独自の軍事力を手にする覚悟が、鳩山・小沢にあるのか。それを問いたい。

■本気で国防を考えよ

たとえば東シナ海の油田開発問題、尖閣諸島の領有権問題など、日本と中国の間には厳しい外交問題が山積している。いま日中間は非常に良好な関係を築いてはいるが、中国の軍事的脅威が消えているわけではない。

もし仮に、東シナ海や尖閣諸島に中国軍が侵入してきたら、日本はどうするのか?
米国の“核の傘”が守ってくれるだろうか。――それはあり得ない。なにしろ現在、中国と米国は「準同盟国状態」なのだ。

カネ余りの中国は、経済危機に陥っている米国から、米国債を買うだけではなく、軍事技術まで購入しており、米国にとっては“最大の顧客”であることは間違いない。そんな米国が、日本防衛のために中国を相手に戦うことなど、あり得ない。

対米自立とは、あらゆる国際的脅威に対し、独自に打ち勝てる軍事力を保持することを意味する。

大国の途轍もない脅威に対し、現実に立ち向かい、見事に克服している国がある。問題多き隣国・北朝鮮である。

経済は世界最低水準、しかし外交能力は世界最高――。北朝鮮外交が高く評価される所以は、核を含めた驚異の軍事力にある。

1948年の国家成立(ソ連からの独立)、1950年の朝鮮戦争とその後の38度線対峙という60年前の出来事から、今日の先軍政治に至るまで、北朝鮮は優れた軍事国家である。北朝鮮に対して罵詈雑言を吐くことは誰にでもできる。だが、「愛国心」、「国家に対する忠誠心」という観点から考えれば、北朝鮮と日本を比較した場合、どちらが優れているか、議論の余地はない。

独立国家としての第一義は国防にある。

他国による主権の侵害、侵略に対する国防。そのためには何より軍備が必要なのだ。軍備とは単に武器兵器を充実させることを意味するものではない。国家の進むべき道を決定する外交戦略も必要だし、何より国民の気概――国家の領土と国民の安全を守りぬく精神が必要である。民族を愛し、国家を愛する心が重要なのだ。

日本人の中には「平和憲法を守れ」と声高に叫び、軍備絶対反対、自衛隊の存在すら否定する者がいることは承知している。憲法9条擁護派は、決して少ない数ではない。

だが現実に今日の日本は、着ている上着どころか下着まで奪われ、自宅に逃げ帰ってみれば土足で踏み荒らされ、どこにも助けを求められない、滑稽なまでに間抜けな役を演じさせられている。カネを奪われ、顔にビンタを食らってもなおヘラヘラ笑っている、この卑屈で漫画的な者が日本人なのか。そんな連中には、日本人としての誇りは残っていない。

憲法9条など捨て去り、国軍を所持すること。
これを直近の目標と定め、直ちに議論を進めるべきなのだ。

戦後の日本人は、使い古された言葉ではあるが、「空気と水と平和は無料(ただ)」だと思い続けてきた。だが
“温暖化”という意味不明の言葉で空気にまでカネがかかり、地方自治体が莫大な借金で作り上げた水道施設ですら外国企業に乗っ取られようとしているのが現状だ。「空気と水」は、もはや無料ではない。そして日本の平和は、誰も保証してくれていない。

本気で「国防」を考えなければならないときに来ている。
国防を考える以上、核武装に関しても議論する必要がある。

■核武装論議をつくすべき

核保有国の発言力が、核を持たない国家群の存在を押さえこんでいることは事実だ。

オバマ大統領は核廃絶を訴え、その評価でノーベル平和賞を受賞している。
たしかに、核は、ないほうがいい。核がまったく存在しない世界を待ち望むのは、オバマだけではなく、世界中のほぼ全員の願いだろう。唯一の被爆国として、日本が声高に「核のない世界」を望む姿勢は当然のことと言える。

しかし現実に米国は9,400発を越える核弾頭を所有し、ロシアは13,000発もの核を持っている。米露2国以外にも、英、仏、中、印、パキスタンさらには北朝鮮が核を保有し、イスラエルも間違いなく核を持っていると考えられる。他にも、イランやシリア、ミャンマーが核保有を疑われている。いやそれどころではない。現実に核開発はアジア全域で進められているのだ。

戦後の「平和憲法」を評価する人々は、世間一般では“知識人”と呼ばれる者が多く、世論をリードしてきたように思う。こうした知識人の発言力に加えて、“唯一の被爆国”だという認識が、日本民族全員に核アレルギーを植え付けてしまった。民主主義国家であり、表現の自由は憲法が保障しているにも関わらず、「日本の核保有」という言葉は禁句であり、絶対のタブーだった。

じつはこの場を借りて申し上げなければならないことがある。私(松本州弘)自身、「反原発」「反核」という位置に身を置き、核不要論を展開させていた時代があった。
しかし実のところ、本音の部分では、「使用せず」と封印を貼った形ででも核を貯蔵していれば、国防にとっては極めて有意義だとする思いが、いつも思考の片隅に立ち混ざっていた。民主党の政治哲学の中に、真に国家を独立させるという意識があるならば、当然ながら国防という大義の中に核保有の問題を含めるべきである。

仮に日本が核武装をしたら、周辺各国だけではなく、世界がどう受け取るか、ぜひご自身で想像していただきたい。それは国際政治環境を劇変させるはずだ。

先に、世界中で核開発の動きがあると書いた。その例として、ベトナムを考えてみたい。
ベトナムはすでに1990年代後半から原子力発電の計画を立て、それを公表していた。2008年には「原子力発電国家評価委員会」を立ち上げ、4期に分けての原発開発に取り組むことになり、日本からも東芝、日立(GEと共同)、三菱重工(仏と合弁)などが名乗りを上げていたが、結果はロシアが参入することに決まった。ベトナムの原発開発は、核兵器開発を念頭に置いてのものである。

ベトナム戦争終結後の1979年に「中越戦争」が起きている。中国軍が越境してベトナムと戦った戦争で、その後も1989年に至るまで、中国軍は度々ベトナム攻撃を行ってきた。最近の中国軍増強に対し、脅威を覚えるベトナムとしては、何としても核武装を達成したい。その思いが、ベトナムに核開発の道を作り上げたのだ。ベトナムの核開発を支援するのがロシアだという点も、意味が深い。

隣国・韓国もまた、核開発に意欲を見せている。韓国は、米国との関係や、さまざまな制約を受けている現状から、核開発は決して行えない環境にある。ところが、そんなことを言っている場合ではないのだ。

2012年4月を以て、在韓米軍はすべて撤退することが決まっている。そしてその2012年に、38度線で対峙している北朝鮮は「強盛大国の大門を開く」と宣言している。

1950年の朝鮮戦争は、現在「休戦中」であり、いつ戦争が再開されても不思議ではない状態にあり、現在、北朝鮮と対峙する最前線は米軍が守っている。その米軍が2012年に撤退してしまうのだ。そして、北朝鮮は核を所有している。

では、核開発が絶対不可能とされる韓国は、どうやって核開発を行うのか。この謎に答えるのがアラブ首長国連邦アブダビの原子力発電計画である。

昨年(2009年)12月23日、アラブ首長国連邦のハリファ大統領は政令を出し、「アラブ首長国連邦原子力公社」を立ち上げた。同公社は「原発の設計、建設、運営、管理等」を請け負う業者を海外に募り、日本も700億ドルの入札を提示していた(ロシア900憶ドル、韓国400億ドルの提示)。
「アラブ首長国連邦原子力公社」創設からわずか4日後の12月27日、韓国の李明博大統領はアブダビに飛び、皇太子やハリファ大統領と会談。韓国の落札が決定した。

アラブ首長国連邦アブダビは、ドバイとは異なり、オイルマネーでいまなお資金が潤沢な国家である。入札価格の多寡によって請負企業を決めるものではない。目的は核開発にある。

「問題はイランの核開発にあります。イランの核を恐れているのはイスラエルだけではありません。アラブもまた、イランに恐怖を感じており、対抗する必要があります。ペルシア民族とアラブ民族は、絶えず対立しているのです。アブダビの原発を韓国が落札した理由は、両国とも本音のところでは、国際社会に隠れて核兵器開発を行いたいという願望を持っているからでしょう」(外務省幹部の話)。

韓国は間違いなくアブダビで核兵器開発をスタートさせようとしているのだ。こうした状況下、日本が核に対してまったく考えないというところに問題があると思われる。

もちろん日本が核開発をすることに対し、世界は幾重にもわたる枷を課している。日本はNPT(核拡散防止条約)国であり、IAEA(国際原子力機関)の一員であり、非核三原則に則った国である。IAEAの監視が最も厳しいのは日本であり、日本は潜在的核保有国と見なされる場合が多い。何より国際社会、とくに米国は過敏とも思えるほど、日本の核開発を警戒している。唯一の原爆投下国として米国は、日本の報復を未だに恐れているからだ。

幾重にも張り巡らされた枷があるが、それでも日本が核開発の研究を行える機会は残されている。韓国と同様、たとえばベトナムで核開発を進めることだって可能だろう。そうした戦略を立てるのは、政権政党の仕事だと考えられる。

その前に、日本が核開発を行うべきか否かについて、議論を深める必要がある。

国家の存在意義を討論する場に、最初から不必要だと決めつける提案などない。
議論に議論を重ねて、それで不要だと決まったならば、核不所持という国民の総意を死守し、それが為に日本が全滅に帰してもやむを得ない。議論もせずに国防を放棄することは許されない。
鳩山、小沢にその覚悟を問いたい。

■覚悟なき者は舞台を降りろ

2月12日の衆院予算委集中審議で、鳩山首相がキレてしまった。事の起こりは与謝野馨元財務相が、首相の実弟である鳩山邦夫(元総務相)の証言を暴露したことだった。「平成の脱税王」と批判した与謝野は、さらに鳩山首相が母・安子さんからの資金提供を知っていた可能性を指摘。これに激高した鳩山が「まったくの作り話であります。こういう話をされると……兄弟も信じられなくなる」と声を震わせて猛反撃。味方の与党席から「総理、冷静に」との声がかかるほどだった。

脱官僚、対米自立。巨大な目標を掲げ、日本を根底から作り変えようとする鳩山首相の意気に、諸手を挙げて賛成していたわれわれにとって、母親からの資金提供の話をされただけでうろたえ、声を震わせるような首相には愕然とさせられるだけだった。
冗談ではない。この程度の腹積もりなのか! 心底、ガックリさせられてしまった。

さらに追い打ちをかけたのが、17日の党首討論と、その後の鳩山首相の記者会見だった。
自民党の谷垣総裁との党首討論の議題は、ほとんどが鳩山・小沢の政治資金の問題だったのだ。まさに国民不在。こんな体たらくで国家改変の大事業などできるわけがない。
しかもその後の記者会見で鳩山首相は、「政治とカネの問題ばかりでガッカリした。もっと高所大所の議論をしたかった」と胸を張ったのだ。

ガッカリしたのは、鳩山ではない。国民大衆なのだ! いったい何を考えているのか!
カネの問題ばかりを追及した谷垣禎一にも問題は多い。だがその問題を作ったのは、小沢幹事長であり、鳩山首相本人ではないのか。

政治資金の問題は、何より、日本の選挙にはカネがかかり過ぎるところにあるのかもしれない。また、衆参二院制も見直すときにきているとも思われる。だいいち、日本の選挙は多すぎる。6年制の参院は3年に一度の選挙があり、その間に解散に伴う衆院選がある。

話題が逸れて恐縮だが、選挙制度について少しだけ語っておきたい。

日本の議会制度の手本となった英国も、上下院の二院制だが、上院は貴族院で選挙はない。下院は日本と同様に解散があるが、日本のようにカネがかかるものではない。広報宣伝の選挙カーが街を走り回ることはなく、選挙ポスターもほとんどない。米国は4年に一度の大統領選の他、6年任期の上院、2年任期の下院があるが、日本ほど選挙ばかり行われている印象はない。欧州議会選挙は5年に一度。仏の選挙も5年に一度だ。

日本の場合、選挙にはカネがかかり、そして頻繁に選挙が行われる。政治家は選挙資金を必要とし、また選挙に勝つことが重要になってくる。こうして日本の政治家は、資金集め、票集めに奔走し、肝心の国政に対する情熱を失っていく。小沢一郎自身、選挙に勝つための“政治屋”になり下がっているではないか。

先に述べたヒトラーの話題を再度取り上げてみよう。

1933年1月30日に首相に任命されたヒトラーは、2月20日にドイツの産業界、金融界の首脳25人を集め、会談を行った。
この会談でヒトラーは、マルクス主義の根絶とて国防軍の再建を約束したのだが、同時に、「3月5日に総選挙を行うが、それ以降10年間は選挙を行わない」と明言した。選挙のたびに資金援助を行わなければならない産業界、金融界は、この申し出に感激し、ヒトラーに対し300万マルクという莫大な資金援助を行った。
この資金援助のお陰もあって、ナチス党は第一党に躍り出たうえ、共産党の議員資格を剥奪し、過半数を取得したのは、先に述べた通りである。

民主党が本気で日本変革を考えるのであれば、選挙制度についても突っ込んだ議論をしていく必要があるだろう。

さて、話題を本筋に戻そう。
鳩山首相、小沢幹事長に対し、われわれは期待していた。
真に日本を独立国家に導き、官僚が食い物にしている行政を糺し、日本に夢と希望を与えてくれる政治家集団の先頭を走る二人だと認識し、応援もしてきたつもりだ。
今われわれにあるのは、失望だけである。

小沢一郎にしても同じだ。
小沢が言う「普通の国」とは、日本を真の独立国にすることだと思われていた。戦後65年、日本は残念ながら普通の国ではなかった。普通の国ではない日本を、普通に戻すことは、至難の業である。小沢にその覚悟があると、われわれは認識した。だがどうやら、小沢に対する評価を間違えていたようだ。

政治資金の問題で、地検特捜部と司法取引でもしたのか、あるいは米国に脅されたのか、本当のところは見えないが、小沢が「ただの政治屋」に成り下がってしまったことは、誰の目にも明らかだ。いやもしかしたら、小沢とは元々ただの政治屋だったのかもしれない。

普天間基地移転問題を5月までに決着すると鳩山は公言した。その結果がどうであれ、鳩山首相、小沢幹事長には、その時点で舞台から降りていただきたい。

民主党は豊富な人材を有している。衆参両院合わせて424名の国会議員だけではない。地方議員から党員、支援者まで含めれば、膨大な数になり、その中に優秀な人材が何人もいることをわれわれは知っている。
こうした優秀な人材たちが、社会に及ぼす胎動がある。変革の芽と言い換えて良いかもしれない。小沢の存在は今や、その胎動すら押さえ込み、彼らに声すらあげさせない。

優秀な議員たちよ、小沢民主党を割って、日本のために新しい波を起こすべきではないのか。そんな諸氏をわれわれは全力で応援する覚悟だ。

またわれわれは、当初は野党・自民党に再生の期待もしていたのだが、現状ではそれも無理だと考えている。

こうした状況下、本当の意味での政界再編の刻が近づいてきているように思われてならない。新党立ち上げ、民主、自民両党の分裂……。明日にも起こり得る政界大混乱の構図を眺めながら、次回には、もう一度、民主連立政権を見つめ直してみたい。■

(「どこに行く? 民主連立政権――政権政党のあるべき姿――」第5回は、3月初旬掲載予定です。ご精読感謝いたします。)